今朝の新聞の一面に、日本海に派遣された米国海軍の二隻の空母と日本の海上自衛隊の艦船二隻を含む二十二隻の大艦隊が隊列を組んで航行する写真が掲載されていました。艦隊の上空には航空自衛隊の戦闘機が隊列を組んで飛んでいます。
大規模な軍事訓練は、核弾頭と大陸弾道ミサイルの開発でアメリカにチキンレースを挑む北朝鮮に対する武力による威嚇行為でもあります。
日本にとって北朝鮮の万が一の暴発は、太平洋戦争以来の日本国ならびに日本国民を最悪に陥れるかもしれない脅威です。そういう意味でも、武力衝突は絶対に避けなければなりません。しかし日本は、北朝鮮から交渉の相手と見なされておらず、独自に外交する術もありません。ただ事態を見守るだけで為す術がないのが実情です。
ここにきて思うのは、何故に北朝鮮は、無謀とも思えるチキンレースをこうまでしてアメリカに挑むのかという事です。戦争をすれば、北朝鮮がアメリカに勝つ可能性は限りなく零でしょう。(しかし、隣国である韓国や日本は多大な被害を被るでしょう。それが理由の一つとなって、北朝鮮になかなか手出しが出来ないのです。)
北朝鮮の無謀ともいえる挑戦の意図が、どうしても理解出来ません。北朝鮮の指導者は、常軌を逸しているけれど、気が触れている様には見えません。
北朝鮮は、国民を疲弊させる暴君の独裁国家というイメージからは想像も出来ないほどに科学技術が進んでいる様子です。今や世界でも有数のサイバー軍を組織し、核弾頭やミサイル開発では、既存の核・ミサイル保有国を驚かすハイスピードで完成を間近にしようとしています。
北朝鮮は、どこに向かおうとしているのでしょうか?しかし政府もマスコミも、北朝鮮の脅威は煽っても、何故に今の北朝鮮があるのか?、そしてどこに向かおうとしているのか?、日本との本質的な関係は?、等々ほとんど報道されることはありません。
北朝鮮は核・ミサイルを独自に保有することによって、世界の勢力均衡の一角を占める国になること、そしてアメリカと対等に交渉できる国になることだと言われていますが、もしそうなら、これまで北朝鮮を手厚く保護してきた中国やロシアにとっても傀儡できない国になるということで、黙って許すことはないでしょう。
20世紀の終わりに、バルカン半島の民族紛争が沈静化した後の世界を揺るがす脅威が、東アジアで起こると当時の未来学者は予言しましが、中国かロシアか(もしかしたらアメリカが)朝鮮半島に侵攻する様な事態が起これば、それが引き金となって、勢力均衡が崩れた世界で、再び覇権者となるべく帝国同士が衝突し、世界を二分する大戦争に発展する恐れも考えられます。
その時、日本はどうなるのでしょう?
日本は、他国を侵略する戦争を放棄した国です。すべての国が、日本と同じであれば良いのですが、如何せん、侵略戦争を放棄した国は世界の中で唯一日本だけです。
近隣で戦争が起これば、日本も当然に巻き込まれるでしょう。国を守って戦うための法整備も、戦略的な備えも、そして国民ひとり一人の国を守って戦うという心構えも、すべてが未整備のままであれば、押し寄せる侵略者にあっという間に呑み込まれ、日本自体が無くなってしまうかもしれません。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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差別の天秤
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2017年6月2日金曜日
2017年5月31日水曜日
映画「フィールド・オブ・ドリームス」を、久し振りに観ました。
If you build it, he will come.
Ease his pain.
Go the distance.
