播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年3月12日土曜日

寒い朝です・・・

6時過ぎ、学校でソフトボールの練習試合があるというので、娘を姫路まで車で送りました。車外の気温はなんと零度、田も畑も、屋根も霜で真っ白です。3月も半ばというのにこの寒さは如何したことか?昨日も早朝表に出ると、車のフロントガラスや屋根、庭の影の部分などが薄ら雪化粧していました。

平成7年1月17日(火)、阪神大震災に被災した直後は、暖かい布団の中でした。また、家は酷く揺らされましたが、壊れる(実は、後、検査をしてもらったら、柱の組合せが緩んだり外れている箇所が見つかり、補強金具で修繕してもらっています)までには至らず、現在も住み続けています。

昨夜は、特に東京近郊では公共交通機関がすべてストップしてしまったために、多くの帰宅難民が生まれ、自治体が避難所を開放して収容するも、毛布が足らないとか、暖房が足らないとか、停電でしかも氷点下の中で、地震の恐怖もあいまって、長い夜を過ごされたことと思います。

テレビは各局とも、地震発生直後から、CMなしでずっと災害状況、安否状況を放送し続けています。昨日、危惧していた、災害の大きさ、被害の甚大さが次々と明るみになってきいます。
津波で多くの町、集落が壊滅し、美しい三陸海岸から房総半島にかけては、酷く傷つけられました。明け方には、長野や新潟でも震度6の地震が発生。被害のエリアは尚も広がっています。

事態を注視したいと思います。

2011年3月11日金曜日

『東北・太平洋沿岸地震』に、言葉を失いました。

クライストチャーチ大震災、日本を含め、多くの海外援助チームも早い段階から参加して、救出活動に取り組みました。
しかし、特に地震の非情さを物語る、英会話学校が入っていたという6階建てビルの跡形もなく崩壊している様、また町のランドマーク、大聖堂の無残な姿に、救助の困難さ、そして刻々と時間が過ぎて、ついに救助活動を断念しなければならなかった無念さ、被災された方、家族を失われた方、救助活動に尽力された方々の悲痛は如何ばかりかと察していたところ、
今日の午後、もしかしたら近代史において最悪となるかもしれない大震災が、この日本で発生しました。

私は丁度、息子の大学入学手続のため、閉店間際の銀行や郵便局を駆け回っていて、そのニュースを知りませんでした。というより、いつもカーラジオで聴いているKiss-FMで、『三陸沖で大地震発生』というニュースは聴いたものの、最近の群発地震ニュースの一つぐらいとしか取り合わず、聞き流していました。
自宅に戻ると、姉から電話があり、すぐテレビをつけてみてと言われて、テレビを見、事態の深刻さを理解しました。
午後2時46分頃に発生した地震は、最大震度7、マグニチュード8.8(一説には8.9) 、日本列島に沿って約400㎞にわたってのプレート崩壊による、北海道から関東沿岸まで震度6以上を記録する大震災となりました。日中ということもあって、津波の猛威が何度もテレビで繰り返されました。羽田も成田も閉鎖されていました。JRも私鉄も新幹線も、そして高速道路もすべて止まっていました。そして千葉では、ガスコンビナートが黒煙と火炎で夜空を焦がしていました。

阪神大震災は、平成7年1月17日(火)、3連休明けの早朝5時46分に発生しました。
生まれてまだ2ヶ月の長女さくらがミルクをせがみ、妻が寝室の隣の部屋に連れて行ってミルクの準備をしている最中の出来事でした。ドン!という強い押し上げの後、振幅の長い横揺れが数秒間続きました。妻がとっさに、さくらを抱きかかえて、寝室に駆け戻り、私は長男遼太郎を脇の下に寝かせて、揺れるタンスを必死に支えました。突然、ステレオのスピーカーが空中を舞って、先ほどまでさくらが寝ていた場所に落ちました。
時間が長く感じられました。揺れが収まると、タンスは数㎝動いていました。暫くしてラジオをつけると『阪神高速が横倒しになっている』という信じられないニュースが耳に入ってきました。それからの一ヶ月は、悪夢でした。
震災直下で亡くなられた方、震災後様々な身体的、心的苦痛に苛まれて亡くなられた方、約6千5千名。被災者約10万名。これほど酷い災害はもう生きている内は経験することはない、そう思っていましたが、予想は呆気なく裏切られました。

