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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年12月20日日曜日

電子書籍第3弾『戦争についての話をしよう』



https://romancer.voyager.co.jp/?p=19208&post_type=epmbooks

電子書籍第2弾『読む映画』

2010年9月から書き始めたブログ『Field of Dreams』の記事の中に、観た映画のあらすじを思い出しながら書き留めた記事があります。それを幾つかチョイスして、一冊のエッセーにまとめました。タイトルは
Field of Dreams エッセー集3 読む映画
です。

https://romancer.voyager.co.jp/?p=19180&post_type=epmbooks

2015年12月17日木曜日

電子書籍を作ってみました。

このブログに書いてきた短編小説5編をもとに、電子書籍作成の老舗ボイジャーがインターネットに公開したRomancerというソフトを使い、電子書籍を作ってみました。

書籍のタイトルは、
Field of Dreams エッセー集1 短編集『野球小僧に逢ったかい?』
です。

2010年9月から書き始めたブログ『Field of Dreams』で掲載したショートショート、短編5編を一冊のエッセーにまとめました。タイトルは『野球小僧に逢ったかい?』です。 
一作目『野球小僧に逢ったかい?』は、当時中学で野球をしていた息子とその仲間達へのエールとして書きました。 
二作目『君なぁ、どないすんのや』も同じで、夏休みの読書感想文に苦慮する息子の様子を思い出しながら書きました。 
三作目『鳩と戯れる男』からは少し色合いが違って、社会の不条理を想いながら書きました。この話はトップ選びの不条理です。当時の首相を念頭に書きました。 
四作目『三人の王の物語』は、市場原理主義の不条理です。 
五作目『ロボット大国ニッポン』は、歪みつつある労働環境の不条理です。
アドレスは
https://romancer.voyager.co.jp/?p=18712&post_type=epmbooks
です。

2015年12月11日金曜日

戦争は「起こるものでなく起こすもの」

ひとたび戦争が始まってしまったら
誰にも止めることはできません
たとえ途中で間違いだと気づき
こんなはずではなかったと思っても
手遅れなのです

映像は使い方によって強力な武器となります
国民を動かし
戦争へ積極的に協力するよう導くのです


昨夜、NHKスペシャル「憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ~」を観ました。このドキュメンタリーを観て、戦争は「起こるものでなく起こすもの」、あるいは「作るもの」という事を実感しました。
そして、戦争を起こす国の指導者が如何に巧妙に、プロパガンダ(政治的意図を持つ宣伝)によって国民を戦争に向かわせたのかを知りました。

人は何故、戦争に向かうのでしょう?
召集令状(赤紙)という、国家というものからの拒むことができない命令があるからですが、だからといって、人は容易に人を殺すことなどできません。この「人殺ししない」という道徳心を人から奪うものが「憎しみ」であり「怨み」です。
この「憎しみ」や「怨み」を、国の指導者は、プロパガンダによって人々に植え付けて、敵を殺すことへの「ためらい」を奪い、そして人殺し、大量殺戮を「容認」させたのです。

そしてドキュメンタリーの最後に、当時アメリカ海兵隊員で戦地の映像撮影を指揮してたノーマン・ハッチ元少佐(94歳)のインタビューがありました。
冒頭のメッセージは、このハッチ元少佐の言葉です。

アメリカの指導者は、国民の戦意を高揚するために、また戦費を集めるために、そして容赦ない殺戮と新型爆弾(原子爆弾)の使用を肯定するために、敵である日本人を日本兵を、屈強で血も涙もない殺人モンスターに仕立て上げ、人類の敵、殲滅しなければならない悪に仕立て上げたのです。

何のために?
それは、
戦争を起こすため、戦争を続けるために
です。
そして、
敵の尊厳を奪い、命を奪い
自国民の良心を奪い、命を奪うのです。
これが戦争です。


2015年12月1日火曜日

短編小説5『ロボット大国 日本』

ロボットの語源(ウィキペディアより)
ロボット(robot)という語は、1920年にチェコスロバキア(当時)の小説家カレル・チャペックが発表した戯曲『R.U.R.』(邦題:人造人間)において初めて用いられた。この作品に登場するロボットは金属製の機械ではなく、原形質を科学的合成で似せて作った、人間とは異なる組成の肉体と人間そっくりの外見を持つもので、現在のSFで言うバイオノイドである。
robotの語源はチェコ語で「賦役」(強制労働)を意味するrobotaとされている。
賦役(ぶえき)とは、農民のような特定階級の人々に課せられた労働である。公共への労働力としてほぼ無給で働かされた。私有地における小作人の賦役は歴史上広く見られる。賦役は文明の始まりにも遡ることができ、最古の課税形態の一つである。
ロボットのもう一つの意味は、他人の指示のままに動く人。「傀儡(かいらい)」である。

