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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年9月7日金曜日

セルフレジでの出来事


今日の昼、ささやかな喜びを覚えました。
買い物をして、セルフレジで精算したのですが、
支払合計 \284
そして財布に貯まっていた小銭を全部投入したところ
現金合計 \284
と、ピッタシで支払いが出来たのでした。

なんのこともない普通の出来事かもしれませんが、
でも私、よし!と内心ほくそ笑んでしまいました。

携帯電話が故障しました


私は、スマートフォンではなく、二つ折りができるガラパゴス携帯電話機を使っています。昨日の朝までは普通に使えていたのですが、昼前着信チェックをしようと開くと、液晶ディスプレーが真っ黒で目視チェックができません。
パソコンに繋いで、携帯電話のデータをパソコンに取り込んでみたのですが、電話の着信履歴は取り込めないのですね。。。

そして午後、近くのドコモショップに出向きました。
相談すると、私は”ケータイ補償お届けサービス”に入っていて、負担金5000円で同一機種の新品と交換してくれるとの事、そしてドコモポイントも貯まっていたので、負担金にポイントを充てることで、携帯電話機を新品に交換してくれることが分かりました。
でも話の中で、二つ?を覚えました。
一つはそう、負担金の問題です。1回目は5250円、2回目からは8400円も掛かるのです。”ケータイ補償お届けサービス”は有料です。毎月月額料金(保険料)を支払っているのです。
パソコンの補償サービスの比較すると、そのおかしさが鮮明です。
パソコンの場合、購入時に例えば3年補償の保険料を先払いしておけば、3年間、何度でも無料交換してくれます。
二つ目は、故障した電話機のドコモへの送付を自分で行わなければならないということです。
”ケータイ補償お届けサービス”の利用手順は、
①自分でドコモのケータイ補償お届けサービスセンターに電話連絡し、
②1~2日以内に指定の住所に交換電話機が郵送される
③そして旧電話機は、①で届け出た日から10日以内にドコモに送付する
となっていて、③が行われない場合は違約金として42000円が請求されます。
まぁ自分ですべて手続きをするのであれば、これも致し方ないと思いますが、
私はドコモショップで手続きを行ったのです。代替幾を借り受け、交換用電話機がドコモショップに届いたら、代替幾を返し、そして交換用電話機を受け取りに行くのです。それでも、ショップに預けた故障電話機は返され、自分でドコモに送付しなければならないのです。ショップからの帰り道、にポストに投函すればいいじゃないか、とも思いますが、ショップでそのまま回収する方が、利用者の手間もいらず、またドコモ自身も回収の一元管理ができ、また送料も必要でなくなり、さらに良いのではないかと思うです。

こぎれいで大勢の窓口接客者を配置し、広々としてエントランスには、お金の掛かったパンフレット、そして新品携帯電話のモックアップが飾っている。
でも本当のサービスとは、お客様が窓口に相談にこられ、すべてを解決して、手軽にお返しする事でないかと思うのです。そういう意味で、携帯電話料金の複雑さと相まって、そのサービスもとても猥雑に感じました。

でも応対して下さった接客者はとても丁寧で、サービス内容についてもわかりやすく説明してくださいました。
ドコモが進めている高速通信Xi(クロッシー)ですが、高砂ではまだまだ使えないとのこと、加古川ではだいぶん普及し、加古川大橋を渡れば繋がるかもしれないと話されました。まさに喜劇です
またXiを使うスマートフォンは、電池の持ちが悪いとも話されました。
携帯電話を利用する本分はなんでしょう?
それはやはり通話、コミュニケーション手段の維持だと思います。
多機能のまるで魔法のランプの様なスマートフォンですが、それだけを頼りに外出し、途中で電池切れに陥って、誰にも連絡が取れずにっちもさっちもいかなくなった、では本末転倒ですよね。これもまさに喜劇です

