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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2017年12月4日月曜日

司馬遼太郎記念館で珈琲を飲む

昨日夕方、はじめて司馬遼太郎記念館を訪れました。
展示室で展示物を見、ホールで映像を観た後、館内のカフェで珈琲を飲みました。そして思いを馳せました。大書架は、まるで伽藍や廟の様であったなと。
瞑想には適した場所です。ですが伽藍や廟の装飾品である彫刻や絵画であれば、たとえ触れることができなくても、見るだけで、作品に宿る思いや価値を見出すことは可能です。
でも大書架に飾られた二万冊もの司馬さんの蔵書は、その本の頁を開き読まない限り、内容を知ることはできず、その価値を見出すこともできません。
司馬さんは「二十一世紀に生きる君たちへ」の中で、目には見えないけれど人間の心の中に宿る思いやりや逞しさを賛歌し、その心が21世紀を担う人々に引き継がれることを希望されました。そんな司馬さんなら、21世紀に生きる人々に役立つ形で蔵書が活かされることを望まれているのではないか、そう思えてきました。

一服の珈琲はとても美味しかったです。でもこの珈琲を抽出するために、集められ、選別され、配合され、焙煎され、挽かれ、漉された珈琲豆は味を失い価値のないものとなりました。でも司馬さんの蔵書は違います。それは知識の泉であり、歴史の証人ででり、人の目に触れて、誰かの知覚で読み解かれることにより、何度でも新しい発見や物語を生み出すでしょう。でも司馬さんの廟の装飾品である限り、それは叶うことはないでしょうね。それがとても残念に思います。


2017年8月14日月曜日

読書感想文のあり方について

昼間よく聴いている「ばんばひろふみ!ラジオDEしょー!」で先日、リスナーから「子供の夏休みの読書感想文の書き方」についての相談がありました。誰もが何かしら苦い思い出があって、その思い出話がどれも面白く、二週に渡って、その話題で番組が盛り上がっていました。

でも、今思えば、何で読書感想文という宿題が苦痛だったのでしょう。そんな事に思いを巡らせました。
子供時代も本を読むこと自体、私は苦痛ではなかったように思います。知りたいという欲求が強くあれば、また、その物語を面白く思えば、夢中になって読んでいたように思います。
では、何が苦痛だったのか・・・、ふと思い当たることがあります。それは
①読む本が指定されていて、その本で感想文を書くことを強要される(様に思っていた)
②原稿用紙に、感想文の書き方という作法に則って書かねばならない(間違えば×が付く)
私自身、おっちょこちょいな性格でしたので、我慢を強いられたり、正確に物事を行う事がとても苦手でした。
そしてなにより一番の苦痛は、他の人とずれたおかしな感想や発想を書けば笑われるという事です。
小学生低学年の頃に、私は苦い経験をしました。あれは保護者参観日の事でした。
社会科の授業で、「兵庫県を二つに分けなさい」という質問があって、最初に当てられた生徒が、黒板の前に進み出て、兵庫県を上下に分けました。山陽と山陰です。もちらん正解です。で、先生が「他にありますか?」と問いかけを続けたので、私は得意満面になって手を挙げて、前に進み出、兵庫県を左右に分けました。すると、ドッと笑いが起こったのです。左右に分けた明確な答があったわけではありません。ただ左右にも分けられると思っただけの事です、いわゆる思い付きです。でもそれで笑われた。誰も気付いてはいませんが、私は嘲笑された気分になったのです。

今にして思えば、私が兵庫県を左右に分けた事に続けて、先生が左右に分けられる答を求めるアプローチをしてくれていれば、他の生徒からもユニークな発想や意見が飛び交いだしていたかも知れません。膝を打つ意見が飛び出していたかも知れません。たとえそうならなかったとしても、私にとって恥ずかしい記憶として残ることは無かったと思います。

そう考えると、先生があるべき答を想定した読書感想文の宿題といった態ではなく、長い夏休みの中で子供たちが思いのままに読書した本の話(内容や物語のすじ)や、読書して感じたこと、知ったこと、学んだこと、良かったこと、悪かったことなどを、先生や友だちみんなに伝えることだけを課題にしてはどうかと思います。
子供たちに
・読書をする事と
・人に伝える事を
だけを求めるのです。
そして、
人に伝える手段は、
・感想を口頭で発表していいし、
・文章に書き出して読んでもいいし、
・もしかしたら絵や音楽にしてもいいし、
という風に、子供たちに任せるのです。
そして、子供たちが発表した内容をみんなで楽しむのです。でも、そこにこそ先生の大人の導きが必要です。絶対に守らなければいけないことは
・否定しない
・あざ笑わない
ことです。そして発表した内容をみんなで共有できる様に導くことが大切です。
たとえとんちんかんに思える発表でも、それが悪ふざけではない限り、受け止める、そしてみんなで共有できる様に導くことが大切です。(それはとっても難しい事ですが、でも子供たちに難しい課題をさせているのだから、先生は遣り抜かねばいけません、ね)
そして、あらためて授業の一環として、発表した内容を、作法に則った感想文へと昇華させれば尚のこと良いと思います。

私は、子供たちに、人に伝える楽しさを知って欲しいと思うのです。
伝える事の楽しさを知れば、
いろんな事柄に関心が広がって、知りたいという欲求も強くなるだろうし、
伝える手段を学ぶことにも一生懸命になると思います。
なにより、伝える人を、伝えてくれる人を、大切に思うでしょう。
そして子供たち自身が、自分の成長を実感できると思います。

2017年6月21日水曜日

分かりやすく丁寧に

テレビを観ていると、あるコマーシャルで起用されたタレントが「分かりやすく丁寧に」商品を伝えますと台詞を喋っていました。「分かりやすく丁寧に」は、最近よく耳にする言葉です。そう、安倍首相が国民向けの会見でよく使われる言葉です。

でも、説明したり弁明する人が「分かりやすく丁寧に」を使うのは、正しくない様に思います。本来「分かりやすく丁寧に」に続くのは、「話をしてくれて」あるいは「説明してくれて」そして「ありがとう」という風に、説明を聞く側が「ありがとう」の理由として使う言葉だと思います。
それが説明する側が「分かりやすく丁寧に」と言うと、何か上から目線で言われた様で、私は不快な気分になります。まして安倍首相がこの言葉を使うのは、疑惑の弁明や推し進めた法案の強硬裁決後の事後説明の時です。「分かりやすく丁寧」を聞く度に、安倍首相から、「分かりやすく丁寧に」話すからよく聞いて納得しなさい。と言い含められているような気分になります。

Google翻訳で「分かりやすく丁寧に」を英訳すると”Clear and polite”となりました。
これをさらに日本語に翻訳すると「明確で丁寧な」となりました。
説明するには、この”Clear”、「明確」さが一番大事だと思います。そこから、はじめて本当の議論が生まれるのだと思います。

