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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2026年6月24日水曜日

「戦争」は悪か。

沖縄戦に思いを馳せるなら、戦争末期、交戦国の圧倒的な戦力になす術もなく敗走を続けた日本軍の統帥部であった軍部、そして日本政府が取った最終手が最悪手であったことに目を向けるべきであろうと思います。

その手とは、日本本土決戦を構想し、「一億玉砕」、日本国民は軍民を問わず、名誉を重んじ潔く死ぬことをスローガンに掲げ国民に強いたことです。

沖縄戦は、1945年4月1日のアメリカ軍による沖縄本島侵攻から始まりました。沖縄は島の姿を一変するほどの艦砲射撃に曝された上に、上陸したアメリカ軍大部隊の圧倒的な火力、戦力、物量によって生き残った日本軍の兵隊と沖縄県の民間人は島内の敗走を強いられます。そして同年6月23日、すでに霧散霧消と化した沖縄諸島を守備する部隊の司令部が自決するに至り組織的戦闘は終結したと記録されます。この記録された組織的戦闘の終結日である6月23日に、現在、沖縄戦没者追悼式が挙行されています。

しかし、司令部は自決に際し、次の一文を最後通達した命令に加えました。

「諸子よ、生きて虜囚の辱めを受けることなく、悠久の大義に生くべし」

この命令が呪縛となり、生き残った兵隊や沖縄の民間人は、投降し捕虜になることを互いが許さず、女性、子ども、病人、老人までもが死を強制されることになったのです。そして人々は、病人や子どもを殺し、自らを手榴弾や身投げによって殺しました。この底知れぬ地獄絵図が、沖縄戦を更に悲惨な記憶として、特に沖縄の人々の中に今も語り継がれているのだと思います。

「戦争」は悪か。

2022年2月24日に、演習と称してウクライナ国境に集結したロシア軍の大群は、一斉にウクライナへの侵攻を開始します。ミサイルを首都キーウを始め主要な都市に打ち込み、甚大なる被害をウクライナに与えます。しかし、圧倒的な戦力差を誇るロシア軍に対して、祖国を守るという志で志願兵となった国民の力によってロシア軍の侵攻を食い止め、更にウクライナを支援する多くの国の支援を受けて、今日現在も侵略するロシア軍と交戦を続けています。このウクライナ国民の戦いを、誰が悪と云えるでしょうか。それは唯一、ロシア軍の統帥者であるプーチンとその一味、そしてプーチンに加担する数カ国の統帥者だけでしょう。

「戦争」は悪か。

昔も今もこれからも、「戦争」は悪なのかどうか、私は自問し続けるだろうと思います。

「戦争」は手段であり、道具であるに過ぎないからです。問われるべきは、「戦争」を手段に用いる、道具として使用する、そして人命を毀損することも厭わない人間が、昔も今もこれからも、人間界から生まれ続けるだろうということです。簡単な話、一人のカリスマが現れれば、私たちは熱狂し、崇拝し、カリスマ指導者のただの手足となって、喜んで従うことになってしまうだろうし、また人間社会に影響を与える新たな思想や宗教が生まれれば、思想対立や宗教対立が始まって、それぞれが我々の思想や宗教の影響力を高める為に、配下の人間に更なる迎合を強い、そして全体主義化を招くことになるでしょう。

「戦争」は悪か。

今日行われた沖縄戦没者追悼式で、高市首相のスピーチが始まるやいなや、テレビでもしっかり聞こえる、「戦争をするな」とか「9条を守れ」というシュプレヒコール、怒声、ヤジが起こりました。その大合唱に、私はだいぶ苛立ちを覚えました。私が厳粛な面持ちになって、戦没者に思いを馳せ、追悼しているというのに、台無しにされた気分になったからです。高市首相のスピーチの骨子は「平和実現へ不断の努力を重ねていく」というもので、また沖縄県民に対して誠実なスピーチであったとも思います。

私たちの国「日本」の憲法は、前文で

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意した。」と決意の宣言を述べています。9条は、「平和を愛する諸国民の公正と信義」の裏書きがあってこそ平和が実現出来るという他力本願的性質を帯びた条文であるとも言えると思います。

私たち日本は、敗戦の後、戦勝国の占領を受けた後、民主国家として歩み出して以来70有余年あまり、武力を伴う戦闘行為を行った事がありません。自衛隊は、戦闘最中の紛争地に出向いても、武器さえ携行せず、命の危険さえ顧みずに、戦闘で荒れ果てた町の戦後復興の為の活動に尽力しました。近隣国の度重なる挑発行為にも、領空領海侵犯にも、自衛隊は盾の役割から逸脱することはありません。それは他国の軍隊の規範からは有り得ないほど命をかけた自制的、犠牲的な行為となってしまっています。

今をそして未来において、日本の国民、そして領土が戦争で傷つかない様に、そして他国の国民、そして領土が戦争で傷つかない様に、この一国では決して成せない大望を実現し、それを持続する為に、まず日本の国民は、自らの憲法を見直す必要はあるし、大望を共有する国々と関係を大事にして、互いに守り合う関係を一つ一つ確実に広げていき、やがては世界中の国々が大望を共有し持続できるように、努力をしなければならない。それはきっと高市首相も、同じであろうと思います。それが「戦争をしない」ための唯一の道筋ではないかと思います。今の人間世界では夢物語なのかも知れませんが、この思想が新たな思想となって世界中に広がれば、いつか遠い未来にでも実現できる時が来るかも知れません。誰かが信じなければ始まりません。その最初の一歩を、私たち日本人から始めてみようではありませんか。

2026年2月10日火曜日

何より大事な事は、『わたしたちの文化の礎となってきた国土を破壊させない』事ではないかと思います。

 ミュッレルは立ち上がって、

「とにかくこの戦争がドイツの国ん中でなくて幸せよ。まあ見てみねえな、あの砲弾穴の戦場をよ」

「違いねえ」とさすがのチャーデンも異議なく賛成した。


これは、小説『西部戦線異状なし』の第9章、与えられた休暇から戦線に戻ってきたボイメル君が、兵営の中で戦友と交わす会話の中の一文です。


私は、先に記した記事

「今こそ『西部戦線異状なし』を読む必要があるのではないか、と思います。」

https://harimanokuni2007.blogspot.com/2026/02/blog-post_8.html

の最後に、次のように書いて終えました。

「選択は限られています。

恭順による他力の平和にすがるのか、武力によって自ら進んで平和を獲得するのか、もしくはこの半世紀の様に国連の様な世界的な組織に加盟するか、連邦国家を形成して、集団的自衛・集団的平和維持に平和を委ねるのか……、わたしたち一人ひとりが、責任を担って、決定しなければいけないのだと思います。」


でも、何より大事な事は、『わたしたちの文化の礎となってきた国土を破壊させない』事ではないかと思います。


中世までの戦争、戦というのは、王や領主、殿様が、蓄えた金銀財宝という財力を使って、戦の専従者である武人や傭兵を養い或いは雇い、いざ戦争となれば、国境などに設定された戦場に武人や傭兵を派兵して、そこで一戦を交えて勝敗をつけるというスタイルでした。戦が終わった戦場に残るのは、切られたり突かれたり刎ねられたりして斃れた武人や傭兵の骸だけです。骸はいずれ土に還ります。毒薬でもまかれない限り、土地は破壊されることはありませんでした。

しかし近代になると、誰でも簡単に操作できる大量破壊兵器が開発されたことから、健康な臣民は誰でも徴兵して兵士に仕立て上げられるようになりました。これが大戦争を可能にしてしまいました。それでも武器を操作する人間が戦場に出向いていかなければ戦争はできません。ですから、戦争はまだ限定した戦場の中だけで行われていました。

しかし戦場の様子は一変しました。コンクリートや鋼鉄でできた頑丈な構造物さえも破壊する砲弾は、構造物だけでなく、土地をえぐり穴だらけにするだけでは飽き足らず、生き物を傷つける破片を無数にまき散らし、火薬や薬物は土地を深く汚染しました。毒ガスもしかり、地雷も然りです。そして、一度まき散らされた毒ガスや地雷は、長くその場に止まり続け、以後、何日も、何ヶ月も、そして戦争が終わった後、何年も、何十年も、それらが専門家によって取り除かれない限り、生き物がその土地に帰ることは出来なくなりました。

そして、人間はといえば、戦場に兵士として送られた臣民(市井の人々である学生や、労働者、農夫、漁師等々)は、大量に殺されるか、体に重大な損傷を受けるか、精神的な病に冒されることになり、戦争は勝っても負けても、国力の衰退を招くだけのものとなりました。

現代の戦争は、もう限度がなくなってしまいました。その始まりは第二次世界大戦です。

長距離飛行の爆撃機や長距離ミサイルが開発されたことにより、戦場は、非戦闘員である民間人、学校に通う子供や家庭を守る女性が暮らす場所まで広がりました。爆撃機が落とす大量の爆弾や遠方から発射されたミサイルが、人々が暮らす町村を、破壊し尽くせるようになりました。極めつけが核爆弾です。核爆弾は、一発で10万、百万の人間を一瞬に破壊するだけでなく、生き残った人間を死ぬまで放射能汚染で苦しめます。そして核爆弾を落とされた土地は、放射能に汚染され、何十年、何百年、放射能が減衰して生命に危険でないレベルにまで下がらぬ限り、その土地に生き物が帰ることは出来なくなりました。

日本は、第二次世界大戦末期、敗走の軍隊を尻目に、戦争遂行者である為政者は、本土決戦を決め込んだことから、国内の主要な都市や町々は空襲に晒される事になりました。その結果、80年が経過した今も、地中に眠る不発弾の脅威から逃れることは出来ません。原爆を投下された広島と長崎は、何十万という民間人が殺されただけでなく、放射能に犯された人々は以後、何十年も苦しみ続けました。現在の核保有国が保有する核ミサイルよりも千分万分の一ほどの威力しか無かった核爆弾であったことが、放射能汚染の影響が長引かずに両都市は見事なほどに復興を果たしましたが、それでも長く、人々は云われなき差別に苦しまれても来ました。

第二次世界大戦以後に起こった数々の紛争では、戦後も毒ガスや何千万と埋設された地雷に、市井の人々が被害に遭い続けています。そして現在、ロシアの侵略で始まった戦争ではウクライナ国内が戦場となり、歴史あるウクライナの町が破壊されています。戦場には今も地雷が撒かれ続けています。

2011年に始まったシリア内戦では、古来からオリエントの真珠と称された美しい都市ダマスカスは廃墟と化しました。

1948年に建国されたイスラエルによって土地を奪われたパレスチナの人々が押し込められたガザ地区は、止まないイスラエルの砲撃や空爆によって200万人の人々が暮らしている都市は廃墟と化し続けています。強国によりライフラインが破壊され、全滅の危機に直面してます。

隣国の土地を破壊し尽くして、汚染尽くして勝者となったとして、勝者となった国の為政者は、その破壊され汚染尽くされた土地をどうするのでしょう?彼らにとっては、人間など住めなくてもどうでもいいのでしょうか?


広大な国土を有する米国、ロシア、中国でも無い限り、日本の様な領土の狭い国は、戦争になれば逃げ場がありません。国民が暮らす全ての町が破壊し尽くされることになるでしょう。戦争になれば、神代の時代から育まれてきた日本の美しい風景も文化も、すべてを失うことになるかもしれません。

ならば、日本が取る行動は、一つしかないと思います。少なくとも、この東アジアで戦争を起こさせない様に、周辺国を説得することです。

日本でも核武装論が盛んになってきましたが、万一核ミサイルを一基二基、そして十基と保有したところで、何千基何万基をを保有する核保有大国には敵いません。なまじ核ミサイルを保有すれば、いざ核戦争が勃発したらいの一番に敵の標的になってしまうでしょう。そうしたら、国土が半永久に生命が住めない場所に陥ってしまうでしょう。

列強国なんて目指さなくていいと思います。あらゆる国の人々に、信頼される国、役に立つ国、そして心を癒やすことができる国、安全な国、きれいで清潔な国、そして戦争をしない国、暮らしたいとおもえる国、友人となりたいとおもえる国になる事ではないかと思います。それが、日本を平和な国にする方法ではないかと思います。

そのためには、日本に暮らす人々全員が、目的を共有して、そのために学び、実践しなければならないと思います。

2026年2月9日月曜日

WVS分析結果「もし戦争になったら、進んで国の為に戦う意志はあるか?」を見る

 世界価値観調査(WVS、World Value Survey)という、世界の異なる国の人々の社会文化的、道徳的、宗教的、政治的価値観を調査する国際プロジェクトがあります。

日本は、WVSの第1波(1981-1984)から調査対象国となっています。

調査結果のデータや分析結果は、WVSのホームページから、個人でもアクセスできます。現在は、第7波(2017-2022)まで公開されています。

https://www.worldvaluessurvey.org/WVSOnline.jsp

第8派(2024-2026)は現在進行中ですが、日本の調査は2024年中に完了し、分析レポートが、調査を実施した電通と同志社大学の連名で、2024年12月に公開されています。

https://www.dentsusoken.com/sites/dentsusoken_default/files/2024-12/WVS8_Japan2024.pdf

調査項目中のセキュリティーの項目の中に、「もし戦争になったら、進んで国の為に戦う意志はあるか?」という質問がありました。

その質問の、日本、韓国、台湾、中国、米国、ドイツ、ウクライナ、ロシアの分析データを抽出し、グラフにして見ました。


WVSの回答数が、各国の人口に対して約1/10万(中国に至っては約1/100万)であること、また質問者をどの様に選んだかも不透明であるために、あくまでも参考、一つの傾向程度に見る必要があると思います。

でも、それにしても、日本の「Yes」の比率13.2%は、ダントツに低いです。第7派の調査実施88カ国中でもダントツに低い比率です。 ※87位のリトアニアの比率は32.8%でした。
このWVSの調査も、日本国内ではほとんど知られていないのではないか、と思います。
WVSの調査は、約五年周期で行われています。少なくとも、国勢調査並に、国民に問い掛ける、国民に周知することで、国民の意識や関心を高めることになるのではないか、と思います。

2026年2月8日日曜日

今こそ『西部戦線異状なし』を読む必要があるのではないか、と思います。

 この書は、訴えでもなければ、告白でもないつもりだ。

ただ砲弾は逃れても、なお戦争によって破壊された、

ある時代を報告する試みにすぎないだろう。


という序文で始まる小説『西部戦線異状なし』は、ギムナジウム(現在の日本でいえば大学進学を目指す中高一貫のエリート校)で学んでいた十八歳のパウル・ボイメル君が、教師の半ば強制的な説得によって、クラスの同級生二十名と共に軍隊に志願し、苛酷で残虐極まらない西部戦線で一兵卒として二年を過ごした後、1918年11月11日に連合国側の勝利で世界大戦が終結を向かえる直前に二十歳で戦死するまでを、彼ボイメル君の主観で語られた物語です。