それから、子供の携帯電話利用についても伺いました。
高校生以上はスマートフォンで、中学生までに買い与える親御さんは通話制限が可能なiモード携帯電話幾を選択される事が多いと話されました。
現在、携帯電話の世帯普及率は、95%台で推移しています。
実質的な一人一台という普及率もそうとう高くなっているのではないでしょうか。
一昔前の言い回しで言えば、いわゆる贅沢品のコモディティとしては、腕時計以来の爆発的な普及です。そして今や、一人一人のライフライン化しつつあるようにも感じます。
携帯電話がなければ、生きていけなくなる、それが実体化したならばとても恐ろしい事態です。


そうそう、こんなに携帯電話をスマートフォンを否定する私ですが、携帯電話が壊れた時、ホント狼狽えました。”生きてゆけなくなる”の恐怖を少し感じました。。。

2012年9月6日木曜日

「中山美穂 魂の旅~小説“アルケミスト”の世界を探して」を見ました。


BSアーカイブスで、
「中山美穂 魂の旅~小説“アルケミスト”の世界を探して」を見ました。

小説“アルケミスト”、まったく知らなかった小説ですが、
ブラジル人作家パウロ・コエーリョさんが1988年に発表された、世界的なベストセラーだそうです。
番組は、中山美穂さんが、小説“アルケミスト”の物語に沿って
発端となるスペイン、アンダルシアの草原から、スペイン最南端の町タリファ、そしてジブラルタル海峡を渡ってモロッコ、そして砂漠を東に進みエジプト、ギザのピラミッドを旅します。

小説“アルケミスト”(邦題:アルケミスト - 夢を旅した少年)は次の様な物語です。
アンダルシア地方で羊飼いをしながら旅をする少年サンチャゴは、ある朽ち果てた教会跡でキャンプをしました。大きなイチジクの木のもとで眠っていますと、ある夢を見ました。
それは、”ピラミッドまで旅をすれば大いなる宝物を手にすることができる”という恣意的な夢でした。
そしてサンチャゴは、タリファの夢占い師を訪ね、また王と称する老人から自分を信じて進めと後押しもされ、海を渡ります。モロッコでは全財産を奪われる不運に襲われますが、一人のアルケミスト(錬金術師)に出会い、アルケミストの供となって砂漠を旅します。
砂漠では、ある部族同士の争いに巻き込まれて命の危険を招きますが、サンチャゴは神に祈り、神は大風をおこしてサンチャゴを救います。
そして長い旅の末、終着地ギザにつきます。ピラミッドの側に立ち、夢で見た通りに穴を掘って宝物を求めましたが、でも宝物はありませんでした。
一人で立ちすくむサンチャゴは暴漢に襲われます。酷く痛みつけられたサンチャゴに暴漢の一人が告げます。
”あなたが求めている宝はここには無い”
”あなたが求めている宝は、イチジクの木がある朽ち果てた教会跡にある”
と告げます。
そしてサンチャゴは、再びアンダルシアに戻り、夢を見たあのイチジクの木がある朽ち果てた教会跡で宝物を見つけます。

作家パウロ・コエーリョさんは、言います。
『本当の幸せは、いつもそばにあるものだ。でも私たちはその幸せに気付くために、大いなる旅が必要なのだ。』と

旅を続ける中山美穂さんの表情がとても良かったです。そして、また思案しながら言葉を選びながら静かに話される中山美穂さんの心の風景もとても良かったです。

そして中山美穂さんの本当の旅の最後は、作家パウロ・コエーリョさんとの対面です。ピレネー山脈を間近に望む丘で対面された二人は、まるで旧来の師弟のありようで、中山美穂さんは、その感動を言葉ではなく、心からほとばしる震えで表現されていたのが印象的でした。

私も、是非『アルケミスト - 夢を旅した少年』を読んで、心の旅に出かけたいと思います。

2012年9月3日月曜日

大好きな歌手倍賞千恵子さんへの願い


私は歌が好きです。そして大勢の素敵な歌手のファンでもあります。
その素敵な歌手の中でも、とびきり好きなのが倍賞千恵子さんです。

倍賞千恵子さんといえば、やはり寅さんの妹さくらが印象的です。
さくらは、渥美清さん演じるどうしようもない『おにいちゃん』には似ても似つかない、しっかりもので心根から清い兄思いの妹です。
そして倍賞千恵子さんは、昭和期において日本一の妹となりました。