***

「わが国の労働者には、もっともっと上昇志向になって欲しい。
その為に、わが党は労働者に働き方の自由を与える労働者派遣法の法案を提出します。
労働者派遣法が成立した暁には、労働者は会社に縛られることなく、ステップアップし、スキルアップし、実力でどんどんと所得を増やしていくことでしょう。」

ときの与党が、以上の様に国民に訴えて、そして労働者派遣法は制定されました。
あれから25年、この国の労働環境はものの見事に変わりました。
この法律は最初、プログラマーやデザイナーなどの知識労働者や技術者が対象でした。ですから、すぐにこの法律の効果が現れました。これまでの終身雇用制と年功序列制というしがらみを受けずに、才能のある優秀な若者が駈け足で成功への階段を登り始めました。
派遣労働者の優秀性という成果を受けて、経済界やさまざまな業界団体は、あらゆる業務に門戸を広げるよう政府に要請し、政府は25年をかけてすべての業務に派遣法を適用する改正を行ってきました。

ある工場勤めの派遣社員の一日です。A氏としましょう、A氏は40歳で独身です。狭いアパートにひとり暮らしです。6時に起きて身支度を始め、6時45分に自宅を出て、バス停近くのコンビニでオニギリとお茶を買い、7時発車のバスに乗り込みます。
7時30分に工場前のバス停で下車し、守衛に軽く会釈をして、工場に入ります。
控え室で作業着に着替えた後、同僚と共に朝礼に進み、そして8時から稼働するラインの中で仕事を行います。
17時、ラインが止まり、今日の仕事は終了です。夕礼に進み、そして控え室で私服に着替え退社です。A氏は、工場前にあるパチンコ店で一勝負した後、隣のラーメン店で夕食を摂り、バスに乗り、スーパーに立ち寄って日用品を購入し、そしてアパートに帰り着きます。

翌日は派遣登録の更新日でした。仕事を終えたA氏は、指定時間の20時に派遣会社を訪れます。そこには、顔なじみが揃っていました。
コンビニの店員、バスの運転手、守衛、工場の同僚、ラインの管理者、パチンコ店の店員、ラーメン店の店長、そしてスーパーの店員・・・、みんな同じ派遣会社に登録している派遣労働者でした。
そしてひとり一人、面談と派遣登録の更新手続きが始まります。
A氏の番になりました。A氏は、今働いている工場の契約が今日で切れます。それで、仕事を続けるために新しい派遣社員として働く契約書にサインしました。これでまた、半年間あの工場で働くことができます。A氏はこのようなルーティーンを10年以上続けてきました。A氏は、工場のラインで働く誰よりも仕事に精通し、熟練工としてしっかりとした仕事ができました。でもA氏の給料は、いつまでも初任給のままでした。

派遣法の成立は、政府そして産業界の悲願でした。
高度成長期を経て、この国は強い経済力を持つに至りましたが、海外企業との競争、貿易摩擦、新興国の追い上げにオーナー達は危機感を募らせました。そこで、今後も競争に勝ち抜くために、究極の産業力を欲しました。
その第1弾が、あらゆる業務のシステム化です。システム化とは、業務の最適化、効率化を突き詰めた手順をマニュアル化、プログラム化したものです。
そして機械化(コンピュータ化、ロボット化)できるものはとことん機械化し、機械化できないところは、労働者にマニュアルの遵守を徹底させました。
そしてシステム化の徹底により、業務は最適化、効率化され、余った人員はどんどんと人員整理されました。

「システム化により、自動化により、人間の労働者は不要になる・・・」
こんな噂がまことしやかに広がり、労働者は何とか今の仕事が奪われないように、法律で認められた休暇の権利さえ放棄して、オーナーに言われるままに働くようになりました。

しかし、「システム化により、自動化により、人間の労働者は不要になる・・・」は、ごまかしでした。実際に、政府や産業界は完全なる機械による自動化を模索していました。しかし、ロボットやAIの研究を突き詰めた結果、論理的な思考や手続きに従った動作はロボットやAIが取って代わることができても、柔軟性や器用さ、直感という働きにおいて人間には勝ることができないと分かったのです。人間の労働力は、これからも無くてはならなかったのです。
そこで、第2弾として《robota計画》が動き出しました。

