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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年12月7日金曜日

新作、映画『レ・ミゼラブル』について


ヴィクトル・ユーゴーが、1862年に原作を発表してから丁度150年となる今年、新たに全編歌で綴られるミュージカル映画『レ・ミゼラブル』が公開されます。日本公開は今月21日(金)です。
http://www.lesmiserables-movie.jp/

私は、この新作映画のニュースを知った時、実はエエッっと思いました。
つい最近(といっても10年以上過ぎていました)公開されたばかりじゃないの、という思いからです。
1998年に公開された、リーアム・ニーソンがジャン・バルジャンを演じた『レ・ミゼラブル』があまりにも良かったからです。重厚な物語と演技、そして19世紀始めのフランスの世相、風景が見事に描かれていました。
貧しさ故に娼婦に墜ちた薄幸な女ファンティーヌをユア・サーマンが演じました。そしてジャン・ヴァルジャンを執拗に追う警部ジャベールをジェフリー・ラッシュが演じました。特に、フランス革命前後の社会正義の転換により、尊大な王朝の監視であったジャベールが、権力を奪われても尚、ジャン・バルジャンを執拗に追い続け、ついにジャン・ヴァルジャンを捉えた時に、真の罪、高潔な市民を無慈悲に追い回した我が罪に潔く殉じる、このシーンにとても感動しました。
枯れた風景、美しい音楽、素晴らしい演者がいて、とても力のこもった物語でした。

この様な、10年以上経ってもまだ感動を持続している映画が、新作となって公開される。これまで余り経験したことがありません。
ですが、新作は、舞台公演される『レ・ミゼラブル』の映画化、リメイクといった趣向だそうで、一公演をフィルムに収めるという意気込みで制作された様子です。俳優は全員オーディション、そして全編セリフはなくて、歌で物語が綴られます。
ジャン・バルジャンをヒュー・ジャックマン、そしてジャベール警部をラッセル・クロウが演じます。最近のハリウッドはオーストラリア人が席巻しているなぁと思ってしまいます。(ちなみに、ヒュー・ジャックマンはこの夏、息子さんを伴って富士山登山を楽しまれた様子です。嬉しいですね!)
そして注目は、ヘレナ・ボトム=カーターです。幼いコゼットをこき使う宿屋の女将、テナルディエ婦人に扮します。
今回の新作では、1998年公開作品では描かれなかった『レ・ミゼラブル』の後半、コゼットとの離別、そして再会と融和が描かれていたら良いなぁと思います。そして、この物語のダークサイドに立つ二人目の人物、どぶねずみの様に悪事を重ねるテナルディエが登場すればなお良いのになぁと期待します。

年明けにでも、観に行こうと思います。

『進め~!大先真一郎!』、純と愛、その2


今週の『すーぱーまん』の話も、いやぁ時限爆弾が見事に炸裂、驚かされてしまいました。舘ひろし演じるオオサキホテル社長大先真一郎の不甲斐なさは天下一品、ですが心根の素直さはホント少年ですね。カイザーにオオサキホテルを牛耳られ、先代から引き継いだオオサキホテルの命、『おもてなしの心』と『お客様に笑顔になって頂く』ためにあった、施設や部門、そして人まで切り捨てられる事態に向き合うことが出来ずに雲隠れし、あげくに純の家にひょっこり現れる。
どうするんですか?と問い詰める純に対して黙りを決め込むと、純は最終兵器、愛の本性読みの能力を使って、愛に真一郎の本心を語らせる。普通、どうしようも無く逃げ惑っている時、さらに心の中まで暴かれる事態になれば、人間気が狂うほどに拒絶すると思うのですが、真一郎は面白がりました。真一郎は、恐れもせず、またすがりもせず、ただ面白がったのです。このシーンが切っ掛けで、重苦しかった話の空気が一気に変わりました。

そしてもう一つの時限爆弾が、吉田羊さん演じる桐野富士子の豹変です。これまでずっと冷静無比な純の上司であり続けていましたが、昔の恋人(そして今も相思相愛の)真一郎が、遅ればせながら、ようやくオオサキホテルの命を取り戻そうと決意した時、堅く縛った髪をほどき、背負った十字架の象徴であるクロスのネックレスを引きちぎって、遅いわよ!と詰め寄り、どんと背中を押すシーン、実に迫力がありました。

ただ、今回の朝ドラ『純と愛』に限って言えば、先の展開が全く読めないです。というか常に視聴者を驚かせようとする、制作者側の遊びを感じます。そう関西人のノリです。とにかくビックリさせて、ツッコミを入れて、ボケる。それを毎週続けるのだから、とても凄いバイタリティだと感心します。
そしてこの物語の終幕は、関西人のノリで考えれば、泣き笑いの末にみんなが笑顔になって幕を下ろすのだと想像します。