2017年6月20日火曜日

車屋さんでの出来事

車のヘッドライトの球が切れたため、近くの車屋さんに出かけました。球の交換の間、事務所に入ってスポーツ新聞を読もうとすると、奥さんが出てきて「メニューから飲み物選んでね」と言って貰ったので、「冷たいコーヒーお願いします」と応えました。
すると奥さん、きびすを返しながら「はい、ホットコーヒーね」と言いながら去りました。思わずコケてしまいました。

夕方に別の車屋さんに別の要件で出かけました。ショールームの椅子に腰掛けて待っていると、空中を何かが忙しく舞っているのを目にした瞬間、自動ドアにぶつかって「ドンッ!」という大きな音がしました。いやっ、やってもたんちゃうか、死んでもたんちゃうか、と心配になりましたが、ドアは何事もなかったように開きはしません。その後も人の出入りがないので、ドアの直下の惨劇が見えません。店の人も奧のカウンターで何事もないように事務に忙しくしています。
決して、ドアに近づいて外の様子を見に行くことにしました。ドアの直下には、二羽の雀がいました。怪我をしている様子はありませんでしたが、一羽がぶつかり、一羽は危険を承知で側に寄り添っている様に見えました。

頭の天辺に禿げ地ができました。

時々、頭の天辺が痒くなります。痒くて、気付くと手で天辺をこすっています。するとそこに傷ができ、やがてかさぶたとなって、さらに痒さが増すのです。
今度はかさぶたをいじります。するとかさぶたは取れ、表皮に血だまりの穴ができます。
天辺がずきずき痛むようになって気付くんですね。触らなければよかったと。

また、先日から天辺が痒くなりました。わかっていた筈なのに、結局、血だまりの穴を作る事になりました。妻が薬を買ってきてくれて、ようやく痛み痒みは治まってきました。
どんなあんばいか、前屈みになって、頭の天辺を鏡に映しました。するとそこに禿げ地ができていました。
若い頃は、髪の毛はとても元気で、密集して生えていて、多すぎることに難儀するほどでしたのに、今では髪の毛は真っ白になって、細くなって、すかすかになってきました。それでも禿げ地はなかったのに、自分の手で、禿げ地を作ってしまいました。

2016年8月2日火曜日

ショートショートホラー LINEグループの怪

夏のショートショートホラーを一席…
俺ら親友7人、学校を出て離れ離れになってからも、LINEでグループを作り繋がっていた。そこには、近況報告、くだらない話楽しい話、夏に顔を合わせて遊ぶ計画、そして7人のふざけ顔笑い顔が溢れていた。
でも、昨年の夏が過ぎてから、親友の一人が突然の事故で亡くなったというメッセージが掲示されてから以後、まるで閉ざされた様に、誰もこのグループで書き込みし無くなっていた。
7月、何の気なしにグループを開いた。そして履歴を振り返り、親友7人の楽しかった頃に想いを馳せて、「今年の夏も会おう!」と打ち込んだ。
しばらくして、ひとり、またひとりとグループのメンバーである親友が戻ってきて、7月の終わりには、以前のような活発な書き込みのあるグループに戻っていた。
8月、明日親友たちと再開するといる夜も、LINEのグループを開いた。
その時である。既読が6になっている事に気付いた。ドキリとした。その時、最新のメッセージが書き込まれた。
「皆に会えること楽しみにしている」
「いろいろ話したいのでね」
7人目の親友からの書き込み…だった。

2016年5月24日火曜日

ちょっとだけ・・・怖い話

昨日の夕暮れの事です。大塩別所線の姫路ジャンクション高架下で右折の方向指示を出しながら信号が青に変わるのを待っていました。前方には対向車が数台連なっています。
信号が青に変わって対向車が行き過ぎるの待っていたその時です。甲高い原付バイクの騒音がトンネル内に響きました。たしか対向車線にはバイクはいなかった筈、とっさに後ろから来るのかと左右のミラーを確認しました、でも近づくバイクはありません。そしてしばらく続いた甲高い騒音は止みました。
バイクを見落としていたのか、それとも消えたのか、そもそもバイクなど実在しなかったのか・・・暫く走りながらそんなことを考えていると、背中がぞくぞくしてきました。

2016年5月15日日曜日

最近、ラ王担々麺を美味しく作る事覚えました。

日清ラ王、生麺の様な食感で即席麺の常識を覆したラ王袋麺の中の担々麺を美味しく作る事を覚えました。
初めてラ王担々麺を作った時、他の即席麺と同じようにスープの素を溶いたスープを麺が隠れるほどにラーメン鉢に注いでいました。これだとどうしても辛みが薄れてしまうんですね。でも、その作り方が常識と思っていましたのでこんなものかと諦めてもいました。でも最近流行のつけ麺を見て、ピンときました。常識と思っていた事を取り去ってしまえばいいのだと。
そして好きに味付けする事にしました。
まずスープですが、袋麺に付いているスープの素に、豆板醤、日本の味噌それぞれをスプーン小さじ1杯程度加えます。それを少量の熱湯で溶かします。これでさらに辛みと深みのあるスープの出来上がりです。
そして麺、たっぷりの湯で茹で、少し固めで取り出して、先に用意した濃いスープの中に入れまして、麺が浸るか浸らないかのころ合いまで熱湯をたして薄めます。少ない位の方が丁度良いです。
そして具材はシンプルに、細切りにして具入りラー油で炒めた牛肉と、茹でたモヤシ、シメジ、刻みネギをトッピングして、最後に胡椒を数回振り掛けたら完成です。
つけ麺感覚で、濃いスープを麺に絡ませ食しますと、辛み一杯、旨味一杯の担々麺が楽しめます。店で食べる担々麺にそうそう引けを取らない、そう自負する一品です。
今日の昼も、家族で食しました。スープも何もかも食べきって空となった鉢を見るのは幸せです。(でも、高血圧の人(私ですが)には勧められない一品かもしれません。)

2016年4月9日土曜日

花筏から高砂を考えます。

「花筏」という言葉を、週刊誌のグラビアで見つけました。
桜の花びらが散って、降り立った川面に広がり悠悠と流れゆく様を見た先人が、まるで筏を流しているようだと名付けた風流この上ない言葉です。

「花筏」の風流な意味合いなど知らず、でもずいぶん前から名前としてこの言葉は知っていました。上方落語の演目にあるんです。そして、この噺の舞台が高砂です。
米朝さんが掘り起こされた昔噺の一つなのでしょうね。地元愛が感じられる大好きな噺です。

