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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年9月17日土曜日

『風とロック2011』LIVE福島 今終了しました。。。

夕ご飯を食べて、パソコンの前に戻ると丁度

会場でアンコールの呼び声が湧き上がってました
LIVEですね
アンコールあるんですね(^▽^)

そして本日のオールキャストがステージに上がってきました
皆さん、ステージの袖で待っていてくれたのですね

よい光景でしたw

そして
サンボマスターボーカル山口くんが先頭に立って
みんなで

I love you & I need you ふくしま

ステージと観客が一体になっての大合唱です

熱いステージでした。感謝。。。

そして、カーテンコールの後は打ち上げ花火です

私、今年ライブで花火観たの初めてです

夏の終わりを飾る、美しい大輪でした


お疲れ様でした。。。

『風とロック2011』LIVE福島をYOUTUBEで観てます(*^_^*)


LIVE福島公式ページ

LIVE野外コンサート、Youtubeで観てます。
やっぱ、良いですね

テレビで観るのと違って、ネットで一緒にライブ映像を観ている何十万のリアルタイムな書き込みが、心地よい緊張と一体感を高めてくれます。
まるでライブ会場にいるような高揚感です

この感じ、久し振りだなぁ

サンボマスターの叫び
『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ!』
愛と平和!
悲しみで花が咲くものか!

BEGINそして西田敏行の癒やし
沖縄から
東北から
人を思いやるロック、ソウルが
届きます。。。

長澤まさみちゃんのナマ歌、とてもチャーミングでした

そしてトリは福山雅治
歌もギター演奏もお上手
何より二万人の観客をわしづかみにするトーク、素晴らしかったです

良い時間を過ごさせてもらいました

出演したアーティストに
Youtubeに
Live福島に
感謝!!!

雨が降り続いています。


深夜1時を回ったところですが、昨日昼過ぎから降り始めた雨は、今もしっかりと降り続いています。雷鳴も轟いています。

9月始めに大雨によって甚大な土砂災害を招いた台風12号は、播州地方でも大雨の恐ろしさを爪痕を残しました。
姫路では、9/3 24時までの1時間に78.0ミリの非常に激しい雨を記録
また加古川では、9/4 2時までの1時間に100ミリの猛烈な雨を記録
特に日付が変わっての2時間ほどは天の堰が決壊したのかと思えるほどの酷い大雨でした。

また、雨音が激しくなってきました。。。
今アメダス1時の降水量を見ますと、
家島で44.5ミリ、姫路で11.0ミリ、福崎で12.0ミリを記録しています。
このままでは今日行われる予定の鹿島中学校体育大会は、延期でしょうね。
今回の雨の元凶は、台風12号と同様に動きが遅い台風15号です。現在沖縄の東海域に居座って西日本に次々と大雨のもとを送り込んできます。やっかいです。。。

2011年9月16日金曜日

おはなし会のご案内(*^_^*)


『朗読』という一人語りを演じる修業の場として参加させて頂いている、図書館のおはなしの会、次回の担当日が11月26日(土)となりました。

当初は今月24日の予定でしたが、外せない仕事があり、図書館に連絡して日を変更してもらいました。
この連絡の際、図書館員の方から
『最近は小さな子どもたちが大勢見に来てくれます。できれば短めのお話しを幾つか準備してもらえば。。。』
とアドバイスを頂きました。

しかし、現在のレパートリーは、一話15分弱の絵本朗読が十ほどです。
ましてや幼い子どもたち向けの『絵遊びの本』など、久しく手に取っていないので、どの様に読み進めてよいか忘れています。
ああ、難しい。。。
これまでと同様に、ストーリー絵本の朗読二本で勝負するか、アドバイス通り『絵遊びの本』を5冊ほど用意して対応するか、
ハムレットの心境です。。。

そこで読者の方に助けを求めたいのですが、アドバイスに叶う『絵遊びの本』で面白くまた直ぐに手に入る本を紹介して頂けませんか。

どうか宜しくお願いします。

東日本大震災から半年、日本とアメリカ、二つの悲劇


今年の9月11日が、アメリカ同時多発テロから10年の節目ということで、そのドキュメンタリーを幾つか見ました。
同じく9月11日で、東日本大震災から半年が経過したことになり、『日本とアメリカ、二つの悲劇』を関係付けて報じる特集記事なども読みました。

特に印象に残ったニューズウィーク日本版2011-9-14号CoverStoryの記事要約を以下に記します。
『二つの悲劇で日本とアメリカは何を失ったか』
以下記事要約-----
自由主義を信奉していたアメリカ、しかし9.11がもたらした『恐怖』は、『愛国者法』のもと、政府に生活をのぞき見されようとも『テロ』から『恐怖』からアメリカを守る、という大義がまかりとおる監視社会を招いた。アメリカは『建国の理想』を見失った。
また、『恐怖』をもたらした真の原因を内に問わず、全て外に求めて、姿無き相手との戦争に突き進んでいった。そしてこの10年でアメリカへの怨念は世界中に拡散した。

