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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2020年10月4日日曜日

Where have all the flowers gone? 花はどこへ行った?

 60年前、アメリカで生まれた一曲のフォークソング「Where  have all the flowers gone?(邦題:花はどこへ行った?)」は、アメリカ国民を泥沼に引き込んだベトナム戦争の「反戦のシンボル歌」となりました。そして、この歌は様々な言語でも歌い継がれて、やがてこの世界の「反戦のシンボル歌」となりました。

この歌が、今もこの世界のどこかで歌い続けられているという現実が意味するのは、この世界から今も戦争や紛争が無くなっていない、ということです。

それでも、この歌を歌っていこう、歌い続けるんだと奮闘する在野の人々がいます。

そういう人々を描いたロードムービーに出会いました。

2015年スペイン映画「A Perfect Day (邦題:ロープ 戦場の生命線)」です。


1991年、ユーゴスラビア社会主義国の解体から端を発したユーゴスラビア紛争は、隣人として共生していた異なる複数の民族が10年にも及び、憎しみあい、至る所で殺し合いを続けるという凄惨で破滅的で終わりの見えない民族紛争となりました。

それでも停戦協定を結んだ地域では、UNが平和維持の名目で駐屯し、様々なNGOが現地に入り、住民の生命や健康を守るための活動を展開しました。「国境なき水と衛生管理団」もその一つでした。

「国境なき水と衛生管理団」、彼らは停戦地域の荒野を、自ら車で駆け巡り、住民の為の飲料水の安全確保やトイレの確保、維持・修理を行っていました。


ある日、とある村にある唯一の井戸が、よそ者が投げ入れた誰かも分からぬ死体で汚染されたとの通報があり、遺体引き上げと井戸水の洗浄作業のためにその村に向かいます。

しかし、村に行くのも一難です。彼らを好としない者達(助けようとする民族を敵視する者、或いは外国人を敵視する者、或いは井戸水を汚染した上で飲料水ビジネスで大もうけを企む者等々)が、行く手に地雷を仕掛けているかもしれないのです。経験と勘と勇気を総動員して彼らは道を進みます。

そして村に到着し、まず遺体引き上げに取りかかりますが、使い古され傷んだロープは、遺体の重さで切れてしまいます。彼らは近隣の村を巡りロープを買い求めに走りますが、雑貨屋にロープはあっても、村人は彼らにロープを決して売ろうとはしません。

それどころか「ロープは首を吊る道具だ」と言い放ち、あからさまに敵意を向けてくる始末です。

停戦地帯に駐屯するUNに窮状を訴えても、地雷撤去が優先だと、彼らの窮状は聞き入れられることはありません。結局、丸腰の彼らは、この危険な場所で孤軍奮闘するか撤退するか、そのどちらかを選ぶしかないのです。

そして彼らは、孤軍奮闘する道を選びます。

彼らは道の途中で、一人の少年を拾っていました。その少年は彼の持ち物であるサッカーボールを他の村の少年に銃で脅され奪われていました。彼らはその少年を保護し、彼の祖父の元に送り届けるために同乗させていました。その少年が、彼が両親と住んでいた家にロープがあると言います。少年の両親は遠い町に働きに出ることになって、彼は祖父の元に預けられたと話します。彼らは少年の話を信用して、少年の家に向かいます。

少年が住んでいた家は、数件の家が建ち並ぶ村の中にありました。

彼らは少年を外に待たせて、彼の家に入りロープを探します。家の中は、誰かが持ち込んだ爆弾によって屋根が吹っ飛ばされていました。そして勝手口に面した外の木に、少年の両親と思しき二体のロープで首を吊された遺体を見つけました。

彼らはロープを見つけました。彼らは少年に真実を告げず、少年の祖父の元へと車を走らせます。

少年の祖父に真実を話し、その後、彼らは手に入れたロープを使って井戸からの遺体引き上げ作業を始めます。もうすぐ遺体が引き上げられるという段になって、UNが現れ、停戦協定を守るために遺体を勝手に移動することは許されないと、ロープを切って遺体を元の井戸の底に沈めます。

