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花筏から高砂を考えます。

「花筏」という言葉を、週刊誌のグラビアで見つけました。 桜の花びらが散って、降り立った川面に広がり悠悠と流れゆく様を見た先人が、まるで筏を流しているようだと名付けた風流この上ない言葉です。 「花筏」の風流な意味合いなど知らず、でもずいぶん前から名前としてこの言葉は知っていま...

2026年10月27日火曜日

齊藤県政の「深淵」

 『兵庫県政問題 運動編:声を上げる市民』(2026/8刊行)を書店で見付けました。書かれた本をよく読ませていただいている著述家内田樹さんが寄稿された随筆が掲載されてありましたので、購入し読むことにしました。

内田さんは、寄稿文『齊藤県政の「深淵」』の中で、齊藤元彦知事を「勝ちに居着いた」人と表現されていました。

内田さんは思想家であると同時に武道家でもあります。武道家は『我執を去って自在を得る』ために、日々迷いなく精進しなくてはならぬとし、勝敗に囚われることを『勝ちに居着く』、『負けに居着く』と表現し、固く『居着く』ことを忌避するよう求めています。『負けに居着く』は、勝負に囚われ、負けることで自己評価を下げ、自分自身に敗者のレッテルを貼り、変化や成長を止めてしまうことです。ただ『負けに居着く』は、どこかの時点で自分を見つめ直すだとか、周りのサポートによって立ち直りのチャンスが巡ってくることも考えられます。しかし『勝ちに居着く』は、それが卑怯や卑劣な手段であっても成功体験として深く内面化してしまうと、それを勝ちパターンとして繰り返すようになる。そして確かに勝つのである。勝っている以上、そのやり方を手離す理由がなくなって、変化や成長を止めてしまう。そして、どんな戒めや教訓も届かなくなってしまうのです。『勝ちに居着く』は『負けに居着く』より解除がずっと難しいと内田さんは説かれます。

また、内田さんは、『勝ちに居着く』というキャラクターを体現する人というのは、内田さんにとって「異端」であったが、現代日本社会では「典型」となりつつあると述べています。

社会のため、公益のため、という理想を掲げて、敗戦から立ち上がり、国民一丸となって変化と成長を遂げてきた日本社会は、1990年代以降、外圧に晒されて停滞・縮小に転じたことから、我欲や自益を目的化する社会の風潮が作られて、日本社会は「勝ちに居着く」ことを勝ち組と称して目的化するようになりました。そして、勝ち組のキャラクターを確定した人たちは、変化や進化を必要としない自己を造形して、如何なる外部からの影響も受け付けず、勝ちだけに邁進するようになりました。

そして、勝ち組のキャラクターを「ロールモデル」と見なして、自己造形に励む子どもたちが、日本社会で組織的に生み出されているという事実に恐れると締めくくられていました。


この本の主体は、齊藤知事の県政問題に、抗議の声を上げた市民の肉声を文字化、文章化して多くの県民、国民に届けようという目的で作られた本でありました。

彼らは、自らをプロテスト、抗議する者と呼んでいます。

プロテストと聞いて、すぐに連想したのがプロテスタントです。中世以前のヨーロッパ社会で絶大な力を誇示していたカトリック教会に対して、その教会中心的な教義の閉鎖性や利権主義に抗議し、在野に芽吹いた数多くの聖書の学びを起点とする信仰活動に入る人々、そしてその信仰自体を表する言葉です。

プロテストとして活動する人々の声から、私は強い敵愾心が伝わってきました。でも、取り巻きや支援者を一括りに、レイシストやデマゴーグ、暴力集団と見なして恐れ嫌悪するのは、相手と同じ土俵に上がることになりやしないかと危惧します。

とても難しいことだと思いますが、常に相手に対話を求め、取り巻きや支援者の人々の本音、本当の気持ちを聞き出して、是是非ではなく、私の様な読者に、問い掛けてほしい、一人一人が、自分事として考えるきっかけを与えて欲しい、その礎となるテキストにブラッシュアップとなることを期待しています。

投票率 29%

 日曜日(10月25日)に開票が行われた、兵庫県議会議員高砂市選挙区補欠選挙の投票率は29%でした。満18歳以上の選挙権を持つ高砂市民71,432人のうち、20,881人しか投票行動を行わなかった結果、

