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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年5月26日土曜日

かつて創造発信企業であった『ソニー』の話


今週号ニューズウィーク誌に
『ソニーと日本人』という特集記事がありました。

1980年代から90年代にかけて、ソニーはみんながワクワクする商品を生み出しました。
ウォークマンによって、音楽が外に持ち出せるようになり
トリニトロンによって、最高に美しいカラー映像を身近で楽しめるようになりました。
そしてPlayStation、驚異の映像で繰り広げられる物語(ゲーム)が楽しめるようになったのです。

そんなソニーも近年、不振にあえいでいます。

盛田昭夫と井深大が率いたソニーは、まさに創造発信企業でした。
世界中の消費者が、新しい創造にワクワクし、買い、そしてブームが起こりました。
ですが、いつのまにか高性能、多機能という大河の競争に飲み込まれ、そして記者曰く
普通の大企業
になってしまいました。

ソニーから創造発信の称号を奪い取ったのはAppleです。
90年代後半に、もはや消滅してしまうかと思えたAppleに再び伝説の指導者ジョブスが戻ってきて
iMacにより、コンピュータはビビッドなライフスタイルの一員となりました。
iPadにより、私たちは膨大な音楽を携帯できるようになり
そしてiPhoneにより、世界中のマルチメディアがいつでもどこでも手中にできるようになったのです。
iPadによって、これまで私たちが創造してきた文具、書物、そしてあらゆるデバイスがこれ一つで足りることになりました。
Appleは、この10年でドラスティックなブームを何度も起こしてきたのです。

ソニーの社員がいいます。
ソニーには膨大なアイデアがあるといいます。
ですが、それはブームを呼び起こし、売れなければ、無価値です。
そして記者は書きます。
いまのソニーは前例主義に陥っている
安全な道を思案ばかりして、取り残されてしまった、と書きます。

IT企業の巨人IBMは、2000年の初めにパーソナルコンピュータ事業を中国企業レノボに売り渡しました。そしてIBMが持つ最高の頭脳集団をもって、さまざまな分野でのソリューションビジネスに特化したのです。

AppleやIBMが行ってきたことは、自己変革です。成長するために、身についた贅肉をそぎ落とし、常にフットワークを軽くして、一点に満身で取り組むという行動です。
野心的であり、冒険的です。それが、新しい発想を生む起爆となっているように感じます。
このような行動には、野心的でかつ人間味のある指導者が必要です。それは過去の歴史が証明しています。
ソニーだけでなく、今の日本企業、いや日本自体が、聡明で力強い指導者を求めています。
ただ、この様な不安定な時代には、往々にして権力欲に特化した暴君が生まれやすいことも歴史が証明しています。

5月17日のブログ記事
『日本製造メーカーへの提言~不振打開の鍵、あります~』
でも書いたことですが、
日本の物作り精神の根本は、『安心』だと思うのです。長くいつまでも便利に使える、さらに言えば、修理して、手直しして、使える。
面白い、楽しいブームは一攫千金を生みだしますが、長続きはしません。そして次を生み出さなければという恐怖感に苛まれもします。
私たちが本当に欲しているもの、それは『安心』だと思います。
その目的に合致した、その発想で創造される商品の出現に期待します。

G10連勝!


最近は、日本プロ野球は関心の外に置いています。
まぁ理由は一つなのですが・・・

今朝の読売新聞スポーツ欄に
『G10連勝!』
の見出しが躍っていました。
プロ野球シーズンが開幕する前、玄人もまた私のような素人も
Gがダントツ、ぶっちぎると予想しました。
現在のGの布陣は、V9時代を凌駕していると感じます。
投手陣は、杉内、内海、沢村の盤石な三本柱がいて
打撃陣には、長野という若大将がいて、阿部、村田という柱がいます。
へたすりゃ全勝か!なんて想像もしたくらいです。
ですが開幕1ヶ月は、投手力は実力通りの働きでしたが、打撃陣が全くの不振で勝てない。やはり数字(去年までの成績、そして年俸額)では推し量れない、野球は生身の人間が行っていること実感しました。
ですが不調の期間も終わり、個々の選手が純粋に自分の実力を信じられるようになったのでしょう。そして10連勝です。もうこうなったら死角は見当たりません。