***
大阪で提灯の張り替えを営む徳さんのところに甘い話が転がります。なんでも看板力士の花筏が重い病気にかかったために次の巡業に出かけることが出来なくなり、でも巡業先から相撲はとらなくても結構、体だけでも寄こしてくれればと乞われたために、親方が一計を案じ、花筏に背格好がよく似た徳さんを身代わりに立てようと考えたのです。
給金は今の倍、しかも巡業先では相撲はとらなくてもいいし、好きなだけ飲み食いができるということで、徳さん、喜んで承諾し、そして播州高砂で行われる巡業に花筏として参加をします。

しかし、徳さん、重い病気であるという触れ込みであったのに関わらず、大飯をかっくらうわ大酒をあびるわ、あげくに宿屋の女中に夜這いを掛けるわと元気この上ない振る舞いをしたために、千秋楽に相撲を取らなくてはならない羽目に陥ります。
またまた親方が一計を案じ、徳さんに策を授けます。立ち会いで相手に触れるか触れないかのころ合いでごろんと転べ、すれば観衆は花筏は重い病気をおして土俵にあがってくれたと思い、花筏の人気に傷を付ける事はないと話します。

そして千秋楽を迎えます。花筏の相手は網元の息子で高砂一の力持ち千鳥ヶ浜です。千鳥ヶ浜は、玄人力士を尽くうっちゃって全勝で千秋楽を迎えていました。しかし、前夜父から諭されます。玄人衆は網元の息子だからと花を持たせてくれていたのだと、はらわたは煮えくりかえっていただろう、だから千秋楽に一番強い花筏ができてきたのだ。お前は明日殺される、だから決して土俵にはあがるなと諭されます。しかし、相撲が始まると父の言葉などどこかに飛んでしまい、名前を呼ばれると勇んで土俵にあがります。

そして立ち会いを迎えます。目の前の花筏に目を向けると、花筏が泣いています。突然、昨日の父の言葉が甦ってきて、「殺される」という恐怖でボロボロ泣き出します。
実は花筏の徳さんも転ぶどころか恐怖で体が凍り付き、「殺される」とボロボロ泣いていたのです。
そして行司が軍配を返すと、無我夢中で手を出した徳さんの手が触れるか触れないかのころ合いで千鳥ヶ浜がごろんと転がり、軍配が徳さんにあがります。
見ていた観衆は大喜び
「見たか、花筏、強いなぁ。千鳥ヶ浜、何じゃかんじゃ言ってもやっぱりあきゃせんわい、素人じゃわい。花筏がバ-ンと張っただけで飛んでしまいよった。花筏は張るのがうまいなぁ~!」というオチで締めくくられます。
***

・・・長々と前振りが長くなってしまいました。スンマセン
昨晩、応援する市長選候補者の演説会に参加しました。
長年に渡る失政によって、高砂はどんどんいびつになって、いよいよどうしようも無い状況に陥っていると話されます。責任の一端は当然ながらその方にもあり、ご自身も認められていました。
高砂の西の飛び地として位置する北浜町、昔の栄華はもうどこにも見当たらなくなった高砂町、基幹道路と目された明姫幹線沿いは開発がままならず、河川は治水がままならない。
しかし現在の市長は、かつて行政マンであって政治家ではなく、市民のための交渉や折衝に汗をかかない、恥をかかないという思いを強くし、自らその役を買って出ようと、この度の選挙に背水の陣で挑んだと話されました。
それは真誠と思います。

そして、高齢者だけでなく市民に優しい施策も話されました。
現在の市民サービスセンターをかつての支所の様に、市民によりそい、市民の近くで様々な相談やサービスを提供できる場所にしたい。
また、そのためにも若く優秀な職員が頭を使って、体を使って、市民のために活躍出来るように育成したいとも話されました。

汗をかいてもらいたい、恥をかいてもらいたい、それで高砂市が高齢者にとっても、そして若い世代にとっても、住みやすい町に変わってくれたらという思いを強くした次第です。

p.s.
山電高砂駅と西友跡地の再生ですが・・・
夢想ですが・・・
大阪天満にある天満天神繁昌亭の様な定席寄席を作ってみたらどうかな、と思います。
かつて姫路を中心に播州地方にも寄席や芝居小屋があった様ですが、今や映画館さえ無く、市民は楽しみを求めて、神戸大阪と足を伸ばすしかありません。
それならば、思い切って笑いを町に誘致し、笑いを町に根付かせて、笑いで町を再生するのはどうかなぁ、て思います。外から人々が笑いを求めて訪れれば、新しい店もどんどん建って町に活気が戻るでしょう。
高砂を色に例えると、今は灰色です。でもだからこそ、一点でも明るい色が灯れば、それは誰の目にもはっきと分かります。明るい色が、ゆっくりでも広がればそれは楽しみの広がりです。もしかしたら、高砂には希望があるかもしれない、そんな風に思える事が大事なんではないかと思います。

2015年12月1日火曜日

短編小説5『ロボット大国 日本』

ロボットの語源(ウィキペディアより)
ロボット(robot)という語は、1920年にチェコスロバキア(当時)の小説家カレル・チャペックが発表した戯曲『R.U.R.』(邦題:人造人間)において初めて用いられた。この作品に登場するロボットは金属製の機械ではなく、原形質を科学的合成で似せて作った、人間とは異なる組成の肉体と人間そっくりの外見を持つもので、現在のSFで言うバイオノイドである。
robotの語源はチェコ語で「賦役」(強制労働)を意味するrobotaとされている。
賦役(ぶえき)とは、農民のような特定階級の人々に課せられた労働である。公共への労働力としてほぼ無給で働かされた。私有地における小作人の賦役は歴史上広く見られる。賦役は文明の始まりにも遡ることができ、最古の課税形態の一つである。
ロボットのもう一つの意味は、他人の指示のままに動く人。「傀儡(かいらい)」である。

***

「わが国の労働者には、もっともっと上昇志向になって欲しい。
その為に、わが党は労働者に働き方の自由を与える労働者派遣法の法案を提出します。
労働者派遣法が成立した暁には、労働者は会社に縛られることなく、ステップアップし、スキルアップし、実力でどんどんと所得を増やしていくことでしょう。」

ときの与党が、以上の様に国民に訴えて、そして労働者派遣法は制定されました。
あれから25年、この国の労働環境はものの見事に変わりました。
この法律は最初、プログラマーやデザイナーなどの知識労働者や技術者が対象でした。ですから、すぐにこの法律の効果が現れました。これまでの終身雇用制と年功序列制というしがらみを受けずに、才能のある優秀な若者が駈け足で成功への階段を登り始めました。
派遣労働者の優秀性という成果を受けて、経済界やさまざまな業界団体は、あらゆる業務に門戸を広げるよう政府に要請し、政府は25年をかけてすべての業務に派遣法を適用する改正を行ってきました。

