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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年6月10日日曜日

食べられないそばと、大好きなカレーの話


私、何でも食べます。ですが唯一食べられないもの、というか食べたらえらいことになる食物があります、そばです。
私、そばアレルギーなのです。
幼き頃は、アレルギー症状もえげつなく酷かった。
食べると、全身から発汗し、体中が非常に痒くなります。そして口内奥から口中、唇まで痛痒くなり、唇は腫れ上がり高級たらこ唇と化しました。そして声帯が麻痺したのか声が出なくなって、泣くしかほかありませんでした。
そんな時、きまって兄が私をおぶり症状が収まるまであやしてくれたのを憶えています。
でも父は酷かったなぁ、好物というか、外食はいつもざるそばでした。いや、たぶん一番安かったからでしょうね。だから父と二人で出かけて、外で食事をとる時はきまってざるそばでした。父も私の症状はもちろん知っていました。でも昔は、そんなもん、食って治せという事でしょうか、また私も卑しん坊でしたので食べました。そして外食した日はいつも泣きながら帰っていました。
因みに自分でそばアレルギーと納得したのは、高校の修学旅行の時でした。修学旅行先は長野県熊の湯スキー場でした。宿泊先のホテルの売店でお土産を物色していて、何気にまんじゅうを試食した処、痒みを覚えました。内容物を見てみるとそばが入っていたのです。それからもう一つ、野沢菜の漬け物を食べた時、ぴりぴりとした軽い痛みを感じました。やはりそばが入っていました。そんなワケで、『俺、そばあかんねや』と納得した次第です。

長い前振りとなりました、スイマセン。
ですので私、そば以外、なんでも食べます、食べられます。
私の辞書にないのが
『食わず嫌い』です。というか食うことに関してはめちゃくちゃ好奇心が旺盛なのです。

そして、好きな食物なら毎日食べても飽きないのです。
学生の頃、野々市町に行きつけの飯屋がありました。友達は誰も不味いといって寄りつかない飯屋でした。でも私は、特に不味いと評判の焼きめしの大盛りが好物で、よく食べました。
八角中華皿の上に、丼をひっくり返して盛った山盛りの焼きめし、そしてその上には半熟の目玉焼きが鎮座していました。いやぁもう貧乏大食漢の私には大変なごちそうであったのです。

そして大阪で働いていた時は、外出時の昼食は、決まった店のカレーかラーメンでした。ほんと食べ飽きるということがないのです。

今は、MaxValueのボリューム満点弁当です。他のチームメイトは、量が多そうといいますが、いや全然です。ものの数分で食べきります。ほとんど飲み込むようにして食べるのです。

先日、チンをしてすぐに食べられるカレーが弁当コーナーに並んでいました。
私、カレー(とスパゲティーとラーメンと牛丼とクラムチャウダーと・・・やっぱりなんでもでした)が大好物なのです。いやぁ飛びつきました。
買って、MaxValueの西角にある飲食コーナーに座るや否やラップをほどいてそのまま食べようとしたほどです。一緒に食事をとったチームメイトから、レンジでチンすることを勧めて頂き、冷静になってそうしました。
ルーは具がほとんどなかったですが、辛口の旨い味でした。ぺろっと食べきりました。
翌日以降もカレーを期待しているのですが、以後カレーは並びません。
MaxValueさん、どうぞカレー並べて下さいね。

私、大阪に滞在中は、仕事帰り、時たま仲間とインド料理、メキシコ料理、イタリア料理を食べに行きました。そうスパイシーな料理が好物なのです。
そんな中で、ある一件のインド料理店で目から鱗が落ちる体験をしました。
1985年、阪神タイガースの後にも先にもあの1回だけとなった日本一、そのリーグ優勝に沸き立つ道頓堀で一人悲劇を被ったものがいました。道頓堀川に掛かる戎橋の南西の袂、道頓堀の入り口にあったケンタッキーフライドチキン道頓堀店のカーネルサンダースです。
私、あの大騒ぎを目撃した一人です。リーグ優勝時も日本一の時も、夜通し飲み歩き、最後は梅田から御堂筋を南下して戎橋の騒ぎの輪に入っていました。

あの今は無きケンタッキーフライドチキン道頓堀店が一階に入った飲食店ビルティングのn階フロアにあったインド料理店です。
メニューにグリーンカレーなるものがありました。それまでカレーといえばカツカレーの大盛りしか知らない私でしたので、グリーンカレーなるもの食えるンかっ!とも思いましたが生来の好奇心が福を呼び込んでくれました。
銀の円筒形の皿に緑色をしたペースト状の食物が入っていました。
食すと、旨い!しか発せられませんでした。
初めての感動体験から四半世紀以上経っていますので、あの時の感動を文章で表現することは今となっては叶いませんが、でも本当に旨かったのです。
こんな旨い食べ物がこの世にあるのか、ときっとその時思ったに違いありませんでした。そして、その後もその店のそのグリーンカレーを何度も食しました。

時が経って、家族を持ってから、ふと子供らに美味しいカレーを作ってやろうと思い立った時、このグリーンカレーを思い出しました。
書店でインドカリーの本を買い勉強しました。
そして食材店で、スパイスを6種類ばかし購入し、後はタマネギとほうれん草、ホイールトマト、かしわを購入し、いよいよグリーンカレー作りに着手しました。

まずは細かくみじん切りしたタマネギを深鍋でしっかり黄金色になるまで炒めます。
ずっとしゃもじでかき混ぜ続けなければならず、ちょっとした重労働です。
ほうれん草は、湯がいてミキサーでペースト状にします。
そしてスパイスを調合(もちろんええ加減です)し、ホイールトマトとかしわスープと牛乳を加えた深鍋に続けて放り込みますと、えも言われぬ芳香がワッとたちあがりました。
そしてスープの量が半分以下になったところでペースト状のほうれん草を加えますと、鍋の表面が一気に緑色と化しました。
でけた~!
喜び勇んで盛りつけて、子供らに食べさせますと、
一同
まず~!
という感想
私には、至福の記憶を呼び覚ますには十分な味でありましたが、
甘口で、しっかりと旨みの効いた妻のカレーに慣れた子供らの口には、初めての異様な食物であったのでしょうね。

まぁいつか、子供らに(もしかしたら孫達に?)本当に旨いカレー作ってやれたら、と思います。

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