さて我がTですが、
マートンがこの二試合、全開になったかと思える活躍で二連勝です。
Tは投手力が勝るチームです。
試合を作れる先発がいて、中継ぎがいて、絶対的な抑えがいます。
打者も好打者ぞろいです。今年は、投手陣そして野手陣にそれぞれキャプテンをおきました。二人のキャプテン、藤川と鳥谷は素晴らしいパフォーマンスで魅了してくれる日本プロ野球には数少ないプレーヤーです。そしてキャンプ中は二人が率先してチームを牽引しているという報道をよく見聞きしました。
開幕1ヶ月は、投手陣が踏ん張って勝ち越してきました。ですがその後、投手陣にへばり見えて、負けがかさみ今日現在、借金1です。
Tは打撃陣に刺激を与えるため打線の組み替えに試行錯誤です。
ですが、アニキ金本を四番に据えたあたりから、打線に期待が持てるようになりました。
金本は、もう往年の絶対的な存在感はありませんが、でも何とかしてくれる、という信頼感はまったく薄れていないのです。常に溌剌として力強い。これぞ大黒柱だと思います。
そしてまだ借金1なのです。
投手陣が息を吹き返し、打撃陣がもっと自分の実力の高さに素直になれば、
勝てる
と信じます。

不思議なのはCです。
球界の若きエース前田がいて、中継ぎ、抑えには、150㎞後半の速球を投げる投手がいます。とても魅力的なのです。ですが5位に甘んじています。
Cのゲームは関心を持ってみたことがないので、チーム事情はわかりませんが、でも魅力的な選手がいるチームにはもっと元気を出して活躍してほしいと思います。

そしてD、開幕前は誰もこの位置(1位)にあるとは予想しなかったと思います。
ですが、某解説者がいった話に納得しました。
それは、たとえば山本昌、往年のDのエースです。不惑になってからも依然、悠然と戦っている選手です。ですがこの数年はまったく勝てていませんでした。
今年、Dの監督になった高木守道は開幕投手に山本昌を指名しました。それは実現こそしませんでしたが、山本には信頼される喜びと、当然ながらそれを意気に感じたことでしょう。彼らプロアスリート達の最高潮時の活躍は、彼ら自身の実力発揮とそして彼らを賞賛する信頼する後押し、この両輪がかみ合って成し遂げたものだと思います。
そして往年の実力は発揮できないものの経験とテクニックを持っている選手に、往年に与えられた信頼、託すという声が与えられれば、再び眠っていた闘志が沸き立ったのに違いありません。Dには高木守道という仁に長けた人がいたのです。

高木守道という人を知って、今や日本人選手の中で最高に賞賛される二人のプレーヤー、野茂とイチローを高い階段へと送り出した人、仰木彬を思いました。
素晴らしいプレーヤーの後ろには、さらに素敵な育成者がいるのです。

2012年5月25日金曜日

謎の訪問者への対応


朝、謎の訪問者について妻と話していると耕太郎が入ってきて
他の家でも同様の被害があって、現場を取り押さえた
という噂を聞いたと言います。

仕事から帰ってきて、知人へ電話などし調べてみると、この5年あまりで数軒で同様の被害があったことを知りました。
また犯人とおぼしき人物の噂も知りました。
そして、もう一度警察署に連絡し相談しました。

応対して下さった警察官は
噂で動くことはできないが、情報として管区を警邏します
今度、謎の訪問者に脅威を感じたらすぐに110通報して下さい
犯人は必ず捕まえます
と率直に回答して下さいました。

そして電話を切ってから妻と話をしていて
警察にとっても、そして私どものような相談者にとっても
あらためて判断の難しい問題と受け止めました。
それは
事実認定無しに噂で動くと言うことは、人権侵害にあたることにつながるし
また放置して、万一相談者に大きな被害が及んだ場合、怠慢と取られかねない
ということです。
ましてや、この度の真犯人は不明なのです。
ただ、被害の大きさ、甚大さを鑑みれば、事件を未然に防ぐことが大事だと考えます。

昨年末に起きた長崎ストーカー殺人事件、
短気で自己中心的な犯人は決して許すことができず、また被害届を受理せずに放置して、相談者を最悪の事態に追い込んだ習志野警察署の対応にも怒りを覚えた事件ですが、ただ最悪の事態を想定できなかった警察側に、私が感じたジレンマがあったのではとも推察します。
悪く捉えれば、ジレンマを回避する為に、事態を静観したともとれるのです。

