今週号ニューズウィーク誌に
『ソニーと日本人』という特集記事がありました。
1980年代から90年代にかけて、ソニーはみんながワクワクする商品を生み出しました。
ウォークマンによって、音楽が外に持ち出せるようになり
トリニトロンによって、最高に美しいカラー映像を身近で楽しめるようになりました。
そしてPlayStation、驚異の映像で繰り広げられる物語(ゲーム)が楽しめるようになったのです。
そんなソニーも近年、不振にあえいでいます。
盛田昭夫と井深大が率いたソニーは、まさに創造発信企業でした。
世界中の消費者が、新しい創造にワクワクし、買い、そしてブームが起こりました。
ですが、いつのまにか高性能、多機能という大河の競争に飲み込まれ、そして記者曰く
普通の大企業
になってしまいました。
ソニーから創造発信の称号を奪い取ったのはAppleです。
90年代後半に、もはや消滅してしまうかと思えたAppleに再び伝説の指導者ジョブスが戻ってきて
iMacにより、コンピュータはビビッドなライフスタイルの一員となりました。
iPadにより、私たちは膨大な音楽を携帯できるようになり
そしてiPhoneにより、世界中のマルチメディアがいつでもどこでも手中にできるようになったのです。
iPadによって、これまで私たちが創造してきた文具、書物、そしてあらゆるデバイスがこれ一つで足りることになりました。
Appleは、この10年でドラスティックなブームを何度も起こしてきたのです。
ソニーの社員がいいます。
ソニーには膨大なアイデアがあるといいます。
ですが、それはブームを呼び起こし、売れなければ、無価値です。
そして記者は書きます。
いまのソニーは前例主義に陥っている
安全な道を思案ばかりして、取り残されてしまった、と書きます。
IT企業の巨人IBMは、2000年の初めにパーソナルコンピュータ事業を中国企業レノボに売り渡しました。そしてIBMが持つ最高の頭脳集団をもって、さまざまな分野でのソリューションビジネスに特化したのです。
AppleやIBMが行ってきたことは、自己変革です。成長するために、身についた贅肉をそぎ落とし、常にフットワークを軽くして、一点に満身で取り組むという行動です。
野心的であり、冒険的です。それが、新しい発想を生む起爆となっているように感じます。
このような行動には、野心的でかつ人間味のある指導者が必要です。それは過去の歴史が証明しています。
ソニーだけでなく、今の日本企業、いや日本自体が、聡明で力強い指導者を求めています。
ただ、この様な不安定な時代には、往々にして権力欲に特化した暴君が生まれやすいことも歴史が証明しています。
5月17日のブログ記事
『日本製造メーカーへの提言~不振打開の鍵、あります~』
でも書いたことですが、
日本の物作り精神の根本は、『安心』だと思うのです。長くいつまでも便利に使える、さらに言えば、修理して、手直しして、使える。
面白い、楽しいブームは一攫千金を生みだしますが、長続きはしません。そして次を生み出さなければという恐怖感に苛まれもします。
私たちが本当に欲しているもの、それは『安心』だと思います。
その目的に合致した、その発想で創造される商品の出現に期待します。