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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年8月6日木曜日

8月6日の記憶

朝、町にサイレンの音が鳴り響きました。その音で気付き、その場で黙祷を捧げました。
70年前の8月6日8時15分、今の私たち同様に日常の忙しさが始まりかけた大勢の人達が暮らす広島の町に、人類史上初めてとなる大量破壊兵器原子爆弾が投下されました。

今朝の天声人語に、次の様な一文がありました。
「歳月は流れ、記憶の継承が問われている。」
そして、朝日新聞が行った被爆者アンケートの結果、被爆体験が次世代に「全く」「あまり」伝わっていないとする回答が5割を超えたと記されていました。

あの日、二十歳であった人は、今日存命であれば九十歳を迎えられています。
あの日、原爆の炸裂をその目で、その体で、受け止められた人達は、
その後、重い原爆症に苦しめられ、また、いわれのない差別を受けられたとも云います。
そして、原爆による被爆体験者は、すでに高齢で十年後二十年後にはひとりとして存命でないかもしれません。
でも、被爆体験の記憶は、被爆体験者の日記や口述筆記の中に有り続けます。
また、原爆の悲劇が生み出した絵画や映画、小説の中に有り続けます。

現代の私たちがやるべき事は、先人達が残した記憶や記録に
自らおもむき、心を澄まして向き合い、じっくりと思案して、先人達の真意を汲み取る行動です。その行動こそが記憶の継承になるのだと思います。

原爆が招く惨劇や、被爆の恐怖を継承する事は、
戦争を憎み、反戦の心を持ち続ける事に繋がります。
私たちは、それを一時も休めてはいけないのだと思います。

2015年8月4日火曜日

高校野球、ここを注目して観戦を楽しみたいと思います。

組み合わせも決まり、いよいよ「第97回全国高校野球選手権大会」が始まりますね。
今年は、第1回全国中等学校優勝野球大会が開催されてから100年目ということもあって、テレビでは関連番組が数多く放送され、懐かしいシーンや、そのシーンにまつわる物語を楽しむことができました。そんな物語の中で、徳島池田高校を一躍甲子園の寵児にしたてた名将蔦文也監督の物語には特別の感動を覚えました。

池田高校の代名詞は「やまびこ打線」ですが、私にとっては「さわやかイレブン」として11名の部員で準決勝まで勝ち上がった1974年春が一番に印象的です。
蔦文也さんは、徳島商業のエースとして甲子園のマウンドを踏み、そしてスター選手として大学野球に進まれた。でも時代は第2次世界大戦真っ只中で、学徒出陣で出征し、遂には特攻隊員として出撃の日を迎えられた。しかし、当日出撃は行われず、そのまま終戦を迎えられた。
その後しばらく経った1951年、山間の学校池田高校から野球部の指導者として請われ、池田高校の子供らをいつか甲子園に連れて行く事だけに指導者人生を捧げられた。

物語中、池田高校は「やまびこ打線」が有名であるが、実は蔦監督は、進塁打、犠打を特に重んじられた、という行がありました。しかし、それは戦争体験から来ているという様な描き方をされていたのが気になりました。
蔦監督が、甲子園で負けた生徒達を前して
「お前達にずっと勝て!と言っていたことは嘘や」
甲子園で優勝できるチームは一つだけで、後のチームはみな負けや
負けることが多いのが人生、だからなんど負けても敗者復活戦で戦って欲しい
「死んだらあかんのや」
という言葉を贈られていました。

野球は野球、一度始めたら勝つことだけを考えて一生懸命野球に励め!
しかしたとえ野球で負けたとしても、一生懸命の中で培ったものを信じて、自分を信じて、自分を大切にして、諦めることなく次の勝負に挑めば良い、とエールを送られていました。

そんな蔦監督が、戦争体験を指導に持ち出すはずがないと思います。
そして、野球用語である「犠打」や「犠飛」が、用語として適切でないように思うようになりました。
犠打は、走者を得点圏に進める進塁打です。
そして犠飛は、走者を本塁に返す得点打です。
その打撃は、犠から連想される犠牲的な行動ではなく、いわば得点を奪うための繋ぎの打撃であり、本物の技術が必要な打撃です。大技小技が組み合わさって本当の強さが生まれる、だから蔦監督もその打撃を重要視されたのだと思います。すべては試合に勝つため、そして全員で喜ぶためです。

今大会も、大技選手に注目がいきがちですが、私は進塁打や得点打にこだわった選手に注目し応援したと思います。

2015年8月2日日曜日

権現ダム湖辺をぶらぶらしました。

金曜日、何気に権現ダム湖の側を車で走っていて、引き込まれる様にダム湖の北岸に整備された総合公園キャンプ場の駐車場に車を駐めました。
管理棟に出向いて、ダム湖を一周できるか尋ねてみると、約10㎞の周遊道があると教えてもらいました。それで歩く事にしました。

まず、キャンプ場から丸太を敷いて作られた階段を上がり展望台に登ります。そこから権現ダム湖を一望しました。権現ダム湖は、近くの平荘湖とは異なり、入江が複雑に入り組んでいました。


そしていざ時計と反対回りで歩き始めると、鬱蒼とした木々が覆い被さる曲がりくねった道は、風景を楽しむどころではなく、湖畔の淀んだ水面を覆いつくす浮き草の少し腐った匂いと、真夏の太陽の熱い日差しに晒されて、体中ヌメッとした汗の膜に覆われてしまいました。
でも周遊道には、何カ所か休憩所があって、途中途中日陰で腰を下ろし休むことができました。そしてその休憩所からの湖の眺めは結構良いものでした。


権現第一ダムに到着すると、ダムの南斜面一面にソーラーパネルが設置されていました。この斜面、以前は積み上げられた石が作り出す紋様が美しかったのに、濃紺一色に覆われてしまっていました。
そして東岸から高砂市向島から加古川市志方東公園に続く自転車歩行者専用道路を歩きます。ダム湖の東岸の道路は、よく整備されていて風景を楽しみながら歩く事ができました。
でも一周を歩いた約三時間あまり、私の他に歩いている人とすれ違うことはなかったです。
ゴール付近、キャンプ場の入り口付近で、不思議な洞穴を見つけました。立ち入り禁止という札が掛かっていました。意味深な洞穴でした。

道中、アゲハとカワワを見かけました。

心象写真”Blue Moon”

金曜日の夜、Facebookで”Blue Moon”という話題をにわかに多く目にしました。
最初に目に飛び込んだ写真には、青い月が映っていました。ドラキュラなどが登場する古典的なホラー映画でよく目にする青い月です。
「今晩は、何か起こる夜なのか・・・」とぞくぞくしながらベランダに出て夜空を見上げますと、満月が白く輝いていました。何枚かぱちぱちと写真を撮ってから部屋に戻り、でもいつもと変わらぬ満月なのに、なんで”Blue Moon”というのか?という疑問が離れません。

その答は、直ぐに見つかりました。

BLUEMOONを見よう
http://www.moonsystem.to/special/bluemoon/

元々は、青く見える月をいうのですが、いつからか”希にしか見られない月”もブルームーンと呼ばれる様になった様です。そして土曜日の満月は、ひと月に二度見ることができる満月の二度目の満月でした。月の満ち欠けの周期は平均29.5日であるために、ひと月で満月が二度見られるのは”希なこと”だそうです。

ブルームーンと思って撮影した満月の写真ですが、折角だから心象写真に仕上げてみました。