現在の日本では、法律上、人権を守ることが最上にあります。
素晴らしい制度です。
またこの10年で、個人情報を堅守することが社会的コンセンサスとなりました。
ですが、これで人の個性がとても見えにくい世の中になったように思えます。
個性だけでなく、人が見えなくなったと思えるのです。
隣近所の関係も希薄になりました。まして家族の中もです。
そして誰も彼もが、加害者までもが人権擁護の法律という鎧で身を固める様になりました。

安易な解決策はない、安易な行動は決して取ってはならないと思います。
ですが静観はなおのこといけないと思います。

罪を憎んで人を憎まず
ということわざがありますが、この言葉の意味するところがしっかりと社会的コンセンサスを得られるようになれば、犯罪を未然に防ぐ行動も迅速になるだろうし、個人が抱える問題に対しても、中傷や蔑視、あるいは無関心では無く、尊重と理解、そして協調によって向き合えば、より良い解答がきっと得られると思います。

謎の訪問者の件、より良い収束を願っています。

謎の訪問者のことで、警察に通報しました。


心配事があります。
4月以降、夜遅くに謎の訪問者が訪れる様になりました。
そして今晩も来ました。

23時半過ぎ、アルバイトから戻ってくる遼太郎を起きて待っていた妻が、玄関から音がするので出てみると、玄関の扉が開いていて、外からは自転車が慌てて遠のく音が聞こえたというのです。
数日前には22時過ぎ、耕太郎が玄関の音に気付くと、今日と同様に玄関の扉が開いていて、耕太郎がしばらく家の外で様子をうかがっていると、角から自転車に乗った子供?が現れて、こちらに気付くと逃げたといいます。

謎の訪問者が初めて訪れたのは5年前です。
当時は日中で、被害がありました。
耕太郎の野球バックが無くなっていました。妻が近くを探すと、西浜の外れの道に捨てられていて、野球バックは取り戻すことができましたが、
家の前の子供が遊びに来ていて、その子の靴が盗まれ、それは戻ってきませんでした。
また、子供の靴が玄関外にあったことは都度でした。
その時は、妻が高砂警察署に通報しました。
警察からは戸締まりを厳重にするよう指示がありました。

今から数年前、あるご婦人が家を訪問されました。
私が応対したのですが、
そのご婦人の話はとても奇異でした。
『ご自分の子供が、私の家の洗濯物を見て、干している子供のジャージをどうしても欲しがるので売ってくれないか?』
と言われるのです。
私は断り、帰って頂きました。

そして事態が頻繁化してきていることから、
先ほど、深夜ですが警察に通報しました。
応対された警察官に、上記の事柄を話ました。
応対された警察官は、
・防犯グッズ(スポットライトなど)の取り付け
・具体的な犯人像を伝えるか、捕まえて
再度通報してもらえないか、と言われました。

事態が収まることが第一なのですが、たとえ防犯グッズで外に警告を与えようとしても、それを警告と受け取らない相手には何の役にも立ちません。
そして何より、いつまでも私どもの心配事はなくならず、またその謎の訪問者側の怯えや病気?も収まらないのではと思うのです。
そして謎の訪問者が、最初の子供だとしたら、そして耕太郎が見た子供だとするならば、今は中学生くらいではないかと推測します。体もどんどん大きくなります。初めは玄関を開けて、玄関にあるものを持って逃げる、それがだんだんとエスカレートすれば、次には家の中にあがってくるでしょう。家の中で誰かと鉢合わせする事だって考えられます。
そして、その謎の訪問者が逆上したら・・・
それが心配です。
謎の訪問者をどうかしてといったところで、警察が動けないことは理解はします。
ですが、もしかしたら私のところだけではなく、他にも同様な事象で困っている方がいるのではとも思うのです。そしてその謎の訪問者の家族も同様です。
警察には、このような小さな叫び、救いを求める声にも、もっと耳を傾け、最悪の事態に陥る前、水際で食い止める対策を啓蒙してもらいたいと切に願います。

私としては、たぶん、たぶんですが、その謎の訪問者と会って話ができたら、この心配事が解決すると思っています。
私はこの事象を犯罪とは捉えていません。とても深い悲しみと感じています。

