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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2020年10月22日木曜日

これはリンゴである

 "This is an apple.

Some people might try to tell you that it's a banana.

They might scream "Banana, banana, banana" over and over and over again.

They might put BANANA in all caps.

You might even start to believe that this is a banana.

But it's not.

This is an apple."

これはリンゴである。

あなたは誰かにこれはバナナだと言われるかもしれない。

彼らは「バナナ、バナナ、バナナ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「バナナ」と強調するかもしれない。

あなたまで、これはバナナなのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これはリンゴである。


「真実の終わり」

原題:The Death of Truth: Notes on Falsehood in the Age of Trump

著者 Michiko Kakutani

訳 岡崎玲子

の第一章「理性の衰退と没落」の扉に掲載されていた

リンゴの写真を示すCNNコマーシャルメッセージを膨らませました。




「これはリンゴである」


これはリンゴである。

あなたは誰かにこれはバナナだと言われるかもしれない。

彼らは「バナナ、バナナ、バナナ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「バナナ」と強調するかもしれない。

あなたまで、これはバナナなのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これはリンゴである。


これは私たちの友達である。

あなたは誰かにこれは私たちの敵だと言われるかもしれない。

彼らは「敵だ、敵だ、敵だ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「敵だ!」と強調するかもしれない。

あなたまで、これは私たちの敵なのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これは私たちの友達である。


これは分かち合いである。

あなたは誰かにこれは略奪だと言われるかもしれない。

彼らは「略奪だ、略奪だ、略奪だ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「略奪だ!」と強調するかもしれない。

あなたまで、これは略奪なのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これは分かち合いである。


これが真実である。

あなたは誰かにこれは嘘だと言われるかもしれない。

彼らは「嘘だ、嘘だ、嘘だ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「嘘だ!」と強調するかもしれない。

あなたまで、これは嘘なのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これが真実である。