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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2025年6月24日火曜日

誰か故郷を想わざる

誰か故郷を想わざる


花摘む野辺に 陽は落ちて

みんなで肩を 組みながら

歌を歌った 帰り道

幼なじみの あの友この友

ああ誰か故郷を 想わざる


ひとりの姉が 嫁ぐ夜に

小川の岸で 淋しさに

泣いた涙の 懐かしさ

幼なじみの あの山この川

ああ誰か故郷を 想わざる


都に雨の 降る夜は

涙に胸も 湿りがち

遠く呼ぶのは 誰の声

幼なじみの あの夢この夢

ああ誰か故郷を 想わざる


母が寝たきり状態になってからは、毎朝 母の枕元で般若心経と曹洞宗の経典修証義、そして新約聖書マタイの福音書第4章から第6章を諷誦しました。その後に歌を歌いました。母は歌が好きでしたので、私に取っては懐メロ、母にとっては青春時代の流行歌であったであろう歌を歌いました。特に母に思いを込めて歌った歌があります。それが「誰か故郷を想わざる」でした。

この歌は昭和15年の流行歌です。日本から遠く離れた戦地の兵士の間で、望郷の念に刺さる歌として大ヒットしたそうです。母は15歳でした。飾磨という海ベに近い町で、三男五女の兄弟姉妹の五女として大家族に囲まれ、生涯の友となる女友だちとともに青春時代を過ごしていたのだと思います。その大好きな家族も大好きな友だちも、みんな既に彼岸の向こうに旅立って、母はひとり残されていました。そんな母に、この歌が少しでも慰めになればと思ったのです。

2024年5月30日木曜日

こうせつさん

こうせつさんが17年ぶりに姫路で開いたコンサートに参加してきました。

デビュー55周年 南こうせつコンサートツアー2024~神田川~ in 姫路

です。

2000席の大ホールは、ほぼ還暦以上の観衆で埋め尽くされていました。16時の開演となり緞帳幕が上がると、ステージの上には、いよいよ後期高齢者の仲間入りとなる、こうせつさんとバンドメンバーが登場。でも演奏が始まり、軽やかなリズムと歌声にホールが包まれるやいなや、そこは遠い過去となっていた「青春の光」が輝いて見えました。

絶妙のトークに、遠い夏の日の風景、ラブソング、反戦歌、四畳半フォークソング、そして老いたる我々の応援歌と、中休憩を挟んで二時間、そしてアンコール・・・、最後に深々と観衆に頭を下げて別れを告げるこうせんさんとバンドメンバーに、私たちは万雷の拍手と「アリガトウ!」の掛け声で応え、コンサートは終了しました。

とても感謝感謝感謝が一杯となるコンサートでした。 

2019年9月24日火曜日

佐渡裕さん指揮ベートーヴェン「運命」特別演奏会を鑑賞しました

先週水曜日は、ラジオ関西視聴者プレゼントで戴いた、
佐渡裕さん指揮ベートーヴェン「運命」特別演奏会を鑑賞するため、赤とんぼ文化ホールに出かけました。
開演が18時半、姫路バイパスを通っては間に合わないので山陽道を走り、なんとかギリギリ開演に間に合いました。
急いでホール内に入ると、すでに舞台上で佐渡さんが一人立って話をされていました。たぶん今日の演奏会についての説明をされていたのではと思います。でも着いたばかりでホッとした状態でしたので、喧噪をかき消して佐渡さんの声に耳を傾ける準備が出来ておらず、話の内容を聞き漏らしてしまいました。
それが第1部のアンサンブル演奏への戸惑いに繋がったと思います。
入館時に今日のプログラムを渡されましたが、音楽の教養がないために、プログラムを見ても演奏を想像することが出来ません。ですから佐渡さんの前説を聞き漏らしたのは致命的でした。巧妙な演奏も、それを理解する知識がないと十分に楽しめないことを痛感した次第です。
ですが、三番目の木管楽器のアンサンブル曲は聞き覚えのある曲でしたので、安心感というか親しみを感じながら聴きました。
後で調べますと、19世紀のボヘミヤ地方出身の作曲家スメタナの代表曲で、日本では「わが祖国」と呼ばれる祖国ボヘミヤの風景を描いた交響詩の、その中でも一番有名な曲「ヴルタヴァ(川)」でした。急流の水音、風の舞う音、を連想させるメロディがとても印象的で、はるかな祖国に思いを馳せるセンチメンタルな曲でした。

そして休憩を挟んで、19時50分から始まった第2部は、佐渡裕さん指揮によるベートーヴェン交響曲第5番「運命」の40分近く渡るオーケストラ演奏で、予備知識がなくても、激しさ、穏やかさ、葛藤、そして喜びが迫ってきて、すっかり音楽の虜にさせられました。
いやぁ、音楽家というのはただただ凄いと思いました。
と同事に、空間を隔てて届く音楽に大観衆が圧倒されるというのに、指揮者や演奏者はその音楽の生まれる発生源にいて、自ら発する音楽に圧倒されてしまわないのが不思議に思いました。そういう全身が音楽に包まれるという体験、経験してみたいと強く思った次第です。

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兵庫芸術文化センター管弦楽団特別演奏会
佐渡裕指揮 ベートーヴェン「運命」プログラム
令和元年9月18日(水)たつの市総合文化会館赤とんぼ文化ホール大ホール
18時30分開演

第1部
マルティンショウ:スウィート・スワッフ(打楽器四重奏のための甘いスワッフ))
Nicolas Martynciow: Sweet Swaff for Percussion Quartet

カルヴェール:組曲「モンテルジャンの丘」
Morley Calvert: Suite from the Monteregian Hills for Brass Quintet
Ⅰ.マーチ Marche
Ⅱ.憂鬱なシャンソン Chanson Mélancolique
Ⅲ.嘲りのワルツ Valse Ridicule
Ⅳ.村人たちの踊り Danse Villageoise