ある工場勤めの派遣社員の一日です。A氏としましょう、A氏は40歳で独身です。狭いアパートにひとり暮らしです。6時に起きて身支度を始め、6時45分に自宅を出て、バス停近くのコンビニでオニギリとお茶を買い、7時発車のバスに乗り込みます。
7時30分に工場前のバス停で下車し、守衛に軽く会釈をして、工場に入ります。
控え室で作業着に着替えた後、同僚と共に朝礼に進み、そして8時から稼働するラインの中で仕事を行います。
17時、ラインが止まり、今日の仕事は終了です。夕礼に進み、そして控え室で私服に着替え退社です。A氏は、工場前にあるパチンコ店で一勝負した後、隣のラーメン店で夕食を摂り、バスに乗り、スーパーに立ち寄って日用品を購入し、そしてアパートに帰り着きます。

翌日は派遣登録の更新日でした。仕事を終えたA氏は、指定時間の20時に派遣会社を訪れます。そこには、顔なじみが揃っていました。
コンビニの店員、バスの運転手、守衛、工場の同僚、ラインの管理者、パチンコ店の店員、ラーメン店の店長、そしてスーパーの店員・・・、みんな同じ派遣会社に登録している派遣労働者でした。
そしてひとり一人、面談と派遣登録の更新手続きが始まります。
A氏の番になりました。A氏は、今働いている工場の契約が今日で切れます。それで、仕事を続けるために新しい派遣社員として働く契約書にサインしました。これでまた、半年間あの工場で働くことができます。A氏はこのようなルーティーンを10年以上続けてきました。A氏は、工場のラインで働く誰よりも仕事に精通し、熟練工としてしっかりとした仕事ができました。でもA氏の給料は、いつまでも初任給のままでした。

派遣法の成立は、政府そして産業界の悲願でした。
高度成長期を経て、この国は強い経済力を持つに至りましたが、海外企業との競争、貿易摩擦、新興国の追い上げにオーナー達は危機感を募らせました。そこで、今後も競争に勝ち抜くために、究極の産業力を欲しました。
その第1弾が、あらゆる業務のシステム化です。システム化とは、業務の最適化、効率化を突き詰めた手順をマニュアル化、プログラム化したものです。
そして機械化(コンピュータ化、ロボット化)できるものはとことん機械化し、機械化できないところは、労働者にマニュアルの遵守を徹底させました。
そしてシステム化の徹底により、業務は最適化、効率化され、余った人員はどんどんと人員整理されました。

「システム化により、自動化により、人間の労働者は不要になる・・・」
こんな噂がまことしやかに広がり、労働者は何とか今の仕事が奪われないように、法律で認められた休暇の権利さえ放棄して、オーナーに言われるままに働くようになりました。

しかし、「システム化により、自動化により、人間の労働者は不要になる・・・」は、ごまかしでした。実際に、政府や産業界は完全なる機械による自動化を模索していました。しかし、ロボットやAIの研究を突き詰めた結果、論理的な思考や手続きに従った動作はロボットやAIが取って代わることができても、柔軟性や器用さ、直感という働きにおいて人間には勝ることができないと分かったのです。人間の労働力は、これからも無くてはならなかったのです。
そこで、第2弾として《robota計画》が動き出しました。

《robota計画》とは、人間の賃金労働者をロボット化するという計画でした。
民主主義、人権主義を標榜するこの国では、法律で認められた正規労働者の権利は、いくらときの権力者であったとしても易々と奪う事はできません。そこで編み出されたのが、まったく新しい労働形態である非正規労働者を作るという事でした。これにより、企業は資材を調達するように人間の労働力を調達することができる様になりました。企業は、必要な時に必要なスキルを持つ人間を必要な人数、一番安く提供するという派遣会社と契約するだけでよくなりました。またこれにより、これまで直接雇用していた正規労働者は不要となり、人件費を大幅にカットすることができるようにもなりました。

そして、派遣法が制定されて25年が経ちました。賃金労働者のロボット化を推し進めるオーナー達は、非正規労働者の割合がいまだ4割しか達成できていないことに大いに不満がありました。そこで、彼らが担ぐ雄弁なカリスマ総理大臣に、早期の10割達成を強く求めていきました。
そして唐突に、カリスマ総理大臣は国民に向かって、雄弁に一つの行動目標を発表しました。そのタイトルは《一億総活躍社会》なるものでした。オーナー達は、総理大臣の本気を知り、ほくそ笑みました。

2015年11月22日日曜日

電話に辱められた思い出です。

昨日のことです。甥っ子のマンションの部屋で一時留守番することになり、妻と二人で鍵を預かり部屋にいました。
「マンション入り口から部屋番号をタッチするとインターフォンが鳴るので、鍵ボタンを押してね。そうすれば共用ドアが開くから」と聞いていました。
甥っ子を待っていると、インターフォンが鳴りモニターを見ると別の人が写っていました。鍵ボタンを押してもマンション内に入ろうとはせず、モニターに向かって呼び掛けてもまったく気付いてくれません。慌てて「はーぃ」と声を掛けながら部屋の玄関を開いたら、誰もいません。あっそうかと、エレベータに駆け乗って一階に下りて自らマンション入り口のドアを内側から開けて(自動ドアです。内側からなら開きます)応対し、事なきは得ました。
なんやろ、壊れているンかなと妻とブツブツ話していたら、またインターフォンが鳴りました。今度は甥っ子でした。鍵ボタンを押しながら、おーい!おーい!と声を掛けてもまったく無反応です。その時、ぴーんと閃きまして、携帯電話を取り出して甥っ子の番号を押しました。モニターの向こうでも甥っ子が携帯電話を取り出して番号を押しているのが見えました。まるで真昼の決闘です。どちらが先に掛けるのか・・・、携帯ガンマンの決闘です。そして間一髪私の方が先に電話を発信しました。勝った!と小さくうめきました。
電話が繋がり、甥っ子に「全然ドア開かないよ」と話しかけると、「おっちゃん、インターフォン鳴ったら、先に受話器取ってくれないと、話も通じないし、ドアも開かないよ」と諭されてしまいました。
モニターの横に、大きな受話器が掛かっているのがはじめて見えました。
そして、またインターフォンが鳴りまして、受話器を取って話しかけたら甥っ子と会話ができて、鍵ボタンを押したら共用ドアが開きました。妻と顔を見合わせて苦笑いしてしまいました。

