大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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差別の天秤
「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...
2013年5月4日土曜日
H.D.ソロー著『森の生活』 -孤独を解く-
H.D.ソロー著『森の生活』を読んでいます。この本の【孤独】の章に次の文がありました。
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「自然」のまっただ中で暮らし、自分の五感をしっかりと失わないでいる人間は、ひどく暗い憂鬱症に取り憑かれることなどあり得ない。かつては、健康で汚れのない耳には、どんな嵐も風神アイオロスの音楽のように聞こえたものだった。単純な、勇気のある人間は、何があろうとむやみに低俗な悲哀に打ちのめされたりはしない。四季を友にしているかぎり、私は何があろうと人生を重荷に感じる事はないだろう。
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19世紀のアメリカ東部に生きた思想家H.D.ソローは、地元コンコード市のウォールデン池畔に丸太小屋を建て、二年間自給自足の生活を送ります。その地は数キロ四方に民家がないというだけで、対岸には鉄道の路線が見え、時には近くの村から友人が訪ねてくるという、まったくの文明や人を拒絶した生活ではなかった様子です。
それでも彼は、自然の中で糧を得、思想を深めていきます。森の生活を始めたころ「孤独」に不愉快さを覚えますが、ある時「自然が」-雨だれや、家の回りのすべての音や光景が-とても優しい、情け深い交際仲間であることに気づきに、たちまち筆舌に尽くしがたい無限の懐かしさがこみあげてきた、そして二度と「孤独」に煩わされることはなかったと語っています。その心境が、先の文章に込められているのだと思います。
私は思想家でも旅人でもないですが、ただ長歩き、散歩を楽しむものとして、とても共感を覚えます。私はひとりで歩きます。目的地を決めて歩き始めますが、ルートはその時の気分次第、鳥のさえずりや深緑を浴びるのか、または波音と陽光をいっぱいに浴びるのか、という欲求によってもルートは変わります。ルートは平坦な道ばかりではなく、車が右往左往する幹線道もあれば、岩場、獣道であることもあります。ですから全身がひとつの感覚器官のようになって歩くのです。一歩、歩を進めれば、新しいことに出会う、全身を包む大気が、音が光りが常に心地よい刺激を与え続けてくれるのです。ですから憂鬱に取り憑かれる暇などないのです。
私たちは《人間らしく生きるために》、多くのものを身に纏い、身に背負い、身を繋ぎます。しかし、時にそれが為に、心が重くなり、憂鬱を招いて苦しみます。ソローの様に、すべてを一度に捨て去ることなど出来ないにしても、身軽な装備で、数時間、大気の中を彷徨うことで、心は軽くなります。「自然は私を拘束しない、ただ無償で与え続けてくれる」、ということが実感できるからです。そうして私たちは、心の荷を解き、心を軽くして、また人間世界に戻ればいいのだと思います。
2013年5月3日金曜日
富士に初登頂した人物
おはようございます。
富士山が世界文化遺産に登録される見通しになったというニュースを、喜んでいるひとりであります。この富士山に関するコラムの中で、懐かしい人物の名を読みました。
役ノ小角(えんのこずぬ)
この人物の名は、司馬遼太郎『竜馬がゆく』の文中、竜馬が《人の不死性》についてお竜に語り聴かせる場面に登場し、知りました。
この役ノ小角が、「世界登頂年代記」なるもので富士に初登頂した人と記されているそうです。7世紀のことです。
『3776メートルの富士より高い山はそれこそ山とあるが、これほど高い山に登ったのはこれが世界最初』、しかもこの記録は900年ほども保持されたらしい
と書かれていました。
役ノ小角は、飛鳥時代から奈良時代に実在した人物で、様々な霊場、修行の地を開いた行者、呪術者です。
『竜馬がゆく』で、この人の名を知ったとき、仙人か?と印象深く記憶しましたが、まさに天上をすみかにする仙人であったと確信をした次第です。
あっぱれ富士のお山!
あっぱれ役ノ小角!
2013年4月29日月曜日
風薫る
季節が変わった、そう実感します。
夜、空を見上げると、朧を脱ぎ捨てた月がくっきりと輝き、夜景に光りを注いでいました。
暁、空は濃紺に染まって、東の空に朱に燃えた太陽が昇ってきます。
そして陽光に照らされた地上では、草木が萌え立ち、深い緑が山々を彩ります。
海は穏やかに碧さを讃えています。
風薫る五月の季節の到来です。
昭和の日
今日は”昭和の日”です。
この日にあらためて思います。
私たちの国は、”和の国”です。
平和を願い、調和を良しとし、融和を図れる、
和みを愛する日本人の国だということを思います。
日本列島は全長3000㎞で、大小7000あまりの島々が北東から南西に弓側に連なり、北は寒帯、南は亜熱帯に達します。この種々様々な変化に富んだ自然環境が、各地で気質の異なる人々を育んできました。
災難もありました。
争いもありました。
それでも、神世の昔から続く皇室を頂いて、この安寧な皇室が要石となって、日本人は”和”を継承し続けてきました。
”和”は、波紋の如く、ゆっくりと、でも幾十にも連なって力強く、遠くまで広がります。たとえ障害物があったとしても、それをゆっくりと包み込み、石庭に描かれた文様の如く美しい航跡を残します。
”和”には、忍耐が必要です。ですが、そのもとには五常がなければなりません。
”仁”、”義”、”礼”、”智”、”信”の五常です。
この五常を信条として、私たちは”和”を広げ努めなければならない、そう思います。
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