スメタナ:ヴルタヴァ(モリダウ)木管十重奏編
Bedrich smetana: Vltava (Moldau) for 10 Wins

メンデルスゾーン:弦楽のためのシンフォニア第10番 ロ短調 MWV N10
Felix Mendelssohn: Sinfonia No.10 in B minor, MWV N10

第2部
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 op.67
Ludwig van Beethoven: Symphony No.5 in minor. op.67
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ Allegro con brio
第2楽章 アンダンテ・コン・モート Andante con moto
第3楽章 アレグロ Allegro
第4楽章 アレグロ-プレスト Allegro - Presto
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2019年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます。

穏やかな新年の朝です。雲は若干多いけれど、朝焼けの具合が良いですね。
そうそう、昨夜の紅白歌合戦、前半の終盤にサラ・ブライトマンが出演するということで、それを観てから寝床に入ろうと思ったのですが・・・、寝床で後半をラジオで聴いていて、出てくるシンガー、シンガーがあまりにも大物揃いだから、再びテレビの前に戻ってしまいました。
サブちゃん、ユーミン、MISIA、サザンオールスターズと何度も大波に襲われて、興奮して寝付けませんでした・・・ということで寝不足の朝です。

2018年2月15日木曜日

The Water Is Wide

The Water Is Wide、朝ドラ「マッサン」でシャーロット・K・フォックスさんが劇中に美声で歌われた事で日本でもよく知られるようになった、いにしえのスコットランド民謡です。
私は今から7年前、そう東日本大震災が起こる一月前に、この歌というかこの曲に出会いました。前年の12月に古い友人を病気で失い、その鎮魂を込めて一冊の絵本の朗読動画を作りました。その絵本とは「わすれられないおくりもの」です。
絵本に描かれた絵を初めて見たとき、昔見たアニメ映画「ウォーターシップダウンのうさぎたち」を思い出しました。風が吹き抜けるイングランドの丘陵の世界で暮らす動物たちの物語、それで、大好きなギター演奏曲のCDの中からこの物語のイメージに合う曲を探しました。そして出会ったのがO Waly, Walyという曲でした。この曲がスコットランド民謡であることは聴いてすぐに分かりました。そしてこの曲は、「わすれられないおくりもの」第一幕にあまりにもピッタリとハマりました。
それから数年後、シャーロット・K・フォックスさんの歌声で、O Waly, WalyがThe Water Is Wideと同一曲である事を知りました。ギター演奏曲O Waly, Walyはインストルメンタルであったので、歌詞のことは全く知りませんでした。
劇中、愛する人の手を取りながら歌っていたので、The Water Is Wideはラブソングだと思っていました。

Lady Satin'sさんがEnglish Prohectというブログに、The Water Is Wideの訳詞を書かれていました。一部を引湯させて頂きます。
http://ladysatin.exblog.jp/23398155/

The Water Is Wide 悲しみの水辺

The water is wide, I can't cross over
And Neither have I wings to fly
Give me a boat that can carry two
And both shall row, my love and I

川幅が広くて渡ることができません
私には飛ぶための翼もありません
ボートをください
二人を運んでくれるように
愛する人と二人で漕いでいきます

Oh, love is gentle and love is kind
The sweetest flower when first it's new
But love grows old and waxes cold
And fades away like morning dew

そう、愛は優しさ、そしていたわり
始まりの頃は最も甘美な花のよう
けれど愛にも老いが訪れ
そして冷たくなり
最後には朝露のように消えゆくのです

There is a ship and she sails the sea
She's loaded deep  as deep can be
But not as deep as the love I'm in
I know  not how I sink or swim

船が海を渡っていきます
荷を積んで深く
これ以上無いほどに深く
でも私の愛の深さには及ばない
沈んでしまうのか
それとも泳いでいけるのか
私には分かりません

素晴らしく訳詩でした。
私はこの詩のおかげで、The Water Is Wideが亡くなった愛する人への惜別の歌であることを知りました。

ノルンは人では無いですが、とても愛した家族でした。
今、この歌の詩が、心に深く刻まれます。


2016年4月3日日曜日

中島みゆきさんの歌声に感動しました。

夕方、何気にテレビのチャンネルを替えると、中島みゆきさんが歌っていました。
「中島みゆき名曲集~豪華トリビュートライブ&貴重映像~」という番組でした。
途中からの視聴でしたので、数曲を聴いたところで番組は終わってしまいましたが、
知らず知らず感情が込み上げてきて目頭が熱くなりました。
「世情」
「時代」
「麦の唄」
それぞれの歌が、その歌が流行った時代の出来事を思い出させてくれました。
情念の歌声に感激しました。

2014年12月16日火曜日

NHKわが心の大阪メロディー、観ました。

今晩放送のあった「NHKわが心の大阪メロディー」を観ました。
始まりは法善寺横町から石川さゆりさんが歌う「夫婦善哉」でしたね。
30年ほど前に、横町の一角にあるお寿司屋さんに、同期の宴会場所を探す傍ら立ち寄りました。五人ほどで特上寿司を一つ頼み、ジャンケンして勝ったモンから食べる遊びをしましたが、私ジャンケンで一番最初に負けたのに、さっと手を出しアワビの握りを一飲みしました。ズルをしたのです。でもその晩からお腹を下し、一週間酷い下痢に苦しみました。同席していた友だちからは罰が当たったと笑われたこと思い出します。

「宗右衛門町ブルース」のタイトルを聞いて、宗右衛門町の裏通りにあるシックなラウンジに、初めて先輩に連れていってもらった事を思い出します。それまで大衆酒場や若者の集う酒場しか知らず、初めて大人大人というシックな世界に踏み踏み込みました。でもあの感覚は、やっぱり馴染めませんでした。

そして「大阪で生まれた女」、この歌を生んだBOROさんの歌声で久し振りに聴きました。私、BOROさんの生歌を聴いたことがあります。35年前、金沢の繁華街小立野通りのアーケードに下で、路上ライブをされていたBOROさんに偶然出会したのです。
それからは金沢時代、大阪時代を通じて、スナックに行けば必ずこの歌を歌いました。
「大阪で生まれた女」、今でもこの歌を聴くと胸が熱くなります。