それを作れば彼がやって来る
彼の傷を癒やせ
最後までやり遂げろ
オクラホマの田舎でトウモロコシ畑を営む若い農夫レイ・キンセラが、三度の抗しがたい啓示に導かれ、傍から見れば馬鹿げた行動に見える冒険を経て、奇蹟に出会う物語です。
レイはトウモロコシ畑で、「それを作れば彼がやって来る」という声を聞きます。レイは信じてくれる妻とともに、収穫前の大切なトウモロコシ畑を半分潰して野球場を作ります。
そして翌年の春に最初の奇蹟が訪れます。夜、一人の野球選手がレイの野球場に現れます。レイが野球場を照らす照明のスイッチを入れると、そこにはシューレス・ジョーが立っていました。シューレス・ジョーは、レイの父ジョンの憧れの野球選手でした。また、レイと父ジョンが仲違いする原因でもありました。
シューレス・ジョーは、20世紀初頭に活躍したメジャーリーグのスター選手でした。父ジョンは、彼を安打製造機と呼んでいつまでも称えていました。しかし、1919年のワールドシリーズで八百長した8名の一人として告発されて彼は野球界から永久追放されました。父ジョンは幼い息子レイに、シューレス・ジョーは無気力なホワイトソックスの中で一人気を吐きながら試合を戦っていたこと、そして、そんな彼が八百長などする筈が無いことを、よく話していました。
父ジョンは、まだ若い頃、第一次世界大戦から復員した後、憧れの野球選手になるためにマイナーリーグに飛び込みますが、思う様な成績を上げられずに、一度もメジャーリーグに呼ばれる事無く選手生命を終えました。レイは、夢が破れた後のやつれた父しか知りませんでした。そしてレイは十代の終わりに、大好きだった野球から離れ、そして父との口喧嘩の中でシューレス・ジョーを侮辱し、父を傷つけたまま、西海岸にある大学へと旅立ちました。それが父との永遠の別れとなりました。レイはいまでも、父に謝れなかったことを後悔し続けていました。
レイの野球場では、連日シューレス・ジョーが連れてくる往年の野球選手がプレーする野球ゲームを観戦する事ができました。しかし、彼等を見ることができるのは、レイと妻アニー、そして幼い娘カリンの三人だけでした。銀行への支払いに苦しむ妹家族を助けるために訪れたアニーの兄マークは、レイ家族が悪ふざけしている様にしか見えずに憤慨して帰ります。そんな時、レイはまた声を聞きました。
「彼の傷を癒やせ」です。
レイ夫妻は、彼等60年代の若者を「愛と平和」運動に導いた伝説の小説が、破廉恥で学校図書に相応しくないとする申し入れを討議するPTA会議に出席しました。その出来事が切っ掛けとなり、レイは小説の作家であるテレンス・マンに再び興味を持ち、彼のその後を調べます。テレンス・マンは、一冊の小説で「愛と平和」の伝道師として祭り上げられた事にほとほと疲れ、人々から身を隠す隠遁生活を送っていました。そして細々と、自分のためだけの物語を綴っていました。その中で、彼と野球との縁を見つけます。
テレンス・マンも子供の頃、レイや父ジョンと同様に野球選手に憧れていました。でも夢は叶わずに、そして隠遁生活に入ってからは大好きな野球観戦も叶わなくなっていました。
そして何より、レイとアニーは二人して、レイとテレンス・マンがフェンウェイパークで並んで野球観戦している夢を見たのです。
農園と家を守るために、金策に駆けずり回らなければならない状況で、それでもレイ夫婦は、声と夢の力に従います。
レイは、テレンス・マンを探して、二人でフェンウェイパークで野球観戦するために、オンボロ車に乗ってオクラホマからボストンを目指します。レイは探し出したテレンス・マンに事情を話し、テレンス・マンは疑いながらもレイと共にフェンウェイパークに野球観戦に出かけます。そして二人は、第三の啓示「最後までやり遂げろ」を耳にし、またスコアーボードに浮かぶ「ムーンライト・グラハム」の名を目にします。
二人は、ムーンライト・グラハムの故郷ミネソタのチザムという町を目指します。
ムーンライト・グラハムことアーチボールド・グラハムは、1972年、今から16年前に他界していました。彼は、チザムという町で年老い亡くなるまで、医者としてまた慈善家として活動し、今でも町の人々から慕われ尊敬されていました。しかし、レイ達が出会う事は叶わなくなりました。
夜、モーテルから一人、町に散策に出かけたレイは、ふと、1972年のチザムの町に迷い込んだことに気付きます。そして高齢のアーチボールド・グラハムに出会います。そして、彼の診療所で話をします。