今回の地震は『東北・太平洋沿岸地震』と命名されたようですが、夜を徹して救助活動は続けられ、明日にはさらに甚大な被害状況が白日の下にさらされるでしょう。
何より危惧する事態は、福島の原子力発電所群のダメージです。政府もいち早く、この問題に対しての特別対策チームを発足させました。

しかし、施設のダメージも分からず、また炉心を冷却できなければメルトダウンを引き起こし、スリーマイル島やチェルノブイリ以上に深刻な放射能汚染を引き起こすことも考えられます。ロシアやアメリカが地震直後に直ぐに支援の手を差し伸べた主たる理由はこれだと考えます。東北の豊かな資源や、三陸の豊かな海洋資源、また太平洋の潮の流れを考えれば地球規模の放射能汚染へと拡大する可能性すらあります。

日本は、現在未曾有の不況化にあります。否、新たな転換期を迎えていると言っても過言はないでしょう。この未曾有の大災害を、友好の強弱ではなく、手を差し伸べてくれるすべての国家を迎入れて、協力し合い、日本国民の災害復興とともに、世界規模の災害となりえる事態を、知恵を出し合い、工夫し、助け合って、最小範囲に食い止める。これこそ、戦争では決して成すことができない、共栄のための試みだと考えます。

私たちは、地球という母なるガイアの薄っぺらい地殻の上で、すべての生命と共に共生しています。しかし、その事実は、災害に見舞われなければ、なかなか気づこうとはしません。
私たちの命は、計り知れないほどに重く、そして儚いことを決して忘れてはいけない、そう思います。

今は、地の怒りが静まること、放射能汚染という最悪のシナリオが破棄されること、最小の被害で収束することを、願います。

2011年3月7日月曜日

いよいよ、おはなし会担当日が近づいてきました。

三度目となる、おはなし会(絵本朗読)担当日(3月12日(土)14時~図書館絵本コーナー)が近づいてきました。
朗読を予定している絵本は、
スーザン・バーレイさん作・絵、小川仁央さん訳『わすれなれない おくりもの』
そして
トーベ・ヤンソン『ムーミンのふしぎ』です。
『ムーミンのふしぎ』は3月2日に、漸く朗読ビデオが完成し、YouTubeにアップしました。


因みに、『ムーミンのふしぎ』ですが、この世に存在する美しいもの、大切なものは、じっと見て、しっかり覚える事により、心象風景として頭の中に、心の中にしっかり刻み込まれ、それは失われることもなく、色あせることもない、永遠に記憶に留める事ができる。登場人物であるムーミン谷の賢者スナフキンが、一途な少年ムーミンの疑問に明瞭に答えます。それがこの物語の伝えたい事でもあります
この話は、現代に生きる私たちこそ、真摯に耳を傾けなければならない、真理だと思います。
ムーミンとその仲間たちが楽しく物語を演じてくれるので、小さな観衆もきっと物語を楽しんでくれるのでは、と期待しています。