この『西部戦線異状なし』の物語は、著者エーリッヒ・マリア・レマルクの実体験が元になっています。レマルクの本名は、エーリッヒ・パウル・レマルクで、ミドルネームがパウルです。レマルクは実際にギムナジウムで学んでいた十八歳の時に軍隊に志願し、西部戦線で戦闘を経験し、塹壕戦の最中に榴弾の破片で重傷を負い、二十歳で終戦を迎えるまで病院で長期療養を経験しています。

レマルクの実体験が、ボイメル君の体験を迫真のものにしています。

特に、前半に描かれる塹壕戦・砲撃戦の描写や、後半の斥候中に遭遇して短剣で刺した敵兵ジェラール・デュバルがゆるゆると死にゆく様の描写、そして榴弾の破片で重傷を負ったことで収容された病院内の描写は、まるで臭いまで漂ってくる様でした。とても重苦しい追体験となりました。

沢山の印象的なシーンの中で、特に印象的な二つのシーンを書き記します。

一つは、西部戦線に新兵として出兵して二年が過ぎ、戦地に生き残る八名の同級生の一人、クロップとの会話です。

「僕らはもう戦争のお陰で何をやろうとしても駄目にされちゃったんだね」

「僕らはもう青年でなくなった」

「僕らは十八歳であった。この世界と生活とを愛し始めていた。しかるに僕らはその世界と生活とに向かって鉄砲を撃たなければならなかった」

「僕らは仕事と進歩というものから、まったく遮断されてしまった。僕らはもうそんなものを信じてはいない。信じられるものは、ただ戦争あるのみだ」

もう一つは、刺したジェラール・デュバルが半日も喘鳴を洩らして後死んだ後に訪れた沈黙に耐えきれずに、死んだデュバルに話しかけた言葉です。

「おい、戦友、僕は決して君を殺そうとは思っていなかったんだ。

君は僕にとっては、初めただ敵という観念だった。一つの抽象だった。それが僕の頭の中に働いて、殺そうという決意を呼び起こしたものだ。僕はこの観念を刺したのだ。今になって初めて僕には分かった。君だってやはり僕と同じ様な人間であることが。」

これらのシーンは、十八歳、これから未来に向かって歩みだそうとしていた、そして、まだ何者でもなかった少年が、戦場での壮絶な体験によって、殺し殺される為だけに生きる存在に陥ってしまったことを強く印象付けました。

この物語のエピローグを書き記します。

「ここまで書いてきた志願兵パウル・ボイメル君も、遂に1918年の10月に戦死した。その日は全戦線に渡って、きわめて穏やかで静かで、司令部報告は『西部戦線異状なし、報告すべき件なし』という文句に尽きている位であった。ボイメル君は前にうつぶして倒れて、まるで寝ているように地上に転がっていた。体を引っ繰り返してみると、長く苦しんだ形跡はないように見えた……あたかもこう云う最期を遂げることを、むしろ満足に感じているような覚悟の見えた、沈着な顔をしていた」

この一文は、一兵卒の死に対する無情さと、レマルク自身の戦死した戦友に対する憐れみと慰めを記したものではないかという印象を覚えました。


近代ヨーロッパで起こった初めての大戦争(第一次世界大戦)は、ありとあらゆる大量殺戮兵器(飛行機を利用した爆弾投下、殺傷能力の高い砲弾、地雷、毒ガス、戦車など)が開発され、戦場に投入され、相対する国の境に掘られた塹壕線には、半強制的に志願させられた、また強制的に徴兵された十八歳以上の少年や、働き盛りの青年や家庭の家長が次々に、無闇に送り込まれて、ただただ死者と一生を台無しにする傷を負わされた負傷者だけが増え続ける有様であった様です。

ドイツは、戦争を主導した帝政が敗戦濃厚にして民衆の革命によって倒されたことで敗戦が決定し、その後の戦後処理で莫大な賠償金を課せられたことで、ドイツの民衆の被害者意識や憤り、戦勝国への憎しみは相当なものに膨れ上がったのだと想像します。その被害者意識、憤り、憎しみが、後に頭角を現したヒトラー率いるナチス党のドイツ人種至上主義に飲み込まれ、ヨーロッパ・ユーラシア大陸の征服とナチスが下等人種と見なしたユダヤ人やロマ人の殲滅行動に向かわせたのだと想像します。

方や戦勝国となったフランスや英国も、ドイツと同様に膨大な人的損害を被ったことで、厭戦気分が蔓延し、それがヒトラー率いるナチスドイツの強大な軍拡化を許してしまった理由だとも云われます。


1991年12月にソビエト連邦が崩壊し、新たに誕生したロシアとの融和を図り、軍備縮小に動いたヨーロッパでは、長らく維持してきた徴兵制度を停止する国も現れました。ドイツも2011年に徴兵制度を停止しました。

しかし、2000年にロシアの大統領に就任したプーチンが、以後26年に渡りロシアを支配し続けて、2010年以降は旧ソビエト連邦支配下の国々への再びの支配欲を露わにし、遂にはウクライナから2014年にはクリミア半島を略奪し、2022年にはウクライナ全域を支配するために軍事侵攻を始めるに到りました。

それによってヨーロッパのロシアの脅威が決定的となって、再びヨーロッパは軍拡へ舵を切りました。ドイツも徴兵制度復活に向けて、今年から新たな兵役制度を導入しました。来年からは十八歳以上の男子に徴兵の為の医療検査が義務付けられることになるようです。

誰しも平和は享受したい。どの国の国民も平和であってほしいと願っています。

1945年に設立された国連が機能し、国連が主導する安全保障会議の決定を、すべての国が従うのなら、その平和の願いも叶うでしょう。そして極論をいえば国連加盟国に軍隊など必要では無くなるでしょう。

でも、実際のところは、国連という組織が設立された当初から、特に常任理事国である、現在の米国、ロシア、中国、英国、フランスの身勝手な核武装や軍備拡大、更には他国への軍事侵攻という蛮行は、なくなることはありませんでした。

そして遂には、常任理事国が主導した国際法を破ることさえ大国は厭わなくなりました。これは明らかに、これまでの半世紀とは違う、新たな乱世の時代の幕開けです。


『汝平和を欲さば、戦への備えをせよ』

これは古代ローマ時代の格言ですが、近代まではヨーロッパでも、アジアでも、そして日本でも常識であったのだと思います。大河ドラマに度々登場する日本の戦国三英傑、信長・秀吉・家康も必ず戦の前にこう宣言しますね、「戦のない(つまり平和な)世の中にする為」と。

第二次世界大戦後の日本は、敗戦と苛酷な戦時の記憶から国民の中に厭戦気分が広がって、かつ、連合軍の占領支配中に新たに発布された日本国憲法で『戦争の放棄』を日本の是としてから、曲がりなりにも武力を他国に対して一度も行使したことはありませんでした。

でも、実際のところは、日本を支配し続けている米国の軍事力の影響が外にも働いて、それがソ連や中国、北朝鮮からの軍事的脅威から日本を守り、この80年近く日本人が平和気分を味わえた根本的な理由ではないかと思います。

しかし、日本が頼りに頼っている米国が100年以前のモンロー主義(トランプがドンロー主義と言い換えている保守主義、孤立主義)を再び掲げて、南北アメリカ大陸を中心とする西半球のみを支配する帝国主義の政策に傾けば、日本を覆う米国の軍事力という傘は、気付いたら無くなっていた、という様な事態が近い将来に訪れることになるかも知れません。

その時になってはじめて右往左往し、無闇に軍拡や強国路線を掲げる為政者の煽動に、国民が煽られて熱狂して、闇雲に進んでいくようなことになれば、それは、戦前の日本と同じ様に、また戦前のドイツの様に、滅ぶまで、国民の命が無闇に消費されてしまう事態に陥ってしまうかもしれません。わたしたちが、そしてわたしたちの子や孫が、パウル・ボイメル君になってしまうかもしれません。

わたしたちは、今すぐにでも気付き、わたしたち一人一人が、責任を担って、日本のこれからの平和を求める在り方を、決定しなければいけないと思います。

選択は限られています。

恭順による他力の平和にすがるのか、武力によって自ら進んで平和を獲得するのか、もしくはこの半世紀の様に国連の様な世界的な組織に加盟するか、連邦国家を形成して、集団的自衛・集団的平和維持に平和を委ねるのか……、わたしたち一人ひとりが、責任を担って、決定しなければいけないのだと思います。

2025年11月20日木曜日

中国政府に対して、一介の日本人からの意見です。

 NHKで今朝放送された海外ニュース番組の中で、香港のニュース番組が伝える内容には、笑いが込み上げてくるほどの驚愕を覚えました。

香港のニュースは、 11月7日に衆議院予算委員会の質疑の中で、高市早苗首相が岡田克也立憲民主党衆議院議員からの質問に答えた答弁の内容の中で、高市首相がまだ首相ではなかった一年前の総裁選選挙で述べた『中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言された』ことについて、「(当時)どういう場合に存立危機事態になるとお考えだったんですか」という質疑に対する答弁内容を、歪曲するだけでなく日本を貶める虚偽を交えて伝えていました。そして中国の情報戦に対して鈍重な日本政府を尻目に、中国政府は中国国民に対して、また国連加盟国に対して矢継ぎ早に日本を貶める行動を行う様子を知りました。

中国政府は、十億の中国人に対して、日本では中国人が暴力を受けているなどというデマを報道し、渡航を中止するように勧告を行うと同事に、日本との貿易を停止する措置を執り始めています。また世界に向けては、中国の国連大使が国連加盟国に対して「日本が再び軍国化に動き出した」と80年前の映像を利用しながら日本の暴力性・残虐性を訴えていました。

ニュースの中では、日本は国連(正確にはUN)に軍事力を持つことも集団的自衛権も禁止されている(これは敗戦後のアメリカ軍を中心とするUNに占領されていた時代の話です。日本は1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効したことで主権を取り戻し独立国家となりました。)と伝えられ、また『日本の軍国化』を脅威と感じるかという国連加盟国に対して行ったとされるアンケートで90%を超える同意があったとも伝えていました。この様な虚偽のニュースを、香港の公共メディアが香港人に報道していたのです。


私は日本のメディアが切り取って報道した高市首相の『台湾有事は日本の存立危機事態になり得る』という発言には、どちらかと云えば賛同していました。というか、『存立危機事態』を勝手に、小松左京が「日本沈没」で描いた様な、大災害を含めて、当然に侵略戦争も含めて、日本が一国として立ち行かなくなる事態、一国ではなす術もなくなった事態と解釈をしていました。しかし、存続危機事態を設定した『武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律』が《定義》第二条で定義した存立危機事態は、

『我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。』

と書かれています。最初の一節の文と、その後の文の間に、とてつもない空白があるように感じます。いや、あります。その空白を埋める文は、それぞれの思想や信条によって大きく異なるだとうと想像します。

そしてそれに続く、《武力攻撃事態等及び存立危機事態への対処に関する基本理念》第三条では、

『存立危機事態においては、存立危機武力攻撃を排除しつつ、その速やかな終結を図らなければならない。ただし、存立危機武力攻撃を排除するに当たっては、武力の行使は、事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない。』

こちらも、武力行使に対する制限があるのかないのか、あるとしてもそれはどこなのか、これも、それぞれの思想や信条によって大きく異なるだとうと想像します。


私が、11月7日の質疑・答弁の中で特に気になった箇所を下記に書き出してみます。

※参照したWEBページです。

武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律

https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000079

11/7 予算委員会質疑(総理の外交基本姿勢、存立危機事態、在日米軍基地からの直接出撃、川崎重工事件)

https://www.katsuya.net/topics/article-10543.html


〇岡田委員

『高市総理、一年前の総裁選挙でこう述べておられるんですよ。中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言されました。

私も、絶対ないと言うつもりはないんです。だけれども、これはどういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか。』

〇高市内閣総理大臣

『台湾をめぐる問題というのは、対話により平和的に解決することを期待するというのが従来からの一貫した立場でございます。

その上で、一般論として申し上げますけれども、今、岡田委員も、絶対にないとは言えないとおっしゃっておられました。いかなる事態が存立危機 事態に該当するかというのは、実際にその発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならないと考えております。』


〇岡田委員

『どういう場合に存立危機事態になるのかということをお聞きしたいんですが』

〇高市内閣総理大臣

『これはやはり他国に、台湾でしたら他の地域と申し上げた方がいいかもしれませんが、あのときはたしか台湾有事に関する議論であったと思います。台湾に対して武力攻撃が発生する。海上封鎖というのも、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて対応した場合には武力行使が生じ得る話でございます。

例えば、その海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかのほかの武力行使が行われる、こういった事態も想定されることでございますので、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。』


〇岡田委員

『台湾有事は日本有事。ここで有事ということの意味がよく分かりませんけれども、何か非常に軽々しく私は問題を扱っているんじゃないかというふうに思うんですね。』

〇高市内閣総理大臣

『最悪の事態を想定しておくということは非常に重要だと思います。

先ほど有事という言葉がございました。それはいろいろな形がありましょう。例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。』

高市首相は、ただの一介の政治家であればよかったと思います。この日本では、どんな信条でも、自由に述べる権利を有しているからです。ただ、今は首相です。首相は、外から見れば一国の元首です。元首の言葉は、日本の意志と取られます。自分の信条など心の内に収めて、決して表に出してはいけないと思います。それが、国民の国益に反するならば尚更です。日本の首相、日本の政府が取るべき行動は、ただ一つです。この東アジアで紛争を起こさないことです。それが、日本国民の利益に繋がり、近隣諸国の国民の利益にも繋がります。何より、命を失う危機は、絶対に避けるべきです。そして、仮に想像のもとに脅威を国民に訴えるにしても、固有の国名を出すのは、絶対にしてはならないと思います。この中国を例えた発言は、誠意を持って撤回すべきだと思います。


