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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2024年1月6日土曜日

カズヤ逝く

5日の朝、一本松連中の幼なじみ、カズヤが逝きました。

昨年の夏の終わりに友だち四人で会いました。その一人がカズヤでした。その日、カズヤは退院したその足で集まりに参加してくれました。

イチャさんは、それが何より嬉しくて、少し調子に乗りすぎてしまい、いつもなら笑って怒って許してくれるカズヤが、本気で怒って沈んで黙ってしまいました。その日、カズヤに会う前に、イチャさんからカズヤが入院していて、今日退院で、その足で来てくれると聞いていました。カズヤはその時も体調が思わしくない様子でした。でも、これからは良くなると思っていました。

10月15日の朝、一本松連中の集まりに、一時顔を出しました。その時に、一言二言会話を交わしたのが、最後の会話となりました。その時、集合写真を撮ったのが、私が撮影したカズヤが写る最後の写真となりました。

若い頃はけんかっ早いところがありましたが、最近ではすっかり好々爺の風がありました。子供や孫を大事にしていました。

撮りためていた写真データを、見返し、カズヤが写る写真を探しました。笑みを浮かべる顔は、本当にハンサムです。後、2014年10月15日の本宮、牛谷丁の獅子道中舞で、軽妙に太鼓を叩いて音頭を取る笑顔のカズヤが写る映像がありました。こちらを向いて何やら言葉を発しているカズヤがそこにいました。

私は明日の告別式に参列する予定で、今夜の通夜に参列していません。ですから、まだ実感が湧きません。近くにいても、顔をあわせて話すのは年に数回程度です。ですから、少し時間がたったら、また顔を見られる様な気分でいるのです。昨日今日と面会したイチャさんなどはきっといま辛い気持ちになっているのだろうなと思います。

2024年1月4日木曜日

神も仏もないのか

三日、友だちと会った時の第一声でした。

元旦の午後4時10分頃に能登半島地方で起こった震度7の大地震です。震源地となった能登地方から直線距離で約350㎞のここ播州地方にも長周期震動が届き、地震の規模の深刻さを実感しました。その被害は日を追うにつれて深刻さを増しています。

そして二日の午後5時50分頃に羽田空港で起こった航空機衝突事故です。着陸した直後の旅客機が滑走路に侵入していた海上保安庁の小型輸送機と衝突し、小型輸送機は爆発大破し、旅客機も火を噴きながら停止、それから20分ほどで機全体が炎に包まれました。旅客機の乗客乗員379名が乗務員の冷静な誘導によって、停止後18分で全員が無事避難できた事は本当に幸いでしたが、能登地方に救援物資を届けるために小型輸送機に搭乗していた海上自衛隊の5名の隊員が死亡、1名が重傷を負われた事は、言葉にならないほど辛い出来事となりました。


神も仏もないのか


正月は、特に日本人が神仏に集い手を合わせて願い事をするという、古来からのしきたりの神聖な日です。神仏を身近に感じる日です。なのにこんな仕打ちを日本人に行うのか、という憤りも分かります。

私はどういうものかを言葉で説明する事はできませんが、この世界、あらゆる世界を創造し、永遠に見守り続けている存在はある、と思っています。存在は、この世界のあらゆる生きとし生けるものの創造主であり、創造したあらゆるものの誕生を見守り、死滅を見守ります。逆説的に云えば、誕生も死滅も私たちの行動や進歩に懸かっているという事です。もし存在が私たちに慈悲により望みを叶えてくれるとするなら、憎悪によって絶望に落とすことにもなるでしょう。慈悲や憎悪は、人間特有の感情であると私は思っています。存在は、慈悲や憎悪を超越した存在だと私は思っています。

だから、地震の深刻な被害や飛行機事故は、私たち自身が受け止め、私たち自身で対処しなければならない事です。地震の被災者に手を差し伸べて、苦しみを分かち合い、助け合い、復興に向けて気持ちを一つにする。飛行機事故も同様に、原因を究明して、二度と同様の事故が起きない様、防ぐ事ができる様にする事です。

