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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2013年3月9日土曜日

梅にうぐいす、春の風流を楽しみました。


今日は、加西の図書館で絵本の朗読をしてきました。
観客は、幼い兄妹ともう少し大きい女の子の三人でした。
 ずーっとずっと大好きだよ
 おひさまがいっぱい
 おふろだいすき
の三冊を、あぐらをかいて朗読しました。

行きの長歩きは、疲れました。
WBC寝不足と、そして久々の花粉症アレルギーもあって、思いの外しんどかったです。右足裏にまめができました。

12時前に北条、アスティアに到着し、希望軒でとんこつらーめんチャーシュー大盛とチャーハン大盛を食べました。見かけよりもあっさりとして、とても美味しかったです。この希望軒、面白い店でした。店内はレトロな居酒屋風で、大村崑のオロナミンCと由美かおるのアース渦巻きの看板が飾っています。壁掛け度計は時が止まっていました。店内に流れる音楽は1970年代の流行歌です。伊藤咲子のひまわり娘、チェリッシュのてんとう虫のサンバ、上条恒彦の誰かが風の中で、そして南佐織の歌声もありました。
すっかりリラックスできました。

帰りは北条鉄道に乗り、粟生でJRに乗り換えて、曽根駅まで帰ってきました。
松陽の練習試合を観戦に出かけていた妻に駅まで迎えにきてもらい、帰りに曽根天満宮で梅を観賞しました。
気温がぐっとあがって、梅は満開状態でした。天満宮の梅園には多種の梅が植えられていて、天に昇る枝に花をつける種もあれば、たおやかに垂れる枝に花をつける種もありました。そして白色、朱色、桃色の可憐な花が咲き誇っていました。それぞれの花の香りを匂いました。甘い乳液の香りもあれば、爽やかな酸っぱさが薫る花もありました。私は特に、八重の梅の香りが気に入りました。
梅園には特別ゲストがいました。うぐいすです。鳴き声を聴かせてはくれませんでしたが、気忙しく花の蜜をついばむ姿を、楽しませてくれました。

寝不足です・・・


おはようございます。
今日は、だいぶ寝不足です。でも、WBCジャパン、勝ってよかったですね。
さあ、今から加西行です。朗読と梅見物にいっていきます。
(今回、朗読の練習、ほとんどしていません、どうなるか心配です)

2013年3月6日水曜日

高校野球が始まります。


3月30日(土)から開催される、平成25年度春季兵庫県高校野球大会の播淡地区トーナメントの組み合わせが発表されました。
今回、東播東、東播西、北播、淡路の4支部37校が、播淡地区トーナメントを戦います。
播淡地区トーナメントは4つのブロックに分けられ、各ブロックの上位2チーム、計8チームが県大会へと進み、県大会では16強のチームに、夏の兵庫県大会シード権が与えられます。

松陽高校は、
3月30日(土)10:00~1回戦 東播工業(明石球場)
4月2日(火)14:00~2回戦 加古川北(明石球場)
4月4日(木)10:00~3回戦 高砂vs.明石北の勝者(高砂球場)
4月6日(土)10:00~Cブロック代表戦(黒田庄ふれあいスタジアム)
を戦います。
毎試合、強豪校と対戦です。毎試合、一戦必勝の心意気で、チーム一朶となって戦い抜いてくれることを楽しみにしています。

昼、北脇で火事がありました。


昼、北脇で火事がありました。
丁度、母に作ってもらったおじやを食べているところでした。

町に、けたたましく火災を知らせるサイレンが何度も響き渡りました。
あれ、近いなぁ、と思っていたところに電話のベルがなり、受話器をとると妻でした。
後で話を聞くと、北浜小学校のすぐ北で火事が出ていると言われ、心配になって電話を掛けてきたのです。携帯に電話をしても繋がらず、固定電話にかけたところ、ぐずった声で私が出ました。電話の向こうで、何やら会話をしています。大丈夫みたいって、何のことか分かりませんでした。

外に出ると、友だちの家の方角で煙がたちこめていました。
心配になって、側まで出かけてみると、おっちゃんとおばちゃんが、火事が出た家を心配そうに見ていました。友だちの家は無事でした。とりあえず安心し、自宅に戻りました。
2時過ぎには、消防団がホースを干しているのが見えました。すぐに鎮火した様子です。

火事は怖いです。

「ケインズかハイエクか -資本主義を動かした世紀の対決-」読後感想


2月のはじめ、新聞の書評で紹介のあった本、
「ケインズかハイエクか -資本主義を動かした世紀の対決-」
2011年ニコラス・ワプショット著作
2012年11月久保恵美子訳本
を買い求め、ひと月がかりで読みました。