2012年5月24日木曜日

睡眠をとること



最近は、しっかり睡眠を取ります。そうしなければ体が持たないからです。
そして6時間以上睡眠を取れば、心身ともに活力が戻ります。

昔は、睡眠をとても軽んじていました。
二十代の頃、かのナポレオンは一日3時間の睡眠であった、を聞き知りました。
そして徹夜作業も当たり前、それに飲んで遊んで徹夜することもよくありました。
そんな時、自身を肯定する言い訳として、ナポレオンの逸話がありました。

こんな事がありました。
終電の快速に揺られて帰り、曽根駅にはタクシーがなく、家に帰り着いたのは2時過ぎ、
そして5時には身支度をして出て行く、という日が続きました。
そしてこんな夢を見ました。
飛び起きると遙かに寝過ごしているのです。お客様に提案書を届け説明する日です。
真っ白になりました。
そして目が覚めました。夢かと安堵し時計を見ると、やはり時間を過ぎています。脱力感にさいなまれました。
そしてまた目覚めました・・・
それが数度続き、全身冷や汗でびっしょりです。
そして時計を見ると、まだ起床時間になっていませんでした。
しばらく、これが現実なのか夢なのかわかりませんでした。

また、私は若い頃から躁鬱の兆候がありまして、
躁の時期は、まさに頭の中がスッキリとして、どんどん物事を吸収します。それが面白く寝る間がありませんでした。
しかし鬱になると、頭の中に靄がかかり、何も見えず不安が増大して、不眠に陥りました。
そして最後、プッツンと心が切れて、起きられなくなったのです。

今、ようやく心身ともに活力を失わず過ごせています。
それは、日々を楽しむ事に努め、そして睡眠をしっかりと課しているからだと思います。
昔は、眠れなければ、起きていればよい、そう思っていましたが、
今は、眠れなければ、思いっきり疲れて、眠ってしまおう、そしてそれを実践しています。

日々の活力に必要なもの、それは
・何でもしっかりと食べること
・よく眠ること
・楽しみを、憧れを見いだすこと
だと実感しています。


次のおはなし会朗読担当日が決まりました。


次のおはなし会朗読担当日が決まりました。
7月28日(土)です。

前回(2/4)は、
・わすれられないおくりもの
・おひさまがいっぱい
・ずっとずっとだいすきだよ
の三編を朗読しました。
『おひさまがいっぱい』は子供たちと会話をしながら進めることができました。
ですから、次回も
少し長いお話(15分未満)と
短く会話を楽しめるお話(5分程度)
を組み合わせて、30分の持ち時間、精一杯演じようと思います。

因みに次々回は、11月3日です。
まだ秋ですが、少し早いクリスマス物語にしたいと思います。

さぁこれから2ヶ月、ゆっくりと演目を考えたいと思います。

2012年5月23日水曜日

川、湖そして海を巡ってきました。


今日は、
川、湖そして海を巡ってきました。

6:30に家を出て、両荘河川敷球技場を目指しました。
浜国から曽根に入り、松陽、竜山、米田、宝殿を通って加古川橋にでました。
交差点を左に折れてから、すぐ土手を下り、河川敷の遊歩道を北に上りました。
河川敷は朝の喧噪から隔離された別世界でした。往来する人も殆どなく、とても静かでした。

そしてさらにずんずん歩き、9:00過ぎ両荘河川敷球技場に着きました。
川岸ではタンポポの綿毛が舞っていました。

このグラウンドを訪れるのは、6年前の夏、北浜ソフトボール部で挑んだ第11回ジュニアカップ争奪大会以来です。
そして6月2日、さくらの高校最後のゲームとなる
平成24年度兵庫県高等学校総合体育大会ソフトボール競技大会が行われます。

9:40、次の目的地、平荘湖に向けて出発しました。
同じ道を戻るのが嫌だったので、遠回りになりますが、上荘橋まで北に歩き、県道65線を南に進みました。そして県道387線を経て、11:00前に平荘湖畔に着きました。

 平荘湖の縁を縫う県道387線は何度も車で走っていますが、湖畔をゆっくりと眺めるのは初めてでした。
湖畔周回歩道は、湖の堰の上にありました。ちょっと驚いたのは、堰の外側のすぐそばに民家があることでした。民家は、湖の水面からだいぶん下にあります。万一決壊したらエライコッチャと心配してしまいました。
そして、ゆっくりと湖を眺めながら周回歩道を時計回りに歩きました。
水気を帯びた強い西風が、歩きで火照った体に気持ちよかったです。

