彼は太平洋を望んでいる。
彼は幕末期、まだ歴史の表舞台に立つ前、『自分とは何もので』、『何ができるのか』、『望みは』を問い続け、求め、日本国中を奔走した。たとえ疎んじられようとも聴いた、特に新しい考え方、世の仕組み、つまり遠く異国の世情に詳しい者からどん欲に尋ね、聴いた。
そして、『支配社会を転換し、開かれた社会、どこで生まれようとも、誰であろうとも、志あれば、いつでも学び、そして望む仕事ができる社会を新興する』事を、彼の羅針盤に進路と定め、動いた。
23歳の頃、社会人一年目の年、会社の一年先輩で同じ寮住まいであった、通称『ちびっ子ギャング』と呼ばれていた好漢に心酔し、先輩の愛読書であった司馬遼太郎著『竜馬がゆく』を梅田の紀伊國屋書店で購入(文庫本八巻)、ひたすら読んだ。
物語の始まり、竜馬18歳の時、剣術修業で江戸へ旅立つその朝、下僕の源爺が紙切れでこしらえた桜花を庭の若桜の木に括り付け、『えらいことじゃ・・・(三月もまだ半ばというのに)若桜が、花をつけちょりまする』と騒ぎだし、家のもの皆が、源爺の法螺じゃと笑い出す、目に一杯の涙を浮かべて・・・、
今、この行を読んだだけで、もう私は泣いている。初めて竜馬に出会ってから、今日9月22日で、27年となった。
この年月、何度も読み返し、本はぼろぼろになった。本はぼろぼろになったが、司馬が描いた竜馬の人生は、ちょっとした仕草までも私の記憶に刻み込まれた。
彼は、日本初の株式会社というべき海運を生業とする『亀山社中』を、雄藩や豪商から出資を受けて設立した。
幕府の長州征伐を阻止し、かつ幕府の後ろで日本を手に入れようと企むフランスの野望を阻止するために、犬猿の仲であった薩摩と長州に働きかけて『薩長同盟』を締結させた。
そして最大の功績は、幕府に働きかけて、幕府自らが大政を奉還する、人類史上類を見ない無血革命を成し遂げたことである。
何故に一介の浪士が、この様な偉業を達成できたのか、
現代の作家の中には、龍馬はフリーメーソンのスパイであった、と唱える方もおられる。
しかし、私は単純に、天の定めに清く耳を傾け行動した彼の無欲さ、人柄が大望を叶えたと見る。
大政奉還が叶った後、彼は新官制案、つまり革命政府の閣僚名簿案を起草、その名簿に竜馬の名がない事を不思議がる西郷吉之助に対して、
『あれは、きらいでな』
・・・なにが?
『窮屈な役人がさ』
・・・では何をする?
『世界の海援隊でもやりましょうかな』
竜馬の腰巾着であった陸奥陽之助(後の明治の外相 陸奥宗光)は、心の中で小躍りする面持ちだったであろう、『我らの大将は、日本一!』。私もこの行では、いつも痛快さで満たされる。
そして、竜馬は明治という真新しい太陽が昇る曙に、定めを終え、33歳、天に召された。
幕末、そして明治維新に掛けて、龍馬と同様に、志のために奔走し、多くの若き志士が野の屍となった、その御霊を礎として新しい時代が明けた。
今の日本は、幕末期に似ているといわれる。
内政は破綻し掛かっているにも関わらず、付け焼き刃の手当を講ずる事しかできない。日本の将来像を示すことができないのだ。
そして外圧、島国日本という通りでは話にならないほどに、世界は密接し、大国の興亡、新興は甚だしく、朝令暮改は当たり前となってしまった。沖縄基地問題という内政問題ではアメリカの顔を伺い、領海侵犯しかつ公務執行妨害した中国漁船の船長の逮捕に至っては、中国から戦争を吹っかけられそうな事態に陥っている。
龍馬ならどうするか、龍馬なら相手の懐に飛び込み、また周囲にも働きかけて、喧嘩を逆手にとり、更なる友好・信頼を深める妙案を実行するのではないだろうか。
妙案はないにしても、つまらぬ意地はさっさと捨てて、この騒動を沈静するに違いない。
私は、私の中で生き続ける、竜馬のことをこれからも書こうと思う。
『坂本龍馬』考
『坂本龍馬』考 その1 ~司馬竜馬との出会い、そして竜馬と歩む人生~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/09/blog-post_5723.html
『坂本龍馬』考 その2 ~お田鶴さまのいない『龍馬伝』、いよいよクライマックスです~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/10/blog-post.html
『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/11/3.html
『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2017/11/blog-post_20.html
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