播磨の国ブログ検索

不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2012年2月10日金曜日

青春の旅


店で知り合った青年が今、旅をしています。
青年は高校三年生で、卒業式までの数週間、
『山陽路を一人旅する』といって、二月一日に旅立ちました。

昨日夕方、青年の友達が店に訪れ、
『”Y”、もうすぐ帰ってくるそうです』
『元気です』
と伝えてくれました。

青年は、若かりし頃の”みなみらんぼうさん”や”南こうせつさん”を彷彿させる風貌で、朗らかで彼の周りはいつも和やかな笑いが起こります。聞くと、ギターの演奏活動もしている、との事でした。
そんな青年が、一月のある日、旅に出る話をしてくれました。
『宿はどうするの?』
『ユースホステルかお寺に泊めてもらいます』
無銭旅行ではないにしろ、とてもストイックな旅を求めているのだな、そう感じました。

私は、彼のような長い旅をしたという経験はありませんが、時々半日から一日かけて、ふらっと足の向くまま気の向くまま、プチ放浪することはあります。
持ち物は、『カメラ』と『本』と『水が入ったペットボトル』、それを詰め込んだリックサックが一つです。

たとえば見慣れた町、通りなれた道でも、好奇心満載で歩めば、ささやかな、でも新たな発見がきっとあります。そしてそれが、初めての町、初めての土地ならば冒険心を満たしてもくれます。行き止まりもあれば、予期せぬサプライズと出会えもします。そしてまた、自分自身を知らしめてもくれるのです。
それが”旅”だと思うのです。それが”旅する”動機そして目的だと思うのです。

そのように考えれば、”生きること”、この基本的な営み自体”旅”なのだと思います。

日本の旅のことわざから
『旅の恥は掻き捨て』すべからず、
ただ『謙虚さ』と『感謝』と『憧れ』を抱けば
さすれば
『旅は情け人は心』が身に染みる

『旅は憂いもの辛いもの』、
時にはまさしくそうではあるが
心をひらけば
『旅は道連れ世は情け』、旅の仲間も支えよう

そして外国の旅の名言から
『旅人よ、道はない。 歩くことで道は出来る。』

『幸せは旅であり、目的地ではない。』

『長生きするものは多くを知る。旅をしたものはそれ以上を知る。』

今日は休日、東川篤哉さんの小説を読んでます。


朝から、コタツに入ってまったりとくつろんでいます。

でも、目覚めはいつもの通り5時半でしたよ。
居間に入ると、耕太郎がすでに起きていました。
耕太郎が自分で早く起きるのは野球に関しての時だけでしたのに。。。
そう朝練、そして公式戦当日です。

『早起きやな』
と声をかけますと
『今日はいくさやから』
威勢のよいことをいいました。
6時、一緒に朝食を食べ、
6時半、耕太郎は身支度を調え、家を出ました。
その後、続くようにさくらが出て行きます。さくらは今日は試験会場の手伝いだそうです。
そして妻は朝食を片付け、私は洗濯物を干してから、8時頃まで『おは朝』を見ながらコーヒーを飲み、たわいもない会話をしてました。

一人になって、ふとコタツの上にあった本を手に取りました。
東川篤哉さんの探偵小説『はやく名探偵になりたい』でした。
さくらは東川篤哉さんの小説を好んで読んでいるようなのです。
そしてペラペラめくりました。
『烏賊川の市街地から遠く離れた山の中腹。。。』
で始まった鵜飼杜夫探偵のボケ味が秀逸な本格的推理&喜劇の始まりです。
クククっ、と笑いを漏らしながら読み進めますと、すぐに三時間が経過しました。
長編というよりも主人公が決まった短編、ショートショートという呼び方があっているかもしれません。

この本の前にもさくらが置きっぱなしにしていた
鯉ヶ窪学園探偵部副部長の霧ヶ峰涼ちゃん主演『放課後はミステリーとともに』を読みました。
東川篤哉さんというのは後書きでも書かれていますが、『本格ミステリー』志向派。ですからトリックがとても凝っていておもしろいのです。ですがそれ以上に、共感できる笑いがちりばめられているのです。東川さんは広島出身で大のカープファンです。それもあるのでしょうが、昭和の野球ファン(アンチ巨人ファンというべきでしょうか)には、ククク、とこみ上げる笑いを誘うエピソードもいっぱいです。
『放課後はミステリーとともに』では、怪しげな容疑者の名字は皆往年のジャイアンツの選手、そして涼ちゃんの友達はカープの選手といった具合。そして、『八時半の男』や『空白の一日』などのプロ野球のエピソードが何気に挿入されているのです。