そして最後はドラマ「マッサン」で大ブレークの、エリーことシャーロット・ケイト・フォックスさんが歌うスコットランド民謡"Auld Lang Syne"、日本では「蛍の光」として有名な歌ですね。シャーロットさんの歌声が聴きたくて、実はこの放送を観ていました。劇中でも歌われていましたね。私はニュージーランドの歌姫ヘイリーさんの天使の歌声が大好きですが、初めてシャーロットさんの歌声を聴いた時、同じ感動を覚えました。この人は歌唱も素晴らしい、って感動しました。
でも実は、劇中で歌われていたもう一つの歌"The Water Is Wide"(悲しみの水辺)を期待していました。いつかしっかり、シャーロットさんの歌声で"The Water Is Wide"を聴ける機会を楽しみにしたいと思います。

【The Water is Wide - Hayley Westenra】

【The Water Is Wide(Traditional)with lyrics-Karla Bonoff】


hirobich5922さんという方がYoutubeに歌声をアップされていました。

それからそれから・・・
手前味噌ですが、三年前にアップした絵本朗読「わすれられないおくりもの」でオープニングのBGMとして使わせて頂いたのが、これまた大好きなギター奏者John Christopher Williamsの楽曲"The Water Is Wide (O Waly, Waly)"です。
絵本「わすれられないおくりもの」を初めて手にとって読んだ時、ケルトの世界が広がりました。そしてこの楽曲が、物語に一番しっくりと合う事に気付いたのです。

2013年7月26日金曜日

『ピースとハイライト』聴きました。

夜、ミュージックステーションでサザンオールスターズの『ピースとハイライト』聴きました。
下世話に小林旭の『自動車ショー』のようなコミックソングと思っていたら、意味深長な歌詞を軽快なメロディで歌い上げるサザンオールスターズの真骨頂ソングでした。

一番の歌詞にある
「教科書は現代史を
やる前に時間切れ
そこが一番知りたいのに
何でそうなっちゃうの?」
そうそうと思うと同時に、今の日本では現代史を義務教育で教える事ができないのかな?と思ってしまいました。歴史は立場が違えばまったく異なる幾つもの物語が描けます。
明治以前であれば、歴史のしがらみが少なく、年表と出来事を単純に線で繋ぐ事に異論を唱える方は少ないでしょうが、ですが現代史となれば主義主張が表に出て一筋縄ではいかない。教える側だって、義務教育の内容を定める側だって一枚岩ではない。だから義務教育では教えられない、だから学校を出てから自分で学んで、そして選んで、ということかなぁと、ふと思ってしまいました。

そして二番の歌詞にある
「色んな事情があるけどさ
知ろうよ お互いのイイところ!!」
現代は、いつのまにか正義がぶつかり合う時代、勝ち組だけが生き残れる時代となりました。負ければ終わり、すべてを失う時代です。
でもそんなもの平和(ピース)でも人類の輝き(ハイライト)でもありません。まさに憂鬱と狂気の時代です。
でもピースとハイライトに舵を戻す事はそんなに難しい事ではないよ
「知ろうよ お互いのイイところ!!」
そして
「愛することを躊躇わないで」
と歌い上げる願いの温かみに感じ入りました。

『ピースとハイライト』
リリースされたら、是非買って聴き続けたい歌となりました。

2013年6月13日木曜日

”吉田拓郎YOKOSO”観ました。

昨夜10時、もうねようとテレビを消そうとした時です。
”吉田拓郎YOKOSO”
という番組が始まりました。拓郎??ゲスト??高橋真梨子??うん、これは見なければということで、一時間、何とも言えないおじさんとおばさんの会話を楽しみました。
昨今の芸能人の方々はトーク番組にどんどんとでて、赤裸々?な私生活を人気の糧にする風潮がありますが、このお二人は全く私生活を見せない、それどころかテレビでさえあまり出る事がない。そしてファンのイメージを損なう事なく互いに40年、トップミュージシャンとしてのキャリアを積み上げてこられました。本物のプロだと思います。

拓郎さん、1970年代のフォークソング世代には神の様な存在です。私も友だち(イチャサンとウオちゃんです)の影響で拓郎のレコードを聴き、フォークソングにかぶれたひとりです。
高橋真梨子さん、本人は”ただのポップスシンガー”と仰るが、独特の美声で、歌に込められた物語や風景を、しっとりと歌い届けて下さいます。私など一枚のアルバムレコードを聴き終えた時、十編の物語を堪能した気分に浸ります。

お二人の会話から、高橋真梨子さん、若い頃は相当に悪い女の子であった様子です。法律に引っかからない事は何でもやった、粋がっていた、尖っていたと仰った。でも歌うことには何ひとつ穴を開けなかったとも仰った。この経験と天賦の才が、大陸的とでもいうのか、大草原を揺らす大らかな風の様な感性を生み出しているのかな?なんて思いました。
お二人は、約30年ぶりの対面であったそうですが、拓郎さんはじいさんからだんだんと粋がったアニキへの変貌し、真梨子さんはおばちゃんからだんだんとうら若き拓郎ファンの乙女への変貌していきました。見終わった時、1980年代に戻った様な溌剌な気分になりました。

番組内で、名曲も披露されました。
真梨子さんの”for you”そして”桃色吐息”、聴けて良かったです、(*^_^*)

2013年1月9日水曜日

『ヨイトマケの唄』は、人が人を育てるという普遍を賛歌する素晴らしい歌でした。


巷で話題になっている歌、美輪明宏さんが紅白歌合戦で披露された『ヨイトマケの唄』を、今日はじめてしっかりと聴きました。
年末年始は仕事のため、テレビの特番はほとんど観ていません。そして夜は明日の仕事のために早く寝ていました。もちろん、紅白歌合戦も観ず終いです。
今日の午後、散歩から帰ってきてテレビをつけると、ミヤネ屋で『ヨイトマケの唄』が大反響となっている美輪明宏さんのインタビューが流れました。

