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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2019年12月12日木曜日

否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦い

『彼の自由を拒む判決です。
表現の自由を妨げる判決と言う人もいる
でもそうではない。
私が闘ったのは
悪用する者からその自由を守るためです。
何でも述べる自由はあっても
嘘と説明責任の放棄だけは許されないのです。
意見は多種多様ですが
否定できない事柄があるのです。』

クリスマスに是非、観たい、観て頂きたい映画があります。
「否定と肯定」(原題:denial(否定)2016年 イギリス・アメリカ)です。


1993年、ユダヤ系アメリカ人でホロコースト研究家デボラ・E・リップシュタット(Deborah Esther Lipstadt)女史がホロコースト否認論者を非難する著書「ホロコーストの否定:真実と記憶への増大する攻撃(Denying the Holocaust: The Growing Assault on Truth and Memory. )」を出版しました。
その著書の中で、ホロコースト否定論者のスポークスマンと名指しされたイギリス人のナチス・ドイツ学者ディヴィット・アーヴィング(David Irving)が、イギリスの法廷に名誉毀損訴訟を起こし、前代未聞、名誉毀損裁判はホロコーストの真偽を争う裁判となりました。
そして2005年、この裁判に勝訴したリップシュタット女史が公判の回想録として著書「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦いHistory on Trial: My Day in Court with a Holocaust Denier.」を出版します。
映画は、この著書を原作とした歴史映画です。

リップシュタット女史は、ホロコーストは否定できない歴史上の事柄であり、ホロコースト否定論者がホロコーストの真偽について論争を挑んできても、けして挑発には乗らないスタンスを貫いていました。
しかし、狡猾に振る舞うアーヴィングは、遂にイギリス法廷に名誉毀損訴訟を起こし、リップシュタット女史を論争の場に引きずり出そうと企てます。
イギリス法廷は、アメリカと異なり、被告が立証責任を負わなければならない(この場合、名誉毀損に当たらないことを立証しなければならない)ため、裁判となればリップシュタット女史にとって非常に厳しく困難な闘いが始まることになります。しかし、女史から和解を求めれば、アーヴィング、延いてはホロコースト否定論者、歴史修正主義者、差別主義者を勢い付かせることになるために、女史は意を決して裁判に踏み切ります。

裁判の様子は、あらすじとなってしまうので省略します。が、この裁判から非常に重要なことが学べます。それは
ダブルスタンダードで事実を歪曲する者、オルタナティブ・ファクト(もう一つの真実)或いはフェイク(嘘)を主張する者と闘う心構えです。

一つは、決して感情的な訴えや記憶を頼りとする訴えはやってはいけないという事です。
敵はただ感情を煽り失言を引き出したり、また記憶の曖昧さにつけ込み、人格を否定したり事実の歪曲者という汚名をきせて容赦なく個人攻撃を仕掛けてくるからです。心が強じんでない普通の人間にとっては殺されるに等しい辛さです。

二つめは、どんなに時間や労力が掛かろうとも、敵のできうる限り過去までさかのぼり、すべての発言、発表した著書、そして論拠とするものを丹念に調べ上げ、明らかな嘘、虚偽、改ざん、隠蔽を実証すること、その実証結果を、冷静に公に示す事です。
敵は、どんな実証結果を突きつけられようが、けして認めることはないでしょう。
しかし、傍観者である世論の目を覚ますことができます。善良で無知な人々に真実を示す事ができます。

三つめは、この非常に険しく困難な闘いには、決してゴールがないという事です。
敵の主張は口先だけで、労力は一切かからず、それは決して止むことがありません。
そして敵の目的は、その主張を流布して、善良で無知な人々を惑わし、その主張の信奉者に仕立て上げることです。そして信奉者のリーダーとして権力を握ることです。
闘いに躓けば、諦めれば、敗れれば、真実は歴史から抹消されてしまいます。そして真実を知る者にとっては悪夢が再来することになります。
ですから、この真実をめぐる戦いには終わりがないということです。