そういう私たちの行動こそ、存在が望む事ではないか、と思います。

2024年1月1日月曜日

百寿

年が明け、2024年(令和6年)になりました。

そして母郁子は、百寿を迎えました。1925年(大正14年)7月28日生まれで、今日で数えの百歳です。

母は、戦時下で青春時代を過ごし、終戦の年に成人式を迎えた母です。

それなりに波瀾万丈の人生を生き抜いて、90歳を超えたあたりから認知症状も進み、今ではどこに住んでいるのか、誰と住んでいるのか、もしかしたら不安で一杯かも知れませんが、日一日を淡々と過ごしています。

何をするにも介助が必要ですが、それでも本人が気持ち動いてくれるから、介助作業も張り合いが持てます。そこが我が母ながら凄いな、と思います。


 

2023年12月31日日曜日

苦痛の淵

 この年の終わりに、ウクライナ人のNHKディレクター、ノヴィッカ・カテリーナさんが制作したセルフドキュメンタリー「私の故郷 ウクライナ」を観ました。

昨年二月にロシアが祖国ウクライナに軍事侵攻を始めてから二回目の秋、今年10月にウクライナに一時帰国し、5年振りに再会した両親や友人、そしてキーウの街角で出会った人々との会話、抱擁を通して、市井の人々の戦争への思い(それは苦痛以外の何ものでも無い)、そして今抱く夢を取材した内容でした。

私は、カテリーナさんが取材した二人の女性の、暗く沈んだ瞳に釘付けになりました。

ひとりは、キーウの街角、これまでの戦闘で戦士した兵士一人一人の写真が飾られた追悼の壁に花を手向けていた若い女性です。彼女の夫はこの壁に写真が飾られていました。

もうひとりの女性は、カテリーナさんの男子同級生のお母さんです。あまり目立つタイプではなった同級生は、自ら祖国を守る戦いに志願し、そしてカテリーナさんが帰国中に戦死し27歳の生涯を閉じました。

二人の女性の暗く沈んだ瞳が見ているものは、夢も、希望も、そして愛しい記憶も、すべて奪われた女性の魂が、沈み堕ちた苦痛の淵の景色、真っ暗な闇なのだと思いました。


ひとりが殺されたら、その人を愛したすべての人、家族、兄弟、連れ合い、子供、友人、恋人が、この女性と同じように、魂が苦痛の淵に沈み堕ち、囚われてしまうのだと思います。ひとりが殺されたら、その数倍の魂が、数十倍の魂が、囚われてしまうのだと思います。

そして、止む事のない苦痛に苛まれ続けた魂は、やがて憎しみの業火に包まれて、憎むべき者を道連れにして焼き滅んでしまうのだと思います。

その不条理な滅びを食い止める為にも、私たちは、この戦争を終わらせる事に積極的に関わり、全身全霊で取り組まなければいけないのだと思います。


私たち人類は、長らく欲望や憎しみの解決手段として戦争をし続けてきました。殺す事、差別する事、奪い取る事が、人間の本性の進歩であると考えていたのです。それは全くの間違いでした。本当の進歩は、人権を守る事、寛容である事、分け合う事、そして連帯する事であると近代になってようやく気付きを得ました。そしてそれからの数世紀で、私たち人類は飛躍的に文明を進歩させて来ました。

しかし、独占する事、奪う事、差別する事でしか欲望を満たせない者が廃れる事はありませんでした。そういう者が、再び力を得て、暴力で主張を誇示する様になってきました。

彼ら力の信奉者は、他人の命の尊さなど露ほどにも思わないでしょう。

私たちは、そういう暗黒面に引きずり込む暴力には屈してはいけないのです。屈してしまえば、私たちは遅かれ早かれ滅んでしまうでしょう。

私たちは生きなければならないのです。そうしなければ私たちの子供や孫に希望のある未来を残す事が出来なくなってしまいます。