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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2022年3月21日月曜日

「防人の詩」に思いを馳せています。

 

ロシア大統領プーチンの軍隊が、ウクライナに武力侵略を始めてから、さだまさしさんの名曲である「防人の詩」が思い出されました。

「防人の詩」は、万葉集に収められた名もなき防人の歌、古代日本が朝鮮半島から侵攻してくるかも知れない唐の軍隊から、日本国土を防衛するための軍事制度防人の兵として対馬や九州北岸に赴任した名もなき民が詠んだ歌、をモチーフに作られた哀歌です。またこの「防人の詩」は、1980年公開の映画「二百三高地」の挿入歌でもあります。

古代日本の防人は、古代朝鮮半島を分割統治していた三国の内の新羅が唐の冊封国となり、唐・新羅連合軍によって残りの高句麗、百済が滅ぼされたことから、今風に言えば百済と同盟国であった古代日本が百済の再興のために海を越えて派兵したものの、白村江の戦いで大敗し、次なる脅威、唐の日本国土への侵攻に備えるために、朝鮮半島に面した沿岸部や島の防御として制度化されたものです。

また二百三高地は、日露戦争の激戦地です。

「防人の詩」は反戦歌として作られた歌と言われますが、防人、防人の詩の浅い知識しか持ち合わせていなかった私は、防衛とロシアというキーワードからこの歌を連想し、国土や国民の命がプーチンのロシア軍隊によって蹂躙されているウクライナの人々の側に立って、聴いていました。


でも、よく歌詞を吟味して聴こうとすればするほど、歌詞の本意が分からなくなりました。それで、改めて防人とはどういうものかを、調べてみました。

古代日本の中央集権政府は、畿から東方の国の民に防人の任務を命じます。民は重い税を課せられた上に、更に、遙か西国に赴任する費用、武具を備える費用、そして、いつ終わるか知れない防人の任務を過ごす日々の費用、等々すべてを自らで賄う事も命じられました。それは民にとって、不条理で理不尽で過酷極まりない重責であったと想像できます。そして防人に赴任した多くの東国の民は、西国の地で、任地との往路で、命を落としたといいます。

これって、訓練と称してロシア各地から集められ、ウクライナの地で実際の戦闘に放り込まれ、兵站の乏しい中で、兄弟国だとして教え込まれたウクライナの兵と殺し合い、ウクライナの民間人、女性や子ども、お年寄りまで殺すことになったロシア軍の新兵の、今の心の内に通じるのではないか、とそう思えてきました。

特に、「防人の詩」の『私は時折、苦しみについて考えます』から始まる二番の歌詞の最後に記された『いまの自分と』が、母から善を望まれた自分が、逆らえぬままに、取り返しのつかない悪に陥っていく様への絶望の嘆きに聞こえてきました。

ロシア国民の中にも、プーチンのプロパガンダや情報統制、さらには暴力による支配にも怯まずに、この戦争はロシアの誤りと強く憤り、悲しみを表明されている人々がいます。命の危険を顧みずプーチンに反対の声を掲げて戦う人々もいます。しかしまた、ロシアの外で、日本で、働き生活をされるロシア人は、肩身の狭い思いをされています。昨日までは親しい隣人であった人々から敬遠され、ヘイトのターゲットにされている人々もいます。

「防人の詩」は、そんな彼等の苦悩や悲しみにも通ずる様にも思います。


少なくとも、戦争に直接的に関与していない私たちは、この戦争で苦しむすべての人々の立場や状況を理解して、寄り添い、十分な支援が出来る様に行動しなければならないと思います。

万一、私たち自身が、サディストの独裁者に支配されたり、魅入られたり、標的にされたら、必ず、今、この戦争で苦しむすべての人々と同じ状況になることは想像に難くないことを理解しなければなりません。

この戦争に終わりはありません。戦闘はいつか終わっても、すべての人々の心が癒え、また破壊された町が復興するためには、とてつもなく長く厳しい時間が必要となるでしょう。その長く厳しい時間を、私たちすべてが、寄り添い続ける覚悟こそ、サディストの独裁者に試されているのかもしれません。