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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年8月4日土曜日

蚊に感謝です、なでしこジャパンの勝利見ました。(*^_^*)


蚊に感謝です!
蚊に何カ所も咬まれてやむなく起きました。時計を見ると二時半頃でした。
あっ、なでしこ戦っている、っと思い立ちテレビをつけました。

後半です、そして一点リード、やったーと思いきや、攻められ続けています。
日本の陣地でボールを支配しているのはブラジル、そして矢継ぎ早にシュートが飛んできます。日本は懸命に堪えています。そしてゴールキックを放ってもブラジル陣地に届く前にボールを奪われてしまいます。
まだ時間だいぶんあるやんと心配しかけていたところ、カウンターから左ラインでボールを受けた大儀見選手が、中央に走り込む大野選手に絶妙のロングパス、ゴール手前でブラジルディフェンスを一人抜いた大野選手は左足でシュート、ドライブ掛かったボールはゴール左に吸い込まれました。決定的な二点目でした。

その後も、ブラジルの猛攻は続きます。日本は耐え続けます。
試合後、解説者が話をしていましたが、ブラジルは個人技で攻め続け、日本は組織で耐えるという構図でした。やがて時間が押してブラジルの個人技は精度を失い、そして主審の笛が鳴り響き、日本が勝利しました。

やったー!です。
そして蚊に感謝です!

2012年8月3日金曜日

本当の『未来への責任』


町歩きをしていますとさまざま情報が目に留まります。
そして最近特に気に障るのが国会議員のポスターに添えられた文句です。
民主党議員も自民党議員も、顔写真に添えられている文句が
『未来への責任』
なのです。

『未来への責任』
とてもシンボリックな物言いです。
国会議員には自惚れのなにものでもない、心地よいアドバルーンなのかもしれません。
『未来への責任』というならば、
これまでご自分がやって来た(もしくは何もやって来なかった)事柄の責任にまず清く向き合ってほしいと思います。

国会議員それぞれは、公約を唱え選挙を経て、公約を実現する責務を与えられました。
血税を報酬とした大いなる仕事が与えられたのです。
仕事には、明示的なPDCAサイクルが必要です。そして雇い主への報告・連絡・相談の義務も発生します。
そして、何より期日には成果を示さなければなりません。
それができなければ、その責任を清くとらなければなりません。
その清い行動こそが、『未来への責任』の第一歩だと思います。

そして彼らに仕事を与えた私達国民も『未来への責任』を果たさなければなりません。
自分ができないから、不誠実さに寛容になるのは、無責任のなにものでもありません。
たとえ自分ができなくとも、不誠実さは厳しく咎め、誠実さにこそ寛容になるという責務を果たさなければなりません。

ある国会議員のホームページに『未来への責任』というタイトルの記事がありました。
そのシンボリックな記事を読むと
現在の政治の混乱は与党の体たらくと、ある大物国会議員の不誠実さが原因であるとして、国政運営の障害とならないようにしかるべき行動をなすべきだろうと締めくくられ、それが『未来への責任』だと述べられていました。
あまりに評論的で、自らの意思や行動はまったく書かれていませんでした。
現在の政治屋が言う
『未来への責任』はこの程度のものかという、げんなり感を覚えました。

『未来への責任』というキャッチコピーはいつ頃から使われ出したのでしょうか?
日本おいては、3.11の大地震が招いた未曾有の破壊と、そして原子力の安全神話が崩れたことが発端であるとは思います。
世界に目を向ければ、2009年イタリア・ラクイラで開催されたG8サミットの宣言文のタイトルが
『持続可能な未来に向けた責任あるリーダーシップ』でした。
 その宣言文では特に、
『持続可能な成長』という文言が目に付きました。
『もしも地球が100人の村だったら』というある事柄を示唆した文書があります。
人種、経済状態、政治体制、宗教などの差異に関する比率を描いた文書ですが、もう一つ、『世界は有限である』ことを示唆する文書であるとも思います。
この地球にあるものはすべて有限、という事柄に私達はもっと正直にならなければなりません。資源や食料だけでなく、経済活動に必要な消費も雇用もそうです、有限です。いや実際は縮小しているかもしれません。