そして、私が一番同意したのは、それは岡田議員の次の発言です。

『有事がもし発生した場合に、例えば近隣の国々、非常に私たちにとって大事な国々です、あるいは地域も含めてですね、そういうときに大量の避難民が発生する、恐らく数十万、数百万の単位で発生するということになります。それを無事に移動させて日本が引き取るということも極めて重要だと思うんですね。ウクライナ危機のときに、ドイツを始めとするヨーロッパの国々が避難民をしっかりと受け止めたということですが、同じようなことが起こる可能性がある。そのとき に日本自身が武力行使をしていたら、そういう活動にも極めて差し障りが出てくる可能性が高いですよね。

そういうこともトータル含めて、やはり存立危機事態の認定、武力の行使ということは慎重に考えていかなければいけないと私は思うんです』


以下は、私自身の考えです。

私は、台湾を一つの独立したデモクラシー国家であると認識しています。朝鮮半島にある韓国と同様、沖縄諸島から目と鼻の先にある台湾は、日本にとって歴史的にも深い繋がりがあって、現在では同じ東アジアのデモクラシー国家として、あらゆる面で助け合い協力し合える真の友人の様な国家同士になれればとても嬉しいなと思っています。それは安全保障の面でも同様です。しかし、安全保障の面を考えるなら、現在の東アジアで最大の軍事力と経済力を保持しているのは中国です。中国を抜きにして、この東アジアの安定も平和もそして発展も考えることなど出来ません。この地球上で最大の軍事力と経済力を保持しているのはアメリカです。日本、韓国は安全保障の条約でアメリカと深く結びついているために、中国は日本、韓国を脅かす事は出来ても、現在のところは武力を使って日本、韓国を攻撃することは、想像しても、現実には起こらないと思います。では台湾はといえば、台湾(中華民国)はそもそも国連の創設メンバーであり、国連安保理の常任理事国の座についていました。それが、1971年10月25日に中華人民共和国が長年訴えてきた中国代表権問題の議決が行われ、中華人民共和国が国連安保理の常任理事国と見なされた。そして蒋介石が国連から追放され、これに抗議する形で、中華民国は国連を脱退したと事典には書かれています。台湾(中華民国)も、国連(UN)に翻弄された歴史を持っているんですね。まだ何も学んでいないので明確な考えを述べることはできませんが、当時の時代を想像し、小国の軍事政権国家で最貧国の一つでしかなかった中華民国と、最貧国ではあるが広大な国土を有し人口も多い共産主義国家である中華人民共和国の方が、欧米にとってビジネスを開拓するフロンティアに思えたのではないかと想像します。それが為に、一つの中国を主張する中華人民共和国を、国連のメンバーとして残したのではないかと想像します。それに中華人民共和国はソ連と繋がりがあって、その頃にはもう原爆を手にしていたのかもしれません。原爆は、今も昔も、人類滅亡の最大の脅威であり、それを持つ者は、この地球上で特権が与えられるのかもしれませんね。

そして中華人民共和国(以後、中国と記述します。)、中国は最古の文明発祥の地であり、何千年も前からユーラシア大陸の諸国諸地域に、様々な影響を与え続けてきましたね。日本は、伝来した仏教、道教、等々から智慧を学び、伝来した最先端技術などを礎にして日本文化を開花させていきました。日本にとっても、中国は脅威であると同事に憧れの地であり続けました。丁度150年前、日本は近代の西欧文明に触れ、急速に西欧化を図りました。それとは反対に中国、当時の清は欧米のビジネスの食い物にされていました。西欧化を果たした日本は、東アジアの安定を図るという使命を抱きながら、同事に欧米に負けマジと欧米のように傲慢な態度で東アジアの国々に接し、遂には侵略行為に走ってしまった。それが第二次世界大戦の敗戦に繋がり、東アジアの国々に汚名を残すことになってしまったのだと思います。しかし、日本の、というか、市井の日本人の本音は、東アジアの安定と、平和の享受、そして文化や商業の発展により、心も財布も豊かになることではなかったかと思います。日本人は、森羅万象に対して畏怖の念を抱く民族であるとともに、聖徳太子の時代から『和を以て為す』を信条としてきた民族です。ですから、他民族を理由なく無慈悲に蹂躙する民族では決してありません。ただ、『和を以て為す』という信条が『長いものには巻かれろ』という様な従臣意識に抗えないという欠点も有しています。それが、近代、現代の日本の停滞のそもそもの原因を為しているのかもしれません。

中国は、共産主義の看板を下ろしてはいませんが、実質的には日本と同じ、ポピュリズムの国家です。権力者は権力を維持するために民衆に迎合します。但し、中国はあまりも国土が広く、十億を超える様々な人種、宗教、背景を持つ人民を擁する為に、本来、共産主義では有り得ない強固なヒエラルキーが存在する国家でもあります。そしてすべての人民が享受できる利益を説くことなどできないために、国家の敵を創り出し、不満を外敵に仕向ける国策を常に採り続けてきました。それが、東アジアでは、日本であり、台湾です。

そして、もっと大きな敵はアメリカです。アメリカも日本も台湾も、いわば中国政府が創り出した、存在しない脅威です。

中国人は、現代においても偉大な人々だと思います。中国政府も同様です。途方もない国土と人民を有しながら、この30年でアメリカに次ぐ、大国へと成長しました。

中国政府が、もっと中国人民を信じて、中国人民の人権と自由を保障するような国家に変貌すれば、そして近隣の諸国とも和を以て為すという王の気風で接してくれれば、東アジアの安定の基軸となるだけでなく、この地球上で一番称賛される国家となり得ることも可能ではないかと思います。

今こそ、アジアの諸国に対して、脅しではなく、和で迎え入れ、アジアの、更にはこの地球上の平和と安定、更には国連を主導し、他地域の紛争の解決を図ると共に、地球温暖化などの人類全体に影響する危機に対して、率先して行動するリーダーへと変貌してくれたらと願います。


追伸。

妻と、神戸森林植物園に出かけました。紅葉が真っ盛りでとても美しかったです。

園内では、韓国語や中国語を話す若い人たちや家族連れを見かけました。皆さん、とても穏やかな笑顔で紅葉を楽しまれていました。これこそ、私たち人が、望んでいるものではないかと思います。互いに笑顔で、美しい自然の風景を眺め楽しむという至福の時間を持つことです。



2025年11月17日月曜日

世界を善い世界に変えていくために

 日曜日の夕方は、大河ドラマと時代劇の二本立てお楽しみ時間です。そして現在放送中の時代劇は、沢口靖子さん主演「小吉の女房2」(再放送)です。昨日 放送のあった「第四回 麟太郎、ナポレオンと出会う」では、風間杜夫さん扮する豪放磊落な隠居老人が、若き勝麟太郎の「何故にナポレオンはフランスの王になれたのか?」という問いに対して『ナポレオンは、胆力と知識を持っていたからだ』と答えていたのが、とても印象に残りました。

胆力も知識も、一朝一夕に身に付くものでは無いし、暗記学習で身に付くものではないですね。それこそ、諦めず、我が身を奮い立たせ、鍛え続けてこそ身になるものだと思います。この胆力と知識に、善の心が伴う人があれば、その人は、私が望む、世界を善き世界に変えてくれるリーダーです。

以前はひとりいました。日本人の中村哲医師です。アフガニスタンで30年もの長き間、貧困にあえぐ人々が自力で生活再建出来る様に、人力で農業用水路を作るという途方もない人道支援活動に精も根も尽くし続けた人でした。

昨日、もうひとりいたことに気が付きました。その人は、パレスチナ人のイゼルディン・アブラエーシュ医師です。

昨日、龍野公園の紅葉を観に行こうと歩いて龍野橋を渡ろうとしたとき、橋の東のたもとにあるラーメン屋さんの表に張り出されていたポスターに目が留まりました。立ち止まってじっくりと読むと、それはドキュメンタリー映画「私は憎まない I shall not HATE.」の上映告知でした。

「私は憎まない」上映会

日時:11月29日(土) 10時・14時・19時 の3回上映

大人:500円 18歳以下 無料

会場:教覚寺 姫路市林田町口佐見31

それで思い出したんです。以前ニュースで見て、気に留めていたことをです。

アブラエーシュさんは、私たち現代の日本人では想像すらできない悲嘆を経験されています。

1955年にガザのジャバリア難民キャンプで生まれたアブラエーシュさんは、イスラエルによる終わらない攻撃と貧困の渦中で、知識を身に付ける事で、この境遇から逃れられると信じ勉学に励み、大人になってイスラエルの病院で働く初めてのパレスチナ人産婦人科医となりました。そこでは肌の色、民族、宗教、様々な背景に関係無く、数千人近くのパレスチナ人、イスラエル人の赤ちゃんの誕生に携わってきました。その経験からアブラエーシュさんは「命の重みは同じだ」「赤ちゃんは生まれたときはみな自由で平等だ」ということを確信されました。そして、対立はきっと乗り越えられると信じて、産婦人科医の仕事を続けていました。

しかし2008年に起きたハマスとイスラエル軍の紛争で、ガザに侵攻したイスラエル軍の無差別攻撃で自宅が砲撃され、医者を目指す20歳のビサーン、医者を夢見る15歳のマイヤール、人権の擁護者になる夢を抱く14歳のアーヤ、そして17歳の姪ヌールの四人を目の前で虐殺されます。これ以上無い悲嘆な経験をされたのに、アブラエーシュさんは翌日 メディアの前で、憎しみではなく、和平と共存への願いを訴えられました。

「パレスチナ人とイスラエル人は平等な市民として共存するしか道はない。私たちはそう声をあげるべきです」

アブラエーシュさんはその後も、世界各地で講演を行い、報復ではなく対話を呼びかける運動に身を捧げられています。また、2010年には、夢半ばで亡くなった娘たちを忍び、中東の若い女性に高等教育を提供する慈善団体を設立されました。学び続ける事で女性たちが力も持ち、中東地域の変革の担い手となってほしいという願いが込められているそうです。

https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10014623561000

NHKニュース記事「憎しみには飲み込まれず共存を訴え続ける ガザ出身医師の誓い」は、昨年2024年10月に、アブラエーシュさんの生涯を描いたドキュメンタリー映画の公開に合わせて来日されたときのインタビュー記事です。私はこのインタビュー記事から一部引用させて頂きました。

今年7月に日本語訳が刊行された、スウェーデンのルンド大学人文地理学部准教授で社会主義活動家であるアンドレアス・マルム氏が2024年に出版された「パレスチナを破壊することは、地球を破壊することである The Destruction of Palestine is the Destruction of the Earth.」を読んでいますが、アブラエーシュさんとは真逆の主張が述べられていました。

南アフリカのアパルトヘイトに抗い武装闘争の戦士となったことで27年間投獄された経験を持つネルソン・マンデラ氏が1999年1月にパレスチナを訪れた際、パレスチナの政治家に語った言葉です。

『対立よりも平和を選びなさい。但し前進できないとき、前に進むことができないときは別です。そして、もし唯一の選択肢が暴力であるのなら、私たちは暴力を行使するのです』

この言葉についてマルム氏は、

「ノース(経済的に豊かな欧米諸国)の植民地政権が、先住民や輸入奴隷がいるところに入植者を移住させ、彼らを追い出し、搾取し、絶滅させるとき、頸木を振り払って最低限の自由を手にし、生存を確保せんとする彼らの試みが入植者に立ちはだかるのだ」と述べています。

また、「偽善的な道徳主義、勝者しか手に入らない倫理的な自己満足に浸りながら、私たちは(占領者であるイスラエルに対してのパレスチナ人の)武装闘争を糾弾しなければならないと要求してくる人々には、こう答えるべきだ。あなたはパレスチナ人に何を求めるのですか?地に倒れたまま、黙って死ぬことを学んでほしいとでもいうのですか?」

「武装闘争とは、他に呼吸する空気が全く無くなったときの最後の酸素チューブなのだ」

そして、「パレスチナの民族運動は、(1948年のイスラエル建国によって奪われた先祖の地であるパレスチナへの)帰還の権利(国連総会決議194号で認められている権利)を要求している」と述べています。

私は、2023年10月に始まり現在も終わらないガザ・イスラエル紛争は、2023年10月7日にハマス(イスラム抵抗運動)が行った大規模な無差別殺戮を伴う奇襲攻撃(パレスチナが、トゥーファン・アル=アクサー アル=アクサーの洪水と呼ぶ攻撃。アル=アクサーは旧エルサレム市街にあるモスク。何度も過激なユダヤ教徒や福音派(キリスト教シオニスト)の外国人に攻撃を受けた。)が原因と感情的に思っていました。それは、欧米のメディアや日本のメディアから当時の奇襲攻撃の散々たる惨劇の様子を見せられたことが要因の一つだと思っています。そして私は、パレスチナの側に立ったニュースや文献にあまりにも触れてこなかったことも大きな要因であったと思います。

最近、パレスチナ側に寄せたドキュメンタリー映像や文献に触れることで、私が信じていた世界、人権・自由・平等が守られる世界という戦後の日本教育が日本人に信じ込ませようとした世界は、実際には存在しないのではないかという疑念を抱くようになりました。

結局は、人類の歴史が始まった悠久の昔から、力の強いものが、権力を握ったものが、自分の思惑通りに現状を変更していく、書き換えていく、奪っていく。そして、人権・自由・平等という理念や宗教などという思想は、その後始末として、歴史を正当化する方便でしかないのかという疑念です。

しかし、そんな疑念に抗う気持ちも湧いてきます。それもまた、人権・自由・平等という理念や宗教などという思想を守らなければという思いです。

その思い、非常にひ弱な思いですが、それを絶対に切らさないためには、私たち一人一人が、『世界を善い世界に変えていく』という命題を、自分の命題として持ち続けることだと思います。そのためにも、私たち一人一人が、胆力と知識と善い心を養うことを忘れずにいたいと思います。


2025年9月29日月曜日

ガザの戦禍を生きる人々の姿

今朝7時のNHKニュースの中で、ガザの一人の少女のドキュメンタリー映像が放映されました。映像はガザの「戦禍を生きる人々」を被写体に活動を続ける女性写真家ディナさんが撮影したものです。映像に映る少女は、ザムザムさん16歳です。十ヶ月前にイスラエルの攻撃で家族を失い、現在は親戚に身を寄せながら破壊と殺戮から逃れるための避難生活を続けています。水も食料も欠乏し、衛生状態も最悪な中で、臨時に開かれることになった学校に通うザムザムさんの姿が映像の中に映っていました。臨時に開かれた学校には、各地の避難場所から集まってきた若者たちが集い、授業を真剣な眼差しで聴き入っていました。休憩時間には、少女たちは屈託のないおしゃべりの中で、互いの窮乏した避難生活の様子や将来の夢(ザムザムさんは将来医者になる夢を語っていました)を語り合っていました。大学入試は行われるのか、試験会場まで安全に辿り着くことはできるのか、、また別の場所に避難を強いられるのか等、今の日本の若者には想像すらできない様な話題で会話が繰り広げられていました。

