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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年7月2日木曜日

ライムライト、愛と悲しみの物語・・・観ました

昨日の夕方、NHKの情報番組の中で俳優石丸幹二さんのインタビューがありました。
石丸さんは今、世界で初めてとなるチャップリンの映画作品の舞台化に取り組んでいると話されていました。
その映画作品は「ライムライト」で、晩年のチャップリンが描いた珠玉の名作です。

完全主義者であるチャップリンの映画作品をどの様に舞台化するのだろう、できるのだろうか?という思いから、何年かぶりにDVDで「ライムライト」を観ました。

映画が始まります・・・
タイトル表示の後本編が始まる直前に、ほんの短くテキストで物語のあらましが綴られます。

"The glamour of limelight,
from which age must pass as youth enters."
華やかなライムライトの陰
老いは消え 若さに変わる

"A story of a ballerina and a clown..."
バレリーナと道化の物語

"London; a late afternoon in the summer of 1914..."
ロンドン 1914年
午後 遅く

年配の気の良さそうな紳士が、古ぼけたアパートメントに帰ってきました。
帰りにどこかでひっかけてきたのでしょうか、ずいぶん酔っ払っている様子です。
酔っ払い紳士が、部屋のある二階に上がろうと階段を登りかけたときです。
どこからかガスの匂いがします。ガスは、彼が今たたずむ目の前の部屋から匂っていました。その部屋のドアには目張りがしてあり、覗き穴にも詰め物がされ中を見る事ができません。彼は詰め物を指で押し出し、覗き穴から中を覗きますと、部屋の奥で昏睡するうら若き乙女の姿が見えました。
彼は、ドアを打ち破って部屋に入り、窓を全開にし、ガスの元栓を閉め、乙女を抱きかかえて、彼の部屋に連れて行きました。自殺を図ろうとした乙女をそのままに放っておけなかったのです。
それが、かつて一世を風靡した老コメディアン、カルヴェロと今はまだ無名のバレエダンサー、テリーとの出会いでした。

テリーには、心に深い悔恨の思いがありました。
テリーには一人の姉がいました。姉妹は、酷い父親の元に生まれましたが、その父も早くに他界し、幼いテリーは姉に育てて貰います。テリーは8歳の時にバレエ学校に入学しました。そして将来を嘱望されるバレエダンサーとしての道を歩んでいた15歳の時、同級生と学校から帰宅する街角で姉の姿を見かけます。姉は何人かの着飾った女達と一緒に男の客を取っていました。姉は体を売ってお金を稼ぎ、テリーを育て学校に行かせてくれていたのです。姉の犠牲によって今のテリーがあること、その時はとても恥ずかしく惨めでさえありました。その後すぐ姉は、テリーを寄宿学校に入れ、そしてお金持ちに付き添って南米に旅発ちました。それが姉との一生の別れとなりました。
テリーはその後、有名バレエ団に入団しますが、テリーのすぐ後に、街角に立つ姉を一緒に目撃した同級生が入団し、しばらくしてテリーの脚は動かなくなり舞台に立つ事が出来なくなりました。
そしてテリーは、生きる事の意味を失い、死ぬ事を決心します。

カルヴェロは、バレエダンサーとして脚が動かなくなって悲観し死ぬ事ばかり考えいるテリーを、励まし、叱り、あるときはユーモアを交えながら献身的に看護しました。
医者から、脚が動かない原因は心にあると聞いてからは、まるで精神科医の様にテリーの心に寄り添い語りかけ、彼女の心の中にある深い悔恨の思いを引き出します。

そして、
「人生を恐れてはいけない
人生に必要な物は勇気と想像力と少しのお金だ」と語り

なぜ、
恐れてはいけないの、
何のために生きなければいけないの、
何のために戦わなければいけないの、
とすがるテリーに

「見たまえ 君も認めてる
何のために?
人生そのもののためにだ
生き 苦しみ 楽しむんだ
生きていく事は美しく
すばらしい
君には その上に芸術がある
バレエがある