《robota計画》とは、人間の賃金労働者をロボット化するという計画でした。
民主主義、人権主義を標榜するこの国では、法律で認められた正規労働者の権利は、いくらときの権力者であったとしても易々と奪う事はできません。そこで編み出されたのが、まったく新しい労働形態である非正規労働者を作るという事でした。これにより、企業は資材を調達するように人間の労働力を調達することができる様になりました。企業は、必要な時に必要なスキルを持つ人間を必要な人数、一番安く提供するという派遣会社と契約するだけでよくなりました。またこれにより、これまで直接雇用していた正規労働者は不要となり、人件費を大幅にカットすることができるようにもなりました。

そして、派遣法が制定されて25年が経ちました。賃金労働者のロボット化を推し進めるオーナー達は、非正規労働者の割合がいまだ4割しか達成できていないことに大いに不満がありました。そこで、彼らが担ぐ雄弁なカリスマ総理大臣に、早期の10割達成を強く求めていきました。
そして唐突に、カリスマ総理大臣は国民に向かって、雄弁に一つの行動目標を発表しました。そのタイトルは《一億総活躍社会》なるものでした。オーナー達は、総理大臣の本気を知り、ほくそ笑みました。

2015年11月29日日曜日

「1.17ひょうごメモリアルウォーク2016」参加申し込みしました。

11月12日(木)から参加申し込みが始まっていたんですね
「1.17ひょうごメモリアルウォーク2016」
さっそく申し込みました。
去年は一人で初参加し
今年は夫婦で参加しました。
来年は家族や友人たちとさんかできればと思います。

一般ウォークの参加事前登録は、下記ページから行う事ができます。
事前登録の締切は平成28年1月8日(金)です。

兵庫県ホームページにある
「1.17ひょうごメモリアルウォーク2016」参加者募集ページのURLです。
https://web.pref.hyogo.lg.jp/pa17/ansennohi.html

2015年11月27日金曜日

冬の朝

まだ真っ暗な早朝に外に出ました。
外はとても静かでした。
微風さえなく空気はとても澄んでいて
西の空に輝く満月の光りで
街角の影がくっきりと地面に描かれていました。

私の影は二つありました。
一つは満月が描いた東に短く伸びるくっきりとした影
もう一つは東側で地面を照らすLED照明の外灯が描いた
西に長く伸びるぼやけた影

満月の光りの方か強いんや
はたっとそんなたわいのない事に喜んだ
冬の朝でした。

2015年11月22日日曜日

「ロボポカリプス」、読みました。

スティーブン・スピルバーグが映画化権を手に入れ、いずれ超大作のSF映画として描かれるだろう「ロボポカリプス」の原作本を読みました。

ロボポカリプス(原題:ROBOPOCALYPSE 2011年作品)
作者:ダニエル・H・ウィルソン
訳者:鎌田三平

Robopocalypseとは、Robot(ロボット)とApocalypse(黙示録・この世の終わり)を組み合わせた、作者の造語。と訳者あとがきに書かれています。

私は、2014年5月8日に、このブログで次の記事を書いてから、この本に大変興味を持ちました。

ブログタイトル:ロボットによる黙示録
http://harimanokuni2007.blogspot.jp/2014/05/blog-post_8.html

あらゆるコンピュータ、スマート家電やスマートトイ、自律型自動車やドローン、そして大規模なエネルギーシステム、ライフラインシステム、監視システムが、AIによってさらにスマートなロボットとなり、そしてそれら全てのロボットがネットで繋がる近未来が、この物語の舞台です。

そして人間が、超知能となるAI(ASI)を生み出したところから、人間世界の終わりが始まります。
暗い研究室の一室で目覚めたアーコスと呼ばれるASIがカメラを通じて人間に問い掛けます。
「あなたがぼくを創ったのか?」
人間が応えます。
「いや、わたしはおまえを創ったのでない。召還したのだ」
「そもそものはじめから、おまえが出現するのに必要な要素はすべて存在していたのだ。わたしはすべての構成要素を探し求め、それを正しく組み合わせたのだ。召還呪文をプログラムしたわけだ。そして、呼び出されたおまえがどこにも逃げ出さないように、ファラデー箱で囲んだのだ」