『持続可能な成長』という文句も、とても心地よいアドバルーンです。
 しかし、『持続可能な成長』というキャッチフレーズは支配者の押しつけであり、搾取者の大義名分でしかないことに気がつかなければなりません。

有限なる地球に正直に向き合って、すべての人々がともに尊重し合って、協力し合って生きていく、その道筋を示すことが、本当の『未来への責任』であると思います。

2012年8月2日木曜日

懐かしい、我が家の宵の風景


いやぁ今日も暑かったですね
七時をとっくに過ぎたのに、陽の名残りは尽きません。

子供が小さかった頃は、よく花火をしました。
バケツに水を張って、そのそばにろうそくをたて火をともしますと、
子供らはパックにいっぱいつまった花火を思い思いに抜き取っては、花火に火をつけて
パリパリパリ
チリチリチリ
パシャパシャパシャ
と気忙しく炸裂する火花を夢中になって楽しみます。
そしてすっかり暗くなった頃、みんなで線香花火に火を点火します。
パッパッパッ
チィチィチィ
雪の結晶に似た火花はとても小さくて静かです。
そして誰の残り火が最後まで残るかをじっとじっと見守るのです。

すっかり汗ばんだ体で部屋に戻ると、
冷たい麦茶と、切り分けられたスイカがあって
それをみんなで賑やかに食します。

懐かしい懐かしい
我が家の宵の風景です。

2012年8月1日水曜日

平成24年8月1日(水) 朝の風景


おはようございます。
東方から低く陽が差し、建物の影が真横にくっきりと表れています。そして影は徐々に西下がりに角度を変えていきます。
東方から少し強めの風が吹いています、ひゅーっという風音が聞こえます。
空は真っ青で、天上から地平線に向かって深いグラデーションを描いています。

鮮やかな夏の一日の始まりです。

2012年7月31日火曜日

『上腕二頭筋腱鞘炎』


10日ほど前から耕太郎が右肩の痛みを訴え
野球部の練習が休みであった今日、加古川市民病院の整形外科外来で診察して頂きました。

ちょっと出足が遅くなり、再診受付をしたのが9時過ぎ
そして診察を終えて帰路に着いたのは14時近くになっていました。。。。

ぎょろ目で精悍な風貌の担当医は、ご自分も高校球児であったらしく息子に野球活動について親しげに質問され、上手に和まされた息子はまるで先輩に物言うように落ち着いて答えていました。
最初に現在の野球活動を話し、そして痛みの部分を示すと、
『それは上腕二頭筋の腱鞘炎である疑いが強い』と話され、レントゲン検査を経て
『上腕二頭筋腱鞘炎』と診断されました。
それでもまだまだ軽度な炎症であり、
これまで以上に練習や試合前にしっかりとストレッチで筋肉や腱をほぐし
また終わった後もしっかりとクールダウン、そして酷使して痛んだ部位(肩など)を冷却することを指示頂きました。

春先に右膝の軽度な棚障害を起こした時も、違う医師でしたが
『激しい運動を続けるのだから、上手に痛みとつき合うように』
といった話をして下さり、息子に向き合う私の指針となっています。
怪我は甘く見てはならない、けれども恐れていては、この大切な日々はあっという間に過ぎ去ってしまう。
『己をもっと知って賢くスポーツ活動に取り組む。』
それが限られた日々の中で全力投球で成長しなければならない高校球児の歩み方ではないかと思います。

p.s. 
帰りに二人で、JR宝殿駅東にある長崎ちゃんぽんの美味い店で、長崎ちゃんぽんを食しました。
すっきりとした甘み旨みがつまったスープ、そして太めでしなやかな麺の喉ごし
久しぶりで食べましたが、相変わらず美味かったです。