私は役者としての倍賞千恵子さんも大好きですが、
そう、歌手として舞台で朗朗と歌う、倍賞千恵子さんがたまらなく好きなのです。
倍賞千恵子さんの歌声は、まるで聖歌隊の少年歌手の如く、どこまでも清く通って、私の心に深く染み入ります。そして歌声と共に詩の心を全霊で表現されるので、詩が伝える世界が具体的なイメージを伴って私の脳裏に届きます。

私は、大好きな俳優森繁久彌さんが、1960年に知床の羅臼を舞台とした映画『地の涯に生きるもの』で、撮影でお世話になった羅臼の町の人々にお礼として贈られた歌『オホーツクの舟歌』を、倍賞千恵子さんの歌声で初めて知りました。

そして、詩人谷川俊太郎さんがベトナム反戦詩として作られた『死んだ男の残したものは』(1965年作)も倍賞千恵子さんの歌声で初めて知りました。
歌:長谷川きよしさん

どちらの歌にも、戦争が招いた深い悲しみとともに、それでもその地で生きてゆく、人々の切望が込められています。倍賞千恵子さんは全霊でその悲しみを、そして切望を朗朗と歌い上げられ、私は深い感銘を受けました。

そして、美しい日本の風景や四季を綴る唱歌も倍賞千恵子さんの歌声で沢山聴きました。
倍賞千恵子さんの歌声は、まさに美しい日本の歌声だと思います。

しかし、現在の日本には、唱歌が綴った美しい日本はもうありません。心の問題です。そう心がとてもさもしくなったのです。自信を失い、失望し、闇雲に攻撃し、傷つけ合っているのです。日本は1000年の時を経て築いてきた美しい心根を投げ捨て、乾いた合理性に身を委ねようとしています。
でもそんなもの日本人には到底似合わない、四季という美しくも厳しい自然環境の中で生きてきた日本人には、四季にへりくだって生きる美しい心根がこそ必要です。またそれこそが、日本人が世界の人々に誇れる、凛とした様式美、そして簡素美を再興する唯一の手立てだと思うのです。

美しい日本の歌声は、美しい心根を呼び起こしてくれます。また、怒り高ぶる者立ちの尖った気持ちを和らげもしてくれます。
役立たずな政治家には、この際退場して頂いて、日本人の中に美しい心根を取り戻す為に、そして隣国の荒ぶる国民感情を平静に導く為に、倍賞千恵子さんには、もう一度表舞台に立って頂いて、美しい日本の歌声を同胞である日本人に、そして隣国の友人に届けて欲しいと願います。

明日があるさ


夕方、歩いていますと、ふと坂本九さんの歌『明日があるさ』のメロディが頭の中に流れてきました。この歌、2000年のはじめに吉本お笑い芸人のユニットがカバーして大ヒットしましたね。
実は私、この歌をよく知りません。それで家に戻ってからしっかりと歌を聴き直しました。
『明日があるさ』は、まだまだ自信の乏しい若者(高校生くらいでしょうね)が主人公で、でもその彼が一途に恋をして、恋の成就に向けて一歩一歩前進してゆく。そして、明日には必ず、明日には必ず、と恋の成就を夢見るという、切ないけれど希望が溢れた歌でした。

『上を向いて歩こう』
『見上げてごらん夜の星を』
そして
『明日があるさ』
には、共通した意思を感じます。

どんなに小さき者であっても、そしてたとえ今苦しくとも
明日の幸せのために、精一杯誠実に生きる

これらの歌が生まれた1960年代は、日本が戦後の暗澹たる状態からようやく抜け出し、誰もが明日への希望を見いだし始めた時代だと思います。希望が、我慢を生み、連帯を生み、精一杯努力すること、そして誠実に生きることに私たちを導きました。

