16球を投げて、押し出しで失点するのがノーコンピッチャーです。
ハイ、それは私です。
二十代の頃、幾つかの草野球チームで野球を楽しんでいました。運動音痴でどこも守るところの無い野球大好き青年は、ただ図体がでかい、上背があるというだけでピッチャーを任されました。
それでも左投手で、憧れの江夏になりきってボールを投げていました。
投手理論なんてまるで知らない、体力も無い、技術も無い、そして教えを請う先生もいない中で、どうしたら速い球が投げられるか、どうしたら制球できるか、考えました。
まず取り組んだのが体重移動、自宅の部屋で畳一畳一跨ぎを何度も何度も練習しました。おかげで畳はすり切れました。そして畳一畳は大袈裟でも大股開きが出来る様になりました。
そして次に取り組んだのが、腕の振りです。左腕を後方から引き上げて、手首が耳の側を通る瞬間、肘を前方に突きだします。そしてその反動も利用して腕を真っ直ぐ振り下ろす。でもまだボールは離さない。手首が体から一番遠のいたところで人差し指と中指で最後に一押しするのです。そしてボールを離した腕を右手の付け根の辺りまで振り抜きます。
腕を前方に押し出す時、腰もぐっとひねります。この連動が肝でした。
そして休みの日など、朝から晩まで、百球を越える投げ込みを続けていたら、それなりの速球を投げられる様になりました。
次はカーブの習得です。どうしたら曲がるが考えました。
そして私のカーブ第一号は、肩と肘を固定して大きく左腕を回し、そして手首を振る様にしてボールに横回転を与えるものでした。ボールは面白いほど曲がりました。左打者の背中に向かって投げたボールは大きく弧を描いて打者のアウトローへ曲がり落ちてゆくのです。でも、すぐに肘が悲鳴を上げまして、止めました。
そして生まれたのがカーブ第二号です。肘を痛めない投げ方で、尚且つボールを落とせないか、考えました。そして速球と同じ腕の振りで、でも肘を突き出してから手首を前方に突き出すのではなく、ボールの継ぎ目に当てた人差し指の横腹と親指でボールを挟み縦回転を与えるつもりで、腕を真下に振り下ろすのです。決まる時は、ボールはゆるく飛び出して、そして打者の手前でストンと落ちました。
これが、一本松連中で初めて試合に挑んだ時に、球審から
「君のカーブ、ありゃ打てん、ストライク入ったらやけどな」と云われたボールです。
でもカーブを投げるのは丸わかりでした。必死にボールに回転を与えようと力むため、口元がへの口になるのです。
こんなにも努力?をしても、体力がない、基礎が無い、尚且つ二日酔いで試合に参加するでは、良い結果など生まれる筈など無かったのです。結果、16球投げて押し出し、という事態が何度もありました。でも一本松連中の絆は温かかった、後で笑いものにはされたけれど、試合の最中、みんな必死で声援し続けてくれました。
お待たせしました、ノーコンピッチャーからの提言です。
しっかりとトレーニングを積んだ投手は、ノーコンなどありえません。
彼らは集中さえすれば、いつでも的に投げきる技量があります。
ただ、そのストライクが、ノーカウントからか、3ボールからかでは状況は大きく変わります。ノーカウントからストライクが投げられれば、ピッチャーは優位に立ちます。打者は追い込まれて臭い玉にも手を出すために、ボール球でも勝負ができます。
ですが3ボールからのストライクは、打者はそれまでの三球でタイミングを計ることができ、尚且つ三度も好球を待つことができます。打者の絶対的優位です。
ですから、3ボールからストライクを取りに行ってはならない、3ボールにしてはならない、これが投手の生命線です。
そしてもう一つは、決め球を持つことです。いつでも、どんな状況でも信頼して投げることが出来るボールを持つことです。そのためには、とことんの投げ込みが必要です。体が疲れて、クタクタになっても決められるほどに投げ込みをする。頭では無く、体に覚えさせるのです。途中は苦しむだろうけど、会得した時、それは計り知れない力となります。
そして投球は、投手一人行うものではありません。投球は、捕手と一心同体で行う作業です。ですから捕手とは、とことんキャッチボールをし、投げ込みをし、会話をして、互いを理解し、信頼し合わなければなりません。
そして、マウンドに立つ自分は、最高の投手と思い込むことです。投手が投げなければ試合は進まないのです。