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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2012年1月28日土曜日

「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと

TFA代表ウィンディ・コップ著『いつか、すべての子供たちに ~「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと』
2009年春に刊行された翻訳本です。手元にありますが、いっぱいラインが引かれ、付箋がそこいらじゅうに張ってあります。

1989年、プリンストン大学を卒業したウィンディ・コップは米国社会における教育の不平等を実感し、『すべての子供たちに優れた教育を受ける機会を与えたい』という理想を掲げて非営利団体TFA(Teach For America)を設立しました。
アイデアはこうです。

『トップクラスの大学を卒業したばかりの人たち-専攻もめざす職業もさまざまな人たち-を集めて、都市や地方の公立学校で二年間教師をしてもらう。その後も生涯を通じて、「すべての子供たちに教育の機会を与える」という目標に向かって、率先して取り組んでもらう。』

そして
・教師の確保
・派遣先の確保
・運営資金の調達
等々の都度の試練を克服し、1995年、ついに黒字を計上、ウェンディ・コップの理想は米国社会に認められます。

本では、TFAの設立から1995年までの活動の黎明期において、数々の試練をどのように乗り越えていったかが綴られています。そこには若者の無知や軽薄さが招いた問題もありました。しかし、それ以上に『変化を起こす、起こしたい』という強烈な意思、熱意、行動がありました。

そしてもう一つは、米国社会がなぜにFTAを必要としているかも綴られています。それは、米国社会における公立の教育システムの脆弱さです。
米国は広大な国土を有していますが、辺境の町では正規の教師がおらず、高校を卒業した若者が教師を務めています。
また、大都会のインナーシティ(低開発地域)は社会の吹きだまりとなっていました。
貧しい地域に住む子供たちは、どんどん置き去りにされていたのです。

現在、TFAは米国大学生の『理想の就職先』となっています。そしてGoogleやApple、その他名だたる大企業がTFAでキャリアを積んだ若者を雇用するプログラムを実践しています。

TFAの理念は世界中に広がりつつあります。日本でもTFAの理念を実践しようとするNPO『Teach For Japan』が2009年に設立されました。
しかし、自由主義を貫く米国とは違い、日本の教育は社会民主主義のもとに構築されたシステムです。それは大きな一枚岩です。また教育の背景も抱える問題も米国とは異なります。ですから、TFJは日本の実情に向き合ったプログラムを開発しなければならないと思います。
また、TFJメンバーの『キャリア』評価についても懸念します。 現状ではTFJが派遣できるメンバーは、指導補助員、もしくはボランティアです。現場においてステータスもなく権限もなければ、モチベーションを維持することはできないと思います。そして何よりキャリアアップの問題です。『キャリア』の考え方が米国と全く異なる日本では、TFJでのキャリアは次の就職へのアドバンテージにならないと思います。魅力的な就職先を目指すならば、先の二つの懸念を払拭しなければいけないと思います。

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私が本書で学んだことは、私たちは『希望』を描き、その芽を発芽し育てる力を合わせ持っているという事です。それは苦難であるが大きな喜びでもあります。
巷には進学を目指す受験生があふれていますが、彼ら一人一人が、その先に『希望』を描き、自らを肥沃な土壌に育て、そしてしっかりと『希望』の芽を育てる者となってほしいと願います。

2012年1月27日金曜日

私たちの『選択』~巣立つ者へのエール~


それは一枚の絵を見たのがきっかけでした。
30センチ四方の額に納められた小さな絵、
絵筆から絵の具を一滴一滴垂らして描かれた絵、
青い鳥が赤や緑の実が稔る野で戯れる様子が描かれた絵です。

『青い鳥』といえば、メーテルリンクの童話が浮かびます。
幼いチルチルとミチルの兄妹が、夢の世界を訪れて『幸せの青い鳥』探します。
でも夢の世界では『青い鳥』を見つけることはできませんでした。そして目が覚めると兄妹の鳥かごの中に『青い鳥の羽根』があった。幸せはいつもそこにあるのだよ、と私たちに気づきを促す物語です。

ここで感じた暗示的なキーワードは、
『鳥かごの中の青い鳥の羽根』→『幸せ』→『保護された持続的な幸せ』です。

そしてもう一つ、『青色』から連想したのは『自由』です。
フランスの三色旗の俗説、青は『自由』、白は『平等』、赤は『博愛』、からの連想です。

『持続的な幸せ』と『自由』、
私たちが求めてやまない二大の代名詞です。

鳥で例えましょう。
『籠の鳥』は、庇護者によって、水を与えられ餌も与えられます。もっとも慈悲深い庇護者であれば、昼間は鳥籠を軒先にでも出して、心地よい風と陽の暖を与えてくれるでしょうし、夜は暗幕をかけて静かな眠りも与えてくれるでしょう。生きながらえるという点で、これは与えられた『持続的な幸せ』もしくは『持続的な安心』です。
では『自由の鳥』はどうでしょうか、
『自由の鳥』は拘束されず、思うままに飛んでゆき、生きることができます。しかしそのフロンティアは脅威に満ちあふれています。天にも地にも彼らを狙うハンターがいて、自然は容赦なく彼らを危険にさらします。そんな中で彼らは水を求め餌を求め伴侶を求めてゆくのです。『自由』とは一瞬の油断も許されない、『獲得し続けなければならない』ものなのです。

ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』に、
『グリーン・ゾーン』そして『レッド・ゾーン』という表現がありました。
イラク戦争後の米国主導で行われたイラク復興最中に、米国はバグダッドに要塞都市を築きました。それは長期滞在する米国市民のための町、リトルアメリカです。マクドナルドも映画館もショッピングセンターもあります。その町は強固なセキュリティで守られた『グリーン・ゾーン』です。そしてその『ゾーン』から一歩外に出れば、破壊尽くされた町があり、そこは『無秩序』と『死』が渦巻く『レッド・ゾーン』と化しています。

『グリーン・ゾーン』、これがタイトルとなった社会派スリラー映画がマット・デイモン主演で2010年に公開されました。いま振り返れば、イラク復興の内幕を暴露する内容でありました。

イラクの例は非常に特化したものですが、でも私たちが歩む道、生きる場所の選択には常に『グリーン(安全)』と『レッド(危険)』が存在します。
言い換えれば、『規律』『規則』『義務』を受け入れて『安心』や『幸せ』を得るか、自由競争という危険の中に身を置いて、『夢』や『富』を追い求めるかという選択です。

20世紀は『ナショナリズム』の時代でした。国家の威勢が地球規模の均衡を左右する時代でした。そして21世紀、経済が独歩する『グローバルリズム』の時代となりました。
日本の旗艦であった企業は多国籍化し、インターネットの世界、そしてビジネスの世界は英語でなければ務まらない時代となりました。
私たちは『職』だけでなく、『固有の言語』、『固有の文化』を失いかねない時代にも直面しているのです。

ただこの10年、『グローバルリズム』の強風が吹き荒れる中で、世界各地で国家よりももって小さな単位の『ローカリズム』、『固有の言語』『固有の民族』そして『固有の文化』を尊重し、その土地を守っていこうとする運動が起こっています。その運動の基は『アイデンティティの尊重』です。そしてそれは、『共有』『交換』『助け合い』そして『絆』で成り立つものであります。
私たちには『グローバル』に生きるか、土地にしっかりと根を張って『ローカル』に生きるという選択肢もあるのです。

私たちは今、学ぶ権利を有しています。様々な情報を目にする権利を有しています。そしてそれによって、私たちは自分自身にとって、家族にとって、社会にとって、『是』となる『良し』となる道を選択することができます。
何事も盲目的に信仰するのではなく、『智』と『良心』と『勇気』を持って選択し、歩んでゆかなければいけない、と思います。

2012年1月26日木曜日

寒い朝です


おはようございます。静かな朝です。長く差し込む朝陽が東西を陰陽に二分します。
今朝外に出ると、久しぶりに満天の星空を仰ぐことができました。北斗七星が天上にありました。冷たく澄んだ冷気をいっぱい吸い込みました。

昨日は雪が舞いましたね。午後空を見上げると、北の空から透けた灰色の雲が流れ込んでいました。『雪雲』、雪が降るなぁ、と思いました。
夕方、仕事を終た帰宅途中、雪が舞っていました。まだ陽の落ちきらぬ灰色の世界で、舞い落ちた雪はアスファルトの上を波打ち渦を巻いていました。それはとても軽やかでしなやかで、音のない舞踊を観る面持ちになりました。

まぁ、こんな悠長なことをいえるのも、雪害がないからでしょうね。こう毎日毎日低気温が続くのは堪えますが、それでも今朝のように太陽が地上を照らし、そして陽に身を置けば暖をとることができる。それがたまらなくありがたいです。

『おはよう朝日です!』の正木さんのお天気によると、来週にはこの寒波よりもさらに強烈な寒波が押し寄せるとの事。インフルエンザの大流行の兆しも叫ばれています、我々もまた受験を控える子どもたちが体調を崩さぬよう見守りたいと思います。

2012年1月25日水曜日

息をするたびからだが冷えていきます


おはようございます。久しぶりのリアルタイム書き込みです。

目覚めたら、布団の中に潜ってました。暖かくて静寂な世界、でもやはり空気がよどんでいます。やおら顔だけ外に出すと、体の中からだんだん冷えていきました。
そう、冷たい空気を吸い込んで、肺で血液が一気に冷やされ、そして全身に冷気が届けられたのです。
そうして目がどんどん覚めました。

18日にパソコンが修理から戻ってきましたが、それから使える状態に設定し直すのに時間がかかりました。パソコンは、どんどん家電化しているような錯覚を覚えたりしますが、実際、故障した後など、設定し直したり、データを復元したりと、やはり精密機械、コンピュータなのだと実感します。