来週は誰が時限爆弾となるのか楽しみです。

2012年12月6日木曜日

深夜の爆弾低気圧、凄かったですね。


昨夜、深夜の爆弾低気圧の通過に伴う、暴風は凄かったですね。家が壊れるかと思いました。

現在(昼の12:40)ですが、日本海側は、島根県から北海道にかけて、暴風警報が発令中です。瀬戸内海に面する、ここ播州地方では、深夜0時から明け方5時にかけ、10mを超える暴風が吹き荒れました。今は、それがウソのように穏やかです。陽も差しています。

最近の気象用語は、どんどん新しい単語が増えてきました。
『スーパー台風』、『ゲリラ豪雨』そして『爆弾低気圧』と、どれもおっかない呼び名です。危険を直感的に与えるにはピッタリの呼び名だと思いますが、実際にそれが、神出鬼没に現れて、甚大な被害を及ぼす、必ず炸裂する爆弾だとすれば、私たちにはもう手立てがない様に思えます。遭遇すれば、ただ頭を下げて祈り、無事に通り過ぎてくれる事を願うだけです。

内閣総理大臣を目指す候補者への、たった二つの望み


衆議院議員総選挙が始まりました。
選挙の公示が決まってから、町の辻に立ち、駅前に立ち、朝ひたすら笑顔を振りまいて「おはようございます」と顔を売ろうと努める候補者もいれば、政策を語る候補者、他政党や他候補者を非難する候補者とさまざまです。
乱立した党の党首もポスターや電波に乗って、総花的な公約と、何より語気の強い『政治スローガン』に終始しています。
民主党の野田党首(現内閣総理大臣)は、『決断!』を声高に唱え、民主党政権がこの三年余りで進めてきた政策を推し進めるか、後退させるか、貴方方国民ひとり一人の決断(投票)にかかっていると訴えます。
方や自民党の安部党首(元内閣総理大臣)は、『取り戻そう!』と声高に唱え、(民主党政権になってからの?)危機的的状況にある経済、教育、外交を立て直し、安心社会を作ると訴えます。

私は、次の内閣総理大臣を目指そうとする候補者には、たった二つだけを望みます。
その一つは、
『実現する夢を(希望を)を大らかな語れる』
です。
現在の政治家は、本来の意味での政治家ではなく、実務家です。会社でたとえるならば、ビジョンを持ち実行する力とその責任を一新に負う社長であるべきなのに、執行役員です。酷い場合には名目役員におさまる場合もあります。実務がわからなければ役所の長は務まらないです。それはこれまでの悲劇的な大臣を見て強く感じます。ですが政治家には、実務以上に(私が)実現する夢、希望を大らかに語れる事こそ必要だと思います。それが組織で働く人々の心を掴み、国民が託することの出来る唯一だと思うからです。
1960年の池田内閣総理大臣が掲げた『所得倍増計画』、そして
1972年の田中内閣総理大臣が掲げた『日本列島改造論』は、強烈でした。後先を踏まえておれば、今の世はまた違う世の中になっていたかも知れないほどに、独断的で強引、しかしそれがため日本は高度成長を成しえたとも言えます。
最近では、トーンはぐっと下がりますが、2006年、安部内閣総理大臣が掲げた『美しい国へ』という夢に、ハードウェア偏重で進んできた日本を、美しい風景のある日本に立ち返らせるという意思を感じ、本当に期待しました。しかし、それも一年も満たずに潰えてしまいました。安部内閣総理大臣が、もうや~めた、と国政を放棄してしまったからです。
『実現する夢を(希望を)を大らかな語れる』は、一朝一夕で行えることではありません。不断と学びと、ひたむきな努力が必要です。そして、実行力と責任を一身に担えると信頼された者だけに与えられた特権だとも思えます。

もう一つは、
『任期を全うする』
です。
内閣総理大臣は、日本国において、日本の象徴である天皇の下に位置する、国民の首長です。かしらです。
ひとりの国民が、衆議院議員の候補者となり、総選挙で選ばれ、与党議員の指名により与党の党首となり、そして天皇が国会の指名に基づいて内閣総理大臣に任命します。内閣総理大臣は、日本国内にあっても、諸外国にあっても、日本の最高権力者です。とても厳粛な地位です。
一度の任期は最長で4年です。ですから、内閣総理大臣の地位に就く者には、その4年間職務を全うする為の、若さと健康が必要です。それに加えて強運も必要です。それがあって初めて任期が全うできます。
ですから、その任期を全うした者は、英雄として賞賛されるべきだと思います。
たとえ任期を全うできなくとも、英雄として賞賛すべき人物もいます。ですが、近年においては、悲しむべき事に、その地位は貶められているように感じます。日本が独立国、国民主権国であり続けるためには、その首長の地位は決して汚してはいけないと強く思います。