朗読ビデオを作成するようになって、特に著作権の問題に思いっきり踏み込んでいること、十分に理解しています。
弁明にしかならないのですが、
たとえば、ある人は、幼子たちに朗読する場合、作者などにはふれず(幼子には、説明不要)、またどなたが読まれても、同じように伝えられる、スタンダードな朗読手法を推奨されるとします。
ですが私は不満です。
私は、自分が読んで、観て、触れて、知って感動したことを、具体的に表現して伝えたいと思っています。
また、観衆は幼子たちだけではなく、その保護者たちもです。毎日、毎夜、幼子たちのお気に入りの絵本をせがまれ読まれている方たちです。一遍通りの読み方よりも、たとえば、作者がどの様な経歴を持ち、どの様にしてその作品を作ったかを知れば、より深く物語に向き合えます。物語によって読み方の表現が変わる、役者が役によって演じ方が変わるのと同じです。きっともっともっと楽しいことだと思います。
絵本以外の小説、映画、音楽、絵画、自然の風景、山や空や海などに触れ、見聞きすることにより、より豊かな表現で伝える事ができます。
その豊かな表現で、大切な幼子に物語を伝え聞かせることがきたら、どんなに素晴らしい事でしょう。

ちょっと諄い話になってしまいました、すいません。

要は、私は伝えたい物語、朗読したい物語を、私の感じたイメージにできる限り近づけて表現したい、そう思っています。それが私の楽しみであり、チャレンジなのです。絵本において、まずイメージの根幹は挿絵です。そして、物語を読んで、感じるメロディを現存する曲から探します。朗読の練習を積み重ね、背景となるイメージ画、イメージ曲が揃えば、ビデオを制作します。朗読の調子に合わせて絵や曲を切り替え、その他のメッセージ等追加によって、より具体的に伝えるイメージが固まります。その到達点が朗読ビデオなのです。(ですから、著作権をお持ちの方、どうか広い心で観て下さいませ。m(__)m)

私は、おはなし会の趣旨がそうであるように、一人でも、私の朗読劇、朗読ビデオが切っ掛けとなり、本の世界、音楽の世界、絵画の世界、映画の世界に興味を持ってくれたらと願います。
そしていつか、彼ら、彼女らは本物に出会うでしょう。本物は、仮想よりも何千倍、何万倍も感動を与えてくれます。その魅力に彼ら、彼女らが心を奪われてくれたらと期待して止みません。

クリント・イーストウッド監督最新作『hereafter(死後の世界)』映画感想

『hereafter(死後の世界)』、80歳にして尚、未知のテーマに挑む、挑戦者クリント・イーストウッド監督の最新作品を観てきました。

物語は、
パリで、ジャーナリストとして名声を博すものの、東南アジアでのバカンスの最中津波にのみ込まれ臨死体験し、以降『死後の世界』に取り憑かれるる女Marie(Cecile de France)、
サンフランシスコで、人の手に触れることで、その人の周りに居る死者と繋がるという特別な能力に苦悩する男George(Matt daemon)、
ロンドンで、自分の唯一の庇護者であった双子の兄を突然の事故で失い、また薬物中毒の母とも引き離される孤独な少年Marcus(George McLaren)。

女は、ジャーナリストとしての名声を失うも『死後の世界』に真正面から向き合い、ロンドンで最新著書『hereafter』を刊行する、
男は、特別な能力のために好意を抱かれた女性にも去られ、地道に続けてきた仕事も解雇されて、結局、兄にその能力を利用して稼ぐことを求められたことに嫌気がさして、一人ロンドンに旅立つ。
少年は、もう一度兄と話したいという気持ちが抑えきれず、ケースワーカーや里親の心配をよそに、最愛の兄の形見である野球帽を被り、怪しげな霊媒師の集会を尋ね歩く。そして、えせ霊媒師の嘘に落胆し、さらに誰も信用できなくなる。

そんな彼女・彼らが、偶然ロンドンのブックフェアーで出会う、もしかしたら何かに導かれたのかもしれない。

少年は、男の能力によって、兄から『いつも共に居る、だから、もう誰かに助けを求めることは止めて、自分で歩め』と諭される。少年は笑顔が戻り、里親とも病院に収容されている母とも和解する。
少年は男への感謝の気持ちとして、女性が泊まっているホテルをを知らせる。
男は、女性のホテルを訪れ、不在であることで一度は躊躇するものの、伝言を残す。