ケインズとハイエクの、ふたりの経済思想がふんだんにちりばめられていて、その箇所では立ち止まったり読み飛ばしたりと、なかなか前進するのが至難でしたが、でもビックネームの人間味溢れるエピソードで綴られる100年の資本主義経済史は、とてもスリリングでありました。

序文の書き出しが秀逸です。この書き出しによって、私は物語に引き込まれました。
---序文から引用---
 それはおそらく、二十世紀の経済思想界における二人の巨人が延々と繰り広げた戦いのなかでは、もっとも異色の出来事だっただろう。第二次世界大戦のさなか、ジョン・メイナード・ケインズとフリードリヒ・ハイエクは、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジ・チャペルの屋根の上で、ひと晩中二人だけですごしたのだ。彼らの任務はじっと空をにらんで、英国の風光明媚な小都市に焼夷弾の雨を降らそうとする、ドイツの爆撃機を警戒することだった。
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巧い書き出しです。文献でしか知らなかった二人の思想家が、経済論を闘わすのでなく、大屋根に登って、空からの敵の来襲を見張っているのです。一見牧歌的な風景を想像しますが、実は命がけです。第二次大戦では、イギリスの都市はドイツの爆撃機によって猛火に見舞われます。二人は、学問の府を守るために協力したのです。このエピソードは、その後の二人の、二つの思想の激しい対決がかなり複雑なものであることを暗示していました。

ケインズは、20世紀初頭すでに英国の若き賢人であり、経済学者、思想家、そして実務家として活躍します。またケインズは上流階級の子弟で、社交家であり、雄弁家であり、カリスマ性を備えていました。
第一次世界大戦の終結において、勝者である英国、フランス、アメリカの指導者は、敗戦国ドイツ、オーストリアに対して過酷な賠償金を突きつけます。ケインズはこれをみて『平和の経済的帰結』を著し、「過酷な賠償金は政治不安や過激派による政治につながり、これによってふたたび世界戦争が引き起こされるおそれがある」と警告します。それはドイツにおけるナチスの台頭、イタリアにおけるファシストの台頭として現実となります。
世界大恐慌の時代、新しい経済理論であるマクロ経済論を『一般理論』して著し、経済モデルのトップに総生産という概念を据えて、トップダウンで経済因子をコントロールすることによって景気循環の後退期に刺激を与え、総生産を維持・拡大させることを提唱します。それは、政府が借入によって公共事業に投資し、雇用を増やして購買力を立て直し、また減税によって追加的な購買力を生みだします。この購買力が新たな需要を生み、需要が供給を促し、供給が新たな雇用を生み出す。この乗数効果によって総収入が延び、経済を拡大できるというものです。
このケインズ主義は、ルーズベルトの時代にニューディール政策としてアメリカ経済を立て直し、ケネディ、ジョンソンの時代には、アメリカを無双の繁栄に導きます。
しかしニクソンの時代に、第四次中東戦争が勃発し、イスラエルを支援したアメリカは中東産油国から制裁を受けて原油価格が跳ね上がり、経済は停滞し、かつインフレーションが起こります。経済停滞はデフレーションを招き、経済拡大はインフレーションを招くとしたケインズ主義は、このスタグフレーション(経済活動が停滞しているにもかかわらず、インフレーションが進む現象)によって失墜します。

ハイエクは、オーストリアで医師の子として生まれます。10代の半ば、第一次大戦に従軍し、敗戦後は非情なインフレーションを経験します。その後、大学で自由主義経済論に出会い、その啓蒙学者としての道を歩みます。ハイエクの提唱する経済論は、ケインズのマクロ経済論に対して後年ミクロ経済論と呼ばれるもので、景気循環は自然循環であり、政府の介入により修正できるものではなく、ひとつひとつの経済因子の動向を調べる事によって経済状況を読み解かなければならないとするもので、また、経済の活性は需要ではなく、企業の自由競争と企業努力が理想的な供給を形作り、それが需要を促すと唱えます。
ケインズの『一般理論』に遅れて、政府の規制や管理、監視は、新たなナチズムやファシズムを招くと警告する『隷従への道』を著します。しかし、世界大恐慌に手をこまねくことにより、共産主義や社会主義が台頭することを恐れた自由民主主義国家の指導者は、ケインズ主義を受け入れ、ハイエクを退けます。

ハイエクは、スタグフレーションによりケインズ主義が失墜したことによって、再び、脚光を浴びることになります。ハイエクには優れた後継者ミルトン・フリードマンがいました。フリードマンは、貨幣量の抑制や金利の引き締めによってインフレーションは抑制できるとし、また規制緩和によって自由経済市場を活性することにより経済を拡大できると唱えます。
そして1980年代、フリードマンを指南者とし、イギリスではマーガレット・サッチャーが、アメリカではロナルド・レーガンが『今でなければ、いつやるのか。われわれでなければ、誰がやるのか』と声明し、インフレーションの抑制と自由経済市場の拡大を断行します。
このインフレーションの抑制や民営化、規制緩和による自由経済市場の拡大によって企業は大成長を遂げることになります。しかし、民営化、また自由競争によって失業者は増大します。