撮影したディナさんは、今年の1月に経営するスタジオがイスラエルの攻撃で破壊されるまではフォトウェディングのカメラマンとして、戦禍の中でもガザの若者の幸せな瞬間を撮り続けていました。しかし今、空爆や砲撃、銃撃に晒されて自らも命の危険と隣り合わせの中で、「戦禍の中を生きる人々」を被写体とするドキュメンタリー映像作家として活動を続けています。

この様子は、NHK+で、一週間観る事もできます。

タイトル「緊迫したガザ 女性写真家が記録した人々の日常」

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2025092931034?playlist_id=4a77377f-aeee-45e9-9dfd-e36b87bc531b


また、10月3日(金)23:25-0:25放送予定の

BSスペシャル 「Blind Slot 見えない”隣人”」でも取り上げられる様です。

 

2025年1月16日木曜日

震災の記憶

2020年1月に放映されたNHKドラマ「心の傷を癒やすということ」、兵庫県南部地震から30年を迎える今年1月、深夜帯でしたが再放送されたので録画をして観ました。

柄本佑さんが演じる主人公安さんが語った印象的な言葉を書き留めます。

一つめは、第3話の終盤、2000年5月、再建された西市民病院に精神科神経科医長として赴任することになった安医師が、神戸大学医学部付属病院勤務時に研修医として安医師のもとで学び、震災時は安医師と共に被災者の心のケアに奮闘された、そして現在、仕事に行き詰まっていた北林医師に、この病院でまた一緒に働こうと声を掛け、そして「心のケア」とは何かという常々考え続けている自問について話をした、その言葉です。

「僕なぁ、心のケアってなんやろってずーっと考えているんやけど

もしかしたら、一人ひとりが尊重される社会を作るっいうことちゃうかなって

それやりたいんやぁ」

そして二つめは、最終話の第4話、検査した時にはもう手の施しようがない末期癌であった安医師は自宅での終末医療を選択し、愛する家族との大切な晩秋の一日を過ごす中で、身重の妻が落ち葉拾いをする姿を目で追いながら、車椅子を押してくれる母に語った「心のケア」とはの自問の答えの言葉です。

「あぁ、心のケアってなにか解った

誰も独りぼっちにさせへんってことや」

このドラマには、震災によって家族や家や仕事という生き甲斐を奪われ、不安や喪失や悲しみを抱えた上に、それでも弱音を吐けない、迷惑を掛けられないという呪縛の重圧に押しつぶされそうな人々の、一人ひとりの物語が描かれていました。それらは、当時のニュース映像や写真だけでは残せない、一人ひとりの個人的な震災の記憶でした。

明日の震災30年後の1月17日を迎えるにあたり、「震災の記憶」を、これからどう語り継いでいけば良いのかという課題を取り上げた番組がありました。教え子にどのように震災の記憶を教えていけばいいのか、辛い震災の記憶を抱える小学校教師のドキュメンタリーも観ました。

私は次の様に思います。

ヒントは、80年前の8月6日にご自身も広島で原子爆弾により被爆者となった教育者、長田新教授が、6年後の1951年に出版された「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」という題名の作文集です。

長田新教授は、復興が進む広島市の小学生、中学生、高校生そして大学生に作文用紙を配布して、一人ひとりの被災時の記憶、物語を執筆してくれるよう依頼しました。そして集まった作文を編纂して、この本を作られました。

私は、この本に二つの意義を感じています。

一つは、何十人もの年齢も性別も境遇も異なる子供たちの被災の記憶や物語を読み進めることで、私がそうであったように、読者に、当時の広島市の生々しい光景を想像させることが出来ると思うからです。人間というのは、当時は冷静ではいられなかったとしても、数年の月日が、少しは冷静に、客観的に自分の記憶を振り返られるのだと思います。情報が正確で順序立てた筋道で綴られた物語は、読者の理解を促進します。

そして二つめは、手記を書くことで、程度のほどは分かりませんが、各々の中で、一つの区切りとなって、前に進む切っ掛けとなることを期待できるのではと思うのです。

多様な数多くの手記を残すということは、被災者にとっても、そしてその記憶を継承する者にとっても、大事なことではないかと思うのです。

そして、その手記をテキストにして、教師も生徒も関係なく、大人も子供も関係なく、みんなで読み、それぞれの感想を披露しあい、どうすればいいのかを共に考えるのが大事なのだと思います。その考える時間を共有することが、私たちにはとても大事なのだと思います。

明日で、兵庫県南部地震から30年です。丁度、私の娘のように、あの日0歳であった幼児も、今は30歳です。記憶の残る人ならば、全く風化することなく記憶を持ち続けていることだと思います。あの日以降に生まれて震災教育に触れた人も含めたいと思います。みんなで30年まえの記憶、震災の記憶、震災教育の記憶、そして各々の物語を、手記に綴って、それを一冊の本、今ならば、誰でもアクセス出来る震災の記憶データベースを構築して、後世に残すのは、とても意義のあることではないかと思います。

2024年10月21日月曜日

戦争に無関心の子供たち

 戦争が終わって 僕らは生まれた

戦争を知らずに 僕らは育った

おとなになって 歩きはじめる

平和の歌を 口ずさみながら

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


若すぎるからと 許されないなら

髪の毛が長いと 許されないなら

今の私に 残っているのは

涙を堪えて 歌うことだけさ

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


青空が好きで 花びらが好きで

いつでも笑顔の 素敵な人なら

誰でも一緒に 歩いてゆこうよ

綺麗な夕陽が 輝く小径を

僕らの名前を 覚えてほしい

戦争を知らない 子供たちさ


1970年大阪万博博覧会のコンサートで初披露されたという、今60歳以上の人ならきっと誰でも歌えるであろうポピュラーソング『戦争を知らない子供たち』の歌詞です。

今から54年前の1970年に自尊心が芽生え始めたばかりの若者は、彼らが生まれてから見聞きすることになる朝鮮戦争、中東戦争と呼ばれるイスラエルと周辺アラブ諸国との度重なる戦争、ベトナム戦争、そしてアメリカとソ連という二大軍事超大国同士の冷戦に、心を痛め、戦争に反対する若者、ヒューマニズムという人権尊重と個人の自由を希求する若者は、世界中の志を同じとする若者との連帯を示す手段として反戦歌を高らかに唱っていました。

私は、1970年当時まだ10歳のおぼこい子供でしたので、そういう時流を知るよしも無く、ただただ軽快なギターサウンドと『戦争を知らない子供たちさ~』というフレーズが耳に残っただけでしたが…。


あれから54年、私たちは今再び、戦争という現実を毎日のニュースで見聞きすることになりました。ロシアによるウクライナへの侵略戦争は来年2月で三年目に突入します。昨年10月7日にハマスの戦闘員が大挙してイスラエルに侵入し数千名を殺傷した上、数百名を人質として連れ去るテロ攻撃が発端となって、イスラエルによるハマス殲滅と人質解放を名目としたガザ地区への地上侵攻が始まるや、イスラエルの空陸海からの攻撃により、毎日、ガザ地区に幽閉されたパレスチナの人々、人道支援のためにガザに留まった外国人、ジャーナリストが、百人単位で虐殺される状況が一年を過ぎても続いています。そしてイスラエルがガザや西岸地区での侵略と殺戮を止めない限り、戦場はレバノン、そしてイランに、最悪は中東諸国全体まで広がる危機が迫っています。

日本の回りをみれば、朝鮮半島では、成熟し繁栄したデモクラシー国家大韓民国を目の敵とする独裁国家北朝鮮が、独裁色と武力威嚇を強めるだけで無く、再びロシアと手を結び、ロシアによるウクライナ侵略戦争に武器を供与するだけでなくロシアの要請を受けてウクライナに北朝鮮兵を派兵するという暴挙に出つつあります。北朝鮮の武力行使の誘惑に歯止めが掛からなければ、長らくの休戦状態にある朝鮮戦争が再び北朝鮮から起こされるという災禍を、私たちは再び経験することになるかもしれません。

台湾の成熟し繁栄したデモクラシー国家中華民国も然りで、『一つの中国』を断固として主張する中華人民共和国は、建国の父毛沢東が共産主義化で国家を荒廃させてから海外資本に頼らざるなくなって民主化に舵を切ったかと思えば、再び共産党一党独裁色を強め、三十年余りで一気にアメリカと肩を並べるほどの経済力と軍事力を手にするまでになり、手始めに一国二制度のもとデモクラシーにより経済的繁栄を誇った香港の人々の人権を蹂躙して香港を手中に収め、そしてコロナ禍の中、いよいよ中華民国への軍事的威嚇を開始しました。更には、日本の領海・領空への侵犯も繰り返すようになりました。突然に中華人民共和国が、台湾という領土を取り戻すという名目で戦争を始めれば、未曾有の戦争難民が日本に押し寄せるだけでなく、日本も中華人民共和国から何らかの威嚇や攻撃に晒される事になるでしょう。


この様な時流に私たちは飲み込まれそうになっているというのに、どうやら私たちの心中は、日本国憲法に記された『第九条』を御題目の様に詰め込まれただけで、起草者たちの強い思い(きっとそれは『日本人を再び戦禍に巻き込まない。と同事に、他国の人々も戦禍で傷つけない。決して殺さない。』という強い決意の表明であったのではと私は想像します。)に馳せることが出来ていない様に思います。戦後の詰め込み教育の弊害であると思っています。

日本がバブル経済に享楽していた1990年頃は、経済力はアメリカに次ぐ第2位、そして武力放棄を誓いつつも実質的軍備力はアメリカ、ソ連に次ぐ第3位にあった日本でしたが、『第九条』の内への抑止力が効いていたこと、また戦争の苦しみの記憶を心にしまい込んだ日本人がまだ沢山存命であったことなどから、決して日本の中から戦争の災いが湧き出すことはありませんでした。

しかし現在はどうでしょうか。経済力は世界ランキングでどんどんと後退し、軍事力はアメリカに頼らねばどうにもならない状況です。『第九条』を御題目として唱え続けるだけの政治家、軍事力の保持の明示を第九条を修正して加えることを声高に訴える政治家はいても、『第九条』の起草者の思いを訴える政治家は皆無です。そして戦争を実体験した日本人はもうほとんど残っていません。語り部も一人またひとりと鬼籍に入られて残り少なくなりました。

そして私たちは、私たちの子や孫の世代は、『戦争を知らない』だけでなく、戦争にも平和にも興味を持たず個人の享楽に走るだけです。義務教育でも学ぶ機会を与えられず、考える機会も与えられずに来たのです。『なぜ戦争が起こるのか、なぜ平和を維持することが最も大切であるのか』という一番大事な設問に触れぬまま来たのです。

これでは日本は、張りぼてのデモクラシー、ヒューマニズム、多様性、共生を唱えるだけのうつけの日本人だけになってしまいます。

その徴候はもう始まっている様子です。人々を平安に導くことが本性であるはずの宗教が、人々に呪いを掛けて金品や生命までも搾取する悪辣さをあらわにし、そこに政治家が結託して権力や支配力を手にし続けてきました。SNSを悪用した家族を騙り金品を巻き上げる詐欺行為が蔓延し、今では押し込み強盗、強盗殺人、強姦、人さらいと何でもあり、躊躇なく実行出来てしまう若者が蔓延し始めました。すべては心中に、善悪を判断し、悪に決して染まらぬという自尊心や自制心を、育まぬまま、放置した、そういう教育機会を与えない国民教育が最大の原因であると思っています。

それはとにもかくにも、私たちが何年も何年も、悪い事に目を逸らしてきたから、目を塞いできたからです。先人の思いに馳せようとせず、受け継がれた文化を衰退させ、ただ破壊して個々人の都合のよい制度や規則を構築し続けてきたからです。己が正しいと、他者に思いを馳せられなくなったからです。

これでは、何をしても内部からシロアリの様に蝕まれるだけで、私たちは強固に一つに団結することさえできないでしょう。


国を守る、国民を護る、が御題目にしか聞こえません。

私たちは何を考え、何を信じ、何に従い、何に捧げるか、真剣に考える時期に来たように思います。この度の衆議院選挙、真剣に、責任を持って、投票することも、その一法になるのではないかと思います。


2024年8月16日金曜日

戦争の記憶

八月になると、毎年一年ずつ過去となっていく、日本人の戦争の記憶が呼び起こされます。戦争で亡くなった人々の慰霊祭は、空襲を受け甚大な被害を被った日本全国津々浦々の町で、戦後79年となる今年も開催され続けていますが、テレビ中継されるほどの大規模な慰霊祭が八月に立て続けに開催されること、これもまた戦争の記憶を呼び起こす一因だと思います。


8月6日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

8月15日、全国戦没者追悼式


テレビ番組でも、日本人の戦争の記憶をもとに新しく制作されたドラマが放送されたり、アメリカやオーストラリアなど海外の国の過去の公文書が新たに公開されるなどして、近年になって発見された戦争の映像や事実が、新しいドキュメンタリーとして制作されて放送されます。


しかし、一方で戦争を肌で体験した日本人は高齢化し、戦争体験の語り部として活躍された人々も、ひとり、またひとりと亡くなられ、日本人の戦争の記憶が途絶えてしまうことを危惧する論調も聞こえてくるようになりました。


日本人の戦争の記憶・・・、象徴的であるのが広島市原爆死没者慰霊碑の碑文、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」、そして長崎平和の泉の碑文、「のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくて、とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」だと思います。

戦争体験者にとって、戦争は、地獄の体験であり、できることなら誰にも語らず、心の奥に蓋をしたまま思い出すことなく忘れたい記憶であり、そして二度と再び苦しめられたくない、というものではないかと想像します。また、それ以上に、挙国一致の号令のもと、日本が戦争をすることは正義であり、必ず勝利するという教育と宣伝によって疑うことなく、戦争を賛美し、あらゆる物資、そして命まで供出した結果が、悲惨な体験と敗戦であったこと、その結果の責任を誰も負わず、謝罪もなく、戦争体験者の言いようのない怒り、悲しみ、苦しみは、自らの罪として背負わねばならず、生きなければならなかったことが、何より辛い体験であったのではないかと想像します。