高砂市議会議員を三期務めた島津明香さん(38歳):得票数12,943

第一期斎藤知事県政で副知事を務めた片山安孝さん(66歳):得票数7,489

で、島津明香さんが当選されました。

※同じ日、地球の裏側で行われたブラジル大統領決戦選挙の前段で行われた、第1回投票の投票率は78.92%でした。ブラジル国民の政治への強い関心が読み取れる数字です。


国政/地方選挙ともに投票率の低下に歯止めが掛からぬ今日ですが、特に低下が甚だしいのが県議会議員選挙の投票率です。

兵庫県のホームページから、兵庫県議会議員選挙の投票率の推移グラフを作ってみました。https://web.pref.hyogo.lg.jp/si01/senkyo_data.html


兵庫県全体では、1999年の48.17%をピークとして、2019年から40%を下回っています。

高砂市は、1995年の51.43%をピークとして、2023年は32.59%で、県内では最下位播磨町の30.85%に次ぐ低い投票率でした。そして、この度の補欠選挙では、遂に投票率が30%を下回りました。高砂市では、1995年から2023年までの8回の選挙の内、半分の4回が無投票当選でした。こう云った状態が常態化していたことも、市民の投票行動を削ぐ一因ではないかと思われます。


国連の常任理事国でもある3つの大国、ロシア,中国、そしてアメリカが、世界の平和や安定を先導する役割を担わずに、力を誇示して周辺国への圧力を強めると同時に、一部の特権階級を除いて、多くの世界の人々にとって不利益、不幸でしかない戦争を始めたことによって、日本も一段と強い外圧に晒されるようになりました。日本が世界をリードする先端産業も、元となる材料を大国に頼ってきたことから、資源やエネリギーの輸入も厳しい状況になってきました。市井の市民は、不況や物価高という不安に日々晒されるようになりました。こんな状況で、政治に直接影響を与えようとせず、為政者に日々の暮らしが少しでも楽になるよう取り計らってもらうことだけを求めているだけでは、状況は知らぬ間に、更に悪くなるばかりではないかと思います。

このままでは、為政者は民主政治の本来の主権者たる国民には目もくれず、更に権力の強いものに迎合して、自らの地位を守ろうとするでしょうし、たとえ選挙制度が続いたとしても、これまでのように「主権者たる国民が代表を選ぶ」のではなく「為政者の権力の後継者を追認する」だけの選挙、名ばかり選挙が続いてしまうのではと思います。


行政に携わる公務員は、本来の主権者たる国民に奉仕するという役目に立ち戻り、たとえば、選挙については、選挙結果を分析し、分析結果を国民に周知するとともに、次回の選挙で、少しでも投票行動が増加するように広く国民に呼びかける活動を行ってほしいと思います。

たとえば、投票行動において、投票者の年齢別、地区別等々、さらに対象者毎に細やかに投票行動の増加に繋がる施策を行うという風な活動を行ってほしいと思います。


今回の高砂市選挙区補欠選挙は、前回の兵庫県知事選挙の様な、デマと陰謀、中傷、差別が暴言、放言、流言でまき散らされて、県民が混乱に陥れられる様な事態は起こりませんでした。その従来のままの高砂市という保守王国であったから、自民党が推薦した候補がすんなり当選できたのだと思います。それでも、対立候補となった片山さんが七千票以上得票したことには驚きを覚えています。私は、公益通報文書に端を発した県政のごたごたを招いた中心人物のひとりとして、今だ何一つ県民に納得のいく説明や、この問題に関わり命を落とすことになった方々、そして遺族への真摯な謝罪がなされていないことに、強い憤りとともに不信感を抱いています。そのような人物に、同じ高砂市民がどんな理由で投票をしたのか、その理由が知りたいです。もしかしたら、私が知らない、知ろうとしなかった正当な理由があるのかもしれません。私にはわかりません。

ただ来年行われる県議会議員選挙は、今回の様な無風では終わらないと思います。もしかしたら高砂市も、デマと陰謀、中傷、差別が暴言、放言、流言でまき散らされて、混乱や狂乱、暴力の風が吹き荒れるかもしれません。そう云うものから惑わされぬためにも、一人一人が民主政治の主権者たることを思い出し、利己的ではなく利他の精神で、候補者を選択し、投票活動に繋げられたらと思います。

2026年10月21日水曜日

為政者に望むこと

 10月16日(金)、兵庫県議会議員高砂市選挙区補欠選挙が告示されました。

立候補者は、高砂市議を三期務めた島津明香さんと前兵庫県副知事片山安孝さんの二名です。

私は立候補者の内の一人の名前を見て、愕然としました。2024年に兵庫県政を揺るがした知事と副知事を告発した文書問題と、その告発者である公益通報者を特定し断罪した問題の、渦中にいた人物であったからです。

