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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2011年11月25日金曜日

『情報』を金儲けの道具にするな!


朝日新聞朝刊3面下の新刊広告に
自民党国会議員河野太郎氏の『原発と日本はこうなる』(定価1260円)があった。

キャッチコピーには
『南に進むべきか、そこに住み続けるべきか』
『国会議員しか知り得ない2030年の真実!』
『原発マフィアによる陰謀の全貌、そして原発再開をストップする手段がすべてここに書かれている!!』
そして
『全日本人必読の書』

このおっさんは馬鹿だ、と怒りを感じた。気持ちの良い朝が台無しとなった。
まぁキャッチコピーはこのおっさんのせいではないにしろだ。

もし、この本に書かれてある内容が真実で、さらには国会議員しか知り得ない『情報』としたならば、真摯に国民に公開すべきだ。それは国会議員の責務であり、税金で活動している公僕の務めである。
書かれた文書を、PDF化してご自分のホームページから閲覧できるようにすればいい。そうすれば誰もが、それこそ『全日本人』がパソコンやスマホで読む事が出来る。
もし私心で名誉が欲しければ、国会議員を辞めて一般国民に戻ってから、プライベートな時間を使って書かれればよろしい。そして幾らでもお好きなプライスを付けて。。。

『南に進むべきか、そこに住み続けるべきか』
SF作家筒井康隆氏の『霊長類南へ』という小説を思い出した。
中国人民解放軍が誤って核ミサイルの発射ボタンを押した事から核戦争が勃発、北半球が核に汚染され人類は暴徒となって南下する、というようなストーリーだ。
今回の場合、これは『福島の原発事故』をさしているのだろう。
このチャッチコピー、まさに他人事なのである。
『福島』が、そして『日本』が『世界』が直面している危機はSFではないのである。

『情報』を金儲けの道具にするな!

2011年11月23日水曜日

『完全無欠のコンシェルジュ』


少し前ですが、11月5日土曜日にテレビで
三谷幸喜最新映画『ステキな金縛り』公開記念のスペシャルドラマ
『ステキな隠し撮り~完全無欠のコンシェルジュ~』が放送されました。
映画でも主役である深津絵里さんが、少しずれてる一生懸命な新米コンシェルジュを愉快に熱演されていました。

『コンシェルジュは、宿泊客のあらゆる要望に応えなければならない』
『決してNOは言わない』
という先輩からの教えを嫌々ながらも守って
そして、竹内結子、浅野忠信、草なぎ剛、中井貴一そして西田敏行演じる、わがままで一癖も二癖もある宿泊客の要望に応えていくという、ライトな笑い満載のコメディでした。

この『コンシェルジュ』
docomoの『iコンシェル』サービスで身近な単語となりました。
元々は『アパートの管理人』という意味しかなかったようですが、現在は、広く様々な施設で同種のサービスを担う人をさすようになってきました。

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10月オープンした書店で働きだし、はや二ヶ月となります。
最初のひとつきは目まぐるしいだけで、あっという間に過ぎてしまいました。
毎日、腰の痛み足の痛みとも格闘、そして積み残しの反省ばかりで先がどうなるか不安だらけでした。
最近漸く仕事のリズムに慣れてきました。リズムには慣れてきましたが
フッとした油断からの作業ミスや軽率な受け答えを自覚するようにもなりました。
今、仕事の『恐さ』感じてます。

業務は半人前
応対も半人前
センスは目方も振れぬ程。。。
という私ですが、
はきはきとして目の美しいチームメイト達に支えられています。本当に感謝です。

自身に、何が出来るか、ではなく、何をしなければ、と問うたとき
『気持ちの良い空間を作りたい』
『お客様を気持ちよく迎え、そして送りたい』
『お客様の依頼に最善を尽くしたい』
まるで
『完全無欠のコンシェルジュ』
を目指しているようにもとれますが、ハハそれは高望みなので、そうではなく
ただ、後悔したくない、それだけなのです。

