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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年2月19日月曜日

こんな夢を見ました。

こんな夢を見ました。
家には高齢の母がいて、家族で介護のまねごとをしています。夜も母がトイレに立つ度、誰かしら目を覚まし、母の様子を見に行きます。その時も、私は音で目を覚まし母の部屋を見に行きました。
部屋に入ろうとすると白装束の母と思われる人が側を通り過ぎました。私は黙って見送り、ベッドを整えようとベッドに目を向けると白装束の人が横になっているのが見えました。
近づいてその人の顔をのぞき込むと、それは母ではなく、知らない若い女の人でした。そして目を開き口を開きました。その目は黄色く輝き、口の中から鋭い犬歯が覗いていました。そして私は目を覚ましました。
起きてすぐ、あれはノルンであったのではないかと思えてきました。

その前日、ノルンの家族葬を執り行いました。娘が土曜日に帰って来るというので二日間ノルンを仏間で安置しました。毎日、加古川のネクストワンまでドライアイスを買いに出かけました。ノルンには酷なことをしましたが、でも綺麗な姿でお葬式を迎えることができました。
お葬式では、般若心経と修証義を読み上げました。かみしめるように読み上げました。
お経はとても難しいものですが、でも修証義は現代語で書かれているので少し意味が汲み取れます。
命が死を迎えるとき、伴うものは生前の善行悪行だけで、それが来世に報いとなって表れる。命は黄泉で清められ新たな生として生まれ変わる。でも人に生まれ変わることは希であり、来世は猫や犬に生まれ変わるかもしれないし、その次は空を飛ぶ鳥かもしれない、そのまた次ぎは地を這う虫かもしれない、はたまた草木に生まれ変わるかもしれない。そんなことに耽っていて、ふとノルンはもしかしたら美しい女の人に生まれ変わるかもしれないなぁという想像が頭をよぎりました。

それが潜在意識に残っていたのでしょうか、それとも本当にノルンが人の姿で現れたのでしょうか。ノルンは突然の死の苦しさを訴えたのでしょうか、それとも来世の姿を垣間見せてくれたのでしょうか。でもたった一つ正確に言えることがあります。それは臆病な私がまったく恐怖心を抱かなかったことです。夢の中で見た女性は、考えてみれば美人とはほど遠いですね、目が黄色く輝いて牙を生やしていたのですからね。やはりノルンであったのだと思います。その顔を見てすぐにノルンと分かるように出てきてくれたのだと思います。