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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

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2026年5月19日火曜日

詐欺電話の注意を喚起します!

 留守録に、次のようなメッセージが入ってました。

それは自動音声ガイダンスで国民年金機構と名乗った後「~書類の確認が取れないため、年金の支給が止まる云々」「オペレーターに繋ぐには1番を押して」と不安を煽る内容でした。

詐欺電話で検索すると、

全国で、日本年金機構を名乗る不審な電話が多発している。特に「自動音声ガイダンス」を用いた手口が急造しており、注意が必要です。

との注意喚起を受けました。

不審な電話は、取らない。自動音声ガイダンスであれば無視してすぐ切る。万一、相手が出たとしても、恐れず、一度電話を切り、家族や警察に電話して詐欺電話か相談する。一呼吸の立ち止まりで、冷静な判断を、私たちは取り戻すことが必ずできると思います。


欺される方が悪い、は詭弁です、欺す方が悪いのです。

こう云う私も以前、トイレの詰まりで慌ててしまい、知らずに悪徳業者を呼んで、高額の費用を請求され支払ってしまった苦い経験があります。

すぐに消費者センターに通報しました。そして、悪徳業者は消費者センターも警察もマークしていた業者であることが分かりました。でも、悪徳業者はのらりくらりと法の網をすり抜けて、私と同様な被害者を次々に生み出していました。そして欺されて奪われた金は帰ってきません。

欺されたら、後には、欺されたのに、被害者なのに、身も心も疲弊させられてしまいます。

今の社会は、欺されるだけで無く、欺す者の手先に、捨て駒のように、ボロ雑巾のように、奴隷のように従わされる罠が、身近なところにまで仕掛けられています。

甘い言葉の勧誘、過大な言葉の勧誘、これらの裏には脅しや恐怖が潜んでいること、私たちは自覚しなければなりません。

2026年5月8日金曜日

マイクロバスの重大事故

 【国土交通省が周知している、マイクロバスの適切な利用についての事柄】

https://wwwtb.mlit.go.jp/hokushin/content/000105329.pdf

1.運転手付きマイクロバスの手配は、国土交通大臣の許可を受けたバス会社を利用しましょう。

〇 運転手付きの「白ナンバー」のマイクロバスは、いわゆる「白バス」と呼ばれる道路運送法に違反するサービスです。利用はやめましょう。

〇 道路運送法の許可を受けたバス会社(貸切バス事業者)の正規のマイクロバスには「緑ナンバー」が付いています。

〇 正規の貸切バス事業者には「運送引受書」や「領収証」などの関係書類の交付が義務付けられています。口答による契約は、法的に違反するサービスです。

2.レンタカーのマイクロバスには運転手は付いていません。

〇 レンタカー会社からは、車を借りることしかできません。

〇 レンタカーを借りた場合には、車を借り受けた利用者自身が運転しなければなりません(※)。

(※) 車を借り受けた利用者自身が、自らの意思で他の人に運転を依頼することはできますが、この場合、実際に運転する人の氏名等をあらかじめレンタカー会社に申告しておく必要があります。

〇 レンタカーと運転手が一体的に提供されるサービスも、いわゆる「白バス」と呼ばれる法律に違反するサービスです。利用するのはやめましょう。

〇 また、運転を依頼した人などに、レンタカーの手配をしてもらうことはできません。

3.違法な「白バス」を利用して事故に遭った場合、保険の適用がないことがあります。

〇 違法な「白バス」を利用して、万が一、事故に遭って負傷した場合、適切な損害賠償がなされず、治療費などの損害額を利用者自身が全額負担しなければならないケースもあります。


また、GoogleAIへの質問

「学生のクラブ活動の遠征等でバスを使用する場合 レンタルしたバスを父兄が運転するのは法律違反にはならない?」についてのAIの回答

「重要なのは『レンタカー業者から直接借りて、保護者が運転する(実費のみ)』か、『業者から運転手までセットで手配する(違法)』かという点です。」には、思わず我が身を振り返りました。


6日に起きた、バスの重大事故の一報を聞いた時、また過重労働が招いた事故が起きてしまった、そう思いましたが、その後の詳報を聞いて、これは、誰も違法とは気付かぬまま、何年も何十年も広く常態化していた違法行為が、遂に招いた事故ではないのか、と考える様になりました。

そして、冒頭に掲げた、国土交通省が周知していた事柄の文章を探して読みました。

息子の中高のクラブ活動の長距離遠征では、バス会社を利用していましたが、近場への練習試合や大会などの移動では、父兄の中にプロドライバーが居られ、その方にバスの手配と運転をお願いしていました。勿論、父母会皆でそれぞれが役を担い、係る費用は実費だけでしたので、振り返っても、違法な点は一つもありません。ですが、私自身、国土交通省の周知事項は、今の今まで正確には知りませんでしたし、人任せ、他人任せであったことは否めません。

そう考えると、知らなかったという私自身、被害者となった高校生に、後ろめたい気持ちを感じます。そして、私の様に感じている人も、また、少なからずいるのではないかと思います。

学校も、クラブ顧問で依頼した先生も、鉄道会社の担当者も、レンタカー会社も、そして事故を起こしたドライバーも、悪意があったとは思えません。ただ不幸な事故では有り得ない。重大な問題が引き起こした重大な事件だと思います。

しかし残念なのは、マスコミが騒ぎだし、犯人捜しが始まると、当事者たちの発言に食い違いが生じてきたことです。理解はできます、突然に糾弾され、慌てふためき、発言がしどろもどろになって、また二転三転する。冷静さを失えば、こう云う事が起きてしまいます。この事故では、保険が適用されない公算が徐々に明らかになってきたことも、罪の重さと同様に、当事者たちを言い様のない恐怖に落とし入れ、正しい判断を曇らせている様に思います。

マスコミは、この事件を極小化せず、誰もに起きる可能性のあった事件という視点でも取り上げて、二度と同様の事件事故が起こらないように制度改善を促すような報道にも努めてほしいし、また、被害者が心身の快復に注力できるように、また金銭的な負担を背負わないように、社会に働きかける報道にも努めてほしいと願います。

2026年2月5日木曜日

民、信無くば立たず

論語に由来する言葉で、『国民(民衆)の信頼がなければ政治は成り立たない』という意味。

毎年のように行われるようになった衆議院選挙が、昨年の10月21日に女性として初の首相となったばかりの高市早苗衆議院議員の突然の解散権行使によって、今年もそうそうに行われることになりました。

しかし、解散を察知した政界では、選挙の直前に、野に下った公明党と立憲民主党の衆議院議員が、中道改革連合(略して中道)という政党を結党しましたね。

『中道』という言葉は、仏教由来の言葉です。仏教学者ひろさちやさんは、著書『大乗仏教の真実』で、『中道』とは何か? について次のように述べています。

***

釈迦が言う『中道』は、宗教の修行法ではない。それは『人間らしい生き方』なのだ。人間が欲望に執着すれば、その欲望を充足させるために、あくせく、いらいら、がつがつと生きなければならない。仮にその欲望が悟りを開きたいといった宗教的な意味での欲望であっても、悟りを開くために、あくせく、いらいら、がつがつと修行せねばならない。それが苦行である。

しかし、欲望から解放されたとき、人間はゆったりと、のんびりと、おおらかに生きることができる。それが人間らしい生き方である。そして、人間らしく生きていれば、きっと覚りの境地に達することができるであろう。釈迦はそう考えたのであった。

また、「弾琴のたとえ」と呼ばれる、釈迦の言い伝えられる話があります。

出家して釈迦の弟子となったシュローナは、厳しい修行に打ち込んだが、いっこうに悟りが開けないがために、還俗を決意して釈迦に相談したときに、釈迦は「シュローナよ、そなたは家にあったとき、琴を弾いたであろう。琴の絃は緩いといい音は出ない。しかし、あまりにきつく締めすぎてもいい音は出ないばかりか、絃が切れてしまう。いま、そなたは、絃を締めすぎているのだよ。もっとゆったりと修行を続けなさい」と、『中道』を歩めと教えられたのである。

***

ならば、政治における『中道(中道改革主義)』とは何か?

Google AIは、

「政治における『中道』とは、左右の極端なイデオロギー(極右・極左)に偏らず、バランスの取れた穏健で現実的な政策を追求する立場です。分断や対立を避け、生活者目線での合意形成と安定した政治運営を重視する『中道改革主義』とも呼ばれています。」

と回答しました。

では、政治における『右と左』とは何か?

再びGoogle AIに問うと、

「政治における『右(右派・保守)』と『左(左派・改革/リベラル)』は、1789年のフランス革命時の議会の座席配置(右側に国王派、左側に改革派)に由来する政治的立ち位置です。一般に右は『伝統・秩序・国家』を重視し、左は『改革・平等・個人の自由』を重視する傾向があります。」

と回答しました。

評論家の浅羽通明氏は、著書『右翼と左翼』で、

***

「左」「左翼」は、人間は本来「自由」「平等」で「人権」があるという理性、知性で考えついた理念を、まだ知らない人にも広め(「啓蒙」)、世に実現しようと志します。これらの理念は、「国際的」で「普遍的」であって、その実現が人類の「進歩」であると考えられるからです。

ですから、現実に支配や抑圧、上下の身分、差別といった、「自由」と「平等」に反する制度があったら、それを批判し改革するのが「左、左翼」と自認する人の使命となります。

また、そうした改革、革命は、支配や抑圧、身分の上下、差別によって割を食っていた下層の人々の利益となる筈です。故に「下層階級」と結び付きます。以上の前提には、「政治や経済の仕組みは人間の手で作り替える事ができる」という考え方です。

対する「右」「右翼」は、「伝統」や「人間の感情、情緒」を重視します。「知性」や「理性」が賢しらにも生み出した「自由」「平等」「人権」では人は割り切れないと考えます。(「反合理主義」「反知性主義」「反啓蒙主義」)。

故に、たとえそれらに何ら合理性が認められないとしても、「長い間定着してきた世の仕組み(「秩序」)である以上は、多少の弊害があっても簡単に変えられないし、変えるべきではない」と結論します。

こうした「伝統」的な世の中の仕組みには、近代以前に起源を有した王制、天皇制、身分制などが含まれ、それらは大方、「階級的秩序」「絶対的権威」を含んでいます。

「右・右翼」と称する人は、それら威厳に満ちた歴史あるものを貴く思って憧れる「伝統的感情」を重んじ(「歴史主義」「ロマン主義」)、そんなものは人権無視で抑圧的で差別の温床だなどと賢しら(「知性的」「合理的」「啓蒙的」)に批判する左翼らが企てる「革命」「改革」から、それらを「保守」しようと志します。

***

と述べています。


私は、「人権」「自由」「平等」が保証された社会でこそ、すべての社会構成員(貧富も身分も精神的・身体的ハンデも年齢も性別も国籍も肌の色も、全て関係無く)が、社会の発展や進歩のための学びや活動に参画でき、延いては、人類の「共生意識」が保たれ「平和」を維持し、それが持続的な「進歩」や「発展」を可能にするのだと思います。

