この日が来ることは分かっていたけど、一報に触れた時はさすがに苦い思いが溢れてきました。
一番誕生日の遅い連中が、65倶楽部入りを果たすことなく、昨日の未明に逝きました。
火曜日に本人が希望して自宅に帰ってきたそうです。壮絶な苦しみようであった様ですが、妻や娘に看取られながら、最後は静かに息を引き取ったそうです。
一言でいえば我が強い男でした。家族に対してもそうであった様子です。
『一生懸命』を座右の銘にしていた男でもありました。
少年の頃はスラリとした美男子で、野球がとても上手かった。
学生の頃は音楽に夢中で、ブラスバンドのリーダーを担いながらサックスを吹いていました。
日本海海戦の物語が好きで、作戦参謀の秋山真之に憧れていた節がありました。だからでしょうか、『宇宙戦艦ヤマト』が大のお気に入りアニメでした。
そうそう、花の中三トリオが現れたときは、山口百恵一押しでした。デビュー当時の百恵さんは世の中的には人気三番手であったのに、やはり音楽の才を見定める嗅覚があったのでしょうか。
ただ、神経質な一面があって、二十代前半の一時期、とても苦しんでいた事を思い出します。それが為、以後一生懸命に生き抜くために、我を張るという術を覚えたのかもしれない。
そんな、身勝手な回想に、今、耽っています。
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