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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年12月31日土曜日

ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』 その1


書名: 『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』
THE SHOCK DOCTRINE  THE RISE OF DISASTER CAPITALISM
著者: NAOMIM KLEIN
訳者: 幾島幸子・村上由見子
出版社:岩波書店

Copyright ©2007 by Nomi Klein
First published 2007 by Metropolitan Books,
This Japanese edition published 2011 by Iwanami Shoten,Publishers,Tokyo
by arrangement with Naomi Klein
2011年9月8日第1刷発行

ショック・ドクトリンとは、
「惨事便乗型資本主義 = 大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革」
を示す用語であり、2007年にカナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインさんがその実態を告発した書の名であります。

始めに二つの研究があった。

一つは経済政策における
シカゴ大学経済学者ミルトン・フリードマンが提唱した『純粋な自由放任主義』である。それは、あらゆる規制や保護、たとえば『社会保障制度』『公的医療制度』『社会福祉』『労働者保護制度』など取っ払って、すべてを市場に委ねるという『完璧な市場原理主義』の研究であった。
1940年代のアメリカは、大恐慌そして大戦によって疲弊した大多数の『労働者階級』の国民が、共産主義化また社会主義化することを防ぐために、建国のテーゼというべき自由主義から一転、富の再分配と社会保障を経済施策として実施した。
またアメリカ国外では、南米、アフリカ、中東、アジア地域から植民地解放によって新しい国が次々に誕生し、それらの国々では、それまでの自然資源の輸出依存から国内指向型の産業振興・育成への転換(開発主義)、そして国内産業保護施策が図られた。
広大なフロンティアを前にして、規制や保護という障壁のために富を自由に支配できない企業家や資本家達は、そして自分たちの『ユートピア』を目論む『純粋な自由放任主義』の研究に近づき投資した。
しかし、急進的な学者でさえも研究の限界を感じていた。
『まったくの《白紙状態》の上に自分たちの望むとおりの経済政策の枠組みを丸ごと、完全な形で実現するという贅沢を手にすることはできない。』

そしてもう一つ、それはおぞましい研究であった。
1950年代にカナダ、マギル大学附属アラン記念研究所の精神科医ユーイン・キャメロンが行った『洗脳』の人体実験である。表向きは、病的な精神を破壊して、健全な精神を再構築するというものであった。
キャメロンはCIAからの潤沢な援助を受けた。そして精神疾患で訪れた患者を人体実験に使用し、そして研究を続けた。
キャメロンの『洗脳』、その第1段階は『脳の白紙状態化』である。
人は、学習や経験によって脳に知識や人格(思考・行動様式(パターニング))が形成される。その人格を極限的なショック、ストレスを与え続ける事によって破壊(脱行動様式(デパターニング))し、退行させることによって、『脳を白紙状態化』するのである。
そして『白紙状態化』が十分に達成された段階で『精神誘導』、自分たちに都合の良い偽りの行動様式を擦り込んでいくのである。
この研究の成果は、CIAに大きな恩恵をもたらした。それは身柄を拘束した者から情報を引き出す、或いは従順な道具にするための『拷問』手法の確立である。この『拷問』手法はマニュアル化され、現在、世界のあらゆる強制収容施設で実践されているという。
そして表向きの洗脳については、被験者のその後の経過から、『精神誘導』は全く効果がないと結論づけられた。そして身体的・精神的不調を与えられた生存者は今も苦しみながら生きているという。

そして二つの研究成果が結実した時、『ショック・ドクトリン』が誕生した。
アメリカ政府とグローバル企業は、戦争、津波やハリケーンなどの自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人びとがショックと茫然自失から目覚める前に、およそ不可能と思われた過激な経済改革を強行した。

ミルトン・フリードマンはその著書『資本主義と自由』の中で、世界の自由市場経済の基本ルールを示している。
--------
第一に、各国政府は利益の蓄積にとって障害となる規則や規制をすべて撤廃しなければならない。(規制緩和)
第二に、政府が所有する資産で企業が利益を上げられるものはすべて民間に売却しなければらない。(民営化)
第三に、公的プログラムにあてはまる予算は大幅に削減しなければならない。(社会支出削減)
さらには具体的な提言として
①税金は低く抑え、収入に関わりなく均一に課税する
②企業は世界のどこでも自社製品を販売する自由が与えられるべきであり、政府は自国の産業や所有権を保護しようとしてはならない
③労働力を含め、すべての価格は市場の決定に委ねるべきであり、最低賃金は定めてはならない
④医療、郵政、教育、年金さらには国立公園までも民営化すべき
を挙げている
----------以上、本書 上巻、第1部第2章78頁から引用


ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』日本語訳本は、今年9月に刊行されました。『THE SHOCK DOCTRINE   The Rise of Disaster Capitalism』が刊行されて4年が経過しています。
私は、この大書の上巻を12月26日、加古川市立図書館で借り受けました。そして漸く第一部まで読み終えました。
序章:ブランク・イズ・ビューティフル -30年にわたる消去作業と世界の改変-
第一部 ふたりのショック博士 -研究と開発
第1章:ショック博士の拷問実験室
      -ユーイン・キャメロン、CIA、そして人間の心を消去し、作り替えるための
       狂気じみた探究-
第2章:もう一人のショック博士
      -ミルトン・フリーマンと自由放任実験室の探究-

世界のこの10年を振り返ってみて、もっとも強い印象を残したものは、
2001.9.11に端を発したアメリカ主導によるイラク戦争、そしてアフガニスタン侵攻、いわゆる『テロとの戦い』『(米国主導の)正義の戦い』です。
そしてアメリカがこのテロとの戦いに費やしたコストの総計は10年で3兆2280億ドル。(ニューズウィーク9.11号)
この数字は翻って見れば、アメリカの一部のグローバル企業(軍需企業、軍関連の維持・管理企業、軍の生活全般をカバーする様々な企業)に大いなる潤いを与えたと読むこともできます。

そして、日本もその渦中にあるFTA(米国主導の自由貿易協定)。アメリカが突き上げる要求は、まさにミルトン・フリードマンが提唱した『世界の自由市場経済の基本ルール』そのものです。
アメリカを突き動かすグローバル企業や資本が、もはや広大なフロンティアでなくなった、地上の有限なる市場に『自由』という統一ルールを敷いて、その寡占をもくろんでいる、と考察することができます。

日本は今年、『大震災』と『原発事故』を経験しました。さらには日本企業の凋落と、そして社会倫理の瓦解を目の辺りにしています。そして私たち国民全体が『ショック』と『虚脱』から抜け出さずぬ間に、政権与党である民主党と野田政権は、国民をないがしろにした施策、大企業や資本家優遇施策を矢継ぎ早に断行しようとしています。

私たちは、現在の世界経済の本流であるグローバル化に乗り遅れてはいけない。しかし、為す術なく流されてはいけないし、溺れることがあってはなりません。
と同時に、私たちはこの国土の上で学び、働き、糧を得て生きています。その生活は第一に守り続けなければならない、そう思います。

また、様々な『ショック』が私たちを襲ったとしても、私たちはアイデンティティを、学び得た主義・主張を、そして良心を放棄してはならない、と思います。


『わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、ご承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません』
(旧約聖書 ダニエル書3章17~18節)
現実は必ずしも自分の望んだようにはいかない。けれども、たとえ"そうでなくとも"神を信じて歩む。ままならない結果、悩みや悲しみの中に隠されている神様の心を探りながら歩む。それが、「良い木」として生きることではないでしょうか。と聖書は語りかけてくれます。

この『神』の部分を、『自分の良心』と読み替えれば、より心にすーっと染み込むと思います。

2011年12月26日月曜日

サンタが家にやって来た ♪


『さぁ あなたからメリークリスマス 私からメリークリスマス
サンタクロース イズ カミング トゥー タウン』

仕事から帰り、夕食を摂ってコタツで寝転んでいると、『ピンポン』と玄関のチャイムが鳴りました。妻と耕太郎が出て、玄関を開けますと、ワーという歓声と『耕太郎!』という若い呼び声が聞こえます。
私も玄関に顔を出し、玄関の外を見ますと、サンタの格好をした幾人かの少年の姿が見えました。
誰がいるのかよく見ようと眼鏡を外すと
誰かの声が『おっちゃん、眼鏡外した』と叫びます。
おっちゃんの眼鏡は読書用で、ちょっと離れるともう見えないのです、よく言う老眼なのです。それで眼鏡を外したわけです。ですが、外は暗くてやっぱり一人ひとりを特定することはできませんでした。

耕太郎はいそいそと外着に着替えて外に出、集団に加わって、『次は雄大っちや』と行ってしまいました。

暫くして耕太郎が帰ってきました。
あの集団は?と尋ねると
野村君が言い出しっぺで、昨日今日と3年生の仲間の家を次々に訪ね歩いているとのこと。阿弥陀は制覇し、今日は北浜を巡っているとのことでした。
まるでハロウィンの楽しみのようです。仮装して、家々を訪ね歩いて。。。
でも彼らはお菓子をねだるわけではなく、ただ寒空の下で、温かい笑顔を届けてくれたのです。

彼らのこころねは、本物のサンタクロースですね。
笑顔になれる贈り物、有り難うございます。