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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2023年10月19日木曜日

谷村新司さん、逝く

 アリスの谷村新司さんが亡くなられましたね。この一報に触れた時、不謹慎ですが、あまりにびっくりして笑ってしまいました。去年、再びアリスの活動を10年行うと宣言され、SONGS出演時には、変わらず甘い艶のある声を聴かせて頂きました。谷村新司さんは今や国民的歌手のお一人ですが、1970年代を青春として過ごした私たち世代には、永遠の深夜ラジオに君臨する(いろんな意味での)夜の怪人のお一人という印象のままでして、そんな怪人が死ぬなんてことはない、季節外れのエイプリルフールかと、そんな思いが一瞬に吹き出して笑ってしまった次第です。

そして次に思ったのは、ばんばん、大丈夫か、でした。(わたしなどが心配してもしゃーないのにね)それで昨日のラジオ関西のばんばひろふみラジオDEショー!は最初から聴きました。開始30分、ばんばんしか語れないちんぺいさんの思い出語りに聴き入りました。やっぱり笑ってしまいました。そして、残された歌もですが、その人なりも、それを覚えている私たちがいる限り、生き続けるんだろうなと感じ入った次第です。

『帰らざる日々』、『遠くで汽笛を聴きながら』、そして『秋止符』、この三曲がアリス楽曲の中で、私が好きな歌です。いつまでも大切に聴かせて頂こうと思います。

ありがとう、ちんぺいさん、ありがとうございました。

2023年10月16日月曜日

私はあなたたちに命じる。あなたたちは敵を愛しなさい。あなたたちを迫害する者たちのために祈りなさい。

私はあなたたちに命じる。あなたたちは敵を愛しなさい。あなたたちを迫害する者たちのために祈りなさい。

 マタイの福音書第5章44節の御言葉です。


パレスチナ自治区の一つで天上のない世界最大の監獄と称されるガザ地区を実効統治するハマスの戦闘員が、10月7日にイスラエルが築いた壁を破壊してイスラエル領土に侵入し、壁の付近で開催されていた大規模音楽フェスと周辺の町になだれ込んで、少なくとも260人をその場で虐殺し、100人を超える民間人を人質として連れ去るという大規模テロ事件を起こしました。この大規模テロ事件の報復として、イスラエルは挙国一致でハマスを殲滅すると宣言し、30万人の兵力を地上戦に投入してガザ地区への軍事侵攻を今にも始めようとしています。

ガザ地区は、鹿児島県の種子島とほぼ同じくらいの面積、もしくは東京23区の6割ほどの面積で、その中で、220万人のパレスチナの人々が、途切れることのないイスラエルの空爆と、破壊されるまま荒れ果てた市街地で、すべてのライフラインをイスラエルに握られた状態で、明日の希望もないままに暮らしています。そして人口の約45%は14歳以下の子供だと云われます。

そしてイスラエルが宣言通りにガザ地区で地上戦を行えば、100万人を超えるパレスチナ人が、45万人を超える子供が、地上戦に巻き込まれて虐殺されることになるでしょう。私が生きているうちに、こんな途方のない大虐殺が起きうる事態になる事に耐えられない気持ちになります。ホロコーストを経験したイスラエルの人々には、未だ見ぬ地獄絵図を想像して、地獄に落とされたホロコーストの実行者たちの姿を想像して、イスラエルがホロコーストの実行者とならない様に、地上戦を踏み止まって欲しいと切に願います。


「汝の敵を愛せよ」という御言葉が、頭の中に浮かんできます。でも、イスラエルの人々、パレスチナの人々に、どう思いを伝えれば良いのか分かりません。探っていて、日本福音ルーテル スオミ・キリスト教会の説教集の中にヒントを見つけました。


説教「『汝の敵を愛せよ』とは、一体どんな愛なのか?」神学博士 吉村博明宣教師、マタイによる福音書5章38~48節 2014年2月17日

https://www.suomikyoukai.org/?p=6015

 です。

吉村宣教師は、説教の中で

「汝の隣人を愛せよ」という掟はレビ記17章18節にありますが、「汝の敵を憎め」という掟はモーセ律法には見られません。掟にないことが、どうして教えられてきたのでしょうか?レビ記で言う愛すべき隣人とはイスラエルの民に属する同胞を指しています。それで、同胞愛としての隣人愛の裏返しとして、敵は憎んでもよいという考え方がユダヤ民族の苦難の歴史と相まって生まれてきたと考えられます。

と述べられています。また、「汝の敵を愛せよ」について

神としては、悪人も自分との結びつきを回復してほしい(つまり懺悔して神の救いを受け入れる者になる)意思なのですから、既に結びつきを回復した者は神の意思に従って、その実現の為に悪人や敵に対してどんな働きができるかを考えなければなりません。悪人だから敵だから滅びてしまえ、というのは神の意思に反する事です。悪人や敵の為に祈らなければなりません。自分を迫害する者の為に祈れというのは、天の父なる御神よ、迫害を終わらせて私を助けてください、という自分の為の祈りではありません。父なる御神よ、あの迫害する者がイエス様を救い主と信じてあなたの用意された罪の赦しの救いを受け取る事が出来る様にして下さい、と悪人や敵の為に祈る事です。

と述べられています。

「目には目を、歯には歯を」という掟は、酷い行いをすればそれ以上の報いを受けることになる。同じ悪が自分にも跳ね返ってくるとはっきりさせる事を通じて悪を控えさせるという、人間が悪に手を出さないようにする抑止力だった。

仕返しの応酬は、常に損害を被った以上の仕返しとなって、そうなると収拾がつかなくなる。

とも述べられています。


ユダヤの神も、キリストの父である神も、そしてイスラムの神も、旧約聖書が現す神と言われます。それならば「汝の敵を愛せよ」の御言葉は、旧約聖書の神を信仰するすべての人々に向けられた御言葉ではないかと思います。