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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2026年6月24日水曜日

水越けい子SummerLIVE

 先週土曜日、約45年ぶりに水越けい子さんのお姿を拝見、歌声に酔いしれることができました。

北浜のLIVEハウスROYALHORSEにて、17:30に始まったLIVEは、なんと二時間以上ぶっ続けで行われました。私は、店の方から勧められた北新地ビールと赤のグラスワインでほろ酔いになりながら、店自慢のケイジャン料理に舌鼓を打ちながら、歌詞を覚えているナンバーでは声を出して歌い、リズミカルなナンバーでは思いっきり手拍子を打って、楽しみ尽くしました。

19:40頃にアンコールが終わって、ボーカル水越けい子さん、ピアノ和田春彦さん、ギター福岡丈明さんを拍手で見送り、会計の列に並びました。そして自分の番が来た時にROYALHORSEの方に、水越けい子さんに家から持って来た自家製シュトレーンを差し入れしたいと申し入れると、水越さん、そこにおられるからと言われて後ろを振り向くと、水越けい子さんがテーブルに坐っておられるのが見えました。慌てて近づき、持って来たシュトレーンの包みをテーブルにおいて「45年来のファンです」と声を掛けました。写真どうですか、と言われ、盛り上げ隊の方にスマホを渡し、写真を撮ってもらいました。後で思い返すと、それはサイン会でした。新譜のCDやツアーのTシャツを購入したファンとの交流会でしたが、私はそうとは知らず、有頂天になって写真だけ撮らせていただきました。

水越けい子さん、45年前に二度ライブを観ましたが、ステージの上で歌う水越けい子さんはとても大きく輝いて見えていました。でも今隣に座る現在の水越けい子さんはとても小柄で華奢な女性でありました。どこにスタミナがあるのか、やっぱり凄い!と感嘆しました次第です。

2026年5月19日火曜日

マウンドに立てばノーヒットノーランを期待され、打席に立てば2本の本塁打を期待される。彼自身がそういう期待を背負う存在になったということです。

 日本時間で先週の木曜日(5月14日)、対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で今季7度目の先発登板(この日は投手選任)を果たした大谷翔平選手は、7回無失点で四連敗に喘いでいた自軍ドジャースを勝利に導きました。ドジャースに移籍してからの二年間は、MVPに輝く打棒と走塁でチームのワールドシリーズ連覇に貢献しました。そして今年は先発投手として完全復活で開幕を迎え、これまで7戦先発し、登板時はすべてクオリティースタートを達成、かつ投球回数44イニング、奪三振50、防御率は規定投球回数に4イニング足らないながら、先発投手として両リーズ合わせてもダントツTOPの成績0.82です。しかし、打者としての成績は低調で、ホームランが前日まで7本、打率.240でした。

この試合終了後に、メディア対応したドジャース、ロバート監督のコメントが、大谷選手がMLBの世界で、どれほどユニーク、ユニコーンであるのかを端的に表現されていましたので、ここに記録したいと思います。


https://topics.smt.docomo.ne.jp/amp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20260514-0237

投打でメジャー最高峰の選手であるが故に、矛盾も出てくる。どちらかが不調になれば、どちらかに専念すべきだと云う意見も常に出てくる。「興味深いですよね。昨年は“投げるべきではない、打者に専念すべきだ”という話が多かった。それが今は逆になっている。」

と苦笑した上で「彼の頭の中で何が起きているかは想像もできません。ただ、私たちが彼をどう管理するかについては明確さがあるます。唯一の正解がある訳ではない。彼の状態に応じて柔軟に対応しているんです。」と投打両面で実力を出し切る為にサポートを続ける。

「でも彼には、マウンドに立てばノーヒットノーランを期待され、打席に立てば2本の本塁打を期待される。そういう宿命のようなものがありますね。彼自身がそういう期待を背負う存在になったということです。」


大谷選手は、次のカード対ロサンゼルス・エンジェルス戦3試合を指名打者と出場し、打者として明らかに復調の兆しが見えてきました。

ドジャースがスイープした3試合の打者成績は

打数:13 得点:3 安打:6 打点:7 四球:3 三振:4

で、打率は.258、OPSは.839まで上昇してきました。

今日行われた対サンディエゴ・パドレス戦も

打数:3 得点:0 安打:2 打点:0 四球:1 三振:0

で、打率は.265 OPSは.850と更に上昇しています。

明後日は二刀流で出場する予定です。大谷翔平選手はきっと、今季最初となる投打での圧倒的な活躍を見せてくれる予感がします。いまからワクワクが止まりません。

2025年7月28日月曜日

心に残るイチローのアメリカ野球殿堂入りスピーチ

 今朝、日本時間朝6時過ぎから、ニューヨーク州クーパーズ・タウンで行われるアメリカ野球殿堂入りのセレモニーで、日本出身者として初の殿堂入りとなったイチローのスピーチがLIVEで放送されました。

