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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年4月17日金曜日

透明人間症候群

先日夜、風呂から上がると、家族が「世にも奇妙な物語」を観ていました。奇妙な話や幽霊の出る話は苦手で、この手の番組はあんまり観ることがないのですが、画面には忙しく仕事をする銀行員に全く気付かれずに、机の上のお金の束をせっせと鞄に詰める男の姿がありました。透明人間が銀行泥棒をする話かと思えばさにあらず、観ていた家族に聞くと、存在感が余りにも薄い男の物語だと云います。題名は「自分を信じた男」でしたが、「存在を無視し続けられる男」の方がしっくりとくるお話しでありました。

透明人間
英語では、invisible man
invisibleという単語には、「見えない」とともに「無視されている」という意味もありました。

何故にこのドラマに関心をもったかといいますと、そして透明人間という言葉に敏感になっていたかと云いますと、それは最近急に増えだした人間味の無い犯罪が原因です。
人間味の無い犯罪というのは、
・むしゃくしゃした感情を抑えきれず、突然にキレて無差別な殺傷事件を引き起こす。
・インターネットの住人アバターの精神状態のままに、現実世界で無法な犯罪を引き起こす。
・薬物に溺れ、無法な犯罪を引き起こす。
等です。

そして人間味の無い犯罪を起こす者の共通項として
・「自分は見えない存在」あるいは「神の様な存在」として全く悪びれる様子が無い。
・また逆に「自分は無視され続けている存在」として世の中に憎悪しか持っていない。
がある様に思えます。
一種の現代病と言えるのではないかと思います。名前を付けるのなら
「透明人間症候群」です。

現代の、
高度な情報テクノロジーを見境無く信奉し続ける社会、
成功する事を求め続けられる社会、
一度の失敗も許されることのない社会、
そして全てが二極化されどちらかに押し込められる社会が続く限り、
「透明人間症候群」はさらに悪化の一途を辿る様に思います。

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