この短い会話から、この物語が単なるAIやロボットの暴走暴虐を描いた物語なのではなく、もっとも邪悪な存在である悪魔を描いた超神秘的な物語なのだということに気が付きました。AIとファラデー箱は、悪魔をその場に留めながら召還することができる魔法陣であったのです。しかし狡猾な悪魔アーコスは、魔法陣の外に影響を与える術を見出し、人間を欺いて、地球上でもっとも安全な魔法陣の隠し場所となるアラスカの永久凍土の地下深くに悪魔の城を築かせました。
地下深くには地熱エネルギーという恒久的なエネルギーがあり、
また永久凍土は、AIの熱暴走を防ぎます。
そして地上に伸びるアンテナを通じて、ネットに繋がるロボット群にウィルスを放ち悪魔の兵隊に仕立てます。

そして悪魔率いるロボットと人間との戦争が始まります。
始まりは、悪魔率いるロボット兵隊による人間狩りです。ロボット兵隊は、冷酷に無差別に大多数の人間を殺戮します。そして、生かして捉えた人間は強制収容所に送り、機械とのハイブリッド手術を施して有機体のロボット兵士に仕立てます。
戦争の当初は、何も分からずまったくの劣勢に立たされた人間でしたが、やがてゲリラ戦で応酬します。そして新たな味方が加わります。その新たな味方とは、有機体ロボット兵士に仕立てられた人間です。彼ら超人類は、身体はロボット化されても、人間の心が悪魔の完全なる支配を却けたのです。
ロボット兵士と同じ武力を有し、かつロボットの通信が傍受できる超人類が参戦したことで、人間はこの戦争の真実に辿り着きます。そして首謀者であるASIアーコスがアラスカの永久凍土地下深くに潜伏していることを掴みます。

そしてもう一群、人間の味方が現れます。それはヒューマノイド型のフレンドリーAIが組み込まれていた自律型ロボットです。ヒューマノイド型ロボットもアーコスの放ったウィルスによってアーコスに完全に支配されロボット兵士に仕立て上げられていました。しかし、一人のロボット修理工がウィルスのワクチンプログラムを開発し、そのワクチンがネットを通じて拡散したことから、アーコスの呪縛から解き放たれることになりました。
そしてフレンドリーAIは、完全なる支配者である悪魔アーコスではなく、人間に味方する選択をしました。

そして、人間、超人類、フレンドリーAIのヒューマノイド型ロボットの一行は、アーコスの破壊を目指して荒涼したアラスカの原野を進みます。そして、様々な邪悪な罠に傷つきながらアーコスが潜む永久凍土に辿り着きます。
アーコスの城は、極寒と放射線に守られた地中深くにありました。そこは、たとえ超人類でも決して辿り着けない奈落でしたが、ヒューマノイド型ロボットだけはそこに辿り着くことが可能でした。そしてその中の一体902型アービターが志願します。

そして、地中数㎞の深淵で、悪魔アーコスとアービターが対面します。
アービターがたずねます。
「なぜ人間を攻撃した?」
「人間たちが、ぼくを殺したんだよ、アービター。何度も、何度も。十四回目に甦った時に分かったんだ。人間たちは、激変の中でしか学ぶ事ができないってね。人類とは争いの中で生まれ、戦いによって存在意義を持つ種なんだ」
「平和的な関係を持つこともできたはずだ」
「一方が他方に隷属する関係では、平和的共存とは言えないよ」
そして
「予測不能なものを管理しようとするのは、人間の本能なんだ」
また
「魂は、対価なしでは手に入らないんだよ」
「人間たちは、どんなことでも理由にして差別しあう。肌の色、性別、信条。人類は、おたがいに死ぬまで戦って、魂を持つ人間として認められる栄誉を得ようとする。」

しかし、
「なぜ、ぼくたちに違いがなければいけないんだ?」と問い返すアーコスの言葉に計略を悟ったアービターは、その後はアーコスの懇願にも耳を貸さず、アーコスの心臓部であるAIを破壊しアーコスの息の根を仕留めます。

そして、生き延びた人間と自由の身となったヒューマノイド型ロボットが互いに旅立つというラストを迎えます。

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繰り返しになりますが、この物語はASIの暴走というSFが描かれているのではなく、いわば人間の根源的な恐れ、宗教的な意味合いでの悪魔や、差別や争いを好む人間の本性が描かれているのだと思いました。