今も、この様にわれわれ日本人は話します。

戦争はよくない。

原爆は二度と使ってはならない。

しかし、これはあまりにも抽象的で、本質については、われわれ日本人は、われわれ日本人の問題として、悩み、考え、答えを出そうという試練を、避け続けてきたと思います。


今朝ドラ「寅と翼」で、先日、次の様な会話がありました。主人公佐田寅子と上司の東京地方裁判所所長桂場等一郎との短い会話です。

「共亜事件の後、私、桂場さんに法とは何かというお話をしたんです。」

君は法律は綺麗な水、水源のようなもの、と言っていたな。

「嬉しい!覚えていて下さったんですね

憲法が変わっても尚、社会のあちこちに残る不平等を前にして思ったんです。

綺麗なお水、水源は、法律では無くて、人権や人の尊厳なのでは無いかと。」


私は、これだと思いました。悪法でも法律、人権を蹂躙する法律、人間の尊厳を認めない法律も、法律であり、われわれ法の下にある者は、従わなければならない。これが正しい行動であり選択である、とわれわれはずっと教育を受けて信じてきました。きっと法というものが定められた古代から、一貫して従うことが正しい、崇高なものであると、われわれはすり込まれてきたのだと思います。

しかし、法はあくまでも時の為政者が民を都合よく支配するための道具であるという側面があったことは否めません。近代になって理念として芽生えた人権意識や人間の尊厳は、為政者の道具としての法よりも、もっと崇高で、われわれ一人ひとりが守護者とならなければ、すぐに枯れてしまう、淀んでしまう、清らかな泉として保たれ続けなければならないものなのだと思います。


「正義の戦争」というものもあるのかもしれません。2022年2月にロシアがウクライナに軍事侵略を始めたことにより、ウクライナが、国土と国民、ウクライナの文化を守る為に、自衛のために立ち上がり始まったウクライナ戦争は、ウクライナ側から見たら「正義の戦争」といえるのかもしれません。しかし、二年が過ぎても終わりの見えない戦争に、ウクライナ国民も、武器や物資、戦費を支援し続けるウクライナ支援国の国民にも、厭戦気分が広がりつつあるのも事実です。ウクライナでは成人男性は徴兵が義務付けられ、戦地に送られ、命を落とすのが日常と化しています。「正義の戦争」でも、人権や人間の尊厳が著しく制限され、損なわれているのが実情です。

そして、ウクライナ支援国の一つである日本のわれわれも、ウクライナの人々が受けている人権侵害、人間の尊厳が蝕まれる事態を、遠くで眺めているだけのようで、罪悪感を感じ得ずにはいらねなくなる時があります。


そして、戦争だけが、人権や人間の尊厳を著しく傷つけている訳ではありません。現在の日本においても、様々な問題が、人権や人間の尊厳を著しく傷つけているのは実情です。

BICMOTORの事件は、ブラック企業問題の象徴的な事件でした。創業一族の傲慢さ、圧倒的なパワハラによって、一万の従業員が犯罪に手を染めさせられ、犯罪が露見するや、犯罪者として社会から糾弾され、罰を受け職を失う事態に陥っているのです。それなのにすべての責任を負い、罪に服し、賠償を負わなければならない創業者一族は、犯罪が露見するや否や、事業から手を引いて、表舞台から消えただけなのです。

首相の暴走を正当化する為に、多くの官僚が公文書の改ざんや破棄に手を染め、その事で心を病んだ官僚が自殺しても、いまもって真実は明らかにされず、誰も責任を取ろうとしないのです。統一教会と政治家の癒着問題もしかりです。政治と金の問題もしかりです。犯罪があっても、悪しき行いがあっても、それが事実であっても、だれが首謀者なのか、誰が犯罪行為を指揮したのか、いつも不明のままで、誰も責任を取らないのです。皆がやっているから、決まっていたことだから、とまるで他人事の様に彼らは話し、被害者を装い、煙に巻いて、事件はいつも藪の中に追いやられ、忘れられてしまうのです。

ビジネス化された児童ポルノ問題や、売春問題もしかりです。善悪の判断のつかぬ子どもや未成年者が、盗撮され、写真をばらまくと脅され、或いは金をゆすられ、性の奴隷にさせられて、その映像や写真がビジネスとして取引される事態が社会問題化しても、日本においては、「表現の自由」や「通信の秘密」という法律に阻まれて、人権や尊厳を回復させるための戦いが一向に進まず、もう犯罪者天国と化しているのです。

悪い淀んだ空気や水の中で、何か善からぬものが、勝手に生まれたように振る舞い始め、同調者が現れ、悪しきシステムが構築されて、承認されぬままに動き出し、悪が金を生み、同調者の欲を満たしていくのです。


日本の戦争に戻れば、その戦争に一分の道理があったとしても、戦争捕虜の国際的な取り決めを無視して、「生きて虜囚の辱めを受けず」と訓令し、兵隊だけで亡く民間人まで自決を強要し、或いは殺し、また、一億総玉砕を掲げて、如何に空襲で国土が焦土化し、国民が殺されても、一向に戦争を止めず本土決戦を唱え続けた為政者たちの罪は、計り知れないものと、私は思います。

日本に、日本人に、しっかりとした人権意識や人間の尊厳を守るという強い使命や意識が育まれ、宿っていたならば、少なくとも、この様な人権侵害が行われることは無かったのではと思います。

そこに、日本の戦争の記憶の本質があるのだと私は思います。


日本に、日本人に戦争で何が起こったか、体験者の記憶を、しっかりと記録し、後世に残す事も重要ですが、戦争の本質、当時の日本人が陥ってたい本質に向き合い、戦争も、そして戦争以外のあらゆることについても、人権が蹂躙されぬ様に、人間の尊厳が損なわれない様に、私たちがその守護者として、責任ある一人として振る舞えるように、行動できるようにするために、戦争の記憶を役立てなければならないのだと、今、強く思います。

 

2024年8月10日土曜日

人間はこれでいいのか?

 8月6日夜に放送された「NHKスペシャル 原爆 いのちの塔」を観ました。

数十万の人間が生活する都市の頭上に、人類史上初めて投下された原子爆弾が炸裂して地上数キロメートルを一瞬で廃墟にした直後から、爆心地から1.5キロメートルの辛うじて全壊を免れた広島赤十字病院の医療従事者たちは、自らも大いに傷つきながら、次から次と運び込まれる原子爆弾によって重傷を負った人々の救急救命活動を開始しました。

このドキュメンタリーは、今年新たに見つかった、当時の病院長竹内釼軍医が書き記した手帳と601名の病床日誌を丹念に調べて、当時この病院で何があったのかを再現ドラマを交えて、時系列で辿るものでした。


これまでも、原爆を題材にした文学・絵本、長田新先生が編纂された作文集「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」を読み込み、また映画「ヒロシマ」や数々の調査ドキュメンタリーを見てきて、原爆によって未曾有の被害を被った広島の人々が、その後も、アメリカから原爆の効果を調べるためのモルモットの様な扱いを受けたこと、同じ日本人から様々な差別を受けたこと等々を、学んで知っている気になっていました。

しかし、このドキュメンタリーを見て、広島赤十字病院で起こった出来事に戦慄を覚えました。

医療器具も物資も無いに等しい窮状を院長が世界赤十字に訴えたことがアメリカに利用されました。世界赤十字から医療物資を継続的に送ることを依頼された占領軍のアメリカは、「残留放射線や原爆の効果を調査する」という第一目的を広島の人々に悟られぬ為に、調査団を救済用の医療品を配布する名目で広島に送り込むことに成功しました。以後アメリカは自国の利益のためだけに広島をモルモットにして残留放射線と原爆の効果を調査し、その調査内容は、広島の原爆罹災者のために一切役立てられることはありませんでした。また、以後、約束されたはずの、継続的な支援は行われることもありませんでした。ここにはヒューマニズム、人間尊重という、彼らアメリカの建国の理念を、ひとかけらも感じる事が出来ませんでした。

そして、原爆投下から44日後の9月19日、GHQがプレスコードで原爆批判を規制してからは、日本政府は以後10年間、そして日本国内からの、諸外国からの、支援は一切広島に届かなくなりました。


広島赤十字病院には医療従事者として、原爆が投下される前、医師や看護婦、看護女学生など総勢501名が働いていました。原爆投下直後、250名が重傷を負い、その内の51名が死亡しました。そして一時も休む事の出来ない救急救命活動の中で、ひとつき後には、6名が過労入院し、262名が帰郷療養し、広島の医療従事者の不足は深刻な事態に陥りました。

病床日誌の記録によれば、原爆が発した放射能によって、医師たちは経験したことのない未知の症状に直面することになり、手も足も出ないまま、人々が次々と死んでいくのを見送り続けました。

そして原爆投下から63日後の10月8日、若い医師が病室で自殺しました。彼は以前に赤十字病院が広島の人々の希望となっていることを誇らしそうに院長に話していました。しかし亡くなる直前、彼は同僚に、「人間はこれでいいのか?人生とはなんなのか?」と打ち明けていたと云います。この言葉から、若い医師の絶望感が痛烈な痛みとなって伝わってきました。孤立無援、そして未知の脅威を前に無力であることの絶望、また自らも原爆罹災者であることから目の前の施しようのない患者を自分に置き換えたのかもしれない恐怖、想像しても、今の私では決して想像しきれない絶望に蝕まれたのだろうと思います。


そして、ドキュメンタリーの最後で、

今年6月24日、ウクライナ赤十字の医師たちが、「核兵器が使われた時、何が起きるかを知りたい」と、現在の広島赤十字原爆病院の知見を求めて訪問したことが記されていました。長崎を最後に、現実の戦争で79年間使われることの無かった核兵器が、ロシアのウクライナ軍事侵略により始まった戦争で、ロシアによる核兵器の使用が現実の脅威となったことが背景にあります。

日本が核兵器を保有していない国の中で、また唯一の原爆の被爆国として、原爆が引き起こす災いとその治療の知見を79年間積み重ねてきたことが、ウクライナに役立てられることには大いに意義を感じるとともに、核兵器の使用が現実の脅威となったことに落胆を覚えました。考えれば分かることですが、核兵器保有国は、決して公にはしませんが、日本よりもずっと進んだ知見を保有しているだろうと想像できます。しかしそういう知見は決して他国に明かされることはないでしょう。その理由でも、これは日本しか果たせない、悲しくも、他国を救う一助となる意義のある行為であると思いました。


日本は、いまはまだ戦時ではありませんが、ヒューマニズム、人権が非常に軽んじられる国へと陥っています。日々、「人間はこれでいいのか」と思わずにはいられない、残酷、残忍な事件や問題が噴出しています。人権が尊重されない個人主義、自由主義、拝金主義が世の中にまかり通っています。その反動として、私たちが国家による厳しい規制や統制を強く求める事態が来るならば、100年前と同じです。国家権力が絶大なものとなり、国民の人権は奪われ、為政者の利益のための戦争が始まって、国民は戦争ゲームの捨て駒に成り果ててしまうでしょう。現在のロシアやイスラエルの様にです。


2024年7月4日木曜日

第3回「核なき未来」オピニオン募集!「核兵器に頼る国のリーダーへ ―今、あなたなら何を訴えますか?―」

午後のNHKニュースを見ていたら、長崎放送局から『核なき未来テーマに意見募集 若い人に核兵器問題考えてもらう』という話題が報じられました。


『核なき未来』をテーマにした意見を募集している長崎大学核兵器廃絶センター(略称:RECNA Research Center for Nuclear Weapons Abolition)のホームページを開くと、具体的な設問は、『核兵器に頼る国のリーダーへ 今、あなたなら何を訴えますか?』とあり、核兵器保有国のリーダー、或いは「核の傘」の下の国のリーダー(一人でも複数でも)に宛てたメッセージを書いてみてください、と書かれていました。

募集資格は、U-20の部が16歳~19歳、U-30の部が20歳~29歳で

応募期間は、2024年5月1日~7月31日でした。

https://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/topics/45990


私は、募集年齢制限に抗って、私の意見を以下に綴りたいと思います。


と、その前にRECNAに問いたいことがあります。それは核兵器保有国のリーダーを一括りにしてよいのか?という問い掛けです。RECNAは核兵器保有国に、ロシア、米国、中国、フランス、英国、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮の8カ国を挙げていますが、国の安定度合、発展度合、核兵器としての脅威の度合、そして戦争状態か否か、まったく異なります。一元化してよいものでは、私は無いと思います。

そして、もう一つは、核兵器保有国と核の傘の下の国とは、破壊力の保有という点で天と地ほどの差があるという事です。核の傘の下の国は条約という契約で保護受けているのです。その前提で話を始めなければいけないのではと思います。


地球上の世界は国連の下で平和が維持されるという幻想は、もはや世界中の誰一人として抱いてはいないでしょう。

20世紀末、経済と軍事力で世界中の国々を米国主義に従わせた格好の米国が、国内問題から二つの大戦前の内向きな米国へと退行し始めた結果、冷戦期に米国と世界を二分したロシアが再び軍事力で世界の脅威となり、この30年余りで米国と経済と軍事力で拮抗するまでに急成長した中国、そして中国を追う世界最多の人口を誇るインドも、近隣諸国に力を誇示するようになってきました。北朝鮮のような経済だけでみれば世界の最貧国である国が、国民を犠牲にした核兵器開発に邁進した結果、核弾頭ミサイルの保有国の一つに数え上げられるまでになりました。そしてイスラエルが現在進行形でパレスチナの人々に行ってきた非道は、まったくもって非人道的としか云えません。

これらの国が保有する核兵器は、隣国を脅し、最も強大で最悪の破壊をもたらす兵器であり、また、自国が核兵器による最悪の破壊を受ける代償として敵国にも同様の破壊を与える、それが為に敵の核兵器使用が抑止される武器、自国が敵国の攻撃から守ることができる唯一の武器という神話を帯びた武器となっています。

たった一つの国、一人のリーダーが「核なき未来」は世界中が我にひざまずく未来と掲げる限り、「核なき未来」を人類だけで導くことは出来ないと思います。

もし「核なき未来」が開けるとしたら、人類よりも遙かに進歩した知性が現れ、人類から悪癖、悪行を消し去るか、われわれ人類が滅びるしかないのではないかと思います。


そして、一つ確かなことは、核兵器が存在する限り、人類はいつ滅んでもおかしくないと云うことです。一握りの人間が、核兵器戦争の勃発を察知して、地中深くの核兵器に破壊されず、放射能の汚染にも晒されないシェルターに逃げ込めても、世界中が核兵器で破壊され、何十年、何百年にも及ぶ放射能汚染に晒されれば、シェルター内の人間も安全な食料、空気、水が尽きれば、死を免れることはないということです。