『情けは人のためならず』


『情けは人のためならず』ということわざがあります。
本来の意味は、
『他者に情け(もしくは恩を与える、親切にする)をかけることは、他者ばかりではなく、いつか巡り巡って自分に良い報いとなって返ってくる。』です。
ですが昨今では、
『情けをかけることは、その人の為にならない。』という誤った用法が普及しています。

私はこの言葉に一うんちくを持っています。というか与えてもらいました。
それは

これも最初に勤めた会社での事です。
先輩から、仕事(SEとしての技術、行動)、社会人としての身だしなみ、何より仕事帰りの一杯を教えて頂きました。困った時も、喜びの時も、いつも先輩は前に立っていてくれました。
そんな先輩が言われる言葉がありました。
『いつか後輩に尽くせ』
です。
ですから、先輩にはいつまでも甘え、頼っていたように思います。
そして、後輩が出来、部下を持つようになってからは、自分が与えてもらった事、教えてもらった事、感じた事を、『伝える』、『与える』が自分の役割だと思い行動しました。
先輩が言われた言葉『いつか後輩に尽くせ』を、『行いを繋げ』と私は解釈したのです。

私が入社した1982年当時のコンピュータ会社には、まだ師弟制度みたいなものがありました。就いた先輩(師)の命じられるままに勉強をし、仕事を学びます。三年続いたら一人前なんても言われました。新しい技術(データベース技術やオンライン処理技術)がどんどんと普及していった時期でもありました。私たちは従来型(バッチ処理やスタンドアロン処理)の業務処理システムを試行錯誤を重ねながら新しい技術でシステムを一新していきました。今思えば、根気と体力もさることながらチーム力・団結力が成否において重要でした。

このチーム力・団結力を強固にするために、不断の『尽くす』、『繋ぐ』という努力が必須であったのです。
仕事を前進させるために、過度な、また理不尽と思える指示が与えられることがあります。ですが、チーム全員が気心を知り、信頼し合い、また部下や後輩が、上司や先輩に不断の感謝があれば、不平不満ではなく、託されたという心意気で仕事に向き合えます。
この一朶となったチームが成功のゴールテープを切ることができました。
そして私は、『情けは人のためならず』の本来の意味
『良い報いとなって返ってくる』を体現しました。

2012年12月4日火曜日

昨日、姫路城で軍師官兵衛を見かけました。


今日は寒いですね~
この冬、初めて喉が痛くなりました、そして少し頭痛もします。明日は仕事日、用心の為、早く寝ようと思います。

そうそう、昨日は小春日和でしたね。昼間墓掃除に出かけました。空気は冷たいですが、風がなく、歩けば日光に照らされて、とても温かい長歩きとなりました。
墓の草取り、水拭き、そして花を捧げてきました。
その後、姫路城に行きますと、少し色あせてはいましたが紅葉を楽しみました。
美術館と内堀の間の小径を抜けて三の丸広場に入りますと、大勢の観光客に混じって修学旅行と思われる一行が軍師官兵衛に分したおじさんと仲良く記念撮影していました。

軍師官兵衛、再来年の大河ドラマのタイトルであり、姫路で生まれ、後秀吉の軍師となって天下統一に貢献した知将黒田官兵衛の事です。

数年前から、姫路市と福岡県福岡市が協調して両市の英雄黒田官兵衛を『大河ドラマの主人公に!』という運動を行ってきました。そしてその運動の中で『官兵衛さんの大きな夢』という絵本が生み出されました。この『官兵衛さんの大きな夢』には、戦国時代末期の印南の勢力地図が描かれています。その地図の西の外れに北脇城がありました。城主は大塩氏とあります。現在私が住んでいるところが北脇です。20有余年前に地名の由来が書かれた大書が出版されました。その本に、現在の西浜辺りに荘園領主大塩氏の館があった云々と書かれてあったように記憶しています。昔、この辺りにも小城があったのかと思うと何だか嬉しい気持ちがします。

最初に黒田官兵衛にスポットライトを当てたのが、司馬遼太郎さんです。歴史小説『播磨灘物語』で、黒田官兵衛の生涯を描かれました。読んだのはずいぶん昔で、幕末の英雄を描いた『竜馬がゆく』や『世に棲む日日』ほどには、気持ちを入れて読むことが無かったためか、物語はもうほとんど覚えていません。ですが、我が故郷、播磨の国を、そして播磨灘を描いた物語がとても誇らしく思いながら読んだ記憶は残っています。