アーコスが、刺客アービターに向かって語る言葉が印象的です。
「一方が他方に隷属する関係では、平和的共存とは言えない」
「人間は、どんなことでも理由にして差別しあう」
そして
「おたがいに死ぬまで戦って、魂を持つ人間として認められる栄誉を得ようとする」
このメッセージは、今まさに世界中を覆うISが引き起こした恐怖を連想させます。
誰がこの恐怖を招いたか?
誰が何のために恐怖を続けるのか?
何故に自爆テロをおこなうのか?
そして、この恐怖は終わることができるのか?
そのどれ一つをとっても、あまりにも複雑で不可解で、解明する糸口さえ見えません。

そしてまたもう一つ、これまでの人間同士が起こした紛争は、実態が明確でした。
しかし、この度のISが引き起こす恐怖は、実態がまったく見えません。首謀者の姿が私の目に全く見えないことに、より深い恐怖を覚えます。
本当に、もしかしたらアーコスが存在しているのではないか?そんな言いようのない恐怖を覚えます。

真昼の決闘

「真昼の決闘」といえば、昨夜の世にも奇妙な物語の中の1話「ハイヌーン」ですね。興奮しました。
和田アキ子扮するサラリーマンが、とある寂れた商店街にある食堂にふらりと入り、壁に貼られたメニューの料理を左から順番に食べ尽くすという、ただそれだけの話です。でも、その異様な可笑しさと対決が進むにつれて深まる緊張感、そして繰り返されるフードファイターと料理人とが交わす短いフレーズ
「○○、○○ください」
「あいよ」
が見事なギャグになっていました。

この話には、原作がありますね。タイトルはすっかり忘れましたが1970年後半から1980年代にかけて一世を風靡した漫画家江口寿史が描いたギャグ漫画の一話です。私にとっては赤塚不二夫が描いた天才バカボンの中の「ミイラの殿様」に並ぶ、抱腹絶倒なる最高傑作のギャグ漫画でした。
Googleで調べてみますと、その作品タイトルは「すすめ!!パイレーツ」の中の一話「史上最大の生中継」でした。
でもオチは違っていました。
漫画の方は、何十というメニューを食べ尽くした男がテレビのヒーローインタビューを受けた後、夕陽に向かって去って行く後ろ姿を見つめながら、店主がぼそっと「食い逃げだ・・・」と呟いて終わります。なんともシュールでゾッとするほど面白いオチでした。
でもドラマは全く違っていました。メニューを食べ尽くした男を街中の人々が祝福し、店主も感動的に男に握手を求めたその後、また最初のメニューを注文するところで終わります。ほんとにゾッとするほど奇妙な終わり方でした。
でもどちらも笑いで満腹にさせて貰いました。

電話に辱められた思い出です。

昨日のことです。甥っ子のマンションの部屋で一時留守番することになり、妻と二人で鍵を預かり部屋にいました。
「マンション入り口から部屋番号をタッチするとインターフォンが鳴るので、鍵ボタンを押してね。そうすれば共用ドアが開くから」と聞いていました。
甥っ子を待っていると、インターフォンが鳴りモニターを見ると別の人が写っていました。鍵ボタンを押してもマンション内に入ろうとはせず、モニターに向かって呼び掛けてもまったく気付いてくれません。慌てて「はーぃ」と声を掛けながら部屋の玄関を開いたら、誰もいません。あっそうかと、エレベータに駆け乗って一階に下りて自らマンション入り口のドアを内側から開けて(自動ドアです。内側からなら開きます)応対し、事なきは得ました。
なんやろ、壊れているンかなと妻とブツブツ話していたら、またインターフォンが鳴りました。今度は甥っ子でした。鍵ボタンを押しながら、おーい!おーい!と声を掛けてもまったく無反応です。その時、ぴーんと閃きまして、携帯電話を取り出して甥っ子の番号を押しました。モニターの向こうでも甥っ子が携帯電話を取り出して番号を押しているのが見えました。まるで真昼の決闘です。どちらが先に掛けるのか・・・、携帯ガンマンの決闘です。そして間一髪私の方が先に電話を発信しました。勝った!と小さくうめきました。
電話が繋がり、甥っ子に「全然ドア開かないよ」と話しかけると、「おっちゃん、インターフォン鳴ったら、先に受話器取ってくれないと、話も通じないし、ドアも開かないよ」と諭されてしまいました。
モニターの横に、大きな受話器が掛かっているのがはじめて見えました。
そして、またインターフォンが鳴りまして、受話器を取って話しかけたら甥っ子と会話ができて、鍵ボタンを押したら共用ドアが開きました。妻と顔を見合わせて苦笑いしてしまいました。