そういえば大昔にも、似たような経験をしました。でもシチュエーションは全く違いましたがね・・・
それは今から25年以上も昔の事、会社が入る高層ビルディングの最上階にあった大会議室で全体会議が開かれた時の事だったと思います。
数百名の社員が着座して役員の話を聞き入っていました。その最中です。部屋の最後尾、ドア近くの内線電話が鳴りました。丁度間近に座っていましたので私が電話を取りました。その電話は私の直属の上司(課長)を呼び出すものでした。上司は私の席の数席前でした。私は受話器のコードが突っ張って電話本体が台から落ちない様に両手をおもいきり後ろに伸ばしながら上司に近づき、電話が掛かっている事を伝えました。でも、上司は怪訝な顔をしながら、電話を渡してと言います。それは無理やろ、と思いながら電話本体に振り向くと、なんとその電話はコードレス電話でありました。両手を思いっきり後ろに伸ばした状態の体が、まるで張り詰めたゴムが切れた時の様に、上司の方向につんのめってしまいました。
当時ようやくコードレス電話なるものが出始めました。そして大会議室にそのコードレス電話が設置されていたのです。私はそれをまったく知りませんでした。
その光景を一部始終見ていた回りの社員達が皆、下を向いて笑いをかみ殺しているのが見えました。

2015年7月3日金曜日

ちょっとだけ怖い話・・・その1

夕暮れ、車で走っていました。
間道から左折して本道に入るとき、一台の車が近づいてくるのが見えました。
でも十分に車間距離があったので、右折してその車の前に入ります。
近づいてくる車をちらりと見ますと、よく似た車です。
今、私が運転している車にです。
前方の信号が赤であったので、右折のウィンカーを出して停車しました。
そしてバックミラーを覗きますと、
その車は、似ているどころか車種も色もまったく同じでした。
この車を中古車店で購入したとき、
「あまり走っていないので状態がとても良いんだけど・・・」
「色がねぇ・・・で、売れないの」
と店の人が話していた事を思い出しました。
私と同じような変わり者かと思いながら、青に変わった交差点を右折し、二車線の右側の車線に入ります。
その車も私に次いで右折し、左側の車線に入りました。
そして、左のドアミラーを通して近づいてくるのが見えました。
並走しかけたその車に、ふと目をやると
一瞬、私が運転している様に見えました。
ドキリとして、思わず顔を前に向け、急ブレーキを掛けて停止しました。
一瞬の事です。
でも、もうその車がどこにもありませんでした。

2015年5月25日月曜日

大相撲に見る日本の移民施策の未来

相撲はほとんど見ないのですが、昨日夕方テレビをつけると夏場所千秋楽残り3番という大詰めに出くわしました。
大相撲夏場所千秋楽は、三敗で横綱白鵬と関脇照ノ富士が並び、照ノ富士はこれから始まる碧山との取り組みに勝って、結びの一番で照ノ富士の兄弟子横綱日馬富士が白鵬に勝てば初優勝ということで、場内は至極熱気に満ちていました。

そして取り組みが始まります。
照ノ富士は、危なげなく碧山を押し出して三敗を守り、結びの一番を待ちます。
日馬富士は、ここ何場所を白鵬に勝っていません。解説の親方は、がっぷり四つでは日馬富士に勝ち目はない。しかし弟弟子の初勝利のために何とか勝ちを取る相撲をするのではないか、と話していました。

そして結びの一番が始まります。
張り手の応酬から一転、土俵際に追い込まれた様に見えた日馬富士が、一瞬体を低くしたと思えば一気に白鵬の懐に飛び込み両腕でがっちりと回しを掴みます。そして回しが掴めぬ白鵬を一気に土俵外に突き倒しました。
照ノ富士の初優勝が決まりました。画面に兄弟弟子と抱き合って喜びを噛み締める照ノ富士の姿が映ります。相撲に疎い私も思わずもらい泣きしました。

しかし、表彰式が始まってから親方やアナウンサーの「これでまた日本人力士の活躍が遠くなった」という嘆きを聞いて愕然としました。
大相撲を守り立てるために、親方衆は強い力士の素養がある若者を世界中から見つけてきました。そうして集まってきた若者は、日本人であっても外国人であっても一様に新弟子検査を受けて初めて力士の卵となるのです。力士の卵となった若者は、その後何年も部屋に住み込んで、力士の頂点を目指し精進し続けます。外国人の力士の卵についてさらに言えば、言葉も習慣も違う異国の地で、通訳もいなければ身の回りの世話をしてくれる者も側にいない、師匠や部屋の女将さん、兄弟弟子を信じて一から十まで教わりながら、日本人の若者ならば到底感じる事のない不安を抱えながら力士の頂点を目指しているのだと思います。
それなのに、今さらになって外国人力士の台頭を嘆くのは、甚だ遺憾に思います。彼ら外国人力士は助っ人などではありません。彼らを育てたのは日本相撲協会です。彼らは大相撲の正当な後継者なのだと思います。さらに言うならば外国人力士の台頭を嘆く理由は一分もないと思います。

最近の大相撲では、希代の横綱大鵬の幕内最高優勝記録32回を更新し、尚も記録を34回と更新し続けている平成の大横綱白鵬が逆風に晒されています。取り組みの結果にけちを付けたり、放言が過ぎるなど「傲慢」のレッテルを貼られて叩かれています。
私の勝手な見識ですが、大相撲はスポーツでもなく、見世物色の濃い格闘技でもありません。大相撲は神事なのだと思います。神事であればこそ、様式が重んじられ、また力士が尊ばれるのだと思います。その力士の最高峰である横綱に登り詰め、尚且つその在位を守り続けている横綱白鵬に、「傲慢」というレッテルを貼る日本相撲協会と人気のおこぼれに与るマスコミこそ「傲慢」であり「不遜」であると思います。
白鵬ほどに大相撲の精霊とみまがうほど、品格と美と力を醸し出す力士はかつていただろうかと思います。白鵬に対する「傲慢」というレッテルは、裏を返せば「外国人力士への嫉妬」だと思います。
昨日の照ノ富士の表彰式で解説の親方は「初々しさと感謝の気持ちを忘れず・・・一人で強くなったと決して思わないでほしい」と、まるで白鵬を名指ししたようなコメントを発言していましたが、そんなことは白鵬が誰よりも一番に分かっていると思います。でもそれ以上に白鵬は、誰よりも何倍も何倍も努力して、今も堪えて堪えて苦心して、かつての力士達が誰も見たことのない孤高の道を歩んでいます。白鵬は今や角界の至宝です。至宝は皆で守らなければならないし、決して傷つけてはならない、曇らせてはならない存在です。たとえ親方衆であっても、敬意を払わなければいけない存在なのだと思います。

しかし、実態はそうではなくて、往々にして外国人力士がとてつもなく強くなったとき、彼らは日本人ではない、だから相撲道を理解できない、相撲道を踏み外す等々、「異質な存在」と決めつけられて叩きます。真に迷信そのものです。

この迷信であり狂信的な嫉妬を目にする度に、最近日本政府が積極的に推し進めようとしている移民受入政策の危うさを覚えます。すでに突入した日本の少子高齢社会を下支えするために移民を積極的に受け入れるという政策は、あまりにも近視眼的で、将来を見通した計画も、将来起こりうる問題も、何ひとつ議論せぬままに進んでいるように思います。
近い将来に必ず頭をもたげるであろう「異質な存在」という迷信、狂信が広がる局面を全く無視した政策に思います。