如何様なリーダーも、独裁者も殺戮者も、いつか死が訪れます。自分の子、孫、遠い未来まで子孫を存続させたければ、核兵器を廃絶するしか手がないのです。

しかし、自分の死を持って世界を終わらせたいとする独裁者、殺戮者、いわゆるヒトラーのようなリーダーが再び現れれば、躊躇することなく核兵器を実践で使用するでしょう。

ということは、リーダーを、というよりも、そのようなリーダーを持たない、作らない、許さないという、われわれ一人一人の意志の決意こそ、本当に大事なのだと思います。

民主的でないかもしれない、でも、決意してわれわれが実行しなければ、遠からずわれわれは、われわれの子孫は、悪に取り憑かれたリーダーによって滅ぼされてしまうことになってしまうでしょう。

その為にも、われわれ、それぞれが欲望を抑えて、世界中の人々と連帯し、核兵器保有を良しとするリーダーを排除し、そして二度と、そのようなリーダーを持たない、作らない、許さない、という意志の決意を強い行動で示し続けなければなならないと思います。

 

2024年6月23日日曜日

ありったけの地獄を集めた戦場

沖縄県が制定している記念日『慰霊の日』(6月23日、沖縄戦等の戦没者を追悼する日)の今日、朝日新聞の

記事:「ありったけの地獄」沖縄戦とは何だったのか?

https://www.asahi.com/articles/ASS6P3T3XS6PUTIL032M.html?iref=pc_ss_date_article

の記事は『米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場と呼んだ。』という書き出しで始まっていました。が、この一文についての解説や補足説明はありませんでした。


ググって見ますと、ある方のブログに、

『アメリカ軍兵士が、目の前の惨状を見て口にしたと言われています。』

と書かれていました。


ウィキベディアの沖縄戦の概要説明には、

『沖縄戦は、1945年3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、沖縄本島での組織的な戦闘は4月1日に開始、6月23日に終了した。』

『使用された銃弾・砲弾の数は、連合軍側だけで2,716,691発。この外、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された。地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われた為「鉄の暴風」と表現される。』

『残された不発弾は、70年を経た2015年でも23トンにものぼり、陸上自衛隊などによる不発弾処理が続く。1トン爆弾も本土復帰の1972年以降だけでも6件見つかっている。』

『沖縄での両軍および民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる。その内訳は、沖縄県生活福祉部援助課の1976年3月発表によると、日本の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。戦前の沖縄県の人口は約49万人であり、実に沖縄県民の約4分の1がなくなったことになる。』

住民の犠牲者数については、

『沖縄戦での住民の犠牲者数は国の調査が行われておらず正確な数は不明で94,000人は推定である。終戦直後の1946年統計は戸籍が消失したり一家全滅が少なくないなどの諸事情により誤差が大きいと思われ、また、1946年の人口には、沖縄戦の後で生まれた子どもや、戦時中は沖縄県に不在だった本土への疎開者、また海外からの引き揚げ者4万人以上や復員兵が多数含まれる為、計算上の人口減少より実際の戦没者の方が大きいと推定される。』

『また、日本側死亡者のうちに朝鮮半島出身の土木作業員や慰安婦など1万人以上が統計から洩れているとの見方もある。』

アメリカ軍側の戦死者については、

『アメリカ軍側は死者・行方不明者20,195人となったが、これは1944年12月に戦われた西部戦線最大の激戦の1つであるバルジの戦いの戦死者最大約19,000人を上回り、アメリカ史上での、オーヴァーロード作戦(ノルマンディーの戦い)、第一次世界大戦におけるムーズ・アルゴンヌ攻勢に次いで3番目に死者数が多い戦いであった。』

『戦傷者は最大で55,162人、戦闘外傷病者26,211人を加えた人的損失は実に投入兵力の39%という高水準に達した為、ハリー・S・トルーマン大統領らアメリカの戦争指導者たちは大きな衝撃を受けて、のちの日本本土侵攻作戦「ダウンフォール作戦」の方針決定に大きな影響を及ぼした。』

などが書かれていました。


沖縄戦の激戦の1つとされる「前田の戦い」という日本軍陣地「前田高地」を巡る戦いを描いた映画があります。2016年に公開された「ハクソー・リッジ」です。監督メル・ギブソンは、前田高地をこの世ではない地獄の世界として映像表現していました。日本兵は殺しても殺しても立ち上がり向かってくる屍人として表現していたのも印象的でした。


これほどまでに、アメリカ軍兵士におぞましいと言わしめた惨状は、誰が引き起こしたのか?何が引き起こしたのか?誰も止めようとはしなかったのか?


沖縄県の平和記念公園の平和の礎(いしじ)には、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名が、国籍や軍人、民間人の区別なく、刻まれ続けています。掲げられた理念には、『国内外の20万人余りのすべての人々に追悼の意を表し、御霊を慰めるとともに、今日、平和の享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。』と書かれていました。


現在は、やはりかりそめ平和なのだと思います。沖縄戦ひとつをとっても、79年と年月ばかり過ぎて、日本政府すら総括したことがありません。アメリカは尚更です。

現状のなし崩しの平和を受け入れている状況では、いつまでも戦没者の御霊は彷徨うばかりなのではと思います。

2024年6月13日木曜日

昨日は、アンネ・フランクの誕生日でした。

 朝、何気にNHKワールドニュースを見ていたら、ドイツの放送局のニュースの中で、『今日はアンネ・フランクの生誕95回目の誕生日です』というニュースを目にしました。


アンネ・フランク Anne Frank 1929年6月12日-1945年3月12日


10代の頃に、『アンネの日記』を読みました。このアンネの物語を題材にした1959年公開の映画『アンネの日記』もリバイバルで何度か観ました。映画でアンネを演じたミリー・パーキンスの大きな瞳が、今も強い印象として残っています。でも、実際のアンネの肖像写真から受ける印象は、まだ幼さの残るはにかみ屋の少女です。

15歳で、後二ヶ月生きられていればドイツが降伏し強制収容所は開放されたというのに、アンネは引き離された両親の生死も判らず、強制収容所の中で姉の死を見届け、そして病死したと伝えられています。

家族の中で一人強制収容所から生き延びた父親が、アンネの残した日記に見つけました。その奇跡の様な出来事の結果、私たちはアンネの物語を知ることが出来ました。


アンネ・フランク、生きていれば95歳です。家に7月で99歳になる母がいますので、アンネの止まった時間の長さを実感します。

2024年5月17日金曜日

パックス・ヒュマーナ

 NHK BSで先日放送された『パックス・ヒュマーナ~平和という”奇跡”』というドキュメンタリー番組を観ました。『平和という”奇跡”』の物語を、佐々木蔵之介さんが南イタリアで、濱田岳さんがルワンダで、辿りました。


佐々木蔵之介さんが辿ったのは、『フェデリーコ二世の十字軍』の物語です。


番組を観終わった後に、『フリードリッヒ二世の十字軍』についての講演記録を読みました。1976年に日本人の有志によって設立されたイタリア研究会のホームページで公開されていました。

https://itaken1.jimdo.com/2015/07/09/フリードリッヒ2世の十字軍-講演記録/

2015年7月9日フリードリッヒ二世の十字軍(講演記録)

第421回 イタリア研究会 2015-7-9

報告者:高山博(東京大学教授)


講演記録を読んで理解が進みました。

一般的にはフリードリヒ二世として知られる人物のイタリアでの俗名が、フェデリーコ二世でした。

まず、十字軍から語らなければなりません。十字軍は、ローマ・カトリック教皇がカトリックの西欧諸侯に下した神命『聖地エルサレムの異教徒からの奪還と異教徒征伐』を果たす為の遠征軍の総称です。騎士が鎧に十字を刻んでいた事から十字軍と名付けられました。11世紀末から13世紀末に掛けて、十字軍は教皇の神命によって、何度も南イタリアから海を渡り、異教徒が支配する聖地エルサレムを目指しましたが、その遠征は二度を除いて全て失敗に終わりました。

事の起こりは、東ローマ帝国の支配地がイスラム諸侯に占領され、東ローマ帝国の皇帝がローマ・カトリック教皇に救援を求めた事が発端です。東ローマ帝国の国教はカトリックとは異なるキリスト正教会です。東ローマ帝国の皇帝は、西欧の法王に救いを求めたのです。

4世紀に古代ローマ帝国は、それまでの多神教信仰を改めキリスト教を唯一の国教と定めます。各地に教皇庁を設置して、広大な支配地を一神教であるキリスト教化することにり皇帝の権威と支配力を浸透させる事が目的であったと考えます。しかし、その後すぐローマ帝国は二人の皇帝による東西分割統治となり、その一つである西ローマ帝国は支配地域の西欧諸侯の台頭によって5世紀に消滅、以後、西ローマ帝国の国教であったローマ・カトリックの教皇の権威が西欧諸国に浸透していきました。

10世紀にドイツ王が神聖ローマ帝国を興し、ローマ・カトリック教皇を再び皇帝の支配下に置こうとして、教皇との覇権争いを起こしますが、既に西欧諸侯に権威を浸透させていた教皇は、第一回十字軍遠征を西欧諸侯に号令し、聖地エルサレムを奪還する戦果を挙げた事から、覇権争いに終止符が打たれ、西欧はローマ・カトリック教皇の権威の下に、支配され続ける事になりました。


高山教授は、十字軍は西欧諸国の人々のカトリック信仰心と宗教的情熱により引き起こされたが、

①教皇の政治的野心

②諸侯や騎士の領地獲得欲

③商人の利益拡大

こういったものが絡み合って、当初の目的から次第に逸れていき、そして十字軍の失敗により、教皇の権威は失墜し、参加した騎士の多くは没落したと考えられると述べられています。

そして現在に続く影響として、

①西欧諸国の人々の異教徒、異端への不寛容を増大させたこと

②そしてイスラム教徒の側にも異教徒に対する不寛容を増大させたこと

であると指摘されています。


この様な末路を辿る十字軍遠征ですが、唯一、戦争ではなく、交流・交渉により10年間、平和裏に聖地エルサレムをイスラムの王から譲り受けたのが、フリードリヒ二世でした。

フリードリヒ二世は、ノルマン王国の血を引く王子とシチリアの王女との嫡男として生を受けますが、シチリア王である祖父と父母を幼い頃に相次いで亡くし、幼くしてシチリア王となります。

出生国であるシチリア王国は、そもそも異教徒との文化交流により栄えたノルマン王国の継承であったため、臣下には異教徒もいました。そして、フリードリヒ二世を養育し支えたのはイスラム教徒の臣下でした。そのためでしょうか、フリードリヒ二世は、イスラム教徒の文化や習慣にも親しんでいました。

フリードリヒ二世は、神聖ローマ帝国の皇帝を継いでから、教皇から十字軍の遠征の命を受けます。しかし、フリードリヒ二世は教皇からの度重なる遠征の命を無視し続けます。そのために生涯三度も破門を言い渡されました。フリードリヒ二世は、エルサレムを支配するイスラムの王と手紙を交わし、また使節団を派遣し合いながら、親交と交流を深めていきます。そして信頼が醸成できたのを見計らい、エルサレムの返還交渉を行いました。そして遂に、10年間の期限付きではあるもののエルサレムの平和裏の返還を実現します。そして返還後の10年間、様々な圧力にも耐え、エルサレムの平和を守り通します。これは、二つの文化に精通したフリードリヒ二世にしかできなかった芸当だと思いました。


二つめの物語、濱田岳さんが辿ったのは、『ルワンダ虐殺の生存者』の物語です。

アフリカ・ルワンダ共和国でジェノサイドが起こったのは1994年です。今から丁度30年前の出来事です。

ルワンダは19世紀にドイツの植民地となり、ドイツは少数のルワンダ人を高貴な人種ツチとして、その他大勢をフツとして意図的に選別し、教育によってそれを既成事実化し、ルワンダをツチを利用して間接統治していきます。第一次大戦後、敗戦国となったドイツに代わってベルギーが間接統治システムを引き継いでルワンダを支配し続けます。この間接統治によって、ツチとフツの人々の間に憎しみと対立が生じていきました。

そして1962年にルワンダが独立国家となって、多数派であるフツが政権を担う事になってから、少数派ツチへの迫害が始まり、続いて国軍と亡命ツチが組織したルワンダ愛国戦線との内線が勃発します。それにより、フツによって、ツチによって、何度も虐殺行為が繰り返されました。しかし、1994年4月に突然起こったジェノサイドは、比較にならないほどに、凄惨で甚大な被害者を生み出しました。それはフツ至上主義者のラジオから発せられたプロパガンダ・メッセージが起因となりました。ツチとの宥和政策を進めていた大統領が搭乗する旅客機が何ものかに撃墜されたことを受けて、フツの住民に対して、「愛国戦線が襲ってくる、殺しにやって来る、釜や鍬を持って立ち上がれ!敵であるツチを殺せ!」と恐怖と憎しみを煽り、従わぬフツも敵だ!殺せ!と隣人と仲良く暮らしていたフツ住民を恐怖に突き落とします。

ツチに殺されてしまう。従わなければ自分が、自分の家族がフツの殺害の標的になってしまう。という恐怖がフツ住民を襲い、フツ住民の理性を狂わせ、狂気に転じさせて、遂に100日間で100万人もの隣人を虐殺するという前代未聞の殺戮行為に向かわせました。そして隣国には100万人を超えるルワンダ人が着の身着のまま避難のために押し寄せる事態となりました。

100日を過ぎて、愛国戦線が首都を制圧し、ジェノサイドは終焉を迎えます。

愛国戦線は、フツの大統領、ツチの副大統領を立て、ルワンダの再建を図ります。最初に実行したのが、植民地時代に携行を義務付けられた、ツチかフツかを識別するための身分証明書の廃止でした。これによって植民地時代に意図的に作られた人種の選別が廃止され、すべてのルワンダ人が、ルワンダ人と名乗れるようになりました。


濱田岳さんは、ジェノサイドの生存者と会って、その言葉に耳を傾けます。

印象的であったのは、30歳の娘を持つ41歳の母の言葉です。

30年前、彼女は穏健なフツの家族の子どもで11歳の少女でした。家族で隣国ザイールに避難する途中、瀕死のツチの女性と乳飲み子に遭遇します。少女が女性に近づこうとすると、祖母から「本当ならば殺さなければいけない」と注意されますが、さらに少女が女性に近づくと、女性から「私の子どもを一緒に連れて行ってください。神のご加護がありますように」と頼まれます。家族から「災いを招く」と叱られますが、少女を乳飲み子を抱きかかえ、家族と離れて歩きます。

