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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2012年6月16日土曜日

『浄土寺、あじさい回廊』ビデオ作成しました。


6月14日(木) に訪れた、小野市浄土寺で撮影したビデオ、写真をもとにビデオを作成しました。
名付けて『浄土寺、あじさい回廊』です。

あじさいの咲く森の回廊を半時間ほど巡りました。ほんと木漏れ日の下で鳥の鳴き声に誘われて歩くのは至福の時でした。
ただ、ヤブ蚊には閉口しました。長歩きした後、体は火照り汗みどろになっていましたし、歩く時ずっとイヤフォンをして音楽を聴いているのですが、そのイヤフォンから漏れる周波数がヤブ蚊を引きつけるようなのです。

散策にもっと良い日を選ぶとしたら、あじさいが最咲き乱れた頃の雨降りの日です。草木の緑も、紫陽花の紫ももっと艶やかに輝いて、まるで絵画の中を彷徨う面持ちになれることでしょうね。

ビデオのBGMには、ケルト音楽の旗手、エンヤの歌声を使わせて頂きました。
ケルト音楽は、深い森が似合います。まるで森に棲む妖精が奏でているようです、とても神秘的で、とても遊戯的です。
そしてエンヤの歌声は、深い森、深い泉の淵から静かに響いてくる女神のささやきのようで、とても妖しげで魅力的です。

2012年6月15日金曜日

浄土寺で紫陽花、鑑賞してきました。


昨日は、小野市にある国宝浄土寺で紫陽花を観賞してきました。

浄土寺を訪ねたのは初めてでしたが、約800年前に創建された寺院は、簡素な美を留めた緑多き静かな寺院でした。
境内には蓮池があり、蓮の花が咲いていました。
浄土寺、その名の通り、浄土の世界が閉じられた空間に描かれていました。

そして寺院の裏手にある森に紫陽花が観賞できる回路がありました。

紫陽花はまだこれからが見頃という状態でしたが、木漏れ日の下に続く回廊には、光が描く陰影と、そして苔むした緑の路が続き、林の中からは鈴のねに似た軽やかな鳥の鳴き声が響いてきます。そこは現世を離れた世界、美しい世界でした。
紫陽花が咲き乱れる頃、そして雨の日に、またこの回廊を彷徨いたい、そう思いました。

しかし浄土を目指す道のりは、とても大変でした。
浄土にたやすくたどり着けるとは思いませんでしたが、いやぁ、心に迷いが生じ、時間以上に長い道のりとなりました。

徒歩ルートは、山電大塩駅-浜国(国道250号線)-山電曽根駅
-松陽中学-竜山-宝殿中学-加古川橋西詰左折
-加古川河川敷マラソンコース-塩尻橋東詰左折
-県道18号線-県道23号線-県道75号線
-浄土寺(約27㎞)

しかし、小野市に入ってからのルートで思い切り迷いました。
後で判ったことですが、県道23号線に見事に騙されました。なんと県道18号線と23号戦が交差する交差点が2カ所あったのです。一つが本来右折するはずの敷地町南交差点、そこまで到達すれば後は県道23号線を東に歩けば浄土寺でした。
ですが、随分前の市場交差点にも東に県道23号線が続いていました。これで錯覚し、浄土寺は近しと信じ東に歩を進めました。

国道175号線(小野バイパス)手前に消防署がありました。丁度消防士達が訓練中で、一団に道を尋ねますと、バイパスには歩道がないので歩くのは危険と言われました。そしてどうしても歩くのならバイパスに沿って2㎞ほど?北に歩くと天下一品が角にある交差点にでるので、そこを右折して歩くと浄土寺です、とアドバイスを頂きました。その時、一人の消防士が、以前MBSちちんぷいぷいのクルーも同じように歩いて浄土寺を目指していたが、どうして175号を渡ったのか?と不思議そうに話されました。私はその最後の言葉で、その道を進もうと判断しました。

バイパスの交差点の両角に、自動車では渡れない側道がありました。ああこの道や、と判断して側道に入り、そしてすぐにバイパスの下を抜けるトンネルがあって、そのトンネルを抜けて東にでました。
丘陵地帯、そして田畑がずっと向こうまで続いています。
バイパスの側道を上り下りしながら北に歩き続けました。いやぁこの時はホント、人気の無い山道で、ほんまにこの道でおおとるんかいな?と不安を抱きながらの歩でした。
そして漸く天下一品が見えました。それが本来左折するはずだった敷地町南交差点から続く道であったのです。