20分近いスピーチは、とても愛情とユーモアと、そして思慮に富んだスピーチで非常に感動しました。そのスピーチの中で、特に感銘を受けた箇所を、引用させて頂きます。


https://www.youtube.com/watch?v=HWAsHtxuSoA


子どもの頃、私の夢は常に、プロ野球選手になることでした。

小学6年生の時、それについて作文まで書きました。

もし今の知識を持って、その作文を書き直すことができるなら、

「夢」の代わりに「目標」という言葉を使うでしょう。

夢は必ずしも現実的ではありませんが、

目標はそれに到達する方法を深く考えれば、可能になり得ます。

夢を見ることは楽しいですが、目標は困難で挑戦的です。

「何かもしたい」と言うだけでは十分ではありません。

それについて本気なら、それを達成するために何が必要かを真剣に考えなければなりません。

私は書きました。

プロ野球選手になるためには、日々の練習と準備が重要だと。

目標を設定し続けるうちに、私は理解するようになりました。

一貫性が達成の基盤になるということを。

私は若い選手たちに夢を見て、大きな夢を見ることを勧めますが、

同事に夢と目標の違いを理解することも勧めています。

夢を目標にするためには、それを達成するために何が重要かを正直に考えなければなりません。


2024年9月20日金曜日

50-50 club

大谷翔平選手、一気に”50-50 club”を新設してしまいましたね。舞台は昨年のWBC準決勝、決勝が行われたフロリダ、ローンデポ・パーク。デジャブを観ているような、漫画の世界、驚嘆の活躍でした。ドジャーズは残り9ゲーム、60-60 clubを期待してしまいます。さあ、大谷翔平選手、MLBに挑戦して初めてとなるポストシーズンが10月から始まります。調子も上向き傾向です。WBCの活躍の再現、否、それ以上の観たこともない活躍を期待してしまいます。

https://x.com/Dodgers/status/1836902635921641963/photo/1


2023年10月19日木曜日

谷村新司さん、逝く

 アリスの谷村新司さんが亡くなられましたね。この一報に触れた時、不謹慎ですが、あまりにびっくりして笑ってしまいました。去年、再びアリスの活動を10年行うと宣言され、SONGS出演時には、変わらず甘い艶のある声を聴かせて頂きました。谷村新司さんは今や国民的歌手のお一人ですが、1970年代を青春として過ごした私たち世代には、永遠の深夜ラジオに君臨する(いろんな意味での)夜の怪人のお一人という印象のままでして、そんな怪人が死ぬなんてことはない、季節外れのエイプリルフールかと、そんな思いが一瞬に吹き出して笑ってしまった次第です。

そして次に思ったのは、ばんばん、大丈夫か、でした。(わたしなどが心配してもしゃーないのにね)それで昨日のラジオ関西のばんばひろふみラジオDEショー!は最初から聴きました。開始30分、ばんばんしか語れないちんぺいさんの思い出語りに聴き入りました。やっぱり笑ってしまいました。そして、残された歌もですが、その人なりも、それを覚えている私たちがいる限り、生き続けるんだろうなと感じ入った次第です。

『帰らざる日々』、『遠くで汽笛を聴きながら』、そして『秋止符』、この三曲がアリス楽曲の中で、私が好きな歌です。いつまでも大切に聴かせて頂こうと思います。

ありがとう、ちんぺいさん、ありがとうございました。

2019年8月27日火曜日

ソウルシンガー さくまひでき を知る

日曜日、妻の日曜礼拝に付き合って竜野に行き、礼拝の間は竜野図書館で雑誌を読みながら待ちました。その後、霞亭で絶品のにゅうめんを頂いて、そして次の目的地、妻の眼科診察のためリバーシティーに行きました。
眼科診察を待っている間、二階からタワーガーデンで始まったライブを、最初はぼーっとしながら眺めていました。
弾き語りのイントロを聴いて、あれあずさ二号???あれ、狩人とちゃうやん、ソロで歌ってるやん、最初はこんな調子でした。でも、聴き惚れるギター演奏と、堀江淳さんばりの甘い歌声に、この歌手は誰だろう?とだんだんと興味を持って聴き始め、ラストで歌われたオリジナル曲には、喧騒で少し聞き取りにくい中で歌詞を必死に聴き取りました。
その歌は、老人ホームで余生を送る女性の秘めたラブストーリーが綴られていました。
戦時中、同い年の青年と恋を育み始めた16ページ、でも赤紙が青年を戦地に送り命を奪った17ページ・・・、と90歳の女性が恋人を失ってからの人生の節目節目の出来事を、まるで日記のページを捲るように回想します。そして回想を終えた女性は、静かに息を引き取り恋人の元へと旅立ちます。
19ページ、21ページ、28ページ、36ページ・・・と、繰り返される「ページ」のフレーズが、とても印象的で、心が優しい感動で満たされました。
歌手の名前は、さくまひできさんという御名前でした。
それからしばらくコーヒー店で時間を過ごしてから再びタワーガーデンが見える二階に戻ると、さくまひできさんの2回目のライブが始まるところでした。今度は音が聞きやすい場所で聴きました。トークの内容から、ライブ中心で全国を渡り歩いて20年以上活動されていることを知りました。だからでしょうね、観客の歌のリクエストを受けて昭和歌謡からフォークソング、最近の若者の歌まで、なんでもギターを演奏しながら歌われるのです。そして2回目のライブの最後もオリジナル曲でした。その歌は東日本大震災を乗り越えて頑張ろうとしている大切な一人ひとりの命を賛歌する歌でした。この歌も、繰り返される「命」のフレーズが印象的で、心に迫るものがありました。
そしてアンコールでライブ最後の歌、「隣の芝生は青く見えなかった」を聴きました。ご自身の家族の愛が、さだまさしさんばりに沢山の言葉で綴られていました。
さくまひできさんは、私よりも十ほど若そうですが、その歌、歌に込められたソウルは、私の心にドンピシャにハマりました。
ライブが終わって、手売りされていたCDを一枚買いました。CDジャケットにサインを貰い、短く会話をして握手して別れました。まじかで接したさくまさんは、千鳥ののぶさんによく似た、優しい雰囲気の方でした。

