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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2013年4月24日水曜日

ニオイの話


私、最近こそどの感覚器官も機能低下が甚だしく、どんどんと鈍感に成り下がっていますが、昔は結構、聴覚、味覚そして嗅覚が鋭敏でした。

聴覚について、
若かりし頃、健康診断の聴覚検査で、ヘッドフォンの内外を間違って装着して、検査医が送る微音量のシグナルをことごとく当てたことがありました。あれ一体なんだったのだろうと思います。

味覚について、
小さい頃から食べる所作を厳しく躾られました。
『だされたものは、どんなものでも綺麗に残さず食べること』、お茶碗にご飯粒一つでも残したものなら叱られました。物事をあまり深く考えられない、執着できない子供でしたが、いざ食べることに関しては考えました。
《早く綺麗に食べるにはどうするか?》
そしてたどり着いた答は、
《美味しく食べること》
でありました。
ですから、自分では意識はないのですが、子供の頃から食べる姿について
『美味しく食べるね』
『見ていて嬉しくなる』
と必ず言われ、そう言われるのがとても嬉しく、食べるときは、ますます張り切って姿勢を正して食べました。
それが良かったのでしょうか、食わず嫌いが全くなくて、どんな食べ物でも美味しさを導きだすことが出来る様になりました。平たく言えば、味覚が鋭敏になったのです。
今ではそれは、高価な食材、高級料理の信奉ではなく、身近な料理、普段の料理への愛情と感謝の気持ちが成したのだと思っています。

そして嗅覚、
こちらも味覚同様に、食べることが嗅覚の鋭敏さを成したのだと思っています。

さて、ニオイには好ましいニオイ(薫り)もあれば、不快なニオイ(臭い)もあります。
自然なニオイもあれば、人工的なニオイもあります。
最近、頓にテレビコマーシャルで目につくのが消臭剤です。消臭、殺菌がシューッとひとかけで行えるのです。臭いニオイを元から絶つのではなく、人工的なより強い好ましい薫りで臭いニオイを打ち消すのです。ニオイはより複雑となって居座ります。そして私たちはいよいよニオイの元に鈍感となるのです。
時に、私は掃除が苦手です。そして忙しさにかまけて、いよいよ鈍感を装い、ニオイや汚れに見ざるにおわず片付けず、を通します。そしてあまりに酷ければ、シューッで済まします。

古典落語に『蛇含草』という噺があります。その導入部、ある騒々しい男が、落ち着きのある友だちの家を訪ねて、掃除の行き届いたその家の涼しさ、気持ちよさを褒める行があります。その行を何度も聴くにつれ、感心しました。得心しました。涼しさ、心地良さ、そしてたぶん好ましい薫りというのは、すべての感覚器官が好ましいの感じたとき、本物だということをです。
そして一念発起し掃除しました。朝の内、すべての窓を開け放ち、敷物や布団を外に干し、敷居や廊下、階段を拭き掃除してから、掃き掃除に掛かります。最後に庭や玄関前の路を掃除した後、部屋の真ん中で大の字に寝転ぶと、すべての感覚器官が好ましいランプを点灯しました。風の通り道、光の差し込みに埃が揺れることがなく、静寂の中に、ひんやりとした空気、爽やかさが薫る風が流れ込みます。それはまるで山頂の細い峠道を流れる涼風の如くで、本物の好ましい薫りを手に入れた瞬間でした。

本来好ましいニオイが、不快なニオイに変わることもあります。
女性が身に纏う香水、あるときは若さを彩り、清潔さを醸しだし、時には性的な魅惑となるものですが、私はあることから、甘い香水のニオイがまったくダメになりました。
これもずいぶん昔の話ですが、超高層ビルの上階のオフィスで働いていたときのことです。
夏の盛り、一階から乗り込んだエレベーターには、各階のオフィスに向かう社員で鮨詰め状態でした。美しく化粧した女性達もたくさん乗っていました。扉が閉まり、上階への移動には少しばかり時間が掛かります。女性達の好ましい匂いは、閉鎖された空間の中で、混沌となり、汗や体臭も入り乱れて、それは濃密で重く、まるでべとつくほどの甘いニオイへと変貌し、私はそのニオイで息が出来ないくなりました。あれほどの不快に思ったニオイは後にも先にもありませんでした。
元来、香水とは、中世ヨーロッパで、見かけは着飾っても、入浴や決まった場所で排便する習慣のなかった貴族のご婦人が、体臭を消すために身に纏った香り、だということを読んだことがあります。そんな不確かな知識も相まって、甘い香水の匂いは、私にとって不快なニオイとなりました。

最後に、私の好ましい香りは、新緑の香り、そして柑橘類が発する爽やかな香りです。
天気の良い日、野に出でて、香りを楽しみたいと思います。

躾と道徳


今年の大河ドラマ『八重の桜』は、会津に今も生きる《什の掟》を日本全国に知らしめました。

《会津藩校日新館 什の掟-ならぬことはならぬものです-》
http://www.nisshinkan.jp/about/juu

「このように、しなければならない。これは、してはならない。」
これこそ真に躾です。
躾、辞書には
『子供などに礼儀作法を教えて身につけさせること。また、身についた礼儀作法』
とあります。平たく言えば、美しく振る舞う、もしくは相手を心地よくさせる所作を身に着けさせることです。しかしそれは、真白な大理石に古来からの美しき文様を狂いなく刻み込む様に、一分の隙があってはならない。ですから、躾には、師弟共に真摯さ、そして厳しさがなければなりません。