この仕事は、
・適応力
・瞬発力
・好奇心
・想像力
そして体力が求められる、或いは育まれる仕事だと感じています。
チーム内で最年長となる私は、想像力と好奇心は旺盛なのですが、いかせんその他の能力はすでに下降曲線を突っ走っています。

ですが毎日を迎えるのが新鮮です。
これが、『一期一会』を待ち望む気持ちなのか、と思います。


p.s.
『おはようございます』
出勤時の挨拶です。最近漸く慣れました。
ですが、おかしな使い方だとは思っています。
以前、データセンターでDBシステム運用管理者の仕事をしていた時も『おはようございます』が出勤時の挨拶でした。ですが、私は頑として時間にあった挨拶に固執しました。
頑冥、協調性のなさ、私に付いて回った代名詞であります。
しかし、だいぶん解れてきたように思います。
これは昨年から今年にかけて鹿島中野球部の活動を追い、少年達の成長に感化されたからだと思います。

2011年11月22日火曜日

お酒が恋しい季節となりました。


私、お酒が大好きです。
ですが、最近は殆ど呑みません
呑まなければ呑めなくなるのです

昔はよく飲みました。ですが、時間をかけてじっくりと沢山飲む事が出来ません。
酒に関しては『先行逃げ切り型』だったのです。
新人社員で入った社員寮では
親睦会と称した飲み会がよく行われました。
私はそこで少々名前を覚えて頂きました
早飲み競争で勝ったのです。
後日、寮の酒豪の先輩とビール大瓶の早飲み競争をして
16秒で勝利しました。
竹嶋からの便りでは、
今も先輩と酒を酌み交わしていて私の名前がでる時
先輩は当時の事を面白く悔しがって下さるとの事
偲んで頂ける有り難さを覚えます。

また仕事のチームでも、よく飲み会がありました。
入社三年目の頃だったと思いますが
私、仕事の方がさっぱりでしたので、こういう催しの幹事によく任命されました。
ある飲み会で、
その日は私、チームの頭目である上司に少々腹を立てていました。
後輩と先に入り、
上司や先輩諸氏が来られる前に一人で一升瓶を空け
皆さんが来られたときにはすっかり出来上がっていて
それから会が終わるまで上司に無礼を働き続けたそうです。
その日は、会が閉まった後、先輩と後輩に肩を担がれ
ビジネスホテルに担ぎ込まれてバタンキューでした。

いまでも悪い事をしたなぁ、という思い出もあります。
同期入社の姉御肌の友人が入社四年目で退職した時の送別会の出来事です。
先輩諸氏に混じって竹嶋と私、参加しました。
場所は北、ナビオの東にあった(今もあるのかなぁ)小洒落たワインバーです。
先輩諸氏と一緒という事で気が大きくなり、竹嶋と私、次々とワインを注文しました。
12本目までは覚えています。
ワインバーというところはグラスが空にならないと下げてくれないのです。
先輩諸氏はグラスからちょっと口に含む程度で、テーブルには黒色、レッド、ピンク、琥珀、白等々の液体が入ったグラスが溢れています。
竹嶋は自分のグラスで戯れています。
私は『もったいない精神』と『調子乗り精神』が全開し
次々とテーブルの上のグラスを空にしていきました。
竹嶋と私、すっかり当日の主役を忘れて騒いでました。
店を出るとき、
竹嶋は何かものを壊したのでしょうか
店からレッドカードを突き付けられました。
私はというと、ハハ、覚えていません。
当日の主役からは後年になっても、手紙等で微笑みともイヤミともつかぬ一文が添えられていました。

こんなお酒の飲めぬ私でも、冬になると酒が恋しくなります。
昨夜の様なしーんと冷え込んだ夜などはなおさらです。。。

おはなし会担当日が近づいてきました


お早うございます。
ひぃー!寒いっ、ですね

寝ぼけ眼で、5時頃外に出ますと、満天の空から星が降ってきました
ハッと息を呑みました、何だろう、一気に眼が醒めました
きっと、
天空で繰り広げられる悠久の営み
その神々しさに感激したからだと思います。

寒空の下で暫し天上を眺めていました。
西にオリオン座が見えます。
そして東、北極星がひときわ輝いています。
頭上から東に光が流れました。


今日は休日、
26日のおはなし会で読む本の選定と
朗読練習に勤しみたいと思います。

映画『いちご白書』が観たい!


