ミュッレルは立ち上がって、
「とにかくこの戦争がドイツの国ん中でなくて幸せよ。まあ見てみねえな、あの砲弾穴の戦場をよ」
「違いねえ」とさすがのチャーデンも異議なく賛成した。
これは、小説『西部戦線異状なし』の第9章、与えられた休暇から戦線に戻ってきたボイメル君が、兵営の中で戦友と交わす会話の中の一文です。
私は、先に記した記事
「今こそ『西部戦線異状なし』を読む必要があるのではないか、と思います。」
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2026/02/blog-post_8.html
の最後に、次のように書いて終えました。
「選択は限られています。
恭順による他力の平和にすがるのか、武力によって自ら進んで平和を獲得するのか、もしくはこの半世紀の様に国連の様な世界的な組織に加盟するか、連邦国家を形成して、集団的自衛・集団的平和維持に平和を委ねるのか……、わたしたち一人ひとりが、責任を担って、決定しなければいけないのだと思います。」
でも、何より大事な事は、『わたしたちの文化の礎となってきた国土を破壊させない』事ではないかと思います。
中世までの戦争、戦というのは、王や領主、殿様が、蓄えた金銀財宝という財力を使って、戦の専従者である武人や傭兵を養い或いは雇い、いざ戦争となれば、国境などに設定された戦場に武人や傭兵を派兵して、そこで一戦を交えて勝敗をつけるというスタイルでした。戦が終わった戦場に残るのは、切られたり突かれたり刎ねられたりして斃れた武人や傭兵の骸だけです。骸はいずれ土に還ります。毒薬でもまかれない限り、土地は破壊されることはありませんでした。
しかし近代になると、誰でも簡単に操作できる大量破壊兵器が開発されたことから、健康な臣民は誰でも徴兵して兵士に仕立て上げられるようになりました。これが大戦争を可能にしてしまいました。それでも武器を操作する人間が戦場に出向いていかなければ戦争はできません。ですから、戦争はまだ限定した戦場の中だけで行われていました。
しかし戦場の様子は一変しました。コンクリートや鋼鉄でできた頑丈な構造物さえも破壊する砲弾は、構造物だけでなく、土地をえぐり穴だらけにするだけでは飽き足らず、生き物を傷つける破片を無数にまき散らし、火薬や薬物は土地を深く汚染しました。毒ガスもしかり、地雷も然りです。そして、一度まき散らされた毒ガスや地雷は、長くその場に止まり続け、以後、何日も、何ヶ月も、そして戦争が終わった後、何年も、何十年も、それらが専門家によって取り除かれない限り、生き物がその土地に帰ることは出来なくなりました。
そして、人間はといえば、戦場に兵士として送られた臣民(市井の人々である学生や、労働者、農夫、漁師等々)は、大量に殺されるか、体に重大な損傷を受けるか、精神的な病に冒されることになり、戦争は勝っても負けても、国力の衰退を招くだけのものとなりました。
現代の戦争は、もう限度がなくなってしまいました。その始まりは第二次世界大戦です。
長距離飛行の爆撃機や長距離ミサイルが開発されたことにより、戦場は、非戦闘員である民間人、学校に通う子供や家庭を守る女性が暮らす場所まで広がりました。爆撃機が落とす大量の爆弾や遠方から発射されたミサイルが、人々が暮らす町村を、破壊し尽くせるようになりました。極めつけが核爆弾です。核爆弾は、一発で10万、百万の人間を一瞬に破壊するだけでなく、生き残った人間を死ぬまで放射能汚染で苦しめます。そして核爆弾を落とされた土地は、放射能に汚染され、何十年、何百年、放射能が減衰して生命に危険でないレベルにまで下がらぬ限り、その土地に生き物が帰ることは出来なくなりました。
日本は、第二次世界大戦末期、敗走の軍隊を尻目に、戦争遂行者である為政者は、本土決戦を決め込んだことから、国内の主要な都市や町々は空襲に晒される事になりました。その結果、80年が経過した今も、地中に眠る不発弾の脅威から逃れることは出来ません。原爆を投下された広島と長崎は、何十万という民間人が殺されただけでなく、放射能に犯された人々は以後、何十年も苦しみ続けました。現在の核保有国が保有する核ミサイルよりも千分万分の一ほどの威力しか無かった核爆弾であったことが、放射能汚染の影響が長引かずに両都市は見事なほどに復興を果たしましたが、それでも長く、人々は云われなき差別に苦しまれても来ました。
第二次世界大戦以後に起こった数々の紛争では、戦後も毒ガスや何千万と埋設された地雷に、市井の人々が被害に遭い続けています。そして現在、ロシアの侵略で始まった戦争ではウクライナ国内が戦場となり、歴史あるウクライナの町が破壊されています。戦場には今も地雷が撒かれ続けています。
2011年に始まったシリア内戦では、古来からオリエントの真珠と称された美しい都市ダマスカスは廃墟と化しました。
1948年に建国されたイスラエルによって土地を奪われたパレスチナの人々が押し込められたガザ地区は、止まないイスラエルの砲撃や空爆によって200万人の人々が暮らしている都市は廃墟と化し続けています。強国によりライフラインが破壊され、全滅の危機に直面してます。
隣国の土地を破壊し尽くして、汚染尽くして勝者となったとして、勝者となった国の為政者は、その破壊され汚染尽くされた土地をどうするのでしょう?彼らにとっては、人間など住めなくてもどうでもいいのでしょうか?
広大な国土を有する米国、ロシア、中国でも無い限り、日本の様な領土の狭い国は、戦争になれば逃げ場がありません。国民が暮らす全ての町が破壊し尽くされることになるでしょう。戦争になれば、神代の時代から育まれてきた日本の美しい風景も文化も、すべてを失うことになるかもしれません。
ならば、日本が取る行動は、一つしかないと思います。少なくとも、この東アジアで戦争を起こさせない様に、周辺国を説得することです。
日本でも核武装論が盛んになってきましたが、万一核ミサイルを一基二基、そして十基と保有したところで、何千基何万基をを保有する核保有大国には敵いません。なまじ核ミサイルを保有すれば、いざ核戦争が勃発したらいの一番に敵の標的になってしまうでしょう。そうしたら、国土が半永久に生命が住めない場所に陥ってしまうでしょう。
列強国なんて目指さなくていいと思います。あらゆる国の人々に、信頼される国、役に立つ国、そして心を癒やすことができる国、安全な国、きれいで清潔な国、そして戦争をしない国、暮らしたいとおもえる国、友人となりたいとおもえる国になる事ではないかと思います。それが、日本を平和な国にする方法ではないかと思います。
そのためには、日本に暮らす人々全員が、目的を共有して、そのために学び、実践しなければならないと思います。