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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年8月6日土曜日

小説「ワンダー」と素敵な魔法の言葉

先日、おはよう朝日です!のトレンドエクスプレスのコーナーで、この夏の絵本ブームといち押しの絵本についての紹介がありました。
紹介された絵本のタイトルは
Wonder ワンダー 、驚愕
です。

なんでも、生まれつき顔に言葉にできない程の障害を持った少年の物語と云うことでした。
頭に浮かんだのは
エレファントマンとオペラ座の怪人のファントムです。そして昨年夏に偶然出会った男の人の事でした。
昨年の夏は兄の病院に通う道すがら、よく三ノ宮の街を歩きました。そんなある日の昼下がりの事です。大勢が行き交うフラワーロードの交差点で向かってくるひとりの男の人に何気に目が留まりました。私は癖で人の目や視線に目が行きます。しかしその時は一瞬で視点をぼやかしました。見たくないという気持ちと私の顔に嫌悪感を浮かばせない為でした。その男の人は両目の位置が離れていました。高さが数センチ違っていました。
すぐその後、身勝手ですがその男の人の勇気を想い、そして自分を恥じました。

家族に頼んで本を買ってきて貰いました。ワンダーは絵本ではなく400頁に渡って描かれた、少年と家族とまわりの子供たちの物語でした。今朝、読み終えました。
10歳まで家族の中で愛情豊かに守られてきた少年オーガストが、一歩踏み出すために初めて学校に通い出し、五年生の終了式を迎えるまでの物語が綴られます。

終了式での、トゥシュマン先生の言葉が強く残ります。
「必要だと思うより、少しだけ余分に親切に」
そして先生は「親切」がもたらす価値について話された後、
「ここにいる一人ひとりが、いつどこにいようとも、必要とされる以上に親切にしようということを規則にしていれば、世界はもっとすばらしい場所になることでしょう。」
と述べられました。
必要だと思うより、少しだけ余分に親切に
「親切」の他にも
「勇気」「笑顔」「我慢」「努力」を当てはめてもいいですね。
一人ひとりが今必要だと思うこと、少しだけ余分に実行すれば、目の前の世界は、もっとすばらしい世界に変わる
すてきな魔法の言葉です。

追記
オーガストが通った学校も素晴らしいですね。終了式で学業で優秀な成績を収めた生徒だけを表彰するだけではなく、音楽で活躍した生徒、スポーツで活躍した生徒、素晴らしい作文を書いた生徒、そして勇気を示し生徒皆に影響力を与えた生徒(オーガストです!)に金メダルが授与されました。
それぞれの個性を認め、見守り、評価する、賞賛できるというのはこの上なく素敵な教育環境だと思います。

心臓マッサージのポイント

そうそう、胸骨圧迫、心臓マッサージを行うに辺り肝心なことを書き忘れていました。

正しく行えば胸骨は骨折しない
と云うことです。

胸の中心、乳首と乳首の丁度真ん中辺りに手のひらの付け根部分を置いてもう片方の手を上に添え、手を折らずに垂直の姿勢で、胸が4~5センチ沈む様に強くしっかりと、リズミカルに早く、一分間に100回以上、継続して行う。

この時、胸の中心に置いた手のひらが胸から離れない様にすることが、骨折を防ぐポイントです。

同じ講習に参加されていたひとりの患者さんは、ある店の中で突然に心肺が停止し、店の従業員の献身的な心肺蘇生処置のおかげで一命を取り留められたそうです。ですが骨折をしたそうです。

骨折をするほど強く圧迫する。私もそう思っていましたが、圧迫する手を胸から離さない、暴れさせない様にすることで、骨折は防げると講師の医師は話されました。

私も意識が戻ってから、徐々に蘇生処置による打撲の様な痛みを覚えましたが、骨折はしていませんでした。病室のベッドの上で狭心症の回復処置を受けている最中、重篤な不整脈が起こり意識を失ったため、すぐに医師と看護師による心肺蘇生処置が受けられたのです。まさに不幸中の幸いでした。
あの日から十二日目になりますが胸の痛みはすっかり癒えました。

2016年8月5日金曜日

救える命を救える者は人間しかいない!