また先週半ばから風邪症状を引きずっています。昼間はどうこうないのですが、夜はもうだめで、よく寝ています。図書館で借りた本も読み切ることができず、またパソコンを触るのもしんどい状態でした。でもこの数日快方に向かっています。

今の一番の楽しみは、2月4日のおはなしの会の朗読です。その準備は、というか練習を始めています。当日朗読しようと思っている絵本は
・おひさまがいっぱい
・ずーっとずっとだいすきだよ
・わすれられないおくりもの
・こぐまのムースとねずみのロゼッタ
この中から3冊読もうと思っています。すっかり風邪も治って、元気な声でおはなしを届けられたらと思います。

2012年1月24日火曜日

ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』読書感想 その2


私たちは、何か手詰まりに陥ったとき『ショック療法』として思い切った手立てを講じる。荒療治である。しかし民主国家においてそれは、万民が痛みを分かちあい、その結果、万民に恩恵をもたらすものでなければならない。

だがしかし、ミルトン・フリードマン率いるシカゴ学派の『急進的な新自由主義経済』がもたらすそれは、一握りの支配者の経済的成功と富の独占でしかない。
ナオミ・クラインはその著書『ショック・ドクトリン』の中で、独裁者そして自由経済原理主義者の『ショック療法』は、本当の惨劇、『格差』『不平等』『荒廃』しか生まぬことを物語っていた。

そして著書の終章にて、『ショック・ドクトリン』が実行された被災地から、民衆の手による復興が始まった、と希望の道筋も書かれていた。
一つは、南米で生まれた『米州ボリバル同盟』である。
その目的は
米国主導の競争原理に基づく市場優先の新自由主義に対抗し、『真のフェアトレード(公正貿易)の絶好のモデル-すなわち、各国がもっとも得意とする製品やサービスを提供する代わりにもっとも必要とするものを手に入れ、取引価格はグローバル価格に左右されない』を構築することである。

もう一つは、2004年スマトラ沖地震・津波被害からのタイ沿岸地域の被災者自身の手による復興である。同地震によりスリランカでは沿岸地域で被災した住民が著しく居住権を侵害されたのとは対照に、タイでは被災住民がいち早く居住権を主張し、自ら国と交渉し、復興に向け活動した。タイの被災地連合は次のように主張する。
『復興事業は可能な限り地元住民が行うべきである。外部の業者の参入を排し、地元社会が責任を持って復興を行うのが望ましい』と。

翻って日本を顧みれば、
80年代後半から始まった『民営化』により国民の資産は著しく減少し、『規制緩和』によって労働者の権利は著しく侵害され、地場産業は衰退した。そして『社会支出削減』によって、『教育』『保育』『医療・介護』の分野までもがビジネスの標的となった。

そして昨年の東日本大震災である。震災からもうすぐ一年を迎えるというのに被災地の復興は遅々として進まず、原発事故の復旧は未だ五里霧中である。にもかかわらず時の総理は、震災復興と原発事故賠償の原資と称した消費税アップに、また米国主導のTPP(FTA)への乗車に躍起なのである。
まさに今日本は、『ショック・ドクトリン』が進行中と読めるのである。

私たち日本人は、80年代から90年代初頭にかけ、『経済は一流、政治は三流』国家と世界から揶揄されながらも、夢と希望を見いだすことができた。しかし、現在、大多数の日本人は漫然なる不安と諦めを抱えることになった。

今、私たちが一番に求めなければいけない事柄は、今生きる私たちが希望を持ち、そして生まれ来る子どもたちが夢を抱くことができる国の再建である。

今、日本人が一番に取り組まなければいけない事案は、国内の『空洞化』を阻止する事、つまり、生活の潤いを獲得できる地場産業の再生と、労働者の権利が守られる雇用の創出である。そしてそれが『持続可能な生活力』を育て、さらなる再生、新たな進歩や発展を生み出す原動力となるのである。

グローバル経済が席巻するこの地球には、もうフロンティアなどない。経済競争は有限なるパイの奪い合いでしかなく、それはまさに戦争である。

しかし、私たちはこれからの道を選択できる。
競争が生み出す進歩や発展ではなく、共存の中で『恵み』『潤い』そして『洗練』という進歩、発展を目指す道を選択することができるのである。
私たちはそのために、『真摯』に『誠実』に声を上げなければならないと思う。



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昨年末に、加古川市立図書館で『ショック・ドクトリン 上』を借りて読み、そして1月半ばに『下』を借りた。しかし、読み切ることができず、本日時間切れで返却した。
本は、第一章で『ショック・ドクトリン』誕生物語を追い
そして上・下の大部分で現代史実が如何に『ショック・ドクトリン』の実験場であったかをレポートしている。正直、魑魅魍魎のうごめく世界で、読み進めるうち何度も吐き気をもよおしそうになった。
しかし終章で、私たちのとるべき選択肢として、これまでの『戦う』か『従う』がではない第三の肢『共存』の道が示された。それは本当に救いであった。

また機会を得て、今度はしっかり熟読したい。