彼ら「国境なき水と衛生管理団」の懸命な活動は、徒労に終わることになりました。

疲れ切った体で、彼らは安息地であるホテルのベッドを目指します。そんな彼らのもとに無線で通報が入ります。それは七千人が暮らす難民キャンプのトイレが壊れ、至急修理してほしいと云う依頼でした。彼らは目的地をホテルから難民キャンプに変更し、疲れ切った体でトイレ修理に向かいます。

今回がこの仕事のデビューであった新人がトイレ修理は簡単かと、ベテラン達に問い掛けます。雨さえ降らなきゃ大丈夫、とベテラン達は応えます。道すがら急に天候が悪化して強い雨となりました。新人は「A Perfect Day (なんて完璧な日なんだ『なんて困難なんだ』))」と呟きます。

雨音に代わって「Where  have all the flowers gone?」の歌が聞こえてきます。

雨は荒野に洪水をもたらしました。

遺体の沈む井戸も水が溢れて、遺体が入り口まで押し上げられます。それを認めた村人達は総出で遺体を井戸から引き出します。


end


あらためて、「Where  have all the flowers gone?(邦題:花はどこへ行った?)」を聴きました。詩を読みました。


Where have all the flowers gone?

Long time passing

Where have all the flowers gone?

Long time ago

Where have all the flowers gone?

Young girls have picked them everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the young girls gone?

Long time passing

Where have all the young girls gone?

Long time ago

Where have all the young girls gone?

Gone for husbands everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the husbands gone?

Long time passing

Where have all the husbands gone?

Long time ago

Where have all the husbands gone?

Gone for soldiers everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the soldiers gone?

Long time passing

Where have all the soldiers gone?

Long time ago

Where have all the soldiers gone?

Gone to graveyards everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the graveyards gone?

Long time passing

Where have all the graveyards gone?

Long time ago

Where have all the graveyards gone?

Gone to flowers everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the flowers gone?

Long time passing

Where have all the flowers gone?

Long time ago

Where have all the flowers gone?

Young girls have picked them everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


花はどこへ行ったの?長い時を経て

花はどこへ行ったの?長い時が流れて

花はどこへ行ったの?

花は娘達がみな摘んでしまった

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


娘達はどこへ行ったの?長い時を経て

娘達はどこへ行ったの?長い時が流れて

娘達ははどこへ行ったの?

娘達はみな夫に従うために嫁いで行った

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


夫達はどこへ行ったの?長い時を経て

夫達はどこへ行ったの?長い時が流れて

夫達ははどこへ行ったの?

夫達はみな兵隊に採られて戦場へ行った

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


兵隊達はどこへ行ったの?長い時を経て

兵隊達はどこへ行ったの?長い時が流れて

兵隊達はどこへ行ったの?

兵隊達はみな殺されて埋葬された

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


兵隊達の墓場はどうなったの?長い時を経て

兵隊達の墓場はどうなったの?長い時が流れて

兵隊達の墓場はどうなったの?

兵隊達の墓場はみな花に覆われた

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


花はどこへ行ったの?長い時を経て

花はどこへ行ったの?長い時が流れて

花はどこへ行ったの?

花は娘達がみな摘んでしまった

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


YouTubeに、NHKスペシャルの過去番組「花はどこへ行った♫ 静かなる反戦の祈り」があり、観ました。この歌がどの様に生まれたかを学ぶことができました。


花はどこへ行った♫ 静かなる反戦の祈り

https://www.youtube.com/watch?v=1tk91SF2soo


忌野清志郎が歌う日本語バージョンも聴きました。

https://www.youtube.com/watch?v=_Ei6qM5A_SE&feature=emb_logo


この歌を最初に作ったピート・シガーの歌も聴きました。

https://www.youtube.com/watch?v=1y2SIIeqy34


そして、今私は思います。

この歌は反戦歌の域を超えて、

人権や行動の自由、言論の自由が無かった時代の人々の哀れを伝え、

人権や行動の自由、言論の自由を奪われようとしている現代の私たちに、

繰り返すな、過ちを犯すな、と語りかけているように思います。