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デモクラシーの国の、リーダーの有るべき姿

新型コロナウィルスのパンデミックは、私たちに一つ、とても重要な事を気づかせてくれました。それは「リーダーの有るべき姿」です。 デモクラシーを標榜する国家において 平時にリーダーに求めるものは、誰もが活躍することができる社会を作り、それが維持出来るように見守ることです。それに...

2024年6月10日月曜日

怒りと悲しみが襲ってきます!

 怒りの感情がわき上がりました。

突然に目に飛び込んできた、『日本中学校体育連盟が、全国中学校体育大会の規模を2027年度から縮小する』というニュースを見てです。


ニュースは、どれも

・少子化が背景

・2022年度に部活動設置率が男女とも20%を切っていた競技を、原則として縮小

・夏季と冬季の計19競技のうち、水泳、ハンドボール、体操、新体操、ソフトボール(男子)、相撲、スキー、スケート、アイスホッケーの9競技が開催されなくなる

と無味乾燥な文言で伝えていました。


同じく2022年に、スポーツ庁が、少子化を背景として、部活動の地域移行の方針を打ち出しました。しかし、高砂市議の一人が広報誌にて、2023年から移行がスタートしているのに、課題ばかりでいっこうに進まないことを問題視していました。


スポーツ庁という国の機関が、部活動の地域移行を打ち出して、2023年度からスタートすると打ち上げていますが、実際のところはどうなのでしょうか?

地域移行の受け皿としてのハードウェア、つまり広いグランドと建物は、そうそうに作られていますが、ソフトウェア、つまり指導や管理、運営を私企業に丸投げになっていないか、と危惧します。

実は、わたしごとですが、息子がスポート指導のできる教員免許を取得して、働く場を求めていましたが、受け皿の教員の枠に入れず、そこに地域移行に呼応した私企業が、それに対応するために指導員を募集していることを知り、息子はそこに飛び込んだのですが、それは入社するまでの話で、いまもホームページには打ち出していますが、実際はまったくの対応しておらず、当初の話とはまったく違う、まったく厳しい生活を強いられています。

小中学校の児童数、生徒数の減少、そして教諭の負担軽減という二大課題の当面の解決策としての地域移行に、スポーツが好き、児童や生徒と向き合って働きたいとする純朴な多くのスポーツで身を立てたいとする若者の期待は、ハードウェアだけが先行して、ソフトウェアがまったくの手付かずなために、その事業に期待した私企業も、指導員として身を立てたいとする若者も、はしごを外された状態になっているのが現状だと思います。


そこに、中学生のスポーツ活動の目標の一つである全国大会が縮小、或いは廃止されるとなると、いよいよ、誰もがスポーツを生涯の友とす、のはじまりであった学生がスポーツを学ぶ、競技を楽しむという権利や義務が奪われてしまうことになります。


競技人口減少や、設置数が激減する競技は、まるで教科書から誰かのおもわくで『坂本竜馬』が削除されたように、削除されることになるでしょうし、ニッチであまり人気のないスポーツや新しいスポーツの芽は、日本では育たないことになるでしょう。


そもそも、小学校、中学校は日本国民、或いは日本に在住して日本を学ぼうとする外国の子弟の義務教育の機関です。日本の国力が弱くなったから、人口減少したから、予算がつかないから、と縮小されるべきものでは、絶対にないです。そうであっては絶対にいけないのです。


義務教育は、もうずいぶん前から、破綻しています。義務教育なのに、不登校が常態化し、学校に一度も行かずして、卒業年齢に達したら、卒業が可能なのです。教師は、教育委員会や職員室のヒエラルキー、パワハラ、逆パワハラに苦しめられ、賃金が払われない残業は常態化し、また児童や生徒、また保護者からの、顧客でもないのに、顧客ずらしたカスタマーハラスメントに苦しめられて、3割が常時、退職するか療養休業状態です。

そんな教師たちは、それでも『予算がないから』『自分がせねば』という責任感を煽られて、そういう理不尽な環境に、まるでロボット兵士の様に指示通り動こうとするのです。人間がおかしくならないわけがないと思います。


日本憲法が平等や人権を謳うなら、7歳の児童も、15歳の生徒も、23歳の新米教諭も、40歳の酸いも甘いもかみ分けたベテラン教諭も、そして定年間近の教頭や校長も、そしてすべての保護者も、平等に、お互いの人権を尊重し、互いを守り、日本の義務教育を守るという強い意志をもたなければ、早晩、スポーツだけでなく、日本人を作るという義務教育自体が破壊されてしまうでしょう。


政治家は利権や権力争いにうつつを抜かすばかりで、いまや日本の政治はボロボロで、日本政治は今や、炎上系ユーチューバーのやりたい放題の場に成り下がってしまっています。そんなユーチューバーに、スマホを手にした児童や生徒は熱狂し、憧れを抱いているのです。大人になればそんなユーチューバーになって大金を稼いで勝ち組になると夢を見ているのです。


この国は、子どもから、若者から 他を利する喜びという人権尊重を大切にする人間性を育てず、その中でも、他を利する喜びに生きようといする若者から、夢も希望も奪い去ろうとしています。


メディアは、常に他人事です。ただ淡々と発信された内容を横並びに報道するだけで、政府に睨まれないこと、おもしろければいいという軟弱極まりない風潮に染まっています。


本当に悲しいです。


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