彼は、何故にムーンライト・グラハムと呼ばれる様になったか話します。
彼もまた野球選手を夢見る少年でした。野球選手になるためにチザムの町を飛び出して、ヒッチハイクの末にマイナーリーグへ飛び込みます。そして才能が認められメジャーリーグに昇格することができました。そして漸くチャンスが来ました。試合の後半、ライトの守備に入ります。彼はメジャーリーグに印を残すことができましたが、しかし、その試合で守備機会は訪れず、また打席に立つことも出来ないままに、試合の後マイナーリーグへの降格を告げられます。
彼は、再びマイナーリーグ生活を送ることに挫折を覚え、野球を諦め、チザムの町に戻って稼業の診療所を継ぐことになりました。
彼には後悔が一つありました。夢を諦めずにもっともっとチャレンジすることも出来たのに、そして次のチャンスを物に出来たかもしれないのに、まるで月の光の様に儚いものとしてチャンスを掴む事をはやばやと諦めてしまった事に後悔の念を抱き続けていたのです。そして、そんな自分をムーンライト・グラハムと呼んで慰めたのでした。
レイは、もしメジャーリーガーになれたら何をしたいか尋ねます。
彼は、打席に立ち、対戦するエースに向かって「投げる球は分かっている」とウィンクをしてやりたいと話します。レイは貴方の夢を叶える事が出来ると話しますが、彼は愛する妻を置いて出ては行けないと、穏やかにレイの申し入れを断ります。
レイとテレンス・マンは、このまま人手に渡ってしまいそうなトウモロコシ畑の中の野球場を目指して車を走らせます。その途中、ヒッチハイクの若者を拾います。若者は、野球選手になるために旅をしていると話し、名前をアーチーボールド・グラハムと名乗ります。二つ目の奇蹟が成りました。車は一路、夢を叶える野球場を目指して走ります。
夢を叶える野球場では、往年の名選手のオールスターゲームが始まっていました。
憧れの選手達に臆するグラハムに向かって、「ルーキー、ユニフォームに着替えてベンチに入れ」とシューレス・ジョーが声を掛けます。そしてグラハムは、夢を叶える事が出来ました。
そこにアニーの兄マークが訪れます。マークはレイに農場と家、そして役立たずの野球場を即座に売り渡す様要求を突きつけます。野球ゲームを観戦していた娘カリンとテレンス・マンの二人が、もうすぐ沢山の人々が、惹き付けられた様にして野球場にやって来る。一人20ドルの観戦料で、みんなが幸せになれると話します。マークの大声の叱責に驚いたカリンが観覧席から落下して気を失います。レイはグランドのグラハムを見つめます。
若いグラハムは駆けてきて、あの世から来た野球選手が姿を留められる境界線に近づきます。そして、一歩、また一歩、境界線を越えてこちらに近づきます。その姿は若者ではなく、年老いたグラハム医師のものでした。そしてカリンを抱きかかえ蘇生します。
驚いたのはマークです。目の前に突然高齢の医師が現れたのです。そして振り返ると、野球場には野球選手達がいて、こちらの様子を伺っているのを目にします。彼は事態を直ぐには理解出来ませんでしたが、とりあえず「野球場は売るな」と宣言します。
ゲームが終わり、野球選手達が家路に向かいます。野球場の左中間辺りのトウモロコシ畑との境界線に、あの世との出入り口がある様子です。彼等はおどけながら、その出入り口で消えるのです。シューレス・ジョーがテレンス・マンを招待します。レイは不満でしたが、テレンス・マンのこれにも意味があるという言葉に従います。そしてテレンス・マンは、見聞録をいつか執筆すると話して、レイと別れ、彼等の世界へと旅立ちます。
シューレス・ジョーは、レイに向かって「啓示は君の内からでたもの」だと話します。そして、グランドに残るもう一人の若い野球選手を示します。捕手のプロテクターを身に着けた若い選手が、キャッチャーマスクを外します。その若い野球選手は、レイの父ジョンでした。レイは、この不思議な冒険が自身の夢を叶えるための冒険であったことを悟ります。レイは、諦めていた、父との和解と、家族を父に会わせるという夢を叶える事が出来ました。
ジョンがレイに尋ねます。「ここは天国かい?」
「いや、オクラホマさ」
でもジョンは続けます。「ここは天国だと思う」
「天国って、あるの」
「あるさ、夢が叶えられる所なんだ」
レイは思い直します、この野球場は、自分にとっても天国なんだと。
帰り支度をするジョンに向かって、レイが声を掛けます。
「父さん、キャッチボールしようか?」
ジョンは応じ、笑顔でキャッチャーミットを拾います。
