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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2025年5月15日木曜日

『人権を尊重する』という事について

 ヨハネによる福音書9章41節

イエスは彼らに言われた。「もしあなた方が盲目であったなら、あなた方に罪は無かったでしょう。しかし、あなた方は今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなた方の罪は残るのです。」

イエスの時代、ユダヤ人社会では盲人の様な障害を背負って生まれた人たちは、何かしらの罪を神が下した人という罪人扱いを受けていた様子です。その盲人が、イエスの奇蹟の業で眼が見える様になりました。その奇蹟の業が行われたのは安息日でした。安息日はモーセ戒律で一切の労働をしてはならない日と定められていました。

イエスが奇蹟の業で盲人の目を開いたという噂を聞きつけた、ユダヤ人社会の権威主義者や厳格な戒律主義者は、安息日に神の業を行ったと噂されるイエスをユダヤ人社会を乱す不届き者、憎むべきたかり者と見なします。そして、イエスの業で目が開かれた人を教会堂に呼び出し、イエスの業は偽りであったと告白する様に迫ります。しかし、その人は同意せず、イエスの業は本物であると主張したために、教会堂から、ユダヤ人社会から追放されました。

イエスは、追放され途方に暮れていた人の前に現れ、神の力であなたの目を開いたのは私であると告げ、その人はキリストの救済と信仰を信じると告白し、キリスト者となりました。

そして、章の最後の御言葉41節です。

この御言葉を、私は次の様に受け取りました。

救いを求めて謙虚に悔い改められる者は、救世主(キリスト)の導きによって罪が許され、神の国に入ることが出来るが、しかし、救世主を信じず、敬いもせず、己こそ正しいと主張する傲慢で真実を見出すことが出来ない者は、いつまでも罪人のままで、神の国に入ることが許されない、と。


私たちの今の時代、己が正しいと主張し、デモクラシー下での自由を身勝手な自由と履き違えて、身勝手な行動に走る者、他人をおとしめる者、傷つける者、盗む者、奪う者、欺す者、殺す者、そして、法律でさえ身勝手に解釈して歪めてしまう者等々、傲慢な無法者で溢れかえるようになりました。

残念なことですが、こうなるのは必然であった様に思います。それは、日本だけでなく近代デモクラシーが興った欧米社会も同じで、近代デモクラシーの根幹となる思想『人権を尊重する』の心の教育がおざなりとなって、富を獲得することが最上とする教育に傾斜してきたことが原因だと思っています。

人権を尊重することは神の戒めであり、それを守ることは、自らが心に決めて行う遵守です。しかし富を最上とすることは欲望であり、それに付き従うことは、自らの心を無くす服従でしかありません。

服従に身を任すことは大罪であることを、私たちは自覚し、自戒し、心が救済されるように『人権を尊重する』という思想の遵守に立ち返らなければいけないと強く思います。

2025年5月13日火曜日

NEOエロ・グロ・ナンセンスの時代を迎えて

 姪の息子が、この春から法律を学ぶために東京の大学に進みました。

その姪孫が、3月に母郁子(姪孫から見れば曾祖母)を見舞に来てくれたときに、父清造(姪孫から見れば曾祖父)が残した海軍時代の古いアルバムを見せてあげました。姪孫は多少興味があったと見えて、目を輝かせてアルバムのページをめくっていました。また、戦艦が写る写真はスマホで撮し保存していました。

私がアルバムを姪孫に見せたのは、80年前に敗戦で終わった戦争の記憶は、姪孫にも繋がっていることを知ってほしいと思ったからです。アルバムはまるで卒業アルバムの様な体裁で編さんされていて、内一冊の表紙には「上海事変の思い出」と刻印がされていました。父は生きていれば今年110歳になります。姪孫と同じ年齢の頃に海軍に入隊し、呉の学校で兵隊となるべく学び、そして約10年間、日中戦争から太平洋戦争に従軍して、最後は南方の捕虜収容所で終戦を迎え復員しました。父から直接戦争の話を聞いたことはほとんど無いですが、私が十代半ばの頃に国から勲章が贈られてきたことがあり、その時に、艦船からオーストラリア大陸を見たという話を聞きました。体には二箇所銃創の跡がありました。父はどんな思いでこの二十代を生きたのか、今はもう知る術はありませんが、復員後、仕事を始め、家族を持った後も、しばらくは精神的に辛い時期があった様に私は兄(10年前に亡くなった姪孫の祖父)から聞きました。

壺井栄さんの小説「二十四の瞳」では、師範学校を卒業して小学校教諭となった大石久子先生が、受け持った初めての生徒、その十二人の生徒がいよいよ卒業という頃に、五人の男子生徒全員が将来は兵隊さんになると目を輝かせて話すのを暗い表情で見守るシーンが印象的でした。大石先生は、この生徒らの卒業を見送った後、生徒が兵隊に取られるのが辛くて教師を辞めました。そして終戦の後、しばらくして女生徒たちから同窓会に招かれます。大石先生は、そこで四人の男子生徒の戦死を知り、また戦場で視力を奪われ体が不自由となった一人の男子生徒と再会しました。そのシーンもとても心が痛むシーンでした。

戦場で戦う、殺し殺される経験をした人は、きっともれなくPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむことになるのだと思います。それだけではなく、たとえ命拾いしたとしても重度の障害や苛酷な環境下で体を壊し、一生涯苦しまなければならない人も居られます。

戦争の記憶を持つ市井の日本人にとって、また彼等の子どもの時代までは日本人の共通記憶として、戦争に対する嫌悪感は凄まじいものであったと思います。

しかし、戦後三世四世の時代に入り、日本人は嫌悪する戦争の記憶がすっかり薄れ、現在はまるで二十世紀に起こった二つの世界大戦前の、エロ・グロ・ナンセンスの風潮に再び支配されつつある様に感じています。二十世紀の政治哲学者ハンナ・アーレントも著書『責任と判断』の中で、十九世紀末のヨーロッパも退廃が支配していた旨の記述を残していました。

歴史は繰り返されるといいます。私たち一人一人がしっかりと自己を育まなければ、そして道徳に立ち返らなければ、大きな負の転換が訪れたとき、私たちはいやおうなく自由が奪われ、隷属に陥ってしまいます。その事を、私たちは肝に銘じておかなければならないと思います。