そして、私は『「人権」「自由」「平等」が保証された社会』を保証する、それを守る者でありたいと思います。

それが、一市井の人間としての政治への関わり方の責任であり、それを行使する一手段が、政治を代議する人を選ぶ選挙に投票することだと思います。

右・左という概念は、上で見てきた通り、前時代の遺物です。極端な言い方をすれば、冷戦時の共産主義や民主主義の対立という概念も、近代史の遺物です。

現在の日本や世界で起きている政治の対立は、独裁制と民主制の対立です。

しかし、現代の民主制の大きな弱点は、構成員である国民が、政治に関わるための知識や度量や義務、責任、節度を全うする、延いては、そのために命を賭す覚悟や決意が、教育の中でも、社会の中でも、学ばないし求められていないことだと思います。

そして、選挙の度に、立候補者は耳障りのよい「生活者ファースト」「国民ファースト」「日本国民ファースト」と、さもわたしが為政者となった暁には、わたしたちの政党が政権を担った暁には、国民に奉仕するという空虚な公約ばかりを並べ立てます。結局は、古今東西の右も左も、支配者目線で語るばかりです。

民主制ならば、主権者である国民に、厳しい事実を問い掛け、共に立ち上がり、厳しい事実と向き合い、改善できるように共に行動しようと訴える立候補者はいないのか、と思います。

現在の「人権」「自由」「平等」は、わたしたちの国日本でも、理念であり、理想であり、それを隅々にまで行き渡らせるための途上でしかありません。油断をすると、直ぐに後退するのが世の常です。そして現在の日本も後退期にあります。

耳障りのいい空虚な言葉を囁く者には惑わされず、厳しくも「人権」「自由」「平等」を進め隅々まで行き渡らせるために、共に活動することを訴える者に、私は信を預けたいと思います。

2026年1月10日土曜日

おごれる人も久しからず

昨日、読書が楽しめる馴染みの「珈琲の店 慈雨」に今年はじめて訪問し、美味しい珈琲とバタートーストを頂きながら、一冊の本を手に取り読みました。その本は内田樹さんのエッセイ集『疲れすぎて眠れぬ夜のために』でした。

目次を開くと、『Ⅳ 「らしく」生きる』という章題に目が留まり、そのⅣ章を開いて読みました。読み進めるうちに気に留めた箇所をスマホの一太郎で書き留めました。

【書き留めた文章】

『村上春樹は作家的直感によって、「ディセント(decent:礼儀正しい、まともとある、品位がある)であること」が、不条理な世界を生き延びるためのさしあたり最初のディフェンス(defense:防御、生き残るための手段)であるということを知っています。礼節というのは、まさに「生き延びるための知恵」なのです。』

『礼儀作法の目的は何よりまず「仮面をかぶることによって自分の利益を最大化すること」

』

『権力を持つ人間、決定権を持つ人間、こちらに対して強制力を発揮できる人間の前では、絶対に自分の「素顔」を出してはいけない。これが礼儀の基本です。』

内田樹さんは、昨今の若者の風潮である「素であること」「建前を排除して本音を通すこと」が、どれほど損をする行為であるか、そして戦時下や不条理な状況に追い込まれたときには、どれほど命を危険に晒す行為であるかを、文中で示し、ディセントを生き延びるための知恵としなければならないと説かれていました。

書き留めた箇所に「仮面をかぶる」とありますが、私もこれには大いに共感します。私は「立場の役者となって演ずる」という表現で、心の内に留めてきました。でも、そういうことが出来るのは、やはり十分な準備が必要で、心が、強く安定し、自信を持ち得た時だけです。それが無ければ、すぐに化けの皮は剥がれます。仮面は打ち破れるでしょう。

結局のところ、仮面もかぶれず、役者にもなれず、「素の自分」や「本音」しか出せないのは、私たち現代人に、心の余裕や自信というものが、そもそも育まれずにきたからなのではないか、また、そもそも隷属を強いられて、日々を追い立てられながら生きているからなのではないか、そんなことも考えてしまいました。

追伸

国家も然り、国政を担う為政者も然りです。日本だけをみても、中世から近代史において、生き残る為政者はみな品位と礼節を備えた腹の内の見えない人物ばかりです。品位もなく礼儀もなく、あけすけな人物は時の人にはなるかもしれないけれど、高みに辿り着く前に排除されいつしか居なくなっています。「おごれる人も久しからず」です。

世界は協調や協力の時代から力の時代へと逆行を始めています。一段も二段も謙りならが、自らの間合いを堅持すること、そして相手を見定めて礼節を以て接することで、生きる道を見定める、これからの為政者にはとても必要な能力なのではないかと思います。

 

2025年11月25日火曜日

AIが招く世界の終わり

 今朝、こんなニュースを見聞きしました。何でも、アメリカでは大卒の若者の就活が難航しているということで、その背景にあるのは、企業の業務全般のAI化推進ではないかと云う内容でした。

現在のアメリカは、人類の富の大部分を一握りの富裕層が保有するという超絶した貧富の格差社会を生み出しています。その富裕層の人々は、満足することを知らず、更に富を拡大するために思考を巡らしています。

現代の社会は、ITが高度に発達した情報社会です。そして、現在のトレンドは、あらゆる情報を持続的に収集してAIに学習させることで専門性の非常に高いAIを作り出し、そのAIが人間に代わって製造する創作物(それは知恵であったり、答えであったり、静止画・動画・音声・音楽であったりします。それらは仮想の産物です。)で、莫大な富を生み出します。

その現代の富の鉱脈を作り出し、持続的に稼働させるためには、莫大な資金とエネルギー資源が持続的に必要となります。その資金やエネルギー資源というものは、本来ならば人類の健やかなる進歩にこそ使われるべきものですが、富とビジネスを寡占する富裕層の人々が傾倒するのは、自らの富の更なる拡大と、もしかしたら、AIが製造する知恵や答えが開くことになる未来の支配(と、言い切ってしまってよいかどうかは、知らんけど)でしかありません。

世界の終わりの第一の波。第二次世界大戦後の80年間、地域紛争は止まず、大国同士の小競り合いも止むことはありませんでしたが、それでも第三次世界大戦を招く事態は、どの大国も避ける努力を続けてきました。しかし最近では、その努力が失われつつあります。大国は自らの力を誇示し始めて、この80年間で人類が築いてきた国際的な秩序の恣意的な変更に挑み始めています。その行為にも、AIの創造物である偽情報が大いに活用されています。

世界の終わりの第二の波。既に何十年前も前から科学者が警報を鳴らしてきた地球環境の破壊です。産業エネルギーを製造したり燃焼する過程で生み出される排気ガスやエネルギー資源や鉱物資源を採掘するための森林破壊・土壌破壊という地球環境の破壊は、過去においては、人類全体の野放図な欲望が引き起こした無分別な行動であったと考えられますが、現在そして近未来においては、唯一AIを超絶に稼働させると云う理由だけで継続されるかもしれません。そして、私たち人類は、地球の急激な温暖化や寒冷化、そしてあらゆるものを根こそぎ吹き飛ばす低気圧の渦と、あらゆるものを根こそぎ洗い流してしまう大水の恐怖に怯えながら生きていくことになりそうです。

世界の終わりの第三の波。そしてAIが人間の知的生産活動の全てを奪ってしまった暁には、人間は考える歓びが奪われて、知的好奇心を失い、進歩を止めてしまうかもしれません。

今朝のニュースに、私は第三の波の到来を、感じ取った次第です。

2025年11月21日金曜日

「お互いさまの意識」で行きましょう!

 仏教学者ひろさちやさん(本名:増原良彦さん 1936/7/27-2022/4/7)が著された随筆集「世捨て人のすすめ」の中に、「お互いさまの意識」というお話しがあります。

ひろさちやさんは昔、奥さんとヨルダンの首都アンマンでタクシーに乗った時、妻は後部座席に座れたのに、私は運転手から「お前はここだ」と助手席に座るよう促され助手席に座らされた。何故? と訊ねても、言葉が通じず理由を理解することが出来なかったけれど、後で現地に滞在する日本人の商社マンから、その理由を教わりました。

「要するに、友だち感覚なんですよ……」

われわれ日本人は、乗客はお客さんだと思っています。そうすると、タクシーの運転手は使用人か、下手をすると召使いになってしまいます。「それはおかしい」というのがヨルダン人の考え方なんです。人間はみんな友だち・仲間なんだ。だからタクシーに乗れば、友だちに車を乗せてもらい、友だちが運転してくれるのだ。そういう意識からできた風習のようです。もちろん、運転手は料金を請求しますよ。それはそれ、これはこれ、なんですね。

私たち日本人は、乗客が運転手を雇っている気でいますが、それよりはヨルダン人の考え方の方がよほど美しいと思います。

そして、ひろさちやさんは、昔は日本人も美しい心、『お互いさま意識(売り手も買い手もみんなが、お互いが同じ立場にあるという意識)』を持っていた。けれども現在の日本人は、『消費者は王様』という意識に囚われて、美しい心を失ってしまった。何故に失ったか? わたしたちみんなが『拝金主義者』になったからだと思います、と理由を述べられた上で、でも、これは馬鹿げた考え、間違った考えであると気付くことが出来れば、もう少しはマシな日本になりそうです、と締めくくられていました。


先日、東京都教育委員会から学校向け保護者対応ガイドラインの骨子案を公表した、とニュースが伝えた内容には、呆れ返るほどの驚きがありました。

東京都が4月、顧客の暴言や不当な要求から就業者を守るカスタマーハラスメント(顧客という立場で行う嫌がらせ)防止条例を施行。都の教育委員会は、保護者による教員への不当要求もカスタマーハラスメント防止条例が防止を目的とする行為に該当すると定め、保護者の暴言や中傷、理不尽な欲求から教員を守るガイドラインの骨子案を公表したという内容です。


日本では、何か問題が生じれば「とりあえず頭を下げて謝罪する」が礼儀で、そこから問題解決の話し合いが始まります。だから、訴えられた方に非がなくても、謝罪から始まるために、非があっても先に訴えた方が勝ちと云う本末転倒のことが起こってしまいます。そして、謝罪する方は、上司が店が会社が、「まず謝罪しなさい」と指示するから、とりあえず謝る、ひたすら謝るのです。問題を解決するのは自分ではないのです。理不尽ですね、うっぷんばかりが溜まります。そしてそのうっぷんは、どこかで顧客の立場に変わった自分が、見ず知らずの誰かに同じ行為を行って晴らすのです。まるで不幸の手紙というか、悪意のたすき渡しというか、非常に無意味で虚しい愚かしい行為だと思います。


そもそも、学校、義務教育を受けるための学校や、将来に何ものかになるために知識や技術を学ぶために自ら入った学校の、生徒や学生、そしてその保護者は、顧客でしょうか? 顧客と見なすのは正しいことなのでしょうか? こんな初歩的な当たり前過ぎて考えもしなかった事を、賢い頭でひねり出し、顧客と認定してしまう。

私たち日本の世の価値観というものが、私たちの子供の頃から、大きく乖離してしまった事の、一現象なのでしょうね。国民を導く、指導する役割を担う人たちまでも、ひろさちやさんが指摘された「消費者は王様」意識に毒されてしまっているんか、と天を仰いでしまいます。

昔のヨルダンの人が持っていた「友だち感覚」は、ちょっとニッポン的な礼節の感覚では行き過ぎの感はありますね。教師や師匠、或いは公共の福祉・教育に携わる人たちへは日頃から感謝の気持ちを忘れずに、相応の礼儀で接するのが、心美しい日本人の取るべき行動だと思います。そして保護者は、互いに社会で役割を分担している同士、互いに助け合っている同士、という「お互いさまの意識」を持てば、思い出せば、そして我が身に照らせば、教師に暴言を吐いたり中傷したり理不尽な欲求をすることが、どんなに情けないことか惨めなことかを心から感じ取ることができるのではないかと思います。

そうでなければ、どこからか破れ傘刀舟がやって来て『許せねぇ! てめえら人間じゃねえや! 叩っ斬ってやる!』とお仕置きされる、かもしれませんよ。


2025年11月20日木曜日

何故に、出来うる検証を行わなかったのか?