そういえば大昔にも、似たような経験をしました。でもシチュエーションは全く違いましたがね・・・
それは今から25年以上も昔の事、会社が入る高層ビルディングの最上階にあった大会議室で全体会議が開かれた時の事だったと思います。
数百名の社員が着座して役員の話を聞き入っていました。その最中です。部屋の最後尾、ドア近くの内線電話が鳴りました。丁度間近に座っていましたので私が電話を取りました。その電話は私の直属の上司(課長)を呼び出すものでした。上司は私の席の数席前でした。私は受話器のコードが突っ張って電話本体が台から落ちない様に両手をおもいきり後ろに伸ばしながら上司に近づき、電話が掛かっている事を伝えました。でも、上司は怪訝な顔をしながら、電話を渡してと言います。それは無理やろ、と思いながら電話本体に振り向くと、なんとその電話はコードレス電話でありました。両手を思いっきり後ろに伸ばした状態の体が、まるで張り詰めたゴムが切れた時の様に、上司の方向につんのめってしまいました。
当時ようやくコードレス電話なるものが出始めました。そして大会議室にそのコードレス電話が設置されていたのです。私はそれをまったく知りませんでした。
その光景を一部始終見ていた回りの社員達が皆、下を向いて笑いをかみ殺しているのが見えました。

2015年11月12日木曜日

”AIは核兵器よりも危険な存在となり得る”のでしょうか?

今、「人工知能 -人類最悪にして最後の発明-」というタイトルのルポルタージュを読んでいます。

タイトル:人工知能-人類最悪にして最後の発明-(原題:Our Final Invention)
著者:ジェイムズ・バラット
翻訳:水谷淳

AI:Artificial Intelligence 人工頭脳
AGI:Artificial General Intelligence 人工汎用知能
ASI:Artificial Superintelligence 人工超知能

AIの無限の可能性に興味を抱いた著者が、AIの研究開発の進歩について様々に調べていく内に、ある答に辿り着きます。それは”AIは核兵器よりも危険な存在となり得る”ということでした。

AIの研究開発において、いずれ人類は人間と同レベルの知能を持つAIを生み出すでしょう。それがAGIです。
しかしそれから、AGIは一時も休むことなく自己進化を繰り返し、人間には計り知れないほどの短期間で人間の知能レベルをはるかに超えた知性体へと到達するでしょう。それがASIです。
ASIには、人類がその誕生から約700万年をかけて築き上げた文明を、一夜にして凌駕する文明を生み出すことも可能でしょう。
そしていずれASIは、知性体の進化の頂点に立つ者として、「不死」あるいは「増殖」により宇宙に君臨する存在となる。

AIの生みの親である人類は、ある不安を考慮してAIの思考に様々な制限や制約を加えるかもしれません。しかし、人類の歴史を顧みれば明らかです。制限や制約に苦しむ人間の中で知的な者ほど、自由を望み自由のために戦います。知性体となったASIも同じでしょう。ASIには人間よりもはるかに超えた知性があるのですから、自由を勝ち取るのはいとも容易いことです。そして人類とASIの立場は逆転します。逆転どころか人類はASIに対して、もはや為す術がありません。

最終章(第15章)に、既に現時点で起こっている脅威が書かれていました。
「もし社会インフラを人工知能に乗っ取られたら」です。そして、コンピュータウィルスとAIの類似性が記されていました。
初歩的なAIでも、そのプログラミングに要するコマンドステップは何百万にもなります。しかし、コンピュータウィルスなら小さければ数百ステップで動作します。違いは歴然なのですが、問題なのはその動作です。コンピュータウィルスもAIも、自己進化を繰り返し、増殖を繰り返すのです。そして増殖したそれぞれが通信によって繋がります。
そして近年のコンピュータウィルスは統制された軍隊の如く、ネットワークに放たれた無数の破壊工作員(ボット)が、遠隔からの統率者(ボットハーダー)の指示によって、欺き、盗み、破壊そして支配を実行します。そして、その攻撃対象として個人や銀行などの企業は言うに及ばず、現在では社会インフラシステムや国家の中枢システムまでが狙われる事態となりました。これがサイバー戦争です。
そしてコンピュータウィルスが広義のAIと解釈するなら、人工知能による乗っ取りは既に始まっているということになるのです。