そして湖の西外れにあるウェルネスパークで昼休憩を取りました。
途中で買ったSOYJOY二本とアイスコーヒーを昼食にして、それから図書館で雑誌を数冊読みました。
13:30、次の目的地、大塩海岸に向けて出発しました。
東播工業高校の横を通って神吉、宝殿、竜山と南に歩き、明姫幹線の側歩道を西に歩きます。消防本部前から伊保、曽根、そして浜国、山電の踏切を渡って塩田跡地に入り、16:00過ぎに東澪に着きました。海は人が無くとても静かでした。

なんとか川、湖そして海を巡ることができました。
でもちょっと足、痛いです。

今日の予定(今日の歩き)


6月2日、
さくらの高校最後のソフトボール公式戦が、加古川上平荘の河川敷で行われます。
小学生時のソフトボールにはいつも一緒にいて、殆どの試合を見ました。
中学生時のソフトテニスは、数度大会を観戦しました。
でも高校生になってからは、試合日に送り迎えはしたものの、試合観戦はありませんでした。
最後の試合、観戦しようと思っています。
さくらはキャプテンとして、一年間一生懸命に部活に取り組んできました。その晴れ晴れとした姿を記憶に焼き付けようと思います。

それで、今日は下見にゆこうと思います。
自宅からだと14㎞ほどです。
河川敷を目指し、戻りには平荘湖を巡り、ウェルネスパーク図書館に立ち寄ろうかと思います。

UFO発見!?


お早うございます。
朝起きて外に出、東の空を見上げていると
暁色の空の低いところから白く輝く点が現れ、
それは延び、線となって真っ直ぐに天空を切り裂いてゆきます。
飛行機雲です。

そしてまた、べつの点があわれて
あれ・・・
よく見ると白い紡錘形の状態で移動しています
暫し見ても、やっぱり移動しています
UFOやっ!
慌てて家に駆け戻ってカメラを持って、外にでました
そしてその物体を見ると
・・・やっぱり飛行機雲でした
家の中をドタバタと駆け上がったので
『何かあったん?』
とさくらが起きて訊ねてきました。
はにかむしかなかったです。
(*^_^*)

2012年5月22日火曜日

『迫力の日食 宇宙から撮った -ひのでの映像-』


今朝の新聞記事から、もう一つ目を引いたのは
『迫力の日食 宇宙から撮った -ひのでの映像-』です。

地上は、金環日食の観測で大いに盛り上がりました。
私もその一人でしたが、でも金環日食の瞬間を見ることはできませんでした
金環日食となるほんの数秒を見落としたのです。でも自作のメガネでその雄大な日食現象は堪能しました。

でも科学の目は、まさに迫力な映像として日食を捉えていました。
日本の太陽観測衛星「ひので」が宇宙からX線望遠鏡で撮影した日食の映像です。

国立天文台が撮影した金環日食の公開ページ
http://www.nao.ac.jp/news/topics/2012/20120521-eclipse-naoj.html

まさに宇宙の営みが、静と動が迫ってきます。
ほんと凄いです。

『京大野球部連敗脱出』の記事を読んで


今朝の新聞記事で特に目を引いたのは
『京大、主役は2年生 -連敗脱出-』です。

記事の引用です-----
21日の関西学生野球で、京大がついに連敗を60で止め、3年ぶりに勝利を挙げました。
先発の田中(兵庫・白陵)が関学大打線に得点を許さず、九回に決勝点を奪って接戦をものにし、対戦成績を一勝一敗とした。
以上-----

白陵は中高一貫教育を貫く、県下でも有数の進学校です。
そして野球部は、特に中等部の野球部は、昨年鹿島中野球部と何度も対戦し、彼らの伸びやかなプレーと『野球が好き!』という朗らかさに感心しました。
ただ、チームとしての体力がなく、たとえばダブルヘッダーの二試合目は負ける気がしませんでしたが、でも、公式戦の初戦で当たるとすればとても脅威に思いました。
そんな白陵出身の田中選手が、強豪関学大を完封した。
同郷の若者が活躍する姿に
記事を読んで、とても誇らしく思いました。