そして何より涼ちゃん、可愛い女の子なんですよね。前半部、気ばかり先に立ったヘンテコな男の子として読み進めていましたが、女の子と判明してからは、その言動や行動がとても可愛くなりました。こんな娘がいたら楽しいだろうな、なんて夢想しながら読み進めた事思い出します。

私が中高生の頃、進んで読んでいたのは、赤川次郎さんの初期作品である学園推理物、そして星新一さんのショートショート、もう一つが映画のノベライズ(原作本もしくは派生本)でした。
東川篤哉さんの作品というのは、それら三つの作品群のエッセンスをうまくミックスされているように感じています。そして何より『押しが強くない』作風がいいです。

耕太郎とさくらが帰ってきたら一緒に昼飯でも食べに行って、晩はまた、続きを読みたいと思います。

2012年2月9日木曜日

-4℃、再びです


お早うございます!でもワーッ寒っ!
目覚めた時より、今の方が寒いのです。現在6時半
姫路の6時観測気温を見ると”-4.2℃”、そしてどんどん下がっています。
陽が昇れば、気温は上がるでしょうが、でも日中でも5℃という予報で、低温の一日となりそうです。そして明日も同様、週末まで厳しい寒さが続くようです。

明日は、私立高校の受験日です。耕太郎、そして鹿島中の仲間たち、子供たちへ。それから店で知り合った子供たちへ。どうかみんな、キリリとした気持ちで明日に挑めるよう、今日はしっかり休んで下さい。君たちはすっかり準備を終えたのです。だから明日のために心と体を整えて下さい。

エヘンエヘン、さくらが表彰されました。


娘さくらは、兵庫県播磨高等学校の二年生です。そしてソフトボール部のキャプテンを務めています。
そのさくらが今日、姫路市教育委員会主催の”姫路市非行防止大会”で、善行表彰なるものを受賞しました。さてさてどんな顔をして臨むのかを楽しみに、午後から、会場である文化センターに出向きました。

入り口で冊子を受け取りました。頁をめくると表彰受賞者は10組です。
さくらは友達とふたりでの受賞です。下校途中に携帯電話を拾ったのです。そしてそれを適切な手続きを踏んで持ち主にお返しした。それだけの事です。当たり前の事をしただけなのですが、それが表彰の対象となったのです。
そして、受賞者全員が壇上に上がり、受賞の順番を待ちます。さくらは9番目でした。
さくらの名が呼ばれ、中央に進んで一礼、そして賞状を受けました。
その時の、すーつと立った姿勢が、またお辞儀までもが、とても美しかったのです。
その動作はとてもたおやかで、しかも指先まで神経が行き届いていました。びっくりしました。
家では、特に私に対してはおっさんみたいな態度しか見せないので、別人かと思いました。
”県播”の接遇指導、恐るべしと感心しました。

そして夕方、帰宅したさくらに突っ込みを入れました。
『この別人28号!(鉄人28号の駄洒落です)』
『おまえ、何人おるんや?』
『五人』
『おまえ、ゴレンジャーか!』
『壇上に上がってたんは何色や?』
『青』
『そしたら、今のおまえは何色や?』
『赤』
『ほかに何色がおるんや?』
『黄色と。。。銀色、それから白』
『おとうちゃんにやさしいんは何色や?』
『おらへん』
『・・・』
少し寂しい顔をすると、さくらはすかさず
『緑や』
『でもなぁ、もう卒業したん』
結局、おられへんといういう事でした。

-----

姫路市非行防止大会は三つのプログラムがありました。
第1部 講演ライブ
姫路出身のバンド”THE NEUTRAL”のボーカルしげるさんによる
ミニライブ
第2部 善行表彰
第3部 非行防止啓発劇
    劇団野火の会 小林育栄さんによる一人芝居
    『仮面の少女・愛 ~それでも私を愛してくれますか』
です。
すべてしっかり鑑賞してきました。