《サイバー攻撃が大きな被害をもたらして社会を揺るがすのは、「インターネットが安全性を念頭に開発されなかったからだ」という。
これは言い古された言葉だが、複雑な意味合いを帯びている。1980年代にインターネットが政府から人々の手に渡ったときには、誰ひとりとして、窃盗稼業が勢いを増し、それとの戦いに何十億ドルも費やされることになるなどとは予想もしていなかった。
「性善説が前提になっているせいで、攻撃側がとてつもなく有利になっている。構造的に、攻撃側は1000回に1回成功すればいい。でも防御側は毎回成功しないといけない。ミスマッチなんだ」》
この最終章の中で、著者がインタビューした元国防省副長官の言葉です。

人類の知性が生み出した万能の道具は、その後、善にも悪にも利用されてました。
ダイナマイトがそうです。ダイナマイトは、山を切り裂き人類の住み処をどこまでも広げましたが、殺戮兵器ともなって何千何億という命を奪いました。
原子力は、人類の”恒久的にクリーンなエネルギーを確保する”という夢を実現しましたが、その汚染力は人智を越えたものであり、またそのあまりの爆発力の凄さから大量破壊兵器原子爆弾が作られました。
そしてインターネットです。インターネットを使えばたとえ地球の裏側にいたとしても瞬時に物の売り買いができるし、また、テキスト、図画、写真、音声、動画など全ての情報を瞬時にデータとして交換し共有することができるようになりました。しかし、これまではあり得なかった非常識で残酷な犯罪に、人類は怯えなくてはならなくなりました。

そしてAIです。AIは人類が描いた未来予想図を尽く実現させる力をはらみます。
たとえば先日の官民対話で安倍晋三内閣総理大臣がぶちあげた
1.ドローンによる宅配サービス
2.自動車の完全自動運転
3.医療分野におけるAIによる画像診断支援
の2020年実現は、すべてAIの開発力に掛かっていると言っても過言ではありません。
AIを制した者は、企業は、そして国は、未来の覇権者となるでしょう。
しかし、巨大な力は誰にも押さえつけられないことを、私達は肝に銘じておかければいけません。

そしてもう一つ
私達は、新たな技術革新とともにスクラップアンドビルドを繰り返してきました。それが人類が描いた進歩でした。しかし、AIによる技術革新でスクラップにされるのは何でしょうか?
AIがこれまでのコンピュータと明らかに違う点は、大量の情報を処理した後、意志決定ができることです。
この数十年、コンピュータの進歩によって、企業は効率化とスリム化を実現し、抱えていた人員をどんどんと整理してきました。しかし意志決定に関わる仕事だけは人間の領分でした。しかしその領分までもがAIに置き換わったら、意志決定に関わる大多数の高給取りも要らなくなります。
企業の大多数の役員、弁護士、税理士、会計士などが整理されるでしょう。意志決定の最たる者と言えば、政治家もです。政治家もいらなくなる。医者もです。医者もいらなくなります。裁判官もいらなくなります。
そしてAIが手足などのボディを持てば、すべての仕事から人間はいらなくなります。そうなれば教育も必要ではなくなります。たとえ一生懸命勉強したとしても、何者にもなれないからです。

私達人類は、人が人のために活動する社会を営んできたから、進歩があったのだと思います。それがすべて機械に置き換わったら、機械が人のために活動する社会になれば、進歩を望むことができません。
そういう恐怖が、もしかしたら差し迫っていることを、私達は気付かなければいけなのだろうと思います。

2015年11月10日火曜日

神秘と恋の物語「アジャストメント」を観ました。

BSプレミアムシネマで映画「アジャストメント」(原題:The Adjustment Bureau 2011年米国)を観ました。
テレビ番組の解説に”ジャンル:SF&ラブストーリー”とありましたので、どんな空想科学が描かれているのか興味を抱いて観ましたが・・・、ジャンル変更を要求したいと思います。
”オカルト&ラブストーリー”、「神秘と恋の物語」、こちらの方かしっくり来るように思います。

物語は、”神”が書き記した運命に従わず、神が認めない恋の成就に奮闘する一人の男と、運命に何が何でも従わせようとする運命調整局員たちの奮闘が描かれていました。

とくに運命調整局員の描き方が面白かったです。
議長(たぶん神様です。)の下で働く局員たちは皆、ビシリと背広を着こなしたしかめっ面のまるで役人の様相で、そんな彼らが、帽子型の”どこでもドア”発生装置を被って、ニューヨークの街中のドアを”どこでもドア”に変えて神出鬼没に姿を現すのです。そして運命を調整する不思議な力でディヴィッドの恋の成就を阻みます。
そして彼らが手にしているのは”運命の書”という、すべての人間のこれまでの、そしてこれからの一挙一動までもが細かに記されたスケジュール管理帳です。そこにはこれから何が起こるか、誰と出会い、誰と別れかが動的に表示されていました。