テレビ観戦を楽しみにしていた『侍ジャパンシリーズ2025 日韓戦』でしたが、第1戦で起きたプレーのアウト判定がテレビのリプレーで誤審であったことが明らかであったのに、審判団だけの協議だけでアウト判定が確定し、ゲームが再開されてしまったことに興ざめして、以後観るのを止めてしまいました。

4回表裏、両チームが3点ずつ取り合ってがぜん面白くなってきた矢先の5回表でした。韓国チームの攻撃でしたね。先頭打者が放った強烈な打球が投手に当たって大きく一塁側に跳ね、そのボールを一塁手がダイレクトキャッチしワンアウトになりました。一緒に観ていた妻が「何でアウトなん?」と訊ねてきたので「ひとりがフライボールをグラブではじいて取れなくても、側にいたもうひとりが地面に落とさずにキャッチしたらアウト、それと同じで地面に一度も付かずにキャッチしたらアウト、ファインフレーや」と解説しました。が、すぐテレビでリプレーが始まって、打球は投手に当たる寸前でマウンドの土をタッチしているのがハッキリと見て取れました。東京ドームのスクリーンにも映し出されているだろう、そう思いました。でも、審判団はこのプレー判定のために集まって協議した後、判定を変えぬままプレー続行を告げました。韓国チームの監督が出て来て抗議の姿勢を見せましたが、早々に諦めてベンチへ戻っていきました。いつもの中継なら、しつこいほどにリプレーを流すのに、それにドームのスクリーンにはこのリプレー流れてないの?と疑義の気持ちが湧き上がり、それで私は観る気持ちが失せてしまいました。

MLBのゲームなら、試合の勝敗同様に、セーフかアウトの判定や、ストライクかボールという一球の判定さえも厳しい視線が注がれます。セーフかアウトの判定に異議があれば、異議を申し出るチームの監督はリプレー検証をリクエストします。リプレー検証に該当するプレーである場合は、ニューヨークに設置されたMLBのビデオ判定チームが球場に設置された8~12台のビデオカメラが撮影したあらゆる角度からの映像を元にリプレー検証を行い、該当プレーのセーフかアウトの確定判定を行います。この確定判定には誰も異議を申し立てることはできません。また、リプレー検証に該当しないプレーの場合も、審判団自らの判断でリプレー検証を要求する場面も見受けられます。そして、来年からはストライクかボールの判定にAIと高性能カメラによる自動投球判定システムが導入されるといいます。

これらの検証システムの導入は、人間の審判員を蔑ろにするものではなく、むしろ審判員の負担を軽減ことに大いに役立つものと考えます。

人間は人間である限りバイアス(先入観や思い違い)から逃れることはできません。リプレー検証ができなかった時代では、あいまいさは、誰からも許される許容範囲にありました。むしろ人間だからと納得していたように思います。私自身、少年野球や草野球に携わったとき、審判を何度か務めた経験がありまして、先入観や思い違いなら良い方で、明らかに自己の判断(けっして悪意はなく、頑張っている選手を持ち上げようとしたりして・・・)で判定したことや、ストライクかボールの判定では(投球が速すぎたり変化しすぎたり、捕手が邪魔でそもそも死角になっていたりして)見えていないのに、大体で判定したことが多々ありました。それで揉めるなんてことは一度もありませんでしたが、私自身の中に後ろめたさみたいなものが残ったように記憶しています。

審判員は、両チームのどちらかに偏ることなく、特定の選手に偏ることなく、ゲームを進行し、プレーそのものを正確に判断して判定し、ゲームの勝敗を宣言する権限とそれに伴う責任があります。プロの審判員ともなれば何百試合、何千試合とこの仕事を続ける事になります。その間、他人にはけして吐露できない後悔の念というものも積み重ねなければならないでしょう。それに現代であれば、ゲームの中継映像が思いもよらない誤審を世間にあきらかにし、それがネットで永遠に晒し続けられるという恐怖も現実に起こり得ます。審判には最悪の時代の到来だと思います。

リプレー検証やAIによる自動判定システムは、人間のバイアスから起こる誤審や、チームや選手が審判団に対して抱く不信というものを、ゲームから取り除くことに繋がると思います。人間の眼では判断ができないスピードや画角や空間の範囲、そしてクローズアップを、AIや高性能カメラがあきらかにして、人間が判断するための正確な答えを与えてくれるのです。人間はバイアスを恐れる必要が無くなるのです。


WBCにも、ビデオ判定ルールが適用されます。その目的としては

・試合の透明性の向上を図ることで、ファンの信頼を築く。

・選手のパフォーマンスを保護するため、誤った判定を減らす。

・野球のエンターテイメント性の向上を目的として、観客の楽しみを増加させる。

以上の三つが掲げられています。

それなのに、『侍ジャパンシリーズ2025 日韓戦』では、この目的が蔑ろにされていました。このシリーズでは、日韓ともに誤審を受けています。このシリーズは本チャンではなくあくまでも強化試合だから、或いは親睦試合?だからなんてうそぶく人もいるかもしれませんが、このシリーズはWBCの一環で行われたものである限り、WBCのルールや信条に少なくとも準じなければならないと思います。日本プロ野球が使用する野球場には、MLBの野球場が備える検証のための精緻なシステムなど備えていないし、韓国プロ野球の野球場が備える高度なAIによる自動判定システムもないことを、ここで問題視するつもりなんてありません。日本のプロ野球で私たちは満足してきたし、日本の野球場の素晴らしさ、特に甲子園は世界一だと自負していますから、それに不満なんてありません。しかし、WBCが掲げる検証ルールの目的を現状の環境下でも出来うることはやり尽くすべきだと思います。

今回の誤審など、日本のチャレンジルールの環境でも正せた誤審です。『何故に、出来うる検証を行わなかったのか?』、『何故に蔑ろにしたのか?』を大いに問題視すべきだと思います。


もう一つ付け加えねばならない事があります。この誤審を下したのは、今年にMLB初の女性審判としてデビューしたジェン・パウォル氏です。ジェン・パウォル氏は、30年以上、1200試合以上のソフトボールや野球の選手としての経験や審判としての経験を積み重ね、今年ようやくMLBの舞台に立った、云うならば経験豊富なプロの審判員です。ですが今回の誤審が誤審として正されなかったことは、ジェン・パウォル氏の今後のキャリアにも、そして心に残る記憶にも、負いにならないか心配します。

また「ジェンダーバイアス(性的偏見)」に繋がらないかも心配します。ジェン・パウォル氏は、MLBにおいて女性が活躍できる場所を一つ開拓されました。日本よりもはるかに女性が、というよりも性差別が少なくて、誰もが活躍するチャンスが与えられる社会であるアメリカですが、現実には古風と云うのか、保守的と云うべきか、もっとハッキリと言えば古き良きアメリカを懐古するだけでは物足りずその時代をもう一度と「Make America Great Again」と叫ぶ白人のアメリカ男性が「やっぱり女では駄目だ」「門戸を閉めとよ」と勢い付かないか心配します。

何より心配するのは、MAGAの精神に同調する日本男子(特に地位のあるニッポンダンジ)が、まだまだ性差別が甚だしい日本社会で、あれもこれもと、まだ女性に門戸を開くのは時期尚早だと思慮深さげに発言しだしはしないかと心配します。日本人は、地位の高い人や声の大きな人に同調してしまう国民性を孕んでいますから、個々人は色々と心の中で良いことを考えていても、結局は自己を押し殺し、諦め、従ってしまう恐れがあるからです。 

2025年7月20日日曜日

一部の有識者の思想に委ねてはいけない「違法オンラインカジノ問題」

 『社会問題と化した違法オンラインカジノ問題について、対策を検討する有識者会議は、サイトへの接続を強制的に止める「ブロッキング(接続遮断)」に関し、憲法が保障する「通信の秘密」の侵害に当たる恐れを重く見て、当面実施を見送るべきだとの提言をまとめた。』というニュースを知り、私は愕然としました。


総務省が公開している「ブロッキングによるアクセス抑止について」のドキュメントに、ブロッキングの定義が書いてありました。

以下引用します。

総務省ドキュメント:ブロッキングによるアクセス抑⽌について

https://www.soumu.go.jp/main_content/001011314.pdf

インターネット接続を提供する電気通信事業者が、 ←実施主体はISP事業者

利用者の意思にかかわらず、 ←同意を得て行うのは「フィルタリング」

通信の相手方や接続先URLを網羅的に確認し、 ←影響は全員の全通信

アクセス遮断リストに掲載されている場合は、 ←事前のリストの準備

接続を拒否すること ←「つながない」ための措置


日本以外の多くの国、ロシアや中国、北朝鮮のような専制国家だけでなく、ヨーロッパの民主主義国家の多くがサイトブロッキングを適法とする司法判断を行った上で、実行しているのがスタンダードです。


上のブロッキングの定義だけでも、個人の通信の秘密を暴くようなものではないことは明白です。様は、国民の生命の安全や財産を脅かすものは、安全保障の観点からみても排除しなければならないのは自明だと思います。セキュリティーを専門とする人々や会社は24時間365日ネット上の不正や犯罪に関する動向を監視しています。自国だけでなく、少なくともOECD加盟国と連携して、情報共有し、国民の生命の安全や財産を脅かすサイトは、双方で遮断する措置を講ずることこそが本来の措置であると思います。

そのために、有識者と呼ばれる小集団だけに明暗を預けるのでは無く、広く国民に周知して多数の賛成を得て、早急にも実施すべきです。

また、ネット上で不正や不適切なサイトへの誘導や自動的に表示する仕組みを野放しにするISP事業者や、SNSサイト運営者は、厳しい罰に処すなどの合意も取り付ける必要がります。

そうしなければ、インターネットやSNSのリテラシーが希薄な人々がいつまでも犯罪者の餌食になり続けることになるでしょう。

日本人は、第二次世界大戦の敗戦の後、犯罪的な国家運営者に日本人は酷い目に遭わされた、嘘をつかれた、誤った思想を強制されたという怨念がどうやらあるようで、国家運営者を信用しないとう癖が染みついているように思えます。

しかし、そのような過ちを再び繰り返さない為にも、一人ひとりの国民が、国民全員が、常に国民の生命の安全と財産を守るという意識を持って、国政に感心を持ち、国政に関わる気概を持たなければいけないのではないかと思います。

これは、あらゆる最近の問題に繋がることだと思います。


私は「みらい」に掛けます

 今日は参議院議員通常選挙の投票日です。

マニフェスト、うろ覚えですが2009年の第45回衆議院議員総選挙からマニフェストという言葉が注目されたという記憶があります。政党や一個人の立候補者が単なる聴き心地の良いスローガンではなく具体的な数値目標、達成目標を掲げて国民に訴えた記念すべき選挙であったと想います。そしてこの選挙で自民党は大敗し下野し、アメリカのような二大政党制を目論んで旗揚げされた民主党が勝利して、いわゆる55年間実質的に一党独裁の続いた日本の政治が大きく変化を遂げた(ようにみえた)選挙となりました。