17才で歌手デビューを果たした美輪さんは、その容姿、振る舞いからシスターボーイと評されて絶大な人気を博します。美少年が絹の衣装を纏い美声を披露するのです。今から60年も前の事、それは魅惑的であり妖しい魔力に溢れていたと思います。そんな美輪さんでも、煌びやかなステージだけではなく、貧しい炭坑の町でも歌われました。そしてシミと泥にまみれた貧しい労働者の観客を前にしたとき、自分の身なりが恥ずかしく思えたそうです。そして、彼らのための歌を作ろう、彼らのための歌を歌おうと思い立ち、出来上がった歌が、『ヨイトマケの唄』です。
『ヨイトマケの唄』は、美輪さんの原体験から生まれたそうです。
美輪さんは少年期、長崎は丸山遊郭にあったカフェ(現在でいうキャバレー)の御曹司でした。そんな小学生の頃の友だちに、ヨイトマケの母を持つひとりの少年がいました。
ヨイトマケとは、土木作業で土壌を打ち固める仕事のこと、またその仕事に従事する労働者をさす言葉だそうです。当時はすべて人力です。頑強な男でも、とても辛く厳しい仕事です。少年は学校でいじめられ蔑まれ、泣いて母をたよって仕事場に向かいます。でも、母もまた仕事場で男たちにいじめられ蔑まれる姿を目撃します。でも母は、少年を認めると、笑顔を作り大丈夫だよと話します。そんな母を見て、少年も大丈夫だよと応えて、学校に戻るのです。少年の母は、いつも少年に、身分が偉いを作るんじゃない。お天道様の下で一所懸命に働く者が一番偉いんだ、と話していたそうです。

美輪明宏さんが歌われる、演じられる『ヨイトマケの唄』には、物語が溢れています。母を思う子の物語。子を思う母の物語。一生懸命生きる者を賛歌する物語です。そして気づかされたのは、人が人を育てるという普遍です。

現在、もっとも近しい家族の中でも、陰湿ないじめや度を過ぎた体罰が明るみに出て、世間を騒がします。それは学校の中、会社の中、社会の中でも起こります。そして私たちは、身を委ねたり、また人を預かることに恐れをなして、責任のない場所に逃れます。それが人間関係を一層希薄にします。それでも私たちは、優秀な人を求め、優秀な人になりたいと乞い願います。そして人の評価を、人情や眼力ではなく、テストやシステムに委ねてしまい、人は冷淡に選別され、無表情な愛を持たないマニュアル人間が生み出されてしまうのです。

私たちが、本当に立ち返らなければならないのは、人が人を育てるという普遍です。ですから親は、師は、あくまでも真摯でなければならないし、子は、生徒は、あくまでも素直でなければならないと思います。そしてテストやシステムではなく、人情と眼力で導かれた者は、次代の親、師となるわきまえがきっと備わると思うのです。

ヨイトマケの唄
作詞作曲 美輪明宏

”とうちゃんのためなら エンっやこら”
”かあちゃんのためなら エンっやこら”
もひとつおまけに エンっやこら

今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の ひるやすみ
たばこふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が

子供の頃に 小学校で
ヨイトマケの子供 汚い子供と
いじめぬかれて はやされて
悔し涙に くれながら
泣いて帰った 道すがら
かあちゃんの働く とこを見た
かあちゃんの働く とこを見た

あねさんかむりで 泥にまみれて
日に灼けながら 汗を流して
男にまじって 綱を引き
天にむかって 声をあげて
力の限りに うたってた
かあちゃんの働く とこを見た
かあちゃんの働く とこを見た

慰めてもらおう 抱いてもらおうと
息をはずませ 帰ってはきたが
かあちゃんの姿 見たときに
泣いた涙も 忘れはて
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと 云いながら
勉強するよと 云いながら

あれから何年 たった事だろ
高校も出たし 大学も出た
今じゃ機械の 世の中で
おまけに僕は エンジニア
苦労 苦労で 死んでった
かあちゃん見てくれ この姿
かあちゃん見てくれ この姿

何度か僕も グレかけたけど
やくざな道は ふまずにすんだ
どんなきれいな 唄よりも
どんなきれいな 声よりも
僕をはげまし 慰めた
かあちゃんの唄こそ 世界一
かあちゃんの唄こそ 世界一

今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
”とうちゃんのためなら エンっやこら”
”こどものためなら エンっやこら”

2012年12月26日水曜日

小田和正のクリスマスの約束


クリスマス寒波も、なかなか堪えましたね。そして歳でしょう、夜中に何度かトイレに立ちます。
昨日の夜もそうで、時計を見ると0時過ぎでした。あっそうや!小田和正のコンサートしてるんや、と思いだしテレビをつけました。四方に観客席がある中央ステージの一角に、小田和正とゲストミュージシャンが並び、他のアーティストの名曲をカバーしています。そのハーモニーはとても美しかったです。そして何より、歌詞がとても大切に歌われて、その言葉のひとつひとつが心の琴線に触れ、心の中がしっとりと温かくなりました。

真夜中の小田和正クリスマスコンサート《クリスマスの約束》は、とても嬉しいプレゼントとなりました。有り難うございます。

クリスマスの約束2012

2012年9月3日月曜日

大好きな歌手倍賞千恵子さんへの願い


私は歌が好きです。そして大勢の素敵な歌手のファンでもあります。
その素敵な歌手の中でも、とびきり好きなのが倍賞千恵子さんです。

倍賞千恵子さんといえば、やはり寅さんの妹さくらが印象的です。
さくらは、渥美清さん演じるどうしようもない『おにいちゃん』には似ても似つかない、しっかりもので心根から清い兄思いの妹です。
そして倍賞千恵子さんは、昭和期において日本一の妹となりました。