2024年、上記の問題が明らかになって、兵庫県職員労働組合は知事に辞職するよう申し入れました。また、この問題を県議会が百条委員会を開いて調査し、告発内容を事実と認定しました。また兵庫県側が要請した第三者委員会での調査でも、同様に事実と認定しました。それでも、知事と元副知事は事実でないと一貫して否定し続け、知事に至っては、その後失職し再出馬し当選するという離れ業を成し遂げて、今も知事として留まり続けています。

知事と元副知事は市民から地方公務員法(守秘義務)違反容疑や背任罪で告発もされましたが、それらは2026年現在、嫌疑不十分として不起訴となっています。しかし、上記の問題で少なくとも三名の方が自死され、遺されたご家族も不当な暴力に晒されるという問題が起こった事、また、兵庫県民に不信感と殺伐な空気を植え付けた事についての為政者としての道義的責任まで消えたわけではないと、私は思います。

私はこの一連の問題で、何より気持ち悪く感じるのは、文書問題が明るみになった時、兵庫県庁の職員の多くが問題を事実として認識しているという報道はされるものの、表だった行動は、何一つ起こらなかった事です。知事の権力は、私が想像するよりも絶大で、また公務員というものは「凡庸な悪」に抗えないのか、そう考えるだけで気持ちが悪くなります。

為政者に望むのは、主権者である市民、県民、国民の中から選ばれた代表者としての矜恃を持って、融和と一人も取りこぼさない社会を実現するという理想に邁進できる人物であることをです。そして「凡庸な悪」に取り込まれず、抗い続けられる人物であることをです。そして私は、不信を払拭できない人物に、投票はしない。私は、該当立候補者が、選挙活動中に、この問題について、誠意を持って真実を語ってくれることを望みます。

2026年10月16日金曜日

秋の夜長を飾るヤッサ練り合わせに、しばし魅了されました。

夕食を摂った後、19時過ぎに散歩がてら秋季例祭本宮のクライマックス、ヤッサ練りを観に大塩天満宮、大塩公園に出かけました。
最高の祭日和であった事も幸いしてか、練り場となった公園内は人で人で、立錐の余地のない状態でした。その人並みを掻き分けて、ヤッサ同士が練り合わせるのです。危ないなぁ危ないなぁと思いながらも、どんどんヤッサに近づいて行きました。年取ってるのに、我ながら危ないなぁと思いながら、夜を飾るヤッサの神々しさに、しばし魅了されました。





2026年10月1日木曜日

疑わしきは…ただ罰す

広島カープの若い選手のひとりが、通称「ゾンビたばこ」と呼ばれる指定薬物を使用した容疑で逮捕され、この選手は裁判で罪を認め有罪となりました。その後すぐ、広島カープはこの選手の保有契約を解除し、この若い選手は自由契約選手扱いとなりました。

このニュースの一報に触れた時、私は強い憤りを覚えました。

この選手は、その後すぐYouTubeで、ゾンビたばこに手を出したのは自分だけではないことを明らかにし、売人と並んで写真に写るレギュラー選手が写真週刊誌ですっぱ抜かれましたね。その選手達は、球団の聞き取りで白判定と見なされたと球団から報告がありましたが、結果的にシーズン途中でレギュラーの座を剥奪され、今日10月1日、広島カープは、疑わしき選手達の契約を打ち切りました。

これでは、『疑わしきは、ただ罰す』です。

薬物事犯の検挙人員は、この数年毎年増加しているといいます。ゾンビたばこというものは、インターネットを介すれば簡単に手に入ってしまう代物だから、薬物汚染の若年層への広がりも拡大している様子です。

今、社会に必要なのは、薬物に手を出さないという啓発だけではなく、万一手を出して苦しむ者に手を差し伸べて、更生の機会を与えて復帰させる、復帰できるという道筋を公に示すことではないかと思います。

現在の様な『疑わしきは罰す』では、たとえば広島カープの様に、レギュラーではない若手であればすぐに放逐し、レギュラーの様な球団にとって価値に高い選手は、どうにか守ろうとする(本当のところは分かりません。あくまで私の推測です。)。要は、罪と罰の不平等が生まれてしまう。

