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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2016年7月30日土曜日

アーネスト・クライン著「ゲームウォーズ」 非常に面白かったです !

映画COMで知った、スピルバーグが監督として映画制作を進めているという
READY  PLAYER ONE 2018年公開予定
の原作小説を 読みたいから買って来てと頼むと、翌日に遼太郎が買って来てくれました。そして、今朝読み終えました。
ギークで引きこもりな少年ウェイドが、OASISという広大な仮想現実世界を持つインターネットゲームの中で、パーシヴァルというアバターとなって、成長し、友を得、恋をし、やがて仮想現実世界と現実世界でギークやナード、オタクの、そしてすべての弱者の勇者に救済者になるまでの一種のスペースオペラが描かれていました。
この映画の事を知って、本を得る前に読んだ書評の一つに
日本ライトSFである″サマーウォーズ″の様
と書かれたものがありました。
小説の訳者あとがきに、
作者が「チョコレート工場の秘密」の工場主ウィリー・ワンカが(壮大な)ゲームデザイナーだったら?
が着想であった云々と書かれていました。
このどちらについても納得できる物語でした。
前半は、1970年代80年代のコアでレアなポップカルチャー満載のSFハイスクール物という猥雑で軽妙で軽快な話でしたが、中盤辺りから、いはば自由で何の束縛を受けないOASISという世界を金儲けの道具にするために、そしてネットでしか夢を見ることができないリアル世界のギーク達を奴隷にするために、強引で尊大で卑劣極まりない手段でOASISを乗っ取ろうとする悪の帝国、リアル世界でも全てのインターネットサービスを支配して帝国と成らんとするインターネットプロバイダーIOIに対して、並外れた知力とスキルと勇気を兼ね備えたアバターの5人の勇者が立ち向かうという指輪物語を彷彿する壮大な叙事詩へとスケールアップしました。
仮想現実世界で繰り広げられる宇宙戦争では、日本発世界初の巨大異星人ヒーローウルトラマンとマジンガーZ等のジャイアントロボ群が大活躍するシーンもあって、昭和四十年代を夢みる少年として過ごした者として、大変胸が躍りました。
最後に、上巻240頁の一文を引用させて頂きます。かつてOASISをクリエートした天才ゲームデザイナー、ジェームズ・ハリデーのハイスクール時代からの親友で共にゲームクリエイト会社を大成功させたもうひとりの偉人オグデン・モローが、後年ハリデーと袂を分かった後、唯一残したメッセージです。
「OASISは牢獄となり人類は自分たちをそこに閉じ込めた。誰からも顧みられなくなった人類文明がじりじりと崩壊にむかっているあいだ、世界はかずかずの問題から目をそらして、そこに隠れている」
現代にも通じる警句であり、この物語の真の指輪は何であるかを指し示すメッセージであると思いました。
映画化、非常に楽しみになりました。

2016年7月28日木曜日

阪神四連勝!

阪神勝ちました。今季初めての四連勝です。
四日前、広島で後半戦初勝利したときの原口のヒーローインタビューが印象的でした。原口が発したのは勝利の喜びではなく悔しさでしたね。
昨日までの負け続けた悔しさ、自分やチームの不甲斐なさに対する苛立ち怒りが滲み出ていました。
力はあるチームです。タレントも揃っています。本気の悔しさ怒りがチームの結束力に再び火をつければ、もしかしたら勝ち進むのではと期待が芽生えました。
あれから四試合、力は本物になりそうです。

2016年7月27日水曜日

賛美歌 忘れないで

朝、妻からLINEで賛美歌が届きました。

「忘れないで」というタイトルの賛美歌です。

穏やかなピアノの旋律に乗って「心の中の微笑みを忘れないで」という歌詞が、心の中にゆっくりと沁み入ってきました。

2016年7月26日火曜日

人として強く叫びたい

この世の中には沢山の宗教が存在します。その中でもユダヤ教、キリスト教、イスラム教、そして仏教が四大宗教でしょうか。

これらの宗教は、戒律に違いはあっても、神様に感謝すること、仏様に感謝することは同じです。そして人は亡くなれば神様のもとに帰る者、あるいな弟子になったり、仏様になる存在です。いわば人を尊ぶ宗教です。

どこにも人を軽んじたり粗末にする者ではありません。まして命を奪うことを許していません。

今この世界で蔓延る差別、他者の軽視、粗末に扱う行為、命を奪う行為は、神様を恐れぬ仏様を敬わぬ尊大で卑劣極まりない人間の自堕落な行為であることに私たちは気づかなければなりません。

この世界から差別、他者の軽視、粗末に扱う行為、命を奪う行為を無くすことは並大抵ではありません。しかし、気づいた者から、人の悪癖と決別する決心をして、己にも他者にも同じく感謝して生きてゆけば、道はいつか成せると思います。

そんなことを強く叫びたい一日となりました。

ベッドの上でこれを書いています。

実は未だ病院で、日曜日とは異なる病室のベッドの上でこれを書いています。

そして昨朝の事を振り返ります。

月曜日早朝の事です。家と同じく五時前にはすっかり目覚めていました。でも同室者がいること、また昨夕見舞いに来てくれた家族から「朝もバタバタしないこと」ときつく言い含められていたことから、ゆっくりと起きトイレに行きました。それから北棟の通路を一周し、部屋に歯ブラシと髭剃りを取りに帰って、それから共同の洗面所で歯を磨き髭を剃りました。

その際中の事です。胸の辺りにもやもやする感じが起こります。そして小さなもやもやは止むことなく左胸に広がっていきました。

まずいなあと思いながら洗面所を後にして病室に戻り静にベッドに横になりました。痛み始めて十分くらいしてナースコールしました。

当直の看護師がすぐに駆けつけてくれましたが狭心症の痛みは収まりません。長くても二時間すれば収まると我慢していたところ、看護師が舌下に薬をスプレーされ、それですぐに痛みは嘘の様に収まりました。「痛み、収まりました…」と伝えたところで、場面が変わりました。