私は役者としての倍賞千恵子さんも大好きですが、
そう、歌手として舞台で朗朗と歌う、倍賞千恵子さんがたまらなく好きなのです。
倍賞千恵子さんの歌声は、まるで聖歌隊の少年歌手の如く、どこまでも清く通って、私の心に深く染み入ります。そして歌声と共に詩の心を全霊で表現されるので、詩が伝える世界が具体的なイメージを伴って私の脳裏に届きます。

私は、大好きな俳優森繁久彌さんが、1960年に知床の羅臼を舞台とした映画『地の涯に生きるもの』で、撮影でお世話になった羅臼の町の人々にお礼として贈られた歌『オホーツクの舟歌』を、倍賞千恵子さんの歌声で初めて知りました。

そして、詩人谷川俊太郎さんがベトナム反戦詩として作られた『死んだ男の残したものは』(1965年作)も倍賞千恵子さんの歌声で初めて知りました。
歌:長谷川きよしさん

どちらの歌にも、戦争が招いた深い悲しみとともに、それでもその地で生きてゆく、人々の切望が込められています。倍賞千恵子さんは全霊でその悲しみを、そして切望を朗朗と歌い上げられ、私は深い感銘を受けました。

そして、美しい日本の風景や四季を綴る唱歌も倍賞千恵子さんの歌声で沢山聴きました。
倍賞千恵子さんの歌声は、まさに美しい日本の歌声だと思います。

しかし、現在の日本には、唱歌が綴った美しい日本はもうありません。心の問題です。そう心がとてもさもしくなったのです。自信を失い、失望し、闇雲に攻撃し、傷つけ合っているのです。日本は1000年の時を経て築いてきた美しい心根を投げ捨て、乾いた合理性に身を委ねようとしています。
でもそんなもの日本人には到底似合わない、四季という美しくも厳しい自然環境の中で生きてきた日本人には、四季にへりくだって生きる美しい心根がこそ必要です。またそれこそが、日本人が世界の人々に誇れる、凛とした様式美、そして簡素美を再興する唯一の手立てだと思うのです。

美しい日本の歌声は、美しい心根を呼び起こしてくれます。また、怒り高ぶる者立ちの尖った気持ちを和らげもしてくれます。
役立たずな政治家には、この際退場して頂いて、日本人の中に美しい心根を取り戻す為に、そして隣国の荒ぶる国民感情を平静に導く為に、倍賞千恵子さんには、もう一度表舞台に立って頂いて、美しい日本の歌声を同胞である日本人に、そして隣国の友人に届けて欲しいと願います。

明日があるさ


夕方、歩いていますと、ふと坂本九さんの歌『明日があるさ』のメロディが頭の中に流れてきました。この歌、2000年のはじめに吉本お笑い芸人のユニットがカバーして大ヒットしましたね。
実は私、この歌をよく知りません。それで家に戻ってからしっかりと歌を聴き直しました。
『明日があるさ』は、まだまだ自信の乏しい若者(高校生くらいでしょうね)が主人公で、でもその彼が一途に恋をして、恋の成就に向けて一歩一歩前進してゆく。そして、明日には必ず、明日には必ず、と恋の成就を夢見るという、切ないけれど希望が溢れた歌でした。

『上を向いて歩こう』
『見上げてごらん夜の星を』
そして
『明日があるさ』
には、共通した意思を感じます。

どんなに小さき者であっても、そしてたとえ今苦しくとも
明日の幸せのために、精一杯誠実に生きる

これらの歌が生まれた1960年代は、日本が戦後の暗澹たる状態からようやく抜け出し、誰もが明日への希望を見いだし始めた時代だと思います。希望が、我慢を生み、連帯を生み、精一杯努力すること、そして誠実に生きることに私たちを導きました。

現代社会は、曙の時代からは打って変わって、落陽の、もしかしたら奈落の時代に入ったと言えるのかもしれません。そして人々からはどんどんと希望が失われてゆきます。
また悪いことに、希望がないから、夢を見ることができないから、誰もが、目の前に存在するパイの奪い合いに走ります。そしてそのパイもいよいよ腐り、奪って食べたら即死んでしまうという事態に陥りかけているのです。

こんな時代であるからこそ、私たち一人一人が、自分の『価値』を真剣に見出さなければいけないと思います。私たちは誰もが、天から『価値ある命』を授かって生きています。『価値ある命』とは、天命のことです。そして私たち一人一人が、見出した役割、喜びに、ただ素直になって行動すればよいのです。この行動が、再び『希望』や『夢』を育んでくれると信じます。

現在が落陽の時であるならば、これから訪れる夜にしっかり休めばいい、そして夢を見ればいい。そして再び訪れる明日に『希望』や『夢』を抱いて、悠悠と歩み出せたらと思います。

2012年6月9日土曜日

長渕剛の祈り『僕と歩こうよ』を聴いて


最近、店に流れる有線放送でよく流れる歌
長渕剛の『僕と歩こうよ』

この歌を初めて聴いた時、
あれっ、長渕か???
最初は解せませんでした、そして何度も聴いているうちに
18、19の時に聴いた『祈り』を思い出しました。
『祈り』は、当時の長渕が、
恋人の死に自分への怒りと悔恨の情を込めて切切と歌う
とても心が辛くなる、でもとても感動した歌でした。

旋律はとても似ています。
私は、こちらの長渕がより好きなのです。
でも『僕と歩こうよ』は、歌に込められたものが違いました。
それは、
大いなる優しさです。
切ないほどの優しさです。
昨年の震災後に歌った『ひとつ』と同じく
痛む者、悲しむ者、幼き者へ、寄り添い、さぁ共に歩こう、
というメッセージが込められています。
でも『ひとつ』には、寄り添う側の悲壮感がありました。
でも一年を過ぎ『僕と歩こうよ』には、穏やかを感じます。
訥々とした歌には、最初力を感じませんでしたが、
でも何度も聴いているうち穏やかな波の様に、
静かに心を洗ってくれます。
そしてしっかりと心に、この歌が刻まれました。