そして、男と女はカフェで出会う。
男は、これまでの『死後の世界』のビジョンではなく、彼女との『ロマンス』という白昼夢を見る。二人は寄り添い優しく握手を交わす。

end roll


『hereafter(死後の世界)』が現世に影響を与える映画は、これまで度々映画化されてきました。もっとも美しいラブロマンスとして成功したのが『ゴースト~ニューヨークの幻』でしょう。そして、近代野球の黎明と、70年代のアメリカンカルチャーを取り込んだオハイオのファンタジー『Field of Dreams』は、不滅の名作となりました。

スピルバーグ総指揮、イーストウッド監督、そして現在もっとも脂がのった俳優マット・デイモンがチームを組んで制作した、この『hereafter』。実際観賞するまでは、TVのスポットCMで流される津波のシーンが印象的で、これまでのイーストウッド監督作品同様に、驚きや、深い感動を求めて映画館映写室内のソファーに身を沈めました。
津波のシーンは迫力があった。しかし、CGによる津波シーンは『ディープ・インパクト』以来、これでもかという大災害シーンに、食傷ぎみでもあるし、東南アジアの津波といえば2004年に実際に起こった『インド洋スマトラ沖大津波』の映像がCNNで何度も流され、その映像は深く記憶に刻み込まれている。本物の映像を勝ることは不可能である。

この『hereafter』は、つまるところファンタジーでもないし、オカルトでもない。イーストウッド監督お得意の『ヒューマニズム』を描いた物語です。
どこにでもいそうな普通の人々が突然襲われる精神的な不安、社会からの疎外、という現世の問題定義と、そこからの再起を、ゆっくりとした時間を掛けて、大いなるものの視点から見守る、という趣向の物語です。
ですから、近年のイーストウッド監督作品『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』、『チェンジリング』そして『グラン・トリノ』に身悶えて感動したものとしては、カフェの出会いで、直ぐに『Endroll』が流れ始めたときは、エェ、もう終わり???と戸惑ってしまいました。

クリント・イーストウッドの作品は、初期『ダーティー・ハリー』の派手なアクションから、言葉数は少ないが記憶に残るセリフと印象的なシーン、役者の演技・仕草、手紙などの小物を利用して、観客に自由に行間を想像させる、観客が観賞して初めてそれぞれの映画が完結するという手法を取られ、それがとても効果を高めていると思います。
ニューヨーカーであり、機関銃のような台詞回しを得意とする監督ウッディ・アレンとは対極ですが、どちらも自らの手法を極められていて大変面白いと思います。

『hereafter』は、物語に振幅が少ない分、行間を想像するのが難しい映画です。フランシス・コッポラも2007年『コッポラの胡蝶の夢』という意味深長な作品を撮られていますが、ある意味、商業性を度外視した作品を作ることができる、ハリウッドにおいて、希有で偉大な存在ということでしょうか。

『hereafter』に対して、ある映画評で『晩年の黒沢映画のよう』と、辛辣な批判ともとれる内容が掲載されていました。イーストウッドには80歳であろうと、監督であり、そして希代の俳優で有り続けて欲しいと願います。彼は、『100歳になっても挑戦したい』とコメントしていますが、いつまでも挑戦者であり続けて欲しいし、『グラン・トリノ』の様に老境であっても頑固一徹の親父を演じ続けて欲しいと思います。

球春、幕開けとなる練習試合『加西市立加西中、篠山市立西紀中』観戦記

3月6日(日)、体力強化、基本練習に重点を置いた冬のトレーニングの期間が明け、今年、最初の練習試合が、加西市立加西中学校、および篠山市立西紀中学校を本校に迎えて行われました。

