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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2015年7月4日土曜日

松陽高校野球部の練習試合を観戦しました。

今にも雨が降ってきそうな梅雨空の下で、夏の高校野球選手権大会兵庫大会を一週間後に控えた松陽高校野球部の練習試合を観戦しました。
対戦チームは舞子高校野球部です。昨年の兵庫大会で社高校との試合を観戦しましたが、とても溌剌とした戦い振りで好印象を持ったチームです。

そして今日の1試合目は、初回と中盤に舞子高校が大量得点し、松陽高校が終始追う展開となりました。
試合結果は10対7、終盤に松陽高校が粘りの攻撃で追いすがりましたが後一歩同点逆転には届きませんでした。
でも初回の大量失点に動じることなく、全員野球で試合の形勢を立て直す事ができた。松陽高校野球部の自力を見せてくれました。

試合写真
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2774

大会では、初回から持てる力を余すことなく出し切って戦って欲しいと思います。

今日は夕方から、壮行会が行われると聞きました。
部員たちは、監督、そしてチームメイト、いつも見守り応援してくれる親兄弟がいることの幸せ、ありがたさをしっかりと噛み締めて欲しいと思います。
そして部員達は、心も体も最高と思える状態で試合に挑めるように、
これからの一週間
まずはリラックスに努め、
自分自身を見つめ直し、
そして
試合ができる喜びで心を満たして欲しいと思います。

そして、相手に臆する事無く、自分を信じて、チームメイトを信じて、チームを信じて、
戦いきって下さい。
まずは初戦、楽しみにしています。

p.s.
重傷でグランドに立てなくなった部員がいます。
でも彼は、たとえグランドの外にあってもチームに必要な選手です。
ここまで、悔しさ、辛さ、苦しさに堪えてきたと思います。
でも、これからの一週間、
チームが勝つために自分ができる事で心を満たして欲しいと思います。
その行動は、きっと彼のその先の飛躍に繋がると思います。

2015年7月3日金曜日

セリーグ・・・やらかしてしまいました・・・

遂にセリーグが、やらかしてしまいましたね

セリーグ1位のヤクルトも、遂に借金生活となりました。
そして0.5ゲーム差で5チームが、6位の中日でさえ首位と4ゲーム差でひしめくという異常事態となりました。
セリーグ1位ヤクルトの勝率.493は、パリーグでは5位の成績です。交流戦のパ強セ弱の結果が、リーグの成績にも現れました。
昔は、「人気のセ、実力のパ」という言葉がありました。でも今や、人気も実力もパ、セはまるで下部リーグの様に思えます。

そのセリーグで1位ヤクルトと同じ勝率5割で2位につけていた阪神は、今日の試合がプロ野球チーム史上初となる1万試合目となりました。是が非でも勝ちたい勝たなければならない阪神は、一度二軍に落とされてからまるで汚名を晴らすように大車輪の活躍を見せているメッセンジャーが登板し、7回を終えた時点で3-0とリードしていました。今日はこのまま勝って1万試合到達に花を添え、順位も1位に返り咲くかと思っていました。でも、9回裏抑えのオ・スンファンが打たれてサヨナラ負けしていましたね。
ほんと言葉をありません。

ちょっとだけ怖い話・・・その1

夕暮れ、車で走っていました。
間道から左折して本道に入るとき、一台の車が近づいてくるのが見えました。
でも十分に車間距離があったので、右折してその車の前に入ります。
近づいてくる車をちらりと見ますと、よく似た車です。
今、私が運転している車にです。
前方の信号が赤であったので、右折のウィンカーを出して停車しました。
そしてバックミラーを覗きますと、
その車は、似ているどころか車種も色もまったく同じでした。
この車を中古車店で購入したとき、
「あまり走っていないので状態がとても良いんだけど・・・」
「色がねぇ・・・で、売れないの」
と店の人が話していた事を思い出しました。
私と同じような変わり者かと思いながら、青に変わった交差点を右折し、二車線の右側の車線に入ります。
その車も私に次いで右折し、左側の車線に入りました。
そして、左のドアミラーを通して近づいてくるのが見えました。
並走しかけたその車に、ふと目をやると
一瞬、私が運転している様に見えました。
ドキリとして、思わず顔を前に向け、急ブレーキを掛けて停止しました。
一瞬の事です。
でも、もうその車がどこにもありませんでした。

