国際社会から、ガザや西岸地区への侵攻と虐殺行為をどんなに非難されても、決して止めないイスラエルとはどんな国なのか?
様々な角度でその実態に迫るドキュメンタリーを観てきて、何よりも驚いたのは、彼らの神がアブラハムに与えると約束したカナンの地、現在のイスラエルとパリスチナを包含する地は全て自分たちのものであり、何が何でも取り戻す、ということを教師は子供たちに教育し、その教師たちも子供時代に刷り込まれてきたということにです。単にイスラエルの独裁的な首相ネタニヤフの扇動や狂信的で戦闘的な人々による暴走という理由では片付けられない、とても根の深い問題があることを知りました。
何度も繰り返し考えてしまうのですが、ローマ帝国に刃向かって敗北し、約束の地を追われた二千年の間は、差別と迫害の苦難の歴史であり続け、近代にはボグロム、ホコローストという大虐殺を立て続けに経験したユダヤ教徒は、ヒューマニズムと自由を最も希求し続けた人たちであり、最もそれを大事にする人々であるべきと思っていたのに、自分たちがやられ続けた事を、自分たちよりも立場の弱い人々に何の躊躇もなく実行できてしまう事に、彼らは現代ではなく、彼らの栄光の時代、ヒューマニズムも自由もなく、迷信と権威が幅を利かす時代を希求しているように思え、恐ろしさを覚えます。
但し、すべてのユダヤ教徒がそうなのだと云う訳ではありません。
実際にホコローストの生存者、サバイバーと呼ばれる高齢の人々の多くは、今の状況に苦しまれていると云います。しかし、彼らサバイバーもまた、長年に渡ってイスラエルの中で臆病者の烙印を押されてきたと云われます。
また、海外の大学などに進み、パリスチナ人の同窓や同僚と接することで、彼らへの憎悪が消えて、同じ人間として尊重や尊敬に目覚めたユダヤ教徒もまた多く存在します。ても、彼らの声は、イスラエルの国内に渦巻く裏切り者としての残酷なほどの脅迫や暴力によってかき消されています。
日本人に何かできる事など、無念なほどにありませんが、ただただ、イスラエルの人々に、神がモーセに示された十戒の中の、殺してはならない、盗んではならないの戒めに従い、直ちに戦争行為、殺戮行為を止めて、近代以前のあらゆる民族、教徒にとって、カナンの地が共生と安息の地であったことを思い出し、再びカナンの地が、そのようになるよう努力を惜しまぬ人々になってくれることを、あなたたちの神にすがり願います。