難民キャンプに辿り着いてからも、家族から育てる事を反対されますが、少女は「神の恵み」を信じて、乳飲み子を育てながら生きてゆく決意をします。

その二人は、現在慎ましくも穏やかに生きていました。

母は、「話を聞いてくれてありがとう。心が軽くなりました」と話します。

娘は、「私たちの話をどうぞ伝えてください。知っていただくことで、少しでも平和な世界が作られる貢献になればと思う」と話します。


小学校の女性教師の言葉も印象的でした。

教師たちは、ルワンダに渦巻いた虐殺に向かわせたエネルギーを、平和と団結のために使える様、子供たちを導きたい、という使命感を強く抱いていました。

と同時に、ルワンダの悲劇はどこの国でも起こる可能性があり、でもルワンダ人はだれもがみんな同じルワンダ人と自覚できるようになり悲劇は遠退きました。世界中の人々が、みんな同じ人間だと自覚できるようになれば、ルワンダの悲劇を防げるのではないか、という希望も語られました。


濱田岳さんは、最後に「無智は罪」だと話されました。それは私たち自身への自戒の言葉であったと思います。「無智」は「無関心」と言い換えられます。無智、無関心、利己主義、そして身勝手、無責任のままでいることが、この様な悲劇が、いつも忘れ去られた時に繰り返される。いつか自分たちが、悲劇の加害者、被害者になってしまう。知らぬ間に・・・。


『パックス・ヒュマーナ』


あらためて番組のタイトルとなった『パックス・ヒュマーナ』について考えました。

番組では、最後に「人間の平和」と表現していましたが、どうもしっくり飲み込めないのです。

「パックス・ヒュマーナ」とは何か?調べました。

Google検索すると、”Pax Humana Foundation”というローマに本部がある財団のホームページを見つけました。そのホームページのAbout usのページに次のメッセージが掲載されていました。以下はGoogle翻訳した内容です。

https://paxhumanafoundation.org/en/about-us/

「パックス・ロマーナ」から「パックス・ヒューマナ」へ

パックス・ロマーナとは、ローマ帝国の軍事的優位性によって帝政時代の前半に確保された地中海地域の長期間の平和を指します。

パックス・アメリカーナは、第二次世界大戦後、世界における米国の支配に関連した相対的な安定と世界平和の期間を指しますが、今日私たちはそれに挑戦していると見ています。

この財団は、ニーズ、権利、道徳的資源、回復力、創造性、精神性、願望、尊厳、新たな始まりを生み出す能力を備えた人間を紛争予防の中核に据え、新時代の誕生に貢献することを目的としています。一人ひとりの尊厳と人間性を尊重した関係性を紡ぎながら、解決、変革を目指します。

まさにパックス・ヒュマーナの時代。


ラテン語のPaxは、平和の意味があるそうです。Pax Romanaは古代地中海、ヨーロッパ世界で覇権国家となったローマ帝国が、Pax Americanaは20世紀の後半に世界の覇権国家となったアメリカが、もう一つ加えるとPax Britannicaは19世紀に産業革命によって覇権国家となったイギリスが、世界の警察となり相対的な平和を実現した時代を表すラテン語の言葉でした。

それに従えば、「人間による平和」が訳としては正しいのかもしれません。「ローマによる平和」も「アメリカによる平和」も「イギリスによる平和」も、言い換えれば「人間による平和」です。しかし、それぞれに平和を支える強い力を備えています。

では、「パックス・ヒュマーナ」、私たちの平和を支える強い力とはなんでしょうか。


考えてみると結局は、畏怖なるもの、畏敬なるもの、私たちの心と体を裁く神なるものへの信仰心ではないか、古来から人類がすがってきた信仰心しかないのではないのかと思えてきました。

その信仰心を利用して、古来から権力者は争い、血みどろの殺戮を繰り返してきたというのにです。

本当に、信仰心ではなく、論理的に、かつ倫理的に、「パックス・ヒュマーナ」を実現する解答が見つけられたら、それこそ本当に、戦争の人類史は終焉を迎えることができるのでしょうか。人類史上最難度の方程式が解けたとしても、私たち人類が素直に従い、恒久の平和を得られるとは、どうしても疑念を持たずには居られません。

2023年12月31日日曜日

苦痛の淵

 この年の終わりに、ウクライナ人のNHKディレクター、ノヴィッカ・カテリーナさんが制作したセルフドキュメンタリー「私の故郷 ウクライナ」を観ました。

昨年二月にロシアが祖国ウクライナに軍事侵攻を始めてから二回目の秋、今年10月にウクライナに一時帰国し、5年振りに再会した両親や友人、そしてキーウの街角で出会った人々との会話、抱擁を通して、市井の人々の戦争への思い(それは苦痛以外の何ものでも無い)、そして今抱く夢を取材した内容でした。

私は、カテリーナさんが取材した二人の女性の、暗く沈んだ瞳に釘付けになりました。

ひとりは、キーウの街角、これまでの戦闘で戦士した兵士一人一人の写真が飾られた追悼の壁に花を手向けていた若い女性です。彼女の夫はこの壁に写真が飾られていました。

もうひとりの女性は、カテリーナさんの男子同級生のお母さんです。あまり目立つタイプではなった同級生は、自ら祖国を守る戦いに志願し、そしてカテリーナさんが帰国中に戦死し27歳の生涯を閉じました。

二人の女性の暗く沈んだ瞳が見ているものは、夢も、希望も、そして愛しい記憶も、すべて奪われた女性の魂が、沈み堕ちた苦痛の淵の景色、真っ暗な闇なのだと思いました。


ひとりが殺されたら、その人を愛したすべての人、家族、兄弟、連れ合い、子供、友人、恋人が、この女性と同じように、魂が苦痛の淵に沈み堕ち、囚われてしまうのだと思います。ひとりが殺されたら、その数倍の魂が、数十倍の魂が、囚われてしまうのだと思います。

そして、止む事のない苦痛に苛まれ続けた魂は、やがて憎しみの業火に包まれて、憎むべき者を道連れにして焼き滅んでしまうのだと思います。

その不条理な滅びを食い止める為にも、私たちは、この戦争を終わらせる事に積極的に関わり、全身全霊で取り組まなければいけないのだと思います。


私たち人類は、長らく欲望や憎しみの解決手段として戦争をし続けてきました。殺す事、差別する事、奪い取る事が、人間の本性の進歩であると考えていたのです。それは全くの間違いでした。本当の進歩は、人権を守る事、寛容である事、分け合う事、そして連帯する事であると近代になってようやく気付きを得ました。そしてそれからの数世紀で、私たち人類は飛躍的に文明を進歩させて来ました。

しかし、独占する事、奪う事、差別する事でしか欲望を満たせない者が廃れる事はありませんでした。そういう者が、再び力を得て、暴力で主張を誇示する様になってきました。

彼ら力の信奉者は、他人の命の尊さなど露ほどにも思わないでしょう。

私たちは、そういう暗黒面に引きずり込む暴力には屈してはいけないのです。屈してしまえば、私たちは遅かれ早かれ滅んでしまうでしょう。

私たちは生きなければならないのです。そうしなければ私たちの子供や孫に希望のある未来を残す事が出来なくなってしまいます。


2023年11月19日日曜日

地球が静止する日

 1951年(昭和26年)に、アメリカで映画「地球が静止する日 原題:The Day the Earth Stood Still」が制作され、世界に向けて公開されました。


1939年9月に始まった第二次世界大戦は、人類史上最悪の6千万とも8千万ともいわれる犠牲者(軍人:2200万~2500万、民間人:3800万~5500万)を出し、1945年9月に連合国軍(United Nations)の勝利で終戦を迎えました。そして10月、連合国が中核となって地球の平和と安全を管理するための国際連合(United Nations)を設立しました。

しかし、人類は平和への道を歩む事が出来ませんでした。大戦中からの軍備拡大によってアメリカとソ連は超軍事大国となり、両国は地球の覇権を競う冷戦を始めました。そして双方が相手よりも強大な力を得るために、核兵器やロケット兵器という終末兵器の開発と配備に邁進しました。


この冷戦が、いつ終末戦争に発展してもおかしくないという恐怖を抱いた人々が、この映画を作ったのだと私は思います。

あらすじです。

ある日突然、地球外から宇宙船が飛来し、ワシントンD.C.のナショナルモールに着陸します。宇宙船から降り立ったのはヒューマノイド型の知的生命体とその僕となるロボットでした。ロボットは地球を破壊する力を秘めていました。知的生命体は友好的に振る舞いながら、地球に危機が迫っている事を警告し、合衆国大統領一人にではなく、地球上のすべての人々に直接危機の内容を伝えて人類の選択を求めるために、世界中の国家指導者、宗教指導者、聡明な科学者、哲学者、思想家をすぐに集めるよう要求します。そして要求に従わせる為に、人類が理解できない力で地球上のすべての電力を無力化して見せます。

そして知的生命体は、集まった人類の命運を握る人々に向かって、話します。

『我々は、人類が原子力を発見し、ロケットの実験を始めた事を知った。あなた達が原始的な武器で地球上で戦争をする事には一切関知しないが、原子力とロケットの力を戦争や侵略に利用することには、大いに危機感を持っている。

あなた達の祖先は、法を作り、法によって秩序を作り、その秩序を守る警察を作り、法と秩序を維持してきた。

我々も同様だ。惑星間で法を作り、秩序を作り、秩序を守る警察を作り、惑星間の平和と安全を守る秩序を維持している。我々は警察に絶対的な力を与えた。平和を乱す、秩序を乱すものが現れたら警察が自律的に排除する。それは我々にも誰にも止める事は出来ない。そのお陰で、我々はすべての武器を放棄し、恒久の平和を手に入れた。そして、実益ある目的のみを追求できるようになった。

もし、あなた達が原子力とロケットの力を地球外に行使しようと試みれば、我々の警察が検知し、自動的に地球を破壊するだろう。

我々の警察は、常にあなた達を監視している。地球内の運営はあなた達に任せるが、もし暴力を地球外に拡大させようとすれば、地球は燃え殻と化すだろう。単純な選択だ。我々と平和に暮らすか、消滅の危機に晒されるのか。返事を待っている。決断はあなた達次第だ。』

END


冷戦状態は、1991年にソ連の崩壊によって解消しましたが、ソ連の崩壊は、核兵器やロケット兵器の技術の拡散を招きました。アメリカやソ連や宗主国に抑圧されてきた従属国や振興国までが、抑止力として終末兵器を開発し配備するようになりました。一時、一強となったアメリカが地球の警察となってグローバリズムを牽引したものの、振興国や既存のデモクラシー国にナショナリズムが広がり、中国やインドがアメリカの地位を脅かす存在に成長し、ロシアが再び軍事大国を気取るようになって、地球は再び冷戦に入り、我欲を押し通すための熱い戦争も始まりました。地球の平和と安全を管理する国際連合は、まったく役に立たなくなりました。

そして今、地球のそこかしこで終末戦争に繋がりかねない戦争が起こっています。

ロシアは、ソ連崩壊まで従属国であったウクライナに、2022年2月に軍事侵攻を開始し、ウクライナ国内は二年に渡りロシアによる侵略戦争が続いています。この侵略戦争で、ウクライナ兵が3万人以上、民間人が約1万人、ロシア兵に至っては30万人以上が戦争の犠牲者となっていて、その数は日一日増え続けています。

侵略の首謀者であるロシアの大統領プーチンは、膠着する戦局を打開する為に、ウクライナを支援するヨーロッパ、アメリカ、日本などに対して、核兵器の使用をちらつかせて、支援を後退するよう脅しを掛けてきました。

中東アラブ地域では、1948年のユダヤ人国家イスラエルの建国以降、イスラエルとイスラム世界の国々との対立が現在も続いています。そして今年10月に、イスラエルによって占領され続けてきたパレスチナ人の自治区であるガザ地区のイスラム抵抗運動組織の一つであるハマスが、イスラエル国内でイスラエル建国以来最悪となる大虐殺と大人数の人質を連れ去るという大規模テロを引き起こしました。このテロ事件が引き金となり、イスラエルは人質救出とハマス殲滅を目的としたガザ地区への大規模武力侵攻を開始しました。この武力侵攻は、ガザ地区に暮らすパレスチナ人を子供も女性も見境無しに殺害し、ライフラインや病院まで機能停止に追い込む非人道的な報復戦争の様相を呈しています。そしてガザ地区では、病人や怪我人、妊婦、新生児を含む一万人以上のパレスチナ人が殺害され、ガザ地区でパレスチナ人の支援活動を行っていた外国人も殺害されています。そして終わりの見えない武力侵攻の犠牲者は、日一日増え続けています。さらにイスラエルの現役閣僚の一人が、ガザ地区への戦略核兵器の使用に言及しました。

この状況に、イスラム世界の国々、人々だけでなく、アメリカと親和的な国々の国民の中にも、イスラエルやイスラエルを全面的に支援するアメリカに対する不信感や嫌悪感、そして憎悪が広がっています。


今、誰がこの危機を止められるのでしょうか。

今、この世界には絶対的な警察はいません。法も秩序も有名無実になり果てています。宗教も役には立ちません。

では、何が起こればこの危機は止まるのでしょうか?