姫路市非行防止大会パンフレット
www.city.himeji.lg.jp/var/rev0/0032/4370/hikoubousi.pdf

-----

ロックバンド”THE NEUTRAL”ボーカルしげるさん(三木茂さん)のミニライブ

『駄目人間だった僕がどのようにしてプロ歌手になったか』、
ライブで鍛えられた語りで時にユーモアも交えながら話されました。
そして4曲を熱唱、ギター一本と生声による、とてもパンチの効いたソウルフルな歌声でした。声質はそう、坂本九さんを彷彿させ、包む様な優しさと伸びのある強さがありました。
1曲目の題名は忘れてしまいましたが、後の3曲は
『ちびとふとっちょ』
『空飛ぶ本屋さん』
『フレーフレーフレー』
どのタイトルもとてもユーモラスなんですが、歌には愛が溢れていました。

またプロミュージシャンとして、私たちが知らない話を二つ披露してくれました。
一つは、インディーズ活動を経て、大手プロダクションからメジャーデビューを果たしたときの事です。『君たちに一億円を賭ける。君たちは価値がある』と言われたそうです。プロ野球のドラフトを連想しました。インディーズ時代の地道な、でも実力を付けファンを獲得してきた実績が評価されたのです。ですから、メジャーデビューをとても誇りとし、また責任も芽生えたと話されました。
そしてもう一つは、テレビの歌番組出演には出演料がでないという話です。
歌番組で歌うというのは、CD等を販売するプロモーション活動とみなされるそうです。いやぁ厳しい世界です。

The Neutral official web site
http://www.the-neutral.com/index.html

ちびとふとっちょの恋の話

-----

小林育栄さんの一人芝居
『仮面の少女・愛 ~それでも私を愛してくれますか』

物語は、
愛という少女が主人公です。
愛は高校生で、才色兼備。また毎夜自宅の屋上で亡き祖母の面影を星に宿して語りかける優しい少女です。ですが彼女にはもう一つの顔がありました。
仮面を被り、夜な夜な不良グループのリーダーとして、廃退した問題行動を起こしていたのです。

愛の両親は二人とも出会った頃は芸術家の卵でした。ですが父は、生活のために芸術家の道を断念し就職しました。そして母は結婚した後も創作活動を続け今や世界的に認められた仮面彫刻家です。そんな母に父は嫉妬し、酔っては暴力を振るうのでした。DVです。
愛は、家庭内の不条理を抱えながらも、まじめに勉強に向き合っていました。

ある日の事です。愛が勉強していると、獣が現れ
『何をしても無駄な事だ、どうせ死ぬのだから』とささやき始めます。
それからは四六時中、彼女から離れなくなりました。
愛は、獣から逃れようとして彷徨います。そして行き着いた場所が不良グループのたまり場でした。獣もそこでは沈黙します。そして愛は退廃に身を落としていきました。

そんな愛を、担任の菊川は、以前の愛に立ち直らせようと献身的に関わります。
でも愛は、大人の身勝手と取り合わず、侮辱を繰り返します。でも、それでも菊川の献身は揺るがないのです。そして愛が菊川の献身を信じてみようとした矢先、菊川は交通事故で亡くなります。

愛は、自宅に引きこもりました。
ある日、菊川の妻が、菊川のノートを持って訪ねてきました。
そして菊川のノートが愛の手に渡ります。
愛は自宅の屋上で、祖母に見守られながら、静かにノートを開き読み始めました。

『教室で君を始めて見たとき、僕の”愛ちゃん”がいると思った。』
『僕の娘”愛”は、小学生の時に白血病で死んだんだ』
『その”愛”が言うんだ。”愛さん”には長く幸せに生きてほしいと』
そして、
『君は”何をしても無駄だ、どうせ死ぬのだから”と言うが』
『その通りだ、もしかしたら明日蜂に刺されて死ぬかもしれない』
『命とははかないものだ』
『だからこそ、今日を大切に生きるのだ』
『僕はいつまでも君を見守るよ』
そして最後に
『とはいっても、僕が先に死ぬかもしれない』
『でもそしたら僕は、君のおばあちゃんの星にいって、おばあちゃんと一緒に、いつまでも君を見守るよ』