70年代のアメリカン・ニューシネマをモチーフとした歌があります。
大塚博堂『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』
そして
荒井由実、バンバン『いちご白書をもう一度』です。
どちらも好きな歌で十代の頃よく歌ってました。

当時は、エセ蛮カラで
髪を伸ばして髭伸ばし、汚いジーパン履いて下駄履いて、フォークギター片手に闊歩してました。
恥ずかしかったのは下駄の歯が折れたときです。前ならまぁなんとか歩けましたが、後ろは駄目です、そんときゃぁ裸足でした。
70年フォークに夢中でした、しかしギター演奏はさっぱりでした。。。
でも少し上達した時期もありました。
19歳の頃、同じ学生寮で長渕剛のコピーがめっちゃめちゃ上手い富山出身の友達に幾つかの曲の演奏を教えてもらいました。
そして
『順子』、『巡恋歌』弾けるようになりました。

また道を外してしまいました、ゴメンなさい。。。

『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』は
ダスティン・ホフマン主演の
『ジョンとメリー』、そして『卒業』のシーンに重ねて
中年にかかり始めた男の、若い頃の恋人を今も慕う切なさが歌われています。
でも当時は、詩の意味などまったく分かっていませんでした。
それでも、大塚博堂の声に痺れてました。

***

作詞 藤 公之介 作曲 大塚博堂

テレビの 名画劇場で
「ジョンとメリー」を 観たよ
ダスティン・ホフマンが 主演の
行きずりの恋の お話しさ

まるであの日の 二人みたいで
胸が熱くなって 仕方が なかった

君にもう二人も 子供がいるなんて
僕の回りだけ 時の流れが 遅すぎる


君と一緒に観に行った
「卒業」を 覚えているかい
花嫁を奪って逃げる
ラスト・シーンが 心に染みたね

なのにあの日 僕は教会で
君を 遠くから 眺めてるだけだった

君にもう二人も 子供がいるなんて
僕の回りだけ 時の流れが 遅すぎる

ダスティン・ホフマンになれなかったよ
ダスティン・ホフマンになれなかったよ

ダスティン・ホフマンになれなかったよ
***

『いちご白書をもう一度』は
60から70年にかけての学生闘争を取り上げた映画『いちご白書』。
この映画の主人公を真似て闘士を気取っていた男、彼女もいて学生生活をエンジョイしてましたが就職が決まると、働きマンに変わります。
そして数年後、街角の破れかけた映画ポスターを見て、当時の事を思い出す。

***

作詞・作曲 荒井由実

いつか君と行った 映画がまた来る
授業を抜け出して 二人で出かけた
哀しい場面では涙ぐんでた
素直な横顔が 今も恋しい

雨に破れかけた 街角のポスターに
過ぎ去った昔が  鮮やかに甦る

君を観るだろうか 「いちご白書」を
二人だけのメモリー どこかでもう一度


僕は無精ヒゲと 髪を伸ばして
学生集会へも 時々出かけた

就職が決まって 髪を切ってきた時
もう若くないさと 君に言い訳したね

君を観るだろうか 「いちご白書」を
二人だけのメモリー どこかでもう一度

二人だけのメモリー どこかでもう一度
***

二つの歌共に、別れた彼女を思い出す歌でもあるわけですが
『いちご白書をもう一度』はカラッとしてます。
作ったのが女性、ユーミンであったからだと思います。
そう思うと、男は粘着力がありますね、恥ずかしながら。。。


