播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2021年5月10日月曜日

デモクラシー政治の腐敗が描かれた「スミス都へ行く」について書こうと思います。

「スミス都へ行く」 (原題:Mr.Smith Goes to washington 1939年アメリカ映画)

この映画は、題名からは想像出来ないですが、「デモクラシー政治の腐敗を目の当たりにしたとき、私たちはどうすれば良いのか?」という現在の私たちも直面する不変的な問題への非常に重い問い掛けが描かれています。


1930年代のアメリカが舞台です。アメリカは、連邦政府主導の公共事業政策(ニューディール政策)によってアメリカ発の世界恐慌からの回復期に入っていました。

しかしデモクラシー政治は、まだまだ白人男性、しかも裕福な政治家や資本家が牛耳る時代でもありました。


ではあらすじです。

ある州から選出された連邦国家上院議員が一人、突然死去したことから、物語は始まります。


その州の州知事は、ボーイレンジャー(野外活動を通じて少年を育成する活動)の隊長で、州の子供たちから尊敬される純朴なスミス青年に白羽の矢を立て、上院議員に任命します。

連邦国家の上院議員は各州から二名選出されます。当時はアラスカとハワイを除く48州で連邦国家が構成されていたため、連邦国家の上院議員定数は96名でした。その96名の上院議員が、連邦国家の上院議会で評議し、連邦国家を運営するための法律を整備し、法に基づいた公共事業を整備しました。

政治とは無縁であったスミス青年ですが、州の子供たちやその親たちからの絶大な声援を受けて、名誉であり崇高な使命を帯びる上院議員の職を引き受けることを決断します。決断にはもう一つ理由がありました。それはもう一人の上院議員、ベテランのペイン上院議員の存在です。

スミス青年の父親は正義感の強いジャーナリストでした。政治家や資本家の汚職や犯罪を糾弾するためにペン一本で闘っていました。その父の唯一の相棒が若き日のペイン上院議員(当時は弁護士)でした。父はペイン氏をとても尊敬していました。しかし、父は活動の最中に凶弾に斃れました。スミス青年がまだ幼子の頃のことです。ペイン氏は、その後に州選出の上院議員となって、二十有余年、州や連邦国家のために働き、今では次期合衆国大統領として期待されるほどの実力者となっていました。そんなペイン氏をスミス青年は、影ながら父のように慕い、また尊敬をしていました。

スミス青年は、州知事が主催したスミス上院議員の壮行会で、州民に対して、期待を決して裏切らず、誠実に働くことを誓います。そしてペイン上院議員とともに首都ワシントンD.C.へと旅立ちます。


しかし、スミス青年の上院議員選出は、州の政財界を牛耳るテイラーの陰謀によるものでした。テイラーは表向きは大新聞の社主ですが、その実はこの州の政財界を暴力で支配してきた大悪でした。州知事も、そしてペイン上院議員も、テイラーに屈し、今ではテイラーの操り人形となっていました。

そのテイラーが、美しい峡谷の周辺の土地を密かに自分のモノにして、そこに必要でないダムの建設を連邦政府の公共事業として誘致し、莫大な利益を貪ろうと画作していました。その陰謀を手先となって進めていたのが二人の上院議員でした。そのひとりが突然に死んだのです。テイラーは陰謀を頓挫させないために、州民の目を欺くと共に、陰謀におよそ気付くことのない、気付いたとしても何も出来ない人間を探します。そして、お人好しで人気者のスミス青年に白羽の矢が立てられたのでした。


ワシントンD.C.に着いたスミス青年を早速出迎えたのは、彼を社交界の遊びに誘惑する着飾ったレディーと、彼に好奇の目を向けるハイエナのようなジャーナリスト、そしてペインからスミス上院議員の秘書となりその実は監視役を命じられたサンダース女史でした。しかしスミス青年を何よりも虜にしたのは、アメリカ建国の父から受け継がれたデモクラシー精神をその姿に刻む荘厳なモニュメント群でした。スミス青年は、モニュメントに刻まれた「自由」と「平等」、そして「正義」の精神を継ぐ者の一人となって働く事を決心します。

そして、その溢れる思いを秘書であるサンダース女史に打ち明けます。

サンダース女史は、若いながらも上院議員の仕事や法律に精通したとても優秀な女性でした。しかし、いくら優秀でも、女性である限り政治に参画することは許されません。そして、お人好しの監視というあまりにも情けない役目を宛がわれたことで、この仕事を辞める決意を固めているところでした。

