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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2023年12月25日月曜日

日本を今一度、洗濯いたし候《議員篇》

 日本は、第二次世界大戦後にアメリカの指導の下、民主主義国家に生まれ変わった。と、子供の頃に学校で学び、つい最近までそれを信じて疑いませんでした。

国制における民主主義とは、公民権を持つ国民は誰でも選挙に立ち、国の政治に携わる事が出来る、という制度で、選ばれた議員の議席の重みは、年齢や議員年数に関係なく、平等であるという事、そして議員は国民の今、そして未来の幸福実現のために、公僕として働くことを使命とする、という事をです。


公僕とは、公衆に奉仕する者のことであり、「公」の字は、「社会一般や民衆全般に関わること」を意味し、公平や反利己などの倫理的・原理的な意味を現す漢字です。


それが今では、議員の云えば金にまつわる醜聞ばかりです。私たち国民は、当の議員によって、そしてマスコミによって、議員活動には金が掛かる、選挙には金が掛かる、政治活動には金が掛かるとすり込まれ、金が掛かるのはやむを得ない事と納得させられ続けてきました。しかし、それがそもそも偽りであったのだと思います。


まず選挙には金が掛かるという話ですが、衆議院や参議院の国制選挙を行う場合、選挙運営費だけで毎回500億円を優に超えると云われます。その費用の半分は人件費だと云われます。そして立候補者は、数千万を掛けて戦うのだと云われます。参議院選挙の場合は6000万円を超えるとも云われます。その内訳の中に供託金というものがあります。売名行為や泡沫候補を排除するために、一定数の票を獲得できなければ国に没収される金です。小選挙区への立候補ならば300万円、比例区の名簿単独登載者なら600万円、比例で小選挙区重複立候補ならば300万円(合計で600万円)という具合です。

でも、供託金でこんなにぼったくられるのは日本だけです。

OECD加盟国38カ国のうち、供託金鮮度が確認されるのは13カ国だと云われます。その内の

イギリスの供託金は、500ポンド≒9万円

韓国、比例区は、500万ウォン≒55万円

そして、フランスとカナダは、廃止されています。


自分が描く政治をやりたいと衆議院議員に立候補し、初当選しても、解散権が政争に使われ、首相の一存でいつ解散させられるか分からず腰を据えて議員活動、政治活動に身を入れることが出来ません。それで4年の任期を待たずに早々に解散されて、再び選挙となれば、再び高額な選挙費用が必要となり、次も議員でいたければ、少なくとも今の議員の身分で次の選挙資金を作らねばなりません。こうなれば、選挙で当選する事は、次の選挙に勝つ為に資金作りをする事という、本末転倒の有り様を呈してきます。

そして派閥政治の横行は、派閥の領袖に取り入れば、潤沢な裏金が与えられ、比例区名簿の先頭に名前が載れば、一銭の銭を使わなくても誰でも議員になれてしまう。

それが今の、日本政治の有り様です。


船中八策ではないですが、私が願う政治改革はこうです。

一、衆議院の解散を認めず、一期4年を全うする。

一、議員の歳費を、特別公務員給与と改め、すべて議員所得とする。

一、議員活動費は、別途公費として支給する。費用にはすべて確証を必要とする。不使用の活動費は期末に返納する。

一、年度末、任期末に、議員毎に一冊の活動報告書と会計報告書の提出を義務付ける。これらはすべて国民の誰もが閲覧できる事とする。

一、議員秘書は、議院に実務ができる人員を配置し、当選時に議員に配置する。秘書は、議員活動を補佐する者であり、特別公務員として対等の立場とする。

一、選挙の被選挙権は18歳以上に与え、供託金制度を廃止して、誰もが自分の意志を持って選挙に立候補できる。

一、議員の不正は、重く処断される。

一、議員は憲法の遵守を誓う。


議員は、仕事を持つ人が休職して、立てる程度に敷居を低くしなければならないと思います。気づいた人、志を持った人、やる気のある人が、一期4年議員活動を行う様にするのです。議員同士のもたれ合いなれ合いなどくそ食らえです。

金に色はありません。ですから、入りは所得か経費か最初から分けておく。議員報酬を明確にしておくのです。そして出も明確にする。

これを嫌がる人は、議員にならなければいいのです。


2023年12月24日日曜日

ほんとうのイエスの話をしよう

 紀元4世紀頃に、古代から様々な場所で太陽の復活を祝う冬至の日(12月25日)をキリストの降誕日と定め、以後、キリスト教教会でこの日にキリストの降誕祭を祝う様になったと伝えられています。そして今日は12月24日、日が沈むとクリスマス(キリスト降誕祭)です。昔の暦では日の入りが一日の終わりで、新しい一日は夕べに始まりました。それがクリスマスの夕べ、クリスマス・イブニング、キリスト降誕祭の始まりです。


イエスは、歴史上で実在した人物と云われますが、その足跡を辿るものは聖書の福音書の他には伝承の類いしか無いようです。

現在のイスラエル国の北部、ガラリア湖の西方の街ナザレで、紀元前6年から紀元前4年頃に、ユダヤ民族の神ヤハウェへの敬虔な信仰を持つ大工のヨセフとマリアの一人子としてイエスは誕生し成長します。そして青年となったイエスは、父と同じ大工を生業としながら、信仰の伝道者としてガラリア湖周辺で活動を始めます。

