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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年5月7日木曜日

ちなみに前回の奇蹟のカレンダーは?

ちなみに前回の奇蹟のカレンダーとなった年は1192年、
その昔「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」と覚えた年ですね。
姉がスラスラと歌う様に話してくれました。

823年ぶりのカレンダー

姉から良い事を聞きました。
今年の5月は金曜日から始まって、金曜日、土曜日、日曜日が月の内5回巡ってきます。この様なカレンダーとなるのは823年ぶりだというのです。

これを風水では『財布』と云って、とても縁起の良い月、金運が上がる月だというのです。
そして、十人にこの事を伝えると運気が増すのだとも言いました。
そして私は、運良く姉の運気を上げる一人となりました。

それではと、ブログで書くことにしました。
十人にとどまらず、百人、千人、万人がこの記事を読んでくれたなら
私の運気は天井知らず・・・
そんな欲深いことを考えながら、この記事を書いています。

スティーブン・スピルバーグ監督作品「太陽の帝国」を観ました。

1987年のスティーブン・スピルバーグ監督作品「太陽の帝国」(原題:Empire of the Sun)を観ました。

太平洋戦争前夜に上海租界で暮らす裕福な英国人家庭の一人子ジェイミーが主人公の、たとえで云うなら「千と千尋の物語」のような物語でした。

あらすじです

上海で王族の王子の様にしてわがまま三昧に暮らしていたジェイミーですが、日本軍が上海に侵攻した日を境に生活が一変します。
両親と上海を脱出するために港に向かう最中、ジェイミーは群衆の波に呑み込まれて両親とはぐれてしまいます。なんとか郊外にある自宅にたどり着くと、玄関に「日本軍が接収」という張り紙が張られていました。家の中に入ると、家族の姿は無く、台所や寝室が荒らされて、食料や衣服、そして部屋に備え付けられていた家具までが無くなっていました。物音がして廊下に出てみると、中国人のメイドが家具を持ち出そうとしているところでした。声を掛けるとメイドは近づきジェイミーの頬を激しく叩き、そして家具を持って出ていきました。
ジェイミーは、もうここには自分の云うことに従う者、守ってくれる者は誰一人いない事を悟ります。

食べ物が尽き、ジェイミーは日本軍に占領された上海の市街地に出かけます。
上海の外国人は皆、日本軍に拘束されてひとところに集められていました。ジェイミーは仲間のところに連れて行って貰おうと、日本人の兵隊の前に進み出て「降伏する」と話しかけますが、兵隊は分からない外国語を話す少年を相手にしません。
そこに、同じ外国人の浮浪児の少年が現れてます。ジェイミーは危険を感じ少年から逃げるのですが、スラム街を彷徨ううちに捕まり、危うく身ぐるみを剥がされそうになります。
そこにアメリカ人のフランクが現れて少年を追っ払い、ジェイミーを隠れ家に連れて行きました。隠れ家にはフランクのボス、ベイシーがいました。ベイシーとフランクは上海のスラム街に潜むアメリカ人のごろつきでした。ベイシーは、ジェイミーが金にならないと分かるとジェイミーを売り飛ばそうとします。それを察したジェイミーは、郊外のイギリス人居住区にはごまんと宝があり、僕はその一軒一軒の宝のありかをしっていると話します。
ベイシーはその話に乗って、ジェイミーを連れ英国人居住区に出かけます。ジェイミーの邸宅に灯りが灯っているのが見えました。ジェイミーは灯りが灯る部屋に駆け寄り、大声で「ママ!」と叫びます。中から出てきたのは、日本軍の将校でした。三人は、その場で日本軍の兵隊に捕まり上海の外国人収容所に入れられてしまいました。