スミス青年の純粋さ、誠実さ、そして可愛らしさは、狡猾な政治家やめざといジャーナリストしか知らないサンダース女史には、とても新鮮な驚きとなりました。と同時に、この青年がやがて淀むか傷つくことを想像し、それに加担していることに嫌気がさします。


スミス青年は、早速にハイエナの様なジャーナリストの餌食となり、新聞記事で道化師と揶揄されます。中傷記事に怒ったスミス青年はジャーナリストに抗議しますが、反対に気負いだけのただのお飾りでしかないことを指摘されて窮してしまいます。

スミス青年は、ペイン上院議員に、上院議員としてどの様に活動すれば良いかを相談します。ペインはスミス青年が議会に出ることなく、ただワシントンでおとなしく過ごしてくれることだけを望んでいましたので、まずはワシントンの生活に馴染むことを薦めますが、気負いの勝るスミス青年は受け容れず、それではと、サンダース女史に指導を受けて法案作りを勉強することを提案します。


スミス青年は、サンダース女史に夢を語ります。それは、故郷の美しい峡谷に、合衆国のすべての子供たち、貧しい子供たちも、肌の色が違う子供たちも誰もが皆、参加ができて、自由と平等、そして正義という合衆国憲法の精神を共に学ぶことの出来る国立のキャンプ場を建設するという夢でした。そして建設の費用は、国庫から前借りし、子供たちの少額の寄付で少しずつ返済していくというまるで私利私欲のない夢でした。

そして、その夢を実現するための法案作りの協力をサンダース女史に頼みます。善は急げで、明日の議会で法案を提出したいと言います。

スミス青年が希望する峡谷が、テイラーがダム建設を予定している峡谷であることを理解したサンダース女史は、テイラーやペインの悪巧みに一矢報いられるという思いからスミス青年に協力し、徹夜で法案を書き上げます。


そして翌日の議会の最後に、スミス青年は、議長に法案の提出を願います。議長は申し出を受け、スミス青年は起立して法案を読み上げます。そして、キャンプ場の建設予定地をスミス青年が読み上げたとき、ペイン上院議員は慌てて立ち上がり議会を後にします。

テイラー一味は、スミス青年の予期しなかった行動への対策を協議します。

テイラーは脅しを主張しますが、ペインはスミスに美人の娘を宛がい、議会から遠ざけて、彼の不在の内に、ダム建設の法案を通してしまうことを画策します。

しかし、その画策をペインから伝えられたサンダース女史は、遂にテイラーやペインの悪事をスミス青年に打ち明けます。

スミス青年はペインに会いに行きます。そしてペインに大悪と手を切ることを切望します。

しかしペインは、政治活動を行う上でテイラーは必要悪であったと話し、逆らえば身が危険になると警告します。そこにテイラーも現れて、目をつぶれば、この先も上院議員としての地位を保証してやると持ちかけます。スミスは怒りと恐怖に震えながらペインの屋敷を後にします。


そしてダム建設の法案が可決する日を迎えます。憔悴しきった体でスミス青年は議会の席に着席します。そして議長が採決を取る直前に、スミス青年が発言を求めます。議長は発言を認めます。起立したスミス青年はダム建設の反対を表明します。そして、その理由を述べようとする直前に、ペインが立ち上がりスミス青年に発言を求めます。スミス青年が発言をペインに譲ると、なんとペインは、スミス青年の法案には、不正行為があること、そしてスミス青年が非道な人間であると告発しました。その告発内容は、まるでテイラーの企みそのままでした。スミス青年は、慕い尊敬していた人物から、議会を欺く悪者に仕立て上げられました。

議会はスミス上院議員を糾弾するために公聴会を開きます。そして、打ち拉がれて出席すら出来る状態にないスミス青年をよそに、テイラーに脅された証言者は、スミス青年が悪人であると次々に偽証します。


そして、スミス上院議員の悪事に議会が評決を下す前夜の事です。

リンカーン記念堂で一人たたずむスミス青年をサンダース女史が見つけます。サンダース女史は、このままでは貴方を信じた子供たちを悲しませ、自由と平等、そして正義は子供たちの希望ではなくなってしまうと話します。リンカーンも貴方と同様に困難に直面したが信念を貫いた。信念を貫けば闘える。私は貴方と共に闘うと話します。

