播磨の国ブログ検索

不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2025年5月25日日曜日

キリスト教の素朴な疑問

キリスト教の素朴な疑問の一つが、何故に世界宗教へと歩み出したのか、という事です。そこで、あらためて『ヨハネの福音書』から聖書を読み進め、疑問の答えを探すことにしました。

ナザレのイエスは、安息日であっても救いを求めて訪ねてくるユダヤ社会で救われぬ人々を神の業で癒やし、また彼らに福音を宣べ伝えていきました。ユダヤ人社会の権威主義者や厳格な戒律主義者は、このイエスの行為が到底承服できず、恐れ憎しみ、遂には罪を着せローマの総督に訴えて死罪に処すか、或いは暗殺を企てるようになりました。

イエスは前者の策謀により十字架の磔刑に処せられますが、三日目に復活され、イエスが選ばれた使徒の前に現れ、そして使徒たちに精霊のバプテスマを授け、福音を宣べ伝える使命を与えます。また使徒の他に、イエスや使徒を迫害する者の尖兵であったギリシャ語の堪能なサウロ(ギリシャ語ではパウロ)を聖別し、ローマが支配する全域に福音を宣べ伝える使命を与えます。『使徒の働き』は、イエスから福音を宣べ伝える使命を与えられた使徒、そしてパウロの働きの行動記録が記されていました。彼らの艱難は、異邦人からではなく、常に彼らを憎み殺害も辞さないユダヤ人からもたらされたものでした。


使徒の働き10章34

そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりとわかりました。神は偏ったことをなさらず、どの国の人であっても、神を畏れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。」


使徒の働き13章46-47

そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神の言葉は、まずあなた方に語られなければならなかったのです。しかし、あなた方はそれを拒んで、自分自身を永遠の命にふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これから異邦人の方へ向かいます。

なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」


使徒の働き28章26-28

『この民のところに行って、告げよ。あなた方は確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見て入るが、決して分からない。

この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、私に癒やされることの無いからである。』

ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。


ローマ人への手紙1章29-32

彼らは、あらゆる不義と悪と貪りと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、

そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事を企む者、親に逆らう者、

わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。

彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけで無く、それを行う者に心から同意しているのです。


使徒たちやパウロなどイエスから使命を受けた人たちは、常に彼らを迫害するユダヤ人から命を狙われる危険を背にしながら、精霊の見守りによって命が尽きるまで使命を果たしました。それが、イエスの福音が世界に宣べ伝えられ、現在の世界宗教キリスト教の礎となったのだと理解しました。

また、使徒の艱難の記録から、人種でもなく宗教でもなく、権威や自らの主義に固執する者、また欲に支配される者が、この人間世界を危機に陥れる元凶であること、現在にも通じる元凶であることを理解しました。 

0 件のコメント:

コメントを投稿