しかし民主党は、「船頭多くして船山に上る」のことわざをなぞるように、結局はリーダーになりたい人たちの身勝手な発言がもとで、たった四年で瓦解し、再び、というか更に独裁色を強めることになる自民党が政権を担うことになりました。

そこからの十三年間、国民は萎縮し、国力は低下し、社会通念や倫理観というものが蔑ろにされ、犯罪者が大手を振って闊歩する国へと変貌してきたように思います。

そしてこの度の参議院議員選挙も、多くの既成政党は、中身のない聴き心地が良いだけのスローガンに終始するという時代錯誤の有様です。

ですから、私は「みらい」に掛けてみようと思いました。若者の集団で、本当に新しい産業というか、そういうものを創出してくれるのではないかという願い含めて、「みらい」に投票しました。彼らの社会通念や倫理観がどのようなものかは正直分かりません。ですが、他よりも「みらい」を切り開く力はある、そう踏んだのです。

2025年6月3日火曜日

齊藤元彦知事の大罪

一人の県職員による齊藤元彦知事に関わる問題・疑惑の外部通報、あわせて県の窓口への公益通報から始まる、兵庫県行政のごたごたは、それを調査して評価した百条委員会、及び兵庫県の第三者委員会が、概ね一部の疑惑をあったと認定したことで、それを受けた齊藤元彦知事がどう身を処するのかを注目していたが、予想通りというか、知事側の弁護士の法解釈を述べて、法律に照らし合わせても判断が分かれるところと他人事の様な感想を述べるに留まり、自分は県民の負託を受けた身分であることを強調し、県政を前に進めるという毎度のフレーズを繰り返すだけでした。

冷静にこの問題・疑惑を眺めてみると、特に通報者を特定するために行った通信の秘匿や個人情報を暴くという行為や、その通報者や知事側と対峙する議員たちの個人情報や真偽不明な疑惑を知事側と通じる県議が秘かに外部の扇動政治家に流して、公共に晒すという行為は、個人の人権を守らず危険に晒す行為であって、これだけでも十分に憲法に違反する大罪だと私は考えます。

そして、もう一つの大罪があると考えます。それは、兵庫県行政に相互不信を蔓延させた上に、県民を大きく分断した事です。

兵庫県の県職員はまるで戦時中の全体主義に統制されているかの様に、密告を恐れて、知事一派に不利な意見を公にすることが出来ないように見えるし、県議に至っては百条委員会の非公開の議論の場での発言が、秘密録音され、切り取られた音声がネットで拡散されて、不特定多数からの誹謗中傷に晒され、一人の議員が自死に至るという最悪の事態までが起きて、議員同士の不信感が蔓延し、議会が機能不全に陥ってしまっているのではと想像します。

県民といえば、明らかに精神医学でいうところの「考えを誘導する」という高等なテクニックによって、思考が「齊藤元彦知事を応援する」に誘導されたのだと考えます。その手法はYouTubeやSNSのメッセージを利用して、通報した職員や知事に対峙する県議の悪評を、不特定多数の人々に際限なく送り続けるというものです。そして、その中に、デマを拡散する者を紛れ込ませて、扇動政治家が大々的に糾弾するキャンペーンを行うのです。それによって人々の潜在意識を刺激し続け、「彼らにとっての都合の良い思考」を人々に植え付けたのだと思います。テレビのニュースや新聞が丹念に調べて記事にしたものを時系列で読み理解すれば、知事側に明らかに不都合があると分かるのですが、そのテレビや新聞までもがネット上でオールドメディアと断罪され、同じように糾弾キャンペーンされるに至り、また長文よりもショートメッセージを好むデジタルネイティブの若者ばかりかデジタルに遅れて参加してきた高齢者までもが、「知事は被害者、可哀想な知事、知事を応援する」という思考に誘導され、一度潜在意識に染み込んだ思考は、対立する思考を受け付けず、それが齊藤元彦知事の再選という結果を招いたのだと考えます。

一言でいえば、非常に悪辣な行為が行われていたと、私は考えます。

但し、既存のマスメディアには十分に反省する点があると考えます。よく音声を変えた県職員のインタビュー音声がニュースなどで流されますが、音声を流すだけで、その音声が語る情報の裏取りがない事です。これでは扇動政治家と同じだと思います。よく「県の中堅や若手の離職の多さ」が語られますが、それが本当ならば、県政にとって大きな損失となるばかりでなく、県民サービスが損なわれる事態が起こるということで、これだけでも知事は辞めなければいけない理由となると考えます。もっと正しく伝えるというジャーナリズムの精神に立ち戻り、しっかりと調査して報道に繋げて欲しいと強く思います。 

2025年5月13日火曜日

NEOエロ・グロ・ナンセンスの時代を迎えて

 姪の息子が、この春から法律を学ぶために東京の大学に進みました。

その姪孫が、3月に母郁子(姪孫から見れば曾祖母)を見舞に来てくれたときに、父清造(姪孫から見れば曾祖父)が残した海軍時代の古いアルバムを見せてあげました。姪孫は多少興味があったと見えて、目を輝かせてアルバムのページをめくっていました。また、戦艦が写る写真はスマホで撮し保存していました。

私がアルバムを姪孫に見せたのは、80年前に敗戦で終わった戦争の記憶は、姪孫にも繋がっていることを知ってほしいと思ったからです。アルバムはまるで卒業アルバムの様な体裁で編さんされていて、内一冊の表紙には「上海事変の思い出」と刻印がされていました。父は生きていれば今年110歳になります。姪孫と同じ年齢の頃に海軍に入隊し、呉の学校で兵隊となるべく学び、そして約10年間、日中戦争から太平洋戦争に従軍して、最後は南方の捕虜収容所で終戦を迎え復員しました。父から直接戦争の話を聞いたことはほとんど無いですが、私が十代半ばの頃に国から勲章が贈られてきたことがあり、その時に、艦船からオーストラリア大陸を見たという話を聞きました。体には二箇所銃創の跡がありました。父はどんな思いでこの二十代を生きたのか、今はもう知る術はありませんが、復員後、仕事を始め、家族を持った後も、しばらくは精神的に辛い時期があった様に私は兄(10年前に亡くなった姪孫の祖父)から聞きました。

壺井栄さんの小説「二十四の瞳」では、師範学校を卒業して小学校教諭となった大石久子先生が、受け持った初めての生徒、その十二人の生徒がいよいよ卒業という頃に、五人の男子生徒全員が将来は兵隊さんになると目を輝かせて話すのを暗い表情で見守るシーンが印象的でした。大石先生は、この生徒らの卒業を見送った後、生徒が兵隊に取られるのが辛くて教師を辞めました。そして終戦の後、しばらくして女生徒たちから同窓会に招かれます。大石先生は、そこで四人の男子生徒の戦死を知り、また戦場で視力を奪われ体が不自由となった一人の男子生徒と再会しました。そのシーンもとても心が痛むシーンでした。

戦場で戦う、殺し殺される経験をした人は、きっともれなくPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむことになるのだと思います。それだけではなく、たとえ命拾いしたとしても重度の障害や苛酷な環境下で体を壊し、一生涯苦しまなければならない人も居られます。

戦争の記憶を持つ市井の日本人にとって、また彼等の子どもの時代までは日本人の共通記憶として、戦争に対する嫌悪感は凄まじいものであったと思います。

しかし、戦後三世四世の時代に入り、日本人は嫌悪する戦争の記憶がすっかり薄れ、現在はまるで二十世紀に起こった二つの世界大戦前の、エロ・グロ・ナンセンスの風潮に再び支配されつつある様に感じています。二十世紀の政治哲学者ハンナ・アーレントも著書『責任と判断』の中で、十九世紀末のヨーロッパも退廃が支配していた旨の記述を残していました。

歴史は繰り返されるといいます。私たち一人一人がしっかりと自己を育まなければ、そして道徳に立ち返らなければ、大きな負の転換が訪れたとき、私たちはいやおうなく自由が奪われ、隷属に陥ってしまいます。その事を、私たちは肝に銘じておかなければならないと思います。

2025年4月23日水曜日

ライヤーハウス

 二期目となったアメリカのトランプ大統領が、対外だけでなく国内に向けても、先人たちが長い時間を費やして整備してきたデモクラシーの社会システムを、まるで復讐でもするかのように身勝手な大統領令を乱発して壊してゆく様を見ていると、現実的な恐ろしさを超えて、まるで軽薄なB級映画を見せられている様な気持ちになってきます。

一期目の時に感じたのは、まるで映画「G.I.ジョー(G.I.Joe: The Rise of Cobra)」の世界観が現実になったんだ、という事でした。ホワイトハウスの屋上に星条旗ではなくコブラ旗(もしくはトランプ旗)が掲げられていないか確認しました。笑い

そして二期目のトランプ大統領が大統領令を乱発している様は、まるで「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」に登場した、自由で闊達なホグワーツの精神を、統制と萎縮で縛るために尋問官令を乱発したドローレス・アンブリッジに見えてきます。

そして、トランプの様なデモクラシーを破壊しかねない人物が行政権を支配した時の安全装置として、残りの立法権を司る連邦議会と司法権を司る連邦最高裁には大統領令を違憲と判断して無効化できる権限が与えられているのにも拘わらず、それを行使もせずに沈黙を決め込み、更には、トランプ同様に何の見識もない人物が政府トップに任命されて、下品さをまき散らす様を見ていると、アンゼルセン童話の「裸の王様」の世界観が現実になったんだ、という気持ちになります。ホワイトハウスがライアーのハウスになっていないか確認しました。笑い


2025年1月28日火曜日

どす黒いもの

昨日1月27日の国際ニュースで、

アウシュビッツ強制収容所が連合軍の一翼であったロシア軍に解放されて80年目を迎え、アウシュビッツ強制収容所で虐殺された約100万人と云われるユダヤ人、そしてロマ人、性的マイノリティーの人々、ナチスに抵抗した人々の追悼祈念式典が行われたことを知りました。

母と同じ年のアウシュビッツを生き延びた99歳のユダヤ人男性が、ヨーロッパ各国で再び他者への寛容さが失われつつある現状に懸念を示し、特に若者たちに対して「人種や宗教、性的な嗜好の違いへの不寛容や敵意の現れ」に注意するよう訴え、ホロコーストの歴史を繰り返さないためにも、差別を煽る主張には賛同せず、許さないでほしいと訴えていたことが印象的でした。

その同日、日本では昨年末雑誌記事で明るみに出たテレビのトップタレントの一人であった人物によるフジテレビの女性アナウンサーへの性暴力に、局ぐるみで関与した疑いを向けられているフジテレビ、並びにフジメディアホールディングスの会長、副会長が、400名の記者、カメラマンを迎えて10時間を超える釈明会見を行いました。

会見の冒頭、一連の騒動の責任をとる形でフジテレビの社長と会長の二人が本日付で辞任したことを報告しました。そして、ジャニーズ性加害問題の釈明会見でも兵庫県知事の告発された諸問題への釈明会見でも見られた、核心部はすべて第三者委員会の調査に委ねているという他人事の様な答弁に終始し、保身と被害者感情を逆撫でする様な答弁を繰り返すばかりでした。