妻も、診察待ちの間、少しライブを聴いていましたので、感想などを話しながら帰路に着きました。
トークがちょっと早口やったな、おじいさんの耳にはちょっとしんどかった、とか
ほんまに優しさが溢れててたね、(勝手な解釈で)フォークシンガーよりもソウルシンガーや、とか
でもちょっと髪ばさばさやったな、とか、目が垂れ目やったな、サングラスかけてたら雰囲気がまた違ったね、とか

帰ってから、一本松連中にラインで、「17ページ」と「命、2011からのメッセージ」と「隣の芝生は青く見えなかった」のyoutubeアドレスを送ると、「なるほど」といちゃさんから返信がありました。

出会えて嬉しかったです。


2017年11月20日月曜日

『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~

今年の初めに、坂本龍馬が京都で暗殺される五日前に福井藩重臣中根雪江に宛てた書状が見つかりました。書状は折りたたまれ封紙に入った状態で見つかったといいます。封書には「坂本先生遭難直前の書状にて他見を憚るものなり」と朱書きの付箋が貼られていました。
以下書状内容
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG13H1B_T10C17A1CR0000/
の記事から引用させていただきます。

一筆啓上差し上げます。

この度、越前の老侯(松平春嶽侯)が御上京になられたことは、千万の兵を得たような心持ちでございます。
先生(中根雪江)にも、諸事ご尽力くださったこととお察し申し上げます。
しかしながら、先頃直接申し上げておきました三岡八郎兄の上京、出仕の一件は急を要する事と思っておりますので、なにとぞ早々に(藩)のご裁可が下りますよう願い奉ります。三岡兄の上京が一日先になったならば新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまうと考えられます。
ただ、ここのところにひたすらご尽力をお願い致します。

誠恐謹言

十一月十日
龍馬
中根先生

追白
今日永井玄蕃頭(幕臣永井尚志)方へ訪ねていったのですが、面会は叶いませんでした。
談じたい天下の議論が数々あり、明日また訪ねたいと考えているところですので、大兄もご同行がかないますならば実に大幸に存じます。


この龍馬の長く封印されてきた書状から着想された、慶長三年11月15日(新暦1867年12月10日)龍馬暗殺から遡る一ヶ月前からの物語
NHKスペシャル「ドラマ 龍馬 最後の30日」を見ました。

そして新たに思いを強くしたのは、坂本龍馬という人は、デモクラシー(あえて民主主義とはいいません)に憧れ、それを自ら実践し、そして殉じた人なんだという思いです。
劇中、龍馬の従者であった岡本健三郎が「あなたはコロコロと意見が変わる」と愚痴っていましたが、それこそが龍馬のデモクラシーであったのだと思います。

幕末、尊皇攘夷原理主義派の倒幕運動が盛んになる中で、知識人から聞き及ぶデモクラシーに龍馬は憧れました。龍馬が憧れたデモクラシーとは「『身分の隔てなく、国をよくしていきたいという志を持つものなら誰でも国家運営に参画できる』や『誰もがなりたいものになれる』という、機会は誰にも平等に与えられる」という考え方であったように思います。
そして龍馬は、当時の日本にはどこにもなかったデモクラシーを一人自ら実践していきました。開明的な考えを持つ人物の噂を聞けば、それが誰であったとしても、自ら出向き、話を聞き、議論し、学び、柔軟に考えを改めながら、日本版デモクラシー国家の青写真を描いていきます。
そして龍馬は勝負に出ます。討幕派と佐幕派に二分された日本の中を奔走し、龍馬自身の人間的魅力や、時には武器の力、金の力、虚偽や方便の力まで使って、身分や敵味方関係なく同士を増やし、そして遂に大政奉還を成してデモクラシー国家建設への最初の扉を開きます。
一介の郷士出の龍馬がとんでもない事を成し遂げられたのは、ひとえに龍馬の人柄に負うところが大きいと思います。それは「人並み外れた豪胆さ」と「公平を良しとする心」です。
しかし龍馬にも私欲はあったと思います。それは権力者や指導者となってデモクラシー国家を運営する事ではなく、デモクラシーを思う存分謳歌する者になることであったと思います。「世界の海援隊になる」という名言は、そういう心持ちから出たのではと思います。
龍馬が人並みの欲、つまり新国家の末席にでもしがみつきたいという欲があったならば、龍馬を取り込んで手駒にしたい者の手で守られ、生かされたのではと思います。しかし龍馬の私欲は誰にも理解されず、誰にもなびかない龍馬は異端視され、また保守派からはこれ以上野放しにすれば災いになると恐れられ、今から150年前の冬に暗殺されました。
松平春嶽侯が、誰にも龍馬を殺す動機があった、龍馬を恐れた、私もその一人であったと龍馬の死を回想するシーンが印象的でした。