2015年7月2日木曜日

ライムライト、愛と悲しみの物語・・・観ました

昨日の夕方、NHKの情報番組の中で俳優石丸幹二さんのインタビューがありました。
石丸さんは今、世界で初めてとなるチャップリンの映画作品の舞台化に取り組んでいると話されていました。
その映画作品は「ライムライト」で、晩年のチャップリンが描いた珠玉の名作です。

完全主義者であるチャップリンの映画作品をどの様に舞台化するのだろう、できるのだろうか?という思いから、何年かぶりにDVDで「ライムライト」を観ました。

映画が始まります・・・
タイトル表示の後本編が始まる直前に、ほんの短くテキストで物語のあらましが綴られます。

"The glamour of limelight,
from which age must pass as youth enters."
華やかなライムライトの陰
老いは消え 若さに変わる

"A story of a ballerina and a clown..."
バレリーナと道化の物語

"London; a late afternoon in the summer of 1914..."
ロンドン 1914年
午後 遅く

年配の気の良さそうな紳士が、古ぼけたアパートメントに帰ってきました。
帰りにどこかでひっかけてきたのでしょうか、ずいぶん酔っ払っている様子です。
酔っ払い紳士が、部屋のある二階に上がろうと階段を登りかけたときです。
どこからかガスの匂いがします。ガスは、彼が今たたずむ目の前の部屋から匂っていました。その部屋のドアには目張りがしてあり、覗き穴にも詰め物がされ中を見る事ができません。彼は詰め物を指で押し出し、覗き穴から中を覗きますと、部屋の奥で昏睡するうら若き乙女の姿が見えました。
彼は、ドアを打ち破って部屋に入り、窓を全開にし、ガスの元栓を閉め、乙女を抱きかかえて、彼の部屋に連れて行きました。自殺を図ろうとした乙女をそのままに放っておけなかったのです。
それが、かつて一世を風靡した老コメディアン、カルヴェロと今はまだ無名のバレエダンサー、テリーとの出会いでした。

テリーには、心に深い悔恨の思いがありました。
テリーには一人の姉がいました。姉妹は、酷い父親の元に生まれましたが、その父も早くに他界し、幼いテリーは姉に育てて貰います。テリーは8歳の時にバレエ学校に入学しました。そして将来を嘱望されるバレエダンサーとしての道を歩んでいた15歳の時、同級生と学校から帰宅する街角で姉の姿を見かけます。姉は何人かの着飾った女達と一緒に男の客を取っていました。姉は体を売ってお金を稼ぎ、テリーを育て学校に行かせてくれていたのです。姉の犠牲によって今のテリーがあること、その時はとても恥ずかしく惨めでさえありました。その後すぐ姉は、テリーを寄宿学校に入れ、そしてお金持ちに付き添って南米に旅発ちました。それが姉との一生の別れとなりました。
テリーはその後、有名バレエ団に入団しますが、テリーのすぐ後に、街角に立つ姉を一緒に目撃した同級生が入団し、しばらくしてテリーの脚は動かなくなり舞台に立つ事が出来なくなりました。
そしてテリーは、生きる事の意味を失い、死ぬ事を決心します。

カルヴェロは、バレエダンサーとして脚が動かなくなって悲観し死ぬ事ばかり考えいるテリーを、励まし、叱り、あるときはユーモアを交えながら献身的に看護しました。
医者から、脚が動かない原因は心にあると聞いてからは、まるで精神科医の様にテリーの心に寄り添い語りかけ、彼女の心の中にある深い悔恨の思いを引き出します。

そして、
「人生を恐れてはいけない
人生に必要な物は勇気と想像力と少しのお金だ」と語り

なぜ、
恐れてはいけないの、
何のために生きなければいけないの、
何のために戦わなければいけないの、
とすがるテリーに

「見たまえ 君も認めてる
何のために?
人生そのもののためにだ
生き 苦しみ 楽しむんだ
生きていく事は美しく
すばらしい
君には その上に芸術がある
バレエがある

腕がなくても
足の指でヴァイオリンを弾く芸人がいる
君は戦おうとしない
たえず病気と死を考えている
死と同じく 生も避けられない
生命だ 命だ
宇宙にある力が
地球を動かし 木を育てる
君の中にある力と同じだ
その力を使う勇気と意志を持つんだ」
と語ります。

テリーは、カルヴェロの献身的な看護のお陰で、少しずつ生きる希望を取り戻し、また立ち上がる訓練を始めます。
カルヴェロを頼り、やがて淡い恋心を口にするテリーに、カルヴェロは「君の恋の話を聞かせて」と尋ねます。

