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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年4月1日火曜日

野球は、気合だ!

気合だ!気合だ!気合だ!
アニマル浜口さんの名台詞、気合入魂の雄叫びですが・・・

勝負事というのは、気合がなければ勝つことが出来ない、と思うのです。
剣道で例えると、
いくら良い打ち込みをしたとしても、気合が伴わなければ一本とはならないし
打ち込みが少々甘くても、気合があれば一本を奪うことも出来るのです。
そしてこれが本当の戦であれば、気合がなく、集中力を欠いていたならば、あっけなくお陀仏です。

長い戦いであれば、弱りもするし隙もでる。
でも、個々人が気合を放って集中力の維持に努め、そして仲間同士で支え合う事ができれば、弱みは最小限に留めることが出来ます。
対戦する相手も同じ、だから最後まで、下駄を履くまで、気合を放ち続けなければいけない、勝負を諦めてはいけない、と思います。

昨日の試合、もっとも象徴的なプレーがありました。
セカンドフライを打ち上げた打者走者が一塁に到達したところでベンチに引き上げたのです。見直すと、セカンドは落球していました。洲本は、一塁にボールを送りアウトが成立する行動を取りましたが、主審はタイムを掛けていると宣言して、打者走者を一塁に戻しました。
後で事情を聞くと、一塁塁審がアウトを宣告したためにベンチに引き下がったという事でした。ですが、主審はインプレーと見なしていた。
野球において、審判のジャッジは絶対です。しかし、しっかりとプレーを見て、アウトでないと判断すれば、生きるためにあがかなければなりません。
野球において、攻撃は生き続けることです。
そして守りは、相手を殺すことです。
生き続ける気合がなければ、あっけなく敗れます。
それが、昨日の試合ではなかったでしょうか。

だからこそ、新三年生には
自分がミスをしても、決して諦めてはならない。
後輩がミスをしたならば、それを補わなければならない。心のケアをしなければならない。
その為には、普段の練習、生活から後輩を牽引する気概を持たなければいけない。
責任をもたなければいけない、と思います。

そして、笑顔で怒号が飛び交える信頼という絆を築かなければいけない、と思います。

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