2012年12月3日月曜日

藤川球児のメジャーリーグ所属球団が決まりました。


藤川球児のメジャーリーグ所属球団が決まりました。
ナショナルリーグ中地区のシカゴ・カブスです。

シカゴ・カブスの本拠地はリグレー・フィールドです。リグレー・フィールドは1914年開場で、フェンウェイ・パークに次いで古い球場です。印象的なのは外野のフェンスです。カーキ色の煉瓦積みのフェンスに蔦が生い茂っています。
それからもう一つは、これは私の勘違いでしたが、ずっとナイター設備のないデーゲーム専用球場だと思っていました。昔、「野球は太陽の下でやるものだ」という趣旨でリグレー・フィールドには照明設備が設けられませんでした。それが今もずっとそうであると思い込んでいました。先ほど調べると1987年からナイターが行われていました。
でも過去の名言が今も息づくほどにクラシカルな雰囲気が漂う美しい球場です。

『聖地』、『蔦』、そして『太陽の下が特に映える』と聞けば、そう甲子園球場と同じです。そしてカブスはMLBの中でも屈指の人気チームらしいです。(実は、私はカブスと聞いてもサミー・ソーサくらいしか浮かびません。)
そのカブスで、リグレー・フィールドを本拠地として、来年藤川球児が、クローザーとしてマウンドを任されます。
今年の藤川球児は、阪神タイガースの凋落の象徴でありました。キャプテンマークを胸につけて挑んだシーズンでしたが、打てない打線に、ちぐはぐは投手継投も手伝って、2005年にJFK の一角として華々しくデューしてから最低の成績でした。そして後半戦は怪我で離脱もしました。クローザーとしてとても秀でた投手ですが、阪神で野球を続ける意味、モチベーションを見失ったのだと思います。
今年、メジャーリーグで過去の名選手が球団を移籍したことによって野球を楽しむためのモチベーションを取り戻し、再び名選手へと返り咲きました。イチローです。
藤川球児には、イチロー同様に、新天地で野球への情熱を取り戻し、持っている力を存分に発揮して、自分の為に家族の為に、そしてファンの為に大活躍して欲しいです。

2012年12月2日日曜日

史上最強の助っ人、元阪神のバースさんが野球殿堂入りの候補に入りました。


「バス大渋滞」などと揶揄されるのを恐れて登録名を工夫したという、
日本プロ野球界で「史上最強の助っ人」と言われる、元阪神タイガースのランディ・バースさん(Randy William Bassさん)が、来年の野球殿堂入りエキスパート表彰の候補に入りました。



阪神が日本一に輝いた1985年、そして1986年のバースさんの活躍は鮮烈でした。当時私は会社の先輩と一緒によく甲子園に観戦に行きました。一塁側アルプススタンドに陣取って、まず弁当を掻き込んで、ビールをあおって、そして大観衆の一人となって、応援歌を大合唱しました。

バースかっ飛ばせバース
ライトへレフトへホームラン
かっ飛ばせバース!

悠然と左バッターボックスに入ったバースさんは、ホームベースから少し離れた位置で狭くオープンスタンスで構えます。少し前屈みのクラウチングスタイルです。
そして投手が投じた外角に逃げる球を、踏み込んでジャストミート、打球は高く放物線を描いて左中間スタンドに吸い込まれました。スタンドはもう総立ちで、歓声が嵐となって吹き荒れました。そんな光景を、何度も何度も見ました。
緑が映える外野の芝生と白い服装の観客で埋まったスタンドが、カクテル光線に照らされ美しく浮かんでいます。空は漆黒です。そして打ち放たれた白球が、その漆黒のキャンパスに白い放物線を描きます。これが甲子園で見ることができる最高の夜景です。

バースさんはアメリカのオクラホマ出身です。当時、オクラホマと聞いて浮かんだことは、フォークダンスの定番曲「オクラホマミキサー」と、そして西部劇の舞台ということでした。バースさんは、髭を満々と蓄えていました。小太りでもあります。そして腕は丸太ん棒です。初めてバースさんを見た時、私は牧歌的で大好きだったドラマ『大草原の小さな家』に登場するエドワードおじさんにそっくりだと思い、一目で大好きになりました。
バースさんは、そのトレードマークの髭を一度だけ剃ったことがあります。
1986年の春キャンプの頃です。新聞の紙面に髭を蓄えたバースさんの顔写真が掲載されました。そして翌日、今度は髭を剃ってスッキリとした顔になったバースさんの顔写真が掲載されました。ジレットの広告でした。バースさんは髭を剃ってもなかなかの男前でした。

バースさんは、私にとってヒーローの一人です。そんなバースさんがもし野球殿堂入りを果たせば、私にとっても大変な喜びです。そんなバースさんを、そして1985年の大狂乱(俗に言われる阪神フィーバーです!)を見ることができた、経験することができた私って、とても幸せなんだなぁと思います。