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「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」

8時15分、町に鳴り響いたサイレンを合図に、広島で原爆によって殺された被害者に黙祷を捧げました。 74年前の1945年(昭和20年)8月6日、広島市は快晴でした。 1944年(昭和19年)の秋からアメリカ軍による日本の都市部への無差別絨毯爆撃が始まりました。広島市上空にも何...

2020年10月22日木曜日

これはリンゴである

 "This is an apple.

Some people might try to tell you that it's a banana.

They might scream "Banana, banana, banana" over and over and over again.

They might put BANANA in all caps.

You might even start to believe that this is a banana.

But it's not.

This is an apple."

これはリンゴである。

あなたは誰かにこれはバナナだと言われるかもしれない。

彼らは「バナナ、バナナ、バナナ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「バナナ」と強調するかもしれない。

あなたまで、これはバナナなのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これはリンゴである。


「真実の終わり」

原題:The Death of Truth: Notes on Falsehood in the Age of Trump

著者 Michiko Kakutani

訳 岡崎玲子

の第一章「理性の衰退と没落」の扉に掲載されていた

リンゴの写真を示すCNNコマーシャルメッセージを膨らませました。




「これはリンゴである」


これはリンゴである。

あなたは誰かにこれはバナナだと言われるかもしれない。

彼らは「バナナ、バナナ、バナナ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「バナナ」と強調するかもしれない。

あなたまで、これはバナナなのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これはリンゴである。


これは私たちの友達である。

あなたは誰かにこれは私たちの敵だと言われるかもしれない。

彼らは「敵だ、敵だ、敵だ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「敵だ!」と強調するかもしれない。

あなたまで、これは私たちの敵なのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これは私たちの友達である。


これは分かち合いである。

あなたは誰かにこれは略奪だと言われるかもしれない。

彼らは「略奪だ、略奪だ、略奪だ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「略奪だ!」と強調するかもしれない。

あなたまで、これは略奪なのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これは分かち合いである。


これが真実である。

あなたは誰かにこれは嘘だと言われるかもしれない。

彼らは「嘘だ、嘘だ、嘘だ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「嘘だ!」と強調するかもしれない。

あなたまで、これは嘘なのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これが真実である。