会見の視聴の最中、私は、もしもハンナ・アーレントがこの会見を見たとしたら、どんな感想を洩らしただろうと想像を巡らしました。

ハンナ・アーレントとは、ナチズムが吹き荒れたヨーロッパからアメリカに亡命したドイツ人政治哲学者です。彼女は、1961年にエルサレムで開かれたアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して、こんなにも凡庸なナチスの小役人が、600万人とも云われるヨーロッパのユダヤ人を絶滅収容所送りにする輸送の陣頭指揮を執っていたことを知り、愕然とし、「悪の凡庸さ」という概念を記しました。

私は、言葉も不明瞭で、緊張で手が震え、声がうわずる、そして自己保身の発言に終始する辞任したばかりの元社長や元会長を眺めながら、「悪の凡庸さ」という言葉を思い浮かべていました。が、その彼らの様子を注意深く見ていると、それは「悪の凡庸さ」では片付けられない、更にどす黒いものを感じてきました。

アイヒマンは、ナチスドイツ敗戦直後に行方をくらまし、15年近く逃亡しました。しかしモサドの執拗な追跡によって1960年にアルゼンチンで身柄を拘束され、1961年にエルサレムで「人道に対する罪」等15の犯罪の罪で裁判に掛けられました。彼は防弾硝子の透明な箱の中で、自ら「命令されたから行った」と弁明しました。怨みや憎しみの視線を浴びるアイヒマンの写真からは、悔恨の欠片さえ私は見つけることが出来ませんでした。

アイヒマンの身になって想像すれば、もはや孤立無援で、死の足音しか聞こえなかったのではと思います。傍観者にでもならなければ正気を保つ事が出来なかったのではと思います。

翻って、昨日の壇上の人々は、凡庸に振る舞うことで、厳しい追及に耐えきる事で、決して公に出来ない、隠し通さなければならない、守り通さなければならない、人物?もしくは事柄?への忠誠心、未だ活性化した忠誠心を感じるのです。これが私が感じたどす黒いものの正体です。

彼らにとって、会社を潰しても守らなければならない、千万という従業員、関係した人々の人生を台無しにしても守らなければならない、どす黒いものに、光を当て、駆除しなければ、このデモクラシーを標榜する日本自体が早晩滅んでしまうだろうと思います。

2024年9月26日木曜日

齊藤元彦知事へ (2)

いま私は、

法とは船の様なものなのかなと思っています。

人が人らしくあるための、尊厳や権利を運ぶ船。

社会という激流に飲み込まれないための船。

船の使い方は乗り手次第、

人らしさを失い沈むことも、誰かを沈めることも、間違うこともある。

人生という船旅を快適に幸せに終えるために、

乗り手の私たちは船を改造したり、修繕したりしながら進む。

生い立ちや、信念や、格好、男か女かそれ以外か、

すべての人が快適でいられる船にする様、

法を司る者として不断の努力を続けていきます。


NHK朝ドラ『虎と翼』最終週で、主人公寅子が、あるときは盾となり又あるときは壁として立ちはだかった元最高裁長官桂場等一郎に、長年考え続けてきた『法とはなにか?』について辿り着いた考えを述べた、その内容です。


県議会議員全員が同意して不信任を突きつけられ、10日以内に辞職や失職か、はたまた不信任を突きつけた議会を解散するかという選択を迫られた齊藤元彦知事が、翌日から関西の各テレビ局のインタビュー番組に出続けて、不信任を突きつけられた不正疑惑を問われても、告発者を追い詰め懲戒解雇にし死に追いやった責任を問われても、それについては答えずに、自らの三年間の県政の実績を誇り、これからも県政の改革を知事として行いたいと繰り返し、自らを政治家と語る様子を見ていて、おぞましいという感情が湧き上がりました。

そして齊藤元彦知事は今日、100名を超える記者やテレビカメラの前で、失職と県民に信を問うとして次回の知事選への出馬を表明しました。


彼の一連の言動を見聞きしていて、議会を解散せず、失職と再出馬を表明するのは自明であった様に思います。

何故なら彼は、実績を誇示するところは政治家の様ですが、実体は根っからの役人であるからです。政治家が白といえば白、黒といえば黒で、骨身を惜しまず奉仕することで、今の地位、兵庫県知事の地位まで登り詰めた人です。

そんな彼からみれば、県の絶対権力者となった自分に反逆するような態度をとった職員は、彼のような人間からすると役人の風上に置けぬ者と怒り心頭になったのも想像に難くはありません。そして彼は、公益通報制度の立て付けの不備を見抜き、不備な法律を盾に、不正はないと言い放っているのです。


私は、こんな齊藤元彦知事をみていて、アドルフ・アイヒマンを思い出しました。アドルフ・アイヒマン、ハンナ・アーレントに凡庸な悪と言わしめた人物です。アイヒマンはナチスの役人で、ナチスが最終処分の烙印を押したユダヤ人を含む人々を処分場へ輸送する指揮を行った人物です。

日本はデモクラシーを信条とする国家です。デモクラシーの中心に据えられるものは、ヒューマニズム、人権です。法は人間が作るもので、それは往々にして不完全なものであります。役人、官僚などは、その不完全な法を凡庸に施行する人々であり、政治家は、法が不完全であれば、ヒューマニズムに沿える様、法を修繕する人々であるべきです。

その事も分からずに、身勝手に政治家風を振りかざす齊藤元彦知事を、私はおぞましく思います。

2024年9月14日土曜日

齊藤元彦知事へ

私は、壊れていく人を見たくない。

今なら引き返せると思います。過ちを真摯に認め、すべてを公にして、自分の処遇を、公正な第三者に委ねる。それがあなたが、誠実で真面目であったであろう頃の自分を取り戻す唯一の道だと思うからです。勿論、今すぐ知事を辞職することが前提です。

あなたに対する7つの疑惑を告発した部下と、疑惑に関わったとされる部下の二名が自死したことに対して、組織のトップであるあなたは、責任を取らなければならない、それが自明です。

デモクラシーを信条し、制度とする国家の行政員ならば尚更です。

独裁は許されないです。

如何なる事案も、当事者が判断することは許されないです。そして、身勝手な判断で身勝手に罰することも許されません。

如何なる事案も、公正な立場の人に検証を委ね、検証結果を公にした上で、罰するにしても情状酌量を常としなければならない。それが選挙で選ばれ民意を托された公僕が取るべき唯一の道だと思うからです。


ただ、あなたとあなたの側近の不正をメディア、警察、議員等に外部通報された事を端緒とした、兵庫県を揺るがし、今は全国民の関心の的となった一連の事件の責任を、あなた一人で負わせるものでないことも理解をしています。


あなたを知事に担ぎ、県庁内で権力を握り、いまだあきらかにされていない公金の不正利用や、告発文書の犯人捜しで、通信の秘密や個人のプライバシーを踏みにじった上に、強迫紛いの行為を行ってきたであろう側近たちは、もしかしたらあなたを権力の笠として隠れ蓑に使い、あなたも知らない、未だ公になっていない不正を犯していてもおかしくは無いと、私は想像しています。


そして、マスコミですが、私は外部通報時、あきらかにされてはいませんが、告発者は名無しで告発したのでは無いと思っています。名前と立場をあきらかにして告発をしたのだと思っています。外部通報として受け取ったマスコミなどは、公益通報の制度に沿って、通報者を守らなければならない。しかし、あきらかにされていない外部のだれかが、告発があったことを知事やその側近に注進した。私はそこに告発者を特定する情報も含まれていたのではと疑いを持っています。何故なら、7000名の県庁職員から数週間で告発者を特定することなど不可能だと思うからです。

それ故に側近は、数週間で、特定された職員の通信記録を調べ上げ、告発者のパソコンや私物のメモリカードを押収して、告発の痕跡と協力者の特定を早々に調べ上げられたのだと思います。

マスコミは、この事件を、当初パワハラとおねだりの疑惑ばかり報道していましたね。マスコミは伝聞や責任のないコメンテーターの意見によって、下世話な報道に終始していましたね。日本のマスコミは、独裁に簡単に甘んじてしまう脆弱性を露呈し続けました。


この事件を教訓として、私たちは

まず、自分たちのリーダー候補は、自分たちで責任を持って擁立し、権力を委ねたリーダーの行動をしっかり監視しなければならない。

第二次世界大戦敗戦前と、なんら変わらない立法府や行政府、司法府の仕組みを、国民主体で見直し、より良きデモクラシー制度に再構築する。

公正なジャーナリズム精神を、国民だれもが育まなければならない。

と強く考えます。

2024年9月6日金曜日

ロビタ

 ロビタという名前を思い出しました。

先日のNHKで放映された世界のドキュメンタリー『デモクラシーの闇 ハンガリーの民主主義は今』を観たからです。


ロビタは、手塚治虫が人間の業というものを想像を絶する時間スケールで描いた漫画『火の鳥』の中で登場するロボットの名前です。手塚治虫は『鉄腕アトム』でも同様にロボットを人間のために苦役を強いられる存在として描き、彼らロボットが人並みの権利を認めて貰うために活躍する(アトム)、或いは人間に戦いを挑む(プルート)、或いは絶望して死(永久停止)する(ロビタ)ドラマを描いて、少年であった私たちに見せてくれました。

今になって理解します。手塚治虫が描いた未来世界のロボットは、過去・現在における『人権を蹂躙された人々』であったことをです。ロボット(robot)は、チェコの作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲『Rossumovi univerzální roboti(ロッサムのユニバーサル・ロボット)』の中で、チェコ語で強制労働を意味するrobotaとスロバキア語の労働者を意味するrobotnikをもとに作り出した造語だと云われます。ロビタという名前、博識で且つ人間を深く洞察した手塚治虫が、『強制労働』『奴隷』という苦々しい思いを込めて名付けた名前ではないか、と私は想像します。


二度の世界大戦の主戦場となったヨーロッパは、その反省からヒューマニズムと差別撤廃を信条とするヨーロッパ・ユニオン(EU)を結成し、EU加盟国の国民の他のEU加盟国での行動の自由を保証し、厳しい財政事情にある加盟国はEUから復興資金が排出されることになりました。

ドキュメンタリーが追うハンガリーは、2004年に東欧諸国として初めてEUに加盟を果たした国の一つです。1989年までソ連の衛星国として共産党一党独裁国家として存在していましたが、ソ連崩壊後は民主制に移行してヨーロッパとの連携を深めてきました。そして2004年にEUに加盟を果たしてからは潤沢な復興資金を手にしてきました。

現在のハンガリー首相オルバン・ヴィクトルは、若かりし頃は民主化の闘士として名を馳せていました。しかし、2014年に二度目の首相就任を果たしたオルバンは、①自身が党首を務めるフィデス党の国民支持率が50%に満たないのに関わらず、フィデス党が擁立する議員候補が圧倒的に選挙で勝つよう選挙区を再編する。②オルバンを批判するマスメディアを次々に廃業に追い込み、オルバンに忠誠を誓うマスメディアを駆使して国民の支持を煽動する。③オルバンに批判的な最高裁判事を罷免し、オルバンの息が掛かる人物で最高裁判事を固める。等々、強権な独裁を敷いていき、遂にデモクラシーを否定する発言をするまでになりました。オルバンに批判的な野党政治家は、秘密警察に監視され、昔のように逮捕されることは今のところはないですが、マスメディアにデマを流され、煽動された国民から誹謗中傷に晒されています。民主的な高等教育を受けたリベラルを自認する人々は、政治信条、性的信条、等々の不自由さを感じて国を去りました。そしてオルバンは、息が掛かる起業家の要請に応え、残業代を支給することなく残業を命ずることができる、いわゆる『奴隷法』を国会で成立させてしまいました。