入院してから、二度目の心肺蘇生法の講習に参加しました。

そして万一、意識を失い、最悪心肺が停止して全身に血液が渡らずに死に直面している人に遭遇した場合、

まず勇気を出して体に寄り添い、肩を叩きながら「大丈夫ですか!」と呼び掛ける

近くに人がいれば協力を求め、
救急車を要請し
近くにAEDがあれば取りに行ってもらう

自分しかいなければ
救急車を要請し

救命率が高い2~4分以内に
胸骨圧迫、心臓マッサージを
意識が戻るまで、或いは
救急隊が到着するまで続ける。

心臓という自動ポンプの代わりに、手動で心臓を圧迫して全身に血液を送り続けるためだ。

AEDは重篤な心臓の痙攣や不整脈を検知した時に強い電気ショックで心拍を正常にする為の装置だ。

だから、救える命を救える者は
人間しかいない。

当たり前の事ですが、あらためて強く実感した講習となりました。

私は救急救命で命を救われました。
ですから、切実に、多くの方に
救急救命の講習と
心臓マッサージ
AEDの扱い
の訓練を受けてもらい

万一、私の様な救急救命が必要な人に遭遇した時は、

恐れず
いの一番に駆け付けられる人になって欲しいと思います。

2016年8月4日木曜日

もしも真実の姿を見ることが出来るメガネがあれば…

もしも権力という衣をはぎ取るように中身の人間の真実の姿を見ることができるメガネがあるとすれば…私は最初に森喜朗という人を眺めてみたいと思います。

森喜朗氏は元総理で、政界を引退してからも現総理である安倍晋三氏の後見人として政界に強い影響力を持ち、またアマチュアスポーツの世界でも数々の組織の会長として君臨しています。そして現在は、2020年東京オリンピックの組織委員会会長です。しかし、トップとして重い責任があるにもかかわらず、度重なるオリンピック組織委員会の不祥事もどこ吹く風で、説明責任さえ果たすことなく、君臨し続けています。

こんな森喜朗氏に挑もうとするのが、先日の東京都知事選を制した小池百合子氏です。小池百合子氏は、都民に対してオリンピックの招致から遡ってあらゆる活動、情報の透明性を約束し、また金の問題にも切り込むと約束しました。そして小池百合子新都知事はオリンピックを都民の手に取り戻す旗頭となりました。

そんな新都知事と良好な関係が築けるのかとの記者からの問いに対して森喜朗氏は、まさかの「まぁ小池さん次第だね」と軽く受け流していたのがとても印象的でした。森喜朗氏は、新都知事に任を授けた一千万都民まで蔑ろにしている事、全く気付いていない様子でした。

私は森喜朗氏が、どれほど国に尽くしたか、国民のために尽くしたか、実のところ何一つ知りません。森喜朗氏なら「よく勉強して下さい」とおっしゃるかもしれませんね。

でも、たとえ私が知らない偉大な功績があったとしても、国民の選挙で選ばれた国民の代表としての政治を司る国会議員を引退?(これにも引っかかりますが)後も、まるで院政を引いたように、政治の世界やスポーツの世界に強い影響力を持ち続けること事態、私は害悪でしかないと思います。

こんな森喜朗氏の真実の姿、真実の人となりを見たいと思います。

真実の姿に誠実な志があれば救いなのですが、そうでなければ、万一利殖や利権に明け暮れる権力の亡者のおぞましい姿が見えたら最悪の事態です。

感謝

深夜に目が覚めました。ベッドの周りは薄暗かったですが、心の中で“感謝”の火が灯りました。

私には信仰心があります。でもとても日本人的といいますか…

ずっと前になりますがプロテスタントの教会で洗礼を受けました。ほんの短い間でしたが牧師先生から聖書の学びも受けました。聖書の主だった記事は全て頁を開き読みました。

でも家は曹洞宗で、仏の道の荘厳さや仏の慈愛・博愛に親しみや尊さも感じています。

それだけではなく、野山に入れば野山の神々に想いを馳せ、海川に出れば海川の神々に想いを馳せる。天空を見上げれば天空の神々に想いを馳せるという風に、いわば八百万の神信仰なのです。

でも物心がついた時からその様な信仰心があった訳ではありません。少年の頃は臆病で自信がまるで無く猜疑心に支配されていた様に思います。

それが映画を観ることが好きになり、やがてチャップリンを知り、その人となりを深く知るようになってから、チャップリンの様な博愛主義の面白い人間になりたいと思うようになりました。