スミス青年に生気が戻ります。そして、闘う決意を新たにします。


サンダース女史には、秘策がありました。法律の抜け目です。発言権を得た者が、誰にも発言権を譲らずに、会期の終了まで起立したまま発言を続ければ、未決議の法案は全て破棄されてしまうという議会妨害(フィリバスター)が可能という抜け目です。

そして議会が始まります。スミス青年は決意して座席に着席しています。そしてスミス上院議員の不正の評決が下される直前に、議長が最後の弁明の機会をスミス上院議員に与えます。スミス青年は起立します。そして最後の闘いが始まります。

スミス青年は、テイラーとペインの悪事を告発します。ペインは発言をスミス青年に求めます。しかし、スミス青年は決して譲らず、告発を続けます。それは真実の告発です。

ジャーナリストは、ゴリアテに挑むダビデにたとえて、このニュースを全国に電信で発信します。しかし、スミス青年の州の人々には真実が届きません。テイラーがすべての新聞社やラジオ局に圧力を掛けて、真実を隠蔽し、スミス青年が極悪人であると偽りのニュースを流し続けます。しかし、サンダース女史は、スミス青年の母親が子供向けの新聞を発行していることを思い出し、母親に直接電話して、真実を伝えて、子供新聞に載せて、州の人々に真実を伝える行動を起こします。

しかし、その行動に気付いたテイラーは、子供新聞社を襲い、また新聞を配る子供たちを襲い、サンダース女史の企てを阻止します。


もう万策は尽きました。しかし、スミス青年は丸一昼夜、立ち続けて、話し続けます。話す内容が無くなれば、法律書を開いて読みます。誰が見てもいつ倒れてもおかしくない状態です。

そこにペインが、幾つものカゴに入った何万というスミス青年を糾弾する州の人々からの電報をスミス青年の前に運んできます。

スミス青年は、その一部を手に取って読み上げます。そしてもうろうとしながら、ペインへの思慕の念と尊敬を口にし、ペインに真実を明かすことを懇願し、崩れ倒れます。

それを見たペインは拳銃を手にして自殺を図ろうとしますが、警備員に制止されます。そして議会の真ん中でペインは真実を叫びます。




何の罪もない一人の人間が、悪意に翻弄され、社会的に抹殺され、精神的に追い詰められる。鑑賞中、スミス青年やサンダース女史に感情移入し、止めどない怒りと恐怖と悲しみが胸中で渦巻きました。最後の最後にペインが告解しますが、それはキリスト教的な解釈で言えばペインが救われたことを意味し、スミス青年が救われたわけで無く、大悪は裁かれぬまま物語は終わります。


この文章の始めに書いた「デモクラシー政治の腐敗を目の当たりにしたとき、私たちはどうすれば良いのか?」、

スミス青年は、命を賭して信念を貫きました。その結果、命を落としそうになり、また彼の支援者、子供たちまで暴力の餌食となりました。

ペインは、悪にひれ伏しました。そして社会的に尊敬される地位を得ました。

劇中、ペイン氏がスミス青年を惑わす言葉が印象的でした。

「テイラーは必要悪だ。」

「逆らえば身に危険が及ぶ、しかし、従えば、自分のやりたかったことも叶えることができる」そう言って妥協し、そしていつしか妥協したことも忘れ、それが当たり前となっていく。

そして、その他の上院議員やジャーナリストの様に、無関心を決め込む。或いは、最小の批判や皮肉に留めて、火の粉を被らないようにするです。


今、私たちは、ペインとその他の二つの捻れた道を転がり落ちているように思います。

そして、たとえ批判や怒りの気持ちがあっても、微力では決して敵わないと諦めてもいます。


デモクラシー政治を浄化する唯一の方法は、選挙です。

その選挙さえ、法外な額の供託金に阻まれて、誰もが気軽に選挙に出馬することは叶いません。

結果、権力者やお金持ちに頭を下げなければ選挙にも出られません。選挙に当選したとしても、お金の力でがんじがらめです。

そして政治家で居続けるためには選挙に勝ち続けなければなりません。

結果、選挙に勝つための政治家になり果ててしまいます。


劇中、サンダース女史がスミス青年に告げた言葉が印象的です。

「貴方を信じた子供たちを悲しませてはいけない。自由と平等、そして正義を、いつも子供たちの希望として輝かせなければならない」

もはや最後、私たちを正気に留める事ができる唯一の理念ではないかと思います。

しかし、それさえも他人任せになりつつあるように思います。


救いを探さなければなりません。