交差点を左折して県道75号線をしばらく歩きますと、浄谷町中交差点に
『浄土寺北へ1㎞』

という案内板がありました。
そして自宅を出てから5時間半、昼過ぎにようやく国宝浄土寺に到着できました。

何故に浄土寺を目指そうと思ったか、それは早朝のテレビ番組でした。浄土寺では丁度紫陽花がみごろという地元観光のニュースを見て、今日は浄土寺を目指そうと決めたのです。
でも北播磨は車で出かけることはあっても徒歩の道には暗いのです。もっとしっかりとルートを確認すべきでした。

でも本当の恐怖は帰り道でした。
”行きはよいよい帰りは怖い”
あれホンマでした。

歩き始めには、昼までに浄土寺を訪ねて、その後は加西周りで姫路に抜けて、そして夕方海を望んでから自宅に戻ろう、などと遠大な空想にふけっていました。でもそれは浄土寺までの道のりで見事に砕け、帰りはJRに乗って帰ろうと心変わりして、駅に向かいました。そして23号線を西にあるけば駅にたどり着くとふんで歩きましたが、小野市立図書館を過ぎても駅を案内してくれる標識がありません。
辻辻で、通り行く町人に駅を訊ねますと、めいめいが同じ方向を指して次のように話されました。
『歩くの、遠いよぉ』
『その道をずーつ真っ直ぐ歩くと駅にたどり着く』
『2~4㎞ほどかなぁ』
そしてこのアドバイスに実は錯覚してしまったのです、小野市には、加古川流域の東側を神戸電鉄粟生線が走り、西側をJR加古川線が走ります。そしてJR加古川線だけでも粟生、小野町、市場と駅が三つあります。だだっ広い丘陵地帯で、道は縦横に走ります。何本も同じ目的地を指す道があるのです。歩けども歩けども目的とする駅が見えないのです、そしてまた町人に訊ねると
『真っ直ぐです』
『2~4㎞ほどかなぁ』
との返事。

暑くて頭はボーッとしてくるし、そしてどんどん目の前が白く眩しく輝き始めました。
アカン、熱中症になりかけよう・・・
でも、そんな時、遠くまで見渡せる道にはひとっこ一人いませんでした。
立ち止まる事もできず、ただ歩き続けました。
そうしてふと気付けば、先に県道18号線との合流地点が見えました。小野の南外れまで歩いていたのでした。
手前に加古川を渡る橋があり、渡りますと、ようやくJR市場駅にたどり着きました。

5月の滝野行軍時は、両足裏にどでかいマメができて一歩歩く度に声なき悲鳴を上げていましたが、今回は全くマメができませんでした。それはそれで良かったのですが、市場駅にたどり着いた時は、もう疲労困憊で、目はチカチカして、目の前が真っ白く輝きます。目を閉じてじっと電車がくるのを待ちました。
待つこと30分、ようやく電車に乗り込みますと、一両編成のワンマンカーは満員で、休むことも叶わず、帽子を脱いでつり革に掴まっていますと全身から汗が噴き出してきました、また吐き気ももよおしてきました。
前には賢そうな少年が座席に座って算数ドリルを開いています。
その彼のかむる白い通学帽が受け皿に見えてきました。必死で我慢しました、当たり前ですが・・・

加古川駅に着き、神戸線に乗り換えて停車中の快速電車に乗り込み、ようやくゆっくりと座席に身を埋めました。車中は冷房がよく効いてとても涼しく、体は一気に休まりました。
このままずっと座っていたい、そうも思いましたが、二駅目、曽根駅で下車し、そして40分を掛けて家に帰り着きました。

道中、帰ったら冷たいビールを一気のみするんだ!そればかりを考えていましたが、
家に帰って、妻が湧かしてくれた風呂に入り、食べ残した昼の握り飯を食すと、そのまま崩れるように寝てしまいました。
あ~っ、しんどかったです。

しかし、梅雨の晴れ間の一日を楽しみ尽くした充実感に今、浸っています。


22日開幕の、平成24年度高砂市中学校総合体育大会軟式野球競技の観戦が待ち遠しいです。


来週22日(金)から、平成24年度高砂市中学校総合体育大会軟式野球競技が開幕します。
鹿島中野球部は11時から宝殿中野球部と対戦する旨、父母会会長本多さんから報せを頂きました。
今週末から来週に掛けて天気は雨模様の予報ですが、来週末はすっかりと晴れ渡り、最高の日よりで、最高の舞台で、鹿島中野球部の少年達の最高のゲームが観戦できること、今から本当に楽しみです。