また、これによって、隠すことで、バレなければと、どんどん罪がエスカレートし、罪悪感も薄れてしまう。こう云う事態を、私は一番に恐れます。

これまでも日本プロ野球界では、一人の選手の罪は保有球団の中で量られるだけで、契約解除やトレードを行った後は、球団はもう他人事のような振る舞いです。他球団にトレードされた選手が直ぐにレギュラーとなって試合に出ている状況を見せられると、ただただ何だかなあ?と呆れてしまう、それどころか、日本プロ野球に明るい未来を感じられなくなってしまうのです。

日本プロ野球界は、現在もコミッショナーはお飾りで、コミッショナーの強い指導力で統一した規範というものが作られないというのが実情ではないでしょうか。

今回の様な事案では、プロ野球界全体が、疑わしきだけでは終わらさずに、しっかりと罪と原因と球団の責任等を明らかにして、結果を世の中に公表した上で、選手の更生の道を開くような罰則を与え、それに堪えた者には選手としての復帰を認める、という風な制度を設けてほしいと願います。

もしも、このような制度があれば、今回契約解除された選手は、ただ世間から白い目で見られ続けるのではなく、温かい声援を受けながら罰則に耐え、復活の道に邁進したのではないかと…、そう思うと、ただただ残念でなりません。

2026年9月28日月曜日

(一時的)アナログな生活

 金曜日、タイガースがベイスターズに敗れたのを見届けて(21時過ぎでした)、さあ寝ようっと布団に入りしばらくしての事です。ウルちゃんが枕を占領していたので自分の左腕を後ろに曲げて枕にして窮屈な姿勢で寝ていたら、急に左胸から左肩、背中に掛けて引きつるような激しい痛みに襲われました。しばらくその痛みに耐え、体が少し動かせるようになったので、恐る恐る妻がいる居間に移動して、そこで横たわりました。

私を見た妻がびっくりして、姫はりに電話を入れてくれましたが、急患の術中で姫はりでは対応ができないため救急を要請するよう勧められまして、あたらめて119に電話して救急車を要請しました。

救急車が到着したのは0時前でした。その時点では痛みはだいぶ和らいできていました。救急隊員が急患受け容れ病院を探し、加古川中央市民病院が受け入れ要請に応えてくれました。家からだとだいたい20~30分ほどの距離です。

寝台のまま夜間救急科に運ばれた時には痛みの症状はほとんど感じなくなっていましたが、血液検査で心筋のダメージを計る酵素やタンパク質が上昇していたことから心筋梗塞が疑われ、カテーテル術で精密検査を受けることになりました。

カテーテル術が終わったのは4時15分頃でした。症状として、心筋梗塞には至らなかったものの左冠動脈の一本が収縮していて、冠れん縮性狭心症と診断を受けて、そのまま4階のICUの一室に運ばれました。そこから日曜日の9時半までの約28時間、アナログな生活となりました。ICUでは、携帯電話の使用は禁止で、導尿カテーテルや点滴に繋がれて夕方までベッドから身動きできない状況に置かれました。

午後の血液検査でようやく心筋のダメージを計る酵素やタンパク質が減少に転じたため、導尿カテーテルから解放され、夕方には明朝の退院が主治医から示されて安堵しました。

主治医は、私の症状のメカニズムについて丁寧に説明をしてくれました。

夜や早朝など安静時に起こる冠れん縮性狭心症は、予防としての薬物療法しかないこと、また冠れん縮性狭心症によって心臓自体が酸欠状態におちいり、致死的な心室細動を引き起こす恐れがあるという事を説明してくれました。私は2016年7月に心室細動で蘇生処置を施され、翌月に除細動器を埋め込みました。その後も2020年2月までに4回除細動器が作動し機械に命が救われました。2020年2月にアブレーション術を受けて、その後これまで除細動器が作動することも狭心症の症状も出ることはありませんでしたので、すっかり自分が持病を抱えている事を忘れていました。

でも、一度起これば、これからも起こると、更に用心して生活していこうと思います。

金曜日は、朝ドラ『風、薫る』の最終回でしたね。主人公のモデルとなったトレインドナースたちの奮闘が、現在の看護師たちにしっかりと受け継がれていることを、短い入院生活の中で、あたらめて実感した次第です。

P.S.