目の前に大勢の医師、看護師がいました。でも同じベッドに寝ています。だんだんと意識がはっきりすると同時に胸の中心にひどい打撲の痛みが広がります。左の口元からよだれが流れていました。看護師から「大丈夫ですよ」と声を掛けてもらいなからベッドのまま部屋を出て、そのままカテーテル処置室に運ばれ、すぐにカテーテル検査が始まりました。そして再び集中治療室に運ばれました。

主治医から説明を受けました。狭心症発作の最中に致命的となる不整脈に襲われて意識が無くなったということでした。それですぐに心臓マッサージが行われ意識が戻ったそうです。胸の痛みはその証でした。そして迅速な処置のおかげで心筋にもそのほかもダメージは受けていませんでした。それから昨日今日と完全看護の中で過ごしました。そして病状が安定したことから一般病棟の病室に移されました。

昨朝、発作が出なければ今頃家で寝ていたかもしれません。そして、発作が明日起きたならもう家族と会話出来なくなったかもしれません。

退院は延びてしまいました。

でもまた、家族と医師、看護師の皆さんに感謝することが増えました。

2016年7月24日日曜日

青天の霹靂な出来事

まさに青天の霹靂でした。

金曜日、いつもと変わらず五時に起き朝のルーティンを熟して六時半、朝食に向き合ったところで胸の辺りから締め付けられる様な痛みが始まりました。その痛み苦しみは左肩から背中へと広がって、もう食べるどころではありません。寝転んで痛みが収まるまで耐えました。

直近では三ヶ月ほど前に同じ痛みに襲われて、自宅近くのいつも診て貰っている先生に診て貰うと、頻繁ではなく早朝の安静時に一時間から二時間近く続く痛みの症状と痛みが治まってから様々に検査をしても一切異常が見つからないことから冠れん縮性狭心症ではないかという診断を受けていました。ですからあまり心配することなく、ただ日々の疲れを翌日に少しでも残さぬようにと睡眠不足にたけ注意して過ごしてきました。そして実際、三ヶ月近くあの痛み苦しみは襲ってくることはありませんでした。

その痛み苦しみに再び襲われました。そして八時前ようやく痛みは収まりました。額は汗びっしょりでした。手首足首の先に感じた痺れも収まってきましたが、全身の怠さとめまいが収まりません。妻が丁度仕事が休みであったのでいつもの病院に連れて行って貰いました。

三ヶ月前と同じく様々な検査をした上、心臓の異常を感知する血液検査も行いました。

そして不安定狭心症と診断されました。先生は私の循環器病センターへの急患受け入れ手続きを行い、すぐに家族を同行し循環器病センターに向かうよう指示されました。

あれあれと云う思いで循環器病センターに着くと、そのまま救急救命室に通されベッドに寝かされ、再び検査が始まって、主治医となる博多華丸似の若い闊達な先生から「今からカテーテル検査をして部位を特定します」「そのまま治療出来ると判断できればカテーテルによる冠動脈形成術を行います」と説明を受け、同意書にサインをすると、すぐに車椅子で集中治療室に通されて、手術のための準備を体に施され、カンファレンスの終了を待ってからベッドのまま手術室に入りました。

手術室には七名の医師と看護師が待機され、ガラス窓の向こうにも幾名かの人影が見えました。すぐに主治医から術の開始が告げられて、右手首に局所麻酔が打たれ、右手首からカテーテルが挿入させて術が始まりました。意識は鮮明で、目も耳も鼻も肌触覚も鮮明です。「腕の辺り、太い管が通るため少し痛みがあると思います」と注意を受けたすぐその後、腕の中をぐぐっと入っていく重怠い痛みがありました。この痛みが術中唯一の嫌な感覚でした。腕から肩を通って管が胸の中に入っていくのが分かります。

でも管の先端をサーチするセンサーが胸や頭の上にあるために、医師の様子を垣間見ることも、また幾台ものモニターに映し出される体内の様子も見ることができません。それで観念して目を閉じました。

医師から「息を吸って、止めて」「吐いて、止めて」「楽にして」と指示が出て、瞬間に従います。患者もこの術を成功させるチームの一員なのだと実感します。

「今からバルーンを膨らまします。狭心症発作時と同じ痛みが出ますが大丈夫です」と言われて身構えましたが、プチッと小さい膨らみを感じただけで、恐れた痛みは全くありませんでした。

そしてステンス留置という冠動脈形成術は一時間ほどで終わりました。手術室は最先端の医療機器が多数稼働しているために室温が低く設定されていて、術が無事に終了した安堵感と合間って寒さに全身が震え出しました。

昨日の昼まで集中治療室にいて、細やかな看護介護を受けました。看護介護は18時から0時、0時から6時、6時から12時、12時からと新しい看護師に引き継がれました。初めて下の世話も受けました。看護師の皆さんの献身にただただ頭が下がります。

そして今、一般病室に移り手持ち無沙汰で過ごしています。一昨日、心臓の術を受けたのか夢で有ったかのようです。

明日月曜日の検査によって退院が決まります。明後日には家に帰れそうです。今後多少の生活制限があるかもしれませんが、それはその時考えることにします。

今回のこと、青天の霹靂の出来事でしたが、でも絶対に起こらない事ではなかったと感じています。

そして、心配してくれる家族がいることの有り難さ、長年信頼して診て貰っている先生がいることの有り難さ、そして素晴らしい医療と優秀で献身的な医師や看護師に出会えたことの有り難さに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。