[試合スケジュール]
第1試合 鹿島中vs.加西中
第2試合 加西中vs.西紀中
昼休憩
第3試合 西紀中vs.加西中

第1試合加西中戦は、エース雄大が先発、後半少しコントロールを乱す場面はありましたが、7回を、よくバットが振れている加西中打線を1点に抑えました。
5回表鹿島中の攻撃、3番雄大四球、4番幸伍ヒット、5番拓樹四球でチャンスを貰い、1死から7番帆岳の内野ゴロの間に幸伍が生還してまず1点、8番孝鯛の打席でワイルドピッチによりさらに2点目を加えました。その裏、加西中もレフト前ヒット、左中間二塁打で一挙に1点差に詰め寄るものの、雄大は後続を断ち、6回表、1死から四球で出塁した健介が二塁盗塁、真己の内野ゴロの間に三塁に進塁し、雄大のタイムリーヒットで生還しました。
試合結果は3-1で鹿島中が勝利しました。

第3試合西紀中戦は、健介が先発、二遊間も一年生和也、悠将が先発出場しました。三回からセンターの悠介がセカンドに回り、雄飛がセンターに入りました。
健介は、少しコントロールのばらつきがありましたが、要所をしめて、7回を零封しました。西紀中打線もよくバットが振れ、鹿島守備陣も好プレー(セカンド)悠介のダイビングキャッチ、雄飛の後方の大飛球をキャッチ)で健介を盛りたてていました。
6回表鹿島中の攻撃、7番帆岳のレフト前ヒットを足がかりに、健介送りバント、雄飛の送りバントは内野安打となり1死一三塁、ここで1番雄大が一二塁間、けっしてよくない当たりでしたが、西紀中守備陣の乱れを誘って1点を先取。これが決勝点となりました。
試合結果は1-0で鹿島中が勝利しました。


第2試合、加西中vs.西紀中戦の結果は2-0で西紀中が勝利しました。

西紀中の応援に来られていたご家族にお話しを伺いました。
今年は例年にもまして雪が多く、冬のトレーニングは大変であった事、また西紀中の校区には三つの小学校が含まれ、内一校はバス通学となるために、16時半には下校しなければならず等、けっして十分な練習はできなかった等お話し下さいました。瀬戸内に面する鹿島中野球部員も、今年は例年になく雪経験しましたが、練習に支障をきたすものではなく、その自分たちの土地が与えてくれる恩恵に感謝し、好きな野球に真摯に取り組んで欲しい、
そう思いました。

試合の感想ですが、『勝った』というより『勝てた』という棚ぼたの感が拭いきれない試合でした。サインミスや走塁ミスでチャンスを潰すこと少なからず、守備の中継ミスにより失点もしました。期待され送り出された選手達も、皆が思いきりプレーできていたか、というと?がつきます。また、回を追う毎に、仲間を盛りたてる、自分自身を鼓舞する『掛け声』が出なくなるという悪癖が解消されていないことも、大変気になりました。

また、今年最初の練習試合、選手も、チームも監督も応援する保護者も、皆が怪我をせず、一回り大きくなって、溌剌と試合をしてくれることを期待していましたが、
直前週の学校生活内で学校のルールを破ったということで、3名がペナルティーとしてユニフォームに袖を通すことが許されず、でも、3試合、グラウンドで塁審としてゲームに参加する恩恵は与えられました。

先週土曜日、藤原先生から部員達の野球ノートを許可を得て読ませて頂きましたが、特に
『自分がチームに如何に大切な存在か』
『自分が欠けることで、チームに多大な迷惑をかける』
という言葉が、多くの部員のノートに書き記されていました。
部員達は野球が好きだから、厳しい練習にも耐え、グラウンドに立つことを目指します。
些細かもしれない誘惑で、折角のチャンスや努力をふいにすることがないこと、3名だけでなはく、すべての部員が肝に銘じて欲しいと思います。

それが君たちの、チームメイトへの、監督・顧問への、保護者への、応援して下さるすべての方への感謝の示し方ではないかと思います。