音楽をかじりスポーツをかじり、祭りにのめり込み酒を知ってから、心から気の許せる友ができました。

社会に出てからはドタバタしながらも信頼する友を得、身近に目標となる愛すべき先輩を得ました。そして大切な後輩も得ました。

読書が趣味となってからは歴史の中の英雄が身近な存在になりました。坂本龍馬です。龍馬の様に生きたいと思うようになりました。

また神話や信仰の歴史物語を通じて信仰にも興味が芽生えました。

恋すること愛することの喜びや切なさと、破れたとき失ったときの苦しさも知りました。

仕事における賞賛も屈辱も知りました。

でも、それでも心の中から猜疑心を拭い去る事は出来なかった様に思います。

結婚し妻を得て子供を授かり、順風満帆な日々が始まると思った矢先、心の病を発症しました。そして自信喪失、自己嫌悪、そして社会に対する怯えと猜疑心に支配されるという暗黒の日々が始まりました。

そんな私を見捨てずに、支え、時には笑い飛ばし、また私のわがままを許してくれた。妻であり、家族です。そして友がそうでした。

何より子供の成長が、私の社会への繋がりを取り戻す機会を与えてくれました。そこで出会った人達は、子供を愛し、人生を一生懸命に生き、そして楽しむことも忘れない愛す べき人達でした。わが子とともに成長する子供たちも一人残らず大好きになりました。

そしていつの間にか、妻にも家族にも友にも素直に“感謝”が伝えられる人間に、ようやくなれた様に思います。

歩くこと写真を撮ることが生きがいとなり、そこで出会う、また見るもの全てに感謝を抱く様になりました。八百万の神への信仰心が成りました。

ブログを始め、記録し、主体的にも客観的にも伝える難しさ、大切さ、そして使命を知りました。

今ようやく、何のてらいも無く信仰心を証すこと、そして感謝して生きることが出来つつある様に思います。

そしてこの度の身に起こった青天の霹靂の様な出来事にも、妻、家族、そして友が支えてくれます。

病院も医師も看護師も看護助手の皆さんも、全力で回復をサポートして下さいます。

昨日の手術も、何の不安もなく挑むことが出来ました。

わがまま言っちゃあ罰が当たると思うと共に、私の信仰の根幹を証して感謝したいと思います。

心から信じたものは、たとえ結果的に裏切られる事になっても、

たとえ叶わなくても、

信じる気持ちは揺るがない

感謝の気持ちは揺るがない

神様のなさることはすべて美しいからです。

2016年8月2日火曜日

ショートショートホラー LINEグループの怪

夏のショートショートホラーを一席…
俺ら親友7人、学校を出て離れ離れになってからも、LINEでグループを作り繋がっていた。そこには、近況報告、くだらない話楽しい話、夏に顔を合わせて遊ぶ計画、そして7人のふざけ顔笑い顔が溢れていた。
でも、昨年の夏が過ぎてから、親友の一人が突然の事故で亡くなったというメッセージが掲示されてから以後、まるで閉ざされた様に、誰もこのグループで書き込みし無くなっていた。
7月、何の気なしにグループを開いた。そして履歴を振り返り、親友7人の楽しかった頃に想いを馳せて、「今年の夏も会おう!」と打ち込んだ。
しばらくして、ひとり、またひとりとグループのメンバーである親友が戻ってきて、7月の終わりには、以前のような活発な書き込みのあるグループに戻っていた。
8月、明日親友たちと再開するといる夜も、LINEのグループを開いた。
その時である。既読が6になっている事に気付いた。ドキリとした。その時、最新のメッセージが書き込まれた。
「皆に会えること楽しみにしている」
「いろいろ話したいのでね」
7人目の親友からの書き込み…だった。

2016年7月31日日曜日

秀吉の黄昏、じっくりと味わいました

八時から始まる「真田丸」楽しみにしていました。
でも七時半、たまたまNHKにチャンネルをあわせると「真田丸」始まっていました。八時から都知事選開票速報番組があるために45分の繰り上げ放送だったんですね。改めて情報社会から隔離されているんだなと実感します。

でも「第30回 黄昏」で描かれた秀吉の黄昏の様子はじっくりと味わう事はできました。
秀吉の落日を、こんなにも穏やかで美しく描いた物語をこれまで見たことがありません。信繁をすっかり忘れてしまった秀吉が信繁とはじめて出会った時と同じ会話を始めたときの、信繁の痛い程の哀しみにジンとしました。

そして秀吉亡き後の「真田丸」の展開にますます目が離せなくなりました。

p.s.

小池百合子さん、当選確実でましたね。
これからの東京都知事としての四年間、確実に実績をあげれば、もしかしたら四年後の東京オリンピックを小池さん、日本初の女性宰相として迎えているかもしれませんね。