そして、1990年以降、自由民主主義国家の指導者は、経済の膨張と政権の安定を両立するために、金融政策と野放図な財政支出(赤字財政)を続けます。

ケインズにとってハイエクは、ケインズの理論を思想を哲学を、精査し吟味し批判してくれる、大切な試金石であったと思います。
また、ハイエクにとってケインズは、『彼は、たとえ経済学について何も著さなかったとしても、彼を知るすべての人々にとって偉大な人物として記憶されただろう』の言葉が示すように、偉大な人物、けっして越えられなかった人物であったのだと思います。
二人が同じ時代に生きて、論争を闘わしたことによって、経済論は、そして実体経済は飛躍したのだと思います。

政府介入から考えられる結果として、独裁主義や全体主義の台頭を悲観するハイエクに対して、ケインズは最後の手紙で、『介入が独裁につなががるかどうかは、その国が強い公平の意識によって支えられているかどうかによる』と主張しています。
またフリードマンも、「概して腐敗に縁のない公務員」と「法律を遵守する市民」が必要と述べています。

昨年12月に政権を奪回した自民党、そして総理大臣に返り咲いた安倍晋三は、ひ弱さを払拭し、強いリーダーシップでさまざまな国難に立ち向かおうとしています。その姿勢はとても評価できます。
しかし、アベノミクスと呼ばれる、大胆な金融政策、機動的な財政出動、民間の投資を引き出す成長戦略の三本の矢の経済政策は、まるでレーガノミックスの焼き直しです。
大切なことは、痛みがそして恩恵が、すべての国民に平等に行き渡ることだと思います。そして道徳に沿って政治が、また経営がなされることだと思います。
それを実践することが、ケインズがハイエクが望んだ世界なのだと思います。

2013年3月5日火曜日

増位山梅林に出かけました。


今日は、増位山梅林を目指して歩きました。
昨日夜、梅の名所を調べていますと、増位山山頂に梅林があることを発見しました。播磨の地に住んでいて、一度も増位山に登ったことがない。それじゃあと增位山を歩こうと決めました。

今朝、6時過ぎ自宅を出発。7時前美しい朝日を拝みました。

二号線を西に歩き、市川を超えてからJR京口駅を目指します。京口駅から播但線の側道を北に進み、砥堀駅前についたのが8時半でした。

そして近畿自然道に入り、そうめん滝の水音を聞きながら山を登っていきました。

そうめん滝、面白い名前です。小さな渓流ですが、昔、姫路城の殿様がこの渓流でそうめん流しをしたことからこの名前がついたと云われます。ところどころに急流があって、心地よい水音がいつまでも続きます。水はとても澄んでいました。


增位山山頂、随願寺へ続く山道に入りました。增位山北面を登る小道は、鬱蒼とした森の中に続く、落ち葉と苔が敷き詰められたしっとりとした小道でした。








山頂でりっぱな墓所に出くわしました。姫路城主榊原政邦と夫人の墓所と書かれています。

墓所から続く石造りの階段を下りますと、增位山梅林公園に出ました。
空に伸びる枝には、ピンク色に染まる小さな蕾が無数にあります。ちらほら花が咲いていました。一つの花に、鼻をつけて香りを嗅ぎますと、ほのかな甘酸っぱい梅の香りが広がります。いやぁなんとも良い香りでした。

随願寺を拝観しました。随願寺は奈良時代に建立されたとても古い寺院です。

随願寺から、嶺伝いに広峰神社を目指します。この小道はとてもなだからでした。



広峰神社から、播磨平野が一望できました。この広峰神社は、戦国時代後期、黒田孝高(通称、黒田官兵衛)の祖父黒田重隆が神官をしていたといい、黒田家とはとても縁の深い神社だそうです。


広峰山から地上へは、ドライブウェイを下りました。曲がりくねった舗装道路を下るのは、とても足腰に堪えました。白国に下り、自衛隊駐屯所、競馬場の側を通って姫路駅を目指します。そして13時、姫路駅前に到着しました。約7時間歩きづめでしたが、マメはできず、でも、太股がずきずきしています。それに、広峰神社の休憩所で、上着を一枚脱いだことから、少し寒気を感じます。

そして今日の締め、61回目の献血に通ってから、帰りは山電に乗って自宅に戻りました。
でもその後が悪かった、体を休めるまもなく、用事で外出し、あらためて家に戻ったときには、疲れから、鼻水はとまらず、腹も下ってしまいました。
今、鼻をズルズルいわし、必要にトイレに通っています。ああしんど~、です。