そうそう、大ニュース
映画『いちご白書』がリバイバル上映されることになりました。
日本での初公開から40年振りとなる上映だそうです。
またこの映画はDVD化されていない、幻の映画なのです。
私、まだ一度も観た事がありません。
是非観たい、と思っています。

『いちご白書』公式サイト

関西(観に行ける劇場)では

大阪・テアトル梅田(MBSの近所ロフトの地下だそうです)
平成23年12月10日(土)から公開

テアトル梅田ウェブサイト

神戸アートビレッジセンター・KAVC(JR神戸駅西1㎞)
こちらはウェブサイトに公開の記載がなかったのでメールで問い合わせしたところ
『今のところ上映予定はございますが、上映時期については未定』との返事

KAVCウェブサイト

観るなら近いKAVC、でも上映予定を再三チェックするのは邪魔臭いし、
12月、大阪に出かけようかなぁ。。。
観終わった後、久し振りに梅田で一杯やりますか。。。

2011年11月21日月曜日

『ガラスの腹、鉄の腹』


昨日の事です。
腹ぺこ状態で仕事から帰ってきたら、妻と娘が買い物で外出中、
台所のテーブルの上に、タッパに入った作り置きのハンバーグがあったので、一つをぱくりとつまみ食いしました。

暫くして二人が帰ってきたので、
『腹減ってたんで、つまみ食いした』と悪態をつくと
妻から
『お父さん、あれまだ生焼きやで、大丈夫』と言われ
娘からは
『お父さんのこっちゃから、何食べても大丈夫や』と言われてしまいました。。。

あれから30時間経ちますが、お腹大丈夫です

そういえば、昔こういう事がありました。
二十歳の頃、隣に住む富山出身の友達のお母さんから、かまぼこの詰め合わせを貰いました。いやぁ、デパートの贈答品売り場でしか見た事のない上等な品でした。
いっぺんに食べてしまうのはもったいないんで、数切れずつ切って、また箱に戻していました。

数日後、
『おぉ!、海老が入っている(赤い点々があった)』
と喜び
また数日後、
『わぁ、海苔も入っている(緑の点々もあった)』
と喜びました
そして、その数日後
『エぇっ、毛が生えている。。。』
それがカビである事に気付きました。
他のまだ手付かずだったかまぼこも全滅でした
結局、捨てる羽目になりました。

季節は梅雨、部屋には冷蔵庫などのという上等な品はありませんでした。
でも、お腹大丈夫でした。

でも、このお腹完全に壊した事があります。
あれは27,8歳の頃です。
仕事が終わると、仲間と毎日のように京橋や北、兎我野町辺りで呑みました。
当時の私は、
いいあんばいになってくると(酔いかけです)
辛いもの、たとえばわさびの盛り、
爪楊枝の先を前歯でさじにして
それをすくい、酒を呑んでいました。
ある日、居酒屋でいつものようにいいあんばいになってきました。
でもわさび盛りがありません。
それで、小皿に醤油を垂らし、七味を振りかけて
それを舐めながら一杯やろうと思ったのでしょうが
蓋が外れて中身が全部小皿に落ちました。
それにまた醤油を垂らし、七味の練りができました。
後輩の奥田君が、それを下げてもらおうとしたのですが、
私はそれを制して、
ニカッとして、それをスプーンにすくいました。
賢い奥田君はヤバイと思ったのでしょう
トイレに逃げました。
他の後輩に
『食べっ』というと
『食べられない』との一同からの返事
『食べられる』とぱくりと口に放り込みました。。。

翌日は休日で、ボテの英検について行き
姫路近辺のどこかの学校の駐車場で待っていますと突然に、
来ました、七転八倒の苦しみが。。。
それから2日間、上からも下からも何も出ず
また何も食べられず
ひたすらトイレで過ごしました
『死ぬ』と思いました。

私の腹はガラスでしょうか、鉄なのでしょうか
今もって分かりません。