それからしばらくして蘇州の外国人収容所に移送されることになりました。
上海から蘇州までの距離は百キロ少しあります。そこまでほとんど飲料水も食料もない状態で歩いて向かうのです。道沿いには水はあります、ですがその水をそのまま飲めば間違いなくコレラを発症してしまいます。そして移送途中、病人や老人、女性や子どもが大勢亡くなりました。ベイシーは、亡くなった人に近づいては衣服や靴、使える物や金目の物をはぎ取っていきました。そしてベイシーはジェイミーに向かって真顔になって「これが生き残る知恵だ」と話し、ジェイミーに新しい名前ジムを与えて仲間に入れます。

蘇州での外国人収容所の生活が始まりました。
収容所は、日本軍の戦闘機部隊の基地に併設されていました。ジムは戦闘機乗りが羽織る革ジャンを羽織って、ベイシーの手先となって働きました。ジムの仕事は、日本軍将校の部屋から盗みをしたり、収容所の中で物々交換をしたりして、ベイシーから頼まれた品物を調達することでした。そしてジムはどんどんと得意満面となって、アメリカ人のごろつきを真似てタバコを吹かし、ごろつきが巣くう男性専用の小屋に出入りする様になりました。

そんなジムにも子どもらしい夢がありました。ジェイミーの頃、戦闘機乗りになるのが夢でした。そして太平洋戦争の始めまで世界で一番優れた戦闘機であった日本の零型戦闘機が大好きでした。その零型戦闘機が、収容所を覆う鉄条網のすぐ向こうに見えるのです。戦闘機乗りは、皆若く、そしてとても礼儀が正しくて、ジムが敬礼すれば、戦闘機乗りも敬礼を返してくれます。とくにジムは戦闘機乗りの中でも一番若い、まだ少年の戦闘機乗りに好感を抱きました。

ジムの住み処は、英国人が家族で入る小屋の、ある中年夫婦のベットの隣にありました。小さなスペースで、そこに小さなベットがあり、お気に入りの写真や雑誌、そして大切な零型戦闘機のオモチャが置いてありました。
小屋には間仕切りがあるわけで無く、プライバシーを守る事など一切できません。ある夜、ジムが小さなベットで寝転んでいると、夫婦が夜の営みを始めます。夫婦のベットとの間にはボロ布一枚しかありません。その布の破れからちらちらと見える光景にジムは釘付けとなりました。その時です、閃光が闇夜を切り裂きました。上海辺りで連合軍の空襲が始まったのです。その光は夫婦のベットまで届き、男がジムを睨み付けているのがはっきりと見えました。
翌日、ベイシーのところに行くと、ベイシーは水鳥を生け捕る仕掛けを作っていました。そして、この仕掛けで収容所を覆う鉄条網の外の湿地にいる水鳥を生け捕るのだと云います。でも、もしお前が代わりに水鳥を生け捕りにしてきたら俺の右腕としてここに住まわせてやるとも云いました。
ジムはこの提案を受けて、日本軍の兵隊の緩い監視の目を潜り、水鳥を生け捕りするために鉄条網の外に出ました。しかし運悪く、規律の緩みを叱りに来た将校に脱出の痕跡を見つけられます。将校は銃剣を構えて湿地に入り、脱出兵を追います。脱出兵は見つけられたその場で射殺されるのです。
そして将校がジムの目と鼻の先まで近づいた時、あの戦闘機乗りの少年が将校を呼び止てました。ジムは間一髪で命拾いしたのです。戦闘機乗りの少年は、機転を利かしてジムを救ったのでした。
そしてジムは、ジェイミーの片腕としてごろつきが巣くう小屋に住むことになりました。

1945年に入ると、いよいよ日本の敗色が色濃くなってきました。
収容所の隣にある滑走路にはもう数機の零型戦闘機しかありません。そして今日、また3名の戦闘機乗りが上官と水杯を酌み交わし、大空の向こう死出の旅路に向かいます。
厳かな儀礼を見つめていたジムは、思わず賛美歌を歌い出します。ジムはまだジェイミーであった頃、教会の合唱団に入って賛美歌を歌っていたのです。ジムの歌声は、まるで天使の様に清らかで、その歌声は滑走路の戦闘機乗りへ、また収容所内の日本軍将校へ、そして収容されている多くの外国人へ届きます。