テリーには、淡い恋の物語をありました。
それは、テリーがバレエ団を辞めた後、短い間働いた文房具店での出来事でした。
ある日、楽譜用紙を買いにひとりの青年が店に来ました。くたびれた衣服を纏い、顔は青く体はとても痩せています。あまり食事を摂っていない様子でした。それからテリーは、青年が楽譜用紙を買いに来る度、用紙を多めに渡すようになりました。
テリーは近所のおばさんから、その青年が近くのアパートメントの屋根裏部屋に住む若いアメリカ人の作曲家である事を聞きました。そしてテリーは、店が終わり部屋に帰る途中、青年が住むアパートメントの近くに毎日立ち寄り、青年の演奏するピアノの調べに耳を傾けました。
しばらく経ってから、また青年が店に来ました。体は一層痩せこけていました。ほとんど食事を摂っていない様子です。彼はズボンのポケットから最後の小銭を取り出して、これで買えるだけの楽譜用紙を下さいと言いました。テリーは意を決して、いつもよりも多めに楽譜用紙を渡し、また店を出ようとする青年を呼び止めて、金貨のおつりがありますと、お金を授けました。でも、運悪く店に入ってきた店主がその問答を見ていて、直ぐにレジを調べ上げ、テリーは不正を咎められ、店を辞めさせられました。
それから一ヶ月ほどして、青年が作曲のコンテストに優勝した事を風の便りで知りました。

たったこれだけの物語でしたが、カルヴェロは
「その青年こそ、君の運命の人だ」と語ります。

カルヴェロは、一昔前までは名を馳せたコメディアンでした。音楽ホールの雑多な客から喝采を受ける人気のコメディアンでした。でも歳を重ねるにつれ、真面目な性格のカルヴェロは、笑いを取り続ける事に恐怖を抱く様になりした。そしてある日、舞台に立つ直前に一杯のウィスキーをあおりました。それからはウィスキーをあおらねば舞台に立つ事ができなくなりました。でもそれが、カルヴェロの名を汚し、カルヴェロは酔っ払いコメディアンと蔑まされる様になりました。カルヴェロは、人気が落ちるほどに酒量が増えていきました。
そんな時です、カルヴェロはテリーに出会いました。カルヴェロは、テリーを献身的に介護しながら、テリーを心底勇気付けながら、実は落ちぶれたカルヴェロと向き合っていたのです。そして、もう一度酒を断ち舞台に復帰する事を決心します。
でも、その舞台は散々な結果に終わります。カルヴェロは、音楽ホールに集う客から一つも笑いを取れず、演技を最後まで行えぬまま舞台の袖に引っ込んでしまいます。
そして酒をあおり、酔っ払ってテリーの待つ部屋に帰ります。
「僕はもう終わりだ・・・」と嘆き悲しむカルヴェロを前にして、テリーはまるで初めて二人が出会った日のカルヴェロの様に、立ち上がりカルヴェロを励まします。
テリーは立ち上がり・・・
テリーは、これまで心を支配していた不安が消えて、カルヴェロを励ます勇気で満たされました。
テリーは、すべてカルヴェロの献身のおかげて、立ち上がる事ができたのです。
そして二人は、一緒に生きていく事を決心します。

テリーは、再びバレエダンサーとしての活動を始めます。
大きな新作の舞台のオーディションがあり、テリーは端役で応募しますが、舞台監督の目に留まり、舞台監督と劇場のオーナー、そして新作の作曲家の前で、音楽に合わせてバレエを披露する事になりました。
そしてテリーは、舞台の袖でカルヴェロに見守られながら、見事なバレエを披露して絶賛を博し、なんとプリマの役を射止めます。テリーは皆から祝福を受けた時、作曲家がかつてテリーが恋心を抱いたアメリカ人の青年である事に気付きます。
祝福と契約の一連の作業を終えて、テリーが灯りがすっかり落ちた舞台に戻ると、カルヴェロが一人で暗がりの中で待っていました。カルヴェロは泣いていました。
そしてカルヴェロは「テリー、君は本物の芸術家だ」と告げました。