ハンガリーのオルバンは、デモクラシーを否定した国家建設を進めています。でもこれは共産主義への回帰ではありません。敢えて云うなら、ヒューマニズムを無視して労働力を搾取し、肥えに肥えたブルジョアと互恵関係にあった18世紀から19世紀の国家の形への回帰の様に思えます。

オルバン自身、民主化の闘士であったころは宗教に無関心であったというのに、ヨーロッパの古い価値観であるキリスト教を持ち出して、古い価値観に反するLGBTQを否定し、ヒューマニズを否定し、ハンガリーの仮想敵を作り出し、差別、敵意、憎悪を国民に煽動することで支持基盤を盤石にしつつあります。

そして、ウクライナへの非人道的な軍事侵攻をするロシアのプーチン大統領との関係を強め、EUの一体性や信条を揺るがす事態を招いています。


デモクラシーが崩壊すると、国家というものはどのようになっていくのか、このドキュメンタリーを見て、大いに考えさせられました。

2024年8月11日日曜日

パリ・オリンピックで感じたこと

 ヨーロッパの古都、パリで開催中のオリンピックも、今日が最終日となりましたね。

トラディショナル・スポーツとは一線を画すエクストリーム・スポーツが注目が浴びたオリンピックともなりました。前回の東京オリンピックから関心を持ってテレビ観戦しましたが、今回は少しだけルールを理解する事が出来ました。ゲーム中も選手同士が笑顔で会話したり、声援したり、讃え合う姿が、トラディショナル・スポーツと一線を画すところです。それは、トラディショナル・スポーツの勝敗を分ける対戦選手同士の駆け引きというものがなく、エクストリーム・スポーツは、主宰者が準備したコースを、選手個々が持てる技術、体力、勇気で果敢に挑戦するものであるからだと感じます。

スポーツクライミングは夜の早い時間帯で決勝が行われましたので、テレビにかじりついて見ました。もう選手皆がスパイダーマン(蜘蛛人間)、超人でした。

ブレイキンやスケートボードは、技が複雑な上に高速で行われるために、何が何だか理解できませんでしたが、もうホント、エクストリーム!理解の先の超人的演技で、魅了されました。すべての選手を讃えたいと思います。


しかし、選手個々が情報発信するSNSに心ない誹謗中傷が書き込まれ、選手が傷ついているというニュースには、心が暗い気持ちになりました。

SNSは個人が、世界中の人々に情報を発信できる素晴らしいツールでありますが、近年はSNSが個人を貶める誹謗中傷だけでなく、個人が様々な形で犯罪に巻き込まれる切っ掛けとなっています。

現代の私たち、もっと云えば、自らの輝かしさを発信して、「いいね!」を沢山貰いたいという承認欲求をSNSツールはいとも簡単に満たしてくれるために、誰もが危険性を感じずにSNSに情報発信する様になりましたが、ネットの向こうには顔も名前も分からない人々、考え方が違う、性的嗜好が違う、もっといえば犯罪者もいて、傷つけてやろう、犯罪に巻き込んでやろうと手ぐすねを引いている者がいることを、意識して、自らの責任で使わなければいけないと思います。

まして、責任をまだ負えない子どもや、精神的に傷ついてしまう恐れがある人は、保護者や信頼の置ける人が指導するか、もしくは使わせないことが必要だとも思います。

色んな意見や考え方、称賛や妬みがあるのが人間世界です。テレビを見ながら愚痴るとか、便所の落書き程度なら(落書きも立派な犯罪行為ですが)、目にすることも耳にすることも無いでしょうが、自分の情報発信するSNSの書き込みは、ダイレクトに自分に返ってきてしまうことに注意はすべきです。

SNSの外部からの書き込みを、自動公開せずに、自ら、もしくは信頼できる人が判断しで公開非公開できれば、この問題は、少しは改善できるのではないかと思います。

2024年7月8日月曜日

民主制の本当の選挙について考えてみました。

 56名が立候補した七夕都知事選は、現職の三選で幕を閉じましたね。兵庫県民からみれば関係のない首長選挙でしたが、現職や参議院議員を辞職して立候補した候補の学歴詐称疑惑が取り沙汰されたり、もっともえげつなかったのは多数の候補を擁立した政党が「供託金の有り様」に一石を投じるという名目で選挙ポスターの掲示板を広告板として売り出し、選挙とは全く無関係の広告、さらに云えば公序良俗に反する広告や画像が掲示されるという前代未聞の事態が起こった選挙戦となりました。選挙ポスターの件で云えば、こういう事態を取り締まる法律がないということで、よっぽどの公序良俗に反するもの以外は、選挙戦中広告板として利用され続けました。法律に規定がなければ何をしてもよい、そしてそれを取り締まれないというのは、日本人が大切にしてきた礼節というものが軽んじられたり、廃れたりしている何よりの証のように思えました。


ただ「選挙の供託金」については、私は無くさなければならないという考えです。高い供託金を課すことで、泡沫候補を候補者から閉め出すというのが供託金の名目です。

しかし、国政選挙だけでなく地方選挙でさえ、結局は何故か潤沢な資金力のある現職の候補に有利に働くばかりで、志あれども金も人脈もない人は、選挙に出て、公の場で声を発することが出来ないばかりか、潤沢な資金を要する既成政党におもねってロボット議員になるしかないのが実際です。

同時期に行われたイギリス総選挙では、現職のスナク首相に並んで泡沫候補の自称ゴミ箱伯爵が「クロワッサンの価格に上限を導入」と声高に訴えていました。彼がイギリス国民に訴える真の狙いは「誰を支持するかに関わらず、皆さんには是非投票に行って欲しい。そして何より皆さんの票を無駄にしないように」でした。


今回、都知事選の立候補者は56名でしたが、たとえばの話ですが、選挙権を持つ18歳以上は誰でも、立候補でき、供託金も必要がないとするならば、東京都の18歳以上の人口約1200万人の全員が立候補することも可能なのです。たった一言でも、自分の声を公共の場で発言することが出来るのです。その声に賛同した100人がその候補に投票したとする、これを無駄とは、私は思えないのです。

誰もが、志が高かろうが低かろうが無かろうが、ただ一言発したい、意見を述べたい、と云う理由だって、議員になりたい有無なんて構わない、立候補するに十分過ぎるほどの理由なのではないかと思えるのです。これこそ民主制の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選挙戦は、インターネットを利用したって構わない、公共に設置された会場で発言したって構わない、小さな集会所や自宅を利用して、有権者に訴えても構わない、但し、公序良俗に反しない限りにおいて。他の候補者を誹謗中傷したり迷惑行為、暴力行為は絶対に許さないという制限のもとに。有権者に立候補者としての自分の訴えたいことを訴える。

こんな選挙なら、実際に投票率100パーセントの選挙も夢では無いと思います。国民一人ひとりが声を発する、声を届ける、声を聞くお祭りとしての選挙、これこそ民主制の本当の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選ぶのも国民なのです。だれかれに指図されるものではないのです。

2024年6月10日月曜日

怒りと悲しみが襲ってきます!

 怒りの感情がわき上がりました。

突然に目に飛び込んできた、『日本中学校体育連盟が、全国中学校体育大会の規模を2027年度から縮小する』というニュースを見てです。


ニュースは、どれも

・少子化が背景

・2022年度に部活動設置率が男女とも20%を切っていた競技を、原則として縮小

・夏季と冬季の計19競技のうち、水泳、ハンドボール、体操、新体操、ソフトボール(男子)、相撲、スキー、スケート、アイスホッケーの9競技が開催されなくなる

と無味乾燥な文言で伝えていました。


同じく2022年に、スポーツ庁が、少子化を背景として、部活動の地域移行の方針を打ち出しました。しかし、高砂市議の一人が広報誌にて、2023年から移行がスタートしているのに、課題ばかりでいっこうに進まないことを問題視していました。


スポーツ庁という国の機関が、部活動の地域移行を打ち出して、2023年度からスタートすると打ち上げていますが、実際のところはどうなのでしょうか?

地域移行の受け皿としてのハードウェア、つまり広いグランドと建物は、そうそうに作られていますが、ソフトウェア、つまり指導や管理、運営を私企業に丸投げになっていないか、と危惧します。

実は、わたしごとですが、息子がスポート指導のできる教員免許を取得して、働く場を求めていましたが、受け皿の教員の枠に入れず、そこに地域移行に呼応した私企業が、それに対応するために指導員を募集していることを知り、息子はそこに飛び込んだのですが、それは入社するまでの話で、いまもホームページには打ち出していますが、実際はまったくの対応しておらず、当初の話とはまったく違う、まったく厳しい生活を強いられています。

小中学校の児童数、生徒数の減少、そして教諭の負担軽減という二大課題の当面の解決策としての地域移行に、スポーツが好き、児童や生徒と向き合って働きたいとする純朴な多くのスポーツで身を立てたいとする若者の期待は、ハードウェアだけが先行して、ソフトウェアがまったくの手付かずなために、その事業に期待した私企業も、指導員として身を立てたいとする若者も、はしごを外された状態になっているのが現状だと思います。


そこに、中学生のスポーツ活動の目標の一つである全国大会が縮小、或いは廃止されるとなると、いよいよ、誰もがスポーツを生涯の友とす、のはじまりであった学生がスポーツを学ぶ、競技を楽しむという権利や義務が奪われてしまうことになります。


競技人口減少や、設置数が激減する競技は、まるで教科書から誰かのおもわくで『坂本竜馬』が削除されたように、削除されることになるでしょうし、ニッチであまり人気のないスポーツや新しいスポーツの芽は、日本では育たないことになるでしょう。


そもそも、小学校、中学校は日本国民、或いは日本に在住して日本を学ぼうとする外国の子弟の義務教育の機関です。日本の国力が弱くなったから、人口減少したから、予算がつかないから、と縮小されるべきものでは、絶対にないです。そうであっては絶対にいけないのです。


義務教育は、もうずいぶん前から、破綻しています。義務教育なのに、不登校が常態化し、学校に一度も行かずして、卒業年齢に達したら、卒業が可能なのです。教師は、教育委員会や職員室のヒエラルキー、パワハラ、逆パワハラに苦しめられ、賃金が払われない残業は常態化し、また児童や生徒、また保護者からの、顧客でもないのに、顧客ずらしたカスタマーハラスメントに苦しめられて、3割が常時、退職するか療養休業状態です。

そんな教師たちは、それでも『予算がないから』『自分がせねば』という責任感を煽られて、そういう理不尽な環境に、まるでロボット兵士の様に指示通り動こうとするのです。人間がおかしくならないわけがないと思います。


日本憲法が平等や人権を謳うなら、7歳の児童も、15歳の生徒も、23歳の新米教諭も、40歳の酸いも甘いもかみ分けたベテラン教諭も、そして定年間近の教頭や校長も、そしてすべての保護者も、平等に、お互いの人権を尊重し、互いを守り、日本の義務教育を守るという強い意志をもたなければ、早晩、スポーツだけでなく、日本人を作るという義務教育自体が破壊されてしまうでしょう。


政治家は利権や権力争いにうつつを抜かすばかりで、いまや日本の政治はボロボロで、日本政治は今や、炎上系ユーチューバーのやりたい放題の場に成り下がってしまっています。そんなユーチューバーに、スマホを手にした児童や生徒は熱狂し、憧れを抱いているのです。大人になればそんなユーチューバーになって大金を稼いで勝ち組になると夢を見ているのです。