そして零型戦闘機は飛び立ちました。ジムが戦闘機の行方を見守っていると、突然火を出して爆発しました。見上げるとアメリカ軍の最新鋭戦闘機P51の来襲です。P51は古ぼけた零型戦闘機をたたき落とし、日本軍の建物に次々と爆弾を落とします。
収容所の外国人は皆、空襲の巻き添えを喰らわぬ様にと、そこいら中で右往左往逃げ惑います。ですがジムは、P51の雄姿を間近で観ようと廃墟となったビルの屋上に駆け上がります。無謀な行動に出たジムを連れ戻そうと、収容所で医者をしている一人のイギリス人男性が危険を顧みず後を追います。男性に抱きすくめられて、ジムは初めて父親というものの逞しさを思い出します。

P51の空襲が止み、ごろつきの巣くう小屋に戻ると、ベイシーがいませんでした。ベイシーは空襲の混乱に乗じて、ジムを残し収容所を脱走してしまったのです。ジムはまた一人になりました。
ジムは、もと居た英国人の家族棟に戻りました。隣の中年女性が、ジムのベットを整えて、そしてジムを優しく抱きかかえてくれました。ジムは初めて母親というものの慈しみを思い出します。

翌朝、日本軍はこの蘇州の基地を捨て移動する事になりました。収容所に囚われの外国人達は、また過酷な移動を強いられます。
そしてジムは、収容所から出て行く最中、あの戦闘機乗りの少年がたった1人で大空の死出の旅地に向かうところを目撃します。でも零型戦闘機は、故障して飛び立つことが出来ません。少年兵は操縦席で泣き崩れていました。
その夜、ジムは隣の中年女性と示し合わせて死んだふりをして、隊列から抜け出しました。
翌朝起きると、女性は死んでいました。ジムが呆然としていると、東の海の向こうで閃光が走ります。ジムは女性の魂が空に登っていくのだと思いました。

ジムは、飲まず食わずの状態で蘇州の収容所があった廃墟に舞い戻ってきました。
そこには、あの少年兵がたった一人残っていました。少年兵は、持っていた果物をジムに授けました。ジムが果物の皮を剥くのに難儀していると、少年兵は持っていた剣で果物を裂いてくれました。
その時です。薄汚れた車に乗った一団が現れました。ベイシーの一味でした。ベイシーの手下の一人が、剣を持った日本兵を拳銃で撃ち殺しました。
少年兵の血潮がジムに降りかかります。少年兵は絶命しました。ジムは、狂った様に少年兵を殺した男に殴りかかりました。ベイシーの取りなしで、その場は収まりましたが、その後すぐ、ベイシーの一味はジムを残し去って行きました。ジムはまた一人になりました。

幾日経ったでしょうか、しばらくして、空から大きな荷物が何個も何個もパラシュートで降って来ました。中には、食料や医薬品などが一杯入っています。それはまるで、創世記の中で神が荒野にパンを降らせた様な光景でした。ジムは天国に来た様な面持ちになりました。それに続いて、アメリカ兵がやって来ました。ジムは「降伏」を願い出ました。

修道院には、戦争で親と離ればなれになった沢山の子供たちが集められていました。ジムもその中にいました。
ある日、美しく着飾ったご婦人達や皺一つ無い背広を着込んだ紳士達が修道院を訪れます。自分たちの子どもを探しに来たのです。そして面会し、次々に親子の対面が果たされます。
ジェイミーの両親も来ていました。でもあんなに無邪気であったジェイミーはここにいませんでした。またジムも両親の事を、まるで覚えていませんでした。すれ違いになろうしたその時です、母親がジムを見つけます。母親にとって、ジムはまるで知らない子の様にも見えましたが、ジェイミーの面影を見て取りました。母親はジムに近づきます。ジムは、その女性の髪にそして頬に手を当てます。ジェイミーであった頃の記憶がボンヤリと浮かんできます。母親はジムをゆっくると抱きすくめます。でもジムの目には戸惑いしかありませんでした。もう無邪気な少年ジェイミーはどこにもいませんでした。