新作の舞台には、あまり重要でない道化師の役がありました。テリーは、カルヴェロに道化師のオーデションを受ける事を勧め、カルヴェロはどうにか道化師の役にありつきます。
そして、新作の舞台の初日が明けました。
プリマの衣装に身を包んで、今まさに舞台に飛びだそうとする段になって、急に脚が動かないと言い出すテリーを、カルヴェロはためらうことなくぶったたき、彼女の舞台への恐怖を振り払います。そして舞台に放たれたテリーは、至高のバレエを披露しました。
新作の舞台は、大成功となりました。そして、テリーは新進のすぐれたダンサーとしての名声を得ました。

しかし、そんな初日の舞台の中で、ただ一人酷評された役がありました。カルヴェロが演じた道化師です。オーナーは、早速別の役者を手配しようとしますが、その場に居合わせたテリーから、その酷評された道化師役が、オーナーとは旧知の間柄でかつての大スター、カルヴェロであることを聞き、カルヴェロをそのまま使い続ける事をテリーに約束します。
しかし手違いがあって、断りを入れたはずの役者がマネージャーに呼び出され、丁度居合わせたカルヴェロと顔見知りであった事から、挨拶がてら、「新作の舞台の道化師役が駄目で僕が呼び出された」とカルヴェロに話します。
カルヴェロは再びウィスキーを浴びるほど飲み、アパートメントの入り口で酔いつぶれて寝てしまいました。そこに、作曲家に送られてテリーが帰ってきました。
作曲家はネヴィルといい、テリーと同じく、初めて出会ったその日からテリーに恋心を抱いていました。それが突然に目の前にプリマとなって現れた。ネヴィルの恋心は一気に燃え上がりました。でも、テリーは年老いたカルヴェロを愛していて結婚するつもりだと話します。ネヴィルは、それは同情であると話し、それは間違っていると諭します。
アパートメントの入り口で、カルヴェロは若き二人の会話をじっと聞き入っていました。
そしてカルヴェロは、テリーの前から姿を消しました。

テリーは、悲しみを振り払うようにバレエに情熱を注ぎます。テリーのバレエは、公演した先々で観衆を魅了し、今や押しも押されぬ大スターとなりました。
ネヴィルは、テリーと良き友人となっていましたが、兵役に就いてしばらく芸能界から離れていました。

ある日、ネヴィルがロンドンのある街角のカフェでお茶を飲んでいますと、流しの演奏家がチップを頼みにテーブルに来ました。顔を上げると、その演奏家はカルヴェロでした。カルヴェロは今、貧しくも自由な路上の演奏家として細々と生活をしていると話しました。そして、でもテリーには言わないで欲しいと告げ、ネヴィルの前を去りました。
ネヴィルからカルヴェロの所在を聞いたテリーは、ロンドン中を探し回り、遂にカルヴェロと巡り逢います。
テリーは、カルヴェロにもう一度舞台に復帰してと頼みます。そして二人で、ダンサーとコメディアンで世界の舞台を回りましょうと提案します。テリーの情熱にほだされたカルヴェロは、最後にもう一度カルヴェロの名前を舞台に刻みたいという夢を抱き、舞台への復帰を承諾します。

そして、カルヴェロの復活公演は華々しく明けました。カルヴェロは、この日のために新作のコメディを準備しました。それは古いコメディアン仲間と二人で行う全く新しいドタバタコメディでした。
音楽ホールは、立ち見が出るほどに満員の客が詰め掛けました。
でも、かれらの多くがオーナーがしこんださくらでありました。
カルヴェロは、楽屋で準備する合間に、テリーの目を盗んではウィスキーをあおりました。
そして、舞台にむかいます。
カルヴェロは最初の演目で、使い古され最近ではまったく笑いが取れなくなっていたコメディを披露しました。でも満場の観客は、まるでとってつけたように大爆笑し、それがカルヴェロを酷く不安にさせました。そしてカルヴェロの演出は、どんどんと過激になっていきました。
そして最後の演目、もう一人のコメディアンと二人で行う、ピアニストとバイオリニストのドタバタコメディが始まりました。それは、これまで誰も見た事のないナンセンスとユーモアの詰まったドタバタコメディで、満場の観客を心から大爆笑させました。
カルヴェロの演出はこれ以上ないほどに過激になりました。バイオリニストとして演奏しながら舞台狭しと駆け回り、遂には舞台から墜落したのです。観客はスタンディングオベーションでカルヴェロの復活を称えました。
しかし、舞台からの墜落は事故でした。カルヴェロは、数名の裏方に抱え上げられ、一度観客に感謝を述べてから舞台の袖に引っ込みました。
舞台の袖には医者が待機していて、カルヴェロを診察し、彼が重体であることを告げました。カルヴェロの後、トリを飾るのはテリーのバレエでした。テリーはカルヴェロが重体であることを知りません。テリーは、ネヴィルが作曲したテリーのテーマで、情熱的にバレエを踊ります。
カルヴェロは、救急車が到着する迄の間、テリーのバレエを見守りたいとベットを舞台の側に移動してくれるよう頼みます。
カルヴェロが横たわるベットはすぐに舞台袖に移されて、そして側で付きそうオーナーとネヴィルがカルヴェロに声を掛けると・・・
カルヴェロはすでに息絶えていました。
カルヴェロが永遠の眠りに就く前で、何も知らずテリーは踊り続けます。