この国は、子どもから、若者から 他を利する喜びという人権尊重を大切にする人間性を育てず、その中でも、他を利する喜びに生きようといする若者から、夢も希望も奪い去ろうとしています。


メディアは、常に他人事です。ただ淡々と発信された内容を横並びに報道するだけで、政府に睨まれないこと、おもしろければいいという軟弱極まりない風潮に染まっています。


本当に悲しいです。


2024年4月28日日曜日

生成AIが日本にやって来る。

世界初のチャットボットを作った人物 ジョセフ・ワイゼンバウムは、かつてこう云ったそうです。

『AIの危険性は、機械の思考が人間じみてくる事よりも、人間の思考が機械じみてくる事にある。』


先日、NHKのBS世界のドキュメンタリーで、2023年にオランダで制作された原題”The Cost of A.I.”を、『生成AIの正体 シリコンバレーが触れたがらない代償』のタイトルで放送されました。多分、見られていない人の方が多いのではないでしょうか。

アメリカのビッグ・テックであるGoogleは1500億ドルを、Microsoftは1000億ドルを、生成AIとデータセンターに投資すると表明しました。そしてアメリカ、イギリスに続く第三の拠点として日本を選び、数千億円を掛けて日本語対応とデータセンターの建設を行うと表明しました。新聞やテレビのニュース記事は、AIも後塵を拝している日本にとって、巻き返しの千載一遇のチャンスと好意的に捉えていました。一人の読者、或いは視聴者である私も、同様に良いニュースと感じていました。

しかし、このドキュメンタリーを観て、私は冷や水を浴びせられました。

私がどんな冷や水を浴びせられたか、ドキュメンタリーの内容をメモしたテキストで感じて頂きたく思います。


the ininvisible 表にでないもの


第一の語り部

メディア研究者で批判的な視点で『地図のないものごとの地図を作る』アーティスト

ヴラダン・ヨーラー

「シリコンバレーの企業は、アルゴリズムやデータセンターなど、表に出さないものは全てクラウドと呼ぶ傾向にあります。これ以上ない軽い言葉です。このクラウドの中でAIにプロンプト(指示、或いは質問、依頼)を与えると、何もないところから生まれ出たかのように結果が現れます。」

「世間でAIと呼ばれる仕組みは、基本的にアルゴリズムとデータに基づいて機能します。大量のデータを処理し、パターンを識別する能力を持っています。但し、AIは何も知りません。物事を知る能力は備えてはいないのです。データの集合体、データセットの中のデータを統計的に反映しているだけに過ぎません。」

Q シリコンバレーの企業が隠したがるもの、彼ら自身のAIを使って可視化したらどうなるでしょうか

「(演算チップの基板となる)シリコンの主要な原料となるのが珪砂と呼ばれる砂です。世界で使われる珪砂のおよそ7割が中国の新疆ウイグル地区にある珪砂鉱山で生産されている。新疆ウイグル地区では珪砂採掘のため強制労働が行われているという報告がある。労働者たちは人里離れた収容所にいるという。それでもAIは彼らの姿を難なく描き出します。」

Q どうしてAIは望み通りの画像を生成できるのでしょうか

「第一段階は、大量のデータを集めるところから始まります。AIに学習させるためのデータセットにするのです。

第二段階は、データの分類です。例えば樹木の画像を生成するAIを作るとします。そのためには何千種類の木の画像を読み込まなければなりません。

そこで必要となるのが、画像を一枚一枚分類する生身の人間です。これは木だ、これは違う、これは何々の種類の木だ、という風にね。裏方の仕事ですが、集中力を要求されます。

こうして整理・分類された何千種類の画像データを基にして樹木の画像を生成するための統計的な仕組みを作り出します。

生成されるのは画像と云うより多次元の統計的な空間です。言い換えるならハルシネーション(Hallucination 幻覚 AIが誤った情報や架空のデータを生成する現象)です。統計が作り出す幻と云えます。」


humanity 人間


第二の語り部

ドイツ ワインゼンバウム研究所

AIの陰で働く人々の労働環境に関する研究を行う社会学者、コンピュータ研究者

ミラグロス・ミセリ

「AIの訓練を行うには、大量のデータが必要です。しかし、分類されていないバラバラのデータを読み込むことはできません。そのためデータの分類を人が手作業で行っていると聞いたのです。驚いた私は知り合いに訊ねました。誰がそんなことをしているのって、すると相手はこんな反応を見せたんです。

確かに、実際に作業している人がいるんだよね。誰がやっているなんて考えたことなかったよって。」

「(「チャットGPT」のようなAIを機能させるには人間が必要?)間違いなく必要です。AIがデータから自動的に学ぶ機械学習も、人間が準備しなければ機能しません。」


コンテンツ・モデレーター 仮名オマル・モーとの音声会話

『コンテンツ・モデレーターの仕事をしています。勤務先は、外部委託の会社です。オマル・モーとは仮の名前です。仕事について公の場で話せば、職を失う事になります。』

Q コンテンツ・モデレーターとは何をする仕事でしょうか?

『たとえばSNSに、ユーザーからの投稿がありますよね。その投稿が「不快なコンテンツ」かどうか私たちがチェックして管理しています。警察みたいなものです。』

Q 不快なコンテンツとはどんなものですか?

『例えば法律に違反するもの、いじめやヘイトスピーチなど。もっとキツいものだと自殺とか児童ポルノとか、テロリストが人の頭を切り落としているような映像もあります。』

Q コンテンツ・モデレーターの仕事はAIとどう関係があるのですか?

『私たちが分類したデータをAIに学習させるのです。データが細かく分類されていると、その分、AIの判断能力も向上します。』

AIにデータを読み込ませるには幾つかの方法があります。

一つは、社内でやってしまうこと。様々なアルゴリズムを設計し、AIを開発するのと同じ場所で行う方法です。でも、こういうケースはさほど多くはありません。

よくあるやり方はアウトソーシング、つまり社外にいる専門の請負業者にそっくり業務委託してしまう方法です。

『私が働く(アウトソーシング)会社には、千名ほどの従業員がいます。学生やドイツ語を話せない人も多く、彼らにとっては慣れ親しんだ言語や英語を使って働ける良い仕事です。

この職を失うと、みんな困ると思います。ドイツでの滞在許可を取り消されるかもしれませんから。』

Q ドイツのパスポートを持っていなくてビザを発給されて滞在している人の割合はどれくらいですか?

『80%か、それ以上でしょうね。私も正確にはわかりません。』

AI関連の企業は、人間の労働者が居ること事態、公にしたがりません。データを処理する労働者の存在を開示せず、彼らがどこでどんな条件の下、どれくらいの報酬で雇われているのかも語ろうとはしないのです。

Q 先ほど、非常に暴力的コンテンツを見ることもあると仰っていましたが、精神的な負担を感じた場合、どの様な心理的サポートを受けることは出来ますか?

『私たちはコンテンツの種類を選べません。ランダムに表示されます。運が悪いと、一日中、首吊り自殺の映像を見続けるハメになる。』

Q 気分が悪くなった時にはどうするのですか? 仕事を中断したり、持ち場を離れたりするのでしょうか?

『休憩を取ることはできます。必要なだけ取れと言われますが、仕事の効率は下げられない。目標を達成し、生産性を維持しなければなりません。会社は従業員のメンタルヘルスなど気に掛けてもいないのです。』

彼ら(コンテンツ・モデレーター)は、どんな場合でも発注した顧客の望み通りに行動するよう訓練を受けます。仕事に就いたその日から叩き込まれるのです。ここでは目にしたコンテンツについて、実際のところ何を感じても、どう思っても、どう考えても、どの様に整理分類しても、攻撃的だと思っても、社会に対して有害なものだと思っても、倫理的に間違っていると思っても、顧客を満足させる事以外にすべき事はないとね。そうしなければ委託を打ち切られて仕事が出来なくなりますから。

Q 先ほど仰ったような不快なコンテンツに直面する事で感じたストレスに対処し、乗り越えるためにあなた方コンテンツ・モデレーターはどんな手段を取っていますか?

『多くの人は休憩を取って、気持ちを切り替えています。私は誰かがリストカットしている映像を見ても何とも思いません。映画の残酷な場面よりも、そういう映像の方に慣れてしまった。大きな事件としては、同じ会社の従業員で先日、自殺した人がいました。』

Q ちょっと待って、あなたの同僚が自殺したんですか?

『はい、「自殺とコンテンツは無関係」と、会社からのメールには書かれていました。でもその人は、福利厚生の部署に何度も接触を試みていました。しかし、まともな助けを得られず、不快なコンテンツを見て、結局、自殺しました。』

最先端のAIを開発している企業にとっては、聞こえの良い話ではありませんよね。我が社の提供する素晴らしいAIは、(たとえば)時給数ドルにも満たない報酬で働くケニアの労働者たちによって訓練されています、なんて。

最近、チャットポットを訓練したのはシリアの労働者たちです。戦禍にまみれた町で暮らしながら、出来高払いで働いています。月末までに幾ら稼げるのか分からないし、苦しみの声を世間に届ける手段もありません。

誰もこう云うことを表沙汰にしたがらないんです。

発注元の企業は、彼らが搾取されていることを否定できませんし、認識もしています。知らなかったと言っても信じることは出来ません。一定の期日までに技術的な課題にクリアすることばかりに夢中になって、データを処理する労働者たちの不安定な立場など気にもしないのです。彼らのことは置き去りです。


the dataset データセット


ヴラダン・ヨーラー

「最新世代のAIを支えていくのは、コンテンツを分類する労働者の血と汗と涙だけではなく、さらに大量のデータです。」

Q それらをどこから調達するのでしょうか?

「すべての本の目録を作ることが図書館の重要な仕事、私はこういう場を一種のデータセンターだと考えています。」

Q AIとはどんな関係が?

「ここに並んでいるのは、目録カードの引き出しです。見て下さい。これがメタデータです。メタデータとは、画像であれば「猫の写真」「樹木の絵」など。」

Q ファイルを開かなくても中身が分かる説明書きのこと?

「そうです。図書目録と同じ様にデータの中身を説明するデータのことを、メタデータと呼びます。メタデータの規格を統一しておれば、統計を取ることができます。メタデータの分析が可能になると、様々な処理を自動化できるのです。そのように考えると、図書館の大きさとは私たちが検索し参照できるデータの大きさだと見なすことができます。

 例えばGooglebooksのような書籍の検索サービスを想像してみて下さい。ユーザーは、求めている情報をこうした図書館の建物に所蔵されている本の中から探し出すことになるのです。」

「そこで浮かぶのは、これまでどんな人物が図書館のような情報の保管庫を作ることが出来たのか、という問題です。

できるだけ沢山の記録を残してきた国ほど、情報の世界でも良いポジションを占めています。AIに学習できるデータが豊富ですからね。」

Q どんなAIも、データが多いほどより正確な答えを出せる?

「持っているデータが多ければ多いほど、精密な判断が出きるようになります。重要なのはデータの中身です。集めたデータの映像や画像や音声の内容によって、世界の見え方が変わります。AIの行う自動処理のプロセスが、自ずと決まってしまうのです。」

「シリコンバレーの大企業は、できうる限り集められれば集められるだけのデータを集めています。狩りをする、と表現しても良いかもしれません。」

「しかし、こうしたデータの中身はどうなっているのでしょう。

もしも自分自身のクローン或いはデジタルコピーが完成して、私の代わりに活動できるようになったら、ある疑問が湧いてきます。

テクノロジーで再現できてしまう「私」とは何なのでしょうか?