先日、来年度の高校日本史の教科書から坂本龍馬の記事が消えるというニュースを知りました。なんでも暗記項目が膨れ上がって授業や入試における学習の負担になってきたために、歴史の本流から外れる人物や事柄を除外して暗記項目数の適正化を図るというのが名目でした。
私自身の龍馬との出会いは教科書ではなく、心酔する先輩の愛読書であった司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読んで先輩に近づきたいという邪心からでしたが、でも小説のはじめの数ページを読んだだけで引き込まれ、後は夢中になって読みました。そして物語の中心人物である坂本竜馬、彼を取り巻く人々、そして幕末という激動の時代に以後ずっと魅了されることになりました。
不勉強な私には教科書の記憶などほとんどありませんが、真面目な受験生時代を過ごした先輩は高校生の時代に龍馬に出会っていました。それは授業の中でかもしれないし深夜ラジオのDJが語る熱い思いの中であったかは定かではありませんが。でも、私が先輩の熱い思いにほだされた様に、先輩も高校生の時代に誰かの熱い思いにほだされたのは事実だと思います。
歴史の教科書から除外されるということは、ある若者が人生の中で龍馬に出会う機会を一つ失うことに繋がります。
歴史研究が進んで、過去の歴史が事実と異なるのであればそれを訂正するのは必要な事ですが、単に暗記項目が増えすぎたため、暗記項目を適正数に戻すという名目で、誰かが暗記項目を選別し、歴史の教科書から排除するという行為はあってはならないと思います。そういう行為を許すことは、歴史の修正に繋がる恐れがあると思うからです。敢えて言うなら、教科書というものは、訂正は必要だけれども時代におもねることなく、内容を充実させることと、指針を貫くことが大切だと思います。
最後にもう一つ、現代の権力者である保守主義者が、保守主義を脅かす龍馬の様な変革者を生み出さぬ為に、龍馬の様な存在を日本史教科書から排除しようと企てているという邪推を記したいと思います。

そして最後の最後にもう二つ、デモクラシーが正常に機能し発展するためには、
まずデモクラシー国家を運営する指導者や権力者は、私利を慎み公利に励む。
そしてデモクラシーを享受し謳歌した者は、得た私利をデモクラシーの発展の為に活かす。
この両輪が必要であること、龍馬の物語を回想していて気づかされました。

もう一つ、国家や公共の事業(例えば小さな町の祭りを運営する)をさらに良いものへと進めたいと思ったら、己の主義主張に固執するのではなく、反対の意見を含め広く意見を聞き、議論し、学び、柔軟に考えを改めながら、公益に沿った事業の青写真を描いていく。そして、実現に向けて一つ一つ交渉して賛同を得ていく。まどろっこしい遣り方ではあるけれど、事業が成した暁には、それは一人の喜びではなく、関わったすべての人の喜びとなっている。これぞ龍馬が私たちに残してくれたデモクラシーの進め方だと思います。
それを守らず、己の主義主張に固執したならば、無益で遺恨だけが残る争いや軋轢が起こることを、私たちは肝に銘じなければいけないと思います。

『坂本龍馬』考

『坂本龍馬』考 その1 ~司馬竜馬との出会い、そして竜馬と歩む人生~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/09/blog-post_5723.html

『坂本龍馬』考 その2 ~お田鶴さまのいない『龍馬伝』、いよいよクライマックスです~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/10/blog-post.html

『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/11/3.html

『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2017/11/blog-post_20.html



2016年8月8日月曜日

Ichiro3000

かつて野茂だけが唯一ノーヒットノーランを記録した、打者有利と言われるコロラドの高地にあるクワーズ・フィールドで、イチローが大リーグ通算三千本目となるヒットを三塁打で飾りました。
テレビのニュース映像で流れたそのシーン、ジャンプした右翼手が伸ばしたグローブのその上を越えて、打球がライトフェンスにぶつかりフィールドに弾き返されたときには、もうイチローは二塁ベースを蹴って流れるように三塁ベースに向かっていました。
イチローは、バッティングでも守備でも絵になる大スターですが、私が最も好きなのは走塁です。2007年のオールスターで記録したインサイドパークホームランの神々しい走塁が忘れられません。今日の三塁打を記録した走塁も、負けず劣らずの痺れる走塁でした。
感動しました!

2016年7月18日月曜日

ベースボールのウィザード

数少ない出場ゲームで固め打ちする
その姿、
短く刈った髪の毛には白髪が目立つようになりましたが
いつまでも精悍で、柔軟で、躍動感に溢れている
イチロー
まるで杖をバットに持ち替えたベースボールのウィザード、それもマイスターの風格です
今日も、三安打、一盗塁の活躍で
MLB三千本クラブ入りまで
後、6本です

2016年6月17日金曜日

イチローの矜持

昨日の4257クリアの会見で、イチローが矜持の二文字を口にしましたね。
矜持、自信と誇りを刺す言葉ですが、イチローの矜持には
誇りを守り続けるという強靱な決意を感じました。
だからイチローは、球場で観戦するファンやテレビで観戦するファンを、いつまでも走攻守で驚くべきプレーで魅了するために、ひたすら準備し続ける事ができるのだと思います。
本当にワクワクします。そして、これからも長くワクワクできること期待して止みません。

2016年6月16日木曜日

4257

9回表、3点のビハインド、二死一塁の場面で今日五度目の打席を迎えます。
そしてイチローは、パドレスのクローザーRodneyが投じた四球目のチェンジアップをライト線にはじき返し、1992年7月12日、日本プロ野球の公式戦で初ヒットを記録してからの公式戦通算安打数を4257としました。
試合は、次打者がアウトとなってマーリンズは負けましたが、ベンチに戻ってきたイチローを同僚達は祝福で迎えていた事がとても印象的でした。