愛は、星に誓います、今日を大切に生きていく事を誓うのでした。
end

一人芝居を見たのは初めてでした。
そしてプロの演技を見て話す事ではないかもしれませんが、朗読を学び一人芝居のようにして朗読を実践している経験から、小林育栄さんの一人芝居を見て、ボディーの演技をし、BGMに合わせ、複数の役をこなさなければならない。開演から終演まで一時の油断もできないこの芝居を、小林さんと一緒になって、緊迫した面持ちで見つめていました。
小林さんは、まるで仮面を取り替えたように、別人になって喜怒哀楽を表現されます。芝居が進むにつれ、それは私の感情を揺り動かして、物語の深部に引きづり込んでいきました。そして一番に感動したのが、終幕のノートの読み語りでした。
きっと白紙のノートなのでしょう、なのに慈しむようにしてノートの頁をめくり、そして目で文字を追うのです。それはまさに真実の演技でした。

この物語では、終幕の直前まである疑問が晴れませんでした。それは、何故に愛の中で獣が生まれてしまったのかという事です。父のDVは、愛の深部にこれほどの深い闇を宿す理由としては弱かったからです。
でも芝居をすべて見終わって後、次のように理解しました。
”死が突然に訪れるように、心に宿る闇も不条理に広がる”と。
私にとっては些細な事柄でも、ある人にとっては非常に重い苦悩となる事があります。
ですから私たちは杓子定規ではいけないのです。大切な人の、ほんのかすかな変化もくみ取れるよう、私自身が大きな愛を満たしていなければいけない、そう物語は語っているのだと理解しました。

-----

久しぶりに、充足しました。
しげるさん、そして小林育栄さん
有り難うございました。

2012年2月8日水曜日

新幹線を見て、はしゃいじゃいました。


YouTubeでおもしろい投稿を見つけました。
”【TV On Air】外国人、新幹線の速さにびっくり大興奮!”というものです。
2010/10/22にアップロードされたもので、
新幹線姫路駅が、最速で突っ切る新幹線を数多く観ることができるスポットとして、外国からの訪問者に人気で、その多くが興奮した様子をYouTubeに投稿し、ネット上で話題となっている、というニュースショーの映像でした。

姫路駅は新幹線の駅の中でも主要な駅に入ります。すべての『のぞみ』が停車するわけではないのですが、のりばは上り1、下り2とあり、通過列車は、駅の中程にある上下二車線の専用路を走ります。そのためホームには落下防止の策もなく、駅構内は広々としています。

姫路駅のホーム構造はほぼ真っ直ぐで、通過する新幹線はまるで一本の槍のようです。
ニュースの説明では、姫路駅を境に新幹線の最高速度が、東が270㎞/h、西が300㎞/hとなっており、そして観光客の昇降が多い姫路ならでは、多くの観光客がアメージングなスピードを体験できるスポットとなったと解説していました。

私も新幹線が大好きです。
子供たちがまだホント小さかった頃、当時の愛車、マウンテンバイクの後部にチャイルドシートを付けて、休日は子供を乗せて、よく姫路城や書写山を巡りました。コースは国道を避け、脇道や鉄道沿線の道路で結びました。そして姫路駅東側の新都市開発区画、まだ当時は広々とした空き地でした。そこでしばしの休憩を取り、子供と一緒に新幹線を眺めていました。

私が始めて新幹線に乗ったのは、昭和40年の事です。鎌倉そして横須賀の親戚宅に遊びにいきました。新大阪駅から乗車しました。今思えば不思議なことですが、高架駅はすごく高い場所という印象が残っています。

そして私は家族と少し離れた三人シートの窓側に座っていました。車内販売でピーナッツを買ってもらい食べていたところ、名古屋あたりで鼻血がでました。そしたら隣に座っていたお姉さん?に優しく介抱してもらった、そんなこともいまだに印象深く覚えています。

新幹線に乗るといえば、やはり東京への移動ですね。大阪で勤めていた頃はよく利用しました。車内では本や雑誌を読んで過ごしましたが、静岡駅を過ぎたあたりで手を休め、しばし窓の外を眺めます。何度かのトンネルを過ぎ、富士川を越えると富士の裾野が広がって見えます。そして『あっぱれ』の御山、富士山を眺めるのです。
富士山、ほんと何度観ても、感動しますね。

