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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2025年6月24日火曜日

誰か故郷を想わざる

誰か故郷を想わざる


花摘む野辺に 陽は落ちて

みんなで肩を 組みながら

歌を歌った 帰り道

幼なじみの あの友この友

ああ誰か故郷を 想わざる


ひとりの姉が 嫁ぐ夜に

小川の岸で 淋しさに

泣いた涙の 懐かしさ

幼なじみの あの山この川

ああ誰か故郷を 想わざる


都に雨の 降る夜は

涙に胸も 湿りがち

遠く呼ぶのは 誰の声

幼なじみの あの夢この夢

ああ誰か故郷を 想わざる


母が寝たきり状態になってからは、毎朝 母の枕元で般若心経と曹洞宗の経典修証義、そして新約聖書マタイの福音書第4章から第6章を諷誦しました。その後に歌を歌いました。母は歌が好きでしたので、私に取っては懐メロ、母にとっては青春時代の流行歌であったであろう歌を歌いました。特に母に思いを込めて歌った歌があります。それが「誰か故郷を想わざる」でした。

この歌は昭和15年の流行歌です。日本から遠く離れた戦地の兵士の間で、望郷の念に刺さる歌として大ヒットしたそうです。母は15歳でした。飾磨という海ベに近い町で、三男五女の兄弟姉妹の五女として大家族に囲まれ、生涯の友となる女友だちとともに青春時代を過ごしていたのだと思います。その大好きな家族も大好きな友だちも、みんな既に彼岸の向こうに旅立って、母はひとり残されていました。そんな母に、この歌が少しでも慰めになればと思ったのです。

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