親と子のキャッチボールが始まります。
アニーは、日が暮れて薄暗くなってきた野球場を照明で照らします。
遥かに遠く、長い一筋の灯りが野球場を目指してやって来るのが見えました。
それは、夢を叶える野球場に導かれた人々の乗る車の、ライトの列が織り成す一条の灯りでした。
end
明日から6月です。子供が中高と野球をやっていた時は、最後の夏が始まると感慨を覚えたものでした。三年生になって、早ければ6月末に始まる夏の大会で、負ければそれで部活の引退です。いつも、一つでも多く長く試合を戦って欲しいと願い、そしてチームの勝利のために戦っている子供を含めた野球部員達全員の雄姿を、愛おしく思ったものでした。
そんな野球を一度でも好きになった人なら共感して頂けると思いますが、その原風景は父や兄とのキャッチボールではないでしょうか。
たどたどしく投げたボールを、しっかりと受け取ってくれる父や兄の姿です。そして受け取りやすい優しいボールを投げ返してくれる父や兄の姿です。
この「フィールド・オブ・ドリームス」には、センチメンタルにキャッチボールする親子の姿が描かれます。懐かしく、切ない、遠い日の思いです。
家の本棚に、この映画の英語シナリオ本がありました。公開当時、この映画を観てとても感激したのでしょうね。読めもしないのに、シナリオ本を買っていたのです。それが今回、感想を書くのに役立ちました。
とても大好きな映画の一本です。
※フィールド・オブ・ドリームス 原題Field of Dreams 1989年米国映画
主演のケビン・コスナーは、「アンタッチャブル」で注目し、この映画で大好きになりました。ケビンの演技は、いつもどこか自信なさげで、それでいて正義感もユーモアも滲み出る、演技に見えない素の様な演技というのでしょうか、それがとても魅力的でした。
そして、この映画の一番の主役と言いましょうか、トウモロコシ畑の中の野球場は、今も残っているそうです。地元のボランティアの人たちが、大切に守り受け継いでいるそうです。当然のこと、野球が出来るということで、願うならばそのマウンドに立って360度の風景を眺めてみたいと思います
Ease his pain.
Go the distance.
それを作れば彼がやって来る
彼の傷を癒やせ
最後までやり遂げろ
オクラホマの田舎でトウモロコシ畑を営む若い農夫レイ・キンセラが、三度の抗しがたい啓示に導かれ、傍から見れば馬鹿げた行動に見える冒険を経て、奇蹟に出会う物語です。
レイはトウモロコシ畑で、「それを作れば彼がやって来る」という声を聞きます。レイは信じてくれる妻とともに、収穫前の大切なトウモロコシ畑を半分潰して野球場を作ります。
そして翌年の春に最初の奇蹟が訪れます。夜、一人の野球選手がレイの野球場に現れます。レイが野球場を照らす照明のスイッチを入れると、そこにはシューレス・ジョーが立っていました。シューレス・ジョーは、レイの父ジョンの憧れの野球選手でした。また、レイと父ジョンが仲違いする原因でもありました。
シューレス・ジョーは、20世紀初頭に活躍したメジャーリーグのスター選手でした。父ジョンは、彼を安打製造機と呼んでいつまでも称えていました。しかし、1919年のワールドシリーズで八百長した8名の一人として告発されて彼は野球界から永久追放されました。父ジョンは幼い息子レイに、シューレス・ジョーは無気力なホワイトソックスの中で一人気を吐きながら試合を戦っていたこと、そして、そんな彼が八百長などする筈が無いことを、よく話していました。
父ジョンは、まだ若い頃、第一次世界大戦から復員した後、憧れの野球選手になるためにマイナーリーグに飛び込みますが、思う様な成績を上げられずに、一度もメジャーリーグに呼ばれる事無く選手生命を終えました。レイは、夢が破れた後のやつれた父しか知りませんでした。そしてレイは十代の終わりに、大好きだった野球から離れ、そして父との口喧嘩の中でシューレス・ジョーを侮辱し、父を傷つけたまま、西海岸にある大学へと旅立ちました。それが父との永遠の別れとなりました。レイはいまでも、父に謝れなかったことを後悔し続けていました。
レイの野球場では、連日シューレス・ジョーが連れてくる往年の野球選手がプレーする野球ゲームを観戦する事ができました。しかし、彼等を見ることができるのは、レイと妻アニー、そして幼い娘カリンの三人だけでした。銀行への支払いに苦しむ妹家族を助けるために訪れたアニーの兄マークは、レイ家族が悪ふざけしている様にしか見えずに憤慨して帰ります。そんな時、レイはまた声を聞きました。