end


少年は、両親と別れ別れになって別世界に迷い込み、そこで別の名前が与えられ、別の人間となって生きていく事を強いられます。なんとなく「千と千尋の神隠し」を連想してしまいました。でも「千と千尋の神隠し」は、わがままな女の子が神々の湯屋に迷い込み、そこで苦労もしたけれど仲間に一杯愛された。それで女の子は、優しくしっかりとした女の子に成長しました。
しかしジェイミーの場合はどうでしょうか?
ジェイミーはもし戦争が起こらなければ、何の疑念も持たずに父親の遺産をすべて引き継いで、表向き華麗な上流階級の紳士となって、外国人を顎で使い、社交という欺瞞と策謀の世界で生きていく事になったでしょう。しかし、ジェイミーは彼が住んでいた世界とはまるで異なる別世界を彷徨うことになりました。ジェイミーは生き抜くために、名前を変え別人となって、強い者にへつらい、盗みをし、嘘をつくことを学びます。そして彼がジェイミーとして生きていた世界が、実は欺瞞と策謀の世界であったことを身をもって知りました。しかし、そんなジェイミーを一時無邪気な子どもに戻してくれる者がいました。
日本人の少年兵でした。少年兵は、ただ飛ぶことに憧れてそこにいました。ジェイミーには彼がとても眩しく見えていたことでしょう。そんな少年兵にも死出の旅地が命じられ、でもしかし彼は翼が折られ飛ぶことも叶わなかった、そんな悲しい出来事もジェイミーは目撃します。それはジェイミーにとって子ども時代を繋ぐ糸が途切れた瞬間であった様に思います。それはジェイミーがすっかりジムに変身を遂げた瞬間であった様に思います。

"grow up"、英語に「大人になる」という言葉がありますが、スピルバーグはこの映画で、一人の少年が急いで大人になる姿、少年の”growing up”を描いたのだと思います。
スピルバーグはこの映画で、『戦争』が、少年を戦地へと駆り立て、また欺瞞と策謀の大人へと成長させる姿を、淡々としたタッチで描いていた様に思います。そしてまた、たとえ戦争がなくても、大人になるということの一つの意味を皮肉を込めて描いていた様に思います。

タイトルの「太陽の帝国」について、
ジムは、中年の女性の死を知った朝、東の海で輝く閃光を目撃します。それは長崎で炸裂した原子爆弾の光でありました。日本軍は、その東の海から進軍してきました。
その時、ジムにとって日本はまさに「太陽の帝国」と映ったことと思います。
それがタイトルとなったのではと思いました。
とてもシニカルなタイトルだと思います。

2015年5月6日水曜日

大塩天満宮国恩祭 本宮 北脇丁道中舞


大塩天満宮国恩祭 毛獅子舞共演:宮本丁

平成27年5月5日(火)、本宮
宮本丁も、本日最初の毛獅子舞を能舞台で披露しました。

宮本丁は、第五幕、まるで悪戯っぽい少年の様にはしゃいでは疲れて休み、はしゃいではつかれてやすみと、馴れない喜びに戸惑っているようにも見えます。その舞はとても初々しく思います。

大塩天満宮国恩祭 毛獅子舞共演:東之丁

平成27年5月5日(火)、本宮
東之丁は、本日最初の毛獅子舞を能舞台で披露しました。

東之丁は、最終幕(第六幕)、神様に捧げる最上の歓喜の舞です。
動と歓喜に満ち溢れた舞台です。

大塩天満宮国恩祭 毛獅子舞共演:北脇丁

平成27年5月5日(火)、本宮
5月4日(月)の本宮が降雨のため今日に順延となりました。

そして午後二時過ぎから獅子舞が始まりました。
八台の毛獅子の道中舞に始まり、その後は四つの舞台に場所を移して毛獅子舞の共演です。
北脇丁は、本日宮外東舞台に次いで、ここ能舞台で毛獅子舞を披露しました。