今日から本格的な雨になりそうな気配です。


おはようございます。
今日から本格的な雨になりそうな気配です。
今年は、昨年とは打って変わって、北の低気圧が強く日本列島まで張り出して、梅雨前線が日本列島に掛からない状況でした。でも梅雨前線が掛かった九州南部、沖縄はこの数日大変な豪雨に見舞われています。
そしてここに来て漸く夏の気圧配置になるのか、西にある低気圧は日本列島に向かっています。
そして来週は、台風4号の動向に注意が必要です。
6月12日に赤道付近で発生した台風4号は西に移動しながら発達して、現在フィリピン南岸をゆっくりと北上し始めました。このまま進めば週明け沖縄辺りに到達します。
気象庁の予報では、18日03時の予報として

  • 強さ    強い
  • 存在地域     フィリピンの東
  • 予報円の中心 北緯19度20分
  •     東経126度05分
  • 進行方向、速さ 北北西20㎞/h(11kt)
  • 中心気圧     645hPa
  • 中心付近の最大風速 40m/s(80kt)
  • 最大瞬間風速 60m/s(115kt)

と発表されています。

気象庁台風情報
http://www.jma.go.jp/jp/typh/

昨年の台風と梅雨前線(季節の後半には秋雨前線)の相乗では、日本列島に甚大な水害を及ぼしました。雨水は、生命に潤いを与え、恵みを育んでくれもしますが、すべてを流し消し去る力もはらんでいます。天気予報、ニュース等で十分に天気の状況に注意を払う必要があると思います。

2012年6月14日木曜日

今日は浄土を目指して歩きます。


おはようございます。
今日は梅雨の晴れ間です。
三蔵法師の気分になって、浄土を目指そうかと思います。
浄土に、蓮ならぬ紫陽花を求めて歩きます。

では行ってきます!

2012年6月12日火曜日

梅雨なのに、涼しい朝となりました。。。


朝、外に出るとひんやり感がありました。昨日の夜に今日の天気予報を見た時、高砂では朝方の21度が最高で、以降日中も20度前後で推移する予報でした。
涼やかな、心地よい朝を迎えられて喜ぶべきところではありますが、
いや、梅雨らしくないなぁ、という疑問が頭の中に立ちました。
それで早速、日本気象協会のホームページにアクセスし、お天気質問箱に質問を投稿しました。でも回答はまだありません。

日本気象協会のホームページ
http://tenki.jp/

2012年6月10日日曜日

食べられないそばと、大好きなカレーの話


私、何でも食べます。ですが唯一食べられないもの、というか食べたらえらいことになる食物があります、そばです。
私、そばアレルギーなのです。
幼き頃は、アレルギー症状もえげつなく酷かった。
食べると、全身から発汗し、体中が非常に痒くなります。そして口内奥から口中、唇まで痛痒くなり、唇は腫れ上がり高級たらこ唇と化しました。そして声帯が麻痺したのか声が出なくなって、泣くしかほかありませんでした。
そんな時、きまって兄が私をおぶり症状が収まるまであやしてくれたのを憶えています。
でも父は酷かったなぁ、好物というか、外食はいつもざるそばでした。いや、たぶん一番安かったからでしょうね。だから父と二人で出かけて、外で食事をとる時はきまってざるそばでした。父も私の症状はもちろん知っていました。でも昔は、そんなもん、食って治せという事でしょうか、また私も卑しん坊でしたので食べました。そして外食した日はいつも泣きながら帰っていました。
因みに自分でそばアレルギーと納得したのは、高校の修学旅行の時でした。修学旅行先は長野県熊の湯スキー場でした。宿泊先のホテルの売店でお土産を物色していて、何気にまんじゅうを試食した処、痒みを覚えました。内容物を見てみるとそばが入っていたのです。それからもう一つ、野沢菜の漬け物を食べた時、ぴりぴりとした軽い痛みを感じました。やはりそばが入っていました。そんなワケで、『俺、そばあかんねや』と納得した次第です。

長い前振りとなりました、スイマセン。
ですので私、そば以外、なんでも食べます、食べられます。
私の辞書にないのが
『食わず嫌い』です。というか食うことに関してはめちゃくちゃ好奇心が旺盛なのです。