「彼の傷を癒やせ」です。
レイ夫妻は、彼等60年代の若者を「愛と平和」運動に導いた伝説の小説が、破廉恥で学校図書に相応しくないとする申し入れを討議するPTA会議に出席しました。その出来事が切っ掛けとなり、レイは小説の作家であるテレンス・マンに再び興味を持ち、彼のその後を調べます。テレンス・マンは、一冊の小説で「愛と平和」の伝道師として祭り上げられた事にほとほと疲れ、人々から身を隠す隠遁生活を送っていました。そして細々と、自分のためだけの物語を綴っていました。その中で、彼と野球との縁を見つけます。
テレンス・マンも子供の頃、レイや父ジョンと同様に野球選手に憧れていました。でも夢は叶わずに、そして隠遁生活に入ってからは大好きな野球観戦も叶わなくなっていました。
そして何より、レイとアニーは二人して、レイとテレンス・マンがフェンウェイパークで並んで野球観戦している夢を見たのです。
農園と家を守るために、金策に駆けずり回らなければならない状況で、それでもレイ夫婦は、声と夢の力に従います。
レイは、テレンス・マンを探して、二人でフェンウェイパークで野球観戦するために、オンボロ車に乗ってオクラホマからボストンを目指します。レイは探し出したテレンス・マンに事情を話し、テレンス・マンは疑いながらもレイと共にフェンウェイパークに野球観戦に出かけます。そして二人は、第三の啓示「最後までやり遂げろ」を耳にし、またスコアーボードに浮かぶ「ムーンライト・グラハム」の名を目にします。
二人は、ムーンライト・グラハムの故郷ミネソタのチザムという町を目指します。
ムーンライト・グラハムことアーチボールド・グラハムは、1972年、今から16年前に他界していました。彼は、チザムという町で年老い亡くなるまで、医者としてまた慈善家として活動し、今でも町の人々から慕われ尊敬されていました。しかし、レイ達が出会う事は叶わなくなりました。
夜、モーテルから一人、町に散策に出かけたレイは、ふと、1972年のチザムの町に迷い込んだことに気付きます。そして高齢のアーチボールド・グラハムに出会います。そして、彼の診療所で話をします。
彼は、何故にムーンライト・グラハムと呼ばれる様になったか話します。
彼もまた野球選手を夢見る少年でした。野球選手になるためにチザムの町を飛び出して、ヒッチハイクの末にマイナーリーグへ飛び込みます。そして才能が認められメジャーリーグに昇格することができました。そして漸くチャンスが来ました。試合の後半、ライトの守備に入ります。彼はメジャーリーグに印を残すことができましたが、しかし、その試合で守備機会は訪れず、また打席に立つことも出来ないままに、試合の後マイナーリーグへの降格を告げられます。
彼は、再びマイナーリーグ生活を送ることに挫折を覚え、野球を諦め、チザムの町に戻って稼業の診療所を継ぐことになりました。
彼には後悔が一つありました。夢を諦めずにもっともっとチャレンジすることも出来たのに、そして次のチャンスを物に出来たかもしれないのに、まるで月の光の様に儚いものとしてチャンスを掴む事をはやばやと諦めてしまった事に後悔の念を抱き続けていたのです。そして、そんな自分をムーンライト・グラハムと呼んで慰めたのでした。
レイは、もしメジャーリーガーになれたら何をしたいか尋ねます。
彼は、打席に立ち、対戦するエースに向かって「投げる球は分かっている」とウィンクをしてやりたいと話します。レイは貴方の夢を叶える事が出来ると話しますが、彼は愛する妻を置いて出ては行けないと、穏やかにレイの申し入れを断ります。
レイとテレンス・マンは、このまま人手に渡ってしまいそうなトウモロコシ畑の中の野球場を目指して車を走らせます。その途中、ヒッチハイクの若者を拾います。若者は、野球選手になるために旅をしていると話し、名前をアーチーボールド・グラハムと名乗ります。二つ目の奇蹟が成りました。車は一路、夢を叶える野球場を目指して走ります。
夢を叶える野球場では、往年の名選手のオールスターゲームが始まっていました。
憧れの選手達に臆するグラハムに向かって、「ルーキー、ユニフォームに着替えてベンチに入れ」とシューレス・ジョーが声を掛けます。そしてグラハムは、夢を叶える事が出来ました。