詩『歩くということ』


山を歩くということ
山はいつもそこにある
山は四季に姿を変え
穏やかさも厳しさもたたえる
山を歩くということ
それは
挑戦と達成を求めるということ

海を歩くということ
海は大きく広がる
海はいつも潮騒を奏で
生気と豊かさで満ちている
海を歩くということ
それは
癒やしと希望を求めるということ

町を歩くということ
町は常に変化する
町は人の営みで
美も卑猥も溢れている
町を歩くということ
それは
今を見つめるということ

人生を歩むということ
人生は道である
人生は変化に富んで
舗装の先には荒野が広がる
人生を歩むということ
それは
選択の勇気が試され続けるということ

マイケル・ローゼン作『SAD BOOK』


昨日、姫路まで歩き、そして暫しプリエ姫路にあるジュンク堂書店で本探訪しました。
そこで出会った一冊が
マイケル・ローゼン作/クェンティン・ブレイク絵『SAD BOOK』です。

絵本としてはとてもシュールです。夢が無い、希望が無いのです。
扉を開けますと、ニカッと笑う男の顔があります。
しかし、次のページをめくりますと、瞳の無いほうけた顔がありました。

男には一人子がありました。
輝く子供の成長が喜びでした。
男の中のアルバムに、子供の成長が刻まれます。
でもある時を境にして空白になりました
子供が死んだのです。
男は、怒り苦しみ、そして心が壊れていきます
やがて妻も去り、男はひとりすさんでいきました。

子供の誕生日がきました。
誕生日はいつまでも巡ってきます。
男は誕生日を祝うローソクを求めました。
そして火をともします
ローソクの火の、小さく灯るあかりが
男に、忘れていた暖かみを思い出させました。
end

上のあらすじは、絵と絵に添えられた谷川俊太郎の訳詩に触れて思い描いた物語です。
シニカルなストーリーですが、最後に幾分、救いがありました。
でも、子供に与えたい物語だと思いません。
ただ、今辛い思いにくれている方ならば、共鳴と希望を見いだす糸口になるのではと思いました。

今日は、暑くなりそうです。


お早うございます。
7時半、東の空では太陽がぎらついています。
今日は、暑くなりそうです。

2012年5月21日月曜日

日食を見てきました。

日食を見てきました。

昨夜、よし明日は日食を見るぞと思い立ち、日食が見られるものを探しました。
日食メガネは買っていませんし、カメラレンズの減光フィルターもありません。
よし、丸いレンズに墨を塗りたくろうと考えました。
でもネットで検証すると『失明するぞ!』と書いてあります。
そうですね、墨が剥がれた部分から透過した光は、全く減光されない陽光です。
これはアウトと理解しました。
そして、昔買った高性能のサングラスがフィルターとして利用できるのではと、思い立ちました。でも見当たりません。そうこうするしている間に1時が過ぎました。
アカン、と寝ることにしました。

5時に起き再び探し始めますと、戸棚の中から曲面が光る物体を見つけました、サングラスでした。でも掛けてみて、やっぱりこれでは駄目と実感しました。
再度ネットで日食フィルターの代物を探しましたが、どの記事も
『市販品を買え!』と書かれてあります。
でも、そこでピンと閃きました。持ち物の中に代用できる代物がありました。それは写真用紙の包装フィルムです。
家にあるEPSON写真用紙の包装フィルムは青色の遮光フィルムです。
これはイケル、と思いました。
そして、カメラレンズフィルターの四角いプラスティックケースに青色フィルムを切って貼り付け、自作”日食メガネ”ができました。

そして6時半、家を出て海を向かいます。
観測地として選んだのは、的形、福泊の海岸です。
7時10分頃到着
波打ち際の砂浜に寝っ転がって、自作の”日食メガネ”で太陽を見ました。
日食が見えました。
青色のフィルム越しで見た小さな太陽は、美しい赤色の円でした。
そして月がかかる部分が黒く食されています。時間がゆっくりと過ぎていきました。
コンパクトカメラで撮影しました。付け焼き刃でしたが、一応日食を写すことができました。

日食観測の後、
西を目指して歩きました。
小赤壁海岸を歩き、
新道250号線の北側に併走する小道を歩き、
白浜の旧街道に入り、
妻鹿から県道517号線を北に向かって歩きました。
姫路バイパスの側道で市川を渡り、姫路駅を目指しました。
そして、11時にJR姫路駅に到着しました。