そして、この三つの心構えで真実をめぐる闘いに挑むには、助け合える、協力し合える、信頼できる、仲間が必要です。そして、闘いを持続するためには、新しい仲間を育てることが必要です。

リップシュタット女史は、素晴らしく優秀で根気強く誠実な弁護士チームが、アーヴィングの明らかな嘘、虚偽、改ざん、隠蔽を実証し、その実証結果を、冷静に公に示した事で、この裁判に勝訴しました。
そして一つめの心構えを守り、沈黙を続けたリップシュタット女史が、勝訴の会見で、初めて公に語ったメッセージが、冒頭の言葉です。

特に
『私が闘ったのは
悪用する者からその自由(表現の自由、言論の自由)を守るためです。
何でも述べる自由はあっても
嘘と説明責任の放棄だけは許されないのです。』
の行が、高らかと心に響き渡ります。

ホロコースト否定論が、頭をもたげだしたのは1970年代の初め頃からだと言われます。
敗戦国として、またホロコーストを実行した国として、止むことのない糾弾に晒され続けたドイツやオーストリアで、戦後の新しい世代から、ホロコーストへの疑問、殺戮の規模への疑問、そしてホロコーストを流布し自分たちを苦しめ続ける者への憎悪、等々が立ち上ります。
それらがオルタナティブ・ファクト(もう一つの真実)やフェイク(嘘)を信奉するという行動へ向かわせたのではないかと想像します。

そして、真実をめぐる闘いは、ホロコーストとだけにとどまるものでありません。
現代社会においては、ありとあらゆる事柄が、オルタナティブ・ファクト(もう一つの真実)やフェイク(嘘)に包まれる事態となりました。そして各自が、自分に都合の良いもう一つの真実や嘘を信奉して、身勝手な行動、不道徳な行動、犯罪行動を躊躇することなく行う様になりました。それは権力者も、そして市井の人々も同様にです。

この様な事態に、私たちはどの様にして真実をめぐる闘いに臨めばよいのでしょうか。
こういう暗い気持ちになった時、イエス・キリストを思います。
イエス・キリストは、支配と腐敗の蔓延る時代にこの世界に現れて、苦しむ市井の人々に癒やしや施しを与えながら、神の下では人みな平等であることを説きました。と同事に、たった一人で腐敗する権力者を言論で糾弾しました。そのために腐敗した者たちに磔に処せられました。しかし、イエス・キリストの行動や教えは、2000年の時を経て、今も何億、何十億という信奉者、信仰者を育んでいます。
ですから、イエス・キリストの行動や教えに従うならば、

腐敗や不正と闘うことを決して諦めないこと、
腐敗や不正に飲み込まれないように自らを律し続けること、
そして、病気の人、怪我をした人、不利益を被っている人に寄り添い、手助けをすること
自分のできうる範囲で、できうる技術を、知識を、才能を、役立てること、提供すること
ではないかと思います。

これこそ真に、サンタクロース精神の実践ではないかと思います。

※追伸
説明責任について、アメリカンセンタージャパンというサイトに説明がりましたので、転記させて頂きます。

アメリカ大使館が開設しているアメリカンセンタージャパン
https://americancenterjapan.com/
知る・調べる
https://americancenterjapan.com/aboutusa/
国務省出版物
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/
国務省出版物
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/
政治-民主主義の原則
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3078/#jplist
民主主義の原則 – 政府の説明責任
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3093/

民主主義の原則 – 政府の説明責任
政府の説明責任とは、公選・非公選を問わず公職者には、自らの決定と行動を市民に対して説明する義務がある、ということを意味する。政府の説明責任を実現するため、各種の政治的・法的・行政的な仕組みが使われる。これらの仕組みは、腐敗を防止し、公職者が市民の声に反応できる、身近な存在であり続けることを目的として作られたものである。このような仕組みがなければ、腐敗がまん延するかもしれない。