腕がなくても
足の指でヴァイオリンを弾く芸人がいる
君は戦おうとしない
たえず病気と死を考えている
死と同じく 生も避けられない
生命だ 命だ
宇宙にある力が
地球を動かし 木を育てる
君の中にある力と同じだ
その力を使う勇気と意志を持つんだ」
と語ります。

テリーは、カルヴェロの献身的な看護のお陰で、少しずつ生きる希望を取り戻し、また立ち上がる訓練を始めます。
カルヴェロを頼り、やがて淡い恋心を口にするテリーに、カルヴェロは「君の恋の話を聞かせて」と尋ねます。

テリーには、淡い恋の物語をありました。
それは、テリーがバレエ団を辞めた後、短い間働いた文房具店での出来事でした。
ある日、楽譜用紙を買いにひとりの青年が店に来ました。くたびれた衣服を纏い、顔は青く体はとても痩せています。あまり食事を摂っていない様子でした。それからテリーは、青年が楽譜用紙を買いに来る度、用紙を多めに渡すようになりました。
テリーは近所のおばさんから、その青年が近くのアパートメントの屋根裏部屋に住む若いアメリカ人の作曲家である事を聞きました。そしてテリーは、店が終わり部屋に帰る途中、青年が住むアパートメントの近くに毎日立ち寄り、青年の演奏するピアノの調べに耳を傾けました。
しばらく経ってから、また青年が店に来ました。体は一層痩せこけていました。ほとんど食事を摂っていない様子です。彼はズボンのポケットから最後の小銭を取り出して、これで買えるだけの楽譜用紙を下さいと言いました。テリーは意を決して、いつもよりも多めに楽譜用紙を渡し、また店を出ようとする青年を呼び止めて、金貨のおつりがありますと、お金を授けました。でも、運悪く店に入ってきた店主がその問答を見ていて、直ぐにレジを調べ上げ、テリーは不正を咎められ、店を辞めさせられました。
それから一ヶ月ほどして、青年が作曲のコンテストに優勝した事を風の便りで知りました。

たったこれだけの物語でしたが、カルヴェロは
「その青年こそ、君の運命の人だ」と語ります。

カルヴェロは、一昔前までは名を馳せたコメディアンでした。音楽ホールの雑多な客から喝采を受ける人気のコメディアンでした。でも歳を重ねるにつれ、真面目な性格のカルヴェロは、笑いを取り続ける事に恐怖を抱く様になりした。そしてある日、舞台に立つ直前に一杯のウィスキーをあおりました。それからはウィスキーをあおらねば舞台に立つ事ができなくなりました。でもそれが、カルヴェロの名を汚し、カルヴェロは酔っ払いコメディアンと蔑まされる様になりました。カルヴェロは、人気が落ちるほどに酒量が増えていきました。
そんな時です、カルヴェロはテリーに出会いました。カルヴェロは、テリーを献身的に介護しながら、テリーを心底勇気付けながら、実は落ちぶれたカルヴェロと向き合っていたのです。そして、もう一度酒を断ち舞台に復帰する事を決心します。
でも、その舞台は散々な結果に終わります。カルヴェロは、音楽ホールに集う客から一つも笑いを取れず、演技を最後まで行えぬまま舞台の袖に引っ込んでしまいます。
そして酒をあおり、酔っ払ってテリーの待つ部屋に帰ります。
「僕はもう終わりだ・・・」と嘆き悲しむカルヴェロを前にして、テリーはまるで初めて二人が出会った日のカルヴェロの様に、立ち上がりカルヴェロを励まします。
テリーは立ち上がり・・・
テリーは、これまで心を支配していた不安が消えて、カルヴェロを励ます勇気で満たされました。
テリーは、すべてカルヴェロの献身のおかげて、立ち上がる事ができたのです。
そして二人は、一緒に生きていく事を決心します。