帰りは山電を利用し、13時に自宅に帰り着きました。
いやぁ、気持ちのよい散歩となりました。

2012年5月20日日曜日

浜で、『Someone to Watch Over Me』歌いました。


そしてもう一曲歌いました。
"Someone to Watch Over Me"
です。

*************************
Someone to Watch Over Me
*************************
There's a saying old Says that Love is blind
Still we're often told seek and ye shall find
So I'm going to seek a certain lad
I've had in mind

Looking everywhere Haven't found him yet
He's the big affair I cannot forger
Only man I ever think of
With regret

I'd like to add his initial To my monogeam
Tell me where is the shepherd
For this lost lamb

There's a somebody I'm longing to see
I hope that he turns out to be
Someone who'll watch
Over me

I'm a little lamb who's lost in the wood
I konw I could Always be good
To one who'll watch
Over me

Although he may not be the man
Some girls think of as handsome
To my heart He carries the key

Won't you tell him please To put on some speed
Follow my lead Oh, how I need
Someone to watch
Over me

昔から「恋は盲目」だなんて言葉があるけど
でも「汝、求めよ、さらば与えられん」という言葉もあるし
それなら私、思い描いてきたような運命の人をさがしてみるわ

でもね、あちこちをさがしているんだけど
まだそんな人をみつけられないの
でもね・・・、そんな素敵な人と出会えたなら
きっと一生忘れられないほどの大恋愛になるわ!

そして結婚して
彼の苗字に、私の名前が付け加えられたらいいな・・・
ねぇ、誰か教えて!
この私という迷える子羊の
羊飼いさんはどこにいるの?

ずっと会いたいと思っている人がいるの
その人はいつも私を見守ってくれる人だといいな

私は森の中で迷子になった子羊なの
でも私を見守ってくれる人が現れたら
私はその人の前だったらいつだっていい子でいられるわ

でももしかしたら、その人は女の子たちに
もてるようなハンサムじゃないかもしれないけど
でも、きっと
彼こそが私の心のカギを開けてくれる人なのよ

だから、ねぇ?
誰か彼に伝えて!
もっとスピードを上げて私を追いかけてきてって!
そして早く、私の前に現れてって!
あぁ、こんなにも必要としているのよ
いつも私を見守ってくれる、そんな人を・・・


朝一から仕事だというのに、悠長なおっさんでした。

そして明日は休みです。
金環日食ですね、見られるかどうかはわかりませんが、明日は海で待機したいと思います。

国立天文台『金環日食』トピックページを参考にします。
http://naojcamp.mtk.nao.ac.jp/phenomena/20120521/
ただいま22時少し前
トピックページはアクセス多の様子で、レスポンスが遅いです。

浜で、『浜辺の歌』歌いました。


今朝も海まで歩いてきました。
空には一面に薄い雲がかかり、陽は弱く輝いています
浜に着くと、ハハ
突堤も浜にも釣り人が溢れていました。それも等間隔で糸を垂れています。
ふと加茂川河川敷の光景を思い出し(でもこちらはおっさんばかりなのですが・・・)つい可笑しくなりました。

暫し堤防道を巡って静かな浜辺を探しました。
そして堤防を滑り降りて腰を下ろし、
歌、歌いました。
そう、海まで歩く楽しみの一つは歌うことだったのです。
海では、誰に気兼ねすることなく大声で歌えます

そして『浜辺の歌』を歌いました。
あした浜辺をさまよえば
昔のことぞ忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も かいの色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

はやちたちまち波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞぬれひじし
病みし我はすでにいえて
浜(はまべ)の真砂(まさご) まなごいまは

無手勝流な意訳です。

朝、浜辺を歩いていると
遠い昔、浜辺で遊んだ頃を思い出します
あの潮風を、雲が巡る様を
寄せては返す波音を、そして貝の色までも

陽が沈んだ浜辺に佇んでいると
懐かしい人が偲ばれます
共に歩み、そしていつかそれぞれの道に別れた人を
あの夜見た、月のおぼろ、そしてにじんだ星影を

時折強く吹く風が波しぶきをたて
私の粗末な衣の裾を濡らします
私の長い療養も、ようやく終わりそうです
あの浜が懐かしい、幼子の頃が懐かしいです

私のこれまで漂ってきた50年が
きゅっと愛おしく感じました。