イエスが生きた時代は、暴君ヘロデ王が興した古代ユダヤ王国の最後の王朝の時代でした。すでに地中海周辺はローマ帝国の支配下にあり、ユダヤの地もローマの支配下にありました。ヘロデはローマ皇帝に許しを請い、この地に自らの王朝を興したのです。

最後のユダヤ王朝の時代は、暴力と不正が蔓延る時代であった様です。王の一族や法学者などが権威を振りかざし、神聖であるはずの会堂は、賄賂の蔓延る市場と化していました。

この様な恥ずかしき政治や信仰活動に異を唱え、戒律に絶対を求める原理主義者や、正当なユダヤ王国の復権を唱えて暴力に訴える者も現れました。イエスも体制に抗うひとりとして現れました。しかし、イエスが望んだ活動は、この時代において、虐げられた人々、貧しき人々、身を売る女性たち、苦しみ嘆く人々にこそ、神の祝福が与えられる事を伝導する事であったのです。姦淫の罪で罰せられようとした女性を弁護したり、癩病患者や梅毒患者を親身に看病したり、会堂で行われる不正を暴いたり、イエスは信仰を糧に、現在で例えれば、社会をよくするために危険を顧みない非暴力の社会活動に従事しました。そんなイエスの活動は、遙か昔に高名な預言者が記したユダヤ民族の救世主像そのものでした。

預言のユダヤ王が現れた事は、権威を我が物とする人々にとって、不都合極まりない事でした。その為、彼らはイエスの活動に難癖を付けてイエスを貶める事に躍起になりますが、それでもイエスがくじかれる事はありませんでした。そして遂に彼らは、イエスを『権威に刃向かう者』、乗じて『ローマ帝国の権威に歯向かう反逆者』として総督に訴えます。

総督はイエスに罪があると認める事が出来ませんでしたが、ユダヤの権威者の訴えを聞き入れて、遂にイエスは最も厳しい刑罰である十字架の磔刑に処され殺されました。紀元30年頃の出来事です。


その後すぐ、ユダヤ王国では、ローマからの独立運動が盛んになり、遂に紀元66年頃にこの地を賭けたユダヤ戦争が起こります。そして70年近くに渡る戦争の末にユダヤ民族は敗北し、エルサレムから追放されます。それはユダヤ民族の以後二千年にわたる離散、苦難の始まりとなりました。


その後の世界を支配することになったキリスト教徒から疎まれ、蔑まれ、抑圧され、人権の概念が西洋社会に浸透する近代まで人扱いされる事のなかったユダヤ民族は、遂に20世紀に入り、ヒトラーの政治によって絶滅する民族として標的にされます。この絶滅政策(ホロコースト)によって、ほんの数年の間に600万人のヨーロッパのユダヤ人が虐殺されました。そういう筆舌に尽くし難い苦難、苦痛、艱難の末に、現在のイスラエル国は誕生しました。イスラエルはアメリカ、イギリスという第二次世界大戦後の世界の指導国となった国連常任理事国の二ヵ国の後ろ盾があって今日に至っています。


ユダヤ民族が追放された二千年の間に、ユダヤの地には様々な民族が流れ着いては定住し、また離れては新しい民族が流れ込んでは定住するという事が繰り返されてきました。そしてヨーロッパがこの地を植民地として侵略する以前までは、様々な民族が、様々な出自を持つ人々が、様々な宗教を抱く人々が、穏やかに共に暮らしていたといいます。そこには現在のパレスチナ民族もユダヤ民族も、その他のイスラム教信徒も、キリスト教信徒も、もしかしたら土着の宗教の信徒もいたことだと思います。

もしかしたら、その時代こそが、イエスが望んでいた社会であったのではないかと想像します。


今、その地は、軍事力と経済力を持つイスラエルが、パレスチナ民族の自治区に攻め入り、パレスチナの抵抗できない人々、病人、老人、女性、子供、妊婦、新生児、障害者を、テロリストと一色単にして、象が蟻の集団を踏み潰すように殺しています。イスラエルが本格的な戦闘を開始して一ヶ月あまりで二万人のパレスチナ人が殺されました。この中の八千人は子供です。この殺戮行為は、イスラエルが止めない限り、続きます。この惨劇を、アメリカをはじめヨーロッパが黙認している限り終わる事はありません。


マタイによる福音書の二章に、ヘロデ王の幼児虐殺のエピソードが記されています。

ユダヤの真の王がベツレヘムで誕生するという預言を占星術師から伝えられたヘロデ王が、ベツレヘムとその周辺で生まれた二歳以下の幼児を皆殺しにしたというエピソードです。ヨセフとマリアは主が使わされた使いの警告に従い、幼子イエスの命を守りました。

子供は私たち人類の未来の希望であり、救世主となりえる存在です。子供たちを、その親を殺す事は、二千年前の悪夢を再び甦られる事に繋がりかねません。


この戦争、そしてロシアによるウクライナ侵略戦争も同様です。その他、あらゆる戦争、殺戮行為も同様です。子供や女性、か弱き人を虐待し、蹂躙し、いじめという暴力も同様です。欺す、偽る事も同様です。誹謗中傷も同様です。

即時、中止にしなければなりません。

そうしなければ、きっと主の天罰が、ロシアに、イスラエルに、そして私たち人類に下されるかもしれません。

そうならないためにも、クリスマスに、私たちは誓わねばなりません。