『僕と歩こうよ』
とてもよい歌だと思います。

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こちらの詩は、80年当時、ライブで聴いた歌だと思います。よりリアルです。

祈り
作詞作曲:長渕剛

お前が去ってくその前に
なぜに電話くれなかったか
やさしすぎるお前のことだから
それが思いやりのつもりだったのか
俺たちいつでもひとつなんだと
あれほど話し合ってきたよね
お前のことはすべてわかっている
つもりの自分がくやしすぎるよ
二人でいくつもの夜をこえて
新しい朝が目の前だったのに
深く瞳を閉じて今
天女のようにお前は一人
空へ帰る

お前が選んだ人生も
お前が歩いてきた道も
信じきれぬままのはがゆさの中で
ためらいながら
俺は人生を探すだろう
今度生まれてくるときは幸せな日々を
おくれるといいね
お前の好きだったあの唄を
今夜は朝まで歌ってあげるよ
二人でいくつもの夜をこえて
新しい朝が目の前だったのに
深く瞳を閉じて今
天女のようにお前は一人
空へ帰る
天女のようにお前は一人
空へ帰る

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僕と歩こうよ
作詞作曲:長渕剛


なんにもしてあげられなくて
どうしていいかわからなくて
君をひとりぼっちにさせて
悲しませてごめんね

震える君の細い肩を
そっと抱きしめてあげたくて
涙がとめどなく流れた
もうどこにもいかない

凍りつくよなせつなさに
心が苦しくてたまらない

もう泣かないで
もう泣かないで
僕といっしょに歩こうよ
僕といっしょに歩こうよ


君が見つめてる星空に
僕がよりそうことを忘れ
しあわせが何かもわからず
君の涙で気がついた

もっと強く生きてゆけたら
君を笑顔にできるのかな
君がしあわせに笑ったら
もうそれだけでいい

小さな胸にしまってた
大きなさびしさ大事にして

もう泣かないで
もう泣かないで
僕といっしょに歩こうよ
僕といっしょに歩こうよ

2012年6月6日水曜日

『思えば遠くへ来たもんだ』


武田鉄矢率いる海援隊の楽曲の中で1番好きな歌であります。
初めてこの歌を聴いたのはまだ十代の頃、でも一番の歌詞
『
踏切の側に咲く コスモスの花揺らして
貨物列車が走り過ぎる そして夕日に消えてゆく

十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳を当て
レールの響き聞きながら 遙かな旅路を夢見てた
』
にいつも幼き頃の記憶に心を馳せていました。

5、6歳の頃、まだ姫路駅から飾磨港に続く一本のレールが生きていました。
そして、縦列した蒸気機関車が60以上の貨物車両を運んでいました。
私は毎日、レールと小道が交差する踏切のそばに立って貨物列車の数を数えました。
車両の縦列があまりにも長いため、汽車はスイッチバックして荷物を配てゆきます。
ですから一端汽車が通り始めると一時間はゆうに眺めることになりました。
小児喘息で、外で遊ぶことが少なかった私にとって、それは毎日訪れる夢の時間でありました。

二番の歌詞
『
二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた

思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ あの頃恋しく思い出す
』
私も恋は沢山しました。そしてそのひとつひとつを一度と信じ、恋に破れては失意に暮れもしました。でもその度に私の中の神格化した女性像は、より身近な女性へと変化し、手の届かないものから、共に刺激し合える最良の人となっていきました。

そして三番の歌詞
『
眠れぬ夜に酒を飲み 夜汽車の汽笛を聞く度に
僕の耳に遠く近く レールの響きが過ぎてゆく

思えば遠くへ来たもんだ 振り向く度に故郷は
思えば遠くへ来たもんだ 遠くなる様な気がします

思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら
』
まだまだ二十歳半ばであった武田鉄矢は、どうしてこんな詩文が描けたのだろうと、今になって驚きます。
”思えば遠くへ来たもんだ”は、一つは地理的な距離を表しますが、それよりも私は過ぎ去った時間への思いを強く感じます。物語の主人公は、戻れない時間に心を馳せ、そしてこれから巡る時間に身を委ねているのです。
最近の私は、漸く三番の歌詞に心を打たれるようになりました。

武田鉄矢という人、
実は私の『龍馬信仰』の大師匠であります。
二十代に、初めて人に心酔しました。その人は二つ歳上の会社の先輩宮本さんで、宮本さんは浪人生の頃に武田鉄矢の深夜ラジオ番組を友として、武田鉄矢が熱く語る龍馬に傾倒していきました。
宮本さんは、初めて出会った時からいつもふつふつとしていて、酒を飲めば龍馬を熱く語ります。私はそんな宮本さんに心酔し、そして龍馬その人にも傾倒していったのです。

武田鉄矢という人は、教師に似合う役者ですが、私は詩人として希代な人と思います。




2012年5月20日日曜日

浜で、『Someone to Watch Over Me』歌いました。


そしてもう一曲歌いました。
"Someone to Watch Over Me"
です。

*************************
Someone to Watch Over Me
*************************
There's a saying old Says that Love is blind
Still we're often told seek and ye shall find
So I'm going to seek a certain lad
I've had in mind

Looking everywhere Haven't found him yet
He's the big affair I cannot forger
Only man I ever think of
With regret

I'd like to add his initial To my monogeam
Tell me where is the shepherd
For this lost lamb

There's a somebody I'm longing to see
I hope that he turns out to be
Someone who'll watch
Over me

I'm a little lamb who's lost in the wood
I konw I could Always be good
To one who'll watch
Over me

Although he may not be the man
Some girls think of as handsome
To my heart He carries the key

Won't you tell him please To put on some speed
Follow my lead Oh, how I need
Someone to watch
Over me

昔から「恋は盲目」だなんて言葉があるけど
でも「汝、求めよ、さらば与えられん」という言葉もあるし
それなら私、思い描いてきたような運命の人をさがしてみるわ

でもね、あちこちをさがしているんだけど
まだそんな人をみつけられないの
でもね・・・、そんな素敵な人と出会えたなら
きっと一生忘れられないほどの大恋愛になるわ!

