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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2010年10月27日水曜日

今年最後となる公式戦『第28回全日本少年軟式野球大会・高砂予選』の直前練習試合 感想

10/16東播新人体育大会の翌日から中間考査週間に入り、練習は休み、10/21-22中間考査終了後から練習再開となったが、10/24の練習試合はそれが関係しているのか、まるで消化試合の様な、クラブ選手権高砂予選の直前練習試合と思えないほど、元気がなかった。
第1試合は、雄大-拓樹のバッテリー。5回表、凌のタイムリーで先制するものの、7回裏、二つの死球から同点に追いつかれ、引き分けに終わった。
第2試合は、投手健介に対し、捕手が悠将-雄飛-将吾、また野手もオーダーを変更して挑まれた。
今年度チームの、各ポジションの二番手もしくは競争者、さらにいえば、来年度を見据えてのテスト、そういう風に見ると、興味深い練習試合であった。
試合は2-1で鹿島中が勝利した。

《第1試合の記録写真》
http://picasaweb.google.co.jp/115534743271292658497/201010241#

しかし、打てない。試合をひっくり返す長打力を性急に求めるのは厳しく、またタイムリー欠乏症でもある。

東播新人大会に優勝し東播地区の代表として兵庫県大会に出場した小野中が、1回戦で丹有地区代表春日中に9-0ノーヒットノーランで敗れた。
県大会優勝は但馬地区代表夢が丘中で、
1回戦で神戸地区代表横尾中を4-0完全試合で下し、
準決勝で西播地区代表那波中を3-0、
そして決勝では中播地区代表山陽中を1-0で下しての優勝。

攻守共に優れたチームが、秋にして既に県内で台頭してきているという事である。

中学野球をもっともっと、長く楽しみたい、やり尽くしたいのであれば、この冬、しっかりと
・体力強化
・怪我に強い体作り
・しなやかさとここぞという場面で集中できる精神力、チーム力
を地道に養って欲しい。
頑張れ!
鹿島中野球部員達!

写真ギャラリーに『姫路城』写真をアップしました。

デジタルカメラを持って、10数年、当初は風景や草花、そして家族の成長記録を撮影していました。
『姫路城』は、今年2010年から約5年掛けての、いわゆる平成の大修理、天守閣の瓦の葺き替え、漆喰、白壁と、約半世紀ぶりの全面改装で、暫くは工事の覆いで、その優美な姿を見ることができません。
それで、という訳ではありませんが、この10数年で撮影した姫路城の写真、また姫路城周辺の四季の花(桜が中心です)を写真ギャラリーにアップしました。
枚数だけがやたら多く、見にくい、という点はご容赦頂き、どうぞ観賞下さい。
この10数年、余り雪には縁遠い瀬戸内、播州地方ですが、何度か積雪がありました。雪の姫路城の写真もあります。
http://picasaweb.google.co.jp/115534743271292658497/RVsMID#


『四季の花』は、桜花の接写写真や風景写真が多く、季節が違うやろっ、と突っ込まれるところは重々承知の上、まぁ、どうかその点も勘弁頂き、ご鑑賞下さい。
http://picasaweb.google.co.jp/115534743271292658497/GTlMfI#

2010年10月26日火曜日

贈られた歌『旧友再会』

先週は、色々な事柄が重なり、ポン!と頭のネジが飛んでしまうほどに混乱していた。

10/14、15の秋祭りでは、連中講頭(町集会所に掲げられている連中名札で最高齢講から3番目に位置する、その名も高き、『一本松連中』である)宅に集い、大勢の連中と共に、ご馳走に舌鼓を打ち、酒を酌み交わし、戯れ話で賑わいだ。

しかし、息子の怪我や、その他、個人的な理由により宮には行かず、自宅で過ごした。

その後、ある事柄が勃発し、それは融通のきかない私では解決できない(処方も持ち得ない)事柄であったため、その道の経験者である友人に相談、率直な意見を受けた。厳しい意見であったが、それは理解できる範疇であり、光明を見出すことができた。ただ、その後、長年お世話頂いた心療内科医師が急変で死去された事実を知り、何もかも未解決の状況の上に、さらに深い重みを心に抱くことになった。心も頭も深い霧に覆われた。

そこで友人に、ただ『呑みたい』とだけ伝え、一つ返事『了解』で応えてくれた。

土曜日、まだ陽が落ちる前から、友人宅で対座し、夕食準備が忙しい最中、奥方に酒、肴を運んで頂き、ゆらゆらと呑んだ。人肌より少しぬるめ、好みの燗である。酒は日本酒、銘柄には興味はないが、ほのかな黄金色と、口に含むと、爽やかさが広がり、すーっと喉に染み込んでいく。旨い酒だ。

何を話したか、戯れ言である。
高杉晋作の辞世の句『おもしろき こともなき世に おもしろく』、下の句は高杉晩年の庇護者女流歌人野村望東尼(のむら もとに)がつけたといわれる『すみなすものは 心なりけり』。そこから、龍馬伝で高杉を演じた俳優は、なかなか様になっていたとか、若かりし頃の阿呆な思い出話で笑いあった。
友人が、仕事の件で、これまで取引先との連絡はFAXで行っていたのだが、昨今の風潮に習い、それがEメールに変わり、その為、四苦八苦しているという事から(友人自身も昔は少し、その方面をかじっていたのだが、あっさりと『忘れた』、するりと言い切るのである)、そして、彼の、というか長女が主に使っているパソコンで、即席のパソコン講座と相成った。
メールの開き方、受け方・出し方、そしてインターネット閲覧についてである。

そうこうしている間に陽はすっかり落ち、このまま酔いに任せる訳にもいかなかったので、引き上げた。

自宅に帰って、夜、パソコンを開くと、友人からメールが届いていた。
『今日の酒はうまかった 川島えいごの旧友再来聞いてくれ』

先週の悶々とした事柄については、共に活動しているチームの仲間と話し合い、道筋が成った。

昨夜、友人からのメッセージ「河島英伍の『旧友再会』聴いてくれ」を思いだし、YouTubeに投高されていた、『河島英五記念ライブ『元気だしてゆこう2007』ラスト映像』で、『旧友再会』を傾聴した。

『旧友再会』、河島英伍が亡くなる数日前に友人達に贈った最期の歌とされている・・・

*****

『旧友再会』

今日は本当に笑った
腹の底から笑った
夕べはあんなに塞いでいたのに
君に会えてよかった

今日の酒は美味かった
気持ちよく酔っ払った
ひとりでしんみり飲むのはつらいが
今日の酒は美味かった

ラララ ラララ 

共に過ごした青春
今では笑い話さ
もしも もしも やり直せるならば
も少し 上手くやりたいね

今日は本当に笑った
腹の底から笑った
わざわざここまで訪ねてくれて
今日はどうもありがとう

ラララ ラララ 

わざわざ ここまで 訪ねてくれて・・・
今日は 本当に どうも ありがとう

《河島英五記念ライブ『元気だしてゆこう2007』ラスト映像》


*****