end



映画を見終わった日、家族を車で駅に送る際にも、映画のあらすじを話していました。そして運転しながら、つい顔を歪めて泣いてしまいました。
カルヴェロの心中を思うだけで、止めどなく悲しみが込み上げてくるんです。

この映画、チャップリンの「ライムライト」は、チャップリン映画の中で最初で最後となる悲劇の物語であること、この度の映画鑑賞ではじめて感じました。
チャップリンは、これまでのスポットライトを浴びる大スターチャップリンを演じるのはなく、控えめで、人生に挫折を覚え、悲しみの中で死にゆく人を演じました。

最初の言葉
「華やかなライムライトの陰
老いは消え 若さに変わる
バレリーナと道化の物語」
というメッセージが、ぐっと心に染み込んできました。

チャップリンのシナリオは、まるでシェイクスピアの作とみまがうほどに、哲学的で心理描写に優れていました。
これならば、きっと舞台化した作品もすばらしいものになるのではという期待を強く思った次第です。

p.s.
石丸幹二さんのインタビューを見た後、すぐにネットで検索しました。
7月5日(日)から「ライムライト」の舞台が始まる事を知りました。
大阪では7月中旬過ぎにシアタードラマシティで実演さえること、そして7月18日(土)の夜の部で、まだ少し空きある事を知りました。検索すると、二つの席が仮押さえできました。どうしたものかと、一度解放し、再度検索し直すと、その席は既に予約が入り、完売のフラグが立ちました。

2015年6月30日火曜日

エール!

夏の甲子園大会に通ずる、第97回選手権兵庫大会の組み合わせが決まりました。

松陽高校は第11組に入り、一回戦柏原高校と対戦です。
試合日時:7月12日(日) 11:30
試合球場:尼崎市記念公園野球場

大会出場メンバーは既に発表されています。
出場メンバーには、初戦を気力十分で挑めるように、そして一抹の不安も残さぬように、試合までの残りの日々で、心と体を仕上げて下さい。

やってきた事は、できる
やっていない事は、できない
割り切る事は割り切って
5の力があるのなら、限りなく5の力が出し切れるよう
7の力があるのなら、限りなく7の力が出し切れるよう
9の力があるのなら、限りなく9の力が出し切れるよう
その準備をして下さい。

そして、最高の状態で
7月11日(土)の開会式に挑み
そして初戦に挑んで下さい。
そして、どこまでも勝って下さい。
チームの健闘を祈っています。

2015年6月29日月曜日

龍野公園ぶらぶら


日曜日、妻の用事に付き合って龍野に出かけました。そして、一人で龍野公園界隈をぶらぶら散歩しました。
ずいぶん昔に仕事で何度か訪れましたが、物見遊山で歩くのは初めてです。
播磨の小京都と言われる町には、江戸情緒から昭和のレトロ感覚が大切に守り継がれていて、どこか懐かしさと安心感を覚える素敵な町でした。

由緒ある龍野小学校の北側には、門に「水練場」と掲げられた武家屋敷風の建物がありました。その北側には龍野城が見えます。龍野城の場内に続く坂道を登りながら後ろを振り向くと、水練場の中が見えました。青い水を満々と湛えたプールが二面見えました。龍野小学校の子供たちは、江戸情緒を満喫できる建物に囲まれた中で水泳ができるのですね。大変羨ましく思います。
そして龍野城の庭園に入りますと、山歩き衣装に身を包んだ年配のご婦人二人が、山道の方に歩まれるところを見かけました。そちらに近づくとご婦人たちから声を掛けられ、「登られます?男性だったら直ぐに山頂へいけますよ、お先にどうぞ・・・」と勧められ、ついその気になって、ご婦人より先に山に登ることにしました。でも、ずんずんと登りご婦人達が後ろに見えなくなった辺りで息が絶え絶えとなり、こりゃ駄目だとそれ以上の登山を諦めました。でも引き返してご婦人達と出くわすのも恥ずかしく思えて、別の山道を見つけて下山することにしました。でも登ってきた道以外に道は無く、やむなく腐葉土が体積したぬかるみの山肌を滑りながら降りることになりました。庭園に降り立つと、靴底がつるつるのスニーカーと衣服は泥水で汚れ、腕には擦り傷、持っていたカメラも泥が付着しているという有様でした。