テリーは、再びバレエダンサーとしての活動を始めます。
大きな新作の舞台のオーディションがあり、テリーは端役で応募しますが、舞台監督の目に留まり、舞台監督と劇場のオーナー、そして新作の作曲家の前で、音楽に合わせてバレエを披露する事になりました。
そしてテリーは、舞台の袖でカルヴェロに見守られながら、見事なバレエを披露して絶賛を博し、なんとプリマの役を射止めます。テリーは皆から祝福を受けた時、作曲家がかつてテリーが恋心を抱いたアメリカ人の青年である事に気付きます。
祝福と契約の一連の作業を終えて、テリーが灯りがすっかり落ちた舞台に戻ると、カルヴェロが一人で暗がりの中で待っていました。カルヴェロは泣いていました。
そしてカルヴェロは「テリー、君は本物の芸術家だ」と告げました。

新作の舞台には、あまり重要でない道化師の役がありました。テリーは、カルヴェロに道化師のオーデションを受ける事を勧め、カルヴェロはどうにか道化師の役にありつきます。
そして、新作の舞台の初日が明けました。
プリマの衣装に身を包んで、今まさに舞台に飛びだそうとする段になって、急に脚が動かないと言い出すテリーを、カルヴェロはためらうことなくぶったたき、彼女の舞台への恐怖を振り払います。そして舞台に放たれたテリーは、至高のバレエを披露しました。
新作の舞台は、大成功となりました。そして、テリーは新進のすぐれたダンサーとしての名声を得ました。

しかし、そんな初日の舞台の中で、ただ一人酷評された役がありました。カルヴェロが演じた道化師です。オーナーは、早速別の役者を手配しようとしますが、その場に居合わせたテリーから、その酷評された道化師役が、オーナーとは旧知の間柄でかつての大スター、カルヴェロであることを聞き、カルヴェロをそのまま使い続ける事をテリーに約束します。
しかし手違いがあって、断りを入れたはずの役者がマネージャーに呼び出され、丁度居合わせたカルヴェロと顔見知りであった事から、挨拶がてら、「新作の舞台の道化師役が駄目で僕が呼び出された」とカルヴェロに話します。
カルヴェロは再びウィスキーを浴びるほど飲み、アパートメントの入り口で酔いつぶれて寝てしまいました。そこに、作曲家に送られてテリーが帰ってきました。
作曲家はネヴィルといい、テリーと同じく、初めて出会ったその日からテリーに恋心を抱いていました。それが突然に目の前にプリマとなって現れた。ネヴィルの恋心は一気に燃え上がりました。でも、テリーは年老いたカルヴェロを愛していて結婚するつもりだと話します。ネヴィルは、それは同情であると話し、それは間違っていると諭します。
アパートメントの入り口で、カルヴェロは若き二人の会話をじっと聞き入っていました。
そしてカルヴェロは、テリーの前から姿を消しました。

テリーは、悲しみを振り払うようにバレエに情熱を注ぎます。テリーのバレエは、公演した先々で観衆を魅了し、今や押しも押されぬ大スターとなりました。
ネヴィルは、テリーと良き友人となっていましたが、兵役に就いてしばらく芸能界から離れていました。

ある日、ネヴィルがロンドンのある街角のカフェでお茶を飲んでいますと、流しの演奏家がチップを頼みにテーブルに来ました。顔を上げると、その演奏家はカルヴェロでした。カルヴェロは今、貧しくも自由な路上の演奏家として細々と生活をしていると話しました。そして、でもテリーには言わないで欲しいと告げ、ネヴィルの前を去りました。
ネヴィルからカルヴェロの所在を聞いたテリーは、ロンドン中を探し回り、遂にカルヴェロと巡り逢います。
テリーは、カルヴェロにもう一度舞台に復帰してと頼みます。そして二人で、ダンサーとコメディアンで世界の舞台を回りましょうと提案します。テリーの情熱にほだされたカルヴェロは、最後にもう一度カルヴェロの名前を舞台に刻みたいという夢を抱き、舞台への復帰を承諾します。