これでメジャー通算安打2979となったイチローは、後21安打で百有余年のメジャーリーグで29名しか到達していない3000本安打クラブへの仲間入りです。
メジャーリーグには、4256というメジャー記録を持つピート・ローズがいます。イチローは是非ピート・ローズの記録を塗り替えて欲しいと思います。

2015年4月9日木曜日

米朝さんへの感謝の言葉

昨日、先日89歳で亡くなられた桂米朝さんの著書「私の履歴書」を買いました。
まだ車中で数頁読んだだけですが、米朝さんという人物を端的に表すエピソードを見つけました。

それは「交遊」の章にありました。
奈良・薬師寺の高田好胤さんとの会話です。その箇所、引用させて頂きます。
-----
ある時、薬師寺におじゃましたら床の間の軸に目が留まった。
「本来無一物」とある。
高田さんの師である橋本凝胤長老の書であった。
その豊かな味わいに思わず無心すると、
これだけはだれであろうと無理と受け付けない。
そこで「本来無一物。これが僧のあるべき姿では」と突っ込むと、
さすがの高僧も答えに窮し、首尾よく我が家の床の間に引っ越した。
-----

米朝さんは、細やかに落語を演じる一流の噺家であったと同時に、上方落語の復興、そして後生に残すという偉業を達成された落語研究の第一人者でありました。
ですから米朝さんは、芸事から文化芸術、教育と多岐にわたり各分野の第一人者と親しく交遊がありました。そして米朝さんは、その各分野の第一人者からも一目置かれる存在であったのだと思います。
薬師寺の説法の達人と、親しく座を共にする事など一介の芸人では考えられない事の様に思います。さらに云えば、宝物を無心する事など滅相も無い事に思います。
それをさらりと口にして、さらには禅問答さながらの問答で、まんまと宝物を手に入れた。
凄い人物だと感じ入りました。


私は十代の頃に枝雀落語に出会い、落語のファンとなりました。というよりも爆笑型の枝雀落語のファンとなりました。しかし、その師匠であり同郷姫路出身の米朝さんの落語は当時の私にはインテリ過ぎて、あまり好きではありませんでした。

六年前です。朗読というものに興味を覚え、よく聴いていた枝雀さんの落語話を朗読することを思いつきました。枝雀さんの落語CDは何枚も持っていましたので、その落語話を書き記した本を探しに図書館を訪ねました。有名どころの本が沢山ありました。枝雀さんの落語話の本もシリーズで何冊もありました。でも、そこでハタッと気付きます。爆笑型の枝雀落語を真似て朗読することなんて不可能だと・・・

その横に、師匠米朝さんの落語話の本もシリーズで何冊もありました。その一冊を手に取りました。頁をめくると「たちぎれ線香」というタイトルが目に留まり、立ったまま読みました。枕で、昔の花街の風景が鮮やかに描かれていました。登場する人物が活き活きと動きだし、すっかり物語世界に引き込まれました。
この「たちぎれ線香」は、枝雀六十番には入っていない演目でした。図書館にはAV資料の貸し出しがあって、枝雀さんや米朝さんの落語CDも揃っていました。それで何回も通い、一通り借りて聴きました。もちろん米朝さんの「たちぎれ線香」はなんじゅっぺんも聴きました。そして「たちぎれ線香」の朗読に挑戦しました。


※5年前にアップロードした朗読です。当時一本15分以内という制限があり、場面場面でファイルを分けました。全部で10幕あります。計50分以上あります・・・根気よくお聞き下さい

CDから流れる米朝さんの語りは、細やかな舞台の風景描写から始まります。私はまるで絵を見る様に舞台を思い浮かべます。そこに登場人物が現れて、活き活きと動き始めるのです。昔話に「絵のうまい小僧さん」の話がありますが、米朝さんは筆で描く物語で、また語りで登場人物に命を吹き込まれていくのです。
そして私は、枝雀さんと同様に米朝さんの落語の虜となりました。

「たちぎれ線香」に始まり、「百年目」、「天狗裁き」、「三枚起請」、「不動坊」、「骨釣り」、「まめだ」等々・・・次々に聴きました。
米朝さんは、帝に奉行、そしておおだなの主人、番頭、丁稚さんになって、
また閻魔大王、幽霊そして化け物、遊女、たいこもち、街の遊び人になって、
笑いと涙と人情を、私に運んでくれました。

米朝さん、ありがとうございました。

2015年1月27日火曜日

至高の横綱白鵬関

私は大相撲には余り関心がない方なのですが、横綱白鵬関には感服します。
前人未踏の33回優勝もさることながら、その浮世絵から抜け出たような男っ振りと、そして富士山の如く悠然とした立ち居振る舞いに感服するのです、惚れ惚れするのです。

そんな白鵬関が、初場所優勝後の会見で発言した一言で、思わぬ苦境に立たされています。
初場所優勝を決めた13日目の稀勢の里戦で審判部が下した取り直しの判断を「疑惑の相撲」と表現したのです。勝負判定への疑念を
「こっちは命をかけてやっている」
「(勝敗を正しい判定は)子供が見ても分かる」
と、少し感情の高揚が見て取れる発言ではありましたが、
日本のメディアや相撲協会は、このような審判部批判ともとれる発言は、横綱の会見にふさわしくないと批判し、横綱白鵬関の資質を問うたのです。