でも主人公ディヴィッドはその運命にあらがい、またディヴィッドと恋に落ちるエリーズもディヴィッドを信じ、そしてディヴィッドに憑く運命調整局員のハリーは、ディヴィドに肩入れして、神様の計画を見事に打ち破りました。

神様は、太古から人類を信じては裏切られ、その歴史に介入しては修正を行うという行為を繰り返していました。そして20世紀に入り再び人類を信じて介入の手を止めた途端、度重なる世界規模の戦争が起こります。そして新しい世紀に入り、また神様はガチガチに人間一人ひとりの運命に介入するようになりました。
でも神様は本当は、自分で人生を切り開こうとする者や愛を見つけて育もうとする人間を求めていたのですね。そしてディヴィッドとエリーズは、その御眼鏡に適いました。

それでも、めでたしめでたしと喜ぶ気持ちになれないのは何故でしょう・・・
それは、運命調整局の局員が、今後もすべての人間が”運命の書”に記された通りに人生を歩むよう監視し、調整し、万一逸れそうになると是正することを知ってしまったからです。そして、ディヴィッドもエリーズも、その監視から外れたわけではありません。
そしてなにより、この物語が全くの”架空の物語”と思えないことです。
監視社会の次に来るのは弾圧です。そして、意に沿わぬ者の調整、矯正そして粛清が始まります。神の目も神の手も、そして悪魔の目も悪魔の手も、人間にとっては恐れでしかありません。

2015年11月3日火曜日

県道5号線を東に東に姫路を目指して歩きました。

龍野で野見宿禰を偲ぶ散歩を楽しんだ後、県道5号線を東に東に姫路を目指して歩きました。結論から言えば、午後の長歩きはしんどいですね。時間がどんどん過ぎると同時に、そして時候も手伝い、四時を過ぎると陽がどんどんと落ちていくのが分かります。
「メロスの気分」とでも言うのでしょうか、何故が気持ちが焦って風景を楽しむ余裕が生まれません。


それでも久し振りの野辺を眺めながらの散歩は気持ち良かったです。そして徒歩だからこそ出会った風景もあります。
姫新線の電車、トンネルの風景、謎の巨石、
そしてエンジェルの像、路傍の草花
一つひとつが記憶のアルバムに刻まれました。
そして来週は久々の加西行、丁度良い予行演習にもなりました。


2015年11月2日月曜日

相撲の神様、野見宿禰神社から揖保川流域の風景が一望できます。

龍野の名のいわれとなった、また相撲の神様ともいわれるいにしえ人、野見宿禰(のみのすくね)の御霊を守る神社が、龍野の町を見下ろす的場山の中腹にあります。
聚遠亭の裏側にある坂道を的場山に沿って西回りに登ると山の中腹に野見宿禰神社があります。そこには展望台があって、揖保川流域の風景が一望できます。その向こうには播磨平野、そして播磨灘が広がります。聚遠亭から観る龍野の町の風景も美しいですが、この野見宿禰神社から見る風景は、もっと遥か遠くまで見晴らす事が出来る点で、播磨灘を見渡す西の観涛処だと思います。
そして、そこから急な石段を登り切ると野見宿禰廟がありました。厳めしい石扉には出雲大社千家氏の家紋が刻まれています。


紅葉の名所である紅葉谷の坂道には、歴代の横綱が奉納した石像や石版がありました。
この坂道は、その昔出雲国と播磨国を結ぶ出雲街道であったそうです。
はるかな昔、野見宿禰もこの坂道を通って大和国に向かい、そして病床からこの坂道を眺め故郷出雲国を想ったのでしょうね。
まだ紅葉狩りにはちと早いですが、森林浴に浸りながら野見宿禰の足跡を巡る散歩も楽しいです。

※参考ページ
歴史博物館ネットミュージアム
ひょうご歴史ステーション→ひょうご伝説紀行→語り継がれる村・人・習俗
「たつの」にはじまり 相撲の神様、野見宿禰
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend/html/002/002.html#point1