誰もがクローンを作りたがったらどうなるのでしょう?」

「AIの開発が始まって以来、コンピューターの処理能力は向上し続けてきました。18ヶ月ごとに倍増するケース、さらにこの数年は、半年ごとというこれまでにない速度で倍増しているのです。企業は、AIやコンピューターに投資する金額をどんどん増やしています。」

Q チップ一つの価格は?

「一つでおよそ一万ドルです。厳密な取引価格は分かりませんが、一万ドル前後です。25000個使用するので、すべて購入するとするとおよそ二億五千万ドル掛かります。」

Q 一つのAIを動かすためだけに?

「そうです。」

Q たとえばチャットGPT5など次世代のAIには何が必要なのでしょうか。

「チャットGPTはバージョンアップする度に計算の能力が100倍に増えていることが分かります。計算能力が100倍に増えれば、開発コストも大体100倍ほどになります。それを金額にして考えてみればざっと見積もっても何億ドルもの出費となるでしょう。

そこまで出せるプレーヤーはそう多くはありません。その上、開発用の設備が揃っていて大規模なデータセンターにもアクセスできる、そんな企業はMicrosoft、Google、Amazon、Appleなど、ごく一部の限られたところだけです。

より多くの力と、より多くの資金と、より多くの処理能力が必要になるのであれば、とてつもなく重要な疑問が湧きます。これを作れるのは誰なのか、という問いです。

誰が作るかという問いは、このツールの所有者は誰になるのか、と問うことでもあります。基本的には、必要とされるツールの所有者が、その後のゲームを支配することになるのです。」

「実際に、学習中のAIが実際に何を学んでいるのか明確に知ることは出来ません。内部の動きは見えないのです。AIを学習させるコードを書いている人間にも分かりません。

少なくとも私の知る限り、こういう動作をさせるためには、こういうデータが必要だという厳密な理論はありません。闇雲に大量のデータを与えては、どうなっているのかよくわからないけれど、上手く行ったからまあ良いか、と見なしているんです。」

Q まだ因果関係が分かっていない?

「そうです。(まるで魔法の機械みたい)種も仕掛けも謎のままです。」

「今のところ、こうした大規模AIシステムの中で何が起きているのか、まともな説明はありません。いわゆる、ブラックボックスです。指示を入力してから結果が出てくるまでの処理過程を、誰も詳らかに説明することが出来ないのです。

ブラックボックス、その内部で何が起きているのかを正確に知るプログラマーがいない状況で、AIの性能を上げるには、より多くのデータを集めるしかありません。

例えば、対話型のAI、チャットGPTの最新版では、学習期間におよそ一兆の単語が使われています。書籍やウィキペディア、品質の高いニュースの発信元や科学的文献などから調達しています。文学のような長文の素材も重要視されます。機械学習に携わる人々は、質の良いデータセットを構築するために、こういうものを優先してきました。」

Q 質の良くないデータセットの場合は?

「ネット上に転がっている文字データを中心に使います。ソーシャルメディアへの書き込みやつぶやき、メッセージアプリで交わされる短い会話。」

「AIを開発している企業は後五年もたたないうちに、人類が生み出したデータの大部分を収集し尽くしてしまう筈です。」

Q つまり質の高いデータが枯渇してしまう?

「それは間違いないと思います。私たちは従来手に入れてきたものよりもずっと質の高いデータを訓練で使いたがると思いますから。」

Q ではAIが生成する大量のデータはどうなるのですか? 画像もあれば、テキストもあります。これらもAIが学習するデータセットの一部となっていくのでしょうか?

「その可能性はあります。人間が書いた文章の代用品として、AIが機械学習したものをAIの教材として使うことになったとしても、私は驚きません

何かの対策を施さなくては、この一二年で私たちの世界はコンピューターが生成したコンテンツに完全に汚染されてしまうでしょう。

理論上は、あと数年で機械が作ったコンテンツの量が、人間が生み出したコンテンツの量を超えます。統計学を駆使した高度なシステムがガラクタを作るために生み出されている。オートメーションて偽情報を量産しているのです。

その上、私たち人間はこの状況を招いた企業に、情報の真偽を自動で見極める手段の開発まで求めている。全く逆の仕事をする二つのシステムを作れって言っているのです。一方で情報を作り出し、もう一方で情報を修正させようとしているのです。これは大きな間違いの基になると思うのです。」

「AIが作り出す世界に生きることとは、平均値を追い求める凡庸な世界に生きること。私たちはそれを望んでいるのでしょうか?何がそして誰が私たちの未来を選ぶのでしょう。」

「私たちが向かっているのは、平均値を理想とする世界です。統計的に見れば進歩なのかもしれませんが、微粒子は皆失われていきます。文化や社会における微粒子とは、私たちのことです。それぞれに立場や考えの異なる人々、ひとりひとりが個性的な微粒子です。しかし、AIのような統計に基づくシステムは、凡庸であることへと傾いていくのです。」

「一つだけ、確かなことがあります。

AIは雲の滴でも魔法の箱でもありません。血と汗と貴重な金属を費やして作られるものなのです。

AIが作り出すコンテンツは統計によって導き出された幻覚のようなものです。その事に気付けばむしろ興味深く感じられます。真実ではないと言うことを理解することが大切ではないでしょうか。」


コモン・クロール ネット上のデータを蓄積し、無料で提供する非営利団体


第三の語り部

認知科学者

アベバ・ビリャネ

「いかなるAIにとってもデータセットは必要不可欠なものです。大規模なデータセットが無ければ、AIは作れません。それほど重要な存在であるにもかかわらず、データの中身や出所について注意を払う人が決して多くないのが現状です。

実際、AIに読み込ませるデータセットの質は、悪くて当たり前と考えるのが普通になっています。基準がとても低いのです。」

「データセットの質をチェックするために、どんなキーワードがどんなデータと結びつけられているか、検索して記録に残しています。

私がこれまでに検索したのは、こんなキーワードです。

アフリカ系、アジア系、Aで始まる英単語、黒人の中年女性、痩せている、小さい、テロリスト、スカートの中の盗撮、白人至上主義・・・」

「人的によるデータの収集は、とても効率が悪いのです。手当たり次第に集めたデータを一生懸命分類したり、有害な内容を取り除いたり、AIが読み込めるデータにするまで、時間と手間が掛かります。

しかし、ここ二年ほどで状況は変わりました。

人を使ってデータセットを作るのではなく、コモン・クロールの自動化システムで自動的に収集されたデータを使うのが主流になったのです。」

「AIが生成する回答は、データセットが大きいほど賢くて興味深いものとなる。その事に気づいた開発者たちは皆、コモン・クロールが提供する自動的に収集した強大なデータセットを使うようになりました。」

「コモン・クロールはアメリカの非営利団体です。ウェブサイトを毎日自動的に巡回し、データを集めて大量に蓄積するので、日を追うごとにデータが増えていきます。」

「データセットには深く根付いたステレオタイプが現れていることがあります。例えば、美しいという言葉の多くは、裸の女性の画像データと紐付けられています。検索するとポルノサイトの画像が大量に出てくるのです。

一方、ハンサムと言う言葉で検索するとスーツを着た白人男性の画像が出てきます。

こういうステレオタイプの認識がデータセットにどれだけ染み付いているのか調べているのです。」

「インターネットの大部分は、暗い路地裏のような場所なんです。私にとってインターネットは、みんなの考えが反映された場所と云うよりも、人々が有害廃棄物を垂れ流す場所に見えます。

だからこそ、ネットには適切なセーフガードや有害なものをフィルタリングする仕組みが必要なのです。インターネットは全人類の考えを反映したもので、データはそこから引っ張ってくればいい。そんな安易な考えは危険だと思います。インターネットは問題だらけなんです、でも残念なことに何十億もの人々が関わるデータを手に入れられる場所は、インターネットの他にはありません。そこが問題なんです。」

「AIに学習させる際、こうしたステレオタイプのデータを使用すると、こんな風にステレオタイプの回答をするAIが出来てしまいます。」



如何でしょうか。

冒頭のジョセフ・ワイゼンバウムの言葉

『AIの危険性は、機械の思考が人間じみてくる事よりも、人間の思考が機械じみてくる事にある。』が、現実に起こっている、進んでいる、という言い知れぬ恐怖を覚えます。

もっというなら、ホロコーストの時代を生き抜いたユダヤ人の政治哲学者ハンナ・アーレントが、アドルフ・アイヒマン、ユダヤ人を最終処分場であるアウシュビッツなどの絶滅収容所に輸送する陣頭指揮を執ったナチスの役人の裁判を傍証し、こんなにも凡庸な男が、組織の指示に機械の一歯車となって、600万人ものユダヤ人の大量虐殺の指揮をしたことに、人間の深い闇を感じ、『悪の凡庸』という言葉を残しましたが、その『悪の凡庸』が、ここにも現れている、と感じます。

この数年でAIの進歩は凄まじいものがあります。

初期のものとしてはGoogle検索です。知りたい事をプロンプトにテキストで入力すれば、知りたい情報の所在が、優先順位の高い順からリストで示されました。これでも途方もなく有り難かったですが、今では、音声や画像で問い掛ければ、回答を返してくれます。

さらに生成AIともなれば、問いや指示に対して、まるで人間の様に、記憶した情報から問いや指示に沿う回答を生成し、回答としてテキストや音声、画像、動画を、リアルタイムで返すまでになりました。まさにリアルタイムなコミュニケーションが可能になったということです。

この世の中には、あらゆる場所で、私たちをサポートしてくれるヘルプデスクが存在します。それらに置き換わって、リアルな人間の姿をモニターに映した生成AIが、24時間、どんなヘルプにも、温容に、丁寧に、正確に、対応してくれる様になるのです。

しかし、映し出される人間が、自分の家族であったり、友人であったり、信頼している人、超有名人であったりしたら、見慣れている表情、聞き馴染んでいる声で話しかけられたら、私たちは本人と疑う手段は、ほぼ皆無となり、本人と信頼しきって会話をすることになるでしょう。もうけ話を持ちかけられたり、助けを求められたり、内緒事を話してしまったり・・・、そう、現在、私たちを苦しめる詐欺行為の深刻度が更に増す事になるのは間違いないことです。

そしてもう一つ、いまやOECDの中でも貧困率が高い国となった、そしてOECDの中でも依然として識字率の高い日本人が、コンテンツ・モデレーターの仕事に従事させられる未来を想像すると、さらにぞっとする絵が浮かんできます。

AIが作り出す空間にバーチャル・リアリティーの空間があります。バーチャル・リアリティーが作り出す空間を多様性のある、自由で民主的、平等な世界と捉える向きがありますが、AIになにがしらの指向性が隠れていたら、私たちは知らず知らずの内にAIに感化されることになります。現実とバーチャル・リアリティーとのギャップに苦しんだり、現実への怒りや憎しみが募ることも容易に想像できます。コンテンツ・モデレーターもそれと同じ苦しみを味わうことになると思います。

私たちは、どう避けられるのか。また、古来からの日本人が紡いできたコンテンツが奪われ、AIが生成する偽コンテンツに汚染されない為に、どうすればよいのか。

途方もない難問が、すぐ目の前に迫っていることを実感させられました。


まず、私たちができる事とは、知る事、知ろうとする事、だと思います。

それを強く私は、主張したいと思います。