3.11の未曾有の自然災害は、またこの20年間で疲弊しきった日本を『リセット』し、再興しようという『気運』そして『団結』をもたらした。しかし被災地からまた非・被災地からマスコミが伝える数多くの『美談』によって、半年が経過してもなお復興の目処さえ立たぬ被災地の現実から非・被災地民の関心を失わせた。
また、地震と津波によって破壊された原発が引き起こした放射能拡散という未曾有の環境汚染、そしてこの国難にあってもなお政争に明け暮れる政治に巣くう人害極まりない輩によって、被災地の復興はなおのこと遠いものとなってしまった。
-----
記者は、日本とアメリカともに、向き合うべき問題を見失ったのではないかと括っている。

日本は、たとえこの大震災が起こらなかったとしても、世界中を巻き込む『時代の大変革』という潮流の中で、船長もおらず帆も舵も失った難破状態を正さない限り、うねりに翻弄されついには沈没、とう最悪のシナリオを歩んでいたと思います。

それともう一つ、
『どじょう内閣』と銘打ってこの9月に発足した野田新政権から速くも放言問題で大臣が一人辞任しました。
鉢呂芳雄議員(当時経済産業相)の放言問題、この最大の罪は発言した言葉に責任を持たなかったことです。鉢呂議員の「福島第一原発の周辺は死の町のようだった」という発言は、重責を担う大臣として『憂慮』と『悲しみ』、そして『復興』への断固たる決意へと続いておればなんらおかしい発言ではなかったと思います。
半年前まで人が営み交差する町があった。しかし今その町には人は立ち入ることが叶わず無人と化し、また家畜であった牛は野牛化し、犬は野犬となっている。
この異常な風景を見て『死の町』と表現できない、それが住民の神経を逆なでするから、と言葉にできない社会こそおかしいと思います。

アメリカがこの10年で監視社会へと突き進み、それが新たなる社会不安を引き起こしているのと同様に、アプローチは違いますが、日本は無関心を装うことで問題を先送りにし、いつかそれが生じる閉塞感で押しつぶされるか暴発するかという、深刻な社会問題に直面すると危惧します。

日本はもう一度3.11に立ち戻り、『今ここにある危機』を日本国民の共通認識とし、ニュースに一喜一憂するのではなく、『危機』や『復興』の定点観測に努力し、まず被災地・被災民の生活基盤を復元し、そして日本全体の新たなるビジョンを議論し、あたらなる日本を再興するという道筋を歩まなければならないと思います。

2011年9月15日木曜日

甘酸っぱい『初恋』の話


島崎藤村『初恋』の話です。
この詩は、藤村自身の原体験がもとになっているそうです。

七語五語で綴られる詩はとてもリズミカルで、朗々と読むほどに心地よさを感じます。
以下、『初恋』詩です。
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まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ
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因みに、若松甲作曲の節付けで歌うとこんな感じです

でもその解釈となると一意でないところがあり、幾つかの現代訳を読んでみました。
そして、私なりの解釈にしてまとめてみました。
以下、解釈詩です。
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僕はいつも
林檎畑に続く細道をのぼってくる君を
待っていた
君は前髪に花櫛をさしているのだが、
その花櫛の花のようにとても可憐でした

君が
その白くて優しい手をいっぱいに伸ばして
林檎をくれた
僕は薄紅の秋の実、林檎を見ると
あれが初恋の始まりであった事を思い出す

君を見ていて
思わず漏らした溜息が
君の髪に触れてしまった時
甘美な陶酔がおとずれ
僕はめろめろになったものだ

僕はいつも
林檎畑に続く細道をのぼって
君を待っていた
そんな僕の恋心など知る由もなく
『誰が踏み固めたのでしょう』と尋ねる

そんな君が愛おしかったです
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まだ恥じらいをしらない少女に淡い恋心を抱いた、これまた奥手の少年の、それでも逢いたいという切ない気持ちが溢れています。
でも第4節の
...そんな僕の恋心など知る由もなく
『誰が踏み固めたのでしょう』と尋ねる...
いやいや辛いなぁ、と苦笑いを覚えてしまう詩でもあります。


さて、何故に島崎藤村『初恋』を取り上げたといいますと。。。
別にこれっといった理由はありません。
深夜、中秋の月が天上にいて、静かな夜に虫の音だけが絶え間なく耳に届く、そんなゆらゆらとした心地よさに浸っていますと突然に、『秋と言えば切なさやぁ~』と何気に思いました。でも『しんどい、つらい』は幾らでも吐きますが、『切ない』という感情にはとんとご無沙汰です。それでYoutubeで幾つかのキーワードにヒットした懐メロを聴いてみました。ありました、『切ない』という感情にうってつけの歌がありました。それが舟木一夫が歌う島崎藤村『初恋』でした。

いやいや、久し振りに舟木一夫の歌声を聴きましたが、心に染みました。
私の青年期、『初恋』といえば村下孝蔵の歌ですが、もっと遠い記憶を呼び覚ましてくれたのが島崎藤村の『初恋』でした。

エッ私の初恋話ですか、そんな太古の話は覚えていません。。。