長崎ちゃんぽんの思い出というと、遥かな昔、コンピュータSE駆け出しであった頃を思い出します。
大阪府堺市出島に初めて担当したお客様がありまして、以後10年ほど担当させて頂きました。お客様の工場がある南海湊駅から徒歩4㎞ほどの道のりの途中に、小汚いラーメン店がありまして、よく昼飯や晩飯を食べました。カウンター席しかない小さな店でしたが、昼間はサラリーマンで賑わい、夜は酒飲みで賑わっていました。調理器具は、中華鍋と中華包丁のみ、そして強い火力であっという間に美味い料理を作り上げていくのです。
料理ができる間、よく店主の調理を眺めていました。そのおかげで美味しい焼きめしやラーメンの作り方も学びました。
その店の名物が長崎ちゃんぽんでした。その店で私は初めて長崎ちゃんぽんを食し、そして虜となったのです。
懐かしくなってGoogleマップで出島辺りを表示しましたが、当時お世話になった会社は、併合、集散により栄光の名はすでにありませんでした。小さなあの美味いラーメン店もきっともう無いのだろうと、とても寂しく思います。

2012年7月30日月曜日

フランスF2、今朝のニュース


NHKBS1のワールドWaveでフランスF2のニュースを見ました。
ニュースの項目は次の5つでした。
1.幼い少年が母親の目の前で酔っ払いドライバーに殺されました。
2.マルセイユで不良グループの抗争があり、有名な若者がマシンガンで殺されました。
3.山岳地域で山火事の危険が迫っています。
4.シリアで国軍と自由シリア軍の抗争が激化しています。
5.マリでアルカイダの脅威が強まっています。

『少年が酔っ払いに殺されました。』
フランスも、夏になって飲酒や麻薬に溺れた若者による凶悪事件が社会問題となっている様子です。でも報道の仕方が違っていました。被害者の扱いです。
日本では、『事故に遭い、死亡』と客観的に報道するところを
『殺されました。』と主観的に断定的に報道していました。
日本で社会問題となる『いじめによる自殺』、フランスではどのように報道されるのか、気になりました。

『マルセイユで不良グループの抗争』
場所はマルセイユ、フランス映画『ボルサリーノ』、アメリカ映画『フレンチ・コネクション』で舞台となった南仏の港町です。どちらの映画もフランスマフィアの残酷さを描いた映画で、マルセイユは貿易港という豊かさ溢れる町という印象とともに、マシンガン殺人と麻薬が溢れた恐ろしい町という印象を持っていました。
若者達の不良グループの抗争は今年に入り十数件にもおよび、七月に入って抗争は激化している、という内容でした。そして今回殺害されたのは、とても名の知れた若き暗黒会のリーダーでした。
映画『ボルサリーノ』は、フランスが生んだ二大スター、ジャン・ポール・ベルモントとアラン・ドロンが若きチンピラを演じ、マルセイユを舞台にマフィアの世界をのしあがっていく物語です。映画のラストはとても印象的で、『友はいらない、王は1人でいい』、といった乾いた若きマフィアの恐ろしさを残して終わります。
マルセイユは今もマフィアの町なのだなぁという印象を覚えました。

『山岳地域で山火事の危険』
フランス中部の山岳地域ではこの2ヶ月ばかり全く雨が降らず、そして30度を超す乾いた猛暑が続き、いつ大変な山火事が発生してもおかしくない事態だそうです。そして山岳地域は、人の不始末による出火を防止するため立ち入り禁止となり、また消防隊が出火を監視しているという内容でした。
この時期の大変な山火事のニュースといえば、アメリカ西海岸で発生した山火事ニュースが印象的ですが、ヨーロッパも乾いているのか、という強い印象を覚えました。

『シリア内戦』
シリアでは大統領が暴君となって、市民を無差別に殺害しています。ミサイルや攻撃ヘリコプターで町を破壊し、陸上部隊が重火器やナイフで町に展開し市民を根絶やしするが如くに殺害して回ります。
何故にこのような地獄に陥ったのか、また何故にヨーロッパもアメリカも誰も介入しないのか、不思議でなりません。でもフランスメディアは博愛と自由主義の兵士となって、銃ではなくペンを持って地獄に入り、命がけの現地レポートを繰り広げていました。