大相撲はこの数十年、日本人の名力士が生まれなくなりました。
日本人の保育が過保護となり、ハングリー精神が育たなくなった
そして、本来厳しい社会である角界に入門できるものがいなくなった
それがため、入門者を過保護に育てたり、また力量が未成熟のまま上位に引き上げたために、名力士と呼ばれるまでに廃業する者が後を絶たすという状況を生んでいるのではないかと察します。

そんな中、外国人の入門者は、海を渡って日本に来、言葉も通じぬ、作法もしらない世界で、自分だけを信じて、強くなろう、偉くなろう、出世しよう、と相撲道に邁進したのだと思います。時には外国人ということで不快な思いもした事でしょう。そして今、彼ら外国人力士は、相撲界を担う者となったのです。

大相撲は日本の国技であり、興行であり、見世物でもあります。
ですから、たとえ外国人力士であっても髷を結い、着物を羽織り、力士の立ち居振る舞いを身に着けねばならない。そういうものだと思います。
ですが、大相撲はもっともっと現実的に、力士にとって、ファンにとって、良いものに変革しなければいけないと思います。
横綱白鵬関の素直な発言は、大相撲の慢心への警句だと思います。
そんな警句を、旧態依然とした相撲協会の体質や、旧態依然の国技を礼賛しかできないメディア、そして日本人贔屓の大衆心理が、葬ろうとしているのではと思います。

横綱白鵬関は、モンゴルの宝です。そして日本の宝です。
横綱白鵬関は、横綱を真摯になって生きているのだと思います。
私たちはもっともっと横綱白鵬関を大切にしなければならないと思います。

2014年8月12日火曜日

衝撃ニュースです。名優ロビン・ウィリアムさんが亡くなりました。

衝撃ニュースです。
アメリカのSNS向け新興メディア、バズフィード(BuzzFeed)が年内中に日本進出というニュースを見て、読めもしないのに、BuzzFeedのサイトを開きました。

http://www.buzzfeed.com/ellievhall/robin-williams-is-dead-at-63

そこで
Robin Williams Is Dead At 63
という見出しを見ました。

名優ロビン・ウィリアムさんが、11日カリフォルニア州の自宅で死亡してるのが発見ささました。自殺です。享年63歳です。

大好きな俳優でしたので、衝撃を覚えました。

関連記事
http://www.cnn.co.jp/showbiz/35052233.html


2014年6月19日木曜日

大谷翔平投手の106球

昨日の阪神vs.日ハムは、プロ野球ペナントレース上半期のハイライトではなかったでしょうか。
日ハム大谷投手の圧巻のピッチングがほぼ全てでしたが、阪神先発岩田投手の力投も素晴らしかった。8回に二点目となるホームランを打たれるまでは、とても良い緊張感が甲子園を支配していました。

大谷投手は、6回二死まで完全試合を期待させ、大和選手にヒットを打たれてからは
160㎞をさらに超える、国内最高速の速球を期待させてくれました。
なんせ実況中継の中で、ブルペンの大谷投手は(リミットをかけずに)荒れていて165㎞は出ていたのでは、という栗山監督のコメントが紹介されてからは、期待はさらに膨らみました。
150㎞後半のストレートを低め一杯、インロー一杯に制球し、またカーブ、スライダー、スプリットさえ完璧に制球していました。何より打者との対決を心から楽しんでいるのが伝わりました。こんなにプロ野球観戦をしていてワクワクし通しだったのは久し振りです。


2013年11月26日火曜日

君は「桂枝雀」を知っているか?

日曜日夜、BS朝日で放送された、『君は「桂枝雀」を知っているか?』を観ました。
とても興味深かったのは、枝雀さんの新作落語を共に作られてこられた落語作家小佐田定雄さん、そして本名前田通さんの二人の御子息が語る、枝雀さんの実像です。
そこで語られる実像は、私が抱いていた人物「桂枝雀」と寸分と違わなかった、本当に表裏のない、純粋に笑いというものを求道する万年少年そのものでした。

昭和40年代、桂小米から桂枝雀に襲名したての頃の落語を聴くと、爆笑王の異名を取った後の枝雀落語とはまったく非なる落語であることに驚きます。
「陰」が代名詞に付くほどに、若さの微塵も無い静かで落ち着いた語り口、観客などいないが如くのマイペースさで物語を語っているのです。でもこれはこれでぐいぐいと物語世界に引き込まれてゆくのですから、やはり若い頃からただ者ではなかった事を実感します。

枝雀さんの落語本の中に、いつか師匠米朝さんの艶話「たちきり線香」を演じてみたいと書かれていました。後年の爆笑王となった頃の語り口では想像できない、また若き日の陰な語り口でも想像できない、まったく新しい境地の語り口で、この「たちきれ線香」に向き合おうとされていたのではないか、そう想像します。未知の体験は、未知のまま手の届かぬモノとなりました。