富士山、富士山を観て特に感激した事があります。
それは、ある冬の夜、成田から伊丹まで旅客機で移動中での出来事です。
最後尾の右窓側の席でした。翼に邪魔される事なく眼下の景色を眺める事ができました。
そして、砂場の中にゆったりと積まれた砂山のようにして一人たたずむ富士山を見つけました。頭には西から白い粉をまぶしたように雪を被っています。外は澄んでいて、月明かりに照らされた富士山を長く見続ける事ができました。
そして、富士山を後ろにし、お別れを告げて機内に目を戻そうとしたときです。チカチカと光を放ちながら動く糸くずの様なものを見つけました。新幹線です。
見つけた新幹線は、眼下で併走していました。
おもわず側を通っていたキャビンアテンダントに
『あれ、新幹線だよ!』と叫んでいました。
30を超えたネクタイをしたおっさんがですよ、
わーっ、ホント恥ずかしい出来事でした。


JR姫路駅のトリビアを一つご紹介しましょう。
姫路駅は、日本で最初に、幕の内弁当を駅弁として売り出した駅なのです。高校生の頃、父が持っていた『日本の駅弁』という本を読んで知りました。
そしてWikipediaで検索しますと、次のように書かれていました。
-----
現在のような折詰に入った駅弁は、1890年に姫路駅でまねき食品が発売したものが最初とされている。また農文協(社団法人 農山漁村文化協会)刊行の「日本の食生活全集 28 聞き書 兵庫の食事(1991)」にも「元祖・駅弁--姫路の『まねき』」と題する記述があり、そこでは1889年に姫路駅で発売された物を駅弁の元祖とし以下のように述べている。
『日本初の駅弁は、明治十八年に日本鉄道会社宇都宮駅で売り出されたものというが、これはにぎり飯二個を竹の皮で包んだだけであった。折り箱に入った幕の内風で、その後の駅弁の形をつくり出したのは、この姫路の駅弁が元祖といえる。』
-----
昔はこんな些細な事も、外の町で暮らしたときの私の”お国自慢”でありました。

大切な映画作品『陽のあたる教室』


私は映画が大好きです。
学生時代、どんな風に映画を観ていたかは、以前の記事で触れましたのでここでは省略しますが、映画について話し出したら今も止まらなくなります。(^_^)

そして映画館で観て、
是非子供が大きくなったら見せたいと、その後にDVDを買い求めた作品があります。
『陽のあたる教室(Mr.Holland's Opus)1996年上映』
『遠い空の向こうに(October Sky)2000年上映』
『小説家を見つけたら(Finding Forrester)2001年上映』
です。

今日はその一作品を観ました。
『陽のあたる教室』です。

-----
1965年、ピアニストのグレン・ホランドはジョン・F・ケネディ(以降JFK)高校の音楽教師になりました。
彼はこれまでジャズバンドのピアニストしてクラブなどで演奏活動を続けていましたが、夢である交響曲作品を書き上げるために、安定した収入と創作時間を求めて音楽教師になったのです。四年間の腰掛けのつもりでした。

そして登校第一日目で、彼は教師の仕事が甘いものでないことを痛感します。
生徒らはまるで音楽の授業に興味を示さず、オーケストラの指導においても、生徒らの演奏はあまりにも酷い。そしてなにより、彼の雇い主であるジェイコブス校長から
『教師の本分は、ただ教科を教えることだけでなく、コンパスとなって導くこと』を求めらます。

グレンは不満を抱きつつも、音楽を教え、オーケストラを指導します。そして五ヶ月が過ぎたある日、フォトグラファーの妻アイリスから妊娠を告白されます。彼は妻からの思わぬ告白に最初戸惑ってしまうものの、彼を音楽の世界に導いた『ジョン・コルトレーン』との出会いに準えて最上の喜びであることを妻に話します。
そして彼の生徒達への向き合い方も変わりました。
クラシック作品ではなく、若者達に支持されている(悪魔の音楽といわれていた)ロックンロールを演奏して授業を進めます。ロックンロールもまたクラシックを父系とした音楽であるとの彼の講義は生徒達の興味を喚起します。
またオーケストラ指導では、すぐにクラリネット演奏につまずいてしまう赤毛の女生徒ガートルードに対し、三つのコードしか知らずガチャガチャ演奏するだけの若者グループ(ビートルズです!)を引き合いにだし、『彼らの音楽は楽しいだろう?さあ楽しんで演奏しよう!』と生徒の不安をぬぐい去ります。そして教師となって一年後、最初の生徒を卒業式で送り出します。