北脇丁は、第一幕、道化が牡丹の華で洞窟に潜む毛獅子をおびき出す舞です。

2015年5月5日火曜日

大塩天満宮国恩祭 毛獅子舞共演:西濱丁

平成27年5月3日(日)、宵宮
午後から降り出した雨により、午後七時から始まった毛獅子舞は
道中舞が取りやめられ、また毛獅子舞は屋根のある本殿と能舞台のみ行われました。
そして、本殿で三番目に行われた西濱丁の毛獅子舞を観ました。

大塩天満宮の毛獅子は八台ありますが、その内の六台で一つの物語がリレー形式で綴られます。
暗い洞窟に毛獅子が潜んでいました。そこにひょっとこのお面を被った道化が現れて、牡丹の華を乱舞させ、毛獅子を洞窟から陽の降り注ぐ表に誘います。
陽の下に出た毛獅子は、喜びで歓喜の舞を始めます。
毛獅子は一度、舞うことに疲れて寝た寝たを始めますが、
最後はまた、最上の歓喜の舞を披露し、表に引き出してくれた神様に感謝を捧げる
という様な物語で、

西濱丁は、第二幕、陽の下に出た喜びの舞に興じます。

五月晴れの国恩祭

いよいよ11年ぶりの大塩天満宮で行われる国恩祭も本宮を迎えました。
宮入
北脇丁、宮本丁、西之丁ともに
ヤッサ練り合わせ
最高に元気でした!


2015年5月4日月曜日

花燃ゆは、何を描こうとしているのか?

花燃ゆは、何を描こうとしているのか?
この肝心要の部分がぼやけている様に思います。

第18回龍馬!登場では、松蔭(吉田寅次郞)が刑場の露と消えたことに落胆する文の前に坂本龍馬がふらりと現れる。そして、松蔭の遺志はいまや長州だけのものではなく、土佐はもとより全国の志ある者に引き継がれた。松蔭は自由を得たのだ、と話します。

何故に龍馬は長州に来たのか?龍馬は、土佐で実権を握りつつあった攘夷派の先兵武市半平太からの密使として久坂玄瑞に会いに来たのです。久坂は松蔭の一番弟子であった。武市は、その時既に日本中の攘夷派の旗頭となっていた松蔭の遺志に加わろうとしたのです。

松蔭の最後の言葉
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
にどれほどの攘夷派が血気盛んになったことか
それは勇猛というだけでなく恐ろしい狂気も生んだ
花燃ゆには、この時代の転換となった、この松蔭の言葉が抜け落ちてしまっていました。

花燃ゆは、連続ドラマでありながら、
一滴の水が、小さな水路となり、やがて大河を経て大海に通ずる
その一滴の水が何であるのかがぼやけている様に思います。
また、志という言葉が、さも一滴の水の如く何度も使われていますが、これも安売りに思え不快です。

花燃ゆ、このドラマの一滴の水は何か?
それは松蔭でも晋作でもない、まして龍馬でもない、と思います。
それは日本人のだれもが
日本を良くしたい、どうすれば良く出来るか考え、働きたい
という一念ではないかと思います。
それは今の日本に通じる思いです。
幕末から明治維新にかけて、当時の日本人は、その一滴の水から如何に大海へ流れ出たのか?そこを真っ正面から描いて欲しいと願います。

2015年5月3日日曜日

祝四十年、播州北脇一本松

11年ぶりの国恩祭が始まりました。
そして一本松連中は、40年目に突入です。

写真の題字は、一本松連中イチャさんの書です。惚れ惚れします。
背景のお山は、北脇の名峰?一本松です。