枝雀さんを死に導いた「鬱」という病気について
次男さんが、端的に次の様に話されました。父は、何かの理由が引き金で心の病に陥ったのはなく、突然に「鬱」という病にかかってしまった。それは風邪と同じ、癌と同じ、自分が求めぬままに、病に冒された、と話されました。
ですから、枝雀さんの様な求道者でない、平々凡々と暮らしている者にも「鬱」は訪れます。私がまさにそうでした。突然に、目は見え、耳も聞こえるのに、答が全く探せなくなるのです。話ができなくなるのです。頭が、心が、深いとばりに覆われた様になって、それはとてもひどい閉塞状態です。思考することもできず、人とコミュニケーションをとることもできない、これが鬱の症状です。ですから、改善の兆しが見え始めた時、鬱からのなりふり構わぬ脱出を企てて、極端な行動をとる危険があるのです。枝雀さんは「死ぬ」ことを選択されました。

私は今、「鬱」は脳がかかる風邪ではないかと感じています。ある特殊なウィルスによる風邪です。それ自体、死を招くほどの恐ろしさはないものの、脳内の情報伝達を阻害します。ですから、見聞きしてもそれが次の思考に繋がらないのです。
ですが「鬱」は、必ず治る病気であるとも感じています。そのための第一歩は、脳内の情報伝達を活性化することです。人間には五感があります。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚です。これらを総動員して脳に刺激を与え、情報伝達を活性化するのです。脳が活性化すれば思考が戻ります。それが自律を取り戻し、危険のない快方へと導く、と想像します。
もう一つは、体を疲れさせることです。できれば心地よい疲れを与えるのです。体が心底疲れれば、深い睡眠に陥ります。その一時期は余計な不安は一切脳から切り離されて、脳は体の快方に全力を注ぎます。この心身が一致した状態こそが、私たちの理想な健康状態だと想像します。
私は現在、長歩きに親しんでいますが、この歩くという行為こそ、「脳内の情報伝達を活性化する」、そして「心地よい疲れ」を得る「鬱」の特効薬だと実感します。

2013年5月3日金曜日

富士に初登頂した人物


おはようございます。
富士山が世界文化遺産に登録される見通しになったというニュースを、喜んでいるひとりであります。この富士山に関するコラムの中で、懐かしい人物の名を読みました。

役ノ小角(えんのこずぬ)

この人物の名は、司馬遼太郎『竜馬がゆく』の文中、竜馬が《人の不死性》についてお竜に語り聴かせる場面に登場し、知りました。
この役ノ小角が、「世界登頂年代記」なるもので富士に初登頂した人と記されているそうです。7世紀のことです。
『3776メートルの富士より高い山はそれこそ山とあるが、これほど高い山に登ったのはこれが世界最初』、しかもこの記録は900年ほども保持されたらしい
と書かれていました。
役ノ小角は、飛鳥時代から奈良時代に実在した人物で、様々な霊場、修行の地を開いた行者、呪術者です。
『竜馬がゆく』で、この人の名を知ったとき、仙人か?と印象深く記憶しましたが、まさに天上をすみかにする仙人であったと確信をした次第です。

あっぱれ富士のお山!
あっぱれ役ノ小角!

2013年3月22日金曜日

『夢のような まだ夢のような ~落語家・桂枝雀七回忌~』を観ました。


今朝、選抜高等学校野球大会の開会式を観ようと、テレビをつけたところ、テレビの画面に桂枝雀さんの顔が写りました。
BSプレミアムアーカイブスで、2005年の番組
『夢のような まだ夢のような ~落語家・桂枝雀七回忌~』
が放送されていました。

しばし見入ってしまいました。南光さん、雀々さんを始めとする枝雀さんのお弟子さんや上方落語の重鎮達が、枝雀さんの思い出を語ります。
枝雀さんとは盟友であった桂福團治さんの、枝雀さんとの最後となった二人会の思い出話には、思わずぐっときてしまいました。
番組の中で、在りし日の枝雀さんの『鶴』を観ました。『鶴』は、大昔に購入した枝雀落語のCDで何百回と聴いた噺ですが、いやぁ、全身全霊で演じられる姿に、そして噺にすっかり魅了されました。

枝雀さんが亡くなられたのは、1999年の春でしたね。いつも聴いていた賑やかなラジオのパーソナリティー三代澤康司さんが、沈痛に声を震わせて番組を進行していたことを覚えています。
枝雀さんの命を奪ったのは鬱という病気です。同じ病気に苦しんだ者として、ましてや大の枝雀落語の一ファンとして、私も沈痛な面持ちになりました。
枝雀さんが亡くなられてから、今年で14年になりますが、枝雀落語大全をICレコーダーにダウンロードして、今でも毎日聴いて笑っています。

枝雀落語を一度だけ、生で観たことがあります。二十代の終わりの頃、加古川市民会館で、枝雀・べかこ(現南光さん)親子会がありまして、連中のタクロウさんと二人で観に行きました。
開場時間よりもずいぶん前に到着し、通用口辺りに車を止めて、車の中で待っていますと、タクシーが入って来て、通用口の前で止まり、枝雀さんとべかこさんの姿が見えました。二人はハンチングを被っていました。思わず賑やかに声をかけますと、枝雀さんはそそくさと通用口から中に入り、べかこさんは気の良い挨拶を返してくれました。
そして高座の一番前の席で、お二人の落語を観ました。
当日の演目はすっかり忘れてしまってますが、この日は特に、べかこさんの溌剌とした落語に大変引き込まれたことを覚えています。