あまりの疲れで、龍野城近くの和カフェで休むことにしました。
その店”そうめん処露亭”は、地元特産のそうめんや甘酒、梅といった和のテイストのドリンクやスイーツが楽しめる店で、昼前近くでもあり昼食を目当てに客が一人二人と入って来ましたが、私は梅のかき氷を頂きました。
かき氷は、カクテルグラスの様な器に、ぽっこり小山に盛られて出てきました。
スプーンでひとかきしますと、まるで上質のアイスクリームの様な質感でした。思わず口にほおばると上質の滑らかさと共に梅の爽やかさが口中に広がりました。「し・あ・わ・せ・・・」などと幸福感に浸っていますと、ガン!と痛みが頭を襲います。もうその後は、食べきるまで幸福感と頭痛を交互に味わいました。そしてすっかり汗、引きました。

そしてまた、歩き始めます。川に沿って歩くと紅葉谷への入り口がありました。入り口付近でさえ、紅葉の時期にはどれほどに美しい風景になるか想像ができるほどでありました。
そして龍野公園に続く小道を進みます。

一番上の小道を南に歩き続けると、小京都の町並みが一望できました。山肌には幾重にも小道が連なり、何処を取っても絵になる風景ばかりです。下界の喧噪とは無縁の静けさの中で、時折水のせせらぎと鳥のさえずりが聞こえます。

ほんの二時間余りでしたが、至福の時間を過ごすことができました。
播磨の小京都、龍野を満喫するには、きっと丸一日は掛かります。今度は、紅葉の頃に、じっくり時間を掛けて、龍野を堪能したいと思います。

2015年6月28日日曜日

朝霧堂のわらび餅

最近すっかり甘いもん好きとなった兄のところに、美味しい和菓子でも買って持って行こうと神戸に向かう途中、立ち寄った明石で一軒の和菓子屋に心惹かれました。

それは、屋号に播磨灘に面する山陽の地名の中でも特に美しい響きのある”朝霧”の文字が入った”朝霧堂”という名の和菓子屋でした。
おもむきのある狭い間口の店先には、平たいケースに出来たてほかほかの団子やくず餅、わらび餅が並んでいます。
くず餅とわらび餅は、どちらも容器の中にどろんとした半透明のものが入っていて見た目区別が付きません。でもわらび餅の方がどちらかといえば甘さ控えめと思い、忙しくされていた店の奥さんを呼び止めて、わらび餅を三つ注文しました。店先には一つしかありませんでしたが、奥さんは裏にありますと、店の裏に取りに行かれました。
店先でしばらく一人で待っていますと、職人のご主人と一緒に出てこられ、「今作ってますんで、30分ほど掛かります」と言われ、ぶらぶらしながら30分待つことにしました。
そして待つこと30分、作りたてでほかほかのわらび餅を三つ容器に詰めて貰いました。後、合流した妻の希望で三色団子も一つ買いました。

それから国道を通って小一時間ほどで兄宅に着きまして、さっそく作りたてぬくぬくのわらび餅を食べようと話をしますと、「アホか、わらび餅ちゅうもんは冷たくして食べるもんやろう」と言われ、あっ、そうかと思い返すととともに、でも兄の一言に無性に腹が立ち、結局わらび餅は一口も食べずに、その後、兄宅を後にしました。
家には、わらび餅一つと団子を一つ、土産に持って帰りました。
そして、家に帰って、まだほんのりぬくぬくのどろどろわらび餅を食べました。
ほんのり甘く、とても美味しゅうございましたが、
でも食べながら、わらび餅はやっぱり、少し冷やして、適当な大きさに切り分けて、きな粉を上品にまぶして、爪楊枝で一つひとつ口に運んで、食べるのが夏の風情のある食べ方やなぁと思った次第です。
きっと賢い兄ならば、今頃そうして食べているだろうなと思います。