そして結婚して
彼の苗字に、私の名前が付け加えられたらいいな・・・
ねぇ、誰か教えて!
この私という迷える子羊の
羊飼いさんはどこにいるの?

ずっと会いたいと思っている人がいるの
その人はいつも私を見守ってくれる人だといいな

私は森の中で迷子になった子羊なの
でも私を見守ってくれる人が現れたら
私はその人の前だったらいつだっていい子でいられるわ

でももしかしたら、その人は女の子たちに
もてるようなハンサムじゃないかもしれないけど
でも、きっと
彼こそが私の心のカギを開けてくれる人なのよ

だから、ねぇ?
誰か彼に伝えて!
もっとスピードを上げて私を追いかけてきてって!
そして早く、私の前に現れてって!
あぁ、こんなにも必要としているのよ
いつも私を見守ってくれる、そんな人を・・・


朝一から仕事だというのに、悠長なおっさんでした。

そして明日は休みです。
金環日食ですね、見られるかどうかはわかりませんが、明日は海で待機したいと思います。

国立天文台『金環日食』トピックページを参考にします。
http://naojcamp.mtk.nao.ac.jp/phenomena/20120521/
ただいま22時少し前
トピックページはアクセス多の様子で、レスポンスが遅いです。

浜で、『浜辺の歌』歌いました。


今朝も海まで歩いてきました。
空には一面に薄い雲がかかり、陽は弱く輝いています
浜に着くと、ハハ
突堤も浜にも釣り人が溢れていました。それも等間隔で糸を垂れています。
ふと加茂川河川敷の光景を思い出し(でもこちらはおっさんばかりなのですが・・・)つい可笑しくなりました。

暫し堤防道を巡って静かな浜辺を探しました。
そして堤防を滑り降りて腰を下ろし、
歌、歌いました。
そう、海まで歩く楽しみの一つは歌うことだったのです。
海では、誰に気兼ねすることなく大声で歌えます

そして『浜辺の歌』を歌いました。
あした浜辺をさまよえば
昔のことぞ忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も かいの色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

はやちたちまち波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞぬれひじし
病みし我はすでにいえて
浜(はまべ)の真砂(まさご) まなごいまは

無手勝流な意訳です。

朝、浜辺を歩いていると
遠い昔、浜辺で遊んだ頃を思い出します
あの潮風を、雲が巡る様を
寄せては返す波音を、そして貝の色までも

陽が沈んだ浜辺に佇んでいると
懐かしい人が偲ばれます
共に歩み、そしていつかそれぞれの道に別れた人を
あの夜見た、月のおぼろ、そしてにじんだ星影を

時折強く吹く風が波しぶきをたて
私の粗末な衣の裾を濡らします
私の長い療養も、ようやく終わりそうです
あの浜が懐かしい、幼子の頃が懐かしいです

私のこれまで漂ってきた50年が
きゅっと愛おしく感じました。

2011年12月4日日曜日

『星降る夜は♪』


お早うございます。
この数日雨模様でしたので、夜空も曇っていましたが。。。
今朝は美しい夜空と対面しました。ツーンとした寒さではなく、優しくそして澄んだ冷気がとても気持ちよかったです。雲一つない空から、星々が優しい光を放っていました。

こんな素敵な夜空を見上げていますと、

『星降る夜は 部屋のあかり消して
静かに静かに 星のささやき聴こうよ。。。』

南こうせつさんの『星降る夜』が内から聞こえてきます。そしてとても楽しい嬉しい気持ちになります。私にとって、ささやかな、でもとても幸福なひとときなのです。

それから、パソコンでFacebookを開くと
お友達の三角由美子さん(熊本在住のライター兼イベントプロデューサー)のウォール記事が目に入りました。
『バンブープラネタリウム&星空カフェ1日目終了!。。。』
そして幻想的な写真が添えられていました。

『バンブープラネタリウム&星空カフェ』
阿蘇山から西10㎞に位置する西原村で12月3日から31日まで開催される、『夜空』と『バンブープラネタリウム(竹あかり)』を楽しむ1ヶ月間限定カフェで、アートと地域振興を結ぶNPO法人「クリエイティブトリガー」と三角由美子さんが共同プロデュースされたイベントです。
添えられた『バンブープラネタリウム(竹あかり)』の写真ですが、
竹の中の光源から発せられた光が、竹の表面に刻まれた幾何学的な模様から洩れ輝く様は、それぞれの円柱が星座に彩られた一つの宇宙に見え、そしてそれらが立ち並ぶ風景は、荘厳でかつ壮大な空間を連想します。
『行きたい~!』『その空間に身を沈めたい!』なんて思っていも、こんなに時間的空間が狭くなっても、でも実際は播州地方からは遠い遠い阿蘇での出来事、望遠するしかないのです。
ほんとに『夜空の星』なのです。。。ね

『バンブープラネタリウム&星空カフェ』紹介ページ
※幻想的な写真が掲載されています。
http://www.minamiaso-coffee.com/2011/12/with-8610.html

2011年11月29日火曜日

いのち短し、恋せよ乙女


先日、
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「交際している異性はいない」という未婚者が男女ともに過去最高(1987年調査以来)であることが2011年11月25日、国立社会保障・人口問題研究所の「第14回出生動向基本調査・独身者調査」でわかった。この調査は、2010年6月1日時点の事実について全国の男女(18歳~50歳)に対しておこなわれ、1万0581票の有効回答に基づくもの。
調査結果によると、「交際している異性はいない」という未婚者は男性で61.4%、女性で49.5%であり、前回調査(2005年)から男性で9.2ポイント、女性で4.8ポイント上昇している。さらにこのうち、約半数(男性27.6%、女性22.6%)が「とくに異性との交際を望んでいない」と答えている。