そして、好きな食物なら毎日食べても飽きないのです。
学生の頃、野々市町に行きつけの飯屋がありました。友達は誰も不味いといって寄りつかない飯屋でした。でも私は、特に不味いと評判の焼きめしの大盛りが好物で、よく食べました。
八角中華皿の上に、丼をひっくり返して盛った山盛りの焼きめし、そしてその上には半熟の目玉焼きが鎮座していました。いやぁもう貧乏大食漢の私には大変なごちそうであったのです。

そして大阪で働いていた時は、外出時の昼食は、決まった店のカレーかラーメンでした。ほんと食べ飽きるということがないのです。

今は、MaxValueのボリューム満点弁当です。他のチームメイトは、量が多そうといいますが、いや全然です。ものの数分で食べきります。ほとんど飲み込むようにして食べるのです。

先日、チンをしてすぐに食べられるカレーが弁当コーナーに並んでいました。
私、カレー(とスパゲティーとラーメンと牛丼とクラムチャウダーと・・・やっぱりなんでもでした)が大好物なのです。いやぁ飛びつきました。
買って、MaxValueの西角にある飲食コーナーに座るや否やラップをほどいてそのまま食べようとしたほどです。一緒に食事をとったチームメイトから、レンジでチンすることを勧めて頂き、冷静になってそうしました。
ルーは具がほとんどなかったですが、辛口の旨い味でした。ぺろっと食べきりました。
翌日以降もカレーを期待しているのですが、以後カレーは並びません。
MaxValueさん、どうぞカレー並べて下さいね。

私、大阪に滞在中は、仕事帰り、時たま仲間とインド料理、メキシコ料理、イタリア料理を食べに行きました。そうスパイシーな料理が好物なのです。
そんな中で、ある一件のインド料理店で目から鱗が落ちる体験をしました。
1985年、阪神タイガースの後にも先にもあの1回だけとなった日本一、そのリーグ優勝に沸き立つ道頓堀で一人悲劇を被ったものがいました。道頓堀川に掛かる戎橋の南西の袂、道頓堀の入り口にあったケンタッキーフライドチキン道頓堀店のカーネルサンダースです。
私、あの大騒ぎを目撃した一人です。リーグ優勝時も日本一の時も、夜通し飲み歩き、最後は梅田から御堂筋を南下して戎橋の騒ぎの輪に入っていました。

あの今は無きケンタッキーフライドチキン道頓堀店が一階に入った飲食店ビルティングのn階フロアにあったインド料理店です。
メニューにグリーンカレーなるものがありました。それまでカレーといえばカツカレーの大盛りしか知らない私でしたので、グリーンカレーなるもの食えるンかっ!とも思いましたが生来の好奇心が福を呼び込んでくれました。
銀の円筒形の皿に緑色をしたペースト状の食物が入っていました。
食すと、旨い!しか発せられませんでした。
初めての感動体験から四半世紀以上経っていますので、あの時の感動を文章で表現することは今となっては叶いませんが、でも本当に旨かったのです。
こんな旨い食べ物がこの世にあるのか、ときっとその時思ったに違いありませんでした。そして、その後もその店のそのグリーンカレーを何度も食しました。

時が経って、家族を持ってから、ふと子供らに美味しいカレーを作ってやろうと思い立った時、このグリーンカレーを思い出しました。
書店でインドカリーの本を買い勉強しました。
そして食材店で、スパイスを6種類ばかし購入し、後はタマネギとほうれん草、ホイールトマト、かしわを購入し、いよいよグリーンカレー作りに着手しました。

まずは細かくみじん切りしたタマネギを深鍋でしっかり黄金色になるまで炒めます。
ずっとしゃもじでかき混ぜ続けなければならず、ちょっとした重労働です。
ほうれん草は、湯がいてミキサーでペースト状にします。
そしてスパイスを調合(もちろんええ加減です)し、ホイールトマトとかしわスープと牛乳を加えた深鍋に続けて放り込みますと、えも言われぬ芳香がワッとたちあがりました。
そしてスープの量が半分以下になったところでペースト状のほうれん草を加えますと、鍋の表面が一気に緑色と化しました。
でけた~!
喜び勇んで盛りつけて、子供らに食べさせますと、
一同
まず~!
という感想
私には、至福の記憶を呼び覚ますには十分な味でありましたが、
甘口で、しっかりと旨みの効いた妻のカレーに慣れた子供らの口には、初めての異様な食物であったのでしょうね。

まぁいつか、子供らに(もしかしたら孫達に?)本当に旨いカレー作ってやれたら、と思います。