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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年11月27日日曜日

「ハリー・ポッターと呪いの子」を読みました。


最新刊「ハリー・ポッターと呪いの子」を読みました。
ハリーらダンブルドア軍団が、最終決戦となったホグワーツの戦いでヴォルデモートを滅ぼしてから19年後の物語です。
死の秘宝の最終章に、9と3/4番線に停車するホグワーツ特急の前で、新一年生としてホグワーツ魔法学校に入学する
ハリーとジニーの次男アルバス・セブルス・ポッター
ロンとハーマイオニーの長女ローズ・グレンジャー・ウィーズリー
そして
ドラコとアストリアの一人子スコーピウス・マルフォイ
を家族が見送るシーンが描かれていましたが、新たな物語はここから始まりました。

そして読み終わって・・・
J.K.ローリングさんは、この物語をドラコ・マルフォイへの贖罪として描いたのかなと想像しています。
ハリー・ポッターの物語は、11歳のハリーとロン、ハーマイオニー、そしてグリフィンドールの同級生らの成長物語でしたね。友情物語といってもいいかもしれません。しかし、スリザリンに組み分けされたドラコは友情とは無縁で、ひとり孤独に成長していたように思います。ドラコは生意気で不遜な子供でした。しかし、成長するに従って、そして、ドラコの手筈でホグワーツがヴォルデモートの手に落ちる辺りから、心の内の葛藤に非常に苦しんでいたように思います。
第二幕第15場の中で、ドラコはハリーとジニーの前で告白しています。
「君たち三人は、輝いていたんだ。分かるか?君たちはお互いが好きだったし、楽しんでいた。私は君たちの友情が何よりも羨ましかった。」と
ハリー・ポッターの成長物語では、結局ドラコは救われませんでした。ホグワーツの戦いでダンブルドア軍団が勝利した時、ドラコと両親の三人は、死食い人とも袂を分かち、孤独に生き延びることを選択しました。
物語としては描かれていませんが、ドラコは純血の、でもとても心根の穏やかな女性アストリアと結婚した様子です。
第四幕第4場で告白は続きます。
「アストリアは虚弱だった・・・
私は彼女の体を危険にさらしたくなかった。マルフォイ家の血筋が絶えても、私は構わないと思った・・・
しかし、アストリアは、マルフォイ家の家名とか、純血とか、栄光のために子供が欲しかったのではない。我々夫婦のために欲しかった。
我々の子供、スコーピウスが生まれた。我々夫婦にとって人生最良の日だった」
ドラコの長年の希望は、その一人子スコーピウスの手によって叶えられました。
スコーピオスは、ハーマイオニーを男の子にした様な性質です。勉強ができて、ちょっとシニカルではあるけれどユーモアもあり、そして何より友情を積極的に求めていました。
そして、初めてのホグワーツ特急の中で、アルバスと出会い、二人が本当の友だちになるための冒険が始まります。
そして、呪いの子の冒険物語は、バック・トゥ・ザ・フューチャーの様相でしたね。過去を修正すると未来が変わる。しかし、望んだ未来は訪れない。そんなジレンマの中で、時間旅行は、やがて修正を取り消す旅へと変わっていきます。それは、ハリーら親にとって辛い体験の既視感であり、アルバスら子にとっては辛さの追体験となりました。
そして時間旅行の旅は終わります。アルバスは、ひがみっぽい性根は薄れ、明るく勇気を示す事ができる少年へと成長しました。そしてスコーピウスは、この旅で賢さと誠実を示したことで、生まれてから付きまとっていた汚名を晴らすことができました。そして何より、父同士、ハリーとドラコの長年の確執を取り除くことができました。

最後に・・・
この呪いの子には、一点疑問を覚えます。ヴォルデモートに一人子がいたということです。うら若き娘の姿をした闇の魔女デルフィーです。
ヴォルデモートは、闇の帝王、悪の中の悪の存在です。そして何者も服従させ、決して信じない。自らの魂さえ七つに裂くほどの、もはや人間の感情など一欠片も持ち合わせていない化け物です。そんな化け物のヴォルデモートが、何故に忠実な最強の闇の魔女ベラトリックス・レストレンジに一粒種を与えたのか?万一、ヴィルデモートよりも優れた闇の魔法使いが誕生したらどうするのでしょうか?それこそヴィルデモートが一番に恐れることではないかと思うのです。
そこでまた疑問です。ヴォルデモートほどの希代の魔法使いであれば、賢者の石を精錬して不死の力を得ることも可能であっただろうし、究極の逆転時計を作り出し、時を超えて恐怖で世界を支配することも可能であっただろうと思います。それなのに何故に、魂を引き裂いてまで自衛を計ろうとしたのでしょうか?一体、ヴォルデモートは何に恐れを感じていたのか?
そんな風にしてヴォルデモートを眺めると、彼が、トム・リドルが、とても孤独に苛まれた弱々しい人間に思えてきます。もしかしたら、彼の残虐性は、愛情への悲痛な渇望の裏返しであったのかもしれない、そう思えて仕方がありません。