日本に活躍の道を求めて働きに来る人々、また移民として新日本人となる人々を、これまでと同様に「異質な存在」と見なして、活躍の場を制限するのか、生活を制限するのか、日本人の型への同化を強いるのか。
それとは真逆に、日本社会が多様性を受け入れて、彼らを「多様な存在」としてありのままに受け入れて、旧来の日本人と変わらぬすべての権利を与え安全を保証するのか。
そういう決意なくして移民政策を推し進めてはならないと思います。

大相撲は、日本社会の移民受け入れの一つケーススタディだと思います。大相撲が、外国人力士に対して、これからどう変わっていくのか、もしくは変わらないのか。日本の将来を考えながら大相撲を見ること、とても重要に思います。

2015年4月5日日曜日

市民サービス、笑話

妻が、先日の話をしました。

家の水回りに問題があって、市役所の市民サービス窓口に電話を入れました。
すると若い担当者から、
「家にパソコンはありますか?」と問われ、有りますと答えると
「市役所のホームページに水回りのQ&Aのページがありますので、そちらを見てください。簡単です」と説明?を受け、言われるままに電話を切り、パソコンを立ち上げ、インターネットビューワを開き、”○○役所”で検索し、ようやく市役所のホームページを開きます。

でも、妻はパソコンのヘビーユーザなどではもちろん無く、沢山のメニュー項目に四苦八苦しながら、そしてようやく近くの水道工事の店の電話番号を見つけたそうです。
すっかり疲れた、と言いました。

2015年2月10日火曜日

短編小説4 『三人の王の物語』 ~誰が生き残るのか?~

トマ・ピケティの「21世紀の資本」が、とても話題になっていますね。
本屋を覗くと、6千円近くする高額な本ですが、売り切れていました。
目についたのが、関連本の多さです。
また、テレビのニュースショーでも、よく取り上げられています。タレント化した経済評論家達が次々にピケティの「21世紀の資本」を解説してくれますので、買って読まなくても、どんな内容かがよく分かります。

ピケティは、富を持つ者はさらに肥え、持たざる者はいつまでも持たざる者のまま、という事象を学術的に明らかにしたそうですね。
でも先週の「たかじんのそこまで言って委員会」で、金美齢さんがズバリと仰っていたように、そんなことは誰も昔から知っている!という意見が庶民の思いだと思います。

そんな思いと、昨今の規制無き自由主義の躍進への警報を込めて、拙いショートショートを作ってみました。

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三人の王の物語

その国は、世界に一つの国でした。
美しい国です。気候は温暖で、空気も水も澄んでいます。
土地は肥沃で、一年中おいしい作物が育ちます。
国民は、農作業に勤しみ、工作を嗜み、また品物を交換しながら豊かな生活を営んでいました。

その国は、一人の王様が治めていました。
王様は、国民から収入の十分の一を税金として徴収し、そのお金で、国民のために学校や病院を建てました。
この様に、王様はいつも国民の幸せに心を砕いていました。
ですから、そんな王様を国民はとても尊敬し敬っていました。

王様には、世継ぎとなる三人の子供がいました。
一番上のヤシンは、自分の国をもっと大きくしたい、強くしたいという夢がありました。
ですから、どうしたら、もっと大きくできるか、強くできるのかを、いつも考えていました。
真ん中のナマケは、今の国に不満がありました。税金を徴収しても、そのお金は国民のために使われるだけで、王様は贅沢しません。それが不満でした。
ですから、どうしたら、もっと自分が贅沢できるのかを、いつも考えていました。
一番下のシンシは、王様をとても尊敬していました。そして、王様の様に国民のために働ける王様になりたいという夢がありました。
ですから、王様の様になるために、一生懸命勉強しました。

月日が流れ、王様が年老いて、王座を降りることになりました。
王様は、一つの国を三つに分割し、三人の子供に分け与えました。

そして、新たに三つの国が誕生しました。

ヤシンの国では、ヤシンが富国強兵を掲げます。そして国民からこれまでよりも重い税金を徴収し、そのお金を産業の振興に投資して、強い産業を育成し、ヤシンと同じ野望を抱く資本家を作ります。そして、他国に貿易を申し入れ、世界制覇を企みます。

ナマケの国では、ナマケが放蕩不羈を掲げます。税金はこれまで通り徴収しますが、そのお金はすべてナマケの懐に入りました。ナマケは、楽しきこと、面白きこと、そして贅沢なことにお金をどんどん使いました。ですから、国民も楽しきこと、面白きこと、贅沢なことに夢中になって、真面目に働かなくなりました。そのために美しい国は廃れ、ナマケの国は、どんどんと貧しくなっていきました。やがて、先代の王様が治めていた頃の国の姿は、もうどこにも見当たらなくなりました。

シンシの国では、シンシが慈愛友愛を掲げます。シンシは、先代の王の美徳をそのまま継承し、国民に心を砕くことに努力しました。そして同時に、国民にも慈愛友愛を道徳として教育しました。シンシの国の始まりは、穏やかでした。先代の王の時代と何ら変わることがなかったからです。ですが、年月が経つにつれ、ヤシンの国やナマケの国に感化される者が現れました。そしてシンシの政治に批判を揚げるようになりました。

ヤシンは、まずナマケの国に貿易を申し入れました。ナマケの国にはない、楽しい商品、面白い商品、贅沢な商品を披露して、またその裏では、ナマケをはじめ、ナマケの国の重鎮や官僚に賄賂を贈り、すっかり味方に取り込んで、ヤシンにとってとても有利な契約を結びます。続いてヤシンは、ナマケの国に巨額を投資して、工場を作ります。安い賃金で工員を雇い、厳しくこき使い、安くて楽しく面白い商品を大量生産しました。それをナマケの国やヤシンの国の人々に売りさばき、ヤシンとヤシンの資本家は、どんどんと富裕になりました。
しかし、ナマケの国の大勢の国民は、とても困窮するようになって、ナマケとその一派に恨みを募らせるようになりました。そしてある日、貧しい国民がナマケ打倒に蜂起して、あっというまにナマケは打倒されました。

ヤシンは、次にシンシの国に貿易を申し入れました。しかし、シンシは国民を守るため不公平な貿易を拒否します。ヤシンがナマケの時と同様に、賄賂で口説き落とそうとしても、賢く愛国心に満ちたシンシの国の重鎮や官僚は、ヤシンの罠に落ちません。
ヤシンは奥の手を使います。ヤシンの国の工作員が密かに、ヤシンの国に感化されたシンシの国民と結び付き、シンシやシンシの国の重鎮や官僚を貶める悪行を行います。
脅しや欺きから始まって、やがては破壊工作を実行し、シンシの国の平和を脅かします。
そして機の熟すのを待って政権打倒を工作し、見事にシンシを打倒します。