現代社会は、曙の時代からは打って変わって、落陽の、もしかしたら奈落の時代に入ったと言えるのかもしれません。そして人々からはどんどんと希望が失われてゆきます。
また悪いことに、希望がないから、夢を見ることができないから、誰もが、目の前に存在するパイの奪い合いに走ります。そしてそのパイもいよいよ腐り、奪って食べたら即死んでしまうという事態に陥りかけているのです。

こんな時代であるからこそ、私たち一人一人が、自分の『価値』を真剣に見出さなければいけないと思います。私たちは誰もが、天から『価値ある命』を授かって生きています。『価値ある命』とは、天命のことです。そして私たち一人一人が、見出した役割、喜びに、ただ素直になって行動すればよいのです。この行動が、再び『希望』や『夢』を育んでくれると信じます。

現在が落陽の時であるならば、これから訪れる夜にしっかり休めばいい、そして夢を見ればいい。そして再び訪れる明日に『希望』や『夢』を抱いて、悠悠と歩み出せたらと思います。

津波てんでんこ


防災の日に見たNHKスペシャル「釜石の“奇跡”~いのちを守る特別授業~」で、『津波てんでんこ』という言葉を知りました。
-津波が来たら、てんでんばらばらに逃げろ
-他のことは放っておいて、一人で生き延びよ
という教えを伝える三陸地方津波防災伝承の一つです。
この伝承から、幾度も甚大なる津波被害受けながらその度町を再興してきた人々の、未来を繋ぐ、大いなる意思を感じます。

当日、防災専門家として話をされた片田敏孝・群馬大学大学院教授の『避難三原則』も、とても貴重な内容でした。
-想定を信じるな
-その状況において最善を尽くせ
-率先避難者になれ

『想定を信じるな』
例えば「10mの津波が来ても大丈夫な堤防がある」とします。でも11mの津波がくれば役に立たず、また地震によって堤防が崩れる可能性だってある。物理的な現象は常に想定を超えるのです。
また、私たちは危険が通報されても、これまでは大丈夫だったから、と記憶や経験を頼りに危険を過小評価しがちです。そして心理的な想定が自らを危険に追い込むことになります。

『その状況において最善を尽くせ』
平時から身を守る術や情報、『避難場所』『避難ルート』『危険箇所』を学び、そして身を守る行動ができるようにするのです。
そして本当に危険が迫った時、一番安全と考えられる行動を取るのです。
命を守る為に、常に最善を尽くせ!この意思は、三つ目の原則にも通じます。

『率先避難者になれ』
最初に行動することはとても勇気がいることです。そして、もし危険が訪れなかったら『狼少年』になってしまう恥ずかしさもあります。
でも本当に危険が迫っていたならば、一秒でも早く逃げなければなりません。
その避難行動は自らの命を救うだけでなく、大勢の命を救う行動となります。

危険が迫ってきたら、頭であれこれ考えるのではなく、とにかく最善を尽くして一人で逃げろ!まさに『津波てんでんこ』が伝える教えと合致します。
ですが、『津波てんでんこ』の教えは、現代の助け合い社会には不向きな教えという意見もあります。
「弱き者を見捨てて、一人だけ助かりたいのか?」
良心の呵責をともなう、とても重い命題です。
ですが、『釜石の“奇跡”』は、切迫した状況下で、家族が、愛する人々が互いに生き延びることを信じて、一人一人が最善の避難行動をとった結果です。

私たち一人一人が平時から、信じる行動、選択をしっかりと定め、『その時』に迷うことなく俊敏に行動できる心持ちを養うこと、それが何よりも大切であることを、『津波てんでんこ』から学んだ様に思います。

※片田敏孝・群馬大学大学院教授「避難3原則」について書かれたドキュメント
首都圏に蔓延する地震不安は“知識”では拭えない
釜石市3000人の子どもを救った「避難3原則」に学べ
――片田敏孝・群馬大学大学院教授インタビュー
http://diamond.jp/articles/-/16516?page=2

※NHKスペシャル「釜石の“奇跡”~いのちを守る特別授業~」
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0901/index.html