なぜにアナログと表現したのかには理由があります。木曜日に配信で2023年公開の日本映画『アナログ』を観たからです。携帯電話を持たない可憐な女性に恋をした気の良い男の純愛をユーモラスに描いた、どこか往年のフランス映画の香りをまとった、一言でいうなら宝物の様な素敵な映画作品でした。

私と言えば、たった一日でしたが、まったく自由に外部と連絡が取れない状況が不安でしかありませんでした。我ながらすっかりデジタルに毒されているなぁと実感した次第であります。

2026年9月6日日曜日

我々の過ちが再び忘れ去られる

観賞を待ちわびていたクリストファー・ノーラン監督最新作『オデュッセイア』を、昨日IMAXシアターで観てきました。IMAXシアターの空間が、ノーランの想像したイタケー島の王オデュッセウスの20年にも及ぶ艱難の旅とその結末を、圧倒的な映像美と音響と振動で再現し、私の心の奥底まで満たしていきました。三時間近い上映時間は、至福の時間となりました。

私がこの物語の中で強く心に残ったのは、王妃ペネロペの元に還り着いたオデュッセウスが、最後に発した言葉でした。

『闇夜に包まれた世界に新たな夜明けが訪れ、我々の過ちが再び忘れ去られる』

オデュッセウスはアカイア軍の一将軍としてトロイヤ戦争に参戦しますが、トロイヤの城郭が難攻不落であったために戦闘は長く酷着状態に陥ってしまいます。しかし10年が経過した頃、オデュッセウスの策略によって、アカイア軍は一夜にしてトロイアを陥落させることに成功します。その策略というのは、巨大な木馬を和平の証しとしてトロイアに献上するというものでした。この木馬の中に兵士を忍ばせ、トロイヤが木馬を城郭の中に運び込んだところで、夜闇に紛れて忍ばせた兵士が内側から城門を開き、その開け放たれた城門からアカイアの大軍が一気呵成になだれ込み、油断したトロイア人を殲滅したのです。

オデュッセウスは、アカイアの英雄として称えられ、イタケーへの帰還を、王の中の王ミュケーナイの王アガメムトーンに許されます。しかし、オデュッセウスの帰還の旅は、艱難に次ぐ艱難で、10年の歳月を要することになりました。王を待つイタケーでは、王の安否が分からぬままに時が過ぎ、王国には、王の在位と財産を狙う悪漢どもが、客分として居座り、しかし客分としての主人への礼儀などお構いなしに、脅し、偽り、王妃ペネロペと王子テレマコスに王位の譲渡を迫り続けていました。

オデュッセウスは、10年に及ぶ艱難の旅の終着でイタケーの惨状を見聞し、すべては己が招いた不始末であったことを悟ります。それは、神々の王であるゼウスの掟を、オデュッセウス自ら背いていたということをです。

ゼウスの掟、古代ギリシャ世界には、『クセニア』と呼ばれるもてなし・歓待の概念がありました。ギリシャ神が支配する古代ギリシャ世界では、『目の前にいる客人は、実は人間に姿を変えている神かもしれない』という考えに従い、客人がたとえみすぼらしい身なりの者であっても、主人は乞われれば、食事を与え休息の場所を与えなければならないのです。主人は客人をもてなし、客人は主人に非礼を働いてはならぬ、この戒めを破ることはゼウスの掟を破ることでありました。

トロイア戦争時、オデュッセウスの計略により、アカイアは和平の証しとしてトロイアに木馬を献上しました。トロイアはゼウスの掟に従い、木馬を受け取り、主人として、アカイアを客人として向かい入れたのです。しかし、アカイアはゼウスの掟を破り、トロイアを攻め滅ぼしました。その報いとして、オデュッセウスは10年にも及ぶ艱難の苦しいを味わいました。その報いは、部下にも及び、彼らはひとりとしてイタケーの土を踏むことなく冥府に赴きました。国に残した最愛の王妃や王子も、ゼウスの掟の呪縛に二十年も苦しみ続けていました。

クリストファー・ノーランは、ゼウスの掟を、キリスト教の黄金律である『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい』として解釈しているというインタビュー記事を読みました。

私たちは、自らが艱難を経験した時にはじめて、この黄金律が身に染みます。助け合って生きようと思います。しかし、満たされ、或いは脅威を感じなくなった時、私たちは思い上がり、身勝手に振るまい、黄金律を忘れます。

ノーランは、映画の最後に、オデュッセウスの口を通じて、私たち現代に生きる者たちへ、『私たちは再び、轍を踏むのか?』と問い掛けている、そう強く実感した次第です。


※映画視聴後に読んだ記事:映画『オデュッセイア』における「ゼウスの掟」とは何か?専門家に聞く

https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/a73587092/theodyssey-zeus-law-explained-2609-hns/