そこにアニーの兄マークが訪れます。マークはレイに農場と家、そして役立たずの野球場を即座に売り渡す様要求を突きつけます。野球ゲームを観戦していた娘カリンとテレンス・マンの二人が、もうすぐ沢山の人々が、惹き付けられた様にして野球場にやって来る。一人20ドルの観戦料で、みんなが幸せになれると話します。マークの大声の叱責に驚いたカリンが観覧席から落下して気を失います。レイはグランドのグラハムを見つめます。
若いグラハムは駆けてきて、あの世から来た野球選手が姿を留められる境界線に近づきます。そして、一歩、また一歩、境界線を越えてこちらに近づきます。その姿は若者ではなく、年老いたグラハム医師のものでした。そしてカリンを抱きかかえ蘇生します。
驚いたのはマークです。目の前に突然高齢の医師が現れたのです。そして振り返ると、野球場には野球選手達がいて、こちらの様子を伺っているのを目にします。彼は事態を直ぐには理解出来ませんでしたが、とりあえず「野球場は売るな」と宣言します。
ゲームが終わり、野球選手達が家路に向かいます。野球場の左中間辺りのトウモロコシ畑との境界線に、あの世との出入り口がある様子です。彼等はおどけながら、その出入り口で消えるのです。シューレス・ジョーがテレンス・マンを招待します。レイは不満でしたが、テレンス・マンのこれにも意味があるという言葉に従います。そしてテレンス・マンは、見聞録をいつか執筆すると話して、レイと別れ、彼等の世界へと旅立ちます。
シューレス・ジョーは、レイに向かって「啓示は君の内からでたもの」だと話します。そして、グランドに残るもう一人の若い野球選手を示します。捕手のプロテクターを身に着けた若い選手が、キャッチャーマスクを外します。その若い野球選手は、レイの父ジョンでした。レイは、この不思議な冒険が自身の夢を叶えるための冒険であったことを悟ります。レイは、諦めていた、父との和解と、家族を父に会わせるという夢を叶える事が出来ました。
ジョンがレイに尋ねます。「ここは天国かい?」
「いや、オクラホマさ」
でもジョンは続けます。「ここは天国だと思う」
「天国って、あるの」
「あるさ、夢が叶えられる所なんだ」
レイは思い直します、この野球場は、自分にとっても天国なんだと。
帰り支度をするジョンに向かって、レイが声を掛けます。
「父さん、キャッチボールしようか?」
ジョンは応じ、笑顔でキャッチャーミットを拾います。
親と子のキャッチボールが始まります。
アニーは、日が暮れて薄暗くなってきた野球場を照明で照らします。
遥かに遠く、長い一筋の灯りが野球場を目指してやって来るのが見えました。
それは、夢を叶える野球場に導かれた人々の乗る車の、ライトの列が織り成す一条の灯りでした。
end
明日から6月です。子供が中高と野球をやっていた時は、最後の夏が始まると感慨を覚えたものでした。三年生になって、早ければ6月末に始まる夏の大会で、負ければそれで部活の引退です。いつも、一つでも多く長く試合を戦って欲しいと願い、そしてチームの勝利のために戦っている子供を含めた野球部員達全員の雄姿を、愛おしく思ったものでした。
そんな野球を一度でも好きになった人なら共感して頂けると思いますが、その原風景は父や兄とのキャッチボールではないでしょうか。
たどたどしく投げたボールを、しっかりと受け取ってくれる父や兄の姿です。そして受け取りやすい優しいボールを投げ返してくれる父や兄の姿です。
この「フィールド・オブ・ドリームス」には、センチメンタルにキャッチボールする親子の姿が描かれます。懐かしく、切ない、遠い日の思いです。
家の本棚に、この映画の英語シナリオ本がありました。公開当時、この映画を観てとても感激したのでしょうね。読めもしないのに、シナリオ本を買っていたのです。それが今回、感想を書くのに役立ちました。
とても大好きな映画の一本です。
※フィールド・オブ・ドリームス 原題Field of Dreams 1989年米国映画
主演のケビン・コスナーは、「アンタッチャブル」で注目し、この映画で大好きになりました。ケビンの演技は、いつもどこか自信なさげで、それでいて正義感もユーモアも滲み出る、演技に見えない素の様な演技というのでしょうか、それがとても魅力的でした。
そして、この映画の一番の主役と言いましょうか、トウモロコシ畑の中の野球場は、今も残っているそうです。地元のボランティアの人たちが、大切に守り受け継いでいるそうです。当然のこと、野球が出来るということで、願うならばそのマウンドに立って360度の風景を眺めてみたいと思います
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