子供が生まれました。コール(コルトレーン) と名付けられます。
コールは生まれる前から音楽が与えられます。ホランド夫妻は胎教に良いとクラシック音楽を流し、生まれてからはコールを囲んで楽しい歌をピアノで演奏し歌いました。

グレンは新しい生徒を迎えました。親友で体育教師のビルから、彼の大切な生徒でレスリングで華々しく活躍するも学業の成績が悪く、このままでは退学となってしまうルイスを、グレンが新しく指導するマーチングバンドに入れてもらえないかと頼まれます。バンドに入って活動すれば卒業に必要な単位が与えられるのでした。
ルイスは楽器演奏はもちろんのこと楽譜もまったく読めません。グレンはルイスにドラムパートを与えます。そして、初めは箸にも棒にもかからないルイスにさじを投げますが、ビルの『生徒は皆私の子供のようなもの』という熱意に絆され、体でリズムを取ることから始めて、やがてルイスはしっかりとドラムを演奏できるようになりました。

JFK高校マーチングバンドは、町のパレードで初演技を披露します。
キリリとしたコスチュームを身にまとったグレンが誇らしくバトンを持って行進する様子を、アイリスは幼いコールを伴って沿道から声援します。
マーチングバンドの行進の後ろを消防自動車が追尾します。そして大きな警笛を鳴らしました。人々は皆耳をふさぎ顔をしかめます。子供たちは泣き叫んでいます。
アイリスもコールを心配しました。そしてコールを見ると、まるで騒音などないように、すやすやと眠っているのでした。コールは先天的に90%の聴力が奪われていたのです。

物語はここからより深淵になっていきます。。。
-----
1970年、ベトナム戦争が泥沼化し、若者達はヒッピースタイルに傾倒します。スタドラーという生徒もそのひとりで、学校生活に正面から向き合わず、教師に悪態をつき、退学してもかまわないと放言します。
そこに悲しい知らせが入りました。軍隊に入隊したルイスがベトナムで戦死したのです。
グレンは、スタドラーをルイスの葬儀に立ち会わせ、『ルイスは苦労して高校を卒業した。そしてそれを誇りにしていた』ことを話します。それはスタドラーが現実に向き合う最初となりました。

コールは少年に成長しました。ホランド夫妻は難聴者に進んだ教育を施してくれる専門施設にコールを預けます。アイリスはコールと共に手話を学び、コールの成長にすべてを注ぎますが、『大好きだよ』の一言さえ伝える事ができぬもどかしさに苛立ちます。
そしてグレンは、大変だけど活き活きと活動できる教師の仕事にのめり込んでいきます。
-----
1980年、演劇祭で『ガシューイン・メドレー』レビューを上演することになりました。
レビューのオーディションはまるでドタバタ喜劇の様相でしたが、ひとりの女生徒の歌声にグレンは魅了されます。ロウィーナです。そして彼女を主役に抜擢します。
グレンはロウィーナにより高い歌唱を求めます。
『ただ上手に歌うだけでなく、詩の意味をくみ取って歌で表現する』よう求めました。そしてだんだんとロウィーナ本人に魅了されていきました。

ある日、グレンがコーヒーショップで交響曲を譜面に記している最中、ロウィーナが現れます。グレンは彼女に
『卒業したらどうするの?』と訊ねると
『親が小さなレストランを営んでいて、そこでウェートレスになるしかないの』
とため息をつきます。
グレンは思わず
『こんな事は言うべきではないと思うが、君は才能に満ちあふれている。誰がなんと言おうと、ニューヨークを目指すべきだ』
と口走ります。
彼女は熱いまなざしをグレンに向けました。

グレンは、妻アイリスとふたりのための交響曲創作から、いつしかロウィーナへの慕情を込めたセレナーデ『ロウィーナのテーマ』へと傾倒していきます。アイリスは譜面のそのタイトルを目にしますが、グレンは、
『北欧神話をイメージしている』と嘘をつきます。
そして、グレンとロウィーナは歌唱の個人レッスンの最中、愛の言葉は交わさないものの、甘美なそして切ない時間を過ごします。

レビュー公演が始まりました。
初日の公演は、ロウィーナの素晴らしい歌声もあって盛況の内に終えることができました。
公演会場となった講堂で、グレンが一人座っていると、ロウィーナが現れ
『明日の公演が終わったら、そのまま町を出ます。ニューヨークに行きます』
と告げました。そして
『私は小娘です、先生も一緒に来て下さい』
『先生も作曲をなさりたいんでしょう?』
『バス停で待っています』
と告白されます。