そして、カルヴェロの復活公演は華々しく明けました。カルヴェロは、この日のために新作のコメディを準備しました。それは古いコメディアン仲間と二人で行う全く新しいドタバタコメディでした。
音楽ホールは、立ち見が出るほどに満員の客が詰め掛けました。
でも、かれらの多くがオーナーがしこんださくらでありました。
カルヴェロは、楽屋で準備する合間に、テリーの目を盗んではウィスキーをあおりました。
そして、舞台にむかいます。
カルヴェロは最初の演目で、使い古され最近ではまったく笑いが取れなくなっていたコメディを披露しました。でも満場の観客は、まるでとってつけたように大爆笑し、それがカルヴェロを酷く不安にさせました。そしてカルヴェロの演出は、どんどんと過激になっていきました。
そして最後の演目、もう一人のコメディアンと二人で行う、ピアニストとバイオリニストのドタバタコメディが始まりました。それは、これまで誰も見た事のないナンセンスとユーモアの詰まったドタバタコメディで、満場の観客を心から大爆笑させました。
カルヴェロの演出はこれ以上ないほどに過激になりました。バイオリニストとして演奏しながら舞台狭しと駆け回り、遂には舞台から墜落したのです。観客はスタンディングオベーションでカルヴェロの復活を称えました。
しかし、舞台からの墜落は事故でした。カルヴェロは、数名の裏方に抱え上げられ、一度観客に感謝を述べてから舞台の袖に引っ込みました。
舞台の袖には医者が待機していて、カルヴェロを診察し、彼が重体であることを告げました。カルヴェロの後、トリを飾るのはテリーのバレエでした。テリーはカルヴェロが重体であることを知りません。テリーは、ネヴィルが作曲したテリーのテーマで、情熱的にバレエを踊ります。
カルヴェロは、救急車が到着する迄の間、テリーのバレエを見守りたいとベットを舞台の側に移動してくれるよう頼みます。
カルヴェロが横たわるベットはすぐに舞台袖に移されて、そして側で付きそうオーナーとネヴィルがカルヴェロに声を掛けると・・・
カルヴェロはすでに息絶えていました。
カルヴェロが永遠の眠りに就く前で、何も知らずテリーは踊り続けます。

end



映画を見終わった日、家族を車で駅に送る際にも、映画のあらすじを話していました。そして運転しながら、つい顔を歪めて泣いてしまいました。
カルヴェロの心中を思うだけで、止めどなく悲しみが込み上げてくるんです。

この映画、チャップリンの「ライムライト」は、チャップリン映画の中で最初で最後となる悲劇の物語であること、この度の映画鑑賞ではじめて感じました。
チャップリンは、これまでのスポットライトを浴びる大スターチャップリンを演じるのはなく、控えめで、人生に挫折を覚え、悲しみの中で死にゆく人を演じました。

最初の言葉
「華やかなライムライトの陰
老いは消え 若さに変わる
バレリーナと道化の物語」
というメッセージが、ぐっと心に染み込んできました。

チャップリンのシナリオは、まるでシェイクスピアの作とみまがうほどに、哲学的で心理描写に優れていました。
これならば、きっと舞台化した作品もすばらしいものになるのではという期待を強く思った次第です。

p.s.
石丸幹二さんのインタビューを見た後、すぐにネットで検索しました。
7月5日(日)から「ライムライト」の舞台が始まる事を知りました。
大阪では7月中旬過ぎにシアタードラマシティで実演さえること、そして7月18日(土)の夜の部で、まだ少し空きある事を知りました。検索すると、二つの席が仮押さえできました。どうしたものかと、一度解放し、再度検索し直すと、その席は既に予約が入り、完売のフラグが立ちました。

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