3年前に、朗読をはじめようと思い立ったとき、朗読のトレーニングとして落語噺を朗読しました。『緊張の緩和』や『爆笑を誘う』訳ではないので、枝雀さんの60というネタにはない、米朝さんの持ちネタ『たちきれ線香』と、そして福團治さんの持ちネタ『藪入り』を朗読しました。朗読をして、初めて噺の世界を垣間見ることが出来ました。ともに2010年に落語朗読ビデオを作成し、Youtubeにアップしました。あまりの下手さは、視聴回数の少なさが物語っていますが、二話共に、とても人情深い、奥深い噺ですので、気力のある方は、一度チャレンジしてみてください。

2012年12月3日月曜日

藤川球児のメジャーリーグ所属球団が決まりました。


藤川球児のメジャーリーグ所属球団が決まりました。
ナショナルリーグ中地区のシカゴ・カブスです。

シカゴ・カブスの本拠地はリグレー・フィールドです。リグレー・フィールドは1914年開場で、フェンウェイ・パークに次いで古い球場です。印象的なのは外野のフェンスです。カーキ色の煉瓦積みのフェンスに蔦が生い茂っています。
それからもう一つは、これは私の勘違いでしたが、ずっとナイター設備のないデーゲーム専用球場だと思っていました。昔、「野球は太陽の下でやるものだ」という趣旨でリグレー・フィールドには照明設備が設けられませんでした。それが今もずっとそうであると思い込んでいました。先ほど調べると1987年からナイターが行われていました。
でも過去の名言が今も息づくほどにクラシカルな雰囲気が漂う美しい球場です。

『聖地』、『蔦』、そして『太陽の下が特に映える』と聞けば、そう甲子園球場と同じです。そしてカブスはMLBの中でも屈指の人気チームらしいです。(実は、私はカブスと聞いてもサミー・ソーサくらいしか浮かびません。)
そのカブスで、リグレー・フィールドを本拠地として、来年藤川球児が、クローザーとしてマウンドを任されます。
今年の藤川球児は、阪神タイガースの凋落の象徴でありました。キャプテンマークを胸につけて挑んだシーズンでしたが、打てない打線に、ちぐはぐは投手継投も手伝って、2005年にJFK の一角として華々しくデューしてから最低の成績でした。そして後半戦は怪我で離脱もしました。クローザーとしてとても秀でた投手ですが、阪神で野球を続ける意味、モチベーションを見失ったのだと思います。
今年、メジャーリーグで過去の名選手が球団を移籍したことによって野球を楽しむためのモチベーションを取り戻し、再び名選手へと返り咲きました。イチローです。
藤川球児には、イチロー同様に、新天地で野球への情熱を取り戻し、持っている力を存分に発揮して、自分の為に家族の為に、そしてファンの為に大活躍して欲しいです。

2012年12月2日日曜日

史上最強の助っ人、元阪神のバースさんが野球殿堂入りの候補に入りました。


「バス大渋滞」などと揶揄されるのを恐れて登録名を工夫したという、
日本プロ野球界で「史上最強の助っ人」と言われる、元阪神タイガースのランディ・バースさん(Randy William Bassさん)が、来年の野球殿堂入りエキスパート表彰の候補に入りました。



阪神が日本一に輝いた1985年、そして1986年のバースさんの活躍は鮮烈でした。当時私は会社の先輩と一緒によく甲子園に観戦に行きました。一塁側アルプススタンドに陣取って、まず弁当を掻き込んで、ビールをあおって、そして大観衆の一人となって、応援歌を大合唱しました。

バースかっ飛ばせバース
ライトへレフトへホームラン
かっ飛ばせバース!

悠然と左バッターボックスに入ったバースさんは、ホームベースから少し離れた位置で狭くオープンスタンスで構えます。少し前屈みのクラウチングスタイルです。
そして投手が投じた外角に逃げる球を、踏み込んでジャストミート、打球は高く放物線を描いて左中間スタンドに吸い込まれました。スタンドはもう総立ちで、歓声が嵐となって吹き荒れました。そんな光景を、何度も何度も見ました。
緑が映える外野の芝生と白い服装の観客で埋まったスタンドが、カクテル光線に照らされ美しく浮かんでいます。空は漆黒です。そして打ち放たれた白球が、その漆黒のキャンパスに白い放物線を描きます。これが甲子園で見ることができる最高の夜景です。

バースさんはアメリカのオクラホマ出身です。当時、オクラホマと聞いて浮かんだことは、フォークダンスの定番曲「オクラホマミキサー」と、そして西部劇の舞台ということでした。バースさんは、髭を満々と蓄えていました。小太りでもあります。そして腕は丸太ん棒です。初めてバースさんを見た時、私は牧歌的で大好きだったドラマ『大草原の小さな家』に登場するエドワードおじさんにそっくりだと思い、一目で大好きになりました。
バースさんは、そのトレードマークの髭を一度だけ剃ったことがあります。
1986年の春キャンプの頃です。新聞の紙面に髭を蓄えたバースさんの顔写真が掲載されました。そして翌日、今度は髭を剃ってスッキリとした顔になったバースさんの顔写真が掲載されました。ジレットの広告でした。バースさんは髭を剃ってもなかなかの男前でした。

バースさんは、私にとってヒーローの一人です。そんなバースさんがもし野球殿堂入りを果たせば、私にとっても大変な喜びです。そんなバースさんを、そして1985年の大狂乱(俗に言われる阪神フィーバーです!)を見ることができた、経験することができた私って、とても幸せなんだなぁと思います。