第14回出生動向基本調査
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14_s/doukou14_s.asp
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というニュースを読みましたが、
いや、いかんなぁ、もったいないなぁ、と思いました。
特に「とくに異性との交際を望んでいない」では、人は枯れてしまいます。。。

ちょっとこじつけかもしれませんが、
人は、夢や希望、そして憧れが今日を歩み明日に挑む原動力になるのだと思うのです。
恋は、『夢』『希望』そして『憧れ』です。
また恋は、『喜び』をもたらすだけでなく『苦しみ』や『悲しみ』ももたらしますが、それは感情の豊かさをもたらし、思考の思慮深さをもたらしてもくれます。
恋をしなきゃ、いっぱい恋しなきゃならんと思うのです。

恋に億劫、恋下手と思っている乙女、若人に
『ゴンドラの歌』を贈ります。
私の大好きな俳優であり詩人、森繁久彌さんの歌声で聴いて下さい。

森繁久彌、ゴンドラの歌


ゴンドラの歌
作詞 吉井勇
作曲 中山晋平

いのち短し 恋せよ乙女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて 彼の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰も 来ぬものを

いのち短し 恋せよ乙女
波に漂う 舟の様に
君が柔手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

因みに、森繁さんは、一番と四番の歌詞を歌われています。
若葉の頃は、瑞々しい色香を放つ頃は、ひとときですよ、さぁ恋をして輝いて。。。

p.s.
この『ゴンドラの歌』、この度全詩を読んで、初めて、ああ逢瀬の甘美な喜びを綴った詩なのだな、という事を知りました。

2011年11月22日火曜日

映画『いちご白書』が観たい!


70年代のアメリカン・ニューシネマをモチーフとした歌があります。
大塚博堂『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』
そして
荒井由実、バンバン『いちご白書をもう一度』です。
どちらも好きな歌で十代の頃よく歌ってました。

当時は、エセ蛮カラで
髪を伸ばして髭伸ばし、汚いジーパン履いて下駄履いて、フォークギター片手に闊歩してました。
恥ずかしかったのは下駄の歯が折れたときです。前ならまぁなんとか歩けましたが、後ろは駄目です、そんときゃぁ裸足でした。
70年フォークに夢中でした、しかしギター演奏はさっぱりでした。。。
でも少し上達した時期もありました。
19歳の頃、同じ学生寮で長渕剛のコピーがめっちゃめちゃ上手い富山出身の友達に幾つかの曲の演奏を教えてもらいました。
そして
『順子』、『巡恋歌』弾けるようになりました。

また道を外してしまいました、ゴメンなさい。。。

『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』は
ダスティン・ホフマン主演の
『ジョンとメリー』、そして『卒業』のシーンに重ねて
中年にかかり始めた男の、若い頃の恋人を今も慕う切なさが歌われています。
でも当時は、詩の意味などまったく分かっていませんでした。
それでも、大塚博堂の声に痺れてました。

***

作詞 藤 公之介 作曲 大塚博堂

テレビの 名画劇場で
「ジョンとメリー」を 観たよ
ダスティン・ホフマンが 主演の
行きずりの恋の お話しさ

まるであの日の 二人みたいで
胸が熱くなって 仕方が なかった

君にもう二人も 子供がいるなんて
僕の回りだけ 時の流れが 遅すぎる


君と一緒に観に行った
「卒業」を 覚えているかい
花嫁を奪って逃げる
ラスト・シーンが 心に染みたね

なのにあの日 僕は教会で
君を 遠くから 眺めてるだけだった

君にもう二人も 子供がいるなんて
僕の回りだけ 時の流れが 遅すぎる

ダスティン・ホフマンになれなかったよ
ダスティン・ホフマンになれなかったよ

ダスティン・ホフマンになれなかったよ
***

『いちご白書をもう一度』は
60から70年にかけての学生闘争を取り上げた映画『いちご白書』。
この映画の主人公を真似て闘士を気取っていた男、彼女もいて学生生活をエンジョイしてましたが就職が決まると、働きマンに変わります。
そして数年後、街角の破れかけた映画ポスターを見て、当時の事を思い出す。

***

作詞・作曲 荒井由実

いつか君と行った 映画がまた来る
授業を抜け出して 二人で出かけた
哀しい場面では涙ぐんでた
素直な横顔が 今も恋しい

雨に破れかけた 街角のポスターに
過ぎ去った昔が  鮮やかに甦る

君を観るだろうか 「いちご白書」を
二人だけのメモリー どこかでもう一度


僕は無精ヒゲと 髪を伸ばして
学生集会へも 時々出かけた

就職が決まって 髪を切ってきた時
もう若くないさと 君に言い訳したね

君を観るだろうか 「いちご白書」を
二人だけのメモリー どこかでもう一度

二人だけのメモリー どこかでもう一度
***

二つの歌共に、別れた彼女を思い出す歌でもあるわけですが
『いちご白書をもう一度』はカラッとしてます。
作ったのが女性、ユーミンであったからだと思います。
そう思うと、男は粘着力がありますね、恥ずかしながら。。。


そうそう、大ニュース
映画『いちご白書』がリバイバル上映されることになりました。
日本での初公開から40年振りとなる上映だそうです。
またこの映画はDVD化されていない、幻の映画なのです。
私、まだ一度も観た事がありません。
是非観たい、と思っています。

『いちご白書』公式サイト

関西(観に行ける劇場)では

大阪・テアトル梅田(MBSの近所ロフトの地下だそうです)
平成23年12月10日(土)から公開

テアトル梅田ウェブサイト

神戸アートビレッジセンター・KAVC(JR神戸駅西1㎞)
こちらはウェブサイトに公開の記載がなかったのでメールで問い合わせしたところ
『今のところ上映予定はございますが、上映時期については未定』との返事

KAVCウェブサイト

観るなら近いKAVC、でも上映予定を再三チェックするのは邪魔臭いし、
12月、大阪に出かけようかなぁ。。。
観終わった後、久し振りに梅田で一杯やりますか。。。