道徳、辞書には
『ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの』
とあります。
道徳は、躾の様に直線的ではなく、歴史や伝記、故事成語、あるいは聖句などから喩えを引用して真の良き道、徳のある道を学ぶ事です。ですから、『道徳』(あるいは徳学)は、師弟共に学び、問答し続けなければなりません。

最近、『道徳の死』を予見するニュースを見ました。それは
私が小学生の頃、どこの小学校にも一番目立つところにあった二宮尊徳像が消えつつあるというニュースです。
少年金治郎が、薪を背負い、本を読みながら歩く姿の銅像です。この二宮尊徳の勤勉を讃える銅像が、「歩き読みは危ないではないか」という意見から、教育上宜しくないと言うことになって撤去されているのです。現代の乾いた発想が、歴史や伝記が揺り起こそうとする道徳心をあっさりと切り落としていく様を見た思いがしました。
少年金治郎が生きた時代に、風景に、野の道に、そして澄み切った空気に、心を馳せる事ができなくなった現代人の、想像力の貧弱さを悲しく思うと同時に、あらためて、躾と道徳を、私たちは取り戻さなければならないと、強く思いました。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、読後感想


村上春樹さんの最新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読みました。

1980年代に発表され大ヒットした『ノルウェイの森』が、貧しく、まだまだ薄っぺらな若者の熱情的な恋愛劇であるなら、今作品は、刺激的な時代を通り過ぎてしまった青年多崎つくるが大人の恋愛を成就するために、「自分はほんとうに、心からこの女(ヒト)を愛せる、求め続けられる人間であるのか?」という自分の内にある大きな疑念を解きほぐす心の旅、大事な旅、巡礼を描いた穏やかな物語でした。

『ノルウェイの森』では、ビートルズの”Norwegian Wood”が全編に流れていました。猥雑で軽薄な乗りが、重く衝撃的な物語に軽快さをあたえていました。
今作品にも全編を流れる音楽があります。フランツ・リストの曲集《巡礼の年》第1年《スイス》8.ノスタラウジア-Le Mal du Pays-です。
・・・
《62頁、大学の二つ後輩の灰田が持ち込んだレコードを聴く場面》
あるピアノのレコードを聴いているとき、それが以前に何度か耳にした曲であることに、つくるは気づいた。題名は知らない。作曲者も知らない。でも静かな哀切に満ちた音楽だ。冒頭に短音で弾かれるゆっくりとした印象的なテーマ。その穏やかな変奏。つくるは読んでいた本のページから目を上げ、これは何という曲なのかと灰田に尋ねた。
「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年』という曲集の第一年、スイスの巻に入っています」
「『ル・マル・デュ・・・』?」
「Le Mal du Pays フランス語です。一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で使われますが、もっと詳しく言えば、『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』。正確に翻訳するのが難しい言葉です」
「僕の知っている女の子がその曲を弾いていたな。高校生のときのクラスメートだった」
「僕もこの曲は昔から好きです。あまり一般的に知られている曲ではありませんが」と灰田は言った。「そのお友だちはピアノがうまかったんですか?」
「僕は音楽に詳しくないから、上手下手は判断できない。でも耳にするたび美しい曲だと思った。なんて言えばいいんだろう?穏やかな哀しみに満ちていて、それでいてセンチメンタルじゃない」
・・・
『ル・マル・デュ・ペイ』の感傷は、後半、つくるの最後の巡礼地であるフィンランド、ヘルシンキから北に100㎞の地点にあるハネーンリンナの氷河が刻んだ湖の湖畔、親友クロのサマーハウスでも語られます。

『人は、人生に満ち溢れる”理由のない哀しみ”を、穏やかに乗り越えて、あるいは泳ぎ切って先に進まなければいけない。』村上春樹さんは多崎つくるの巡礼を通して語られている様に思いました。

それでは、”理由のない哀しみ”とは何でしょう?
それは、
二十歳の多崎つくるを死の淵まで追いやったもの
五芒星の如くに調和のとれた5人のグループを崩壊に追いやったもの
そして二十歳の灰田と、その父も二十歳の頃に出くわした死に神
です。
”理由のない”とは、”決して表にでることのない理由”あるいは”決して人に言えない理由”です。その哀しみは、”決して外に吐き出すことの出来ない”あるいは”処方のない”哀しみです。
”理由のない哀しみ”は、突然に私たちを襲います、取り憑きます。それはまるで悪霊の憑依の如く、あるいは悪魔に魅入られた如く、残酷に、執拗に私たちを孤立に追い込みます。そして気づきます。この世には《完全なる悪意》が存在することに気づきます。
国内を見渡せば
オウムのテロ
JR福知山線脱線事故
ストーカー殺人
尼崎大量殺人事件
亀岡暴走事故(というより殺人事件)
等々
海外に目を向ければ
アメリカ同時多発テロ
ボストンマラソン同時爆弾テロ
銃乱射大量殺人
シリアで、また世界の無法地帯で今なお行われているジェノサイド(集団殺戮)

そして身近には、将来に希望が持てない子供、若者、壮年者、老人
私たちの中に”理由のない哀しみ”が積もります。

そんなどうしようもない事柄に、
『穏やかに乗り越えて、あるいは泳ぎ切って先に進まなければいけない。』
そして
『生きなければならない』
と語られる村上春樹さんの《人間というものへの愛》に感じ入りました。