『兵庫県政問題 運動編:声を上げる市民』(2026/8刊行)を書店で見付けました。書かれた本をよく読ませていただいている著述家内田樹さんが寄稿された随筆が掲載されてありましたので、購入し読むことにしました。
内田さんは、寄稿文『齊藤県政の「深淵」』の中で、齊藤元彦知事を「勝ちに居着いた」人と表現されていました。
内田さんは思想家であると同時に武道家でもあります。武道家は『我執を去って自在を得る』ために、日々迷いなく精進しなくてはならぬとし、勝敗に囚われることを『勝ちに居着く』、『負けに居着く』と表現し、固く『居着く』ことを忌避するよう求めています。『負けに居着く』は、勝負に囚われ、負けることで自己評価を下げ、自分自身に敗者のレッテルを貼り、変化や成長を止めてしまうことです。ただ『負けに居着く』は、どこかの時点で自分を見つめ直すだとか、周りのサポートによって立ち直りのチャンスが巡ってくることも考えられます。しかし『勝ちに居着く』は、それが卑怯や卑劣な手段であっても成功体験として深く内面化してしまうと、それを勝ちパターンとして繰り返すようになる。そして確かに勝つのである。勝っている以上、そのやり方を手離す理由がなくなって、変化や成長を止めてしまう。そして、どんな戒めや教訓も届かなくなってしまうのです。『勝ちに居着く』は『負けに居着く』より解除がずっと難しいと内田さんは説かれます。
また、内田さんは、『勝ちに居着く』というキャラクターを体現する人というのは、内田さんにとって「異端」であったが、現代日本社会では「典型」となりつつあると述べています。
社会のため、公益のため、という理想を掲げて、敗戦から立ち上がり、国民一丸となって変化と成長を遂げてきた日本社会は、1990年代以降、外圧に晒されて停滞・縮小に転じたことから、我欲や自益を目的化する社会の風潮が作られて、日本社会は「勝ちに居着く」ことを勝ち組と称して目的化するようになりました。そして、勝ち組のキャラクターを確定した人たちは、変化や進化を必要としない自己を造形して、如何なる外部からの影響も受け付けず、勝ちだけに邁進するようになりました。
そして、勝ち組のキャラクターを「ロールモデル」と見なして、自己造形に励む子どもたちが、日本社会で組織的に生み出されているという事実に恐れると締めくくられていました。
この本の主体は、齊藤知事の県政問題に、抗議の声を上げた市民の肉声を文字化、文章化して多くの県民、国民に届けようという目的で作られた本でありました。
彼らは、自らをプロテスト、抗議する者と呼んでいます。
プロテストと聞いて、すぐに連想したのがプロテスタントです。中世以前のヨーロッパ社会で絶大な力を誇示していたカトリック教会に対して、その教会中心的な教義の閉鎖性や利権主義に抗議し、在野に芽吹いた数多くの聖書の学びを起点とする信仰活動に入る人々、そしてその信仰自体を表する言葉です。
プロテストとして活動する人々の声から、私は強い敵愾心が伝わってきました。でも、取り巻きや支援者を一括りに、レイシストやデマゴーグ、暴力集団と見なして恐れ嫌悪するのは、相手と同じ土俵に上がることになりやしないかと危惧します。
とても難しいことだと思いますが、常に相手に対話を求め、取り巻きや支援者の人々の本音、本当の気持ちを聞き出して、是是非ではなく、私の様な読者に、問い掛けてほしい、一人一人が、自分事として考えるきっかけを与えて欲しい、その礎となるテキストにブラッシュアップとなることを期待しています。