ヤシンの世界制覇は成しました。
しかし、今やヤシンは子飼いであったはずの資本家の操り人形となっていました。
ヤシンには夢がありました。ヤシンの国が大きく、そして強くなることでした。
しかし、今や富裕となったのは一握りの資本家だけで、大勢の国民は、まるで奴隷の様でした。ヤシンには、もう一つ、密かな夢がありました。先代の王と同じく、国民から尊敬され敬われる王となる事でした。
しかし、もうその夢は永遠に叶えることはできません。

2015年2月2日月曜日

詩「悲しむ人苦しむ人に捧げる詩」

昨日夜、寝床に入ってからも色々と思うことがありました。
そして、ふと次の詩を思い浮かべましたので、以下書き記します。

詩「悲しむ人苦しむ人に捧げる詩」

道端に花がある
今朝咲いた一輪の花がある

君はその花を摘み取るかい?
それとも踏み潰す?
それとも眺めて優しくなれる?

花に向かう君の心は
誰にも束縛されないよ

僕は君が花を見て優しくなれる
心の人であることを願ってる


大空に鳥がいる
大地を渡る鳥がいる

君はその鳥を撃ち落とす?
それとも目をそらす?
それとも想像の翼で共に飛ぶ?

鳥に向かう君の心は
誰にも束縛されないよ

僕は君が想像の翼で空が飛べる
心の人であることを願ってる



2014年9月30日火曜日

ぎっくり腰の思い出

先週の土曜日、高砂球場で松陽高校野球部の紅白試合が行われました。夏に引退した三年生部員も参加し、耕太郎などは久し振りの野球を思いっきり楽しんだ様子でした。
私は仕事のため観戦することはできませんでした。が、もう一人観戦できなかった人物がいました。中條さんです。中條さんは同じ三年生部員の父母として、この一年共に楽しく観戦した間柄です。しかし前日の金曜日仕事中にぎっくり腰になってしまったことを、試合観戦に行った妻から聞きました。

夜、中條さんにお見舞いの電話を入れると、明るい声で、四日ほど安静にすれば大丈夫、と話されました。
中條さんは、私より数歳年上ですが、若い時から柔道と野球と自転車で鍛えた体は、今も引き締まり溌剌とされていますので、きっと治りも早いと思います。

私もぎっくり腰は過去何度か経験しました。その痛み、そして治るためには日にち薬しかないことを知っています。
はじめてぎっくり腰の様な症状になったのは十代の終わりです。練り子として秋祭りでヤッサを担いでいました。本宮の夜、本門の前でヤッサを差したのですが、差しきれず私が肩を入れていた側にヤッサが落ちてきました。しかし、外側には真横に灯籠があって逃げられず、内側も練り子が一杯で逃げられず、腰で重みを受ける格好でへたり込みました。グシッと痛みが走りました。すぐに一本松連中がヤッサの下から引っ張り出してくれまして、事なきを得ましたが、それから腰痛やぎっくり腰は持病となりました。

一番酷いぎっくり腰は、二十代の中頃に経験しました。
人生で一番に元気な頃でした。週中は仕事と酒にどっぷり浸かり、週末はがむしゃらにスポーツをしました。運動音痴で、スポーツの素養も知識もないのに、体力だけは有り余っていました。草野球、ゴルフ、テニス、ボウリングを良くやりました。予定がなければ、一人で、もしくは一本松連中のボーさん、タカちゅんと、打ちっ放しに行きました。ある日の事です。いつもの様に、朝一ゴルフの打ちっ放しにいってから、バッテングセンターに行きテニスの打ちっ放しに行き、そしてタカちゅんとボウリングに行きました。そして第一投を投げるべく歩き出しボールを後ろに引いた瞬間、ぎっくり腰になりました。タカちゅんが自宅まで搬送してくれ、それから数日(まるで北脇の獅子のように)ねたねたです。もう三十年前の事ですがあらためてタカちゅんに「ありがとう!」を伝えたいと思います。
三年前から長歩きを楽しむようになってから、長年悩まされてきた腰痛から解放されました。それを続けなければいけないのに、今年は夏に入って軽い気管支炎に悩まされ、すっかり出不精になっています。このままでは腰痛が再発してしまう・・・

今から少し、散歩に出掛けてきます。いってきます!

2014年9月3日水曜日

異常気象からワールドピースゲームを考えます。

何故に雨が多いのか?
ネットを検索していますと、次のタイトルのニュース記事を見つけました。

「巨大嵐・大寒波…中国の大気汚染が異常気象の原因に 科学者も衝撃」
産経デジタル 2014.4.17 19:19
http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/140417/wor14041719190032-n1.html

--以下記事内容です--

中国で深刻化している微小粒子状物質「PM2.5」などによる大気汚染が、北半球における異常な巨大嵐や大量降雨、大寒波などの重大な気候変動の原因になっているとする研究論文が16日までに、全米科学アカデミー紀要に発表された。論文は、昨年末から今年初めにかけて米国の東部を襲った異常な寒波にも影響していると指摘した。大気汚染が人体に深刻な影響を及ぼすことは多数報告されてきたが、地球規模の異常気象との関係が科学的に指摘され、衝撃が広がっている。

■米科学者らが解析
「(北半球で発生した)分厚く巨大な雲やおびただしい降雨を伴う嵐は、大気汚染の結果として生み出されたものだ」

研究論文の主著者で、米カリフォルニア工科大学ジェット推進研究所のユアン・ワン博士研究員はこう断言し、北京を中心とする中国の大気汚染が気候変動に重大な影響を及ぼしているとの認識を示した。

英BBC放送や米CNNテレビなどの報道によると、米国のテキサス、カリフォルニア、ワシントン各州から集まった科学者が研究チームを結成。中国のほか、インドなどの新興国で排出量が増加している、石炭火力発電所や自動車からの排ガス、空気中の微小粒子状物質などが大気に与える影響を最新のコンピューター技術で解析した。

論文では、異常気象の原因として、排ガスや微小粒子状物質から生まれた大気中を浮遊する粒子状物質「エアロゾル」を挙げた。エアロゾルは雲の元になり、大量に発生すると、嵐も巨大化するとしている。

さらにエアロゾルは日光を吸収するため、温室効果によって地球の温暖化と冷却化の両方の作用をもたらすという。

■地球全体に広がる恐れ
論文では、こうした現象が複合的に作用し、北半球の中緯度の地域でより巨大な嵐やより多量の降雨をもたらしている可能性を指摘。さらに、北極へ流れ込む空気の流れもより速くなっているとし、北極からの寒気の吹き出しがもたらした米国での異常寒波との関係も指摘した。