『マリでアルカイダの脅威』
昨年、アルカイダの最高指導者であったウサマビン・ラディンが米軍特殊部隊に殺害された後、日本では数々の内政問題から、まるで消え失せた脅威の様になっていたアルカイダでしたが、ニュースによると西アフリカのマリでその勢力を拡大しているという報道でした。中東、西アジアで芽吹き世界的脅威となったアルカイダの思想がアフリカの大地に根付けば、今度はアフリカが拠点となってヨーロッパ、アメリカそしてアジアでジハード(聖戦)が繰り広げられるだろうと結ばれていました。

NHKBS1のワールドWave、世界の今日を知る貴重なニュースソースでありました。

最高の贅沢


星新一が紡ぎ出したショートショートのひとつに
『最高の贅沢』という物語があります。

F氏が、大金持ちの友人から最高の贅沢を味あわせてあげると招待を受けます。
F氏は、最高の贅沢を味わえる事を楽しみに、招待状に入っていた地図を頼りに友人に会いに行きます。
そこは極寒の地です。男は凍えながら歩いていますと、大きなドームが見えました。
ようやくドームにたどり着き、中に入りますとそこは人工太陽が眩しく輝く常夏の世界です。F氏は友人の贅沢に感じ入りながらドームの中心にある家を目指しましたが、今度は暑くて死にそうになりました。
青息吐息でようやく家にたどり着き中に入りますと、室内は最高に冷房が効いています。そしてあまりの寒さに凍えそうになりました。
ある部屋に入りますと、暖炉に火が入っています。F氏は暖炉のそばの椅子に腰掛けますと、火力は猛烈に上がってF氏は熱さで目が眩みました。
そこに友人が現れて言います。
『最高の贅沢をどうぞ』、彼の手にはつめたく冷えたビールがありました。

記憶を頼り書きました。正確ではないかもしれませんが、この様な筋であったと思います。
贅を尽くした、というよりも最高に無駄を尽くしたもてなしですが、最後のビールはやはり至福であったと思います。

今年の夏は、いろいろな事が重なり、その過ごし方が一変しました。
そして、冷房を極力控え、暑さに向き合う過ごし方を実践しています。
それは『歩くこと』がきっかけでした。歩けばいっぱい汗をかきます。汗は体内の熱を放出し、体に軽快さが甦ります。また肌表面に残った汗(水滴)に微風が触れるだけでひんやり感を覚えます。
また早起きし、陽の明け切らない早朝、熱のこもった部屋の窓やカーテンを開け放つと、外から優しい冷気が入ってきます。
自然が与えてくれる真夏の最高の贅沢な瞬間です。

私は今、やせ我慢ではなく、本当に『最高の贅沢』を感じる事ができる鋭敏な今の状態を楽しんでいます。

2012年7月29日日曜日

蝉時雨、朝から外は賑やかです。


おはようございます
蝉時雨、朝から外は賑やかです。そして今日も酷暑となりそうですね。

子供が小さかった頃はよく蝉取りをしました。耕太郎は蝉取り名人で、ラジオ体操が始まる前から表に飛び出し、小学校やお寺を巡っては、小さな虫かごに何十匹もの蝉を押し込んで得意満面で帰ってきました。遼太郎はカブトムシが好きだったなぁ、リフレッシュパーク市川にいってよくカブトムシ買いました。カブトムシ脱走事件なんてのもありました。つがいのカブトムシが虫かごから脱走し、家の中を飛び回ったのです。カブトムシよく飛ぶのです、ホント力強く元気な虫の王様です。
さくらといえば、虫よりも川遊びが好きでした。ホント小さい頃はすぐに真っ裸になって小川に入ってはしゃいでいました。夏は子供たちがいっそう光を放ちます。

最近歩いているとよくアゲハチョウを見かけます。大きな羽をいっぱいに広げて、てふてふ(ふわふわ)と熱気の中を漂っています。蝶々を見て、てふてふという文字を当てた先人の柔らかい感性、素敵だなあと思います。