地球温暖化という人類存亡の危機の兆候を私たちは関知しているのに、それでも私たちは団結できず、我欲の争いを続けています。

映画が描く様な人類全体を脅かす未曾有の脅威が現れるか、破滅的な天変地異が起こらない限り、私たちはこの危機を止める事が出来ないのかも知れません。

不可能に思えますが、

私たち一人一人が他者を攻撃する武器を捨て、他者を欺く悪意を捨て、連帯と慈愛と寛容に身を捧げるしか、それしか、危機を止める望みを託す術は無いのかも知れません。

でも本当に、私たちの子、孫、そして未来の子孫に希望を残すためには、この術を直ちに実行しなければならないと思います。

2023年10月24日火曜日

耐え難い憤りに向き合うために

 10月5日(木)、ウクライナ東部ハルキウ州クピャンスクのグローザ村で、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した昨年二月に前線に向かい、まもなく死亡した元兵士の追悼集会の会場を、ロシア軍がミサイル攻撃の標的にして、住民59名が爆殺された。

10月7日(土)、ユダヤ教の安息日にイスラエルに侵略したハマスは、300人近い人々を殺害し、200人を超える人々を人質としてガザ地区に連れ去るという事件を起こした。

10月17日(火)、ガザ北部にあるキリスト教系の病院が爆破され、ハマスは、イスラエル軍の攻撃によるもので、この攻撃により少なくとも500人が死亡と発表した。しかしイスラエル国防軍は、ハマスとは別のパレスチナ武装勢力「イスラム聖戦機構」によるイスラルへのロケット攻撃の失敗によるものだと主張している。

最近の戦争報道の中で、特に強い憤りを感じた出来事です。殺害された人々、傷つけられた人々、連れ去られた人々は、非戦闘員です。国際法上で標的にしてはならない人々です。

戦争では、こういう人々が、見せしめの為に殺されたり、敵の攻撃を防ぐための人道の盾として利用されたり、力の誇示や恐怖を植え付け戦意を失わせるために殺されるのです。無意味に、もしくは誰かの快楽を充たす為に、殺される人々もいるでしょう。


日本は、78年前に終わった第二次世界大戦で敗戦国となって以降、戦争をしていません。

が、この地球上では、植民地からの独立紛争、曖昧な国境をめぐっての国家間の戦争、異なる宗教や異なる部族の国や地域の支配権を巡っての紛争、軍事大国による武力侵略に端を発した国家間の戦争、そして狂信的、あるいは身勝手な思想をもとにした一般市民を標的にしたテロ行為が、後を絶たず行われ続けてきました。

私たち日本人は、心のどこかで、私たちは戦争をしていない、戦争を知らない、戦争は遠い他国の出来事、私たちは関係ないと思っている節がありますが、エネルギー、食料、あらゆる産業の原材料を他国に依存している日本は、遠い他国で紛争が起こる度に、あらゆる危機に直面してきました。

また、国連主導の紛争地への介入も、国内法を理由に、戦闘行為には直接参加はしてきませんでしたが、戦費や軍事物資の提供をはじめ、紛争地での戦後復興支援と称しての道路や橋の施設、また地雷除去、機雷撤去という紛争当事国からみれば敵対行為と見なされる行為も行ってきました。そう、戦争に関わってきたのです。

何より、インターネットが普及する以前は、乏しかったですが、現在は紛争地の惨劇がダイレクトに私たちの目に、耳に、心に、飛び込んでくるようになりました。知らない、関係ない、責任はないでは済まされない時代になりました。

日本がある東アジアも、いつ戦争が起こってもおかしくない時代となりました。韓国や台湾が軍事侵攻に晒されたら、私たち日本人は、ロシアによるウクライナ軍事侵攻時に、ウクライナに隣接する東ヨーロッパの国々が、検問を開いて、100万の単位でウクライナからの避難民を受け入れたように、韓国や台湾からの避難民を受け入れることが出来るでしょうか。また、アメリカを始めとする西側諸国が、韓国や台湾に加勢するために戦争に参加した場合、日本は国内法が許さないからと、参加を拒否できるのでしょうか。

そして万一、日本が軍事侵攻の標的となった場合、私たち日本人は、逃げずに戦えるでしょうか。

戦争はよくない、戦争はしてはいけない、戦争はしたくない、は日本人だけでなく、すべての国の市井に暮らす人々の偽りのない気持ちだと思います。

しかし、78年間、他国の武力行使という脅威を受けずに、戦後復興と経済成長、そしてその奢りが招いた経済の鈍化と様々なシステムの歪みの弊害に苦しむ内向きな日本人と、常に隣国の強国の脅威に晒され続け、また幾度も紛争を繰り返し、外敵に対して、心の底から払拭できない怨み、苦しみ、哀しみを募らせ続けてきた人々とでは、偽善と本心からの葛藤ほどの差があるように思います。

私たち戦後教育を受けた日本人は、戦争が引き起こす、苦しみ、怒り、怨み、哀しみ、絶望感、自らへの嫌悪感、罪悪感を知らないし、理解も出来ないと思っています。

ですが、遠い他国で現在進行形の戦争に、目を、耳を、心を開けば、彼等戦争当事国の市井の人々の心の内を想像することは必ずできると思います。


私たち日本人は、この地球上の大多数の人々が何かしらの一神教に帰依し、宗教によって敵味方を差別するのとは異なり、あらゆるゆうぶつに神が宿るという畏怖の信仰を心に宿しています。そのため、違いに対して、恐れではなく、慎み敬う事ができます。異なる宗教についても、異なる民族についてもです。

私たち日本人が一番恐れなければなえればならないのは、自らのおごりたかぶりです。それは、慎み敬う心を曇らせます。

この日本人の八百万の神への慎み敬う信仰の心こそ、度重なる紛争、戦争で、頑なに絡まってしまった心を、解きほどくことの出来うるものだと思います。

私たち日本人が出来る事、今すぐ出来る事、継続して出来る事は、戦争で苦しむすべての人々に、慎み敬う、そして慈愛を示す事だと思います。


そうしなければ、近い将来、憎悪の重みで、人間が築いてきた世界は、押しつぶされて滅んでしまうでしょう。

2023年10月16日月曜日

私はあなたたちに命じる。あなたたちは敵を愛しなさい。あなたたちを迫害する者たちのために祈りなさい。

私はあなたたちに命じる。あなたたちは敵を愛しなさい。あなたたちを迫害する者たちのために祈りなさい。

 マタイの福音書第5章44節の御言葉です。


パレスチナ自治区の一つで天上のない世界最大の監獄と称されるガザ地区を実効統治するハマスの戦闘員が、10月7日にイスラエルが築いた壁を破壊してイスラエル領土に侵入し、壁の付近で開催されていた大規模音楽フェスと周辺の町になだれ込んで、少なくとも260人をその場で虐殺し、100人を超える民間人を人質として連れ去るという大規模テロ事件を起こしました。この大規模テロ事件の報復として、イスラエルは挙国一致でハマスを殲滅すると宣言し、30万人の兵力を地上戦に投入してガザ地区への軍事侵攻を今にも始めようとしています。

ガザ地区は、鹿児島県の種子島とほぼ同じくらいの面積、もしくは東京23区の6割ほどの面積で、その中で、220万人のパレスチナの人々が、途切れることのないイスラエルの空爆と、破壊されるまま荒れ果てた市街地で、すべてのライフラインをイスラエルに握られた状態で、明日の希望もないままに暮らしています。そして人口の約45%は14歳以下の子供だと云われます。

そしてイスラエルが宣言通りにガザ地区で地上戦を行えば、100万人を超えるパレスチナ人が、45万人を超える子供が、地上戦に巻き込まれて虐殺されることになるでしょう。私が生きているうちに、こんな途方のない大虐殺が起きうる事態になる事に耐えられない気持ちになります。ホロコーストを経験したイスラエルの人々には、未だ見ぬ地獄絵図を想像して、地獄に落とされたホロコーストの実行者たちの姿を想像して、イスラエルがホロコーストの実行者とならない様に、地上戦を踏み止まって欲しいと切に願います。


「汝の敵を愛せよ」という御言葉が、頭の中に浮かんできます。でも、イスラエルの人々、パレスチナの人々に、どう思いを伝えれば良いのか分かりません。探っていて、日本福音ルーテル スオミ・キリスト教会の説教集の中にヒントを見つけました。


説教「『汝の敵を愛せよ』とは、一体どんな愛なのか?」神学博士 吉村博明宣教師、マタイによる福音書5章38~48節 2014年2月17日

https://www.suomikyoukai.org/?p=6015

 です。

吉村宣教師は、説教の中で

「汝の隣人を愛せよ」という掟はレビ記17章18節にありますが、「汝の敵を憎め」という掟はモーセ律法には見られません。掟にないことが、どうして教えられてきたのでしょうか?レビ記で言う愛すべき隣人とはイスラエルの民に属する同胞を指しています。それで、同胞愛としての隣人愛の裏返しとして、敵は憎んでもよいという考え方がユダヤ民族の苦難の歴史と相まって生まれてきたと考えられます。

と述べられています。また、「汝の敵を愛せよ」について

神としては、悪人も自分との結びつきを回復してほしい(つまり懺悔して神の救いを受け入れる者になる)意思なのですから、既に結びつきを回復した者は神の意思に従って、その実現の為に悪人や敵に対してどんな働きができるかを考えなければなりません。悪人だから敵だから滅びてしまえ、というのは神の意思に反する事です。悪人や敵の為に祈らなければなりません。自分を迫害する者の為に祈れというのは、天の父なる御神よ、迫害を終わらせて私を助けてください、という自分の為の祈りではありません。父なる御神よ、あの迫害する者がイエス様を救い主と信じてあなたの用意された罪の赦しの救いを受け取る事が出来る様にして下さい、と悪人や敵の為に祈る事です。

と述べられています。

「目には目を、歯には歯を」という掟は、酷い行いをすればそれ以上の報いを受けることになる。同じ悪が自分にも跳ね返ってくるとはっきりさせる事を通じて悪を控えさせるという、人間が悪に手を出さないようにする抑止力だった。

仕返しの応酬は、常に損害を被った以上の仕返しとなって、そうなると収拾がつかなくなる。

とも述べられています。


ユダヤの神も、キリストの父である神も、そしてイスラムの神も、旧約聖書が現す神と言われます。それならば「汝の敵を愛せよ」の御言葉は、旧約聖書の神を信仰するすべての人々に向けられた御言葉ではないかと思います。


2023年9月19日火曜日

寛容について

18世紀のフランスで文筆家として活躍していたヴォルテールは、ある凄惨な冤罪事件「カラス事件」の事を知り、冤罪で離散したカラス家の名誉回復に尽力しました。
18世紀のヨーロッパ諸国は、宗教対立、他宗教への不寛容が招いた何百年にも及ぶ宗教戦争を経て、寛容であることが国の発展に繋がることに気付き、信仰の自由が認められるようになっていました。しかしフランスでは、イギリス発祥のプロテスタントへの嫌悪感が、地方になるほどいまだ根深く、それが「カラス事件」を生み出す原因となっていました。
ヴォルテールは、この「カラス事件」を経て、フランス国民に「寛容論」を説きました。
寛容である事、つまり、考えが違ったり、信ずる信仰が違っても、そしてたとえ過去にいさかいがあったとしても、お互いを許し、認めることが、フランス人を文化的に高め、フランスが文明国として発展していく肝であると説きました。

※ちなみに、私は光文社古典新訳文庫で「寛容論」を読みました。カラス事件の真相を明らかにし、カラス家の名誉回復に尽力するヴォルテールの活躍が、まるで現代のヒューマンドラマの様なタッチで描かれていたので、とても読みやすかったです。理解もよく進みました。

ここからが本題です。
9月10日(日)、BS1で「ボクと自由と国安法と -香港 600時間の映像記録-」というタイトルのドキュメンタリーが放送されました。
ウクライナ戦争が始まってすぐでしょうか、日本の情報番組で、ウクライナの現状を現地からリポートをしてくれる日本語の堪能な香港人報道カメラマンがいましたが、それが、今回のドキュメンタリーの主人公カオルさんでした。

ドキュメンタリーは、2019年に香港全土で起こった「中国化」への抗議活動に始まり、その抗議活動を同じ香港人の官憲が弾圧、そして2020年6月30日に中国の習近平指導部が導入した香港国家安全維持法(国安法)によって香港人は沈黙を余儀なくされ、香港人に保障されていた筈の言論の自由、報道の自由が完全に葬られるまでが、カオルさんの肉声と彼が撮影した映像で、時系列に綴られていました。

私は2019年から始まり、2021年10月にカオルさんが香港を脱出するまでの間、ずっと眼を見張り、口は開いたままになっていました。香港人の民主と自由が踏みにじられ、強い団結で結ばれていた筈の香港人が、沈黙し不寛容になっていく様が、これ以上ないほどに恐ろしかったからです。

カオルさんが、このドキュメンタリーに込められたのは、「自由を求めることは罪なのか」という不条理への問い掛けでした。そしてもう一つ希望されたのは、香港で起こった事実を、いつか葬られてしまうかもしれない事実を、一人でも多くの人に、知ってほしいということでした。

私は、中国人に対して、実は悪い印象を持っていません。ずっと若い頃、ウェリントンの街角で道に迷って困っていたところを、声をかけてくれて、英会話のおぼつかない私にジェスチャーを交えて親切に道を教えてくれたのが、中国人の青年であったのです。1991年のことです。
また最近のことですが、友だちや家族と一緒に日本を旅行して回っている中国人は、よく言われる爆買いというイメージからは程遠い、洗練した印象さえ受けます。
しかし、天安門事件から始まり、過激な反日デモ、まがい物から危険物まで何でも金に換えてしまう、そして最近の力による現状変更、そんな横暴な中国も、また中国から受ける印象となりました。
平和呆けしていた日本人である私は、世界第2位の経済大国に発展し、先端科学立国としても勇となった中国は、その大国の身分にふさしい振る舞いとして、他国に対して寛容な国に進化することで、中国は、中国の指導者がきっと欲しているであろう、他国からの称賛と尊敬と信頼を得ることになるだろうに、と思います。

中国は、香港を喰らい、次には台湾を喰らおうとしています。国内問題であるから他国は干渉するなと中国は警告しますが、国内問題とするところから歴史の歪曲ではないか、と私は思います。
香港は1898年に不平等条約とはいえ、イギリスが清朝政府から99年間租借した土地です。台湾(中華民国)は1911年に辛亥革命によって清を倒し、1912年に中国大陸に建国された国です。そして現在の中国(中華人民共和国)は、日中戦争後に勃発した内戦(国共戦争)で毛沢東率いる共産党軍が、蒋介石率いる国民党軍を台湾に追いやって、1946年に中国大陸に建国されたもっとも若い国と言えます。イギリスが香港を、アメリカが台湾を見放さず、民主国家の一員として迎えていたならば、この二つの国が、こんなに早くに存亡の危機を迎えることは無かったのではと思います。

最後に、私は中国に警告したい。
もし中国が、人権も自由も踏みにじりながら、万一地球の覇権国家となったとしても、不寛容さが内部に疑心暗鬼を次々に生み出して、発展どころか、自滅の道を進むことになるでしょう。
決してデモクラシーは人類を平和に導く唯一の手段ではないかもしれません。アメリカや欧州の先進国と呼ばれるデモクラシーを標榜する国も、様々な問題をその腹の中に抱え、国民は苦しんでいます。しかしデモクラシーは、国民の寛容さの裏打ちがあって成されるものであり、デモクラシーが幾分でも機能している国家の国民は、寛容な国民と言えるでしょう。
寛容な国民を有する国には、将来の成長や発展という希望があります。
中国には、ロシアの轍を踏まず、これ以上の一線を越えずに、寛容さに立ち戻って、本当に世界から信頼される立派な国へと歩んでほしいと思います。
心から願います。