レビューの最終日、ロウィーナは愛情の熱視線をグレン一人に向けて、
”Someone to Watch Over Me(私を見守って)”を歌い上げます。

アイリスはコールを伴って、最終日の公演を見に来ていました。パンフレットに目を落とすと、歌姫の名前に目がとまりました。
”ロウィーナ”と書かれています。

公演が終わり、打ち上げパーティーが始まりましたが、でもアイリスは夫を残して先に帰宅しました。
そして深夜のバス停、寂しいベンチにロウィーナが一人座っています。そばには大きなボストンバッグが二つ。
蝶ネクタイをしたままのグレンが道を横切って近づきます。
うつむき加減のロウィーナに笑顔が点ります。でもその次には『どうして?』というゆがんだ表情へと変化しました。
ふたりはベンチに腰掛けます。ロウィーナにはもう先ほどまでの凛とした面影はありません。グレンはそっと訊ねます。
『どこに泊まるんだい?』
『YWCA』
『ニューヨークにいるバンド仲間に連絡しておいた』
『夫婦で君を待っている』
『行かないのね?』
『これでいいんだ』
バスが停車します。でもロウィーナは不安で立ち上がれません。
グレンがロウィーナをじっと見つめますと、ロウィーナはようやく立ち上がり、そしてキスを求めます。ですか、グレンはロウィーナの頬にキスをして
『Good-bye, Rowena. 』と告げます。
ロウィーナは少女の顔に、また大人の女性の表情を宿して、一人バスに乗り込みます。
家に帰ったグレンは、ベッドで休んでいるアイリスの傍らに腰掛け
『I love you.』と囁きます。
アイリスは片手をグレンの首に回して
『I know.』と応えます。
-----
1980年の冬の事です。ジョン・レノンが亡くなりました。
ベビーブーマー世代であるホランド夫婦は悲しみを表明しますが、
父グレンは、息子コールは耳が聞こえず、それがために音楽を知らず、ジョン・レノンも知らないと、悲しみを共有しようとはしません。
そんな父にコールは、手話で訴えます。
『僕だって』
『ビートルズのことぐらい知っている』
『あなたが彼らを好きなことも』
『あなたは父親だ』
『僕だって音楽のことをもっと知りたい』
『でも僕でなく生徒達に教えてる』
糞っ!と苛立ちを投げつけます。

そして父は、息子に向き合う決心をします。
息子に音楽を伝えようと決めたのです。
1981年の演劇祭に難聴者の子供たちを招きました。
オーケストラの演奏では、スポットライトを音の強弱に合わせて点滅させます。
音を光で表現する試みです。
そして、もう一つのサプライズ、それは息子に手話で歌を捧げることでした。
ジョン・レノンが息子ショーンのために作った子守歌
”Beautiful boy”です。
そして歌の最後に父は
『Beautiful Cole』と呼びかけます。

-----
そしてさらに時は立ち、1995年
区の財政危機のあおりを受けて、JFK高校でも教育予算も削減せねばならず、音楽そして美術、演劇の授業がカットされることになりました。グレンは突然に、30年務めた音楽教師を退職しなければならなくなったのです。
退職の日、すっかり大人になって教師として働いている息子コールと妻アイリスが、学校までグレンを迎えにきてくれました。
グレンは、整理した荷物をコールに預け、音楽室に別れを告げて校舎の出口に向かいます。

グレンはふと足を止めました。講堂から音楽が漏れ聞こえてきたのです。
妻と息子はとぼけながら、グレンを講堂に導きます。
そして扉を開けて、グレンが中に入りますと
”GOOD-BYE Mr.Holland”
在校生、卒業生、そして町の人たちによる
”ホランド先生を送る会”の開幕です。
彼の教え子達が拍手で迎え、手をさしのべます。グレンは一人一人と声を交わします。
州知事となったかつての教え子ガートルードが壇上に立って祝辞を述べます。
『ホランド先生は私を含め、
大勢の人間の人生を変えました』
『先生は、ご自分の人生を誤ったと
お考えかもしれません』
『授業の合間に交響曲を書き、
いずれそちらの方面で富と名声を得る(とお考えであったかもしれませんが)』
『でも今も富はなく、
この地域は別として、有名でもありません』
『それでご自分を、
人生の失敗者とお考えなら大きな間違いです』
『先生は富や名声を超えた成功を収められたのです』

