日本は、第二次世界大戦後にアメリカの指導の下、民主主義国家に生まれ変わった。と、子供の頃に学校で学び、つい最近までそれを信じて疑いませんでした。
国制における民主主義とは、公民権を持つ国民は誰でも選挙に立ち、国の政治に携わる事が出来る、という制度で、選ばれた議員の議席の重みは、年齢や議員年数に関係なく、平等であるという事、そして議員は国民の今、そして未来の幸福実現のために、公僕として働くことを使命とする、という事をです。
公僕とは、公衆に奉仕する者のことであり、「公」の字は、「社会一般や民衆全般に関わること」を意味し、公平や反利己などの倫理的・原理的な意味を現す漢字です。
それが今では、議員の云えば金にまつわる醜聞ばかりです。私たち国民は、当の議員によって、そしてマスコミによって、議員活動には金が掛かる、選挙には金が掛かる、政治活動には金が掛かるとすり込まれ、金が掛かるのはやむを得ない事と納得させられ続けてきました。しかし、それがそもそも偽りであったのだと思います。
まず選挙には金が掛かるという話ですが、衆議院や参議院の国制選挙を行う場合、選挙運営費だけで毎回500億円を優に超えると云われます。その費用の半分は人件費だと云われます。そして立候補者は、数千万を掛けて戦うのだと云われます。参議院選挙の場合は6000万円を超えるとも云われます。その内訳の中に供託金というものがあります。売名行為や泡沫候補を排除するために、一定数の票を獲得できなければ国に没収される金です。小選挙区への立候補ならば300万円、比例区の名簿単独登載者なら600万円、比例で小選挙区重複立候補ならば300万円(合計で600万円)という具合です。
でも、供託金でこんなにぼったくられるのは日本だけです。
OECD加盟国38カ国のうち、供託金鮮度が確認されるのは13カ国だと云われます。その内の
イギリスの供託金は、500ポンド≒9万円
韓国、比例区は、500万ウォン≒55万円
そして、フランスとカナダは、廃止されています。
自分が描く政治をやりたいと衆議院議員に立候補し、初当選しても、解散権が政争に使われ、首相の一存でいつ解散させられるか分からず腰を据えて議員活動、政治活動に身を入れることが出来ません。それで4年の任期を待たずに早々に解散されて、再び選挙となれば、再び高額な選挙費用が必要となり、次も議員でいたければ、少なくとも今の議員の身分で次の選挙資金を作らねばなりません。こうなれば、選挙で当選する事は、次の選挙に勝つ為に資金作りをする事という、本末転倒の有り様を呈してきます。
そして派閥政治の横行は、派閥の領袖に取り入れば、潤沢な裏金が与えられ、比例区名簿の先頭に名前が載れば、一銭の銭を使わなくても誰でも議員になれてしまう。
それが今の、日本政治の有り様です。
船中八策ではないですが、私が願う政治改革はこうです。
一、衆議院の解散を認めず、一期4年を全うする。
一、議員の歳費を、特別公務員給与と改め、すべて議員所得とする。
一、議員活動費は、別途公費として支給する。費用にはすべて確証を必要とする。不使用の活動費は期末に返納する。
一、年度末、任期末に、議員毎に一冊の活動報告書と会計報告書の提出を義務付ける。これらはすべて国民の誰もが閲覧できる事とする。
一、議員秘書は、議院に実務ができる人員を配置し、当選時に議員に配置する。秘書は、議員活動を補佐する者であり、特別公務員として対等の立場とする。
一、選挙の被選挙権は18歳以上に与え、供託金制度を廃止して、誰もが自分の意志を持って選挙に立候補できる。
一、議員の不正は、重く処断される。
一、議員は憲法の遵守を誓う。
議員は、仕事を持つ人が休職して、立てる程度に敷居を低くしなければならないと思います。気づいた人、志を持った人、やる気のある人が、一期4年議員活動を行う様にするのです。議員同士のもたれ合いなれ合いなどくそ食らえです。
金に色はありません。ですから、入りは所得か経費か最初から分けておく。議員報酬を明確にしておくのです。そして出も明確にする。
これを嫌がる人は、議員にならなければいいのです。