ワン博士研究員は「米国やカナダを含む北半球の中緯度の地域で起きた異常気象と関連づけることができる」と明言。テキサスA&M大学で大気科学を専攻するレンイー・チャン教授は「米国で異常気象が起こっていることはほぼ確実で、さらなる研究が必要だ」と語った。

このほか、論文は、エアロゾルは嵐やモンスーンに乗って、地球全体に広がり、より広範囲な気候変動を招く恐れもあると警告した。

中国は、地球温暖化の原因とされる二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスの世界最大の排出国。CO2だけでなく、PM2.5による大気汚染そのものが、より直接的に気候変動の原因となっている可能性があり、世界的に改善を求める声が一段と高まるのは確実だ。

--以上--

大気汚染の元である化学物質が、過度な雨雲の生成を助長しているという報告です。
地球規模の大気汚染が、地球規模の天災を引き起こすという警報です。


チーム森田の”天気で斬る!”というブログに、次の記事がありました。

前線が停滞した影響 2014/8/24(日) 午前 11:49
http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/archive/2014/08/24

8月に停滞前線がもたらした影響が書かれていました。
日照時間の極端な少なさは、農作物の成長に悪影響を及ぼすにとどまらず
日本近海の海水温が低下しており、今後の水産物の水揚げにも悪影響を及ぼす心配がある
と綴られています。


以上の様な記事を読むと、この度の異常気象による災害は、人災であると思えてきます。
そして人災であるとするならば、それを防ぐ手立ては私たちに残されているとも思えます。

現在、世界の国々は三度目のワールドウォーゲームにひた走っている不気味さを覚えますが、ウォーゲームにかまけ、野放図な大気汚染を続ければ、人類はもしかしたら核兵器が炸裂するまでに、滅びるかもしれません。

私たち人類は、ウォーゲームで争うのではなく、互いが協力しあって存続し続けるためのワールドピースゲームに本気で取り組まなければと思います。
日本は、世界に先んじた公害防止の技術があります。その技術を積極的に世界中への普及に努め異常気象を低減させることこそ、日本が進んで取り組まなければならない役割だと思います。

2014年4月1日火曜日

消費税笑話

3月31日のインタビュー
「自宅近所のガソリンスタンドが閉まっていたから、三時間近くも開いているスタンド探し回っちゃいましたよ。おかげで半分あったガソリンがEになっちゃいました。でも満タン入れることが出来ました。(*^_^*)」

4月1日直前のインタビュー
急いでいる車を捕まえて、
「ちょっと宜しいですか!おめでとうございます。あなたがラストです。」
そしてニッコリ笑顔の車が給油機の前に滑り込むと、丁度0時の時報がなります。
「おめでとうございます。あなたが新消費税最初のお客様です。(*^_^*)」

2013年8月28日水曜日

「王将」

「王将」という歌があります。

作詞:西条八十 作曲:船村徹 歌:村田英雄

吹けば飛ぶよな将棋の駒に
賭けた命を笑わば笑え
生まれ浪花の八百八橋
月も知ってる俺らの意気地

あの手この手の思案を胸に
やぶれ長屋で今年も暮れた
愚痴も言わずに女房の小春
つくる笑顔がいじらしい

明日は東京に出て行くからは
何が何でも勝たねばならぬ
空に灯がつく通天閣に
俺の闘志がまた燃える

三日越しの洲本戦に敗れて帰った学校でのミーティングで、福本先生そして東本先生から
『夏休み中野球漬けでやってきて、ここで終わってしまうのはもったいないやろう、悔しいやろう』と云われた言葉が残ったと、耕太郎が話しました。
選手もへとへと、保護者もへとへと、しかしそれ以上に先生はもっとへとへとであったと思います。
厳しい天気の中で、遠征して行う試合、こちらは試合が行われると信じて行動しなければならない。道中皆の安全を信じ、そして試合に勝たねばならない。
チームを指導される監督、コーチの心情を察しているうち、この「王将」という歌が浮かんできました。

ここではあえて三つの言葉を抜き出します。
『吹けば飛ぶよな将棋の駒に賭けた命を笑わば笑え』
『あの手この手の思案を胸に』
『何が何でも勝たねばならぬ』

将棋の棋士は、手駒の特性を知り、序盤中盤終盤という三つの局面の作戦を立て、勝利するために駒を差します。
序盤は、相手の力を計り、間合いを計る局面です。
中盤は、間合いを詰める局面です。そして辛抱しながら、振り子の如く敵味方に行き交う好機を掴まなければなりません。
そして終盤、王手まで一手の狂いもなく駒を差し続け、勝利を勝ち取る。
これはまさしく、あらゆる指揮者の醍醐味であると思います。

野球の指揮者の場合、もしもイチローの様な走攻守が揃いなおかつあらゆる局面を考えて行動できる選手ばかりあったならば、きっとつまらないだろうなぁと思います。
伸び代がある選手達を指導し育て、見出した特性を信じて、試合に配置し、中盤ではチャンスを広げる為、また流れを変える為に投入し、終盤では勝利を引き寄せる為に投入する。その一手一手が決まった時、指揮者は大いなる達成感を覚えるのだと思います。

そして選手は、
投手と捕手は、試合を作らなければなりません。
長いイニングを投げねばなりません、また何試合も連投しなけばならないかもしれません。
それを念頭に置いて、単調ではなく打者に応じてめりはりをつけて投げることが必要です。
好打者には、好機に絶対に打たれてはならない、試合が決してしまうからです。ですから何球掛かっても慎重に相対しなければならない、状況が許せるなら歩かせても構わない、それくらいの決心が必要です。ですが討ち取れる打者は多くても三球で片を付けなければならない。これがめりはりです。めりはりは投球の良いリズムを生み、投球数を抑えることに繋がります。そして、ここぞという局面で、集中力を高めて打者と勝負することを可能にします。

打者は、
クラッチヒッターの役割が与えられた打者は、早い打席で、投手に不安を与える一打を放たなければならない。それは次打席を打者有利で迎える為であり、また自らがチャンスメーカーとなってチャンスを作り広げることに繋がるからです。そしてチャンスで打席を迎えたならば、如何にしてもチャンスを物にする一打を放たなければならない。

チャンスを広げる役割を与えられた打者は、一球でチャンスを広げなければならない。一球で仕留めなければならない。それが相手に一呼吸も与えず精神的重圧をかけ続けることになるからです。精神的重圧は精度の狂いを誘います。そしてそれば勝機を生みます。

ある人が、成功には、才能と努力以上に意思力が必要だと述べられています。絶対に実現するという意思の持続が、才能と努力を開花させ成功に導くのだといいます。
選手達には、絶対に成功する、実現するという意思力を持って試合に挑んで欲しいし、意思力を強く持続する為に、日々の練習で努力を積み重ねて欲しいと思います。