そしてグレンに問いかけます
『見て下さい』
『あなたはここにいる全員の人生に触れ、
一人一人をより良い人間に育てたのです』
『私たちが
あなたのシンフォニーです』
『私たちは、あなたの作品(Opus)のメロディーで音符』
『あなたの人生の音楽なのです』
-We are your symphony, Mr.Holland.
We are the melodies and the notes of your opus.
And we are the music of your life.-

そしてもう一つのサプライズの始まりです。それは
グレンがようやく完成させていたシンフォニーの演奏です。
ガートルードは、指揮棒をグレンに渡し、クラリネットを持ってオーケストラの席に座ります。彼の教え子達がオーケストラを組んでグレンの指揮を待ちます。
そして”交響曲アメリカ(American Symphony)”初演の始まりです。
-----

一人の男の30年間の物語です。
夫婦の紆余曲折した愛情物語でもあり、
親子の絆を描いた物語でもあり、
そして人と関わり生きることを賛歌した物語でもあります。

また、原題(Mr.Holland's Opus)の通り、譜面に音符を記したわけでもない彼の人生そのものが、美しく高らかな交響曲を旋律するのです。

そして特に必見なのが、歌唱のシーンです。
”Someone to Watch Over Me”は、ロウィーナを演じるJean Louisa Kellyが実際に歌っています。
下記に”Someone to Watch Over Me”の歌詞を記しますが、本当に場面にぴったりの歌詞で、『恋する女の子のかわいらしくも切なる思い』が込められています。
また”Beautiful boy”も、グレン・ホランドを演じるRichard Dreyfussが歌っています。
手話を交えた切切たる歌声には、最愛の息子コールへのあふれる愛が満ちていました。

この『陽のあたる教室』は、じんわりとした暖かみと、そしてとても純粋な切なさを与えてくれます。それは涙となって、心を潤してもくれます。

受験生諸君には、受験の後の少し落ち着いた時期にでも、この映画の鑑賞をお勧めします。
君たちそれぞれが、自分だけのシンフォニーをこれからどのように描いていくか、夢想してみてはと思います。

*************************
Someone to Watch Over Me
*************************
There's a saying old Says that Love is blind
Still we're often told seek and ye shall find
So I'm going to seek a certain lad
I've had in mind

Looking everywhere Haven't found him yet
He's the big affair I cannot forger
Only man I ever think of
With regret

I'd like to add his initial To my monogeam
Tell me where is the shepherd
For this lost lamb

There's a somebody I'm longing to see
I hope that he turns out to be
Someone who'll watch
Over me

I'm a little lamb who's lost in the wood
I konw I could Always be good
To one who'll watch
Over me

Although he may not be the man
Some girls think of as handsome
To my heart He carries the key

Won't you tell him please To put on some speed
Follow my lead Oh, how I need
Someone to watch
Over me

昔から「恋は盲目」だなんて言葉があるけど
でも「汝、求めよ、さらば与えられん」という言葉もあるし
それなら私、思い描いてきたような運命の人をさがしてみるわ

でもね、あちこちをさがしているんだけど
まだそんな人をみつけられないの
でもね・・・、そんな素敵な人と出会えたなら
きっと一生忘れられないほどの大恋愛になるわ!

そして結婚して
彼の苗字に、私の名前が付け加えられたらいいな・・・
ねぇ、誰か教えて!
この私という迷える子羊の
羊飼いさんはどこにいるの?

ずっと会いたいと思っている人がいるの
その人はいつも私を見守ってくれる人だといいな

私は森の中で迷子になった子羊なの
でも私を見守ってくれる人が現れたら
私はその人の前だったらいつだっていい子でいられるわ

でももしかしたら、その人は女の子たちに
もてるようなハンサムじゃないかもしれないけど
でも、きっと
彼こそが私の心のカギを開けてくれる人なのよ

だから、ねぇ?
誰か彼に伝えて!
もっとスピードを上げて私を追いかけてきてって!
そして早く、私の前に現れてって!
あぁ、こんなにも必要としているのよ
いつも私を見守ってくれる、そんな人を・・・
(歌詞は歌詞サイトからの転載です)